月 2016-08-05 23:20:23 |
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「月ってさ、こう、手に届きそうで届かないのな」
突然意味不明な言葉ともに空に優しく輝く月に手を伸ばし苦笑いを浮かべるラビを見て、神田は呆れたような声を出す。
「あたりまえだろ」
月に手が届かないと言うのは現実の距離を考えれば当たり前の事であり、それが分からないとはこいつはやはり馬鹿な兎なのだろうかと神田は眉間に皺を寄せ考えてしまう。
「まあそうなんだけどさ」
神田の言葉に切なさを覚え『ユウへの想いを月に例えた』などという気持ちを口に出すことも出来ず、苦笑いを浮かべ一言返すしかないラビは自らを滑稽に思えた。
おそらくユウは自身の気持ちなど知りはしないし、知ったところで受け入れてもらえるとは思えない。
ならばいっそ、強引な手にでて酷い振られ方をしたほうが楽になれるのではないだろうか。
「俺は部屋に戻る、お前ももう寝ろ」
ラビの様子がおかしいのはきっと任務開けで疲れているのだろうと思い、気遣いと言うほどのものではないが休むことをすすめ神田はその場を立ち去っていく。
あとに残されたラビの心には夜の闇にも似た薄暗い色が混ざっていき、とりあえずは部屋に戻ることにしようと歩みを進めた。
***
部屋に戻った後も寝付けず、仕方がなく談話室で書物を読み漁るが集中できない。
日に日に神田への想いは色濃くなり、もう押さえ込むのも限界に近づいている。
やはり、実行するしかないのだろうか。
本当はこんな風にユウを傷つけるまねなどしたくはなかった。
もっとちゃんと想いを告げて、関係を持ちたかったのだ。
しかしどうせ望みが薄いのなら、僅かでもユウに俺自身を意識させて振られたい。
そんな事を考えながら、ラビは神田の部屋の前に辿り着いた。
一瞬悩みながらもとりあえずノックをする事にして見たが、返事はない。
そっとドアを開けて中の様子を確認してみると、神田は眠っているようだ。
音をたてないように部屋の中に入り、そっとドアを閉め鍵をかける。
眠っている神田の横顔が月に照らされている様子は、ラビの理性を少しずつ壊していく。
この綺麗な顔が今からする自分の行為で歪む事を思うと心は痛むが、何もせずとも痛むのならもうどうなろうといい。
眠る神田の横に座りベッドをきしませ、その黒髪を指で掬いキスを一つ降らす。
「…っ……」
微かに反応したようだが起きるまでではないらしく、ラビは仕方がないと首を横に振り上着を脱ぐ。
側にあったイスの背もたれに無造作に掛け、再度ベッドに腰をおろすと今度はその神田の口に触れる程度の口付けを落とした。
「…ぅ…、ん……馬鹿…う、さぎ?…」
ようやくうっすらと目を覚ましたらしい神田は、寝起きのせいかまだ状況を理解していないようだ。
「おはよ、ユウ」
ラビは微笑を浮かべ神田の瞳にキスを落とし、何事もなかったかのように事を進める。
少しずつ覚醒してきたらしい神田は、想像通りラビを押し退けようとする。
「お前何を、離せっ」
「何って、襲ってるだけさ」
しかし体勢が悪いせいか、ラビはビクともせず神田の襟元に手をかける。
唯一の抵抗する手も上から押さえつければろくに抵抗すら出来やしない。
始めからこうすれば良かったのだ。
叶わない実りのない恋に想いを馳せるくらいなら、いっそのこと傷つけて俺を忘れられなくすればいい。
意味なく終わるくらいなら、嫌われてもユウの記憶に残りたい。
「やめろ、斬られたいのかっ」
無意味な抵抗をする神田の首元を苛立ちゆえ強く噛む。
「ユウ、耳元で騒がられるとうるさいさ」
噛み付いた痕には血液こそ流れはしなかったが、紅く色がつき神田からは小さな呻きが聞こえた。
六幻はあらかじめ離れた位置に置いておいたし、事の終わりに斬られるならそれでも良い。
どうせ、このあとの関係は修復など出来ないんだから。
しかし、神田から聞こえた次の一言にラビの心は揺れた。
「…っ、…こんなやり方は嫌だ」
それは微かな囁きのようなものだったが、ラビの気持ちを揺らすには充分なものに思えてしまい、力こそは抜かないが動きを止めるには意味のある言葉だった。
「そりゃそうだよな、俺なんかに襲われてもさ」
自嘲気味に笑いながら、内心は今にも壊れてしまいそうな感覚に襲われる。
初めから分かっていた事のはずなのに、自身で望んだ事なのに、なぜこんなにも苦しく痛むのだろう。
泣きたいのは、傷ついているのはユウの方なはずだ。
それなのにと言葉を紡ぐことも出来ず、沈黙が流れる中先に言葉を発したのは神田であった。
「違う、そういう事ではない、逃げないから一度手を離せ」
その言葉にあれほど心を染めていた黒い物が、ラビの中で薄らいでゆく。
逃げないと言っているし、これ以上神田を傷つけても意味がないと悟ったラビは、その手の力を抜き神田を解放する。
押さえつけられていた神田の手首は少し紅く痕が付いて、それだけラビが力を入れていた証拠といえるだろう。
しかし神田自身はそのことにはふれず、言葉を失っているラビを力強く殴り飛ばした。
「痛いだろうが、この馬鹿力兎っ」
その後すぐに発せられた言葉にラビは俯くしかなく、神田の言葉を待つ。
「ったく、おい馬鹿兎、今から質問する事に簡潔に答えろ」
こんな時にユウからの質問とは何だろうか。
僅かな沈黙を置き、続けざまに神田は続ける。
「お前は俺をどう思っている」
「え?どうって…」
もちろんラビはユウの事は愛しいと思っている。
大切にしたいし、側に居れるのならば居たい。
「さっさと答えろ」
何も答えないラビの様子を見て、神田は苛立ちを隠せないでいる。
「ユウの事は好きさ、恋人として付き合えたらとも思っている、けど」
急かされ、覚悟を決め告げたラビの神田への思いは愛しさと供に迷いが混ざってしまう。
「けど何だ」
その小さな迷いに気づかないはずもなく、強く問う神田の言葉にラビの思いは溢れた。
「俺はブックマンの後継者で、いつか教団からいなくなるかもしれない、そんな俺より、神田にはもっと良い奴が現れるかもしれない、だろ」
ラビの言葉に静かに耳を傾けていた神田は、怒りというよりは呆れたような表情を浮かべている。
「馬鹿だとは思っていたが、ここまでとはな」
なぜこれほど考え悩んだ事を、そんな一言で済まされなければならないのだろう。
神田はラビがどれほど思い悩み苦しんだかを知らないから、平気でそのような事を言えるのだろうか。
そうだとしたら、ラビ自身だって黙っていられない。
「俺はユウの事を思ってっ」
「俺の事を思った上で俺を襲ったとでも言うのか」
神田の一言に何も言えなくなってしまうラビを見て、神田は続けざまに止めを刺さす。
「俺の事を思うなら、俺が嫌がる事をするのはどうかと思うがな」
冷静に考えればユウの言葉が正しいのだろう。
それに比べてラビの考えは短絡的で、自分から自滅をしに行くようなものだ。
冷静になればなるほど虚しさがラビの心に広がっていく。
「俺、ちょっと頭冷やしてくる」
しかし苦笑し部屋を出ようとするラビの動きは、神田の一言で止まる。
「待て、まだ俺は何も答えていないだろう」
この後に及んで答えを言われても虚しいだけなのだが、確かにこちらの言い分のみ伝えて部屋を出るのは失礼かもしれない。
聞きたくはないのだが、そうもいかないのだろう。
「わかった、じゃあユウの答えを教えてくれ」
何ともないと言ったような態度で神田の答えを待つ。
今のラビに出来るのはそれが精一杯の虚勢だ。
しかし、なかなか神田は口を開かない。
十数分はたっただろうか。
突然の出来事や言葉に混乱し答えを探すのに苦労しているのかもしれないが、待たせるくらいなら早く答えてほしいと思うのはラビのわがままでしかないのかもしれないがそれでも長い。
やはり、自室に戻ろう。
そのことを告げようとした時、ようやく神田は口を開いた。
「俺は、先ほどお前の言葉を聞いてようやくお前の気持ちに気づいた。だから、今すぐに是か否かを問えと言われても、答えようがない」
ユウは何が言いたいのだろう。
ラビの気持ちに気づいたのが先ほどなのは、分かりきっている。
なぜ改めて言う必要があるのだろうか。
しかし、その疑問、も次の神田の言葉で意味が分かった。
「それでだな、まずはお前のことを意識し始める事からでは駄目か」
要は、今まで意識してこなかったため、好きかどうかと聞かれても分からない。
だから、意識をしてみるから、それから答えを出させてほしい、つまり保留と言う事なのだろう。
おそらく、神田が言いたい事はそういう事だ。
「それは、返事は保留って事?」
ラビはその場に崩れ落ち、念の為神田に確認してみる。
「そういうことになるな」
「なるなって…」
さらりと告げられた神田の言葉に、ラビの体は力が抜ける。
先ほどまでの覚悟は、いったい何だったのだろうか。
しかし鈍い神田に気づいてもらえただけでも、まだ良いのだろう。
二人が供に入れる時間は刻一刻と流れていく。
それは誰にも止められないもので、ラビの中からその意識が消える事はない。
それでも、ラビと神田の距離が僅かでも近づいていくのなら、その最後の時が来る時迄に少しでも近くに居れるのなら、決して悪くはないのかもしれない。
ラビの中にある黒い物が綺麗になくなったわけではないが、それでも最後の時まであの夜の闇に照らされた美しい月をユウと供に見れるならそれも悪くはないだろう。
そんな風に思うラビと、この気持ちを知らない神田の間には、窓から月明かりが輝いていた。
それをとても優しい明かりに感じたのは、ラビだけではないと今は願いたい。
end
十月三十一日の夜。
俺の部屋には狼が現れた。
誤解のないよう説明するが、教団内の俺の部屋に入団してから今まで、狼が現れた事はない。
なのに俺の目の前にはよく分からない獣が居る。
狼の格好をした馬鹿な兎という獣が。
どうやら俺は疲れているらしい。
***
その日の夜、風呂上がりに自室に戻った神田は、明日の昼から向かう任務先の書類に目を通していた。
昨日任務を終え、明日には新たな任務とはなかなかのハードスケジュールである。
それなのに今朝から教団内はやたら騒がしい。
聞けば今日は『ハロウィン』なるイベントの日らしく、やれ南瓜だ、菓子だ、仮装だと色々忙しいらしい。
先ほどコムイ等にも仮装をすすめられたが、あんな格好をして何が面白いのだろうか。
そんなわけで神田は、厄介事に巻き込まれる前に自室に戻ることにしたわけである。
「ユーウー、居る?」
ベッドで書類に目を通している神田の耳に、自室のドアの外から馬鹿兎の声が聞こえてきた。
面倒事に巻き込まれるのは御免だと、神田自身がその声に返事を返す事はない。
しかし、それは意味のない抵抗だったようだ。
「いないのか?邪魔するさー……って居るなら返事ぐらい返してほしいさ」
「うるさい、居ないとは言ってないだろう」
返事がなければ諦めるだろうと思っていた神田の予想はみごとにはずれ、ラビは堂々と神田の部屋に入室してきた。
「居なかったら返事なんて出来ないだろ、つうか無視とかユウ冷たいさ」
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