ゴースト 2015-12-19 22:24:54 |
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この時が、空腹とかの絶頂だったように思う。
友達を食べるって、やっぱ違うんだよ。
一緒に行動していた人も大切な仲間だけど、やっぱりその人のとは違うんだ。
味とか臭いだけじゃなくて、言葉に言い表せない気持ち悪さとか悲しさとか色んなのがごちゃまぜになった状態で、涙が出そうになるんだ。
声を出して泣きたい位の涙が出そうになるんだ。
でも、出ないんだ。
水が殆どなかったからかもしれないけれど、サニャの手を食べた時は、ソニアもメルヴィナも、もう泣かなかった。
この時ぐらいからだったと思う。
僕も含めて、ソニアやメルヴィナもあんまり感情を表に現さないようになっていったのは。
そんな生活をして1・2ヶ月経った頃、皆の体力もかなり落ちていて、このまま生活していても先がないという話になったんだ。
それで、本来の目的地だったゴラジュデに向かうことになった。
毎日日記はつけていたつもりなんだけど、フォーチャから脱出して数日は記憶が殆どなかったせいで、正確な日にちはわからない。
だけど、恐らく6月に入って数日程度経った頃だったと思う。
ゴラジュデへの道のりは、大体3日間ほどだったんだ。
それでも、体力が落ちていた俺達には、過酷で辛かった。
ああ。
ゴラジュデに向かいだして二日目の昼頃。
山の中を進んでいくとは行っても、道路とか人の生活圏を完全に避けて通過するのは厳しかったんだ。
本来であれば、夜にそういった場所を通過した方が安全なのだけれど、僕達には体力的にもそんな余裕がなかった。
この時は、丁度山道を横切る時だった。
道の200Mぐらい手前で、道に銃を持った人間がいるのが見えたんだ。
警察か民兵か、それとも軍の兵士なのかは見分けがつかなかった。
だけど、そこを通らないと山が越えられなかったんだ。
僕達、というか大人達は選択に迫られたんだ。
このまま気づかれないように進むしかない。
だけど、それには大きな障害があったんだ。
それは、赤ちゃんだったんだ。
赤ちゃんはさ、泣くのが仕事っていう位、よく泣く。
このときは、元気もあまりなくて、そんな泣くほどでもなかったんだ。
それでも、もし万が一泣いてしまったら、僕達はつかまってしまう。
全員の安全の為には、赤ちゃんを連れて行くことはさ、出来なかったんだ。
でもさ、さっきも書いたように、僕ぐらいの子どもも、大人達も、赤ちゃんや幼児の為に、どんなにお腹が空いていても、我慢して、耐えて、その子たちに優先的に食べ物をまわしていたんだよ。
そんな簡単に、皆の為にといって、赤ちゃんを連れて行かないなんて、決断は出来なかったんだ。
少しの間、沈黙が流れてさ、言いたいことはわかってる。
だけど、誰も言い出せない状況が続いた。
ここまで一緒に行き抜いてきたんだ。
こんな小さい赤ちゃんでも、皆にとっては大切な仲間で、気持ちとしては、家族同然のようなものだったんだと思う。
赤ちゃんの母親はさ、皆が言いたいことは十分わかっていたんだと思う。
そして、皆がそれを言い出せないという事も理解していたんだと思う。
誰も言い出さない中さ、笑いながら、皆が言いたいことはわかるって。
自分もこの子も、自分たちの為に皆が危険な目に合うのは望まないって言ってさ。
自分が母親だから、きちんと責任を持つって言ったんだ。
だから、皆は先に進んでください。
この子とお別れをしたら、私も後から追からって。
何とも言えない空気の中で、そう言った母親は、さっき来た道を戻って行ったんだ。
大人たちは、母親の姿が見えなくなった後に、「すまない。」って一言二言いって、武装したスルツキの近くを通過していくことにしたんだ。
スルツキ達が居る場所を過ぎて、少し数百メートル歩いたところで、僕達は数時間待ってたんだ。
母親が後から来るっていってたからさ。
でも、結局母親は来なかった。
今思えばだけど、後から追うっていうのは、赤ちゃんの後を追うって意味だったんだろうな…。
次の日になると、先頭を進む人と、後方の人の距離がかなり広がっていた。
もう休んでいる時間も体力もない。
もし休んだら、そのまま動けなくなってしまうような状態だったんだ。
だから、この時になると、暗黙の了解じゃないけど、体力のない人はどんどん遅れていくようになった。
幼児とかは、まだ小さいから、体力のある大人が背負えるんだ。
だけど、僕達ぐらいになると、体重が多少あるから、背負えないんだよ。
そして、丁度最後尾に居たのは、僕とソニア、メルヴィナだったんだ。
ソニアは体力的にも、精神的にも参っててさ、僕とメルヴィナが引っ張りながら歩いていたんだけど、子どもだからただでさえ歩くのが遅いんだ。
引っ張りながらだと、さらに遅くなって、全然追いつけないんだ。
気づいたら、僕達は皆とはぐれてたんだ。
遠くの方からは、爆発音みたいな音とかが聞こえてきてて、どこかでまたあのような惨状が繰り広げられているかもといった考えが過ぎった。
もしかしたら、大人が心配して引き返してきてくれるかもって思った。
だから、僕はメルヴィナにここで大人達を待とうって言ったんだ。
だけど、メルヴィナは駄目って言うんだ。
「戻ってこないよ。自分達で進まなきゃ。」
って言うんだ。
僕達は三人だけで、道もわからないのに、進んだんだ。
メルヴィナがさ、もしかしたら、味方が来てスルツキの兵士をやっつけてるかもって言うんだ。
確かに、そうかもって。
何かにすがりつかないと前に進めなかった。
だから、僕達は、音がする方に味方がいるって希望を持って、そっちに向かったんだ。
でも、それが間違いだった。
山と山の間に、少し開けたところがあって、僕達はそこに出たんだ。
あんなに体力が落ちてなければ、疲れていなければ、もっと冷静に考えられたのかもしれない。
だけど、この時の僕達は、子どもでそこまで思考能力もなかったし、そして疲れ果てていて、頭が回らなかったんだ。
開けた場所の半分くらいまで歩いた時だった。
横の道から、振動と共に何かが近づいてくる音がしたんだ。
もうさ、前の方からは爆発音とかがしてて、そんなの聞こえないはずなのに、聞き間違いだって思いたかったんだ。
だけど、爆発音の合間に、何かが向かってくる音がするんだ。
味方かもしれない。
でももしスルツキだったらどうしよう。
色々不安と期待があった。
僕は怖くて、迷って、そしてその場で止まってたんだ。
そしたら、メルヴィナがとりあえず逃げなきゃって言ってさ、僕はソニアの手をつかみながら全力で前の森というか、山に向かって走ったんだ。
それで、何とか木のところまで来て、良かった。何とか隠れられたって。そう思ったんだ。
それで後ろを振り返ったら、メルヴィナがいないんだよ。
何でって思ったら、メルヴィナがさ、メルヴィナがこんな時にだよ。
こんな時に限ってさ、転んじゃってるんだよ。
もう近づいてくる音もかなり大きくなっていて、振動もしてきていたんだ。
メルヴィナ早く立ってこっちに来いって叫んだんだ。
だけど、メルヴィナは立たないんだ。
いや、立てないんだよ。
3日間も、殆ど寝ないで飲まず食わずで歩いてきたんだ。
体力的にも精神的にも、限界なんてとっくに通り越してたんだよ。
僕は助けに行かなきゃって、もう見つかってもいい。
ここで僕がおとりになれば、もしかしたら二人は助かるかもしれないって。
それで飛び出してメルヴィナの所に走って駆け寄ったんだ。
でも、メルヴィナを起こそうとしても、メルヴィナは足に力が入らない、立てないって言うんだ。
だけど、こんな所で見捨てるなんてできるわけないじゃないか。
ここまで一緒に生き抜いてきたのに、もう三人だけになってしまったのに、見捨てるなんて出来るわけじゃないないか。
だから、メルヴィナを背負ったんだ。
だけどさ、情けないよ。
全然前に進めないんだ。
この時、僕は8歳で、小学3年ぐらいだったんだ。
男女の差といっても、体格的にも、肉体的にもまだそこまで差がなかったんだ。
普段だったら、それでも何とか歩けたはずなんだ。
でも、この時の僕にはそんな力なんて残っていなかったんだよ。
頼むから前に進んでくれって頭の中で思っても、全然前に進めないし、足のふんばりも効かないんだ。
もう、向かってくる音はかなり鮮明になっていて、金属音も混じっていたんだ。
僕とメルヴィナの姿が相手に見られるのも、時間の問題だった。
僕はメルヴィナに大丈夫だから、僕が何とかするからって言ったんだ。
だけど、メルヴィナがさ。
泣きながら、「もういいから、ソニアの所に行って隠れて」って言うんだ。
そんな事出来るわけないじゃないかって怒ったんだ。
だけど、メルヴィナはこのままじゃ見つかるって。
今ならまだ間に合うって。
今隠れれば、ソニアと僕は助かるって言うんだよ。
僕は嫌だ嫌だって言って、背負ったまま前に進もうとしたんだ。
そしたら、メルヴィナが暴れてさ、地面に落ちてしまったんだ。
すぐにまた背負おうとしたんだけど、メルヴィナがあばれて、背負えないんだよ。
何するんだって言ったらさ、お願いだから隠れて!って。
僕とメルヴィナが見つかったら、ソニアはどうなるって、このままじゃ全員捕まっちゃうって叫ぶんだ。
だから二人だけでも逃げてって泣きながら叫ぶんだ・・・。
僕は弱虫なんだよ。
僕はメルヴィナの所に留まっておくべきだったんだ。
それなのに、体が勝手にソニアの所に向かってるんだよ。
何やってるんだよ やめろって自分にいっても、体が勝手に逃げちゃうんだよ。
ソニアの所へ入る直前か、直後かわからない。
隠れて振り返ったら、戦車が向かってきていた。
メルヴィナは僕が隠れたのを確認したら、横になりながら体を動かして僕達の方向に背を向けたんだ。
頼むから味方でいてくれって、敵だとしたら、気づかないでそのまま通り過ぎてくれってそう祈った。
だけど、現実は全然幸運なんてないんだよ。
思ったとおりにならないし、神様なんていなかったんだ。
戦車はメルヴィナの横で止まって、上からスルツキの軍服を着た兵士が出てきたんだ。
降りてきた兵士はさ、メルヴィナの事を蹴ったんだ。
メルヴィナは濁った叫び声を一瞬だしてさ、生きているって確認した兵士は、笑いながら何かを言った。
そしたらもう一人、兵士が出てきて、暴れるメルヴィナを叩いて、服を脱がせて乱暴したんだ。
たった8歳の少女に乱暴したんだよ。
メルヴィナは泣き叫んでもおかしくないのに、自分の口を手で押さえて、叫ばないようにしてるんだよ。
僕らに助けを求めないように、僕らが見つからないようにしてるんだよ。
自分が酷い目にあってるのに、怖くて痛くて辛いはずなのに、メルヴィナは自分よりも僕達を心配して、自分の口を押さえてるんだよ。
僕とソニアを助ける為に必死に耐えてたんだ。
すぐにでも飛び出さなきゃいけない。
助けなきゃいけない。
でも、それをしたらメルヴィナの行動は全て無駄になってしまう。
僕には決断できなかった。
何でこんな選択をしなきゃいけないんだって、山中の生活を通して、感情をあまり外に出せなくなっていたソニアや僕は、泣きながら見ていることしか出来なかった。
これが戦争なんだって。
これが人間なんだって。
これが神様の作った世界なんだって。
神様なんて、残酷な悪魔だと思った。
僕は本当に無力で、何も出来ない弱虫で。
本当は僕があそこで殺されているべきなのに、僕はメルヴィナに代わって死ぬほどの勇気を持っていなかったんだ。
持っていたとしても、それは本当の勇気だとか決意じゃなかったんだ。
日本に居る頃は、自分は何でも出来る。
やろうと思えば何でも出来る人間だと思っていた。
だけど、実際の僕はあまりに無力で何も出来ない弱虫だったんだ。
ソニアはずっとごめんなさいと繰り返し言っていた。
僕は、メルヴィナが乱暴されて、連れ去られるのを見ている事しか出来なかった。
この時だったよ。
今まで憎しみだとか、悲しみだった心が、自分には抑えられないぐらいの怒りと殺意みたいなのに変わっていた。
絶対にあいつらを殺すって。
殺したいって。
それから数時間くらい、僕とソニアはそこから動けないでいたんだ。
だけど、ここにずっと居たって何も変わらない。
僕とソニアは手を繋ぎながら、轟音止まない方向へ向かった。
世界は不幸なことばかりじゃなくて、幸せもあるかもしれない。
だけど、不幸幸せ不幸みたいに、交互に来るとは限らないんだ。
僕達は、ずっと目指していたゴラジュデに、沢山の大切な犠牲を払って辿り着いたと思ったよ。
だけど、街には入れないんだ。
もう、街はスルプスカの軍に包囲されて、攻撃を受けていたんだ。
近付く事も出来ないんだ。
街に居た人達もさ、街から出れないんだよ。
陸路で街に入る事も、出ることも出来ないんだよ。
包囲された街に残された人々には、包囲が解けるのを待ち続けて、生き抜くしかないんだよ。
援軍も見込めない中、いつ包囲が解けるのか、それとも死ぬのか、わからないままそこで生き抜くしかないんだ
山の中にもスルプスカの兵士が大勢居て、全ての希望を打ち砕かれてさ。
声も出なかった。
ここに留まることも、街へ入ることもできない。
僕とソニアは、世界で二人だけ取り残された気分になってさ。
でも諦めたら駄目だって、自分に言い聞かせて、ゴラジュデから離れて延々と、山の中を歩き続けたんだ。
ここらへんは、日記もちゃんとかいてなくてさ、何日歩き続けたかわからない。
でも、今思えば、約2ヶ月くらい山中で生活した経験がなかったら、僕とソニアはここで死んでいたと思う。
歩き続けて何日目かわからないけどさ、小さな川というか湧き水みたいなところがあって、そこで休んでいたら、銃をもった人が駆け寄ってきたんだ。
スルプスカの兵士かと思ったけれど、そうじゃなくてさ、ボシュニャチの民兵の人たちだった。
それから93年の10月くらいまで、一年半くらいボシュニャチの民兵の人と行動を共にしたんだ。
僕はさ、彼らと過ごして1ヶ月ほど経った頃に、僕も戦わせてと頼んだんだ。
何でもするって。
死んでもいいって。
だから僕も戦わせてって頼んだんだ。
勇気を出すって。
勇気を出して戦う。
もう逃げないって。
だからお願いって。
でも、彼らはそれを許してくれなかった。
中学生くらいの子どもにも銃を持たせているのに、何で僕は駄目なのかってしつこく聞いたんだよ。
スルプスカの兵士が許せないって。
そしたら、名前は書けないけど、民兵の一人が僕に言ったんだ。
戦いに勇気なんて必要ない。
生きる事にこそ勇気が必要なんだ。
君は戦う以外にも出来る事があるだろう。
君だから出来る事があるだろう。
俺達は戦争が終わるまで生きていられないだろう。
君は、ここで何が起きたかを伝えなさい。
同じ事が起きないように。
辛くても生き抜いて、そして胸を張って
友人に天国で会えるようにしなさいって。
彼らと過ごした間、僕は色んなものを目にした。
僕の中で、この時スルツキの人々や軍、警察、民兵は絶対的な悪のような存在になっていたんだ。
そして、ボシュニャチは被害者だと。
だけど、違ったんだよ。
民兵の人たちはさ、スルツキの集落を襲って、食料を奪ったり、スルツキの大人や子どもを殺害したり、女性を暴行したりしていたんだ。
僕はわからなくなっちゃったんだ。
何が正しくて、何が間違っているのかとか。
何が悪で、何が正義なのか。
あんなに被害を受けて、その苦しみを知っているはずの人たちが、同じ事を、相手の民族に、人々にするんだ。
僕は、何でそんなことをするの?やめようよって何度も言った。
それはやっちゃいけないことだよって。
そういうと、決まって民兵の人は悲しそうな顔をしてさ、そんなのはわかっているんだって。
でもこうしないと、自分達の仲間が同じ目に合うって。
矛盾に気づいているのに、それをしなければいけない状況だったんだ。
ボシュニャチもスルツキも。
僕はこの時、まだ彼らの紛争の歴史も何も知らなかった。
前にも書いたと思うけれど、スルツキの人々も同じように、歴史上で何度もこういった虐殺の被害に合ってるんだ。
どちらも被害を受ける苦しみや怒り、恨みをしっているのに、それでも尚、お互いにそうしなければ、やられる状況になっていたんだ。
恨みや禍根は残されたまま、次の世代へと引き継がれて、また同じ悲劇を繰り返している。
それがこの時の紛争だったんだ。
前に、国は3つの勢力に別れたって書いたよね。
ボシュニャチ、フルヴァツキ、スルツキの3勢力に。
ボシュニャチとフルヴァツキは最初は味方同士のような感じだったけれど、連携は取れていなくてさ、国内で、つまりヘルツェグ=ボスナではフルヴァツキの軍や人々によって、ボシュニャチやスルツキの人々が虐殺された。
一つの民族が、一方的に虐殺するのではなく、お互いに民族浄化の応報を
繰り広げていたんだ。
でも、暴行までする必要なんてあるのか?って思うよね。
それは、単に性的欲求を満たす為の行為じゃないんだ。
敵対する、憎む民族の女性を凌辱する、それは自分達の民族が、敵対する民族に勝利する、やっつけるといった優越感を示す行為でもあったんだ。
だから、女性は標的になったんだ。
9月に入ると、フルヴァツキとスルツキの二つの勢力が同盟を結んでさ、ボシュニャチは二つの民族から挟まれる状況になったんだ。
その理由は、フルヴァツキの人々も、自分たちによる、自分達の国が、このボスニア・ヘルツェゴビナの領内で欲しかったんだ。
そして、最初は共に戦ってもヘルツェグ=ボスナ内でスルツキの人々が一掃されて、領地の争いが減ったんだ。
フルヴァツキからすれば、次はボシュニャチだったんだ。
10月の中旬ぐらいだった。
ボシュニャチの勢力は、スルツキ・フルバツキの二つの勢力に挟まれ、絶望的な状況になっていた。
僕はそういった経緯は、日本に帰ってきてから知ることになったけど、この時、自分達がかなり追い詰められているというのは何となく認識していた。
僕とソニアが一緒に過ごしていた民兵達の部隊も、人数がどんどん減っていって、人手が不足していた。
この日も、殆どの人が離れた街に行ってしまって、拠点としていた洞窟には十数人しか残っていなかったんだ。
もう秋になって、辺りが暗くなる時間も早くなってきていた。
拠点に残っている大人はさ、殆どが負傷した人だったんだ。
だから、僕は暗くなる前にさ、水を汲んでくる必要があった。
この時、ソニアも一緒につれて行けば良かったんだよ・・・。
だけど、誰かが負傷した人を見てなきゃいけなくて、僕が水を汲んできて、その間にソニアが負傷した人を看ている。
そうするしかなかったんだ。
水を汲む場所までは、山を下らなきゃいけなくて、子どもの足で往復4時間くらいかかるんだ。
水を汲んで洞窟の近くまで来た時には、もう辺りは暗くなっていた。
ソニアはちゃんと看てるのかなって心配しながら、水汲んできたよって洞窟の中に入ったんだ。
だけどさ、洞窟の中に明かりが点いてないんだ。
もう外は暗くて、洞窟の中も真っ暗なのに、明かりが点いてないんだよ。
最初はおかしいなって思ったんだ。
だけど、ソニア疲れて寝ちゃったのかって。
ちゃんと看病しなきゃ駄目じゃないかって。
ソニアちゃんと看ててって言ったでしょって言いながら、スイッチを押したんだ。
だけど、明かりが点かないんだ。
何回押しても点かないんだ。
僕さ、民兵の人たちと過ごしている間、前のように本当に危険な目に合う事が殆どなかったんだ。
ソニアを守るって、だからどんな時でも僕はソニアから離れちゃ駄目だし、どんな時でも警戒して、気をつけてなきゃいけなかったんだ。
でも、馬鹿な僕はその大切なことも忘れて平和ぼけしてさ、それを怠ったんだ。
信じたくなかった。
ただ電球が切れただけだと思いたかった。
確かめるのが怖かった。
誤解であってくれって、神様どうか誤解であってくださいって祈ったんだ。
だけど、洞窟の奥に進んでいくに連れて、真っ暗で何も見えなくても、嗅いだ覚えのある臭いがするんだ。
錯覚だって。
これは錯覚だって。
気のせいだって。
でも、うめき声とかも微かに聞こえてきて、何かが焼ける臭いもしてきてさ。
気づいたら両手に抱えていた水の入れ物を落としていた。
ソニアの名前を何度も呼んだんだ。
ソニアソニアどこにいるのって。
隠れないで出てきてよって。
だけどソニア全然出てこないし返事しないんだ。
酷い話だけどさ、横で兵士の人がうぅって苦しそうに声を出していたんだけど、僕はそれどころじゃなかったんだ。
必死に地面に這いつくばって、ソニアが居ないか手探りで探したんだ。
何人か、冷たくなった大人の死体とかに触れたけど、それに驚いたり気遣ってたりする余裕なんてなかったんだ。
どれくらい探してたのかわからない。
もう時間の感覚とかもよくわからなくなっていた。
気づいたら、洞窟の奥まで来ててさ。
壁に手を付きながら探していたら、小さな体に触れたんだ。
すぐにわかった。
夜になると、いつも一緒にくっ付きながら寝てたんだ。
すぐにソニアだってわかった。
頭が真っ白になって両手でソニアに触れたんだ。
でも、ソニアの体は温かかったんだ。
息もしていて、ソニアは生きていたんだ。
良かった。
何が起きたかわからないけど、ソニアは生きてる。
良かったって。
ソニア大丈夫?って声をかけたら、小さい声でうん。って言ったんだ。
離れてごめんねって。
ソニアを追いて水汲みにいってごめんって言いながら、ソニアを抱き寄せたんだ。
そしたら、手に生暖かい液体がついてさ、最初は何かわからなかった。
でも臭いを嗅いだら、血ってすぐにわかったんだ。
慌ててソニア怪我してるの?ソニア大丈夫なの!?って聞いたんだ。
ソニアはまた小さな声で、うん。って言ったんだ。
僕は急いで傷の手当しなくちゃって思って、洞窟の中は暗くてよく見えないから、ソニアを背負って外に出ることにしたんだ。
ソニアの体がいつもより軽く感じて、そしてソニアの体から垂れる血のピチャ、ピチャ、って音が、
洞窟の中で響いていたんだ。
不安になった。
だけど、ソニアは返事をしているし、ちょっとした怪我なんだって、ちょっとした怪我だって、悪いことを考えないように必死に自分に言い聞かせたんだ。
洞窟の外に出た時は、もう外も真っ暗で、月が綺麗に輝いてた。
僕はソニアを草の上に下ろしたんだ。
最初は見間違いかと思った。
だけど、何回目をこすってもさ、ソニアのお腹から血が一杯出てるんだ。
頭の中で理解できないような色んな感情とかが渦巻いてきたんだ。
だけど、血を止めなきゃって。
僕は上着を全部脱いで、ソニアの上着を捲ってさ、血を止めようとしたんだ。
そしたら、ソニアのお腹に大きな穴が何個も空いてて、そこから沢山の血が流れてたんだ。
僕ってば、分厚いコート着ててさ、背負ってるのに、こんなに血が出てるのに気づかなくて・・・。
シャツでソニアのお腹を抑えたんだけど、全然血が止まらなくて、どうしようどうしよう、誰か来てよって泣きながら、ソニア大丈夫だよ大丈夫だよって何度も叫んだんだ。
でも血が止まらないんだ。
そしたら、ソニアが血を口から垂らしながら、「うん。だいじょうぶ。」って言ってさ。
しゃべっちゃ駄目って言ってるのに、小さな声で喋り続けるんだよ。
月が綺麗だねって。
どうして祐希泣いてるのって。
ソニアを心配させちゃ駄目だって思って、泣いてないよ。
だから喋らないでって言ったんだ。
だけどソニアはそれでも話すのをやめなくて、声を出すたびに血が溢れてくるんだ。
混乱してて、慌てて、怖くて、正確には覚えてない。
だけど、ソニアは昔の話をしだしてさ。
特別な日覚えてる?って。
僕すぐには思い出せなくて、何?って言ったんだ。
そしたら、祐希にお友達になってくれたお礼をした日って言うんだ。
僕は覚えてるよ。
忘れるわけないじゃんって泣きながら答えたんだ。
そしたら、ソニアはちょっと笑いながら良かったって言って、あの時も綺麗な月だったねって。
僕はうまく言葉が出せなくて、うん、うん、って相槌しか打てなかったんだ。
それでもソニアは喋り続けて、ずっと一緒にいれなくてごめんねって言うんだ。
ソニアはわかっていたんだ。
自分が大怪我して、もう助からないってわかってたんだ。
もう僕は何て言葉を返したらいいかわからなかった。
ソニアは、もうお腹押さえなくていいって、その代わり手を握ってって言うんだ。
もうソニアは手に力が入らないみたいで、僕の手を握り返せないんだ。
手を握ってさ、目の前にいるのに、ソニアが言うんだ。
祐希、ちゃんと手にぎってる?そこにいる?って。
僕はちゃんと握ってるよ。
隣にいるよって答えたんだ。
そしたら、そっか。良かったって言ってさ。
ごめんね、ありがとうって小さな声で言った後、何も喋らなくなったんだ。
息はまだしてたんだ。
もし医者がいれば、医者じゃなくても大人が居ればソニアは助かるかもしれないんだ。
でも、僕は何も出来ないんだよ。
大切な子が、ソニア以外いなくなったり死んじゃったりして、もうソニアしかいないのに。
たった一人の大切な人なのに何も出来ないんだよ。
ソニアの息が少しずつ弱くなって、体が冷たくなっているのに、横でただ泣きながら見ているしか
出来ないんだよ。
僕は目の前で起きた現実を受け入れることが出来なかった。
やらなければいけない事は沢山あったんだ。
洞窟の中にはまだ生きている民兵の人がいたんだ。
でも僕はソニアの傍から離れる事が出来なかった。
この日まで、沢山の人に助けられて生き延びてきた。
沢山の人の、仲間の友達の犠牲の上で、生きてきたんだ。
なのに、何もお返しも出来ずに、逃げてばかりで、まだ生きている民兵の人だけでも助けなきゃいけないのに、その人たちに助けられて、今まで面倒をみてきてもらっていたのに、頭で理解してても何も行動できないんだ。
気づいたら朝になっていて、洞窟の中でまだ息のあった人たちも、皆亡くなっていた。
もう心が耐えられなかった。
情けない自分が、同じ過ちを何度も繰り返す自分が許せなかった。
それから数日間、冷たくなってるソニアや民兵と一緒に過ごしていたんだ。
でも、外に出ていた民兵の人は誰も帰ってこなくて、もう全てが終わった事に気づいた。
本当はとっくに気づいていたけど、もう現実を受け入れるほど俺の心は強くなかったんだ。
それから、少しして、俺は皆の遺体を埋めることにしたんだ。
スコップとかがないから、木の棒でひたすら彫り続けて、
全員の遺体を埋めるには数日かかった。
俺ムスリムじゃないからさ、お墓に何をすればいいかわからなかったんだ。
だから、棒を立てて、咲いていた花を移して植えるぐらいしかできなかった。
ボシュニャチの民兵の人に、辛くても生き抜けって言われたけど、もうそんな気力もなかった。
もう全てを失って、希望だとか光も何もないんだ。
その場で死のうと思って、銃を探したんだけど、銃が全部なくなってるんだ。
食料もとっくに尽き果てていて、飲まず食わずでいた僕は、もう疲れて眠くなっちゃってさ、そのままソニアを埋めた場所の前で寝たんだ。
目を覚ましたら、夢の中みたいで、どこかの家のベットに寝てたんだ。
おかしいな、これは夢なのかなってそれとも今までのが夢なのかなって思ってたんだ。
そしたら部屋の中に中年ぐらいの女の人が入ってきてさ、何か僕にいいながら、水とか食べ物をくれたんだ。
それから少しして、これが夢じゃないってわかってさ。
僕は山で倒れていた所を、スルツキの民兵に保護されて、そこから結構離れた民兵の暮らす集落に連れて来られていたんだ。
もう死にたいって思ってた僕はさ、スルツキの民兵がソニア達を撃ったんだろって、絶対に許さないって暴れたんだ。
でも、この家の奥さんや、民兵の旦那さんは悲しそうな顔しながら、自分たちはしていないって言ってさ、僕が暴れてるのに抱きしめてくるんだ。
僕は嘘つきめ、嘘つきめって叫びながら暴れたんだけど、離してくれなくてさ、寝るって言って部屋に篭ったんだ。
それから何日も、部屋にもって来てくれたご飯とかも食べないで、ずっと篭っていてさ。
そうだ、ここから逃げればいいんだって思ったんだ。
それで夜になるのを待って、窓から外に飛び出して、辺りを見渡したら、十何キロ先かわからないけど、前いた山っぽいのが見えたんだ。
僕はソニア達の所に戻らなきゃって、あそこに戻らなきゃって思って、山に向かったんだ。
途中で、道がわからなくなったりして、何とか洞窟についた時には3日以上経っていたと思う。
その後、2日くらいまた洞窟で一人過ごしていたんだ。
そしたらさ、集落の民兵の人が来たんだ。
気づいた時にはもう洞窟の入り口の所まで来ていて、逃げ場はなかった。
ああ、僕も撃たれるんだな、良かったってほっとしたんだ。
だけど、彼らは僕を撃たないんだ。
撃たないどころか、一人で何してるって怒るんだよ。
意味がわからないんだよ。
お前らスルツキは子どもでも女の人でも殺して、子どもに乱暴だってするだろって。
僕の事も同じようにしろって泣きながら叫んだんだ。
だけど、彼らはただ無言のまま僕を担いでさ、洞窟から連れ出そうとするんだよ。
嫌だ嫌だって言っても離してくれなくて、バックがバックが、だから離しせって言っても離してくれなくてさ。
バックはどれだって言うから、答えたら、俺が預かるとかいってさ、僕の事を下ろさないまま山を下ったんだ。
疲れていたのもあって、僕は途中で寝ちゃってさ、起きたらもう集落のすぐ近くまで来てたんだ。
その後、また同じ家に連れて行かれて、家に入ったら、あの二人が怒りながら僕の事をビンタしたんだ。
それから僕の事、この前よりも強く抱きしめてきて、また暴れようとしたんだけど、力が強くて暴れられなかった。
それから知ったことなんだけど、この集落の人たちは元々民兵じゃなかったんだ。
ボシュニャチの民兵に襲われて、村の女の人や男の人、子どもも何人か殺されたり連れ去られたりして、それで武装してたんだ。
僕を世話してくれた夫婦にはさ、僕よりちょっと年上ぐらいの子どもがいたんだ。
だけど、彼は襲われた時にボシュニャチの民兵の人に殺されてしまっていてさ…。
その時、漠然と皆が苦しんでるっていう感じだったものがさ、スルツキの人も苦しんでいるんだ、被害にあってるんだ、皆が辛いんだって確信に変わったんだ。
多分だけど、僕がお世話になっていたボシュニャチの民兵の人達なんだ。
この集落を襲ったのはさ。
そして同じような事を他の集落でもやっていたんだ。
中には、本当に悪い奴もいて、虐殺や暴行、性的暴行をしている人間もいるんだ。
それは否定しようがない事実なんだ。
そしてスルツキが今回の紛争で大勢のボシュニャチの人々を殺してたり、暴行したり、凌辱したのも事実なんだ。
だけど、彼らもまた、同じような被害にあってるんだ。
自分達を守る為に、家族を守る為に、お互いにお互いを殺しあってるんだ。
望んでいるのは、形は異なっていても、同じ 平和に暮らす ってことなのにさ。
でも、昔に起きた虐殺や戦争の禍根が未だに残っていて、それがお互いの理解とかそういうのを邪魔するんだ。
積もりに積もったものが、阻むんだ。
今までの歴史が、彼らに人を殺させるんだ。
やらなきゃ、やられるって思わせるんだ。
それから僕は、彼らと1年ちょっと生活した。
スルツキの人を憎む気持ちは薄れることはないんだ。
だけど、彼らにも彼らの事情があって、それを僕は否定出来ないんだよ。
否定する事が出来ないんだ。
少なくとも、全員が望んで人を殺しているわけじゃないんだ。
罪悪感とかそういうのと戦いながら、それでも殺さなきゃいけないって、それで相手を殺している人たちもいたんだ。
彼らと暮らして半年ぐらい経った頃だったと思う。
アメリカを始めとするNATOが、スルツキの勢力下の地域に爆撃を始めたって聞いた。
後で知ったけどさ、もっと前から国連として活動はしていたんだけど、遅すぎるんだよ。
もう何もかもが遅すぎるんだ。
そして彼らと暮らして大体1年2ヶ月ほど経って、1994年の12月になったんだ。
1月から停戦になるから、祐希はサラエヴォへ行って、そこから国に帰りなさいって言われたんだ。
でも、僕はもう嫌だった。
というより、これから先、全てを背負って生きていく自信がなかったんだ。
集落を出発する朝、僕を世話してくれた夫婦とか、民兵の人が集まってくれたんだ。
だけど、僕はもう無理だって、もう死にたいって思ってさ、頼んだんだ。
頼むから僕を殺してって。
痛くても我慢するから、殺してって。
大切な友達達も皆いなくなってしまったのに、生きていても辛いって言ったんだよ。
そしたら、周りの兵士たちも、お世話をしてくれた二人も悲しそうな、少し困ったような顔したんだ。
そしてお互いに見つめあいながら、何かを早口でいってさ、僕を取り囲んだんだ。
僕はソニア達に、もうすぐそっちに行くよって、心の中で呟いた。
やっと終われるって思ったんだ。
だけどさ、彼らは僕に何かをするわけでもなく、歌を歌いだしたんだ。
何が起きたかわからなかった。
違う国の言葉だし、意味もわからなかったんだ。
意味を知ったのは、日本に帰って数年してからっだ。
歌詞はね、
I see trees of green, red roses too
I see them bloom, for me and you
And I think to myself, what a wonderful world
I see skies of blue, and clouds of white
The bright blessed day, the dark sacred night
And I think to myself, what a wonderful world
The colors of the rainbow, so pretty in the sky
Are also on the faces, of people going by
I see friends shaking hands, sayin' "how do you do?"
They're really sayin' "I love you"
I hear babies cryin', I watch them grow
They'll learn much more, than I'll ever know
And I think to myself, what a wonderful world
Yes I think to myself, what a wonderful world
Woo yeah
日本語に訳すと、
青々とした木々、そして真っ赤に咲くバラが見える
僕と君のために、咲き誇っているよ
僕は自分に語りかけるんだ、「なんて素晴らしい世界なんだろう」って。
青い空、そして真っ白な雲が見えるよ
光り輝く日が訪れ、夜がやってくる
僕は自分に語りかけるんだ、「なんて素晴らしい世界なんだろう」って。
美しい虹が、大空に架かっている
道を行き交うみんなの顔も輝かせているよ
人々は「元気かい?」と手を振りながら握手をしているよ
皆心の中で「愛しているよ」と言っているんだ
赤ちゃんの鳴き声を聞き、その成長を見守るんだ
この子たちは皆、僕が知らない世界も目にしていくんだろう
そして僕は思うんだ、「なんて素晴らしい世界だろう」って。
そう、僕は思うんだ。「なんて素晴らしい世界だろう」って。
この歌はさ、今の戦争の世界が素晴らしいって言ってるんじゃないんだ。
きっと、世界は素晴らしくなるんだ。
そう皆が願い、思えば、素晴らしい世界になるんだって意味なんだ。
愛でね。
皆、好きで殺してるわけじゃないんだ。
そうしないと自分達の仲間が子どもが殺されてしまうからなんだ。
そして、相手も同じなんだ。
それをお互いにわかっているんだよ。
わかっているのに、止められないんだ。
泣きながら歌ってるんだ。
ボシュニャチやフルヴァツキを殺した民兵たちが泣きながらさ。
彼らは好きで殺してるわけじゃないんだ。
そしてそれが許されない行為だと知っているんだ。
知っていながら、どうすることも出来ないんだ。
お互いにね・・・。
この時、英語が理解できていれば、彼らに何か言えたかも知れない。
でも、当時の僕には何の歌かわからなかったんだ。
悲しい歌なのかと思った。
平和を願う歌とは知らなかったんだ。
その後、僕はサラエヴォまで連れて行かれてさ、解放される時に手紙を貰ったんだ。
その手紙の内容は、ちょっと長いから要約するけど、
人生は不公平だ。
一生平穏に暮らす者もいれば、一生紛争や貧困に喘ぐ者もいる。
だけど、人生には、神様が皆にチャンスをくれるんだ。
学校やお父さん、お母さん、大人や友人、彼らは何度でも君にチャンスを与えるんだ。
それを活かすかどうかは、君次第なんだよ。
小さな贈りものになるけれど、私は君に生きるチャンスを与えよう。
強く優しく、そして誠実に人生を全うしなさい。
そして、素晴らしい世界を作りなさい。
子どもが笑いながら育つ世界を。
君達子どもに託そう。
素晴らしい世界を。
こんな感じの内容なんだ。
その後、1995年1月から4ヶ月の停戦が結ばれて、僕は首都で再会した父と共に、オーストリアに向かい、後に日本に帰ってきた。
結局、この一連のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が終結するのは、僕達がこの国から脱出した10ヶ月後の事だった。
1995年7月、安全地帯となっていたスレブレニツァが包囲され占領されたんだ。
多くのボシュニャチが処刑、強姦、拷問され、生き残った中から一部の女性は解放されたけれど、男性は殆どが順次処刑されていった。
殺されたのは、大人、子ども、男女、老若女男問わず虐殺されたんだ。
犠牲者は、8000人を超えていて、未だに身元がわからない人も多く居る。
もし、サラエヴォから脱出できなければ、僕らはそこにいたかもしれない。
良い人もいれば、悪い人もいる。
スルツキが憎い。
憎いけど、全てのスルツキが悪というわけじゃない。
どうしたらいいんだ。
どうやって生きていけばいいんだ。
平穏な日々に戻ってからも、それを悩んでいた。
そして、いつの間にかドラガンに責任を押し付け、うらんで、生きていくようになった。
あの日、いつもの様に皆でソニアの家に遊びに行くはずだった。
だけど、ドラガンだけが用事で行かれないと言ったんだ。
だから僕は、あの日ソニアの家に来たスルツキの民兵は、ドラガンが僕たちの居場所を知らせたせいで来たんだと思ってたんだ。
そのせいで、ソニアの家族やカミーユが殺されてしまったんだと・・・。
でも、ドラガンは裏切ってなんか居なかった。
Facebookで彼の弟を見つけ、コンタクトを送ったら、僕達がカリノヴィクで襲われた日に、ドラガンは殺されていた。
僕達を庇おうとして。
僕達を庇ってくれた仲間を裏切り者として、15年以上も憎んできた、「ずっと仲間だ」って約束したじゃないか、それなのに、その言葉を忘れて、僕が彼を裏切っていたんだ。
今までの人生が全て崩れるような感覚に陥って、僕はもう生きていけないと思った。
罪悪感だけじゃない。
僕には荷が重過ぎるんだよ。
気づいたら、会社に退職願を出していた。
丁度さ、いい機会だったんだ。
ドラガンの弟から、サニャとかの家族の現住所も教えてもらえてさ。
サニャとカミーユの家族は、全員ではないけれど、生きていたんだ。
だから、まずはドラガンのお墓で謝って、そしてドラガンの家族に謝罪して、そして感謝を述べて。
それでさ、その後は、カミーユの家族に会いに行って、サニャの家族に、サニャの遺品を渡してさ。
全てを終わらせようと思ったんだ。
ただ、ボシュニャチの人との約束の一つ、話を広めるというのは僕には出来なかった。
そしてもう、時間もない。
もし何かを感じてくれれば、それでいい。
欲ではあるけれど、僕自身、彼らが何を伝えようとしていたか、そして僕が何を伝えればいいか考えて、それを少しでも感じ取ってくれれば、なお嬉しい。
大切なのは、素晴らしい世界を願い、それを伝えて、実現に近づけていくことなんだと思う。
文章を書くのが苦手な僕には、僕の気持ちだとか、どんな事が起きたかを上手くは伝え切れなかったと思う。
だけど、もし、読んでくれた中で、何か感じるものがあったとしたら、バルカン半島、ボスニアのことにも少し目を向けてくれると嬉しい。
日本だからこそ出来る事があると思う。
断罪するだけではなく、罪を犯してしまった民族にも、救済の手を、救いの手を差し伸べて欲しいんだ。
それは偽善かもしれない。
それは意味がないことかもしれない。
だけど、今ある禍根を…もしだよ。
もし取り除くことが出来れば、いつか素晴らしい世界になるんじゃないかな。
僕はそう思うんだ。
彼らが歌ってくれた歌に、そのヒントがあるような気がしたんだ。
”この子たちは皆、僕が知らない世界も目にしていくんだろう”
彼らが知らない世界、それは、民族融和かもしれない。
でも、それは簡単なことじゃないんだ。
恨みや禍根は、今現在一時的に裁きによって蓋をすることが出来たかもしれない。
だけど、それが消えたわけじゃないんだ。
行いが間違っていても、全ての民族に正義や大義名分があったんだ。
一方的に絶対悪にして断罪しても、その恨みや禍根は蓋で隠されているだけで、子どもたちに継承されていくんだ。
子どもたちに継承された恨みや禍根が、何度も、何度も同じ悲劇を繰り返してきたんだ。
それを断つには、周りの、世界の人々の手助けが必要だと思う。
そして、そういった時に、日本だからこそ出来ること、日本だからこそ手助け出来る事があると思う。
パレスチナとイスラエルの子どもを結びつけたように。
最後になるけれど、この紛争で亡くなった全ての方々のご冥福をお祈り申し上げます。
ソニア…彼女はスルツキ(セルビア人)民兵によって殺害される。
サニャ…彼女は爆発に巻き込まれ死亡する。
メルヴィナ…彼女はスルプスカ警察によって乱暴された後、連行される。
メフメット・カマル・ミルコの三名は行方不明となり、生存は未だ不明である。
カミーユ…彼もまた、スルツキ(セルビア人)民兵によって殺害される。
ドラガン…彼は裏切り者であったと誤解をしていた。
この話しはフィクションでもあり、ノンフィクションでもあります。
まず、話に登場したソニア(Sonja_Grebo)、サニャ(Sanja_Edu)、
メルヴィナ(Melvina_Prazina)、カミーユ(Camil_Trpkova)、
メフメット(Mehmet_Spaho)、カマル、ミルコ(Mirko)、
ドラガン(Dragan_Stanisic)
彼らは実在した。
そして彼らがこのような体験をしたのは事実だ。
ミルコとその家族が殺害されたらしいというのも、伝聞ではあるが事実だ。
祐希という人間が日本国籍を持つ日本人というのは創作。
希望の祐(たすく)即ち希望の助けという意味を込めて仮名を使わせてもらった。
彼の名前は、希望という意味があったからね。
ただし、母親が日本人で父親がボシュニャク人のハーフで、国籍が日本人ではなかったと言う事だ。
「what a wonderful world」がセルビア人の民兵村で歌われたというのは部分的に事実だ。
全ての人が歌ったわけではない。
彼を保護した夫婦が、彼に対して歌ったものだ。
そして、その後も彼はこの歌を愛した。
そして彼は、26歳の時に、勤めていた会社を辞めて「ボスニアに行ってくる」という言葉を最後に消息が分からなくなっている。
彼は、ドラガンが裏切り者ではなかった事を知った後、15年以上もドラガンの事を裏切り者だと思いこみ、過去の記憶の苦しみを恨みに変えて生きてきていたけど、それが崩れ去ってしまい、罪悪感に耐えられなくなったようだった。
そして、一連の状況下や思いを綴った原稿用紙を僕に託し、「もう楽になってもいいかな」と言って姿を消した…。
彼は今どこにいるのだろうか。
この大空の下のどこかに居るのだろうか。
それとも・・・・。
ソニア達と一緒に遊んでいるのだろうか・・・・。
完
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