風人 2016-04-04 04:41:02 |
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小説『天空の城ラピュタ』丁寧に読むとまた内容がよくわかる。
要塞に捕らえられたシータの心情、おばあさまから教えられた魔法の言葉(呪文)で動き出すロボット、ドーラと共に救出に向かうパズー。
要塞から救出しようと手を伸ばすパズー、気を失うドーラおばさん。だけど気を失っても操縦レバーを離さないところにドーラおばさんの空賊の強い意思が垣間見える。
その後はロボットはゴリアテからの砲撃で倒されるもシータを無事救出。
ドーラたちの移動アジトであるタイガーモス号を見てパズーは実は少しがっかりしてるとも小説にある。
ゴリアテをシータ救出の最中に見てたであろうことを考えたら納得もいくけど(苦笑)。
ただタイガーモス号は劇中ではゴリアテにできない航行をしてるしラピュタを守る巨大な雲のなかでも場面が少ないなか飛行機らしい動きもまた見せている。見せ場がないわけではない。
小説『天空の城ラピュタ』、ラピュタを守る“竜の巣”に遭遇するところはひとつのクライマックスな場面。
この場面の前にシータが「ラピュタが見つからなければいい」といままで隠してた本心をパズーに告白する。
だけど「飛行技術が進歩してるからいつかはラピュタが見つかってしまう」と言うパズー。
すでにゴリアテの存在がそれをあらわしてるから皮肉なもの。仮にゴリアテや将軍、ムスカたちを退いてもまた次の誰かが出てくることを示唆する。
“竜の巣”を前にしてるパズーはドーラ一家の力を借りてるのはやむをえないけどそれでも少しずつ少年から男になろうとしている成長の兆しや片鱗。
だけどこの成長の兆しや片鱗は現実はむずかしい。
殻を破るのはたいへんな世の中。
小説『天空の城ラピュタ』、たしかにラピュタ自体は宝の城ではなかったかもしれない天空から地上をラピュタ人が支配してた歴史もあったかもしれない。
もととなった『ガリバー旅行記』ではスフィフトが当時の世相ををもとにラピュタが科学文明の象徴であると同時にいきすぎた科学文明に警鐘を鳴らしていた。
だけど『ラピュタ』においてはムスカは得体のしれない疫病が流行りラピュタ人は地上に住む場所を求めた。いかなる疫病だったはわからない。
たぶんに自然発生的に生み出された疫病であり自然からの警告だったかもしれない。深読みですが。
ラピュタ人とて人間、その中に邪な考えを持つ者がいたとしてもふしぎではない。ムスカはシータ同様にラピュタ人から枝分かれした一族のひとつとされてる。
作品中にはシータとムスカのふたりしかラピュタ人の生き残りは出てきてないけどおそらく他に細々と生きてる人物もいる可能性はある。
小説『アベンジャーズ』を購入。
比較的映画版が面白かったですからね。『アイアンマン』が先行した形になりそれに連なる形の映画や小説化。
異なるヒーローたちが悪に立ち向かう構図は平成ライダー小説だと『ディケイド』や『鎧武』が近い感じかな。
『アベンジャーズ』ではアイアンマンがオッサンヒーローで渋いところがいい。
小説『アベンジャーズ』、キャプテンアメリカをはじめとするそれぞれの主人公の物語を語りながらアベンジャーズが集結していく形。
キャプテンアメリカのスティーブは戦争中とはいえ悲劇の顛末、ハルクの誕生は凄まじいもの、そしてアイアンマンのトニー・スターク。
トニーもまた戦争の負の部分を自覚しアイアンマンを開発し正義に目覚めていく。
ソーは異世界の住人ということで背景が皆と違う。これもまた人類側とわかり合えない悲劇といえる。
アメリカンヒーローもまた日本のヒーロー同様に悲劇を背負いながら戦いにのぞんでいく。
小説『アベンジャーズ』キャプテンアメリカのスティーブとアイアンマンのトニー・スタークは互いに相反しながら認めあってる(?)。互いに浅からぬ関係。
トニーの先祖がスティーブと過去に関係があり、トニーにとってもキャプテンアメリカは心のヒーローでもある。
ただ性格がかたやキャプテンアメリカのスティーブは堅物、アイアンマンのトニーは現代的に砕けてるタイプ。
ソーは異世界の人物ゆえに他の皆といきさつが異なりひとり正義に燃える。後に理解は示す。
フューリーやコールソンはヒーローではなく政府所属の人物だがヒーローたちをまとめる立場にいて支える。
キャプテンアメリカのスティーブはアメリカの歴史を背負ってる雰囲気ある。アメリカ人らしからぬ堅物でもある(苦笑)。
トニーの方が現代的すぎる。ただアイアンマン誕生の背景にも戦争があるというのはキャプテンアメリカと同様。
戦争の影が現代にちらつく。ちゃんと現実につながることを意識させる作品。
小説『仮面ライダークウガ』新たなグロンギの活動とかつての邂逅。
あらためて読むと一条と刑事になった実加がかつての一条と五代雄介を彷彿させもする。
過去と重なるように荒川先生は物語をつくっている。
一方で『クウガ』が警察の物語である。刑事や警官が“ひとりの人間”であることを書いている。
同時に人間を取り戻しているであろうクウガ・五代への思い。
人間を捨てたはずのグロンギが逆に人間社会に溶け込むことで彼らの恐怖が読者の精神に冷たいものを感じさせる。
『クウガ』の小説で書かれているのは“人間”かもしれないですね。
小説『仮面ライダークウガ』で恐ろしいのはアイドルや政治家としてグロンギが違和感なく人間社会に溶け込む点。
またこの点は二人目のクウガとしてアークルのベルトを手にした夏目実加にもいえる。
刑事や相棒として一条刑事に接し事件に関わり一警察官やひとりの人間として葛藤し悩みながらもネットで報じられた“未確認生命体2号”を一条刑事に伝えることで自らが暗に二人目のクウガとして伝えてる(らしい)が一条刑事が不器用や堅物なために終盤まで伝わらない。
実加に人間性を失わせたいためというのも本作のテーマ。
小説『仮面ライダークウガ』の最後の章で書かれてるのは“笑顔”。
実はグロンギだった政治家郷原、生きていたバラのタトゥの女。
人間社会に溶け込む恐ろしさ。
ぎりぎりまで五代に頼らないとする一条刑事の思い、白から赤にならないことに悩む実加。
事の真相が本作品はぎりぎりまで明らかにならないというのは二時間サスペンスにも通じる。
実加の発言の節々や行動の妙さは暗に自分が二人目のクウガと一条刑事に伝えてるはずが伝わらないむずかしさ。
小説『仮面ライダークウガ』五代雄介はラストぎりぎりまで現れないところがテレビ版を彷彿させる。
特撮ドラマなのに『クウガ』は当時としては斬新かつリアルな演出を求めた作品。
小説版は見事にそれを継承している。一条刑事たちは二時間サスペンスのように真犯人を追い詰めながらも爪の甘さや後手にまわることか遅れがある。
郷原ことグロンギのライオが実加が変身したクウガに言う。後の震災や原発事故などを彼女の父親はダグバに殺されたことで悲劇を見なくてすんだと。ある意味しあわせだと。
結果的に実加クウガが暴走しかかったところへ颯爽と五代クウガが現れ救出する。
直接一条刑事や読者の我々は五代雄介が実加を説得するのはあくまで書き手の荒川先生からの言葉でもある。言葉にならない(聞こえない)説得の場面。
グロンギを倒すために人間性を失うことの愚かさ、正義のための暴力とはいえそれもまた暴力というヒーローモノのある種の矛盾。
一条刑事は五代雄介との再会に喜びあるものの彼を再び戦いの場に戻したことへの悔やみ。
五代雄介はそういういろいろな意味では意味と矛盾を背負った存在。
しかしライオの行動は許すわけにはいかない。仮面の下にたぶん涙を流しながら戦う五代クウガ。
ライオのゲゲルによって瞬間的であるにせよ多くの人たちが亡くなる様子は残酷。
“笑顔”になりたい人たちを弱くなったと称するライオ郷原、五代の“笑顔”を取り戻したい一条。同じ笑顔でもまったく受け取り方がちがうというのもひとつのこわさ。
小説『クウガ』は多くのテーマが盛り込まれている。
講談社キャラクター文庫『仮面ライダーW 〜Zを受け継ぐ者〜』、『仮面ライダーフォーゼ 〜天・高卒・業〜』を購入。
『W』以降のライダーは架空の都市を舞台に活躍してるからそのぶんコンパクトといえる。
以前に『オーズ』『鎧武』の小説は読んだけど雰囲気は平成二期は似ている感じ。
『W』はハーフボイルドな探偵、なかなかハードボイルドではない(笑)。
小説『W』はフィリップが風邪を引いた翔太郎に代わり彼が翔太郎を名乗って依頼主と会ってましたね。
冒頭のサイクロンジョーカーの次にファングジョーカーが活躍してる。
小説『仮面ライダーW 〜Zを受け継ぐ者〜』。
著者の三条陸先生の個性、『W』の作風がよく出てる。
あえて翔太郎を風邪でダウンさせフィリップくんが翔太郎として“探偵”として活躍させる。
探偵ものや二時間サスペンスもののお約束を踏まえながら『仮面ライダーW』というヒーローを書く。
『クウガ』の荒川先生とはアプローチや小説としての描写がちがう。
『W』以降のライダーは一般人やガイアメモリなどに関わった人たちがあたりまえに怪人になり愚行を犯すのは恐ろしいこと。昭和ライダーでいうショッカーの側か孤独に正義の側に立ち世を正すか。
『W』はそれを探偵ものとして物語を構築し警察の照井竜(アクセル)らが法の秩序として風都という都市を平和に導く役割をしている。
小説『クウガ』とはちがう感じで二時間サスペンスものという雰囲気で面白かった。
小説『仮面ライダーW』はいかにも二時間サスペンス探偵モノという雰囲気だけど『仮面ライダーフォーゼ』は学園が舞台だけあって青春モノ。
それも卒業までのわずか三日間の物語、ちらっと『ウィザード』が冒頭絡んできたところはニヤリなところ。
平成二期が一応地続きなのは小説『鎧武』でもディケイドを通し平成一期二期ライダーが断片的に語られてた。
『響鬼』のみエピローグが仮面ライダー1号とショッカーにつながり昭和時代に繋がる形でした。
何らかの形で繋がりがあるニュアンスは小説でも残している。
“仮面ライダー”という“ヒーロー”の在り方。
平成二期は個々の世界観は決して大きくはない。都市や学園などに限られた舞台に限定することで等身大の人物たちを描き演出。
似たようなのは円谷プロ『ウルトラマンギンガ』などにもある。
ヒーローを身近にしながら憧憬とする演出や物語。
小説『仮面ライダーフォーゼ 〜天・高・卒・業〜』。
如月弦太郎が卒業までに自分の進路を決める物語であり仮面ライダー部の仲間たちそして夢を問いかける物語でもある。
『フォーゼ』らしく学園モノらしくまとまってるのは好感。
『フォーゼ』であるのを除けば破天荒な学園物語。
物語内で重要な役割を果たすのは園田沙理奈、かつての敵であり教師という役割だからこそ生徒である弦太郎に影響を与えていたという。
教師の存在は大小関わらず生徒たちに影響をもたらす。
第三のライダーイカロスに操られた生徒たちが現在『キュウレンジャー』でりゅうこつ座にあたるホウオウソルジャー・鳳が眠っていたアルゴ船にあたる星座のゾディアーツになるというのも興味深い。
三つでひとつはまんまギガントホウオウと重なる。
それは置いといて、物語自体は未来に希望を持つ前向きに生きようとする弦太郎の心や言葉、たしかにややうざいところはあると思う。
だけど弦太郎・フォーゼは絶望している生徒たちに宇宙を見せたいという気持ち。
学園モノゆえにいろいろな対比やどんな先生や生徒にもいろいろ複雑な気持ちあるが、『フォーゼ』においては弦太郎が馬鹿なくらいまっしぐらに進む。
どこでパワーダイザーが出るかと思ったら後半イイところで出てきた。
如月弦太郎がやや時代錯誤なところはあるけどそこはある種マンガ的といえる(笑)。
小説『アベンジャーズ』を再読したらあちらこちらにスターク社の名称が出てくる。
キャプテン・アメリカ誕生にはハワード・スタークが登場しハルク誕生の際にはスタークインダストリーの名前が出てくることから『アベンジャーズ』世界にはスターク社が過去から現在にいたるまで個人や企業として関わりものと思われる。
だけどアイアンマン誕生の背景には戦争の影があることからも軍需産業という闇もある。
小説『アベンジャーズ』でソーたちがいる世界は小説『サイボーグ009 完結編』に似てる。
異世界の者たちを神や悪魔と思う我々こちらの世界の人間たち。
「木曜日」をThursday=雷神ソーの日というネーミングセンスはいかにもアメリカ的(笑)。
ヒーローたちにもいろいろな背景がある。
キャプテン・アメリカが現代によみがえるのは孤独。
ハルクもまた何処かへさ迷い自らの在り方を問う。
アイアンマン、トニー・スタークは一見傲慢わがまま自分勝手とヒーローらしくない。だけど彼なりに自分の正義感や哲学、過去の過ちの悔いもある。
小説『アベンジャーズ』の雷神ソーもまた気の毒な人物ですね。
自分のいた世界から追放され地球にやってくるわけだから。
だけど『アベンジャーズ』では彼の弟ロキが反乱を企てるから異世界の出来事が地球に混乱をもたらしソーにも責任の一旦は担わされる。
海外のヒーローもまた日本のヒーロー同様に苦労がうかがえる。
小説『アベンジャーズ』を再読すると主人公みな不遇や不幸な運命を背負っている。
キャプテン・アメリカにはかつていた過去のじだから現代という70年眠らされていた。
ハルクは自らの力を押さえコントロールすることに悩み葛藤し放浪。
アイアンマンのトニー・スタークにしても心臓に金属片が来ないように命の危険に脅かされながらもアイアンマンとして一方で活躍。
雷神ソーにしても地球に追放され弟ロキの暴君ぶりを許すわけにはいかない。
なにかしらの影を背負い悩み葛藤し戦いにおもむく。
小説『アベンジャーズ』後半になりとりあえずソーとキャプテン・アメリカらが和解。
ここはソーが異世界の人物なのが際立つ。
しかし四次元キューブを巡って各々が考えそれなりに敬意を持つが互いにチームワークができてるとはこの時点のアベンジャーズに出来てるとは言いにくい。
なんだかんだでアイアンマンのトニー・スタークは二枚目半?わかりにくいSF的なところのレクチャー役ぽい。
キャプテン・アメリカやナターシャは冷静なぶん他の人物の抑えにまわる。
ナターシャさんはちょっと見は怪しくトニー・スタークもいっぱいくわされた(笑)。
ハルクはトニー・スタークが敬意を持ってることから凄い人物。
だけどロキは囚われての身でも野望は止まらない。
『インデペンデンス・デイ リサージェンス』の小説を手に入れた。
実写『トランスフォーマー』シリーズのノベライズを手にしてからは海外SF映画のノベライズは比較的読むやすくなった雰囲気。
『インデペンデンス リサージェンス』の冒頭はかつて第一作のことを振り返りながら再びエイリアンが侵攻していくみたいですね。
通常はテレビでの放送を見てから後々小説版を手にするけど『インデペンデンス・デイ リサージェンス』は小説が先行した。
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