風人 2016-04-04 04:41:02 |
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ドラマ『火花』では林遷都さんが主人公の徳永、波岡一喜さんが神谷。
波岡一喜さんがいい役者になられたわ。
小説『火花』のなかでも神谷は徳永にとっては憧れでありよき兄貴分。読んだ時は明石家さんまさんがモチーフと思ったけどドラマは波岡一喜さんが演じてるので私のイメージとはいい意味で異なる。
芸人さんは売れない時代はなんでもやらないといけない。着ぐるみ入ってキャンペーンしたりコンビニでバイトしたり様々。
ピースも売れない時代にいろいろなさってたみたいだし。
かけだしの頃はなかなか実が出ない。その辺は小説もドラマもリアリティ追求してるみたい。
第一回はまだ序章という雰囲気。実質は第二回からが物語が本格的に始動でしょう。
林遷都さんたち役者がお笑い芸人になりきって演じてるのも見もの。
小説『ブレンパワード』二巻後半、三巻前半は舞台がそれまでと異なる。
ネリーというヒロインの在り方。彼女もまた死へと向かうキャラではあるが勇にちいさいけど大きなモノを託してゆく。
強敵化してゆくジョナサン、謎のバロン・マクシミリアン。
ブレンパワード、グランチャーの在り方が天才カント少年の登場により少しずつ物語が変わってゆく。
だけどここでも富野作品の定石である核兵器を使う人類の愚行、それを食い止めるノヴィス・ノアのブレンパワード、オルファンのグランチャー。敵味方に分かれてるはずなのに愚行を受け止め昇華してゆく主人公勇や批馬、クインシィである衣依子たち。
大人たちの過ちを力ではなくブレンパワードやグランチャーの在り方を示すことでただしていこうとする示し。
こういった一連の流れはお約束ではあるがある種の感動を呼ぶものがある。
だけどまた物語はラストに向けて混迷を深めてゆく。
小説『ブレンパワード』において主人公勇や姉依衣子が少し歪みがあるのはふたりの両親が原因なのはあきらか。
オルファンのために研究しその成果のために子どもふたりを利用しふつうの親子関係ではなくなっている。
子どもたちのために家庭が存在してるのではなくオルファンのために存在してると両親は誤解を起こしている。
劇中でクインシィこと依衣子が勇にプレゼントをかつてくれた?とたずねる場面などに彼女本来の良心は失ってないのはわかるけどまた勇がちゃんと思い出せずにいたことで姉弟は互いに戦うことになる。
だけどまたオルファン自身も自身の再生のためにブレンパワードやグランチャーを必要とし人間や地球、自然なども必要としていることがわかる。
オルファン自身もまた失ったものを取り戻すためにブレンパワード、グランチャー、人間たちを必要としている。
富野由悠季さん著の『だから僕は……』『∀の癒し』を通すと富野さんの半生が綴られアニメーターとしての苦労もあり制作会社サンライズとの関係、プライベートもありかなりの苦労が書かれてある。
だけど『Vガンダム』『ブレンパワード』この二作品を境に変わってきてる印象ある。
もちろんアニメ監督としの苦悩や葛藤もあるし監督としてスタッフに己の意思を伝える難しさ。
『∀の癒し』でも歌い手である西城秀樹さんから監督は難しく言い過ぎだみたいにストレートに意見がぶつかることもある。
ただ作品を通して“親”になる経験が『F91』や『V』以降の作品に如実に現れてると思う。
『ブレンパワード』の小説においても伊佐見ファミリーの両親は最後まで直子おばさんに叱られるまでわからないというバカ親。
勇の姉である衣依子はむしろやり直しする機会を与えられジョナサン母子も最後に互いの気持ちを受け止めようとする。
『∀ガンダム』でもムーン・レィスと地球人の間に誤解や齟齬は生じているが最低限理性的ないし政治的であろうができる限りの人死には避けている描写や演出がある。
ディアナが月の女王、『ブレンパワード』でも衣依子がクインシィという女帝ないし女性としてのリーダー、『Vガンダム』のマリア女王から発展ないしそのバリエーションというのがわかる。
『ブレンパワード』において母性の在り方は批馬に委ねられるが直子や依衣子それぞれにもある。そこに物語が集約されていく形。
『イデオン』以降の作品のように皆殺しにさせていない良心が作品にある。
小説『ブレンパワード』『∀ガンダム』共に富野由悠季さん自身が書かれてないのも特徴。
富野さん自身が書かれた『ガンダムシリーズ』や『イデオン』などは表現自体は従来の作家さんよりは粗さが目立つ。もちろんテレビシリーズとも一部内容が異なる展開でもある。
だけど理解するにはそれなりには時間がかかる作品でもあると思われる。
だけど小説『ブレンパワード』『∀ガンダム』は富野さん以外が書かれてることでわかりやすくもなっている。
富野由悠季という監督の主観がないからでしょうか。富野節は健在ではあるが。
『Vガンダム』を最後に書かれてはないのも何らかの考えがあったんでしょうか。
三月になりようやく思い出したみたいに海堂尊先生の『ランクA病院の愉悦』を読めたけどブックオフオンラインで通販した本を地元のブックオフで見かけるのはどういうことよ?
本もひとと同じで巡り合わせの良し悪しがあるということかな。
ブックオフですでに持ってる本やCDを買ってしまうことが最近ある。
歳かな?
その都度気をつけているはずなのに。
それだけ自覚ないままで本などが増えているのか。
『天空の城 ラピュタ』『海がきこえる』に続いて『となりのトトロ』のノベライズを購入。
ジブリ系の小説は若い頃は読まなかったのにここ最近は読んでる。
妙に歳を感じるのは大人になった気持ちかな。
『マリア様がみてる』の短編集で可南子ちゃんが祐巳ちゃんを初めて見つけ憧れる物語がどれに収録されてたか探したがわからなかった。
どれだったかな??!(・◇・;) ?
ドラマ『火花』で波岡一喜さん演じる神谷という人物、原作を読んだ限りは明石家さんまさんのイメージあったけどドラマだと若い頃の尖っていた島田紳助さんのイメージがかぶる。
かたや主人公の徳永はよくも悪くも等身大のお笑いを目指している若者像。情熱もあれば葛藤もある人並みな人物。
又吉さんの相方綾部さんにも似てなくもない雰囲気。迷ってるところは方向性が見えない五里霧中な芸人の生きざまぽい。
小説『仮面ライダーファイズ』『仮面ライダー鎧武』を購入。
『ファイズ』は以前の『異形の花々』の改訂版だけど事実上は二度目の出版。
平成ライダー初の小説はおそらく『ファイズ』でしょうね。
この作品から特撮ノベルの『仮面ライダーEve』に派生していきいまの講談社キャラクター文庫として平成ライダーの小説が刊行されていってる。
『鎧武』の方ははじめに珍しく人物紹介がかんたんながらされている。
小説『仮面ライダー鎧武』は他の平成ライダー小説とは異なる雰囲気。
さりげなく他の仮面ライダーたちにも触れられていたのは驚き。
『ディケイド』のパラレルワールドを用いることで“仮面ライダー”がひとりでないことの示唆でしょうね。
『クウガ』から『ウィザード』までのそれぞれのオリジナル世界やリ・イマジネーション世界を肯定する示唆と思われる。リ・イマジネーション世界は『ディケイド』が含めて代弁してるぽい。
けど『鎧武』の小説でよもや他のライダー世界にまで触れるとはやや大風呂敷。
小説『仮面ライダー鎧武』は多人数ライダーや作風の雰囲気もあって各キャラ各ライダーの活躍が多いこと。
平成一期ライダーの小説と比べても短い物語のなかにライダーや仲間たちの描写が多いし適度にキャラの魅力あるように書かれている。
戦極凌馬は最悪の人物ではあったが最高の技術者みたいなくだりは笑う。
死んだはずのアーマードライダーたちがラストに力を貸す場面は特撮ヒーローというよりはむしろアニメ的。
作風があらわれている。
小説『鎧武』の主人公は呉島兄弟でしょうね。
だけどしっかり鎧武・絋太がラストを飾りヒロインの舞ちゃんが締めくくる。
講談社キャラクター文庫版の小説『仮面ライダーファイズ』は五年後という形で後日談がついてる。
啓太郎と結花の子である勇介がオルフェノクと化した草加雅人と戦うことで自分が人間かオルフェノクと迷いながら人間として真理を守ろうとする。
木場勇治の願いは勇介に託されたといえる。
だけど『ファイズ』は闇が深い。
人間の魂の深部まで書いてるみたいで怖い。
物語は勇介に託され巧と真理はふたりで歩いていくという劇場版『パラダイス・ロスト』を彷彿させて終わる。
人間でなくなる者の怖さが『ファイズ』にある。
小説「おジャ魔女どれみ16 ターニングポイント」と「きみが見つける物語」休日編以外を購入。
休日編がなかった。
「きみが見つける物語」は以前に小説「サイボーグ009」を購入した時に巻末に紹介されていて年明けから気になってたから購入。
「おジャ魔女どれみ」はまだまだ間が抜けてるorz。
『本をめぐる物語』や『書店ガールズ』そして『きみが見つける物語』などここ最近は“本”そのものに関わる物語が多い。
読むジャンルが少し貪欲になってきてる。
『本をめぐる物語』には本にいろいろな接し方あるしむかしの『世にも奇妙な物語』にも小説オリジナルで“本”に関わる奇妙な物語はひとつふたつあったかな。
『きみが見つける物語』スクール編。
『六番目の小夜子』の恩田陸さんが『心霊写真』というちょっとふしぎな物語を書いている。
また本の落丁についても触れられている。本の触れ方や特徴など人間はあると思うけどこれは本が好きでないと書けない内容だわ。
『六番目の小夜子』はまだまだ途中。
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