風人 2016-04-04 04:41:02 |
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小説『パトレイバー THE next ジェネレーション』たしかに初代隊員たちの野明や遊馬たちが活躍してた時代はレイバー全盛期。
だけど見方を変えればレイバー犯罪が横行してた時期。極論な表現でたとえればレイバー版『北斗の拳』。
レイバーで暴れまわる犯罪者やシャフト社の内海課長によるグリフォンなどによるレイバー同士の競いあいなど。内海課長たちは例外としても犯罪者が横行していたことにかわりない。
野明や遊馬たちが活躍できたのはそういう人たちがいる時代でもあった。現実に置き換えたら三億円強奪事件や浅間山荘事件でしょうか。
だけど『next generation』の時代にはレイバーは衰退の一途を辿りレイバー犯罪がほぼ存在しない。
どちらがよかったと考えたらかんたんに結論は出ない。一長一短が時代ごとにある。
ただ冒頭を読むと時代を考えるきっかけになる。
小説『パトレイバー THE next generation』で野明や遊馬たち自身はおそらく自分たちを伝説やレジェンドとは思ってないでしょう。
映画ニ作目『TOKYO WAR』で彼らは一度特車二課を離れた際に埋め立て地の日々を懐かしく思い邂逅している。
同窓会で顔を揃え語り飲みあかしながらベイブリッジ爆撃に危機を感じ一警察官としてなにかを感じ後藤隊長と行動を共にした。
ただそれだけ。
初代も三代目もどこか警察官としてはあてはまってない印象はある。
明や塩原、太田原やカーシャも型にハマッてない。
ただどこかいつの世にもある現代の若者像。
腐りながらも芯や根っこは腐りまいとどこかでもうひとりの自分と向き合い悩み葛藤してる。
かつての野明たちだって活躍したぶん始末書はあたりまえ時には本庁やメーカーに頭を下げることもあっただろう。
それを考えたら初代と三代目との間にちがいはあるけど差があるとも思えない。
時代がレイバーを求めるか否かそしてその先に彼らが活躍すべき場があるかの問いかけ…かな。
小説『パトレイバー THE next generation』二巻と三巻を購入。
二巻冒頭を読んだら何なのかと思ったら特車二課棟をファンタジーRPGに見立てた妄想かと思ったらまさかの夢オチ?(苦笑)。
こういうところのノリはやっぱり『パトレイバー』。
塩原や明たちも初代隊員の野明たちを(隔世遺伝的に)受け継いでいるのでは?と思わせる。
押井守さんのふざけたノリを著者の山村圭氏が再現してると思う。
小説『パトレイバー THE next generation』ちゃんとパトレイバーしながらいちおう『エヴァ』と『鉄人28号』のオマージュ入れてる。
なんでロシアと日本のハーフ(?)のカーシャが「あんたバカ」と言えるのか(笑)、コンビニ強盗相手に遠隔操作でコントロールされるイングラム2号機はまんま鉄人28号(苦笑)。
コンビニを舞台にしたりカーシャがなぜ日本に来たことで悩んだりとかかつての『うる星やつら』や『パトレイバー』時代の演出を物語にしてる雰囲気。
榊先代班長の志を継ぐシゲさんはまんま『うる星やつら』のメガネさんであり『パトレイバー』のシゲさんのまんま。
三代目の小隊メンバーが少しずつ何かを踏みしめ痛みを感じバカやりながら大人になろう(?)としているのにシゲさんだけは特車二課のむかしのまんまに伝わる。
レイバー=ロボットが必要とされる時代が来るのかどうか考えさせられる(-_-;)。
『密会 アムロとララァ』富野由悠季さん自身が『ガンダム』を書くとややアダルトな表現。
けど左遷されたシャアとララァの出会い、駆け足ながらアムロがガンダムに乗るきっかけなどアニメ版を補完するように書かれている。
ララァとアムロ視点。それにシャアという三人にしぼられている。
富野由悠季氏は『Vガンダム』を最後にガンダムの小説を書いてないみたいだから今後は書くことがあるのか。
小説『パトレイバー THE next generation』を読むと基本は初代、三代目もやることは変わらない。
レイバー犯罪の有無が特車二課の存続に大きく関わる。
三巻を読むと特車二課を爆破しようとした犯人については前科なしで身元不明という不可解な人物。警視庁上層部が二課を潰そうとしてるらしいニュアンスが含まれてた。
シゲさんが後藤田さんに“後藤さんに似てきたな”という台詞はおもしろいところ。
何らかの形で初代後藤喜一から後藤田に二課を守れや守ってくれみたいな言伝てがあったのかとも思える。
二課にいる者でかつての特車二課を知る者たちはシゲさんたち整備班だけ。
彼らだけが特車二課を間近に見てきた者たち。
これもなにか意味あるように思える。生き字引。
『密会 アムロとララァ』短くアニメ版ガンダムに沿いながらアムロ、ララァそしてシャアのそれぞれの視点で書かれている。
三人それぞれ生い立ちはちがいアムロやシャアにしても女性の好みか必ずしもララァではないがララァに惹かれている。
アムロは無自覚にララァに惹かれている描写は秀逸。
ニュータイプであることを自覚しないままニュータイプであるララァと接触したのが悲劇。
だけど現実として考えたらアムロはララァのことがもとで7年間連邦に監視下に置かれてしまう。
ララァはシャアを愛した時点で恋愛、だけどアムロは無自覚にララァに惹かれていた。
『パトレイバー』シリーズの小説はふしぎな感じ。
富士見ファンタジア文庫版は主に横手美智子氏が書きながら初代第二小隊メンバーの過去を掘り下げたり時にコメディにいじりかたや『THE next generation』もレイバーという存在がほとんど忘れられている時代で塩原たちが希望を持てない若者たちとして書かれながら随所に活気あった時代の名残や昭和の雰囲気や匂いを感じさせる。
近未来というか近未来になってしまった時代を追い越したであろう時代なのに寂れた町や街が出てくる。
富士見ファンタジア文庫版と『THE next generation』は書き手はちがうけど人物はしっかり一冊一冊掘り下げられている。
昭和がむかしのモノになったのは『Always 三丁目の夕日』が大きかったと思う。
『三丁目の夕日』の小説を読むと日本人がよくも悪くも元気だった時代。
だけど『パトレイバー THE next generation』に少しながら昭和の匂いが残っている。
小説『Always 三丁目の夕日』みたいに日本人が元気に前向きになれた時代もあれば『桜宮サーガ』シリーズの『ブラックペアン1988』みたいに昭和から平成になりバブルが弾けた時代があり2000年を経て時代に閉塞感がつきまとう小説『パトレイバー THE next generation』な時代が現実にある。
どの時代にもしあわせや不幸があるのはわかるし割りきれない点もあるがその時代を知っているのもある。
『三丁目の夕日』の時代はさすがにちがいますけど。
生まれてきた限りは時代は選べない。
関係ないけど同じ『THE next generation』と『TNG』とある『スター・トレック THE next generation』とパトレイバーはちがいすぎる(苦笑)。
とりあえずはいろいろな本を読むことで時代を見つめる目はそなわっただろうか。
押井守さんこの人もググるとけっこう著書が出てくる。
『パトレイバー』だけではないですね。
『うる星やつら ビューティフルドリーマー』『パトレイバー2』など独特な世界観を持ってる。
『パトレイバー』にあるよくも悪くもいいかげんだけどいちおうの正義感は初代も三代目もあるように思える。
そんななかでドタバタが起きておもしろおかしく演出する奇妙な空間、世界や時間。
『パトレイバー』においては特車二課が正義の味方というのもひとつの価値観や思想と思う。
警察官として初代も三代目も型におさまってない。人間としてだらしなかったり一部破綻してても表面と内に秘めた内面が同時に存在してる。
『うる星やつら』の諸星あたるたちが学生としてめちゃくちゃにやりながらも彼らなりの価値観や倫理観があるみたいに。
あたるがラムちゃんを好きなのになかなか好きとたった一言が言えないみたいに……。
心の内のミクロと社会というマクロを同時に書いているように思える。
小説『パトレイバー THE next generation』、埋め立て地特車二課にある負の遺産とはなんだろ?
とても特車二課に本庁が狙うような代物があるとは思えない。
だけど考えられるのは後藤前隊長が残したらしいということ。
パトレイバー98式イングラム、レイバーキャリア、指揮車、電算室のコンピューター、イングラムが使う銃火器類(人間が使う銃類も含めて)、あとは過去の出動や事件時の事件書類やレイバーの稼動データなど。
レイバーの稼動データについてはイングラムの開発企業である篠原重工も持っているはずでしょう。
初代隊員である野明たちが動かしては壊し直しては壊し犯罪者のレイバーたちと戦い無数に近いと言えるデータの蓄積はあるはず。
だけどレイバーがほとんどいない時代に稼動データが意味あるだろうか?
負の遺産について詳しいのは現在の隊長である後藤田と生き字引であるシゲさんだけのよう……。
あの埋め立て地に他に何があるという?
ちょっとした推理モノだ。
小説『パトレイバー THE next generation』を読む時は無意識にアニメや漫画の『パトレイバー』を比べながら初代隊員の野明たちと三代目隊員の明たちを比べながら思い浮かべてしまう。
おそらくそれも押井守氏の狙いのように思われる。
明たち登場人物たちが過去の栄光や伝説と比べてしまうようにかつての『パトレイバー』を知る読者もまた比べてしまう。
時代が異なりレイバーがほとんど必要とされなくなりながら特車二課は存在しながらもやってることは基本かわらない。
埋め立て地の二課でだらだらしながらバカやってなんとかやる気出そうとしてとりあえずの活躍をする。
明たちがかつての野明たちほどに警察官やレイバー乗りとして活躍してないのもまた事実。いつ本庁に二課ごと潰されるかわからない進退極まる事態。
けどふつうに常識的に考えてもかつての野明たちにしても後藤隊長がいなかったら始末書だけで済んでなかったことはたびたびどころか日常茶飯事。
『TNG』の明たちはふこうな時代と表現されたらそれまでだけど後藤田隊長により守られているのも事実。
初代の野明たちと三代目の明たち、ジェネレーションギャップをなぜ物語にするのかという意味もあるのかな?
小説『パトレイバー THE next generation』は要所に渋い表現がある。
読むたびに人物たちが何か思いふけるたびに何かしらの共感ある。
小説『パトレイバー TNG』の塩原や明たちは現代の若者を投影してる。
夢や希望がないまま将来が見えない。将来を考えるにも早い年齢。
よく読むと初代隊員の遊馬や野明たちは若干話しに尾ひれせびれがついてると思う。
彼らがヘマをやって始末書を書いたことなど三巻までしか読んでないけど一切触れられてない。
シゲさんや整備班の人たちは初代隊員の野明たちがたびたび失敗や始末書を書いてたことを知ってるはずなのに伝えてない。
おそらく後藤田隊長も後藤前隊長よりそれくらいは聞いてたと思うんだが。
なぜ野明や遊馬たちが失敗や始末書だらけだったことを伝えないのか?
なにかしらの意図が後藤田やシゲさんにあるのかな。
謎だ。
あらためて小説『パトレイバー THE next generation』一巻を読むと塩原が複雑な気持ちを抱えた自らの職場を守ろうとする気持ちがはっきりある。
たしかにいつ辞めてもいいと気持ちは表にある。
だけどそれは表だけであっていかに特車二課を複雑に思いながらも職場としてギリギリ最低限の愛着はあるよう。
たしかに初代隊員に比較されていい気持ちはしないだろう。
だけどなんだかんだで三代目隊員たちの一応のリーダー格。
後藤田隊長に直談判にいく明たち隊員たちを嫌々ながらも観察し疎ましくも思いながらも一応はいざとなれば指揮をする。
もし本気で二課を辞めたいならすぐさま辞表を出してふつうの生活を送るでしょう。
だけどそれはしない。なにかしら最低限のプライドか自己の確立があるのか折れない。
これはどの時代の若者にもあるでしょう。ひとそれぞれちがうけど似たようななにか……。
小説『パトレイバー THE next generation』一巻二巻は塩原と明はそれぞれ見たこともない初代の遊馬と野明を意識しながら最終的には特車二課にも初代の彼らにも向き合おうとしてる。
会ったこともない相手を意識し向き合うのは勇気いると思う。
だけどなぜ特車二課に初代隊員たちの写真一枚残ってないのか。
一巻では負の遺産が後藤田隊長自身かもとシゲさんは示唆してるがはっきりしない。
普通に考えて警察組織である以上は初代第二小隊の記録は警視庁、警察のどこかにあるはず。
だけどそれが存在しないのだろうか?現実に考えたらあるはず。
ふと思ったら灯台もと暗し……としたら?
二課のどこかにはあるのだろうか。
小説『パトレイバーシリーズ』富士見ファンタジア文庫および実写映画版小説『TNG』を読むとパトレイバーシリーズがいかに2000年以降の警察刑事ドラマに影響与えたかわかる。
『踊る大捜査線』シリーズはサラリーマン刑事警察官として演出し『相棒』シリーズは杉下右京という変わり者を主役に置きながら警察組織や社会、市井の人々たちの闇や暗部を演出している。
『パトレイバー』シリーズでも埋め立て地に飛ばされた一応の正義感といいかげんにだらしなさを持った一見ダメ警官である遊馬や野明たちおよび三代目の塩原や明たちはそう演出されながらもなんだかんだで“正義の味方”であると同時にサラリーマン警官という一面。
だいたい上層部と対立するのは後藤隊長と第一小隊の南雲隊長そして『TNG』の後藤田隊長。
『パトレイバー』の発祥がOVAというアニメや漫画ということも警察上層部の闇や暗部は深くは書かれないけど一応警察にもこういうトカゲの尻尾切りする上層部の人たちがいますと示唆してる。
この辺の流れは『踊る』や『相棒』でもたびたび示唆されている。
キャリアの警官は立派、ノンキャリアの警官はコメディとして演出されだらしさなもありが一般市民に近い感情や共感を抱かせるようにドラマでは演出されている(と思われる)。
『踊る』の湾岸署にしてもTVドラマスタート時は僻地、『相棒』の特命係にしても警視庁内の建物内としての意味を含めたエリート内の村八分。
『パトレイバー』と似たような環境や立場にある。
小説『相棒 season7』(下)亀山薫が去った後の特命係はしばらく右京の相棒不在なまま物語が展開。
右京単独だったり一課の芹沢さん、経理の陣川さんだったりと実験的な試みをしてる雰囲気がおもしろい。
陣川さんが相変わらず騒動を呼んでしまう(笑)。
本人に悪気がないだけ巻き込まれる右京はさんざん。
ようやく最終話に神戸尊の登場。
実験的な物語を展開してることで『相棒』は物語は広がったんでしょうね。
小説『相棒 season7』(下)のあとがき興味深い。
右京の正義について触れながら正義とは何かと問う。神戸尊にもまた。
『相棒』シリーズは警察組織の闇を同時に書く、あの難しさ。
特命係潰しもまた小説『パトレイバー TNG』同様に警察の上層部と現場の対立に似る。
右京の一見飄々とした態度は後藤隊長と後藤田隊長に被る。
後藤隊長と後藤田隊長(ややこしい)もまた本庁でカミソリだったために埋め立て地特車二課に飛ばされたらしい。
現実の警察組織においてカミソリやジャックナイフとしてキレすぎたために飛ばされるということがあるかはわからないけどフィクションではその方が都合がよくおもしろいと思う。
人物の背景が何らかの果たちでできるから。
右京の場合は小野田公顕との過去の確執がありながらも一方では彼により特命係が一応は守られている背景がある。
小説『相棒 season7』(下)で神戸尊が報告書か何かを作成してる際に亀山薫に会ってみたいという文章を残してる点はおもしろい。
杉下右京は慣れている捜査一課トリオでさえも得体の知れない存在感がある。気が合うのは鑑識の米沢守かたまきさん程度。
亀山薫だって当初は振り回されながらも事件の大小に関わらず接していくことで意見や意思をぶつけ向き合う関係になっていった。薫は基本誰にも特に被害者には感情的なことも含め思いを近づけることがある。よくあるドラマの刑事の典型であるが故に右京はなにかしらの影響はあったと思う。
神戸尊は当初は官僚体質が染み付いているがために距離を取る。距離を取りながらも独自に観察していく。
小説『season8』以降を読まないと内容は思い出せないけどまたいずれ。
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