トーマ . 2016-02-24 19:25:30 |
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ポケモンgoかな。
みんなやってるね(^^)
青葉も興味がないよ(・・;)
やったら凄く面白いんだろうけど、生活を支配されそうで怖くて出来ない(^^;
あ、それです。ポケモンは嫌いじゃないんですけど携帯にアプリ入れてまで楽しむ気にはなれないというか、多分飽きちゃうだろうな、と思って‥。
それもありますね。流石にアプリに生活を支配されるなんて笑えないので中々手が出せないです。
それは恐ろしい夢だね(・・;)
まさに悪夢。
あまり楽しい夢なんて見れないよね。
よく見るのは、
怖い夢
大変な事態になってる夢
思い通りにならずもどかしい夢
等々の嫌な夢がおおい。
さっきは、病院の待合室で、ただただ呼ばれるのを待ってるだけの退屈な夢を見たよ。他の人は呼ばれるのに自分は呼ばれず、最後の一人になる。段々と退屈だけでなく不安になる。待合室の電気が消されて、人気のない待合室に一人残された。どうやら病院内に誰もいない雰囲気。
病院から出ようと思うけど、出口が見つからない。
最後は何だか怖かったけど、夢のほとんどが退屈な思いだった。
トーマさんも、あまり楽しい夢は見ない?
また、一般的にも楽しい夢はそれほど見れないものという認識なのだろうか?
昔から悪夢を見た事ばかり覚えていて嫌になります。楽しい夢は直ぐに忘れてしまって、怖い夢を見た記憶は何時までもこびりついて離れず、ふとした瞬間に思い出しては、気が滅入る思いばかりします。
怖い夢もそうですが昔の出来事を思い出したり、個人的にひどく悲しい夢を見たりして嫌です‥。
何だか不思議な夢ですね。僕もこの間病院の夢見ました。今でもあの感触とか覚えてます。
そう、ですね。あまり見ないかもしれません。明晰夢は良く見るんですが、それも大抵嫌な夢です。どうなんでしょうね‥、一般的にも見れないと信じたいです。
旅行なんてあまり行かないけど、長崎は楽しかった。たまにふと思い出す。また行ってたいな。特に軍艦島とか池島団地、もう一度いきたい。
打撃はあるね……あの作品は(^^)
でも惹かれる。
自らの心にダメージのない作品は心に響かないという感覚がある。トーマさんも同じだろうか!?
明晰夢を見るんだ。
青葉は明晰夢だと分かると目が覚めてしまう。少し羨ましい。
リリイ・シュシュのすべて、は大人ほど何かを感じる作品なのかもしれませんね。久しぶりに見て殴られたような感覚に陥りました。
僕も同じように思います。何らかのダメージを喰らわせる作品は心に響きますし、心にも残ります。
でも起きたときの疲れが凄いのでオススメは出来ませんね‥。
起きたときまで作品の中に心を残せるのは凄いよ。トーマさんは青葉よりも感受性が豊かだと思う。
勝てないね、青葉は。
トーマさんは辛いと思うかも知れないけど、それは才能だよ。
どんな感性で世界を見ているの?
青葉は感じてみたいと本気で思うo(^-^o)
印象に残った作品はそれを見た翌日、下手すると何ヵ月先までぐるぐる頭に残っていて、頭や心が疲れちゃうみたいです。僕、そこまで感受性豊かではないですよ。狭いです、少しずつでもいいから拡げたい、とは思ってるんですけどね。
う-ん‥、普通の人と変わらないと思いますよ ? ただこれまで僕が出会ってきた作品や置かれてきた環境が考え方に関係しているのは解ります。
例えば、
自分のことを、他の人とは変わっていると自ら言う人は、それほど風変わりさを感じない。
そういった人は、<他人とは違う自分> というものに憧れを持っているだけ。
本当に変わっている人は自分が変わっていることに全く気付いていない。自分を普通だと疑わない。
そう思う。
だから、トーマさんの感受性は普通より優れている可能性が非常に高いとおもう。自分の感受性を普通と思っているのだから。
なんて考えた(^^)
それは確かにそうかもしれないですけど、僕自身どうしても自分の感受性が豊かとは思えないのです。僕からしたら青葉さんの方が感受性豊かな人に思えます。
ん-‥、最近聞こえないから直ったかと思えば、また近所のデパートの警報が故障して、鳴り響いてるの気になって駄目だ。それなりに離れてるはずなのに、凄い響く。
何か面白い本とかないかな。この間、タイタンの妖女を読んだけど、中々に面白かった。個人的に何時だかのニュースで取り上げられていた人工知能の書いた小説を読んでみたい。
嫌だな、って何時も思ってる。二度も死にたくないな、って何度も思った。一番辛いのは肉体的な死じゃなくて、皆の記憶から消えてしまう意味での死ということ。覚えていてもらえている間は何度でも記憶の中で生きていられるし、還してもらうことも出来る。でも、忘れ去られてしまったら、それさえもない。
どうしよう、今日に限って考えたくないこと沢山考えてしまう。どれもこれも暗いことばかり。やっぱり生まれ持った性格は変えられない。
気さくでフレンドリー、と形容されることが多いけれど、文字だと全然そんなことはなくて、良く連絡先を交換すると何度も確認される。自分でもどっちが本当の自分なのか良く解らなくて、別人みたいだね、と言われても苦笑いしか出来ない。
それでいいさ。
誰も違う面を持ってるからなね。
自分のことを全て解ってる人間なんているはずかない。
脳はそんなに単純なものではないと思うよ。
解ってると思う人は勘違い(^ー^)
そうですかね、僕の場合違いすぎて二重人格を疑われる程なんですが、それでも良いんでしょうか‥。僕は未だに自分のことを全くと言っても過言ではないほどに解っていなくて、たまに嫌気がします。自分、って難しいですね。
出来ることなら愛されたいし、誰かを愛してみたい、とそう強く思ってるけど、僕は愛から程遠い人間だと理解してるから、これに関しては諦めないといけないんだと思う。
僕は何も知らない。本で見たことは所詮、文字で書かれたことであって実感を伴わない。知識がついても、経験はそこにない。知ってるふりをしてるだけ、本当は何も知らない無知。
言いたいこと何一つ言葉にならなくて、頭の中で言葉は巡ってるのに、声にならない。素直な気持ちを話さなきゃって、思えば思うほど喉が詰まる。その度に笑って誤魔化して、逃げてる。ださい、って馬鹿馬鹿しいって凄く思う。何時も言い訳ばっかり。辞めたいのに、こんな自分辞めたいのに。
どうせ何時だって死にたがりの人生だし、負けっぱなしの人生だから、どんなに苦しくても辛くても、情けなくたって、虚勢張って生きてくしかない。
子供らしくはしゃいで、泥んこになって帰る家庭が欲しかった。思い付くままに描かれた、沢山の色鉛筆で描いた落書きみたいな絵を、褒めてくれる家庭が欲しかった。運動会のかけっこで取った四等の景品だって、一番のように褒めてくれる家庭が欲しかった。クラスで嫌いな子の話を、一緒になって怒って話せる家庭が、欲しかった。
おかえり、といってらっしゃい、が欲しかった。おはよう、とおやすみが欲しかった。
それが存在の全てだった、愛だった。
僕は、多分、自分の中で最適だと思えるような言葉を準備する前に、話したらいけない。余計何も言えなくなって、怒らせるだけ、だし。でも、言わないと伝わらないし。言葉って難しい。文字なら、纏められる気がするのに。
そんな家庭は子供にとって理想だね。そんな環境にいたら自分を必ず好きになりそう。
明日はよい日になれば良いけど、青葉は無理そう。
明後日に期待してる(^^;
まだ身体も本調子ではないみたいだね。
そういう家庭が欲しいのに、現実は全然そんなことなくて、でも自分の目の前で楽しそうにしてるとある人は理想とも言える家庭で育っている、そういうことが多くて悲しくなりますね。
無理そう、何ですか‥ ? なら明後日が、青葉さんにとっていい日になることを楽しみにしてます。
今回の検査で何事もなければ快復ってことになるんでしょうけど、結果がまだ出てないので、少し怖いです。
人の親になるにはライセンスが必要とすると良いな、と思う。
国家資格にして試験をパスした人のみ親になれる。
学力は関係なく、人格や精神の安定性を見極める試験。
でも、少子化に拍車をかけるだけか(^^;
検査結果を待ってる間は不安だと思う。嫌なもんだろうね。
一方で、怖い気持ちがあるということは、生きる気力があるということだね。
トーマさんは地獄を垣間見るのと同じ体験をしたのかな?なんて考える。
そこに行くのは嫌だと心底思えたのならば、それはそれで無駄な体験ではなかったのかも。
まあ、トーマさんにとっては、青葉が軽く言えるような生易しい経験では無いだろうね。想像しかできない。
学力が関係なく、人格や精神の安定で見るならいい案だと思うんですけどね‥。少子化と子供の幸せを同じ天秤にかけたらどっちに傾くんでしょうね。子供が寂しい思いをするような家庭なら、無い方がいいって僕は思いますよ。
はい、結果が良くなかったあとの事とかを考えると憂鬱になります。
多分そうなんだろうと思います。記憶はないけれど、意識がなかった間何かあったのかな、何て。起きてからも辛かったので同じような体験はもうしたくないです。
いいんですよ、想像しかできなくても、むしろ想像しようとしてもらえるだけで有り難いことですから。
同じ早さで歩いていくことも、儘ならないなら、最終的に置いていくか置いていかれるか、になってしまうのなら、独りで居た方がいいに決まってる。幸福なんて知らない方がいい。中途半端に人と関わり、それなりの幸福に触れたりなんてしたから、苦しむはめになった。
可もなく、不可もない人間関係を築くのが得意です。僕はそれだけです。そんな自分に辟易する。そこからは動けない。そして、動こうとしない自分に辟易としています。ただそれだけ。
トラウマとなっていたものを、誰かに語れるようになったその時こそが、多少ではあったとしても乗り越えた、ということになるんじゃないだろうか。
使い捨てでも、別に良いかな、と思う。替えのきく代用品でしかなくとも、存在していた事実は残るし、例え嘘でも、ほんの少しだけだったとしても、必要とされていたことは事実なんだから。
確かに救うことがあるね。否めない。
でも、本当にばれないようにしないと、とても傷つけたり傷ついたりする。
血縁関係はべつとして、
本当の本当に、替えのきかない人は稀だと思う。替えがきかないと思い込んでいるだけで。
替えがきかないと思われている人がいなくなったからといって、機能停止する組織はないもんね。
そんなこと言ってるんじゃないのかな、トーマさんは……(^^;
嘘を吐くのなら、ばれない嘘を吐いてほしい、というのは、きっと僕の独り善がりなんだろうな、って判っては居るんですけど、出来ることなら知って傷付きたくないです。でも、本当にばれないようにするなんて、難しいんでしょうね‥。
血縁関係も僕はその中に入るような気がして、駄目ですね。はい、貴方の代わりは居ないって人は良く言いますけど、仮に誰か一人が消えたとして、何が変わるのか最近、考えます。よほどの人材じゃないと変わりはしないんだろうな、と。人が一人消えたくらいじゃ組織も停止しなければ、何か変わる訳じゃないんです、それがどんなに偉い人でも。
血縁関係でも含まれる場合もあるだろうね。
でも、それはある意味凄いこと。
遺伝子というか、本能というか、それら抗いづらいものを超越できるのだから。
ただ、そう思うようになるには、どれ程に辛い思いをすればいいのだろうか、と思う。
栞ね。青葉は栞がないとそのページを折ってしまうよ(・・;)
治したい癖だね。
そう、ですね。きっと普通の家庭なら有り得ないことだと思います。でもそれは誰も悪くないからこそ、辛いんだろうな、とも思います。
どれ程に辛い思いをすればいいのか、ですか。確かにそうですね。ちょっとやそっとのことじゃそんなこと思わないですからね‥。
流石にページを折るのは抵抗があって出来ません。間違えて買った切符やたまにティッシュとかまで挟んでしまうので切実に治したいです。
明日なんか来ないで、全部全部今日で終わればいい、と思うけど、人間はいつだって明日には行けなくて、なら僕の嫌ってる明日って何なんだろう、と寝れない頭で考えていた。
関心と愛情はイコールというのは中々に的を射ていると僕は思う。渦巻く寂しさの原点は、多分ずっとそこにあって、だけど、それをどうやって取り除くのかは判らない。関心を得られなかった過去は清算できない。
下らない話を嬉々とした表情で楽しそうに話ながら汗をかいている親族も、お墓に手を合わせるときは酷く穏やかな静けさと共に厳かになる。不思議な時間でもあった。
でも今僕が産み出している静けさはそんなものではない。逃げたいとか、苦しいとかそういう感情が産み出してる静寂でしかない。それは空虚だ。
眠れないのに寝るとか言って、部屋に逃げてきてしまった‥。それでも何も言われないのは多分そういうことで、昔から何も変わってないのだな、と嫌でも感じる。
帰省が楽しいことではないのに、帰省しなければならないのか。辛いことだね。
ここに来た人達は心に傷を持っていた(と思う)。
だから、みんな似ていた(様に思う)。
また来てくれると良いね。
もう殆ど事務的な物になってるので、意味ないような気もしてますけどね。本当は帰ってきても帰ってこなくても向こうからしたらどうでもいいことなんだろうな、とも思いますし。
この場所がそれを癒すきっかけになれていたのなら良いんですけどね‥。
そうですね、また何時か会えたらいいな、と思ってます。
いつ実家から家に戻れるのだろう?
嫌な時間は短いのが一番。
皆、ここに来ることが楽しかったのは間違いなかったと思うよ。
ここを見ていても、来ることを遠慮してしまうのかな。
恐らくは16日以降だと思います。
それなら未だ良かったかな、と思います。
それはそれで仕方無いですよ、僕こんな、ですし。
ならば、そろそろ日常に帰れるね。
トーマさんに何か問題があるから、という事で来ない訳ではないと思うよ。どうあれ待つことしか出来ないもんね、ここは。
ところで、
「カダラの豚」
トーマさんは読んだ?
そうですね、出来るだけ早く帰れることを祈ってます。
ん-‥、でも来にくくなってるのは僕にも原因があるような気もするので。まあ、真意は本人たちにしか判らないことなので考えても仕方無いんでしょうが。
嗚呼、中島らもさんの小説ですよね。少し前に読みました。
確かに考えても仕方ないね。
そう、中島らも作の。
漫画も出てたんだね。その漫画を読む機会があったんだけど、おそろしく駄作になっていた。原作は面白いのにね。
それはそれとして、何となく中島らもという人がどんな人なのか気になって調べてみたら、ずいぶんと私生活は荒れていたんだね。酒はもちろんドラッグもやってた。精神の病も患っていたみたい。躁鬱病。
太宰を始め、精神的にまともじゃない方が、人を魅了するものを作れる傾向にある気がする。
どうでもいい話だげど、つい暇で。
トーマさんなら聞いてくれるかと思って(^^;
僕には待つことしか出来ないですし、ね。
漫画の存在は知りませんでした。文字で表現された世界を絵で再現するのって中々に難しいんでしょうね。原作は確かに凄く引き込まれます。
嗚呼、確かにそれは思います。中学生辺りからかなり荒れていたらしいですね。でも、どんなに荒れていようとも創作に関しては凄く良いものを作り上げていたような気もします。
感受性が強すぎたり、自己の内面に入りすぎるが故に気を病んだり、そんな自分への救済措置が創作で、しかしそれが結果となって身を蝕んだり‥、きっとそういうことなんだと思います。
いえ、僕もこうやって話せるのは楽しいので。
知らなかったので検索したけど、問題作なんだね。精神にくるみたいだから観るならば気を付けて(・・;)
上映するのは金沢だけ?トーマさんは九州だったかな?そう簡単には観に行けないだろうね。
救済措置が創作かぁ。そうかもしれない。
誰か忘れたけど、もの書きに健全でまともな人間なんていないと言ってた。言ったのは名のある脚本家だったと思う。
それは真実かもしれないね。
でも、作家や脚本家全てが不幸な人なのだろうか。まあ、健全でなくても幸せは感じるのかもしれないけど。
オリンピックのせいで夜更かしの毎日。
今は女子卓球だね。勝てるかな。
元々短編小説の一つだったので読んだことは有るんですが、映像化すると聞いてどうなるのかな、と‥。あ、はい。一応気を付けておきます。
そうなんですよね‥、金沢市でしかやらないみたいなのでかなり遠いです。いえ、本州ですね、僕は。九州地方には旅行で行ったくらいです。
その救済措置によって逆に追い込まれているのだとしたら、皮肉なものですね。
確かにそれも一理あると思います、作家に限らずとも創作といった行為をする人間は嫌でも自身の内面と向き合わなければならない。そうしていく内に可笑しくなるのだって変ではないでしょうから。
不幸かどうかは判りませんが、やはり枯渇していく自分だけの想像や世界に怯えて生きていそうだな、とは思います。そうですね、幸せを感じるための条件に健全さは入ってないでしょうから。
オリンピック、たまに見てますよ。
簡単なことではないでしょうけど、勝てるといいですね。
お帰りなさい!!日常に戻ってきたね。お疲れさま。
でも、ダメージを喰らってきたね(・・;)
帰ってきたのに、とても辛そうだよ。
トーマさんの心を強力にかき乱すものなのかな。実家に滞在することとは。
また年末年始に帰るのかな。帰らなくていい気がするよ。
言わないけど気づいほしい。それは青葉にもある感情だな~
ただいま。そうですね、やっと帰ってこれました。
‥実家はあまり好きじゃないんです。僕の家族は無関心な家庭だったから、特にこれといった楽しい思い出もない。多分他の人からしたら不必要な干渉が無いので羨ましく見えるんでしょうけど、小さい頃からこれといった関心も向けられずに育った僕からしたらあの空間は寂しくて苦しい場所でしかないんです。きっと実家にいること、というより自分の家族と居ることが辛いんだと思います。
判りません、でもまた帰るんだろうな、って思ってはいます。
きっと相手からしたら面倒なんだろうな、と思いつつ願ってしまいます。言わないけど気付いて貰えれば、と。我ながら女々しくて嫌になります。
誰かを、傷つけるくらいなら、自分が傷つく道を選びたい。怖いし辛いし、本当は嫌だ。‥けど、周りにいる人たちを傷つけるのはもっと辛い。誰かのために自分を犠牲にできるくらい強くなりたい。
他人に深く踏み込むには、勇気やら忍耐やら、誠実やらが必要になる。それら全てをすっ飛ばして貴方の内側を見せてください、何て言える人はそうそう居ない。
皆、子供の頃に戻りたい、と口にするけれど、僕は子供の頃になんて戻りたくない。良いことなんて、一つも存在しない。辛くて痛くて苦しくて寂しいのは嫌だ。もし戻ってしまったら真っ先に死ぬと思う。子供の頃に戻るくらいなら今のままでいい。
やることがないと図書館に入り浸ってしまう‥。つい三冊も借りてきてしまったけど、読みきれるかな。いや、無理だったらまた借りればいい話なんだけど。
願望を意思として捉えてしまうと、目を奪うほどに綺麗でキラキラと輝くステンドグラスも、薄っぺらいコンクリートのようなものに変わってしまう。
過去は好きじゃない。でもそれ以外に縋れるものがない。駄目だって判ってるけれど、不安にかられて、何かに縋ること以外、不安をやり過ごす方法が判らない。
続ける苦しさも、辞める辛さも、全部全部忘れることが出来たら良かったのに。そうすれば自分の好きなことも、ただただ純粋な気持ちのまま続けられて、嫌になったら辞めよう、と簡単に辞められた、かもしれないのに。
続けるのは苦しけど、辞めるのは辛いこと。それは世の中よくあることだと思う。二つの価値が発生している状況は矛盾との戦いだね。
トーマさんは何を指しているのだろう。
ここも1,000を軽く超えている。
全くズレた考えかもしれないけど、ここのことかもしれないと思った。
凄く難しいことばかりだと思います。辞めても楽になれる訳じゃない、その事実がじわじわと身を蝕んで、何が正解なのか判らなくなります。
自分でも良く判らないのです。気付いたら1000を越えていて、僕も少し驚いてます。
辞めて、イコール、逃げて、辛さから逃れることは出来る。でも、辞めたことで別の辛さが生まれる。
そんなことを感じない鈍感さが欲しいと思う。
鈍感力とはよく言ったものだね。将に力。生きるうえでの武器。
どんなことであれ、数を重ねたのは凄いことだと思うよ。
せっかくだら10,000まで行こうか(^ー^)
まあ、それまでに胎内から出たら、それはそれで良いこと。
辞めること、逃げること、それらを行ったときに残るのは罪悪感と、良く判らないモヤモヤとしたものだと思います。そうですね、鈍感であることは自分を救う何かであるとも思います。
そう、ですかね ? いけたらいきたいな、と思ってます。未だ難しそうですし。
とは言え、鈍感は何だか馬鹿っぽいイメージがある。
繊細と鈍感。どっちもより良い程度で身についていると幸せなのに。
10,000なんて数字を出してけしかけてしまったけど、気にしないでね(^^;
青葉は毎日ここに来るわけではないけど、これからも顔を出していくうもりだよ。
鈍感のレベルにもよるんでしょうね‥。鈍感すぎても繊細や過敏すぎても、それはきっと良いことでは無いんだろう、と思います。
嗚呼、はい。大丈夫ですよ。
それは有り難いな、って思います。嬉しいです。
青葉は小説を書くのをやめている。でも写真を撮っている。Instagramもやってる。
小説を書くのも自己表現だげど、写真もそうだと思う。写真も意外と各々の感性が色濃く出るんだよね。
この前、友人がInstagramに軍艦島の写真をアップしていたんだよ。
それで、トーマさんが軍艦島に行ったことを思い出して……どんな写真をトーマさんは撮ったかなと興味が湧いたんだよ。
トーマーさんはInstagramはやってないの?
Instagramにアップした青葉の写真の一部。
ここでも写真をアップできるね。
トーマさんをInstagramに誘い込むまでもなかった(^^)
嫌でなければトーマさんの写真も見せてね。もちろん気が進まなければいいよ。
ただ、青葉の写真の感想は聞いてみたい。
小説の時といい、何だか押し売りしてるね(^^;
そうですね、写真は特にそういうのが顕著に表れるような気がします。僕の写真なんて大したことないですよ。Instagramはやってませんね、あまりやりたいとも思えなくて‥。
嗚呼、はい、何かいいものが撮れたら載せてみます。凄く綺麗に撮れてると思いますよ、僕は好きです。
気にしないで下さいね。僕みたいなのは外部から勧められないとあまり他のものに触れないので。
ここ最近あまり体調が優れなくて中々起き上がれないんですよ、頭が痛かったり気分が悪かったり‥。怠くて病院にも行けてないんです。
無理してでも病院に行くべきだと思うけど……。
歩くことや運転が無理ならばタクシー呼んで行こうよ。
少し長引いてるみたいだからトーマさん自身も心配でしょう?
行って、薬なり何なり対処する術をものにしよう。薬があれば安心出来ると思う。
早く行くことにこしたことはないよ。
自律神経にはビタミンがいいなんて話だげど、とにかくトーマさんは何でもいいから食べることなんじゃないかな。
暫くは、喰う寝る遊ぶ
で良いんだよ。
良かった。もう来ないのかと思った。
申し訳ない気持ちがあるのか(^^;
トーマさんにはもっと自由になってほしい。
でも、だからこそトーマさんなんだと安心もするね。
意味不明に感じるかもしれないけど、
ストレートにそう感じるだよ。
流石に来なくなることは無いですよ。此処にいること自体が苦しくなったりしない限りは来ます。
はい、周囲の人が頑張っている中で自分だけふらふらと遊んでいるのは、どうなんだろうって思います。これでも結構自由に生かされてる身だと思います。
親にして貰いたかったことを他人に求めても意味がないことくらい知ってる。それは他人がしてくれた事であって、親がしてくれたことじゃない。帰省するときのように、向こうが此方に対して別れを告げていても、未だに会いに行くのはそういうことなんだろうなあ。
そう、ですね。やっとマシになりました。
季節の変わり目なので体調には気を付けてください。‥何だか判る気がします。夏の終わりが近付くと不思議と寂しさを感じます、夏は生命に満ちているのに、秋や冬はそれをあまり感じなくなるからでしょうかね‥。
確かに怖いことはたくさんあるね。
色々と。
怖いといえば、
話の腰を折るようだけど、
宇宙を考えると、とても怖い。
規模を考えると目眩がしそう。
恒星の数だけでも考えると気が遠くなる。
ビックバン以前のことを考えると恐ろしい。
人の無力さ、自分の小ささを恐怖する。
駄目ですね、恐怖心から逃げる術が欲しくて、色んなものをシャットアウトしても全然、駄目です、
宇宙は確かに怖いです、永遠の暗闇とは言わないのでしょうけど、近い何かを感じます。
確かにビッグバン以前のことを考えると形容しがたい恐怖を感じますね。
恐怖心は人の生存を守る為にあるのにね。
過度に感じないようなメカニズムを構築してほしかった。
いやいや、進化してほしかった、と言うべきかな。
そうなんだよね。形容の出来ない恐怖があるんだよね。
天文学者は精神的に強いと思う。
恐怖心から逃れるために死を選ぶ人も居るでしょうから難しいところですね、人を守るために存在していたはずのものが命を奪うなんて皮肉です。
簡単に見ることが出来るわけじゃ無いからこそ、怖いです。天文学は嫌いではないですが、得たいの知れない宇宙と向き合い続けていられるほど、精神強くないので、すごいなと思います。
確かに恐怖心から逃れる為に究極の選択をする場合が人間にはあるね。皮肉だ。
そんな状況が一生無いことを願うよ。
このところ「皇国の守護者」を人から薦められて読んでた。
読む本によっては非常に疲れるんだよね。
読みきったということは面白く読んだということなんだろうけど。
お返事遅れてすみません‥。
青葉さんならきっと大丈夫だと思いますよ。
聞いたことのない本ですね、今度僕も読んでみようかな、と思います。確かにひどく疲れる本というのは一定の数存在するように感じます。合わなくて頁を捲るのさえも億劫な本。どうしようもないですよね。
そうだったのか……
良いことなんて言って申し訳ないです。
何かやりたいことを見つけたのかと思ってしまった。
大変だったんだね。
嗚呼、いえ。謝ることなんて何一つとして無いですよ、知らなかったのだから仕方が無いです。それに僕自身がここに顔を出さなかったのも、そう思わせてしまった原因でしょうから。そう、ですね。大変だったのかもしれません。あまり現実味がないのでよく分からないです。
現実味がないということは、非日常の日々を送っていたということだね。
こんな時はどんな言葉が適切なのかな。
よくわからない。
言葉が今は出ない。
意図的に離れてみたけど、外になんて出れないで、ただただ死んだように眠るか本を読むかのどれかしかしてなかった、駄目だなあ。
男なんだからしっかりしろ、って言われても言い返せないな。その通りだし、僕自身こんな自分嫌いだし、情けないとしか言いようがない。
布団と食器、調理器具が殆どないような家に住んでるもんだから、感覚としては死んでるのと変わりない。お金がないというより、買いにいくのが億劫。
一度でも好きになった何かを嫌いになんてなれるわけがなくて、それはつまり一度でも苦手だと思ったものを簡単に好きにはなれないってことでもある、苦しい。
‥もう辞める、外の世界に憧れを抱くのも、伸ばされた手を信じて、すがるのも。全部辞める、掴んだ手を振り払われる位なら、憧れた世界に深く傷つけられる位なら、もう何も見ないでいた方がいい。誰も信じない方がいい。どうしてあのとき、気付けなかったんだろう。自分が人並みの幸せを得られるなんて、そんなわけないのにね。
後悔ばっかりの人生だ。人を一度でも信じようとしたこと、自分も人並みに幸せになれるんだ、と過信したこと、他人の手にすがろうとしてしまったこと、全部全部、やらない方が良かったよ。
手に負えなくて見捨てるくらいなら、手なんて伸ばさないでほしかった。無理だってわかっているなら、光なんて見せないでほしかった。望みなんて抱かせないで欲しかった。
もし、最後に一つだけ願いを言っていいのであれば、僕なんかと関わってくれた人たちに会いたいな、そして謝りたい。全部謝りたい、足りないし、一生をかけても返していけないことだけど、ただただ謝罪をしたい。
もう遅いね。上がってしまえば、この頃専らロム専の青葉は目ざとく読むよ!
こことて、人との関わりの場所。確かにリアルでは会うことのない薄い関わりの場所にしても。
トーマさんは完全に人との関わりを否定したわけではないのだと思う。
今また、このくらいの関わりが良いのかもしれない。
いろいろと辛いことがあったみたいだね。
帰れる胎内があったのは幸せだと思うよ。
また必ず胎内から出るときが来るよ。トーマさんが望む望まないは別としてね。
お久し振りです、色々迷惑かけて申し訳ありませんでした‥。そう、なんですかね、自分のことなのに善く判らない位には参ってるみたいです。此処に来るのを控えていた間、沢山の人と関わりましたが、やっぱり外の世界は怖くて苦しいです。善いことも有りましたが、嫌な思いをした事の方が多かったのです。
また出るときが来たら、その時はどうするべきかを少しずつ考えられるくらいの余裕を得られたら良いな、と思っています。
久しぶり!
何ら謝ることはないよ。
そうだね。余裕が出てくるといいね。
たくさんの人と関わって善いこともあったんだね。
全てが辛いことでなくて良かったね。
それに、この期間で人に教える立場になったのは能力があるんだね。
問題は人との距離感なのかな?分からないけど。
今は参ってるんだから休息だね。
青葉さんは優しいので、そう言って下さるのは予想していましたが、謝らないと申し訳ない気持ちが消せないと言いますか‥。結局は僕の自己満足なんですけど、迷惑かけたと思っているので。
今は心がざわついてるような気がして、不安で堪らないので、少し難しいかもしれませんけど、ね。
悪いことばかりだったら、多分此処にも戻ってくることなく本当に何処か遠くに消えてたと思います。人の優しさに触れた分、傷付いたことも有りましたし、信じようとして手のひらを返されたことも有りました。人生良いことばかりじゃないのは判ってますけど、きつかったのは事実です。
僕には無理だって言ったんですけど、何か押しきられちゃって‥、人に教えるというのをやったことがないので不安な日々です。
判りません、元々人が好きじゃないのもあるのか疲れやすくて、上手くいかないんですよ。
そう、ですね、情けない話です。
明日部屋を掃除することにしようかな、夜中に出来るところは少しやって。それで行けそうなら明日、無理なら明後日、本を返しに図書館に行くことにする。
本は何時も読んでいるけど、読むのが早い訳じゃないから数をこなしてはいなくて、映画も気になったものばかりを選んで観ているから、価値観も思考も固定化されがち‥。
綺麗に感じた筈の言葉も、時が経てば真っ黒に見えて、綺麗に感じられなくなってしまう。言葉には使用期限があるのかもしれない。感情の熱が冷めてしまう。
夜はやっぱり怖くて好きになれない。余計なことばかり脳内を巡るから嫌だ、寝れるのが一番良いんだけど睡魔は来ないし、寝れないのに目を閉じようとすると嫌なことがフラッシュバックして動けなくなる。
人の吐いた言葉が全て嘘だとは思っていないけど、心の奥底の何処かでは、またきっと見捨てられると疑わない自分がいて、そんな自分が何よりも憎たらしい。
人と会話してても敬語を取るタイミングが掴めなくて、何度も会ってるのにずっと敬語の人とか居る。敬語の方が話しやすいのも有るけど、ね。
自分がこう思ってるから相手も同じことを思ってる何てことが有り得ないから、怖い。気持ちのすれ違いとまではいかないけど、何かしらの相違はあって、それが何時か取り返しのつかないズレになる。
そろそろパソコン買い換えないと、まずいかな‥。恐ろしく調子が悪い。でも機械音痴だから絶対に繋ぎ方とか間違える気がする‥。
何かを食べて美味しいと感じたことない。食事を生きていくための作業の一つ、としか考えられてないからなんだろうけど、人に作ってもらったりしたときに本心から美味しいと言えないことが申し訳無くて苦しい。
悲しさも苦しさも全部全部、何時かは慣れるものだと思っていたけど、そんなことはなくて、嗚呼、やっぱり僕は弱いんだ、って虚しくなった。
世界の愛し方とか判らない、自分のことも好きじゃないのに、‥無理だと判っては居るけど、世界を愛せたら見方も変わるのかな、何て。
欲しいもの沢山有るけど、望める立場じゃないし、持てる数にも限界がある。何かを得てもポロポロ溢れてしまう、何かを得た代償かのように。
否、本当に人に教えるの向いてない気がして駄目だ。これで大丈夫なのか、っていう不安が拭い去れないし、終わったときの疲労感が凄い。大丈夫って言ってくれるんだけど、それを素直に受け止められるほどの器がない‥。
最近気になってる作家の小説、図書館で探したんだけど、無くて代わりに海外の作家の本だけ借りてきた。夜中に読もうかな、寝れる気がしないし。
許されたい気持ちが日に日に強くなるけれど、その感情が強くなればなるほど、誰に許されたいのか判らなくなっていく。それは鎖のように縛るから、逃げられない。
信頼が崩れる瞬間を見た、僕ではなくて、他の人の間で起きたこと、だけど。積み上げるのは大変でも、崩れるのは本当に一瞬なんだな、と思った。
一人はどんなに頑張ったところで、二人にはなれないんだよ、判ってた筈なのに、何でそれを望んだんだろう、だから余計に苦しむはめになった。
相手が自分のことを忘れた時点で、僕自身も相手を忘れられるような、そんなシステムが欲しい。相手は忘れているのに、自分だけ覚えていて、その人ともう二度と会えないというのに、来るはずもない次を待つはめになったら、それは耐えられることではないよ。
おかえりといってらっしゃい、おやすみとおはよう、それだけで良かった。それだけでも十分だった、それが存在の全てで、居場所と誇り、そして愛だった。それも得られずに、そんな場所から別れを告げられる、それは未来を絶たれた純粋な不幸だよ。
別れを告げられたとしても、未練がましく帰省するのは、得られなかった関心を、取り戻そうとしているからなんだろうな、辞めるべきだと思っているし、過去はどんなに藻掻いても変えられない。余計に傷付くだけだと知っているのに、辞めることも出来ない。
自分の意思が常に第三者に支配されているような感覚だし、この人生は自分のものであると思っている反面、他の誰かの物のような感覚もある、そこに主体がない。
優秀な兄弟を持つということは辛いのだろうか、世間的に大きなことを成し遂げても、その行いが兄弟以下であると、自分で凄いことだと思えなくなり、永遠に満たされないことが有るのだろうか。身近な人に褒められても、素直に受け止められなかったり、皮肉に聞こえたりするのだろうか。一人っ子の僕には判らない。
最初から人と関わるべきではなかったんだろう、と思う。一人である選択肢以外、知らなければ、一人でいる苦しさや寂しさ、そう言った類いの感情に苦しめられる事も無かったんだ。
何も考えずに居られたら、過去の経験がフラッシュバックし、思考を縛り付け、動き出せなくなってしまう様なことは起きないのかな、‥だけど、思考をしなければ脳は錆びて、使い物にならなくなってしまう。それは僕の望んだことではない。
死にたいとは違う、そうじゃなくて、消えてしまいたい。存在が消えたら良いな、と思う。人の記憶からも、消えてしまえたら、それでいい。主体性もなく、過去に囚われ、自分の価値も自分で見出だせない人間何て、それこそ代わりは沢山居るし、誰も求めないよ。判りきってた筈なのに。
確かにドミノかもね。
でも、恐れていても良いことはない。
割りきりだと思う。
万人に好かれることは不可能だから。
自分にとって心地の善い人と一緒にいればいいんだと思う。
その人との信頼関係が崩れたらそれまで、という割りきりもあればね。
仕事での関係ならば、仕事に徹する関係であることで良いかな。馴れ合いは仕事の妨げだよ。
信頼は築くのにどれだけ苦労したとしても、崩れるのは本当に一瞬で怖いんです。自分の意図しない所で音を立てて崩れたとき、それを再構築しようと思える自信が僕にはない、一度壊れたらトラウマとなって脳内にこびりつく気がして、駄目なんです。
心地の善い人、ですか。居るような居ないような、っいう微妙なラインですね‥。
馴れ合いは確かに妨げになるかもしれませんが、割りと多くの人がそれを行っているじゃないですか、それを上手く出来ない自分に自己嫌悪を感じます‥。
昔、本当にまだ小学校にも上がっていないような頃、親が消し忘れたであろう煙草の残り火で遊ぶのが辞められなかった時があった。本当はいけない行為だと脳の片隅では理解していたんだけど、小さい赤い粒のようなものが、紙を近付けるだけで大きなものに変化するその変化が好きで、辞めるに辞められなくなった。知らない間に、それはやらなくなったけれど、あのとき、自分しかいない家で見た火が、今でも忘れられない。
人間の感情は移ろいやすい、大切だったはずの物も、好きだったはずの誰かも、不意にその価値が色褪せたように見え、大切という枠、好きという枠から弾き出される。そこに罪悪感など感じることなく、当たり前の作業として、人は色んなものを切り捨てる。
全て失って、吐き出して、傷の絶えない体を奮わせて掴もうとする未来だって、相応しくないと切り捨てられてしまえば終わり、他の誰かに持っていかれてしまう。
全部お前のせいだ、も楽だ。全部自分のせいだ、も楽だ。難しいのは其処からどうやって次に行くか。大人になれないままで居たくない。
持ち上げといて突き落とされるくらいなら、僕は持ち上げられたくない。希望や光といったものも見せてほしくない。覚めて絶望する夢ならば、幸せな夢なんて見れなくて善いよ。
本当は1000越えたら建て直そうと思っていたんだけど、記録をリセットするのは気が引けたから、やっぱり使い続けることにした。記録が身を蝕むことも無い訳じゃないけど、嫌な記録だけじゃないから取っておきたかった。
やっぱり、嫌だな、とか、こうなってほしくない、とか、思えば思うほどそうなっていっている様な気がする、避けたかった筈の未来なのに。
近頃、自覚出来る範囲での感情が殆ど振れなくなってしまった。嬉しいも、悲しいも。麻痺なのか逃避なのか、消失なのか判らないけれど、人間の防衛本能は善く出来てるなあ、と思った。苦しみもそのまま、消えたら善いのに、何て。
明日は数少ない友人と出掛けなきゃならないから、早く寝たいんだけど、そう思えば思うほど、眠気が消える。そして不安が部屋中に溜まり、喉を締め付ける。
子供の頃は、自分もきっと立派で素敵な大人になるんだと思っていた。そんな大人になって、過去の自分を少しでも救えたら善いな、何て都合の善いことを考えてた。
その時感じていたことを、少し経ってから読み返すと、今と昔じゃ感じ方が違うな、と思うことが多々有って、この時はこう感じていたけれど、今はこう考えるであろう、ということで、昔の書き込みを少し変えて載せてみたりしている。
夜にも食事連れてってくれるらしいんだけど、僕なんかと出掛けて楽しいのか不安になる。別に面白い話が出来る訳じゃないし、友人で居てくれるのは有り難いけど、それと同時に申し訳なさを感じる。
目まぐるしく変化していく世界に置いていかれる。変化することはある意味、変わっていないのだから、変わっていない僕だけが変わっている様な錯覚に落ちる。変わることが怖い、変化は進化じゃなくて劣化になる。
助けて欲しい、と願うくせに、手を伸ばしてもいないから誰も掴んでくれないのは判ってる。だけど、どうせまた離されるから、必死に伸ばした手だって掴んで貰えるのは一瞬で、また逆さに落ちるはめになる。判ってるよ、望むに値しない存在だって。
折角寝てたのに、自分の唸り声というか、最早叫び声に近い声で目が覚めた‥、変な汗かいたし、心拍も凄いし、嫌な夢を見た自覚はあるけど思い返したくない。
今さらだけど、「アルジャーノンに花束を」読んでみたんだけど、結構面白かった。前から気になっては居たけど、読む機会無かったし、借りて良かった。
正しく在ろうとすればするほど、沢山の物を失って、自分の無能さに気付かされる。そしてそれを、ひたすら見て見ぬふりして、逃げてきた結果、正しさとは無縁の方向に進んで行っているような気がする。
そんな狡い生き方をしてると何時か痛い目みるぞ!って言われる人は、意外と痛い目見ずに最後まで狡猾にやっていく。ちょっとずつ周囲の善意と時間を盗みながら。
何時かの日にも言ってくれましたよね、叙情詩の様だ、と。未だにその感覚が僕自身にはピン、と来ていませんが、僕なんかが吐いた言葉を誰かが見て、共感し、何かしらの力になれたのであれば、それは幸福なことだろうと思います。
自分の才能、能力の無さを何かのせいにしてはいけない。何時だって自分と闘わなきゃいけない。やってこなかったツケとやっても出来ない理不尽さと、先天的な何かと後天的な何かを、全部引っくるめて背負わなきゃいけない。ひたすら泥臭い己に没入していかなければいけない。言い訳したら敗けだ‥。
あ、今日もしかしなくとも十五夜なのか、何故か近所の人にお団子貰ったから何事かと思ったけど、納得。でも多分月見えないだろうな、背の高い建物ばかりだし。
人から奪った幸福で、幸せに生きている人間は、きっと何時か同じ様に奪われてしまう。奪った過去のある人間は、奪われても文句は言えない。相手がしてきたことは、過去の自分がしたことと同じことだから。
眠る為の音楽もあるくらいだから、辞める必要はないのでは?
音楽を聴きながら寝てしまうと、夢見に影響はあるのかな?
あるなら寧ろ聴いて寝る方がいいかも。
楽しい夢とまではいかなくても、悪夢を見ないで済む音楽というのがあればの話なんだけど……
どんな音楽でも聴きながら横になると、眠ってしまうことが多いんですよね‥。耳にも良くなさそうですし、何よりイヤホンが絡まるので、辞めた方が善いのかな、とも思うんですが、無理に辞めなくても善いんでしょうか‥。
札束や尊厳を対価にしても、手に入らないものがある。愛を捧げるという言葉は、この場合、完全な間違いで、胸中に渦巻く感情を自己から切り離して、支払うことは出来ない。行き場を無くした幸福な匂いは、温かな毒になって全身を回る。
絡まるならばワイヤレスかな。
わりとたくさん音楽聴きながら寝る人はいそうだよ。
確かに耳には良くないかもね。
音量は程ほどに。
絡まるならばワイヤレスかな。
わりとたくさん音楽聴きながら寝る人はいそうだよ。
確かに耳には良くないかもね。
音量は程ほどに。
ワイヤレスも善さそうですよね、今度はワイヤレスにしようか、検討してみます。
音楽聴く人は、確かに多そうですよね。意図してるのか意図していないのかは判りませんが‥。
音量は、かなり小さめにしてるんで問題はないかと思いますが、気を付けます。
駄目な日が続くと、次の日の自分に期待してしまう、そして次の日の自分も、またその次の日の自分に期待するんだろうな、何て、情けないね。
思想というものは、個人の理想であって、世界の願望ではない。したがって、何者にも押し付けられるものではない。それは、許されないこと。
そうだね。皆がそう思えれば理想だね。
思想の違いで戦争が絶えない。
思想、理想の違いでね。
個人の理想はそれぞれだから、総ての人が幸せを感じる理想郷はあり得ないよね。
ユートピアも、桃源郷も、シャンバラも、エル・ドラドも、蓬莱も……
世界中で理想郷の伝説はあるけど、なかなか辿り着けないって設定になる。だって理想郷という言葉が矛盾してるもんね。
理想郷=幻 だね。
理想は個人のものであって、大勢のものではない。
皆がトーマさんのように考えたらいいと思うけど、それは理想だから、あり得ないんだろうね。
纏まらない主張だよね。
まあ、いっか(^^;
思想というのは、環境によって形成されるので、統一することは難しいですし、統一したからといって、本当にそれが幸せに成りうるのかと問われれば、答えは否、だと僕は思います。
環境を同じにしても、同じ理想を全ての人間が持つことも不可能ですから、難しいですね。思想の違いによる理想の違いが、人間同士での確執になってしまっているのであれば、それは凄く悲しいことだと思います。
国のトップの理想が、国全体の理想に置き換えられてしまうことも、最近は増えているような気がして、怖いです。
僕の考え方も、偏りが有るので何とも言えませんが、他人と自分の違いを明確に持てるような世界であってほしいです。多種多様な考えがあることを、認められる世界があれば、理想的です。
日々移ろい行く生活の変化は、つまるところ劣化でしかなく、自分専用の罰とか業の様なもので、粉々に潰されるまで、頭を抱えて生きるしかない。
この世界は、優しい人の優しさが利用され、何かを成し遂げることが早い人間ほど酷使される。周囲と同じ報酬で酷使される。人の目を盗み、ズルをする人間は楽を出来るのに、真面目な人は疲弊していくだけ。優しい人、真面目な人ほど損をする。歪な世界に生きてる。
汚れていない命、美しい心を、僕は何処かに置いてきてしまったのかもしれない。取りに戻ることすらも出来ないところまで来てしまった。
汚れていない命、美しい心、
それを大人で持ち続けるは不可能に近いと思う。
嘆くことはないよ。
トーマさんは、性善説の支持者だね。
子供の頃に比べて、少しずつ感情の起伏も無くなってきて、綺麗な風景や素敵な作品を見ても、何かを感じ取れなくなっていくのが怖いです。それが大人になることだと云うのであれば、僕は耐えられない気がします。子供にも戻れず、きちんとした大人にもなれないまま、大人と呼ばれる歳になって、置いていかれた気分です。
性善説を信じては居ないような気がします、ただ人は生まれ変わっても同じ罪を繰り返す生き物だと思っていて、だからこそ汚れていない命を、美しい心を持っていたいんです。
久し振りに寺山修司さんの詩集を読んだ、独特な世界観から吐き出される言葉は、きっと色褪せることはなくて、何時か触れてみたいな、と思えるほどの作品だ。
決して間違わない様に、丁寧な選択をしなければならないし、万が一、間違えても、止まない歩みの中で正していかなければならない。それから、美徳を研ぎ澄ましていかなければならないし、明日を信じなければいけない。今の僕は内圧が低い。それでも、何時か正解を選び取りたい、と願っている。
自分自身を自由にすること、ですか‥。僕はこれでも自由を与えているつもりだったんですが、未だ足りていないんですかね。自由というものを根本的に判っていない可能性もありますが、少し難しいです‥。
ここが唯一の、僕が自由に扱える居場所であるから、毎日来ては居るけれど、とりとめもない思考を言葉にするのに時間が掛かって、全てを吐き出すことが叶わない。
思考を言葉にするのに時間が掛かる時はもどかしいだろうね。とりとめないならば、纏めるのは大変だと思う。
「とりとめもない思考」というフレーズに少しビックリした。一文字少ないけど、「とりとめない思考」というトピを数年前に作ったんだよ。
人が来なくなってからは、ほとんど放置状態だけどね。
沢山書きたい言葉がある筈なのに、言葉を選ぶのに時間が掛かってしまう様なんです。それでも口にするよりは幾分かマシなのですが‥、難しいですね。
あ、ええっと、確か何時かの日に僕に教えてくださった場所、ですよね ? 意識したつもりは無かったんですが、似たようなフレーズになってしまったみたいで、申し訳無い限りです、
日本語に表現が有りすぎるからかな。それだけトーマさんが言葉を知っているということだね。
教えたことがあったね。忘れていた(^^;
謝ることはないよ。言葉の表現は万人のものだもの。青葉より先に使った人も星の数。
沢山有る言葉の中から、自分の伝えたいものに綺麗にヒットする言葉を探すのが苦手みたいです。出来るだけ判りやすく伝えられたら善いな、っていう只の自己満足なんですが‥。
結構前ですから、忘れていても問題はないですよ。僕が偶然覚えていただけです。
それはそうなんですけど、何となく申し訳無いな、と思いまして。
例え自己判断だとしても、優れていない表現は守られるべきではないと思うことがあって、でも、それを人に押し付けるつもりない。あくまで僕個人の話。主観を客観に変えてもその判断は変わらない。そして僕の中で、僕という存在はその優れていない表現に当てはまる。
全ては繰り返しの物語であって、過ちも欺瞞も憎しみも愛も、明日も明後日も、来世も来々世も、繰り返すと思う。だから、終わらないけど、終わりにしたと自分を騙して覚悟して涙こらえて、明日を見るしかないと思うのです。
何度も云うけど、僕という人間は自分の不幸だけを眼前に置いて、他者の不幸には目もくれず、幸福だけに目を向けて、羨む様な卑しい人間だから、消えてしまいたくなる。好かれるような人間じゃない。
価値を一度失ったら、取り返すことは本当は無くて、馬鹿になって気付かないふりをするか、周囲の善意や好意を上手く使って見えなくするしかない。
安心、居場所、無償の愛、許しと温かな血縁、幸せな食卓、それからその他、の僕が代償として捨ててきたもの、本当は手放したくなかった筈のもの、それらがどんなものだったか、何てもう思い出せないよ。
得たもの、ですか。得たかった筈なのに得られなかったものは僕が望んだ未来、ですが、あれらを犠牲にして何を得たかと問われたときに、答えられる自信がありません、何かを得たような気もしますが、何も得られなかった気持ちの方が強いのです‥。
昨日は台風の通る風の音で、窓が割れるんじゃないかと冷や冷やしていたけれど、いざ台風が過ぎ去ってから、外を見て、眩しいなって思わず目を細める瞬間が僕は好きだったりする。
何も得られなかったのか。
代償は無かったんだね。
でも、後で得たものに気付くのかもしれない。
それを待とうか。
きっと、何かを得たんだと思うよ。
僕が得たかった、例えば望んだ未来や綺麗な心、そう言ったものは、祈りの強い人間の元へと真っ先に受け渡されていきます。得るために沢山の物を犠牲にしたつもりで居ましたが、足りなかったんだろうな、と僕は思っています。
もしも、青葉さんの言ったように得たものが有ったと気付けるのならば、僕は待っていたい、と思います。
やはり楽しい楽しくないより、正しい正しくない、で生きていたい。過去の言葉に縛られているだけかも知れないけれど、正しく居なきゃならない、間違いを正さなきゃならない。それが出来なきゃ、きっと終わってしまう。
それも、善いかもしれませんね。お金があれば、何てことはあまり言いたくないですけど、大抵の事は苦労せずに済むでしょうし‥。
そんなことないですよ、お金持ちになりたいという願いは殆どの人間が抱いている願望だと思います、お金持ちは無理でも、お金に苦労したくないという願望も含めて。僕は青葉さんを人間らしいと感じます、言われて嬉しいかは判りませんが‥。
最近寒くて寝るのが辛いんだよね、普通に布団買えば善いだけなんだけど、昔から床とかソファで寝ていたから買う気にもなれない‥。
他人は自分じゃないから、利害が一致しないのが当たり前で、利害が一致しないなら味方ではない。味方じゃないなら自分に優しい対応を求めるのは筋が違う。奇跡的に利害が一致した人が居たら大切にすれば良い。他人が優しい前提で生きてるとそれは辛い。揉めるに決まってる。
僕の人生は三文芝居の様な人生だなあ、って毎日思うよ。観客なんて居やしないし、本当は舞台上でやるだけ無駄なんだけど、始めてしまった訳だから、勝手に終わらせる訳にもいかない。一度でも舞台から降りてしまえば、そこにあるのは本格的な死のみ。
夜が一番怖いのは今も変わらない。扉の向こう側に得体の知れない恐怖が転がっていて、それはじわじわと迫ってきて、扉だけじゃなく、窓まで激しく叩くから。近寄れない。
脳に染み付いた劣等感が行動をセーブする、だから常に何かを作らないで居られたら、と思うけど、やはり言葉を吐くという一種の創作を覚えてしまった人間は其処から逃げられないんだ。無心で楽しめないものを永遠にやらされ続けるはめになる。
人生において、とんでもないほどに自分に自信が無いけれど、理由は判ってるんだよ。自信を持てるようなことを何一つとしてやっていないからなんだろうけれど、未だに何も達成出来ていないから、もう駄目なのかな。
自分に認められたい気持ち、自分に許されたい気持ち、親から無償で愛されたかった欲を、他人に押し付けたって上手くいかないよね。判ってるよ、判ってるのに、もうどれもこれも叶わないから。
我慢、我慢、我慢の毎日で、人と人とに擦り合わされ、削り取られ、失うものも失って、甘い言葉も虚しく、何も得られず、ただの抜け殻となってしまった。抜け殻となって一層、能力も価値も魅力もなくなり、人間のクズとなり、捨てられ、布団の上で一日を無駄に過ごすだけ。何でこんな人間になってしまったんだろう。
風の強い日は好きじゃない。ガタガタと窓を大きく揺らす音が、閉め切られた部屋に強引に入ってこようとする得体の知れない恐怖の存在を増長させる、逃げ道はないのだから、余計に怖い。
常に何も考えずに、怖いことから、全力で逃げられたら、それが一番善い。でもそんなことをしたら、本当に誰からも許されなくなってしまう、許しと居場所、それから愛を望む僕からしたら、それは死よりも辛い状況だ。逃げることに慣れすぎてしまった、向き合えない辛さと、向き合っても辛い事実を抱いて眠るしかない。
許し?
トーマさんは誰から許されたいの?
対象がいるのかな。
それから、愛をトーマさんは求めてるのか。
それも対象がいるのなか。
誰でもいいということはないよね。
風の強い日は青葉も嫌い。
カーテンを僅かに揺らす風が好き。
一番許されたい対象は、きっと自分自身、なんだと思います。でも僕は未だに自分を許せないでいます。きっと死ぬまで許せないんだろうな、と思っています。過去の自分への罪悪感も、其処から来てるんだと思います。あやふやですが、そんな気がするんです。
個人的な愛情が全てです、親から与えられるはずだった無償の愛を他人に求めても無意味なのは判っていますが、もう親からは与えて貰えないのも理解していて、だから、今はもう誰かに愛されたいとか、そういう決められた人は居ないと思います。
風が強いと怖いです、浮いている自分なんて何処かに連れ去られて消えてしまうような感じがします。そよ風のような優しく頬を撫でるような風の方が丁度よくて好きです、僕も。
消えない過去か。
そこまで自分を責めて赦さないとは、余程のことがあったんだね。
トーマさんが親を好きなのか嫌いなのか分からないけど、親という存在を意識するだけで、トーマさんは傷つくんだね。
親は子供に無償の愛を与えるもの。それは必然。それがなかったのだからトーマさんが傷つくのは当然。しかし、自分を責めることはないと思う。必然のことが出来なかった親をもつ子供だっただけのこと。
感じたことを素直を書いたけど、トーマさんの親を批判しているね。ごめんね。
過去は、どんなに忌み嫌っても隠せない上に、やり直せない。その事実が自分を責める気持ちを加速させる気がするんです、責めたって仕方がないのは判っています。判っているけれど、責め続けなければやっていけない気がします、周りは優しい人ばかりだから、それに甘えてはいけないんです。
僕にもそれは判らないです、ただ寂しかった記憶だけがあります。親を恨めたら、きっと楽なんでしょう、でも僕にはそれが出来ません、親に別れを告げられても、みっともなくすがってしまう僕は、完全に親と自分を切り離せていないのかもしれません。
自分を責めることを辞めてしまったら、きっと他の誰かにその感情をぶつけてしまう、でもそれを僕は望んでいないです、他の誰かを責めてしまうくらいなら、僕は自分を責めます。
‥それに関しては、僕は特に何も思わないので大丈夫ですよ、思い方は人それぞれですから。
親に別れを告げられるなんて、何とも哀しいことだね。でも帰省はしているんでしょう?
最近はしなかったみたいたけど、帰ろうと思えば数日は帰れるんだよね?完全に親と離れたんじゃないよね?
別れを告げられたのは事実です、でも僕にはあの家族以外に帰る場所はありません。本音を言えばあの家に帰るのだって苦しいです、でも僕が自分の意思で帰ることを辞めてしまえば、真の意味で親と僕の間にある細い糸が切れてしまう気がするんです。帰省しても会話も団欒も有りません、それでも、僕の自分勝手で戻り続けてるだけの話なのです。
細い糸でも切りたくないんだね。
やはり青葉は謝らないと。
トーマさんの親を悪くいってしまった。
会話がなくても団欒がなくてもトーマさんが帰る場所なのにね。
青葉がトーマさんの気持ちを推しはかれるはずもないのに、浅はかだった。
とはいえ、
苦しいのに帰る場所か。そこに帰るトーマさんの姿を想像すると、やはり切ないよ。
顔が分からないから後ろ姿になる。葛藤を抱える後ろ姿。
それも浅はかな青葉の勝手な思考だけど。
トーマさんに安息の場が早く見つかると良いね。
どれだけ恨んでいても、憎くても、寂しい記憶しか無かったとしても、産んでくれたという事実は有って、それは即ち帰る場所である、と思っているので、完全に親に背を向けることが出来ないのです。
いいえ、謝ることではないですよ。青葉さんのように否定してくれる方がいて、良かった。肯定されるべき場所ではないと自分でも判っていましたから。
母は恋多き人で、父はそんな彼女に愛想を尽かしていましたし、見て見ぬふりをしていた人で、僕は彼のそんな姿に失望したのです、きっとそれが僕にとって彼処が苦痛なのだと思わせてしまうキッカケになったのだろう、と思っています。
見付からなくとも探し続けることが出来れば、今は満足です。
産んでくれた、という表現は、感謝があるということなのかな。
いま考えたこと。
子供は親を選べず、強制的に世の中に引っ張り出される。
そのかわり無償の愛を得られる。強制的に存在させられたのだから、当然。
でも、それを得られない人がいる。世の中は不公平だね。
親だって、きっと僕の様な人間は産みたくなかったんだろう、と強く思います。もっと優秀で、才能と愛に溢れた人間を求めていたに違いないのです。それでも一応は産んでくれたわけですから、感謝の気持ちが無い訳ではないです。
親が子供を選べないのと同じで、子供もきっと親を選べません。僕はそう思っています。親が子供を愛するのが普通だ、と思っている訳ではないですが、形だけでも、嘘でも良いから、愛を感じてみたかった、と思います。この世界は理不尽で、そして不公平です、だからやりきれない。
自分の遺伝子を守ろうとするのが、親から子供への愛情。愛情は生物が子孫を、いや、遺伝子を残すためのメカニズム。それにバグが起きると、親は子供を愛さない。
それだけのこと。
遺伝子を残すのに都合が良いから人には感情が与えられた。
淡白に考えれば、そんなところだろうか。
わりきれないよね。
だって、感情があるのだから。
親に愛されなかった子供は、自分の子供にも同じことを繰り返してしまう、親のしていた手段しか判らないから、どれだけ嫌でも、きっと繰り返してしまう、それならば、と遺伝子を後世に残すことを辞めてしまう、そんな未来が待つのでしょうね。
感情を感じられなければ良かったのだろう、と思います。そうすれば、今でもこうして悩むことなど無かった筈で、‥でもこれも所詮は責任転嫁なんだろう、何て考えます。
あまり自分を責めないで。責任転嫁では絶対にないよ。それは間違いない。
トーマさんは道教に興味がある?
青葉は道教の哲学がしっくりくるんだよね。
自分を肯定できる気がした。
トーマさんもそう感じるかもしれない。わかんないけど(^^;
中国は儒教を選んだけど、もし道教国家だったら、とても魅力的だったのに、と思うんだよ。
そう、ですかね。僕には正直な話、何が責任転嫁に値して、何がそうでないのかが判らないです。自分を責めなければやっていけないような、そんな気がするんです。
あまり詳しくはないですけど、一応のことは知っています。道教の考え方は、僕も綺麗だと思っています、この形容の仕方が正しいかは自信を持てませんが‥。
教えによって、国の進む道が変わってしまう。そう思うと、何だか怖くなりますね。儒教が悪いわけではないですが、きっと、合っていなかったんでしょうね。
虚弱体質の青葉は体調を崩してる。
やっと良くなってきたけど。
司馬遼太郎の本を読み返してみようと思えるくらいになって、実際に読んでる。
坂の上の雲
トーマさんは読んだことがある?
体調、大丈夫ですか ? 季節の代わり目は体調を崩しやすいので、気を付けてくださいね。僕も少し前まで風邪を引いていたので、人のことを言えないんですが‥。
あ、読んだことありますよ。人に勧められた事が有ったんですが、その当時は読む気になれなくて、でも二年前くらいに偶然本屋で見掛けたので、読みました。
清やロシアという大きな国に勝たないと、国が滅びるか、国家が残っても白人の植民地への道に向かうことになりそうな時代。よく日本人は乗り越えたと思う。
小説だけど。
乃木将軍をかなり落として、児玉総参謀長を持ち上げている。実際には203高地攻略を児玉総参謀長が指揮したなんて事実は確認されてないみたいだから、やはり小説なんだね。
とうでもいい内容を書き込んでしまった。
ずっと小説読んでるから頭が現実に戻りきらない(^^;
小説の中の話だとしても、かなり現実的な仕上がりですよね。そんな話を書ける筆者の想像力や、構成の力の高さに圧倒されます。もしかしたら有り得たかもしれない日本の話ですから、余計に惹かれるのかもしれません。
ただ少し残念なのは小説の内容を全て鵜呑みにして、乃木さん等をマイナスに見る人も増えたので、やはり文学の力は凄いですよね。時に大きくなりすぎてしまう様に感じます。
僕はこうやって小説の話を語らえるのは楽しいです。周りで本を読んでいる人も少ないですし。なので気にしないで頂けると安心します‥。
では、気にせずに、小説の話を……
確かに文学の力は凄い。乃木将軍は、坂の上の雲が出版される前は英雄だったのに、その後、人格だけは評価されているけど愚将として扱われるもんね。
旅順要塞を陥すには、誰が指揮官でも多大な犠牲を出すしかなかったのに。
とはいえ、司馬遼太郎作品は面白い。
史実に近い小説として読むべきだよね。
文章力があると、それが作られた話なのかそれとも本当の話なのか解らなくなることが多々あるので、僕は面白いと思っています。乃木さんを知らなかった人が読んだのであれば、尚更小説の彼を本物だ、と思ってしまう人も居るでしょうし、難しいところですね。小説を読んだ人が、その時を生きていないからこそ、出てくる批判でもあるかと思います。
そうですね、あの人の書く文章は僕も結構好いています。
一日、その日の感動、宗教を決めて、その日だけ生きる。それが積み重なって一週間になり、一ヶ月になり、一年になり、一生になっていく。
一日を大切に生きるということだね。
確かに一日一日の積み重ねが一生だよね。
トーマさんは、信仰している宗教かあるの?
青葉は専ら、生活に根付いている神道だけど。
一日の積み重ねが人生と呼ばれる物なのであれば、僕は常に一日一日を間違いのない様に、正しく生きていられる事を望みます。これからを生きると考えては息が詰まりますが、その日だけ生きる、という思考でいればあまり苦を感じないので。
その質問は少し難しいですね。僕はどちらかと言えば無宗教側の思考で、でも完全に宗教という概念を否定している訳ではないんです。来世や生まれ変わりという物を信じている辺りは仏教を信仰してる事になるんでしょうけど‥。
知人が久し振りに会おう、と言ってくれるのは嬉しいけど、僕の中に善く判らない遠慮と恐怖が有って、毎度何かと理由を付けて逃げてしまう。治したいけど、子供の頃から誰かと遊んだりすることが出来なかった自分からすると、苦行に感じてしまって駄目だ。
幾ら懊悩して、何かを変えようとしても、才能のない人間には限度が有って、だけど思考という物が有る限り、人間はその先を求める生き物だから、報われない限りは、延々と苦しみの中を彷徨うのかな。そういう業を背負ってるんだろうか。
カルマは抗えないものと思う。
だからこそ、カルマだもんね。
否定するだろうけど、トーマさんは、才覚があると思うよ。
ただ活かそうという思い、それがないだけ。自分を信じない気持ちが強いのだと思う。自分の才に気付くことに抵抗してると思えるくらいにね。
青葉はトーマさんの思考を興味の対象としているのかも知れない。興味の対象というと、気を悪くするかな。でもそれは、トーマさんを肯定していることだよ。
思考が薄い人は幸せだと感じる事があるけど(上から目線かな)それはそれで、感じる力の弱さを不幸と思ってしまう。つまり一長一短だと思う。
辛さを知る人は間違いなく人に優しくなれる。それは大事なことだと思う。トーマさんと出会った人を救える力になるはず。
抗えたら、業としての機能が無くなってしまいますからね。
青葉さんは何故か僕を褒めて下さって、それは凄く嬉しいんですけど、僕にはやっぱり才覚なんて微塵も無いのでは、と思ってしまいます。
元より僕は自信を持ってこれが得意と言える物も、昔から頑張ってきた、と言える物も、何もないですし‥。抵抗、ですか。そんな事をしているつもりは無いんですが、無意識なんですかね。
嗚呼、いえ、大丈夫です。気を悪くはしてません。こんな自分に興味の矛先を向けて貰えるのは有り難いですし、それと同時に恐れ多いです。
思考はある程度麻痺させた状態の方が善いと思っています。熟考しても答えが出ないのならば、尚更。そう判っている筈なのに、何も出来ずにいる自分が情けないです。
僕は、きっと自分の辛さばかりで他の人の辛さに気付けて居ない様な気がします。自分の不幸や辛さだけを眼前に広げ嘆くだけで‥、救えるのなら救いたい、と思いますが、それさえも自分の価値を作り出すための手段として利用しているだけだったら、と思うと自分さえも信じられなくなります‥。
トーマさんの才覚は感じるよ。それは真実。
今直ぐに誰かを助けるシチュエーションはないかもしれないけど、似たような辛さを持ってる人は思ったよりたくさんいるから、そんな人と出会った時は救えることが出来るスキルをトーマさんは持っているよ。それが、自分の価値を確認することだとしても、相手が救われるなら、その価値は評価されて当然じゃないかな。だって、救われる側は救われるのだからね。むしろ一石二鳥。Win-Winで悪いことはないよ。
自分じゃあまり判らなくて‥、折角言っていただけてるのに申し訳無い気持ちで一杯です。
僕にも誰かを救えるんでしょうか、一人で悩む辛さは知っているつもりです、なので若しもそういう方が居るのであれば多少なりとも力になりたい、とは考えています。
でもそれは善いこととは思えないのです、自己の為に他者を利用するのは苦しいです。悪いことじゃないのなら、善いのですが‥。
僕は“未来”には希望が持てないし、何時まで経っても、うじうじ考え続けると思う。でも生き物として本能で“未来”に希望を持たざるを得ないというか‥、本当は善くない事ばっかりな時代だけど、無理矢理にでも、前を向いて考えなければいけない。闘わないといけない。救われないけど考え続けていかなければならないのだと思っている。
少し空けてしまった。
そろそろ2017年も終わり。トーマさんは何してるかな。テレビは見ずに読書をしているとみた。そんなイメージ。
良いお年を‼️
年末年始は、やはり忙しいですね。物は少ないのにいざ掃除を始めると中々に重労働で毎年驚かされます。青葉さんは如何過ごされましたかね。
明けましておめでとう御座います。
明けましておめでとうございます!
青葉は寝て年を越したよ。
今日は仕事だったから。
トーマさんは将棋も好きなんだね。
青葉も将棋は昔やったけど、実は将棋よりチェスと先に出会ったよ。
「脳を焼く」か。
「攻殻機動隊」の中にそんな表現があったけど、トーマさんは「攻殻機動隊」ファン?
仕事で疲れると行事関係なしに寝てしまうのは判る様な気がします。
将棋やチェス、オセロは子供の頃から一人で善く遣ってました。そうですね、結構好きです。
嗚呼、まさかちょっとしたネタだったんですが判る方が居るとは思っていませんでしたね。実は、ファンだったりします。
トーマさんもチェスをやっていたのか。チェスにしても将棋にしても、手合わせを願いたいところだね。ここでの出会いだから、残念ながら会うことは叶わないけどね。
攻殻機動隊のファンとは、嬉しいね。
トーマさんはアニメファンでもあるの?
ボードゲームは小さい頃から好んで善くやっていましたね。周りにやる方が少ないので昔は近所の大人の人とやっていた様な気がします。嗚呼、確かに手合わせ出来たら善かったんですが難しいですからね。
基本的にアニメも漫画も面白そうだな、と思えば普通に見たり読んだりしますね。そういうものに抵抗は無いので。
小学生だった頃くらいかな、世界が終わるって話が一時期拡がって、周りの人間が大騒ぎしていたのを、ふと思い出した。実際は終わらなかったけれど、世界が終わる前提で進んだ数日間は、今でもずっと脳内にこびりついてる。
小説や漫画、アニメやドラマ、それから映画。そういった物に描かれる台詞や行動、何を思ってその登場人物がそれを発し、行動に取ったのか気になる。そればかり気になって、勝手に想像して、ストーリーが頭に入ってない事も多々ある。何とかしたいなぁ‥。
忘れる事は防衛本能である、と思えたら、罪や業を忘れても善いんだ、って考えられる様になるのかな。きっと、無理だよね。これからの人生でどれだけ楽しい出来事や思い出に浸れたとしても、辛い過去や嫌な記憶は、タイミングを見計らって顔を出すんだろうな。
関東も大雪だよ。
でも、何とか帰れるかな。
いま乗っている電車が止まらないといいけど。
1999年は何事もなく過ぎていったね。
「ノストラダムスの大予言」の著者は後に、1999年について何の根拠もなかったと語ったような……まあ、青葉は読んでないけど。
ノストラダムスの詩は難解だったか抽象的だったかで、完全な解読は難しいらしいしね。そもそもノストラダムスが予言をしていたのかもあやしい気がする。ノストラダムスのことはほとんど知らないけど。
予言者達で本物なんているのだろうか?と考えると、いないと思う。
電車が遅れたりしたので帰るのかなり遅くなったんですが僕も無事に帰宅出来ました。普段雪が降らないのもあって関東地方は雪に弱いですよね‥。
当時は幼かったのでいまいち地球が終わるという事に対して危機感も無かったんですが、今思うと凄い予言ですよね。
ノストラダムスに関しては僕もあまり詳しくないのですが、解読のし方によっては意味が異なる辺り難しいですね。
正直なところ、僕も予言者は信じてないです。本当に有ったら嫌だなあ、くらいの認識ですかね。
引っ越しの諸々が漸く終わって一安心。元々荷物は少ないから其処まで大変じゃなかったけど、環境が変わるだけで疲れるの何とかしたいなあ。
未だに人に道を聞かれる事に慣れない。自分の説明でちゃんと相手が目的地に辿り着けたのか不安になる感覚とか嫌だなあ。外国人の方とかは特に‥。
幸せなだけじゃ生きていけないのかな、何て言ったら各方面の方々から怒られそうだし、実際口にはしないけど。実際のところ、傍から見れば幸せそうな人が案外、人生とかそういった類いの物に絶望していたりすることもある。難しい。
マニュアル通りの優しさしか僕は知らないから。本当の意味では優しくなんか無いんだと思う。優しい人間であろうとしても、ふとした瞬間にボロが出て、自分勝手で他人に無関心な冷たい人間である部分が外気に晒される。数年単位でそれを繰り返して、その度に外装を厚くするけど、また数年後に剥がれるんだろう、こんな自分が恥ずかしい。
ここ数週間はほぼ休みなしだった。
インフルエンザに同僚達がかかり毎日15時間くらい拘束されたよ。まあ、四連休を貰ったけど。
昼間にも苦しくなるのは辛いね。その時間を耐えるのは苦痛だと思う。
簡単に頭を空っぽに出来る方法があれば良いといつも思う。
嗚呼、そうだったんですね。
今年はインフルエンザ流行ってますよね、僕の職場も何人か掛かっていて大変でした。忙しかった分、連休を貰えたんですね、善かったです。
環境が少し変わったのもあるのかもしれませんね。昔より頻度が多くなっているので、困っています。嫌なことを考えずに済むような、そんなことを望んでいます。
はい、‥とは言ってもそんなに遠くに引っ越した訳ではないので、あまり大差はないんですけどね。
嗚呼、少しその気持ちは判るかもしれません。いざ、長期間の休みを貰っても暇ばかり募って、やることがなくなる感覚ですよね。自然と寝てばかりになるせいか精神的な疲れが取れてないような気になります。
引っ越しうつ病という病名?があるくらいだから、引っ越しはストレスなんだろうね。トーマさんも気を付けて。
今日も無為に過ごしてしまった。
寝てばかりだと精神的に辛いから、一度は出掛けてみたけど、日曜で人混みがあるから、すぐに帰って来てしまった。そして寝た。
どうしようもないね。
食っちゃ寝の繰り返し。
明日からは仕事だから問題解決だけど、中4日で仕事に行くのも、気分がのらない。
本当にどうしようもないと思うよ。
早く気分を建て直さないとだよ。
そういうのも有るんですね、知りませんでした。んん、僕は大丈夫だと思いますけど、一応は気を付けます。
日曜や祝日は如何しても人が多くなるので出掛けるということに気後れしてしまうような気がします。僕は基本休みは本屋などを巡って過ごしてるんですけど、それでもやっぱり人が多いと駄目ですし‥。
青葉さんが駄目な訳ではないと思うので、あまり気にしなくても善いかと。休める内に休むのは良いことです。
確かに休めるうちに休むのは悪くないね。
今日、出勤してみたら休みモードが抜けなくて直ぐさま休みが欲しくなったよ。長い連勤と長い連休はどちらも気持ちが滅入るのかな。
本屋巡りか。最近はやっていないな。
本屋巡りをしていたころ、青葉は小説より漫画を吟味してたけど。
連休は戻ったときに、切り替えが出来なくなるので僕もあまり好きじゃないんですよね‥。働いてる方が余計なことを考えなくて済むっていうのも有るんですけど。
本屋巡りや大きな図書館に入り浸るのが僕は好きで、昔から善くやってます。
嗚呼、漫画も結構見たりしますね、知らなかった物に出会って、それが当たりだった時の感動は何物にも変えられませんよね。
漫画も当たりが最近はみつけられない。
専ら昔の漫画を読み返しているんだよ。
新たに受け入れる感性が減少しているのかな。
諸行無常。自分が変わってしまったと思うよ。
嗚呼、僕もそんな感じです。昔好きだった漫画ばかり読み返して、中々最近の物に手が出せないんですよね。合わないような気がしてたりすると、余計に。感性は磨かなければくすんでいきますし、広げなければ狭くなっていくばかり、なので、嫌になりますね‥。
感性を磨くことを最近はしてないな。時間がないというのは言い訳かな。
突然だけど、平昌オリンピックのフィギュアスケートを見て感じたこと。
金メダルの羽生結弦君がいることによって、銀メダルの宇野昌磨君があまりにも目立たない。銀メダルは凄いことなのに。同国人が金メダルを取ると、銀メダルは霞むんだね。トップが異国の人だったらもっと目立つ報道をされただろうに。
そんなにフィギュアスケートに興味があるわけではないけどね。そんなこと感じた。
歳を取れば取るほど、感性という器が小さくなっていくような気がします。磨くには時間を要するんですよね‥。
金と銀の二つを日本人が取った、ということでセットで騒がれてはいますが、やっぱりメディアが注目しているのは羽生選手の様な気がしてしまいますよね。宇野選手が目立つのを好んでいないのかは不明ですけど、素晴らしい功績を残したという点では同じなのに、向けられる目の数が異なるのは、少し不思議だとは思いますね。
青葉は来年度、職場で希望が通り異動。今より余裕ができるんだよ。感性を取り戻すために小説をまた書きたいと思っている。セイチャットで書いたら読んでね。
そうなんだよね。向けられる目の数が違う。
彼らくらいになれば悔しさを感じないハズはないと思う。宇野昌磨君は悔しさを隠すために無理矢理に飄々としてる気がする。真意は分からないけどね。
嗚呼、そうなんですか。今より余裕が出来るのなら安心ですね。僕自身、青葉さんの書く文章好きなので、楽しみにしています。
平等に向けられることは無いんだろうな、と思いつつも、その差に少し疑問が残ります。
幾ら頑張って見ても、二番手のような扱いを受けてしまうのはプライドとしても傷付きますよね。若しも青葉さんの言うように、そういった悔しさを誤魔化す為に、あえて飄々としているのだとしたら、それは良くないことだな、と僕は強く思います。
前を誰が走っていようと、功績を残した人間は平等に評価されるべきだ、と思いますね。
4月には異動だけど、3月中に今の職場の仕事が終るかが心配。まあ無理かな。
青葉は異動を希望して出世を捨てたんだと思う。
まあ、最初から望んでいなかったんだけど。だけど、一度その道に入ると、捨てるときは悩むもんだね。でも、結局は自分には無理だと結論を出した。責任や時間拘束や立場による人との確執より余裕を選んだんだね。まあ、当然なんだよね。もともと人付き合いが嫌で仕方なかったんだから。
早く余裕が欲しい。
確かに異動する際に心配になるのは、そこですよね。きちんと終わらせられずに引き継ぎも上手くいかなかったりすると、後々申し訳無い気分になりますし‥。
出世しても苦しかったら意味がないですし、青葉さんがその選択を過ちではなかった、と思うのであれば、それが正解だったんだと思いますよ。
人付き合いが苦手だと、苦労しますよね。僕も似たような経験があるので。それでも青葉さんの心に余裕が出来るのであれば、それは良いことだと思います。
トーマさんは優しいね。どうしようもない愚痴を聞いてくれている。ありがとう。
青葉はこの場をお借りして気持ちを吐き出せた。
気持ちの余裕を自ら選んだのに、名声に未練を持っていたということかな。名声を捨てたのに固執して迷っていたんだね。名声を選べば辛くなることは確か。トーマさんの言うとおり、この選択を青葉は過ちとは思わない。続ければ精神を保つことができないと思う。上に立つには精神的に強さが必要だもんね。
これから青葉は、会社で自分に迷う人の助けをしたいと思う。
いえ、優しくはないと思います。青葉さんも僕のどうしようもない弱音とか聞いて下さいますし‥。
気持ちを吐き出せたのなら善かったです。この場所が少しでも力になったのなら光栄です。
名声に縋るのは仕方のない事だと思います。無いよりは有る方が善いと思うのが人間ですから。でもそれを上回る程に青葉さんの心が余裕と安定を欲していた、それだけの事だと思います。
そうなんですよね、人の上に立つには沢山の物が必要になるんですよね。
青葉さんなら出来ると思います。
傷付いたプライドには時間と共に瘡蓋が出来て、無駄に硬くなって、‥そもそも傷付かない方へと逃げる。そうすると居場所がなくなって、誰かに知ってほしくなって、でも自分にそれほどの能力や魅力がないことが更に顕著になって、それでいて下らないプライドばかり膨張する。善くないことだと思ってるけど、どうしようもないのかな。
宗教は怖いから決して触ってはいけないよ、と言う母の口癖があの人がこう言ったから、貴方はそうするべき、だったのを思い出して人を信じることは本質的には自覚がないことだと、酷く盲目でいて恐ろしいことだと、改めて再認識した。
青葉もこのところ体調不良。夜中は咳が出て睡眠が妨げられる。でも、今の部署の仕事を3月一杯で終わらせて4月に異動しないと。毎日なかなか帰れない。自分の時間がない。
時間と健康が欲しいよ。
ここ最近、寒暖差が凄いのもあって体調崩しやすいですよね‥。大丈夫でしょうか、咳で睡眠が妨害されるのは嫌ですよね、僕は漸く症状が落ち着いてきたので、ほっとしてます。三月が終わるまでの辛抱、ですね。早く青葉さんに静かな日常が訪れるのを願ってます、無理はしないで下さいね。
‥お久し振り、です。立場が変わらないのに部署だけが変わるのは些か違和感や苦痛を伴いそうですね。望んだ結果が得られないのは仕方のない事なのかもしれませんが、あまり考えすぎずに居た方が精神的にも善いのかもしれません。アドバイスも何も云えない自分が不甲斐ないです。
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