トーマ . 2016-02-24 19:25:30 |
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日本語に表現が有りすぎるからかな。それだけトーマさんが言葉を知っているということだね。
教えたことがあったね。忘れていた(^^;
謝ることはないよ。言葉の表現は万人のものだもの。青葉より先に使った人も星の数。
沢山有る言葉の中から、自分の伝えたいものに綺麗にヒットする言葉を探すのが苦手みたいです。出来るだけ判りやすく伝えられたら善いな、っていう只の自己満足なんですが‥。
結構前ですから、忘れていても問題はないですよ。僕が偶然覚えていただけです。
それはそうなんですけど、何となく申し訳無いな、と思いまして。
例え自己判断だとしても、優れていない表現は守られるべきではないと思うことがあって、でも、それを人に押し付けるつもりない。あくまで僕個人の話。主観を客観に変えてもその判断は変わらない。そして僕の中で、僕という存在はその優れていない表現に当てはまる。
全ては繰り返しの物語であって、過ちも欺瞞も憎しみも愛も、明日も明後日も、来世も来々世も、繰り返すと思う。だから、終わらないけど、終わりにしたと自分を騙して覚悟して涙こらえて、明日を見るしかないと思うのです。
何度も云うけど、僕という人間は自分の不幸だけを眼前に置いて、他者の不幸には目もくれず、幸福だけに目を向けて、羨む様な卑しい人間だから、消えてしまいたくなる。好かれるような人間じゃない。
価値を一度失ったら、取り返すことは本当は無くて、馬鹿になって気付かないふりをするか、周囲の善意や好意を上手く使って見えなくするしかない。
安心、居場所、無償の愛、許しと温かな血縁、幸せな食卓、それからその他、の僕が代償として捨ててきたもの、本当は手放したくなかった筈のもの、それらがどんなものだったか、何てもう思い出せないよ。
得たもの、ですか。得たかった筈なのに得られなかったものは僕が望んだ未来、ですが、あれらを犠牲にして何を得たかと問われたときに、答えられる自信がありません、何かを得たような気もしますが、何も得られなかった気持ちの方が強いのです‥。
昨日は台風の通る風の音で、窓が割れるんじゃないかと冷や冷やしていたけれど、いざ台風が過ぎ去ってから、外を見て、眩しいなって思わず目を細める瞬間が僕は好きだったりする。
何も得られなかったのか。
代償は無かったんだね。
でも、後で得たものに気付くのかもしれない。
それを待とうか。
きっと、何かを得たんだと思うよ。
僕が得たかった、例えば望んだ未来や綺麗な心、そう言ったものは、祈りの強い人間の元へと真っ先に受け渡されていきます。得るために沢山の物を犠牲にしたつもりで居ましたが、足りなかったんだろうな、と僕は思っています。
もしも、青葉さんの言ったように得たものが有ったと気付けるのならば、僕は待っていたい、と思います。
やはり楽しい楽しくないより、正しい正しくない、で生きていたい。過去の言葉に縛られているだけかも知れないけれど、正しく居なきゃならない、間違いを正さなきゃならない。それが出来なきゃ、きっと終わってしまう。
それも、善いかもしれませんね。お金があれば、何てことはあまり言いたくないですけど、大抵の事は苦労せずに済むでしょうし‥。
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