風人 2016-04-04 04:41:02 |
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小説『おジャ魔女どれみ』は過去の小学校時代からの友人と現在進行形の高校になってからの新たな友人たちとの交流が書かれているのも特徴。
過去を踏まえながらいまを通している。
当然、どれみちゃんたちは高校生なので別の高校に通っていたりクラスがちがう人物もいるので交流が少なくなった友人たちもいる。
小説による新規の登場人物たちも何かしら悩みを抱えていたり人に言えないあるいは言いたくないことを抱えいる。
だけどそれをどれみちゃんたちはかつてのテレビシリーズ同様に解決していこうと前向き。ところどころにギャグを挟み(笑)。
どれみちゃんたちの高校生になってからの担任八巻六郎先生、はじめはイメージ悪かったけどだんだんちがう一面を見せる。
ギャグは言う、実はもと暴走族のリーダーだったり関先生と同じ同級生がお嫁さんまた関先生とはバイクの走り屋仲間。
ちなみにあだ名はカメレオンに似てるから“レオン”。映画の『レオン』ではないというオチ。
けど進路のことまた小竹くんのためにサッカー部のマネージャーになろうとするどれみちゃんを先生として支えている。
どれみちゃんたちみたいに小学校からの幼い付き合いが長く続くとどうかつての友人たちに付き合っていいか悩むんでしょう。現実に幼馴染みからの付き合いもないわけではない。
小説『おジャ魔女どれみ』はひとつひとつの場面は短いながら丁寧かつ繊細。
小説のあとがきはおもしろいもの。
作品内でわからないことが記されてあったり裏話があったりおもしろい。
『桜宮サーガ』シリーズはけっこう医療関係を通して海堂尊先生を通じて同じような医療関係者や政治家だったりあるいは海堂尊先生に取材を受けた人たちだったり。
小説『おジャ魔女どれみ』二巻では藤原はづき役の秋谷智子さんが取材インタビューに答えてましたが、身長が当時は169あるなんて驚き。
アニメだから声優という演者は直接は見えないからあたりまえだけど。
女性で169というのアフレコスタジオのなかだと目立つ感じしそう。あとがきには学生時代にバレーをしてたよう。
お嬢様でおとなしいキャラのイメージとはややちがう。
本を読むとあとがきにもまた物語のカケラがある。
小説『おジャ魔女どれみ』のおんぷちゃんのポジションは他のキャラより少し大人という雰囲気はテレビそのまま。
彼女はテレビシリーズ登場当初は自分のために魔法を使うしかしなかったいまでいうツンデレポジション。
だけど第1シリーズのラストで永遠の眠りについてしまう危険を犯しながら最後は女王さまに救われながらどれみちゃんたちの仲間に心が溶けてゆく。
その後のシリーズにおいてもメンバーのなかで唯一、芸能界に身を置くチャイルドタレントの立場で大人びながらも子どもらしい一面を見せながら成長してゆく。
小説においてもポジションは変わらないながらも大人になりながらマスコミに追いかけられたりミュージカルや海外で活躍したり多忙なのは変わらず。それでもMAHO堂に顔を出してはふつうの女の子の一面をみせてゆく。
芸能界関係の取材やインタビュー、あるいはドラマや映画出演の場面などは丁寧に著者の栗山緑さんが描写してる。
どれみちゃんやハナちゃんの突拍子ない行動も変わらない(笑)。
小説『おジャ魔女どれみ』一巻の巻末を見たら私が手に入れたのは8刷目の刊行。
初版が2011年、私が持ってるのが2013年。わずか2年の間に8回も重版されてる。
たぶん学校の図書関係の先生や生徒などが購入して図書室などに置かれているんじゃないでしょうか。
図書室のライトノベルの棚に並んでるんじゃないかな。
たぶん『どれみ』を見て育った中学生や高校生などが図書委員になって学校に置いてもらっているかもしれない。
相棒シーズン7(上)を購入。シーズン4(下)が抜けているけど。
だけど亀山薫が右京に理解を示し親しくなってゆくのは各シーズンごとでちがってる。
右京が変な上司なことに戸惑いと理解を抱きながらある一定の信頼は置かれ警官や刑事としての在り方を右京は諭す。
薫は時に反発しながらも諭されたことに悩みや葛藤しながら成長する。
距離を置いてる伊丹刑事たちトリオも疎ましく思いながらも捜査しながら内心は認めている節もある。
ある意味、右京亀山時代は刑事モノの基本的なことを書いている雰囲気が伝わる。このベースがあるから後のシーズンなどにも続いてるんでしょうか。
『本をめぐる物語 一冊の扉』という本を購入。
「メアリー・スーを殺して」などの短編集ではあるけど何かに久しぶりに惹かれた一冊。
いくつかちらっと読んだけど“運命の本に出会えたかどうか”などタイトル通りに本をめぐる物語が記されている。
「校閲ガール」というタイトルが最後に入ってるけどどうやら現在放送中のドラマのもとになった物語みたい。まだそこまで読めてないけど。
『本をめぐる物語 一冊の扉』をざっと読んだけど創作する人は“メアリー・スー”は出てくると思うし悩むと思う。
運命の本はたぶん私は数冊くらいでしょうか。
今回購入した『本をめぐる物語』や以前の『お遍路ガールズ』『ゲゲゲの女房』『ブレイズメス1990』くらいでしょうか。
『本をめぐる物語 一冊の扉』これもまたおすすめの本。本好きな人は読んだ方がいいかもしれません。
『ALWAYS 三丁目の夕陽』と『続三丁目の夕陽』は映画とほぼ同じだけど映画と違い六さんは六郎さんと本来の男設定ですね。
あと茶川さんも映画では語られなかった設定や人物像が浮き彫りにされている。SF小説を書きながらエロ小説も書いて駄菓子屋をやり生計を立てている。
他の人物たちも視点を持ちながら短編の物語が日々や人間関係を綴っている。
映画だと堤真一さんたちの鈴木オートと茶川さんたちがほぼ等感覚で演出されてたけど小説だと漫画に近い雰囲気。だけど映画を彷彿させる一面もある。
小説『ALWAYS 三丁目の夕日』はちょっとだけ人々がぜいたくできるのを日々の喜びや感激にしてた時代が伝わる。
いまの世の中が贅沢しすぎモノや欲に溢れてるのがよけいにあるのを実感する。
鈴木オートの六郎くんが社長から見合い話をすすめられるけど結局は見合い相手のお嬢さんが駆け落ちしていなくなってしまうなんてのもあり得たかもしれない。
あと銭湯や食堂で顔見知りのひとたちと言葉を交わしながらちょっと考えたり悩んだりの描写もささやか。
『ALWAYS 三丁目の夕日』と『続三丁目の夕日』は古きよき日本の時代。
ちょっとしたしあわせやささやかなしあわせが感じられた時代なの伝わる。
当時はお見合いによる結婚なのも伝わる。なかなか恋愛結婚や駆け落ちというのはめずらしかったんでしょう。
デパートでお買い物したりレストランで奮発してちょっとぜいたくなものを食べることで家族サービスや子どもにおもちゃを買ってあげる。
小説は映画では語られなかった人物がけっこう出てくる。
売れない俳優が悩んてかつてヒーローを演じたラーメン屋の親父さんから何かを得たり運送会社で働かせてもらったり母子家庭の子どもに母の弟と名乗る謎の叔父さんが現れるけど実は……だったという感動的な物語だったり。
鈴木オートの一家や茶川さんたちも毎日一生懸命働いたり小説を書きながら日々を生きている。
戦後のごたごたが終わりほんの少し人々が豊かになりささやかなぜいたくを味あうことができたこの時代が日本人にとって前を向けてた時代なんでしょう。
『ALWAYS 続三丁目の夕日』もまたいろいろな人間模様が書かれている。
売れない俳優の物語はちいさいけど大きな感動を誘う。
時代劇では斬られ役、現代劇では死体役。故郷の母には心配させながらも役者として芽が出ないことに悩む。
かつての恋人にはあらためてフラれながらふらりと酔っラーメン屋台の親父さんもかつて役者だったことを知り彼が人生を踏み外し一度刑務所に入りながら出所した後に現在のラーメン屋台にいたり彼から励まされる。
主人公はいくら飲んだくれても体力や身体づくりはこと欠かさないというところひたむき。
ある日、時代劇の斬られ役の撮影はNGはなくそのままOK。それがきっかけかどうかはわからないけどとある映画監督に抜擢される。
それは『大怪獣ギドラ』という怪獣映画のスーツアクターに抜擢。顔は映らないけど一念発起して出てみようと思い前向きに描かれるなか彼の物語は幕を閉じる。
『大怪獣ギドラ』はたぶん『ゴジラ』や『ガメラ』のパロディ。
おそらくこの物語の主人公のもとは『ゴジラシリーズ』でゴジラを長年演じた中島春雄さんではないでしょうか。
そんな印象を受けた物語。
『ALWAYS 三丁目の夕日』『ALWAYA 続三丁目の夕日』の小説は六郎くんが本来の男性設定になってるのもだけどいくつか物語の顛末は映画と異なるようになっている。
茶川さんと淳之介の関係は変わらないけど芥山賞(芥川賞でしょうね)への顛末なども異なる。
だけど映画で語られなかったもうひとつの物語や側面みたいで古きよき日本の面影が随所にある。
町医者の宅間先生のお話しも男の独り身の寂しさあるいは子どもたちのうわさで怖がられたりしながらもとある犬の世話をみることになってささやかなしあわせを手にする。
いまの日本にどの程度『三丁目の夕日』みたいな物語があるのかとふと思った。
そういう意味ではいまの日本がなにか大切なことを忘れたように思える。
小説『ふたりはプリキュア』を購入したけど扱いは講談社キャラクター文庫で平成ライダーやスーパー戦隊小説とおなじなんだ。
てっきり小説『おジャ魔女どれみ』の講談社ラノベ文庫とおなじかと思いちがいしてた。
『どれみ』と『プリキュア』では年齢層のちがいがあるのか講談社側であえて扱いを変えた可能性がありますね。
『ふたりはプリキュア』もだいぶ前の作品だけどなぎさ役の本名陽子さん、ほのか役のゆかなさんの声が文章なのに脳内再生できるふしぎさがある(笑)。
小説『ふたりはプリキュア』の著者は小説『仮面ライダーディケイド 門矢士の世界〜レンズの中の箱庭〜』も書かれてましたね。
『ディケイド』は小説ならではでややハードなの展開になってたけど『ふたりはプリキュア』はちょっとだけ読んだけどテレビシリーズのまんまな雰囲気。
最後まで読まないとわからないけど。
小説『ふたりはプリキュア』はなぎさとほのかがはじめて出会った頃を回想として書かれふたりが少しずつ関係を築いていくことやプリキュアとして慣れない戦いをすることで互いを理解していくという初期の頃が書かれている。
この辺は『おジャ魔女どれみ』と似てる。どれみは高校生になったけどかつて魔女見習いとしてみんなと活躍したことを胸に秘めながら高校生している。
『プリキュア』の方はどうやらテレビシリーズで書かれてない物語を書いているみたいですね。
ジャアクキングやキリヤくんなどテレビシリーズのキャラが敵味方それぞれが変わらない姿で出てくる。
とはいえ書き手が小説『ディケイド』のひとですからどうなるやら。
本の位置を変えたり整理したらスゴい本の数。
若い頃に読み始めた頃は数冊だったのにいまは文庫の山みたいな数、ちょっと大げさか。
大半がアニメやドラマの原作小説やノベライズだけど。
その都度、中古書店で絶版になってた文庫もあって手に入れてたからでしょう。
コバルト文庫の『ルパン三世 カリオストロの城』『銀河鉄道999』『六神合体ゴッドマーズ』などはいまのラノベの雰囲気が異なる。
絶版になってる本は2000年代くらいから手に入りにくいのはリアルに感じた。ネットでググってあったりありそうならまだいいけど直に探してると見つけるのはたいへん(;^_^A。
いま文庫小説など何冊あるんだろう?
ちなみに私はカバー本は置場所に困るのでほとんど読みません。
カバー本は又吉直樹さんの『火花』くらい。
小説『ALWAYS 三丁目の夕日』を読むと当時の子どもたちは宇宙人侵略や円盤を見たとか本当かどうかは別にして想像力がたくましかったんだなと思う。
私が子どもの頃にもノストラダムスの予言やUFO特番などがあったことからこういう雰囲気はいつの時代も変わらないのでしょう。
いまの時代はややネットに流される風潮はあると思うけど。
『三丁目の夕日』を読むと子どもから大人がほんと明るく元気な時代だったんでしょう。
仕事を頑張ってちょっとのぜいたくを味わう。また故郷から出てきてる若者は故郷の両親を思いながら一人立ちしてゆく。子どもたちはやんちゃしながら駄菓子屋に通ったり空想と現実を使ってうまく遊んだりして素朴で少しぜいたくをのぞんで生きていられた時代。
個人的に好きなのは駄菓子屋を営みながら小説家を夢見る茶川龍之介さんと女将そして淳之介くん。
ちなみにこの小説では茶川さんは児童向けのSFを書き駄菓子屋を営みながらも大人のえっちな小説もひそかに書いているということになっている(苦笑)。
小説『ALWAYS 三丁目の夕日』の熊さんと文子さんの話は感動する。
だるま食堂で出会うふたりは徐々に親密になるのだけど、熊さんはなぜ文子さんが自分に親切にするのか。はじめは騙されたり詐欺に遭うのではと疑う。
熊さんは彼女に告白する。「自分は崖から落ちる前の記憶がない」と言う。
それ以前の記憶がないためもしかしたら自分は悪人ではないかと思うこともあるという。
だけど文子さんは言う「熊さんはいい人だ」と。
しかしその話をした直後に彼女は体調をこわし倒れてしまう。
着替えなどが必要なため彼女の部屋に上がり熊さんは彼女が以前の自分が写った写真や記事などを目にする。
「これは記憶を失う前の自分」と確信してゆく。
かつての熊はとある大学の助教授だったらしいが試験問題の漏洩を犯した疑いをかけられるが失踪。実際に試験問題の漏洩をしたのが別人とわかるが、その頃には本来は助教授であった熊さんの行方は知れなかった。
熊さんが記憶を失ったのは酒に酔い潰れて崖から落ちたという。
文子さんはもと旦那さんを探すためにひとり奔走してたという。公には漏洩問題があった直後にふたりは彼女の親の意向で別れさせられていたが、文子さんは信じていた。
そして旦那さんらしいひとが熊さんというのがわかりながらなぜか素性を告げないままそばにいたという。
最後は自らの素性を知った熊さんは彼女を大事にすると誓いながら病院に戻るところで物語は終わる。
小説『ALWAYS 三丁目の夕日』のラストは時代が豊かになった頃からそれまでの物語を一部振り返るような形式になっている。
孫と祖父がとあることからあるイラスト作家の個展にいくことになるが、祖父と作家は実は学生時代にほんの短い間同居していたがささいなことから仲たがいしてそれきりになったという。
だけど孫に連れられていくとかつての町並みは変わってはいたが鈴木オートは現在は中小企業になりながらもかつての古いちいさな修理場などはそのままにまた向かいにはかつての茶川さんの駄菓子屋はなくなったが大人になった淳之介くんが一戸建ての家をかまえている。
そして祖父と作家は個展で再会する。
作家は実は思い焦がれていたラーメン屋さんの彼女と実は一緒になっていたことを知り誤解だったことが明かされる。
彼の奥さんが作ったラーメンの味はあの頃とかわりないという。
孫と祖父はラーメンの味をおぼえながらおとこ同士肩をならべて帰っていくところで物語は終える。
小説『ALWAYS 三丁目の夕日』の作品中に登場する「銀河戦艦ムサシ」は「宇宙戦艦ヤマト」がモチーフでしょうね。
淳之介くんのアイデアをもとに物語内で茶川さんが書き上げる。
その後、物語の十数年後に大人になった淳之介くんがアニメ映画として作りブレイクするという顛末。
茶川さんと女将の間に恋愛感情で揺れ動くのも淡い恋愛ものみたいで読んでてなぜ茶川さんが好きという告白をしないのかもどかしい。
小説では「続三丁目の夕日」では賞を取ることはないけどとある小説家さんが小説を書くきっかけの人物として書かれている。
また淳之介くんの実の父親も若い頃に小説家を目指しながらも起業家の道を選んだことに後悔はないものの小説家への憧れと妬みがあったことを明かして淳之介くんを茶川さんに託す。
ラストは映画と同じように完成した東京タワーから鈴木オートの家族とともに東京や夕日町を見て終わるという未来への兆しを感じさせる。
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