風人 2016-04-04 04:41:02 |
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『書店ガール』みたいな大型店舗の本屋は少なくなってきてるでしょうか。
テレビなどでは拝見しますが。
キングコング西野さんの絵本のように無料公開して興味あって買われる方たちもまたいるでしょう。出版業界の形が変わっていってる。
電子書籍で試し読みしたりレビューから興味を持つひともいる。
小説『サイボーグ009 GOD’S WAR』の冒頭を読んだら漫画『仮面ライダー』同様にメタフィクションを用いてる。
生前の石ノ森章太郎さんの生い立ちが語られそこへ病に伏せた石ノ森さんの前に『009』のアイザック・ギルモア博士が現れ感謝の気持ちを示しながらギルモア博士の世界か未来世界かわからないがその世界で起きたことを端的に伝える。
また石ノ森氏は自らの作品全集を見せられる。
ギルモア博士が伝えたのは9人の若者が犠牲になった未来の出来事を話す。
だけど全集が完全でないことをなぜかほのめかされながら作品を書いてほしいと伝えながら消えてゆく。『009』完結編は先に小説として発表し後に漫画にしてゆくくだりがある。
これらがなにを意味するのか……。
石ノ森氏の作品は時にメタフィクションを用いる。
例としては漫画『仮面ライダー』のなかで仮面ごっこに興じる子どもがいるが同時に本郷猛たちも存在している。小説『仮面ライダーEve』でも後半10人ライダーが揃うなか滝二郎が『サイボーグ009』と兄弟みたいなものだからな、と示唆している。
小説『サイボーグ009』おもしろそうだ。
出版業界が不調とはいえ毎年、芥川賞直木賞は話題になるし村上春樹氏のノーベル文学賞関係も話題になる。
電子書籍やためし読みから相乗効果はあるんでしょうね。
けど一昨年と去年からいままで以上に本読んでる。
海堂尊作品が主だけど亡き石ノ森章太郎氏の『サイボーグ009』や『人造人間キカイダー』のノベライズは原作をアレンジしたものだけど原作を忠実に再現しながらも現代的な作風やオリジナリティが作家により魅力が輝く。
石ノ森章太郎氏のテーマは『サイボーグ009』では反戦、『キカイダー』では機械が人間の心を理解し持てるかというテーマなどが深い。
『サイボーグ009』の小説はややむかしの雰囲気を残しながら現代的になっている。石ノ森章太郎氏は亡くなる直前にいまの世界を危惧してたようなもあとがきにも書かれていた。
小説『相棒』season4(下)を少しずつ読んでる。
「アゲハ蝶」の回はマニアな心境をとらえていて実に怖い話。
「天才の系譜」は右京の姪の花さんを演じているのが原沙知絵さん。
ある種、変なところに食いつく花の人物像が右京と相乗効果を生んでいる。
だけどこの回は右京がいつもの覇気がないところは姪の花にいいところを取られたせいもあるでしょうか。
ラストに花が撮った写真をバカにした角田刑事と右京がやりあう描写は笑みする。
徐々にシリーズを読むと忘れている回が目立つ。たいして熱心に見てない反動と思う。ノベライズはいつでも読める利点はある。
『人造キカイダー THE Novel』にもメタフィクションが取られている。
かくまうミツコとマサルの前でジロー=キカイダーがなにか曲を弾いてほしいと言われた際に『サイボーグ009』(アニメ第一作)の主題歌を口ずさむ描写がある。
同じ世界に存在するかは別にしても小説『キカイダー』のなかではアニメ『サイボーグ009』は放送されてたのがわかる。
今年は本棚にあるむかしの本から読んでみてもいい。
何年かに一度は繰り返してはいるけど本棚の奥にある本はめったに触れない。たまに整理する時に出しては入れて場所を変えたまま放置してる時もある。
たまには出して読みたい時もあれ。
海堂尊の『玉村警部補の災難』の「青空迷宮」と『相棒』season4(下)の「七人の容疑者」。
どちらもテレビマンを舞台にしてるところは酷似しているけど話のつくりはけっこうちがう。
「青空迷宮」は容疑者が怨恨から殺人を犯すが、「七人の容疑者」はドラマやヒット番組をつくりたいが故に殺人を犯してしまう。
怨恨も番組もつくりたいというひとの感情から出るものではあるけど犯罪は主人公たちにより解明される。
「青空迷宮」では容疑者の根が素直な人物であったから加納警視正たちは多少の不正はしながらも捕まえることができ、「七人の容疑者」は容疑者が死体から時計を外したことからぼろが出てしまう。
ミステリーモノの容疑者や犯人は些細なことから犯罪を犯してしまうこともある。
杉下右京は犯罪については情は持たないクールさもある。
加納警視正も時に強引ではあるが。
碧野圭さんの『書店ガールズ』を読むとむかし懐かしいような光景を思い出す。
むかしは町の通りから外れたところにも本屋さんあったけどいまは本当少なくなった。
二十年前でも自転車で動ける範囲内でも五つ六つと町の本屋さんはあった。
大手の本屋が置いてないような本など置いてあることにも気づく。
たぶん固定客や常連がいたんでしょう。
ちいさな町の本屋さんなら聞いてみて注文してみたことが数えるくらいはあったかな。
まだネットがなかった時代ですから直接本屋の店主さんに聞いてみる必要があった。
問い合わせてもらって本がない時は残念だったけどたいていは注文聞いてくれたかな。
碧野圭さんの『書店ガール』は本屋の店員と女性の生き方の両方を書いてるところが切実。
いろいろと社内で誤解もあれば男女関係で齟齬も生じる。
人間関係は誰もが苦しみ悩むところ。
等身大の大人の女性を書いてるところは惹かれる。
碧野圭さんの『書店ガール』をだんだん読んだらドラマ『恋する書店ガール』を思い出した。
本社から建物の取り壊しが行われるからヒロインたちが勤めるペガサス書房の第一号店が潰されそうになる。実際に最後はなくなったと思うけど。
稲森いずみさん演じる女性店長になった理子がそれまでいがみあってた亜記と手を取り合う。
けどあらためて小説として読むと男性がイヤなキャラに書かれているのはちょっと胸がいたいものある。
ヒロインたちを主軸に置いた物語だし恋愛経験と本屋を同時に書いた物語でもある。
理子と亜記が互いにいがみあいながら店を守るために一時休戦というのはよい。これが後々、物語のラストにつながる。
『書店ガール』も第五刷くらいされてますね。
かなり売れたのも伝わるしドラマ化にいたったのもわかる。
女性の生き方と本屋の女性店員、女性店長、そして本屋としての生き残りを賭けた本店との戦いなどいろいろなテーマが綴られている。
本が売れない世の中に一石を投じた作品であるかもしれない。
実際、町の本屋さんは私の地元は軒並み消えましたからね。ただ町の中心はなくなったけどやや田舎にいけば頑張ってる本屋さんも少しはある。
『書店ガール』を読むと本屋さんの苦労や喜怒哀楽などがわかり面白い。
『お遍路ガールズ』もだったけど『書店ガール』もヒロイン同士の生々しい感情や気持ちのぶつかりあいがある。
どちらも女性むけの本ぽいので読むぶんには新鮮味がある。
『書店ガール』読み終えた。
いまの時代、大型書店は生き残るのは難しいでしょう。
物語では理子や亜紀たちがいた書店は結局なくなることになる。
理子は電子書籍部門に社長から誘われるが、“電子書籍はデータでしかない”という考え方が彼女にあり悩む。
最後はみなの門出を祝う場面で終わってましたね。
ドラマ『恋する書店ガール』では理子がちいさな本屋を持ち時おり亜紀が顔を出す場面で終わってたと思う。
まだこの当時は電子書籍が世間に慣れてない一面もあったのではないでしょうか。だからあえて著者は否定的に書いた一面があるかもしれない。
本屋や本の形態が変わってきてる時代。
出版社、本屋、読者それぞれがちがう。
“本”そのものを題材にした作品というのもひとつの傾向でしょう。
本が売れない世の中だからこそ本そのものもしくは本に関わる出版社や作家、本屋の店員、読者などに焦点があてられる。
『本をめぐる物語』は本との出会いや本の書き方などを短編で綴られている。『本をめぐる物語』には昨年ドラマ化された『校閲ガール』が収録されてた。あいにくドラマら見てなかったけど。
本が売れない世の中だからこそに本に焦点が置かれるというのもある。
『相棒』シリーズは小説を読めばそこそこ内容は思い出せる(苦笑)。
いつも見てたわけではないけど「桜田門内の変」の回でようやく亀山薫と美和子さんが結ばれたんだ。
だけど事件の顛末はひどい。
小倉久寛さん演じる刑事と田中美里さん演じる監察官の密やかな恋愛のせいで警視庁内に殺人事件が起きてしまうのは心情的には納得しない。
右京さんがめずらしくラストに怒りを露にしてることから如何に警察や刑事、すべての全警察官に多大な迷惑をかけた事態。
かろうじて亀山薫が小倉久寛さん演じた刑事に警察官としての心構えを諭すことで物語は終わる。
この回は亀山薫と美和子さん、そして小倉久寛さんと田中美里さんと異なる男女関係を書いた回とも言える。
『相棒』シリーズは事件が大袈裟になってる時ほど実はちいさく些細なことから起きてることも多々ある。
そこから人間関係などが見えてくるからまた複雑。
『相棒』シリーズのノベライズを読むと犯罪者のなかにわずかながらの良心と希望があるのが物語にとって救い。
いちがいに根っから悪い人物は書いてないというのも特徴。
ただ右京さんに小野田さんがその都度、クギを刺さないとならない。ある程度、コメディぽくぼかしているけどふたりの互いの信頼と対立がひそかにほのめかされる。
だけど右京さんができない人間味あることを亀山薫さんがしてることでそこにも良心がある。
『書店ガール』を読むと本屋がなくなっていく現状もみえる。
ふつうの本屋では本が売れにくい状況もある。
ここ数年、メディアが報じてる書店は書店の形態が変わりつついろいろなニーズに答えたり書店となにかをプラスアルファさせるという形になってるともある。
書店や出版社が努力してる形が『書店ガール』にみえる。
だけどむかしながらの町の本屋は少ない。
小説『相棒』season5の「スウィートホーム」は人間欲をかきすぎるとろくなことにならないというところでしょうか。
“天使”と称されたふたりの女の子は大人になればただの欲が深い女性。
コメディチックではあるけどモノや人の見方はさまざまとも言える。
「犯人はスズキ」は『世にも奇妙な物語』の印象を与える。
町の住人たちが存在しないスズキなる人物を口に出したことでさながらスズキが存在したかのように視聴者読者は錯覚させてしまうおもしろさ。
『世にも奇妙な物語』でも通じそうな物語にも思える。
海堂尊先生の『桜宮サーガ』は文庫になってるのは残り少ないからゆっくりでいい。
『相棒』シリーズは長いからまだまだ繰り返して読みたいからこちらもゆっくりでいい。
カバー買いした本は意外と少ない。
だいぶ前に佐倉真呼の『プールサイド』が初。つい去年に『本をめぐる物語 一冊の扉』あと『書店ガール』。
カバー買いしてるのはみな著者が女性というのが共通か。
著者が女性だと女性の視点や感情が見える。ナチュラルな女性の気持ちが書かれている雰囲気ある。
『書店ガール』は前半はヒロイン同士のややぎすぎすした感はあるけど互いにわかり合えないけど本や書店については感情やわだかまりを捨てられる女性の気持ちよさが伝わった。
『プールサイド』の印象はいかにも十代の女子高生らしさでしょうか。なにぶんむかしに読んだので内容は抜けてる。
『書店ガール』の舞台は吉祥寺にある大型の書店。私の地元には大型書店というほどの書店はむかしもいまもさほどないと思う。
だけど大型書店はいろいろな本を置いておける魅力もあるでしょう。
しかしいまの時代は本が売れにくい時代、電子書籍に押されるとこの当時の状況も記されている。
いまは電子書籍やためし読みなどで牽引や相乗効果はあると思う。
興味ある本などをググるとユーザーレビューやブログ、Twitterなどで伝えてる人もいるから。
本は紙の本がいいというのは共感する。
中学時代から図書室に入り浸った時期あるしあの頃くらいから『刑事コロンボ』にハマったのがひとつのきっかけ。
あれがなかったら読書する傾向は芽生えなかったと思う。
ラノベを読みながら『竜馬がゆく』なども時おり読んでた。『竜馬がゆく』これ七巻だけ未読だったと思うからあらためて読んでみたい気持ちもある。
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