風人 2016-04-04 04:41:02 |
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小説『インデペンデンス・デイ リサージェンス』ではかつて戦ったエイリアンとは別勢力の球体型エイリアンが出現する。
だけど当初は同一のエイリアンと見なされ地球から攻撃を受ける。
しかし地球人からは宇宙的視点がないために攻撃をしてしまうのもやむ無しという感じだけど球体型エイリアンから彼らなりに地球人にコンタクトをしようとしてたのも事実。
この辺は宇宙人とのコンタクトがいかにむずかしいかという描写でしょう。
小説『インデペンデス・デイ リサージェンス』、かつてのホイットモア元大統領も前作の酒飲みラッセルのように異星人に特攻し命を散らす。
異星人に精神感応した者の宿命のように思われまた前作のオマージュもある。
しかし人類にとってのニ十年は異星人(友好的球体形宇宙人を含め)彼らには一瞬の時の流れでしかないという。
ラストは次は異星人を迎え撃つのではなく「星間戦争」とまるで見知らぬ宇宙に向けてこちらから攻めるみたいな示唆がされてるよう。
『インデペンデス・デイ』シリーズが今後続くかどうかわからないけどもしも本当に現実に宇宙人や異星人とコンタクトしたらどうなるか。
久しぶりに小説『ウルトラマン ゴールドラッシュ作戦』を読む。
よくも悪くも高度経済成長期の日本に『ウルトラQ』から少し時代が進んだ円谷SFワールドの確立。
冒頭はホロスコープにハマるイデ隊員。海外出張から戻るムラマツキャップ、フジ隊員。
リニアトレイン開発のなか地底を進む新たな怪獣、ほぼ同時期にも海から現れるニ体目の怪獣。
活躍するペルシダーや海底潜行挺S16、ビートルやウルトラバイク、武器ニードルやマルス133。
当時の特撮技術では不可能だったためにニ体怪獣の合体演出はムリだったためにノートに書いていたという生前の実相寺監督。
文章表現は一部はト書きのように書かれて特撮絵コンテのようで臨場感あるのが特徴的。
物語内の随所に『ウルトラマン』物語中に登場した怪獣の名前がちらほら出てくることから『ウルトラマン』全39話のいずれかの間々の内の物語と思われるが判然としない。時代的に考えたらわざと設定や時系列は考えてないと思われる。
しかも『ウルトラマン』本編同様にホスト役たるウルトラマンが現れるのは最終章に登場。
ニ体怪獣に苦戦しながらもタイトルにあるゴールドラッシュを放つウルトラマン!
科特隊員以外にも週刊誌で取材する記者たちがゲストとして登場し物語に適度に華を添え笑いを誘う(笑)。
いかに実相寺監督たちが生き生きと『ウルトラマン』をつくっていたか伝わる一冊。
小説『ミラーマン 鏡の黙示録』も再読。
ミラーマン・鏡京太郎とヒロイン御手洗朝子、このふたりの関係は『ウルトラセブン』のモロボシ・ダンとアンヌに重なりますね。
小説『ミラーマン』はテレビシリーズ後の物語。
現代社会を密かに憎んでしまった若者がインベーダー・レギオンに共感や憑依をされたことから始まる悲しい物語。
ただしインベーダー・レギオンの力は若者にとって“破壊”にしか働かずけっして“創造”や“再生”などの力には働かないことにクライマックスにインベーダーに憑依された若者は悔恨する。
また鏡京太郎ことミラーマンもミラーマンであることを実は受け入れてないことをインベーダー・レギオンに見抜かれ悲痛な戦いを強いられる。
ただレギオンに関していえばインベーダーたちは戦いしか知らないまま生まれ育った悲劇がある。
現実に置き換えたらテロリストや反政府組織に生まれ育ったら他の人生の道が考えられなかった者たちと同じ。
後半レギオンとの邂逅を京太郎はして彼が三次元地球に向かったことを知り決意する。
だがインベーダー・レギオンに憑依された若者を救えなかった悲劇に見舞われる。
いかにも七十年代ヒーローモノの様相を残しながらも九十年代に発売された本書はヒロイン朝子の義妹であるひかりが未来を目指す人物として書かれ好感。
小説『インデペンデンス・デイ リサージェンス』を再読。
ディヴィットをはじめとして各々の人物たちが前作の出来事や今作にいたるまでの経過を振り返りながらエイリアンについて調査をしていき謎を解こうとする。
はじめは人物各々の等身大の視点ではあるが再びエイリアンの出現や侵略によりマクロな物語となる。
球体型エイリアンをはじめから味方と認識しない誤解もあるからなおさら物語に混乱をもたらす。
しかしエイリアンにとっては人間の二十年の年月は彼らにはほんの一瞬の時の流れでしかないのは残酷。
人間が地球時間で認識してるのとエイリアンの宇宙時間(?)のちがいでしょう。
冒頭に各々の人物たちの過去の邂逅が宇宙から見たらほんの一瞬の出来事でさえないのかもしれない。
又吉直樹さんの『火花』ついに映画化。
テレビドラマ版も芸人の輝く瞬間悩む時など等身大の人物像がある作品と感じる。
原作を当初読んだ時の先輩芸人神谷の印象は明石家さんまさん、何度か読むといまは芸能界から身を引いた島田紳助さん。関西系の芸人の印象が強いかな。
主人公徳永についてはたぶん若き日のピース又吉さん自身と綾部さんを合わしたようでもありまたちがう雰囲気。
物語が進むにつれ神谷を尊敬し彼からも愛されながら芸人として成長し挫折もある。
最後は芸能界を引退しながらも社長から愛されていたという場面はひとつの感涙。
有川浩先生の『こちら県庁おもてなし課』『阪急電車』はリアリティある描写。
『おもてなし課』は高知県を隅から隅まで描写し長所も欠点も書かれなおかつ前向き。
『阪急電車』もまた電車に乗り行き交う人たちの会話や触れ合い、いかにもありそうな人物たちの半生。『阪急電車』は映画がおもしろかったのもありますが。
だんだん読む本のジャンルが変わってきてる。
小説『三丁目の夕日』シリーズはよかったですね。
映画版ではなく漫画版のオムニバスであり短編かつ一部実在の出来事や力道山などを登場させ古きよき日本が元気な時代。
あいにく『‘64』も小説になってるみたいだけど未入手。
『三丁目の夕日』など戦後から高度成長期は日本にとっては輝ける時代かつドラマにもなりやすい。
映画では堀北真希さん演じた六ちゃんは女性だけど漫画や小説では妹さんがいる田舎から出てきて鈴木オートで働くマジメな若者。
映画では六ちゃんはヒロインのひとりであり若者視聴者の代行者でもある役割。
須賀健太くん演じる少年もまた男の子側の代行者。
富野由悠季さんの著書『だから僕は……』を読むとアニメを作ることのむずかしさ。
虫プロに入り生前の手塚治虫先生と出会う。
絵コンテを切る、物語を作る。
『ガンダム』の原点は手塚治虫作品『来るべき作品』ともある。
半生を著書にしたものだから書き手の原点や半生が見える一冊。
だけどすでに『鉄腕アトム』からアニメ業界はスケジュールがきつかったorz。そして現在も変わらない……。
作家さんがテレビに出るのは本の宣伝もあるけど自分の意思やメッセージを伝える方法。
『switchインタビュー』の相手との会話対話のなかで半生や経験を語りながら表現方法を伝えていく。
なかにし礼さんの回、いとうせいこうさんの回それぞれちがう。
『ラヴクラフト全集』
H.P.ラヴクラフト
クトゥルフ神話が好きで、クトゥルフ神話trpgのルルブを買って、紹介されていて読みたいと思ったから。
小説『インデペンデンス・デイ』のニムジキ長官はほんと嫌な人物。
物語の中盤でアメリカノーラッド基地が異星人に同胞がやられたなかでも自らの政治に利用とする狡猾さ。
ディヴィッドの父親レヴィンソンがエリア51の話題に出した時はホイットモア大統領は一笑に付したがニムジキは「(エリア51の話は)あながち嘘ではない」と事実を告白する。
『インデペンデンス・デイ』はフィクションだからこのような人物がいても構わないけど現実に事実を知りながら秘密裏に動いてる人物がいたら実にこわいこと。
ニムジキは作品中でも異星人に核攻撃をアメリカ全土で敢行しようとホイットモア大統領にさせようとする暴挙。結果は失敗に終わりますけど。
味方側の数少ない悪役ではあるが反面ニムジキみたいな人物がいないと作品が成り立たない。
古くから侵略宇宙人が地球を侵略するSFは多くある。
『宇宙戦争』が代表的、コメディだと『マーズ・アタック』。シリアスでは『インデペンデス・デイ』。
小説『インデペンデス・デイ』のあとがきに『降伏の儀式』なるSF作品が出てくるがこれもまたひとつの原典なんでしょう。
この手のSFはあわや人類が滅亡寸前な危機的状況のなかからひょんなことから危機的状況を脱する手段や方法を主人公たちが思い付く。
『インデペンデス・デイ』はウィルスを主人公ディヴィットが父親との会話からひらめくのがポイント。
小説『仮面ライダーZO(ゼットオー)闇の少年』。
冒頭は劇場映画に近いが物語が進むとやや異なる展開。
宏少年の学校を舞台にしクモ女が彼を襲い現れる仮面ライダーZO。
しかしクモ女の正体宏少年の担任の女教師とZOの麻生勝は知り一瞬の戦いのなか苦悩し葛藤する。
クモ女の内に生きる女教師中西先生はライダーに“目を探して!”と必死に伝え麻生はクモ女の本当の目を見つけクモ女を撃破する。
クモ女が思いもよらなかった行動に出たことに憤るドラスだが間一髪ライダーに倒される寸前に望月博士の生存をライダー麻生に伝え姿を消す。
ライダーにとって最初で最後の勝利、と。
物語冒頭部分だけ抜粋しましたが『仮面ライダー』の改造人間の悲哀をライダーやクモ女にされた女教師中西先生が担う。
中西先生は最後に“宏くんたちを守って……”と麻生に伝え散っていく。
久しぶりに読むと必ずしも勝利が喜びを得るものではない『仮面ライダー』の哀しさが伝わる。
小説『仮面ライダーZO 闇の少年』はセンチメンタルな物語。
映画ではほとんど語られてないドラスの幼い心と家族が欲しい切ない思い。
ドラスが“最強生命体”になりたいのは戦闘形態の願望であって少年態の時はあくまで純粋に“家族”が欲しかったと思われる。
望月博士というひとりの科学者の身勝手から生み出されたネオ生命体の悲劇。
ドラス側に立って読むとあまりにも哀しい物語。
本当にドラスが生命体の頂点に立ちたかったは謎……と思いたい。
小説『仮面ライダーJ』は基本的な骨子は映画版と同じ。
だけどヒロイン加那と敵フォッグ・マザー両者を掘り下げ当時のオリジナルビデオシリーズ『ウルトラマンG(グレート)』同様に環境破壊をテーマにしている。
また仮面ライダーJのパワーの源Jパワーの由来についても物語内で記されている。大地の精霊ユピテル、Jupiterとスペルあるが読みはユピテル。
ヒロイン加那は実は古代に栄えたカナン王国の姫。また地空人のブレン大神官とアンもまたカナン王国の人物。
Jこと瀬川耕司ことをサポートするベリーがなぜ飛蝗の姿なのか丁寧に書かれている。
だけど敵フォッグ・マザーの正体。
マザーもまたかつて異星で平和に暮らしていた蜜蜂だったがその星の人間たちの争いに巻き込まれては生き残りを繰り返し機械獣母艦フォッグ・マザーとなってしまった悲劇。本来あり得ない進化を繰り返した結果で身体が綺麗な酸素を受け付けなくなってしまった。
そういう意味ではマザーもまた(人間や戦争の)犠牲者といえる。
マザーが最期に蜜蜂としての姿をかろうじて残しながら飛翔し亡くなる場面は涙を誘う。
小説『君の名は。』
なぜタイトルが『君の名は。』か疑問だったけどちゃんと物語に筋道ありましたね。
はじめは瀧くんと三葉ちゃんは互いを知り余計なお世話をしながら近づいていくけど互いに名前を忘れてしまう。
だけど瀧くんは三葉のことを知ろうと懸命になりまた三葉ちゃんも三年前に瀧くんに実は会いにいっていた。
この辺のすれ違いは微妙。互いに同じ時間を過ごしてるはずなのに三年という刻にズレがあることにより微妙に切ない距離感。
一度は互いの入れ替わりができなくなったが後半再びできるようになり隕石落下から町を救うことで奮闘する。
小説『君の名は。』でヒロイン三葉が巫女の血を引いてるのは一見古風だけど中盤から後半にかけてキャラを深く掘り下げる魅力。
しっかり祖母や父が瀧くんが入れ替わった三葉に気づくのもひとつのミソ。
ちゃんと物語の段階を踏みながら時が過ぎていく。
細田守の『サマーウォーズ』『おおかみこどものあめとゆき』『バケモノの子』、新海誠の『君の名は。』。
『バケモノの子』はややちがうけど他三作品は日本の田舎を舞台にしている。描写や演出、小説の見せ方もまたちがうけどある種の共通点がある感じ。
スタジオジブリ的な田舎ともまたちがう。似てる点はあると思うけど。
『サマーウォーズ』『おおかみこどものあめとゆき』『君の名は。』がなぜ田舎を舞台にしてるかという問いかけのようにも読むことができる。
ただ『君の名は。』のうまいところは瀧くんと三葉ちゃんの三年という時間のズレ、記憶できない入れ替わり、起きてしまった現実を変えるひたむきさ。適度に十代らしい純粋さとちょっとえっちであり互いを意識する関係。これは新海誠さんの人物に対する優しさ、そしてかんたんにふたりを最後まで結ばせないというラストまでのもどかしさ(意地悪?)でしょうか。
こういうところは細田守作品の『サマーウォーズ』にもあるお祖母ちゃんが亡くなりそこを縁や所縁もない主人公がヒロインの家族一族を励まし再度奮闘する。
小説を読むと素人考えの展開を著者や作家さんはしていない。
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