トーマ . 2016-02-24 19:25:30 |
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ただいま。そうですね、やっと帰ってこれました。
‥実家はあまり好きじゃないんです。僕の家族は無関心な家庭だったから、特にこれといった楽しい思い出もない。多分他の人からしたら不必要な干渉が無いので羨ましく見えるんでしょうけど、小さい頃からこれといった関心も向けられずに育った僕からしたらあの空間は寂しくて苦しい場所でしかないんです。きっと実家にいること、というより自分の家族と居ることが辛いんだと思います。
判りません、でもまた帰るんだろうな、って思ってはいます。
きっと相手からしたら面倒なんだろうな、と思いつつ願ってしまいます。言わないけど気付いて貰えれば、と。我ながら女々しくて嫌になります。
誰かを、傷つけるくらいなら、自分が傷つく道を選びたい。怖いし辛いし、本当は嫌だ。‥けど、周りにいる人たちを傷つけるのはもっと辛い。誰かのために自分を犠牲にできるくらい強くなりたい。
他人に深く踏み込むには、勇気やら忍耐やら、誠実やらが必要になる。それら全てをすっ飛ばして貴方の内側を見せてください、何て言える人はそうそう居ない。
皆、子供の頃に戻りたい、と口にするけれど、僕は子供の頃になんて戻りたくない。良いことなんて、一つも存在しない。辛くて痛くて苦しくて寂しいのは嫌だ。もし戻ってしまったら真っ先に死ぬと思う。子供の頃に戻るくらいなら今のままでいい。
やることがないと図書館に入り浸ってしまう‥。つい三冊も借りてきてしまったけど、読みきれるかな。いや、無理だったらまた借りればいい話なんだけど。
願望を意思として捉えてしまうと、目を奪うほどに綺麗でキラキラと輝くステンドグラスも、薄っぺらいコンクリートのようなものに変わってしまう。
過去は好きじゃない。でもそれ以外に縋れるものがない。駄目だって判ってるけれど、不安にかられて、何かに縋ること以外、不安をやり過ごす方法が判らない。
続ける苦しさも、辞める辛さも、全部全部忘れることが出来たら良かったのに。そうすれば自分の好きなことも、ただただ純粋な気持ちのまま続けられて、嫌になったら辞めよう、と簡単に辞められた、かもしれないのに。
続けるのは苦しけど、辞めるのは辛いこと。それは世の中よくあることだと思う。二つの価値が発生している状況は矛盾との戦いだね。
トーマさんは何を指しているのだろう。
ここも1,000を軽く超えている。
全くズレた考えかもしれないけど、ここのことかもしれないと思った。
凄く難しいことばかりだと思います。辞めても楽になれる訳じゃない、その事実がじわじわと身を蝕んで、何が正解なのか判らなくなります。
自分でも良く判らないのです。気付いたら1000を越えていて、僕も少し驚いてます。
辞めて、イコール、逃げて、辛さから逃れることは出来る。でも、辞めたことで別の辛さが生まれる。
そんなことを感じない鈍感さが欲しいと思う。
鈍感力とはよく言ったものだね。将に力。生きるうえでの武器。
どんなことであれ、数を重ねたのは凄いことだと思うよ。
せっかくだら10,000まで行こうか(^ー^)
まあ、それまでに胎内から出たら、それはそれで良いこと。
辞めること、逃げること、それらを行ったときに残るのは罪悪感と、良く判らないモヤモヤとしたものだと思います。そうですね、鈍感であることは自分を救う何かであるとも思います。
そう、ですかね ? いけたらいきたいな、と思ってます。未だ難しそうですし。
とは言え、鈍感は何だか馬鹿っぽいイメージがある。
繊細と鈍感。どっちもより良い程度で身についていると幸せなのに。
10,000なんて数字を出してけしかけてしまったけど、気にしないでね(^^;
青葉は毎日ここに来るわけではないけど、これからも顔を出していくうもりだよ。
鈍感のレベルにもよるんでしょうね‥。鈍感すぎても繊細や過敏すぎても、それはきっと良いことでは無いんだろう、と思います。
嗚呼、はい。大丈夫ですよ。
それは有り難いな、って思います。嬉しいです。
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