風人 2016-04-04 04:41:02 |
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小説『六神合体ゴッドマーズ』マルメロ星編。
ギシン星編、地球編にくらべたら物語にハデさは少ない。
だけど超能力者同士の差別を書いてるところは劇的。超能力のプラスとマイナスの区別はいささか曖昧だけど。
マルメロ星編はガッシュのキャラクターがアニメファンに受け入れがよくなかったのはガッシュが『ゴッドマーズ』という作風に合わなかったとも考えられる。
だけど藤川圭介先生がこだわった。
しかしアニメファンとスタッフの意向によりガッシュを物語から退場せざるを得なかった。
いまの時代なら歳の高いおじさんキャラはそこそこ受けますけど八十年代はロボットアニメからキャラクターアニメへと変わっていく時代。
『ゴッドマーズ』自体はロボットアニメではあるけど人間ドラマに比重を置いた作品といえば皮肉なもの。
ガッシュが藤川圭介先生が思い入れあってもアニメファンが受け入れなかったのはファンとの認識のちがいでしょう。
作り手とファンの間の認識はいつの時代も変わらないかもしれない。
『六神合体ゴッドマーズ』は仮にリメイクされてもさほど変わらない感じ。
『宇宙戦艦ヤマト2199』ぽいかな思う。
原作の『マーズ』をもとにした『マーズ』は九十年代に未完オリジナルビデオアニメ製作、ノベライズで完結。その後は『神世紀伝マーズ』で再度リメイクアニメ。
『六神合体ゴッドマーズ』としてはなかなか無理かなと思う。
スポンサーであるバンダイがオリジナル作品のように人間ドラマに比重を置くかまったく違う形でロボットアニメとしてイメージを変えるか様々でしょう。
美形キャラアニメとしていまの時代に受けるとは思うけど小説『六神合体ゴッドマーズ』を再読するとある程度完成された作品。
だけど人類愛など壮大なテーマはいまの時代にそぐわない。
九十年代ならまだリメイクの余地はあったかな。
小説『こちら葛飾区亀有公園前派出所』。
漫画の昭和エピソードから抜粋されて現実とリンクさせてるところは『三丁目の夕日』と同じ。
浅草でむかしビートたけしさんたちが修行してたことに触れられている。
小説『パトレイバー THE next generation』を読んで驚くのは時代の流れ。
バビロンプロジェクトが終わり日本の不景気によりレイバーの産業や需要が見事に崩壊した時代。
レイバーイコールロボットがあること自体がめずらしいといわれる始末。
ふと思ったけど手塚治虫先生の『火の鳥 未来編』でも未来時代のはずなのになぜか懐古なレトロファッションが流行し時代が先ではなく過去にノスタルジィを感じる奇妙さ。
『TNG』においてもそれは似る。
時代が有人機から無人機へと飛躍的に進歩するとは思わない時代の早さもある。
無人機においてはロボットアニメやSF小説などでは書かれているが実用化については各作品内で問われていく。
『ガンダムW』ではあくまで人間同士が戦い命の在り方を見せることでモビルドールは所詮人形であり人間ほどに万能ではないという示しを持つ。『ガンダムW』のビットモビルスーツもそれに等しい。
だけど『TNG』の世界では有人レイバーはごくわずかにしか見られなくなる現実。無人偵察機やドローンなどが存在する時代に必要か否か。
しかし『TNG』の塩原や明は自分たちを通しながら問いていく……。
小説『こち亀』、書いたのはむかしのアニメ『ドラゴンボール』の脚本家の小山高生先生。
それぞれのエピソードごとに実在の事柄が記されてある。
浅草のビートたけしさん、野球では野村克也さん、勝鬨橋のエピソードでは『ゴジラ』第一作について触れられてる。
つい最近『ゴジラ』第一作を見れたから実際にゴジラが勝鬨橋を破壊している。
『ドラゴンボール』とは全然印象がちがう書き方をしてる。
『こち亀』では昭和の情緒ある物語を時にコメディに硬派にぽろりとひと涙をさせるつくりに書いてる。
もとの秋本治先生の描いてることをより文章で明確に表現してる。
小説『こち亀』の「勝鬨橋を開け!」のエピソード。
ゲストの白鳥純少年、名前つながりでよもや『科学忍者隊ガッチャマン』まで出てるとは思わなかった(笑)。
なにげに中川圭一も『ガッチャマン』を見てたという。いくつなんだ?
「勝鬨橋を開け!」のエピソードは感涙もの。
純くんのためだけに勝鬨橋が開くの見せるために無茶をする。
ノベライズの挿し絵代わりに一部は原作漫画の画をそのままに使ってるからそこは漫画そのまんま。勝鬨橋が開く時にオート三輪が描かれてるのは秋本治先生の芸コマな演出。
小説『こち亀』感涙の一冊。
小説『六神合体ゴッドマーズ』地球編のロゼの身体を借りたバラの騎士。
考えられる範囲としてバラの騎士のマスクや鎧などはマーグの父親かもしくはギシン星編でのマーグが密かに作り本来は自分が使用するためだったかもしれないけどマーグは惜しくも絶命。
波長(?)が合うであろうロゼがバラの騎士に選ばれたと考えるのが筋。
だけどバラの騎士の設定自体は後付け。
『ゴッドマーズ』という作品が延長された故の措置。
『ヤマト』もだけど『ゴッドマーズ』も藤川圭介節が目立つ。作品が悪いわけではないけど宇宙愛や人類愛というのがリアルにいまの時代に合わない。
『ヤマト』や『ゴッドマーズ』は主人公が絶対正義や正しいという風潮がある。
九十年代になると『セーラームーン』のように月野うさぎ自体が自分がいるから悪が狙ってくるのでは?という流れもある。
平成ウルトラマンみたいに正義や悪の視点を意図的に不明にさせ視聴者に考えさせるくらいがいまの時代は無難な感じする。
怪獣がいるから被害や災害が起きてそれに対してコンタクトをしやむをえず戦わなくていけない姿勢くらいがなんとなく無難。
『踊る大捜査線』にしても犯罪を未然に防ぐことはできるかもしれないけど基本は警察の仕事は手遅れに近い。現実的な対応しかできないのが現実。
小説『宇宙戦艦ヤマト』『六神合体ゴッドマーズ』みたいに主人公たちだけが正しい、正義みたいな世界観や作品はむずかしいでしょう。
主人公がいるから狙われるみたいなパターンはあるかもしれないけど。
ただ宇宙愛や絶対正義みたいな価値観は現実にほぼ通じない。
七十年代の感動路線、『ゴッドマーズ』は八十年代だけど藤川圭介先生が『ヤマト』とほぼ同じテーマをぶつけてる。
敵が宇宙人あるいは未知なる存在だから作品内では筋は通ってる。
だけど『ガンダム』以降リアルに人間対人間の戦争になってる。そこに宇宙愛や絶対正義の価値観はない。
『ヤマト』や『ゴッドマーズ』の小説を読むと主人公たちも敵も意固地までに戦う。一応対話は試みるが失敗に終わる。
『さらば』のデスラーについては悪役やライバルとして面目は保ってる。そこは充分に魅力的。
だけど現代はこういう作品が通じない世の中というのも痛感。
講談社キャラクター文庫の平成仮面ライダー小説。
オリジナルに沿った作品、アレンジが加えられた作品、作品世界を一見すると変えた作品などバリエーションは豊富。
しかし基本は人間を守るために仮面ライダーが戦うという姿勢はどの作品も変わらない。
『ブレイド』にしてもオリジナルからすると一見かけ離れた世界観ではあるが根底にあるのはオリジナルキャラクターたちの生き方や人生を紡ぐ。
小説は映像ではできない表現で勝負してる感はある。
地球人類が絶対正義とは言うのはないと思う。
もちろん地球に生ある魂が住まうという意味では大切。
だけど地球が中心ではない。
小説『宇宙戦艦ヤマト』『六神合体ゴッドマーズ』を読むと地球を中心にした宇宙愛となんとも天動説みたいな物語。宇宙戦士という表現に第二次大戦のむかしの日本の姿をなんとなく見る思い。
富野由悠季さんの小説『機動戦士ガンダム』はアムロがなぜガンダムを操縦できるのか?ニュータイプなのか?短い巻数で戦いながらレビル将軍やセイラ、カイたち仲間に問われながら極端に進化した人類はミュータントでしかないという蔑視。
これは小説では直接的に繋がらない『Ζ』でも再びカミーユは自らに問い時代に試されている。
ただ興味深いのは姉妹編『ΖΖ』は富野氏が書いてないという点。
遠藤明範氏に明るくまっすぐにひたむき悩みながらも少年らしさをジュドーたちが内に持ち大人たちが作った社会を前向きに批判する。
だけどジュドーは妹を仲間たちに預けて自らは地球圏を出て木星圏に向かうラスト。
ジュドー自身は羽ばたいたかもしれないが内に地球圏の人間に絶望したかもしれないダブルエンディングとも取れる。
小説『ガンダムUC』でフル・フロンタルの内にシャアの意識が存在し宇宙の深淵を垣間見えたとしたら……アムロ・レイはどうだったんだろう?
公式的にはアムロとシャアは行方不明の扱いと思いますから去就はただしくは不明。
フル・フロンタルの身体を借りて(憑依?)シャアが語らせたとの仮説もできるが個人的には彼はシャアではない。
シャアに似せて作られた象徴や模造の強化人間という器でしかないと思いたい。
アムロが宇宙の深淵を仮に見たとして絶望するだろうか。
地球圏外の宇宙がはたして闇だけと受け取るだろうか……。
人類が未来を進んで見ればニュータイプの覚醒や地球の自然回復もできるとアムロは信じていた。
人間ですから宇宙の深淵を垣間見たことで程度はあるかもしれないが絶望の闇に取り込まれることは少なさそう(と思う)。
アムロは大人になりきれてない点はある。
だけど連邦という組織に属し軍人として関わりながらも“ふつうの人”としての感性もまた持ってる。ふつうであるということの大切さ。
仮に彼がラプラスの箱を手にしても連邦政府を恫喝や脅しに使うとは考えにくい。
とりあえずブライトやカイと相談し箱を開放し世の中が変わらないならしかたないかと肩を落とす程度にも思える。
アムロ・レイはふつうの人や大人でありある意味等身大の人物。
財務次官、セクハラ問題。
まるで海堂尊先生の『ナニワ・モンスター』の一端みたい。
マスコミにスキャンダルを誘導することで他のスキャンダルか目眩ましをしたり密かに法案を通したりする隠れ簑?
何年かに一度はこんなスキャンダルが起きる。
『ナニワ・モンスター』そのものに見えてしょうがない。
小説『さらば宇宙戦艦ヤマト』。
司令部が地球の平和しか考えずに堕落する姿勢は『ガンダム』の連邦政府官僚に通じる点はある。
また司令部により統率された地球の未来がもしかしたら敵で白色彗星帝国かもしれないととあるブログ記事があったのは興味深い。
いわば腐敗した政権は自己中心的な考え方にしかならない。
『ヤマト』の世界では地球ありきの正義や愛で語られるのもどうかと思い読むたびに考えさせられるけど(苦笑)。
司令部や中枢を担う人物たちに日本人しかいない『ヤマト』の世界。ふつうに外国の人たちから見たら違和感あると思う。
テレサが反宇宙の存在で触れあえない存在なのに地球に危機を伝える、まさに宇宙愛。
だけど現実に反宇宙のひとがこちらの宇宙に危機を伝えるかはちょっと疑問に思う。SFにあれこれつっこんだらいけないけど『ヤマト』は違和感が読むたびに悩み考えさせられる。
小説『さらば宇宙戦艦ヤマト』、新鋭艦アンドロメダの活躍はがっかりなところはあるけど明らかに軍司令部の責任。
ヤマト乗組員を蔑ろにしヤマトを記念艦として廃艦保存。
だけど疑問に思うのは古代進たちは地球に残るであろう後輩たちに何も言わず。
深読みしすぎたら彼らに慕われてなかったと邪推もできるが仮にも地球を救った英雄だからたぶんにそれはない。
『ヤマト』の世界はむかしアニメを見た印象もあるけど司令部が異常なほどに権力を持ってる印象。先のヤマト廃艦も。
ふつうに考えたらアンドロメダに乗る後輩たちにそれなりに戦術は教えてたと思うんだけど司令部があまりに怠惰だったために生かせなかったと考えた方が筋がいく。
『さらばヤマト』に一部似てるのが小説『マクロス||』。
この作品にも地球統合軍司令部は笑えないくらいだらしない。
ミンメイアタック、歌が通じないマルドゥーク軍に最後まで負けないと盲信するほどに信じてる。
例外は主人公格に近く書かれてるエグゼグラン司令くらい。
若干コメディぼく書かれてるが作品内ではまともな司令。
マクロス世界はやや誇張はあるけどヤマトにくらべたらある程度リアルな軍隊像。
だけど『マクロス||』の軍上層部がひどいことにかわりない。
小説『機動戦士ガンダムUC』一巻。
ユニコーンがラプラスの箱を探すというのはサイアムとカーディアスとの会話で示唆はある。
だけど劇中の人物たちはふたりの会話を知る由はないのでまさに手探り。
だけど一方ではメラニー会長が抜けたアナハイムエレクトロニクスが力がないとも話す。
部分的ながら『ガンダムUC』の後々の展開は伏線が張られている。注意深く読まないと気づくか気づかないかのほんの微妙な表現。
福井晴敏先生がファン心理に溺れない程度に書いてること伝わる。
小説『機動戦士ガンダムUC』描写が細かい。
『∀ガンダム』も描写がこと細かいけどちゃんとその作品に現実に応じたことが書かれてる。
『キャプテンハーロック』は悪くはないけど逆に短すぎかつ言い足りない印象。
『ガンダムUC』は宇宙、地球での生活を歴史を踏まえひとつひとつ噛みしめる表現。
バナージが大人になるために敵味方の人物たちは容赦なく酸いも甘いも教えていく。
それでいてちゃんと歴代ガンダムを踏襲していくかのような日常と戦闘描写、悩みや葛藤の繰り返し。
福井晴敏先生の書き方が丁寧。場面によっては言い足りない印象は少しあるがまあ気にならない程度。
小説『機動戦士ガンダムUC』のミコットが見せる反応や感情。
オードリー(ミネバ)とは違う形でのお嬢さん。
オードリーがネェルアーガマにいることを艦内に知らせるなど初期の行動は『SEED』のフレイに似るが物語が展開するに従い普通の女の子の姿を垣間見せる。
ミコットの反応や感情もまた普通の女の子のあらわれ。
『SEED』のフレイほどに感情は激しくないと思う。
普通の女の子が戦闘に巻き込まれたら自暴自棄はある。
だけど軍艦に保護され戦いを見ていくうち失われるものがあるという現実。
小説『Orange』、映画ノベライズだけど少しSF要素が入ってるのは少女小説らしくない雰囲気。
だけどちゃんと過去現在未来に整合性を持たせてるのは筒井康隆先生の『時をかける少女』と似た雰囲気。
取り返しのつかない過去やボーイフレンドのために過去の自分に手紙を書き伝える。
だけど現在を変えていくと少しずつ未来の出来事や事象が未来からの自分の出来事とずれが生まれる。
これはある地点からBやC、もしくは他の分岐点や道ができたことを示唆している。タイムパラドックスなどの問題はあるがそこはある程度スルーされる(苦笑い)。
過去を変える物語はいくらかあるが現在という時が大事という普遍的テーマ。
小説『仮面ライダー電王 東京ワールドタワーの魔犬』ちゃんとミステリーになってる筋書き。
ひとつふたつの物事が解決しても新たな謎が浮き上がる。
良太郎にイマジンたちが各々の役割を果たし謎を解いていく。
だけど謎と謎解きを積み重ねていくことを白倉伸一郎氏が書けるのは驚嘆。
敵の狙いが何なのか?というところがこの作品の魅力。
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