月 2016-08-05 23:20:23 |
通報 |
その日が特別な日になったのは今年が初であった。
今までは自分にとって関係のない日であり、むしろ嫌悪していたのだが今年は少し違う。
「ちっ、何で俺が…」
訝しげに眉間に皺を寄せ、神田ユウはため息を一つ吐いた。
***
事の起こりは一ヶ月前。
その日神田ユウは任務を終え、食事をするため食堂に向かった。
眠気と空腹どちらを選ぶか悩んだのだが、食事を終えてからの方がよく眠れると思ったためである。
「神田はバレンタインどうするの?」
蕎麦を受け取ると同時にジェリーからの唐突な質問に、眉間に皺が寄る。
「どうもしねぇよ」
ため息混じりに返答し立ち去ろうとするも、ジェリーに服の裾を捕まれ「つれないわねぇ、そんなんじゃもてないわよ?」と呆れたように言われてしまう。
「知らねえよ」
無理矢理裾を離させるかのように歩き始め、空席を見つけ席に着き蕎麦を食べ始めたが、先ほどのジェリーの言葉が頭に残る。
『神田はバレンタインどうするの?』
蕎麦を食べる手を止め、一瞬浮かんだのはアレンのことであった。
(あいつはどうするのだろう)
神田ユウ自身はいつもどおり任務があれば出向き、予定がなければ鍛錬に勤しむつもりだが、それは去年までの話だ。
今年は数カ月前からアレンと付き合い始めたのだ。
すでにアレンとの関係はそれなりに深まりつつあるが、先刻までバレンタインという西洋のイベントがあるのを忘れていたのである。
一応、恋人同士である以上そのような日等は何か知らすべきなのかもしれないが、いかんせんそのようなものに縁がなかったため何をすればいいのか神田は把握してはいなかった。
(めんどくせえな)
内心鬱陶しげな思いにかられるも、一応何かしら考える事を頭の隅に置き、食事を終え神田は食堂を後にした。
***
自室に戻り上着を脱ぎ、ベッドに腰をかけると部屋のドアをノックする音が聞こえ、その後すぐに聞きなれた声が聞こえた。
「神田、居ますか?」
「何のようだ」
ドアを開け、とりあえず声の主であるアレンを向かい入れると、普段と変わらない様子を保ち神田はアレンの顔を見つめ逆に問いかけた。
「用って言うほどではないんですけど、その、神田が帰ってきているって聞いて」
アレンから目線を逸らしながらも、会いに来たという事を告げられ内心嬉しく思いながらしかしその前に確認しなくてはならない事があると神田はアレンに大切なことを聞く。
「ばらしていないだろうな」
ぶっきらぼうな物言いで、アレンの髪を一房指で掬い問う。
そう、自分達の関係は教団内では内密になっているのだ。
ここは特殊な場所だ。
特に禁止という話を聞いたわけではないが、明日命を落とすかもしれない者達に愛する者がいるなど、ましてやそれが同じく戦う者なんて話はあまり良くは思われないだろう。
良くも悪くも言い話ではないはずだ。
しかし、それを分かっていた上で俺達は引かれ逢ってしまった。
ならばせめて、教団の者達には内密にしようと付き合う時に決めたのだ。
「ええ、心配ありません」
アレンは微笑みながら、しかし自分に会って口頭一番がそれなのかと少し残念そうな目をしていた。
「そんな目をするな」
その視線の意図を察すると神田自身も目線を逸らし、とりあえず部屋の鍵を閉めベッドに腰をおろした。
「来い」
神田はアレンに呼びかけるようけして高くはないが、アレンの耳には十分通る声でこちらに来るよう告げた。
その声に引かれるかのように、アレンは神田の隣に座るもその視界はすぐに天井へと変わる。
「え、か、神田?」
アレンの視界を変えたのは先ほどまで隣にいた人物、神田ユウであった。
「もう、黙れ」
性急な動作でアレンの口を神田自身の口で塞ぎ、数日ぶりの感覚を取り戻すかのように口付けを重ねる。
「…っ…ん…」
アレンから漏れる吐息をも飲み込むかのように口付けを重ね水音をたて、ようやく離れた頃には互いの息が上がっていた。
呼吸を落ち着かせながら供にベッドに横になり、第一声を放ったのはアレンの方であり。
「お帰りなさい」
「あぁ」
消え入りそうなアレンの言葉に、神田はそっけない返事を返した。
「『あぁ』って、もっと言う言葉はないんですか」
呆れたようなアレンの声を隣で聞きながら、神田は呼吸をするかのようにたった一言思っていた言葉を発する。
「会いたかった」
神田ユウが発した言葉はあまりにも短く些細な言葉だったが、しかし紛れもない本心であった。
しかし不意を突かれたアレンにとっては自身の顔を薄紅に染めるには十分なようであり、神田の胸元に顔を埋め羞恥を隠さずにはいられなくなる。
そのことに欠片ほども気づけずにいる神田にとっては、アレンの行いは『誘っている』としか思えず、再び口付けをしようと試みたのだが、それはアレンの手により阻まれてしまう。
阻まれたことにより、『誘っている』訳ではないと言うことにようやく気づいた神田は、何か話題はないかと思い先ほどの食堂での話をアレンに振ってみることにした。
「2月の14日、予定はあるのか」
唐突な質問に、疑問視を隠せずにアレンは返答に悩んだ。
「え、来月ですか?あっ」
ようやく質問の意図を理解するも、神田からまさかそのようなイベントの話が出るとは思ってはいなかった為なかなか返事らしいものがなく、神田は少し苛立ち始めていた。
「予定はあるのか」
神田は再び質問を投げかけてみた。
自分の言葉不足を棚に起き、質問の答えを性急に求める神田はかなり自己中と言えるだろう。
本人は明らかに自覚なしと思えるが。
「任務がなければ特に予定はないです」
アレンの言葉を聞き、少し安堵した事に神田は自らに内心驚いてしまう。
(何でこんな事に一喜一憂しなければならないのだろう)
「神田、どうしました?」
アレンが首を傾げ、神田の様子を気にかけたと同時に神田は我にかえった。
「なんでもない」
「ならいいんですけど」
そっけなく返事を返す神田の言葉に、今一納得がいかないとアレン短い言葉を吐く。
「あの、神田は予定とか」
アレンは急に恥ずかしそうにそう呟き、神田へ問いを投げかけたが「同じだ」となおも短い返答が返ってきただけであった。
そんな些細な日常会話を重ね、その夜アレンは神田の部屋から出ることはなく、そのまま朝を迎えることになる。
***
あれから一ヶ月近くすぎ、明日はとうとう約束の日となった。
神田が任務を終えたのは先ほどで、これから自室にて仮眠を取る予定である。
次の任務は決まっていないし、アレンも今夜には戻るような話を聞いた。
一応、任務地にて洋菓子屋でチョコレートなる物を買い、これで問題はないはずだと、神田は自室にてベッドに横たわる。
後はアレンの帰りを待つのみだが、さすがに眠気には勝てず、ゆっくりと意識を手放した。
どれほどの時が過ぎたのだろう。
数十分のようにも、数時間のようにも感じる。
備え付けの時計を見れば二時間ほどしか過ぎてはいないようだ。
ベッドから起きあがり、体を伸ばしていると背後の扉からノックの音が響く。
「神田、いますか?」
扉の前にいるのは声からしてアレンだろう。
時計の針はもうすぐ約束の日に変わりそうだった。
「まにあったようだな」
扉を開け、アレンを向かい入れ、鍵を閉める。
「ええ、神田との約束ですから急いで戻ったんですよ」
本当は朝に戻る予定であったが、神田との約束を守るため急いで戻ってきたらしく、アレンの上着は少し草臥れて見えた。
「そうか」
室内であり、アレンと二人きりという安堵から神田は短い返答と共にアレンを抱きしめるが「神田?待って…」というアレンの声に腕の力を少し弱め囁く。
「どうした?」
「あの、上着汚れているから、せめて脱いでから」
神田の問いにアレンは小さく震え、薄紅色に染めた顔を埋め小さくこぼした。
「わかった」
短い返事と共に神田は抱きしめた手をゆっくりと放し、その行為に安堵と共に僅かな寂しさを思ったアレンは神田の意外な指先の動きに鼓動を高めてしまった。
「か、神田?何してっ」
そのまま離れるかと思えた指先は、アレンの上着の襟元を撫でる。
「上着を脱ぎたいんだろう、手伝ってやる」
そうアレンの耳元で囁くと、上着の止め具を一つ、また一つと丁寧にしかし愛しそうに外していく。
「神田、自分で脱ぎますから」
なんてことのない出来事のはずなのに、アレンの頬は薄紅色に染まり、熱を帯びてしまう。
神田の指先の動きを制止させようとアレン自身の手を近づけるが、その手は神田の左手にそっと遮られてしまう。
しかし、アレンが抵抗を阻まれてしまったのは神田の左手のせいだけではなかった。
「…ぁ…っん…」
アレンの首筋に、ショコラのように甘い口付けが降る。
吐息を含ませ、優しく舞う口付けはその記念日にふさわしく思えるものであった。
その間もアレンの上着の止め具は外され、確実に神田の手でアレンは脱がされていく。
その間の首筋、耳元、瞼に降る口付けは、一秒毎にアレンを溶かしていった。
「ほら」
アレンが目を閉じていたせいか、気づいた時には神田の手にアレンの上着があり、指先も離れていた。
「どうかしたか」
状況を理解していながら神田はアレンに微笑し言う。
「なんでもないですよっ」
自身の頬を薄紅に染め、わずかに震えながら否定するも、それは辱めにあわされた怒りと羞恥によるものであり、アレンが声を荒げるのは当然だった。
「そうか、ならいい」
微笑を隠さず机の側にある椅子にアレンの上着をかけると、僅かに神田が何かを手にとったように見え、アレンは訊ねてみる。
「それは」
「お前にやる」
アレンの手には漆黒の四角い箱に赤いリボンのかかった、その両手から僅かにはみ出す位の物があった。
「これ…、バレンタインの…」
リボンにはバレンタインのメッセージカードが、刺さっている。
アレンが神田の表情を確認しようと顔を上げると、神田は顔を見せまいとアレンを抱きしめた。
「黙って受け取れ」
小さくこぼした神田の声には、羞恥のようなものが感じたが、アレンはそれについては触れないでいた。
「開けてみていいですか?」
嬉しそうに微笑み訊ねるアレンの声に、「好きにしろ」と抱きしめた腕を解きまだ薄紅に染まったまま目線を逸らし、神田は言う。
神田の手から離れ、アレンはベッドに腰を下ろし、赤いリボンを丁寧に解く。
蓋を開けてみると、中には小さなショコラが八つ程入っていた。
「綺麗ですね、食べるのがもったいないな」
ブラウンベースのショコラは、キャラメルのラインや、アラザンの煌めきによりショコラを芸術に変えている。
「俺が食わせてやるよ」
神田の指先がショコラを拾い上げ、それをアレンの口元へと運んだ。
神田の指先から放されたショコラはアレンの口の中に入り、先ほどの口付けのように甘く、ほろ苦く溶けていく。
「美味しいです」
溶けたショコラを飲み込み、内側に流れ染み込んでいく感覚を味わいながらアレンは呟いた。
「神田、僕からのも貰ってくれますか?」
アレンの手には部屋に来たときから持っていたらしい、神田へのショコラがあった。
ダークブラウンの小さな四角い箱には銀と金の細いリボンがかかっており、神田はその箱を受け取る。
「開けてもいいか」
神田は一応確認し、アレンの小さな頷きを答えと受け取り、金と銀のリボンに指をかけた。
箱の中にはトリュフ仕立てのショコラが六つ入ってあった。
「店員さんに甘くないのを聞いたらそれを薦められたんです、神田は甘いの苦手でしょう?」
箱の中のトリュフからは微かなオレンジと洋酒の香りがする。
「今度は僕が神田に食べさせてあげますね」
指先でトリュフを取ろうとするアレンの手を神田の指が遮り、かわりに神田が取ったトリュフをアレンの口へ落とす。
「ぇ……」
驚いているアレンの口を神田の口が塞ぐ。
アレンの中にあるトリュフを絡め取り、転がすように口付けをする神田に、始めは抵抗していたアレンも、神田との感覚に酔い始めてしまう。
この酔いはショコラの洋酒か、それとも神田への思いなのか、しかしそんなことはアレンの中ですでに答えは出ていた。
ようやく解放されたアレンの腰を支え神田は耳元で囁く。
「甘い、が、この甘さは嫌いじゃないな」
不適な笑みを浮かべる神田の瞳を見つめ、アレンは思う。
こんなにも甘くほろ苦い味のバレンタインショコラは神田としか味あえないだろうと。
end
トピック検索 |