風人 2016-04-04 04:41:02 |
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『ゲゲゲの女房』は以前に購入しましたが今回は『水木サンの幸福論』。
『女房』は奥さまの武良布枝さんからの視点で書かれてましたが『幸福論』は水木しげるさん自身の著書。
『女房』ではお見合いで会うまでは水木しげる先生については触れられなく『幸福論』では生後や戦争時のこと書かれてる。
戦争に行った人々の人生は重たいもの。
小説『仮面ライダー電王 東京ワールドタワーの魔犬』。
白倉伸一郎氏の文章が意外に伝わりやすい。
なにより電王の作品世界観を巧みに表現し良太郎とモモタロスたち四人のイマジン(とジーク)、ナオミさんとオーナーとの会話や雰囲気。
モモタロスたちが憑依しては良太郎の人格が変わったり憑依しなくても心で繋がっていて彼らと会話し推理しながら事件を解いていく。
時間の流れというものを考えさせられる物語。
現実に生きる時間とデンライナーの時間はまた別にある。
それぞれ別な時を生きてるけどイマジンと契約した者は何かしら時の流れが重なる。
考え方はいろいろあると思う。“時”というものについて。
『水木サンの幸福論』、戦争前の水木しげる先生のこと書かれてるけど就職に向かなかったというのは意外な感もある。
だけどお父さんが絵の学校に通わせてくれ絵の勉強をする。
本の中に水木先生が作った『白雪姫』の写真が一枚載ってるがとても後に妖怪作家になるとは思えないくらい美しい一枚。
小説『おジャ魔女どれみ』四巻ようやく購入。
これで主要キャラそれぞれが表紙を飾ったのは購入した。
海堂尊作品の『アクアマリンの神殿』も購入。
小説『おジャ魔女どれみ』四巻、よもや原田知世さんが演じた未来さんまで出てくるとは思わなかった。
テレビ四シリーズとOVA一シリーズの物語のあちこちの設定や物語を拾ってる。
それぞれヒロインを演じた五人の声優さんのあとがきインタビューも面白い。
小説『おジャ魔女どれみ』はかつてのアニメと重ねて読むとおもしろい。
矢田くんとはづきちゃんの幼馴染み関係。
小説においてもふたりは高校こそ違うが互いの関係は継続し矢田くんはなにかとはづきちゃんを心配させるのはアニメを彷彿させる。
だけど久しぶりにアニメ版を見るとおんぷちゃんは初期こそどれみちゃんたちのライバルだったけど禁断の魔法から復活しなんだかんだでMAHO堂に加わり四人目の仲間として協力したりどれみちゃんたちに感化されたりチャイドルとは別に本来の女の子らしさを見せてくる。
誰かをからかったりや遊ぶ時はほぼどれみちゃんたちと同レベルな少女(笑)。
小説版でははじめは登場しておらず北海道に家族と共にいることが判明し結果的にはどれみちゃんたち三人が高校生おジャ魔女として復活するきっかけにもなっている。
どれみちゃんのおじいちゃんから助言をいただいたことであらためて自分を見つめ直し少女から大人へのきっかけを掴んでいく。
『アクアマリンの神殿』をいまのところ読むところの中心がアツシと桂奈のふたつの場面になってる。
このふたりが『神殿』で会う場面はほんの二回。
そこから掘り下げていく感じ。
小説は一回読んだだけでは内容は把握できない。
二回三回読むことで内容が頭に入っていく。
『アクアマリンの神殿』ようやく熟読段階。
海堂尊先生はバブル三部作や『輝天炎上』『モルフェウスの領域』『アクアマリンの神殿』を書いてる時は若返ってないかな?
実写映画版『ゲゲゲの鬼太郎』のノベライズを購入。
実写映画版のウエンツ瑛士くんの鬼太郎はいささかイケメンすぎますが(苦笑)。
これだけ物質文明が進むと妖怪が本当にいるかいないか疑問に感じる。
『水木サンの幸福論』『ゲゲゲの女房』にも妖怪がいるかどうかと悩む場面はある。
いないわけではなく“みえない”だけと思う。
映画の『鬼太郎』にも妖怪ポストで鬼太郎たちと人間たちを繋ぐ存在がある。
どこかで妖怪は人間を見ていると思いたい。
『アクアマリンの神殿』や小説『おジャ魔女どれみ』などを読むとある程度は傷つかないと人間は成長しない。
『神殿』のアツシにせよ『おジャ魔女』のどれみちゃんたちにせよ傷つき方や程度のちがいはあるけどぬるま湯に浸かっては成長はのぞめない。
『神殿』の西野さんなりの付き合い方はかなり覚悟がいると思う。西野さんは先鋭的すぎる。
あくまで一般論から見てだけど。
だけど厳しいことを言う人の言葉には意味があると思う。あとあとのケアや何かを成し遂げた時あるいは間違いや失敗をしたとしても何らかの言葉や表現はいると思うけど。
だけど時には言葉が要らない時もある。
むずかしいもの。
Eテレ『落語 THE movie』昨年度に放送された番組に一部新撮解説が加わっての再放送。
「三方一両損」「饅頭怖い」の有名なお題が見れて実によかった。
お年寄りが落語を観賞するのわからなくもない歳になった。
声優の山寺宏一さんは落研、落語研究会にいたとかと以前ラジオでおっしゃってました。
70年代自体に憧れがあるのはその時代に生まれはしたけど遅かった感はある。
物心ついたのが70年代後半。
『三丁目の夕日』や水木しげるさん関係の本を読むと戦後を経て高度経済成長期やオリンピックあっての時代。
日本人が元気だったと思う。
ノベライズ『ゲゲゲの鬼太郎』は団地立ち退き問題などがいかにも日本人らしい悪い一面も垣間見える。
科学文明と妖怪は相容れないものがあるんでしょう。
『三丁目の夕日』では茶川さんがSF小説を書いてるけど現代にもむかしながらのSF小説はある。
人間の進む方向はわからない。わからないから考える(--;)。
NHK Eテレ『先人たちの知恵泉』邪馬台国はどこに?
ブックオフなどにもいろいろなミステリーや謎本を見かける。
一時はダ・ヴィンチ本あったり、タイタニック号、古代遺跡などブームはそれなりに周回してるぽい。都市伝説などもそう。
史跡のなかに知らない文化や歴史あると思う。
海堂尊先生の『桜宮サーガ』シリーズは架空の桜宮市を中心に霞ヶ関や北海道、浪速府などありとあらゆるところを舞台にして多彩。
海堂尊先生がひとりですべての世界観や人物を背負っている感が伝わる。ある程度は編集の手直しなどらあるでしょうが。
『都市伝説の女』二巻を読まないといけないのにあちこちに本を浮気してる(・д・ = ・д・)。
高度経済成長期やかつての東京オリンピックなどがひとつの時代の境目なんでしょう。
水木しげる先生が紙芝居、貸本漫画家を経て本来の漫画家になりテレビまんが(テレビアニメ)となり時代が交錯していく。
結果的にはテレビという文化が『悪魔くん』や『鬼太郎』に光りをあてていく。
つい先頃に読んだカルーセル麻紀さんの本『私は女』もテレビ時代創成期からの時代。
『三丁目の夕日』もモノクロテレビが家庭に普及して子どもたちは漫画からテレビに興味が移りSF小説が脚光を浴びる。
かといって妖怪とSFが相容れなかったわけではないでしょう。
どちらも架空ないしもしかしたら“本当に存在するのかも”というニュアンスが当時の子どもたちに伝わり残ったのではないでしょうか。
ひとつの時代の節目として高度経済成長期が存在したのは事実。
そこで立ち退き問題みたいな悲喜ごもごもな話など実際あったと思う。
つねに時代には光と影がつきまとう。
カルーセル麻紀さん著の『私は女』。
多くの芸能人の方たちの交遊録が凄まじい。
川合俊一さんのホモ疑惑などは笑えるけど梅宮辰夫さんはカルーセル麻紀さんに手を出してマスコミにつるしあげられた過去は気の毒。
とはいえカルーセル麻紀さんの方がうわて。
とはいえ読むと芸能人がふつうの人としてカルーセル麻紀さんは相手が大物でも接している気軽さ。
芸能人なりにいろいろな重責やイメージを背負っているからお酒を飲むことで素の自分を出すことができる。
これは大切なことと思う。ニューハーフさんたちには人の気持ちを溶かす何かがあるし男女それぞれの心がわかるからでしょうか。
八神ひろき先生の『Dead BOYS』はヒロイン視点で小説になってたんですね。
『G-Taste』は知ってたけど。
ブックオフで見かけて購入した。
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