風人 2016-04-04 04:41:02 |
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小説『踊る大捜査線』『相棒』『SPEC』『パトレイバー TNG』などを比べて読むとおもしろいかも。
それぞれ警察モノだけど描き方やテーマは異なる。
『踊る』のサラリーマン警察という描写、キャリアとノンキャリアの対立と融和、『SPEC』シリーズのはみ出しモノ感じこれも『パトレイバー』に通ずるところ。
『相棒』は杉下右京によるところは大きいけど相棒となるキャラや米沢守、捜査一課トリオ、ゲストキャラが華を添える魅力ある。
警察モノは過去の事件や事柄が人物に影響を与えるところもある。未解決の人物やあるいは上司の謎めいたところ。これは『踊る』なら和久さんが警察官殺しの事件を解決できずに悔やみながら青島らと解決していったり『相棒』でも特命係という謎。初期は右京と小野田の謎ある関係。
『パトレイバー』シリーズだと富士見ファンタジア文庫版で「ブラックジャック」というサブタイで野明と遊馬が当初は好奇心から後藤隊長の過去を調べるが意外な展開になっていく。
こういうのは警察モノのひとつの醍醐味。上司やそれに連なる事件で警察組織を人物たちが見つめ直すきっかけにもなる。
そしてそれはひとつの成長をうながす。
小説『パトレイバー TNG』で三代目隊員の明は九州かと思えば埼玉という。
初代の野明が北海道苫小牧に比べたらやや平凡感は否めない。
塩原にしても父はふつうのサラリーマンであり初代の遊馬が篠原重工の次男に比べたらこちらも平凡は否めない。
だけどなぜこういう違いを人物に作ったかという押井守氏の意図。
アニメや漫画の頃の『パトレイバー』はレイバー犯罪在りし日の全盛期、かたや小説および実写映画の『TNG』は世界からはおろか日本からもレイバー産業がほぼ撤退したなかに数少ないというか唯一特車二課があるというレイバーが衰退したなかでのパトレイバーがある存在。
レイバーそのものがほぼ日本でさえも活躍してないのにパトレイバーが時代から取り残されたように埋め立て地にある。
高度経済期やバブル期の頃さえの夢や希望さえないという。
とりあえず読んでわかるのは現代の若者同様に塩原や明たちは夢やその他のモノが喪失してるなかで何かを得ようと埋め立て地特車二課で等身大で悩み葛藤しつまらない言い合いや喧嘩しバカ騒ぎを繰り返しながら得ようとすること。
押井守氏が『うる星やつら』やかつての『パトレイバー』と同じことを描きながら夢や青春などを取り戻そうとしてるのではないだろうか、と思う。
積んでる本をあせって読む必要はないけど目を通すくらいはしときたい。
夏になると学生の頃を思い出すようになったら歳だなと思う(苦笑)。
学生当時の流行りのベストセラーや有名な本はなんだったんでしょう?
もっぱら私は私の道しかいかないから(>_<)。
暑さに負けていたけど少しは本を余裕持って読めるようになったかな。
学生時代にもう少しいまの何分の一でも興味の幅を広げておけばよかったかなと思う。
『モルフェウスの領域』や『アクアマリンの神殿』みたいな作品を当時目にしていたらまたちがったかな。
『時をかける少女』『時空の旅人』『仁-Jin-』ノベライズとタイムトラベル、歴史改変モノの小説もなぜか手にする。
『時をかける少女』はまだ積んでる本だけど。
歴史改変というのも興味深い。
『仁-Jin-』ではやはり龍馬暗殺が避けられなかったのはショックだけど南方仁がいずれは未来へ還るには龍馬の存在が必要というのもロマンある。
龍馬も未来(現代)を見た者のひとりである。
歴史改変はSFのテーマでありロマンある。
小説『時空の旅人』の教授が過去の人物であるにも関わらず現代の人物たちや未来人を受け入れている。
『仁-Jin-』における勝海舟の役割を果たしていると言えるかな。
タイムトラベルや歴史改変モノはこういうものわかりのいい人物を配するのは利点。
同時にこんな人物がいないと主人公たちが過去の歴史に放り込まれた中で何をしていいか見失うおそれもある。
歴史改変モノはタイムパラドックスとの戦いでもある。フィクションとして許される範囲内の歴史改変、一方では現実として歴史を変えてはいけないぎりぎりの制限。
あらためて考えるとむずかしいジャンルと言える。
小説『時空の旅人』。
むかし劇場アニメ映画では見たけど時間の流れについては多重平行世界として解釈されてるみたい。
同じ時間管理局という組織があってもそれぞれ別々の時間の流れから彼らが来て歴史を守っているらしい。
歴史の流れを史実通りに一定に守るためと思われる。
だけど人物の主人公たちは戦国時代の中で考え決断しなくてはならない。
この辺は『仁-Jin-』などと同じ。
もし歴史が変わっても本当に未来のためによくなるという保証はないと思うのもひとつの感想。
もし信長が本能寺で暗殺されなかったら、もし龍馬が殺されなかったらなどは考えても空想という名のフィクションに過ぎないかもしれない。
小説『時空の旅人』では分岐により無数に歴史の流れがあり我々が知る歴史と知らない歴史が存在しまた時や時代ごとに同一人物でさえも分岐してしまうかあるいは別人がなり代わってしまうかとにかくいくつも無数に歴史や人物が存在してしまうことになる。
この辺は著者の眉村卓氏がわざと複雑にし読者に想像や思考の余地を与えているかもしれない。
だけど主人公たちは自分たちが流れてきた時間の流れで考えながら時間管理局員の言葉から判断していくしかない。
『時空の旅人』はちょっと複雑だけど『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に近い点はある。
作家さんは卒業文集でいい文を残してるとさまぁ〜ずの「神ギ問」でやってましたね。
羽田圭介さんは相変わらずあざとい感じですが見方を変えればそれだけ幼い頃から頭を使えて文章や表現力の吸収と使い方ができたんでしょう。
ネットのおかげで偶然から知らない小説や書籍を知ること出来る。
学生時代や若い頃は本屋や中古書店をあちこち走りまわりながら探したもの。これはこれで直にたしかめられたり新しい発見もあった。
だけどネットにくらべたら情報不足は否めない。だけど若い頃はネットはなかったから。
機会を見つけて手に入れましょう。
講談社キャラクター文庫の『仮面ライダー響鬼』は朝日ソノラマ文庫の再録かなと思ったら全然ちがいましたね。
ちらっと目を通したら戦国時代を舞台にし『変身忍者嵐』と共演してかのよう、なおかつエピローグで1971年の『仮面ライダー』につながるようになってるよう。
朝日ソノラマ文庫版はテレビシリーズの冒頭を物語にしてヒビキと明日夢の出会いを書いてましたが、講談社キャラクター文庫版まったく別物ですね。
手にしないとわからないですね。
小説『仮面ライダー響鬼』、小説ならではの物語。
江戸時代で天下泰平となった時代を背景にし武士と朝廷の対立、家康と初代服部半蔵、鬼となった響鬼の生き方、嵐ことハヤテの出会いそしてヒビキとハヤテの過去。
非仮面ライダーである『変身忍者嵐』の共演というのは大きい。もともと『響鬼』が“仮面ライダー”を為さない企画だったことからの起因でしょうね。
三代目服部半蔵の野望は赦しがたい。ラストに蝕鬼(しょっき)となる半蔵。
しかし悪は滅びない、また受け継がれて現代社会でショッカーとしてよみがえる。
昭和時代の『仮面ライダー』に継承され“仮面ライダー”という男に受け継がれ正義の魂も継承されてゆく。
蝕鬼(しょっき)からショッカーという連想(?)は興味深いところ。
『鎧武』の小説でも他の平成仮面ライダーに触れらていたけど『響鬼』は昭和時代の仮面ライダー・本郷猛に回帰する。
小説『オーラバトラー戦記 アの国の恋』はアニメ版『ダンバイン』を彷彿させながら小説ならではの細かい物語になってるぽい。
バイストン・ウェル・サーガは富野由悠季氏にとってはライフワークのようですからね。
バイストン・ウェル自体の解釈もやや『ダンバイン』とは異なるよう。
性的な描写は小説版『ガンダム』とは同じだけど『オーラバトラー戦記』の方は歴史もの大河ドラマみたい。
小説『オーラバトラー戦記』は11巻。
少々、長いでしょうか。『相棒』シリーズでさえとりあえず半分、『相棒』は上下巻だから実数はさらにある。
『オーラバトラー戦記』も一巻冒頭を読んだけど富野作品のお約束を踏みながらジョグは悩むよう。
小説『オーラバトラー戦記』を読むと人間関係、状況がけっこう変わる。
いまのところドレイク・ルフトは巨悪というよりはふつうに一領主の雰囲気である。
バーン、ガラリアはジョグに対してよき兄貴姉貴分。
小説『オーラバトラー戦記』主人公ジョグが少しずつバイストン・ウェルに慣れていくのはヒロイックファンタジーの様相。
だけど富野由悠季氏の本なので随所に過去への振り返り、現在への葛藤などがあらわ。
これは『ガンダム』シリーズにも多く見られ『イデオン』にもある。だけど流れ流される状況のなか主人公は常に選択を迫られる。
80年代頃の富野さんのスポンサーの意向もあるにせよ血気盛んなところは読み取れる雰囲気。
ショット・ウェポンがアニメ『ダンバイン』とちがうところあるけど日本人をバカにする人物として書かれてるのは『ガンダム』世界の日本文化にも通じる。
富野由悠季氏はアニメでは触れないけど小説版では宇宙世紀だろうが『オーラバトラー戦記』だろうが海外から見た日本の風習や文化をそれとなく残している。
富野氏なりの日本人観もあると思う。あるいは戦時中の生い立ちなどからでしょうか?
『スレイヤーズ!』シリーズはむかし一度挫折した思い出がある。
一、二冊買って読んでそこでしまいだった。いま思えばもう少し読んでおけばよかったかな。
アニメの方は第三シリーズまで見てリナの秘密やさらにハードになる冒険の旅、魅力的なキャラが出て当時も読んでおけばよかったと少し後悔したかなと思う。
当時は同じ富士見ファンタジア文庫でも『パトレイバー』に傾いてたから。
『オーラバトラー戦記』を読むとヒロイックファンタジーも悪くない。
ようやく小説『オーラバトラー戦記』一巻ざっと読めた。
ドレイク・ルフトが勇ましい王の器である布石や娘アリサがアニメ『ダンバイン』のリムルとはかなりキャラが異なる。
囚われたジョグはいささか気の毒ながらおそらくこれらの経験が後々の物語で真の意味での“聖戦士”へとなっていくんでしょうね。
人として戦士として恥をかぶりながらも異世界バイストン・ウェルで戦い生きるために……。
だけど異世界に飛ばされてそこで本当に生きていけるか疑問。
小説『パトレイバー TNG』二巻のシゲさんと小説『パトレイバー 風速40メートル』(映画一作)の榊精太郎班長は似てますね。
榊班長は映画一作では「レイバーを川に落っことした馬鹿はどこいった!?」と怒りを露にし『TNG』で班長となったシゲさんもまた「レイバーに空手の型をやらかした馬鹿はどこにいった!?」と怒鳴る。
整備屋の血でしょうかね(笑)。機械やレイバーをぞんざいに扱うと機械屋整備屋畑の者たちの熱い血や情熱でしょうか。
特車二課の馬鹿をやりながら悩み葛藤し自分の内面とも向き合いながら馬鹿を毎日くだらなくもおもしろおかしく生きていく。
ただそこで世間や誰かに必要とされていく自分を探していく。
小説『となりのトトロ』は映画で触れられてないところが書かれてる。
より内容が具体的だったりサツキたちが舞台となる田舎に来る前のことなどが記されている。
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