大倶利伽羅 2016-07-11 22:55:28 |
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(指はすでに綺麗に治ってはいたが、包丁で切った時の痛みはかなりのものだった。それに加えて光忠が慌てた様子で手は大丈夫かと心配してきたので、たかが切り傷と侮ってはいけないのだろう。知識があってもこれなのだから、恐らく何も知らない状態から始めたであろう光忠もこの怪我の経験があったに違いない。その痛みと練習の積み重ねが、今の料理の腕に繋がっているのかもしれない。そう考えると、一回指を切った程度で手伝いをやめるのが情けなく思えてくるが、光忠の張り切りようを見る限り今日の料理は本当に特別なモノらしいのだ。余計な意地を張って足を引っ張るより、さっさと退いた方が光忠の為になる。情けなかろうと格好悪かろうと構うものか、自分の中では光忠が最優先なのだから。しかし、手伝いをやめるとは言ったが何もせず棒立ちになるのも如何なものだろうか。光忠の傍にいたいので居間に戻るという選択肢は始めから無い。それなら料理の手伝い以外で出来ることを考えようとした矢先、光忠から声を掛けられ考え事を中断する。そうして告げられた光忠曰く『我が儘』らしい言葉は、いっそ笑える程に自分と同じ考えで、ふっ、と本当に笑い声が漏れてしまい片手で口を抑えながら「アンタが望むならそうさせて貰う。だが、俺は最初から傍を離れないつもりだった」と、自分も光忠と一緒にいたかったことを伝えては「今日は、アンタが料理している所を観察するだけにしておく。次は最後までアンタを手伝いたい」と、次の料理の際はもう一度手伝うことを告げて)
(断られる可能性を考慮しつつも、我が儘だなんて言ってお願いを半ば断り辛くしてしまったのは申し訳ないなと思いながら相手の返事を待って行く。そうして、不意に小さく笑みを零した彼を見ては「!。えっ、そうだったの…?ふふ、伽羅ちゃんもそうだったなんて、凄く凄く嬉しいなぁ」と一瞬きょとんとしたが直ぐに自分と同じ事を思っていてくれた事を知れば、幸福感で瞳を細めて柔い表情を浮かべていく。自身の一方的な気持ちで無かったと知れた事も嬉しいが、何より相手がそんな風に想ってくれていた事がとても嬉しくて堪らなく、こちらも小さく笑みを零す。それから“次は最後まで手伝いたい”と言ってくれた彼に「うん、分かった。次もまた君に頼むよ。一緒に料理を作るの楽しみにしてるね。_それじゃあ、夕餉が出来るまでちょっと待っててね」と微笑み掛けると、台所に戻って夕餉作りを再開させる。先程水を入れた鍋に料理酒と醤油と砂糖とダシ汁も投入していき中火で煮立てていく。そこに金目鯛の切り身を入れて落とし蓋をし、何十分か煮ている間に春カブのお味噌汁に取り掛かろうとする。伽羅ちゃんが殆ど切ってくれた残り少ない春カブを切れば、ダシ汁に入れて煮込んでいき、そこそこ一煮立ちさせたら火を弱めて味噌を溶かし入れていく。後は味噌の風味が飛ばない様に気を付けつつ蓋をして火を止めれば春カブのお味噌汁は完成で、彼が材料を殆ど切ってくれたから短時間で済んだなと心中で手伝ってくれた事に感謝をする。その後、金目鯛の煮付けも鍋底に残った煮汁に照りが出るまで煮る事が出来たのでこの料理も終わり、残るはおかずの二品だと思っては気合を入れていってそれらの材料を出していき)
(光忠に料理を教わることをついさっきまで考えていたが、出来る所までは自力でやってみようと思い直す。先程指を切ってしまったのも別のことを考えていたせいなので、作ることに集中していれば上手くいっていたような気がする。あくまで『気がする』だけなので今回は諦めたのだが。台所に戻って再び調理を再開した相手の動きをよく観察してみると、手際が良いだけでなく、一つ一つの行動に迷いが無い。それぞれの料理でどのように行動すればいいのかを熟知している動きで、それらを見ては感嘆する。さすがに全ての動きを真似出来るとは思っていないが、覚えておけば今後の手伝いで役に立ちそうだ。そう思いながら光忠の動きを覚えるべく観察を続けていると、眷属の光が一つふわりと調理場へ入ってきた。「…ああ、お前か」と笑みを浮かべて迎えれば、眷属が自分の肩へぽふりと乗っかり点滅を繰り返す。ことあるごとに自分や光忠についてきてはこうして肩に乗るのが習慣となったその眷属は、不思議そうにこちらを見やりながら『主、お手伝いはどうしたんですか?』と聞いてくる。「さっき、失敗をしてな。手伝いは辞退した」と答えると『えっ!主が失敗することなんてあるんですか!?』と殆ど叫び声に近い驚きの言葉を告げられ、くくっと喉を鳴らしながら笑ってしまう。「俺は失敗や間違いばかりを繰り返しているぞ?そういう所は、光忠の方がずっと優秀だ」と言いながら、光忠へと視線を向け直す。思い返してみれば、光忠の行動はいつも正しい道を辿っていたと思う。特にそう感じたのは、あの村に宣教師が来た時、光忠が術を解いて姿を現し、ありのままの気持ちを村人達にぶつけたこと。自分では思いつきもしなかったその方法で、竜神の信仰が僅かに復活したのだ。おかげで自分は竜の姿に成ることが出来、宣教師を追い返すことも出来た。「…本当に、何も出来ないのは俺の方だな。いつも光忠には助けられてばかりだ」と呟けば、肩に乗った眷属がその場で跳ねながら『主は頑張ってます!何も出来なかったことも無いです!光忠さんだって同じこと言いますよ、絶対!』と強く訴えられては「そうだな。光忠なら、そう言ってくれる」と笑みを浮かべてそう言っては、指先で眷属を撫でていき)
(そう言えば茶碗蒸しなんて久々に作るなぁと、昔に母と一緒に作っていた時の事を思い出しては懐かしみ、具材の鶏肉や椎茸を食べやすい大きさに切っていく。それに加えて、茹でた海老と三つ葉と共に、茶碗蒸しの器に先に具材を均等に入れる。そして幾つか卵を割っては菜箸で溶いていき、その中にダシ汁を入れると再度掻き混ぜて溢れない様に茶碗蒸しの器に注いでいく。今度は蒸す為に、鍋に布巾を敷き、ボウルに入れて熱湯を茶碗蒸しの器の半分の高さまで注ぐ。また、別の布巾で包んだ鍋蓋を少しズラして乗せては中火に掛けて蒸していく。それを待っている時間は勿体無いので、小松菜と油揚げの煮浸しを作ろうと調味料を手に取っていく。ダシ汁、みりん、醤油、料理酒、砂糖、水を鍋に入れて、根を切り落とし五センチぐらいの長さに切った小松菜と短冊切りをした油揚げもそこに加えてサッと煮る。一煮立ちしたら火を止めて、そのまま味を馴染ませていく。それを小鉢に盛っていれば炊飯器が鳴ったと同時に茶碗蒸しの方も良い感じに固まっていたので、竹串で刺して大丈夫かの最終確認をすると平気だった為に夕餉の品が全て完成する。「よし、出来たっ」と満足気に呟けば後は盛り付けだけなのでお盆を二枚取り出すと、まずは煮浸しの入った小鉢を置いていく。それから後ろを振り向けば「あっ、眷属くん!調理場に来ていたんだね」といつの間にかここに来ていたお馴染みの光の精を見て笑みを向けた後、話を本題へと戻していき「そうそう、伽羅ちゃん。夕餉が完成したから、お赤飯をよそうのをお願いしても良いかな?」とさすがに一人でやると相手を余計に待たせてしまうので、お玉でお味噌汁を掻き混ぜつつ手間を掛けさせてしまって申し訳ないと感じながらもそう頼んでいき)
(ふわりと漂ってきた匂いは、様々な料理の匂いが混ざっているにも関わらず少しも劣化することなく、むしろ互いを引き立て合うかのように良い匂いになっている。光忠のことだ、味や見た目だけでなくこういった細かい箇所にも気を配って作る料理の組み合わせを選んだのだろうなと考えていると、こちらを振り向いた光忠が肩に乗っている眷属に気付いて笑みを向ける。それに返すかのように点滅をする眷属に少し視線をやってから、赤飯をよそって欲しいという相手からのお願いに「分かった」と頷きながら返事をして、炊飯器の前へ移動する。米をよそう為の道具であるしゃもじを手に蓋を開けば、湯気と共に甘い匂いが広がり、綺麗な薄桃色に染まった米が視界に入る。『わあ!綺麗な色ですねー!』と肩の上ではしゃぐ眷属の声を耳にしながら、しゃもじで軽く赤飯をかき混ぜていく。…二人しかいないのに炊飯器の中身の量が少々多い気がするのはたまたまなのか、光忠が張り切った結果なのか。どちらにしても食べ切れない程の量では無いので問題無いだろうと思いつつ、気持ち多めに赤飯を二人分の茶碗によそってから蓋を閉めて「光忠、これでいいか」と盛られた赤飯を相手に見せながら問いかけて)
(こちらの頼みを快く引き受けてくれた彼に「ありがとう」と笑顔で感謝の言葉を述べては、鍋を掻き混ぜていたお玉を止めて木製の器に春カブの味噌汁を注いでいく。しかし注いだは良いものの、少し余ってしまった為に若干多めに作り過ぎたかもしれないと思っては、残った分は明日の朝に責任を持って食べようと考えながらも、彩りの為に三つ葉を上に浮かべた後に溢れないよう味噌汁をお盆の上に置いていく。それから、せっかく綺麗に出来た金目鯛の煮付けを崩さない様に慎重に少し堀の深い丸皿に乗せようとしていれば、盛った茶碗を見せてくれてお赤飯の量を尋ねて来た相手に顔を向けては「うん!その量で大丈夫だよ」と良い色に炊けていたそれを見ると安堵しつつ、量は適切だったのでこくりと頷いていく。勿論、料理は味にもこだわっているが、見た目にもこだわっている。やっぱりより美味しく食べて貰うには、飾り付けや色合いなどの見た目も大事なので今回もそれが上手く出来ていた為に、内心で密かに喜んでいく。それから何とか金目鯛の煮付けを上手く丸皿に乗せると、上から少しの煮汁を掛けていき。お味噌汁に続けてお盆の上に置いていこうとしながら丸皿を二枚持てば、まだ置いていない茶碗蒸しも置かないとと思っていて)
(相手から大丈夫だと告げられ頷きを返しながら、事前に用意されていたお盆の上に乗せておく。先に置いてあった味噌汁の上に浮かんでいる三つ葉に少しだけ視線をやっては、こういう一手間を惜しまずすることが料理には重要なのだろうなと感心しつつ学習をしていく。それから光忠へと視線を移し、慣れた動作で煮付けを丸皿に置いていく様子を観察して。味噌汁、赤飯、煮付けとこれで三品が揃った。後は確か茶碗蒸しだったか、と光忠が作ると言っていた料理名を頭の中に思い浮かべて、湯気を出している鍋を見る。と、そこで『主!主!』と眷属が呼ぶ声が聞こえてはそちらを向いて「どうした?」と問いかけると『光忠さん、本当に料理がお上手ですね!社のお掃除も丁寧にしておられましたし、鶴丸様の言ってた通り良いお嫁さんになれますよね!』と告げてきた。…お嫁さん…嫁?確か、互いに永遠の契りを交わした人間の男女の、女性の方をそう呼ぶのだったか。妻、とも呼ぶそうだが…何故そこでその単語が出て来るのかがいまいちよく分からない。しかし情報源が国永となると、間違いでも無いのだろうか。『鶴丸様曰く、神に生け贄を捧げる行為に関しては昔から色んな呼び方があるそうなんです。その中の一つが"嫁入りする"という呼び方で、光坊はそういう意味でも倶利坊の嫁で間違いないな、と言っておられました!』と律儀に解説をしてくれた眷属に「…そうか」と返事をしてから、少しだけ思考を巡らせる。光忠だけを愛し、生きている限り傍にいるという契りは交わした。だが、光忠のことを自分の嫁と呼べるのかどうかは分からない。そもそもその呼び方は人間の女性を対象としているのだ、光忠がそう呼ばれて喜ぶとも思えない。「…呼び名は別に、関係無いな」と自分に言い聞かせるように呟いて一旦思考を中断させては、再び光忠の方へと視線を向け直して)
( 金目鯛の煮付けをお盆の上に置くと、そう言えば温めっぱなしだった事を思い出して慌ただしく茶碗蒸しの方へと近寄って行く。黒手袋を着用していたので、そのまま茶碗蒸しの器を持てるかと思ったのだが「っ!」とさすがに熱くて素早く手を引っ込める。幸い火傷にはなっていないので密かに安堵の息をつくと、きょろきょろと辺りを見回しては近くにタオルを見付けて、それを水で軽く濡らせば茶碗蒸しの器を軽く包んで持ち上げる。これなら全然熱くないと思っては、やっぱり横着するのは良くないなぁと黒手袋のみで持とうとしていた自身に反省をして、お盆の上に一個ずつ置いていく。そうすると今度こそ夕餉が完成して、お赤飯、春カブのお味噌汁、金目鯛の煮付け、茶碗蒸し、小松菜と油揚げの煮浸しと全ての品を置いた事を確認する。そして、ふぅと小さく息を吐き微かに浮かんでいた額の汗を拭った後、まさか嫁云々の話題をしていたとは知らずに伽羅ちゃんと眷属くんの方を見て「待たせちゃってごめんね。盛り付けも終わったよ」と伝えれば、夕餉の乗ったお盆を一つ手に持って「それじゃあ、居間に運んで行こっか」と微笑み掛ければ相手の準備が整うのを待っていき)
(湯気が主張してくることから、茶碗蒸しの器は相当な熱さになっていたことだろう。しかし、光忠がそのまま手を伸ばしたのを見ては止めようと口を開きかけた所で光忠の手が器に触れてしまい、僅かに顔をしかめてからその手を引っ込めた。やはり熱かったのかと思い火傷の心配をするが、当の本人は気にした様子もなく水に濡らしたタオルで再度器を持ったのを見て、どうやら大したことにはならなかったらしい。そのままお盆を持って居間に行こうと提案する光忠に頷きを返してから、もう一つのお盆を片手に持って光忠の隣に立ち、そのままもう片方の手で光忠の持つお盆を取る。「俺が運ぶ。アンタは手を冷やしていろ」と先程火傷しかけたことを指摘するのと同時に、眷属が先程使われていた濡れタオルを運んできて光忠の手に乗せる。万全を期すならば自分が治癒をした方が良いのだろうが、あまり神の力を人間に施すのは良くない。国永が光忠に術をかける際に言っていたように、神の力は人間にとって強すぎる為、負担となってしまうのだ。姿を消したり髪や眼の色を変える程度なら大した負担にはならないので、気兼ね無く術をかけられるのだが。「…結局、手伝いは出来なかったからな。このぐらいはさせてくれ」と告げてから、調理場を出て居間へと進んでいき)
(相手がお盆を持ったのを確認するとこの調理場を出て行こうとしたが、その前に自身が持っていたお盆を彼がひょいと持って行ってしまえばきょとんとして、直ぐさま手を冷やす事を促されれば先程の失敗を見られていた事に気付き、心配を掛けさせてしまったと思うと「あっ、でも大丈__わっ!?」とヘッチャラな事を伝えようとしたものの急に右手がヒンヤリとしたので何事かと思えば、どうやら眷属くんが濡れタオルを持って来てくれたようだ。右手の下は、特に過去の火傷で感覚が鈍くなっているのであまり痛みは無かったのだが、けれど熱かった事は熱かった上にせっかくの二人の厚意を無下にはしたくなかった為「…、ありがとう」と胸内に広がる暖かさを感じながら濡れタオルをきゅっと握ってお礼を述べていく。黒手袋を付けたまま右手を濡れタオルで包んでいき、急いで居間を出て行った伽羅ちゃんの後を付いて行く。暫くして居間へと着けば、左手の片手で座布団を二枚敷きつつその内の片方に座っていき)
(居間に着いてから両手に持ったお盆を机の上に置いている間に、光忠が二人分の座布団を片手で敷いては片方へ座るのを横目で見やる。…そういえば、出会った時から光忠の両手は黒い手袋によって隠されていた。右目も同様に長い前髪に隠されており、どちらも隠されたその下を見たことが無い。住んでいた家が謎の火事に遭い、両親を失って自分だけが生き残ったという話は聞いた。ならば、両手と右目が隠されているのもそれが原因だろうと予測出来る。しかし、それに触れることは、光忠が自身の黒髪に対して抱いている感情とは比べ物にならない程の傷に触れるのと同義だ。幾ら想いを通じ合わせたと言っても、無遠慮に踏み込んでいい領域ではないと分かっている。…それでも俺は、光忠の全てが欲しい。過去も傷跡も全部暴いて愛し尽くす、そう決めたのだ。しかしさすがに今すぐ聞くことは出来ないので、一旦その件は保留することにしてもう一つの座布団へと座り、胸の前で手を合わせて「いただきます」と食事前の挨拶を口にしてから箸を手に取る。どれから先に手をつけようかと少しの間迷ってから、金目鯛の煮付けへ箸を伸ばし、一口程度の大きさを取ってから口に運ぶ。そのまましばらく咀嚼して、こくりと喉を動かして飲み込んでから「…美味い」と呟いて口元を綻ばせ、今度は煮浸しに箸を伸ばして同じように口に運んでいき)
(濡れタオルを調整しつつ、ふとあの日に自分と両親を襲った大火を思い出す。それによって、右目と右手に火傷を負ってしまったので、今までもこれからもそれは隠して生きていく。あんな酷い火傷痕は見て気分の良い物では無いと考えているため頑なに黒手袋は外さず、濡れタオルがヒンヤリして気持ちが良いと思いながらも思考を戻し、目の前に置かれた夕食を見た後、相手と同じ様に胸前で両手を合わせると「いただきます」と食前の挨拶をする。それから左手で箸を取り、少しやりにくいが右手でお赤飯が盛られた茶碗を持っていく。それを箸で掴んで食べれば、餅米の弾力良し、塩加減良しと納得の行く味になっていて独りで満足気に頷く。すると、金目鯛の煮付けを食べてくれたらしい彼の“美味しい”と言う感想が耳に入ると「…ふふ、良かった!」とそれこそパッと満面の笑みを咲かせる。自分にはこれくらいしか出来ないから、やはり自信を持って出来る事を褒められるのは凄く嬉しい。それも特に大好きな相手から言われるのなら尚更だ。頑張って良かったなぁと感じつつ、思わず嬉々とした気持ちで春カブのお味噌汁に手を付けていき。これも良い塩梅に出来たと思いながら木製の器を置いていって)
(自分は大食いでもなければ早食いでも無い。そもそも食事という行為すらまともにしたことは無く、たまに国永がくれる林檎を口にするくらいだった。しかし光忠の料理はどうやら自分にとっては例外のようで、幾らでも食べられる気がする上に気が付けばあっという間に無くなってしまっている。光忠と比べて料理の減りが遥かに早いのを見ては、まるでがっついてしまっているようで少し行儀が悪いかとも思ったが、みっともないような汚い食べ方はしていない…はず、だ。そんなことを考えながら茶碗蒸しの最後の一欠片を口に入れ、しっかりと飲み込んでから食器を置き、再び手を合わせて「ごちそうさま」と食事終わりの挨拶を告げる。すっかり空となった自分の分の皿を見やりながら「光忠、どれも美味かった」と改めて感想を伝える。もう少し褒め方があるだろうとは思ったが、自分には正直な感想を伝えることしか出来ない。こうなるのだったら国永にもう少し料理について教わるべきだったか、と内心で反省と後悔をしては、ふと気になったことを思い出して「…アンタが前に作った料理はもう少し簡素だったと思うが、気分で違うのか?」と、今日の光忠が作った料理はどれも豪華なものだったので、そのことに関して疑問を投げかけてみて)
(金目鯛の煮付けの骨を取りつつ箸を使って口へと運んでいれば、ふと伽羅ちゃんの食べるペースが速い事に気付いて、もしかしてこれは自分の作った料理が気に入ってくれたから食事の減りも速いのかなと、やや自惚れた事を思うが何はともあれ嬉しい事には変わり無い。“ごちそうさま”と丁寧に締めの挨拶と改めて料理の評価を言ってくれる彼に「お粗末様。ありがとうっ」と笑みと共に返しては、相手を待たせるのも忍びないので自身は食事を再開させると、やや食べるペースを速めていく。そう言えば茶碗蒸しに銀杏を入れるのを忘れていたなと、それを食べている最中に思えば次回作る際には忘れない様にしようと考え、最後に残っていた小鉢を手に取ると煮浸しを口へと運んでいく。不意に、料理について伽羅ちゃんから問い掛けられると「うん、そうだね。お祝い事や良い事があった日はちょっとだけ贅沢をするよ」と素直に頷いていき、それから「…今日はさ、君に想いを告げられた特別な日だから夕餉を張り切ったんだ」と隠さずに伝えると柔く微笑んでいく。それに今後先、残り時間の少ない相手と後どれだけ一緒に居られるのか分からないのだから、なるべく一品一品に気持ちを込めたくて手の込んだ食事になってしまったと言う事もあるが)
(相手からの返答に納得して頷いていると、続けて光忠が口にした『想いを告げられた特別な日』という言葉に目を見開く。今日振る舞われた料理も、それを作るのに光忠が張り切っていたのも、全て目に見える形で自分に向けられた好意だったらしい。そして、自分に好きだと伝えたこの日を特別だとも言ってくれた。滲むようにじわじわと湧き上がるのは喜びの感情で、同時に愛しさも増していく。…いつか自分がいなくなってから、毎年この季節が訪れる度に今日過ごしたことを思い出してくれたなら、こんなに嬉しいことはない。光忠は優しいから、思い出す度に悲しんでしまうかもしれない。それでもそうなるよう縛ったのは自分で、それを今更撤回する気は毛頭無い。自分の為に流される涙なら、それすら愛おしいと感じてしまうのは、決して純粋で綺麗な愛では無いのだろう。内に秘められたほの暗い感情にそっと蓋をしつつ「そうだったのか、通りで二人分にしては量が多いと思った」と笑みを浮かべてごく普通の返答をする。それからタオルが巻かれた右手に視線をやっては「張り切るのはいいが、怪我はしないように気を付けろ。アンタは人間だ、少しの怪我で取り返しの付かないことになりかねない」と、少しだけ眉を潜めてそう告げる。考え事をして自らの指を切ってしまった手前あまり説得力は無いが、自分は幸い神の身なので幾らでも治せる。しかし光忠はそうもいかないので、充分注意をしてもらうための発言で)
(よく愛情が篭った料理は美味しいだなんて言うけれど、この夕餉で少しでも彼がそう感じてくれていたら良いなぁなんて思いながら、こう言った料理を作るのも相手が最初で最後になるのだろうと、今の時点でもハッキリと分かる。彼が死んだその時は自身も命を絶つと決めているのだから、それは今ここで前以て断言出来た。これが良い選択では無いことは分かってはいるものの、自分にとってはそれが最良の方法で、何度でも思うが相手が居ない世界で生きていたって意味など無い。死なないでなんてお願いをしたところで現実を変える事など出来ないのだから着実に近付く彼の死を受け入れるしか無く、しかしきっと心の奥では受け止めきれないから自身も後を追う予定だ。その時まで出来る限り沢山の思い出を作っておこうと思いつつ、伽羅ちゃんの笑みを見ては「量に関しては本当に張り切り過ぎちゃってね」と眉を下げて微笑み返す。その後に冷やしている右手を見られれば、この怪我は迂闊だったと感じながらも「…うん、ごめんね。肝に銘じておくよ。…でも君も神様とは言っても、怪我が痛い事には変わり無いんだから気を付けてね」と先程の包丁の件を思い出しつつ心配気に再び眉を下げていく。直ぐに治せるとは言え、やはりもう少しだけ体を労わって欲しいとの思いを密かに込めて上記を述べる。その後に、ややしんみりとしてしまった空気を変えるように持っていた箸を置けば「_さてと、ごちそうさま。待たせてしまってごめんね」と明るく言って、食器をお盆に戻していき)
(あの程度の痛みは何ともないというのが本音だが、わざわざ光忠を心配させるようなことを言うわけにはいかない。出来る限り努力しようと思い直し「…ああ、分かった」と返事をしては、食べ終わったらしい相手が食器をお盆に戻すのを見て、自分の分の食器が乗ったお盆と共にそれらを両手に持ち「光忠、持っていくぞ」と伝えてから再び調理場へと向かう。そうして調理場に着くなり、両手のお盆を一旦降ろしてからその上に乗った食器を全て洗面台へ移し、蛇口をひねって水を注ぎながら光忠へ視線だけを向け「俺がやるから、アンタはそこで待っていろ」と皿洗いは自分が引き受けることを告げては、視線を手元に戻して一個ずつ丁寧に洗っていく。どんな形であれ、水が自身の体に触れているのは心地良いものだ。唯一の例外は水中に独りで漂う例の夢だけだったが、それは光忠のおかげで解消されているので何の問題も無く、思わず上機嫌になりながら皿洗いを続けていき、最後の一枚を無事に洗い終えてから少しだけ名残惜し気に水を止める。濡れた両手を傍に置いてあるタオルで拭き取ってから光忠に向き直り「終わったぞ」と傍まで歩み寄りながら短く告げて)
(まだ右手に濡れタオルを巻いてるとあってか、自身の分のお盆まで持ってくれる彼に気を遣わせてしまって申し訳無いが、けれどそんな相手の優しさに表情を和らげては「分かった、ありがとね」と微笑み掛ける。それから居間を出て行く相手の後を追って立ち上がり、同じく廊下を通って調理場へと戻る。食器を片付けるまでが自分の仕事だと思い、右手の濡れタオルを取って洗面台に近付こうとしたが“待っていろ”と言われてしまえば「えっ、あ、うん」とこくりと頷き、机の前にある椅子へと座る。分担作業になっていてこれはこれで良い事なのかなと思いながら、つい手伝いたい気持ちを抑えていく。ふと自身の両親も母が料理を作っていて、父が最後に食器を片付けていたなぁと懐かしい事を思い出していれば、何だかこの状況がそれと重なってしまう。ただ自身と彼は夫婦では無いので、重ねるなんてのも烏滸がましい話だが。そうして洗い物の水音を聞きつつ待っていると、蛇口が止められそれが終わったと相手から聞けば椅子から立ち上がり「本当にありがとう、助かったよ」と感謝の気持ちを伝える。不意に今の時間を確認する為に調理場の壁掛け時計を見れば、結構夜になっていて「…あっ、もうこんな時間なんだね。明日は都に行くから、そろそろ寝た方が良いかも」と鶴さんは明日か明後日に宣教師の根城に突入すると言っていたので早い内に寝た方が良いと思ってはそう告げて「その前に、僕はお風呂に入って来るね。…それじゃあ」とさすがに彼が入らないのに幾ら離れ難いとは言えそこまで一緒にと言うのは子供過ぎるので、支度をしたら湯浴みをしようと思って小さく手をひらひらと振っては調理場から出て行こうとして)
(確かに光忠の言う通り、今日は早めに休んだ方が良いかもしれない。実際に明日に都へ行けるかどうかは貞次第なのだが、鳥の神たる貞の機動力は折り紙つきだ、明日にはここに辿り着く可能性が極めて高い。そう考えてから、風呂場へ向かおうとする光忠の背中に向けて「光忠、普段使っている部屋は何処だ?」と問いかける。神域内で形成されたこの屋敷は無駄に部屋数が多く、一応どの場所にどんな部屋があるのかは把握しているが、光忠が普段使っているかどうかまでは本人に聞かなければ分からない。その故の問いかけで。「今日は傍にいると決めた。アンタが眠る時まで近くにいたい」と続けて言葉を投げかける。今まで自分が眠ってしまった時、目覚めるといつも光忠がそこにいた。自分の意識が無い時でもずっと傍にいてくれたことが嬉しかった。そのお返し…というわけでは無いが、今日は日が昇るまで光忠の傍にいたい。どうせ普段は眠る必要の無い身だ、太陽が再び姿を見せるまでの長い夜の間、愛しい存在に想いを募らせながら過ごしてもいいだろう。『どうせならお風呂もご一緒すればいいじゃないですか!』と、周りをふわふわと飛びながらそんなことを言ってくる眷属に「(…風呂は苦手だと、お前も知ってるだろう)」と光忠に聞かれぬよう声なき声でそう告げる。水は好きだが、熱せられた水というのは本当に苦手なのだ。熱湯に浸かるという行為を考えるだけでも鳥肌が立ってしまいそうになる。…さすがに情けなさすぎて光忠には言えないのだが。「部屋で待ってる、光忠」と最後にそう伝えては、風呂場に向かうよう視線で促して)
(湯浴みをしようと進めていた足を止めると、一旦振り返り彼の質問にやや首を傾げる。普段使わせて貰っている部屋は固定しているが、何で部屋の場所を?と不思議そうに相手を見ていたものの、続けて言われた言葉を聞けば驚きで目を瞬かせる。そこまで側に居て来れる事に素直に嬉しいと言う気持ちも感じれば、つい表情を綻ばせて「えっと、部屋は右の一番奥にある場所を使っているよ」と言った後、一息置いては「僕も寝る時まで伽羅ちゃんと一緒に居たいと思っていたから嬉しいよ」と、幸福感で目を細めれば素直に言葉を伝えていく。相手が側に居てくれるのなら、もし悪夢を見てもきっと大丈夫だし心強いとあの彼岸の夢に現れてくれた龍の事を思い出しながら、密かに想っていく。それから部屋で待っていてくれるらしい彼を見ては「うん、なるべく早く部屋に戻るね」と、あまり待たせるのも忍びない上に少しでも長く相手の側に居たいので、そう告げると足早に調理場から出て行く。湯浴み場に着くと蛇口を捻って湯船に湯を張っていき、丁度良い高さになった所で止めれば、一旦脱衣所に戻って着物と黒手袋を脱いでタオルのみを持って行く。普段の時の様に身体や髪を丁寧に洗うと、一日の疲れを癒す様に静かに湯船へと浸かっていって身体を伸ばし、数分間だけ温まっていく。逆上せない内に湯船から出れば脱衣所に戻って身体を拭いて、和装の寝間着に着替え直すと、再び足早に夜の縁側を通って彼が待っているであろう自室に戻ろうとして行き)
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