匿名 2015-12-18 21:17:49 |
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私が誰であるかを考えることは、私が誰の所有物かを考えること、および、私が所有しているものは何であるかを考えることと等しい。
今回は後者に注目する。
①この文章より、私が私を所有していないと解釈するのであれば、私が所有していないものを、私は所有している場合が考えられる。
②さらに文章では、意識に関してかなり曖昧に(意識があれば〜だろう、より)描かれている。
加えて『そんなことはあり得ない。』より、私が意識を持ち得ぬ存在だと解釈するのであれば、それは無生物ではないだろうか。
これら①②をふまえたうえで、私は『未来』ではなかろうか。
未来は現在を所有しているが、現在は未来を所有していない。
上から順にABABAB…としてやると分かりやすい。
Aが未来(私)で、Bが未来からみた未来(私)だ。
①においては、未来(私)が今に語りかけているが、未来からみた未来(私)は未来にいる。
しかし、未来(私)が未来にいることはあり得ないので、未来(私)は未来からみた未来にはいない。
『それでは私に問おう…』以下、つまり②では時制を気にしていないので、ABの転換が行われるが問題ない。
ぶっちゃけると答えはありません。
夢の中での自分との会話を思い出しながら書いてみました。ただ強いて答えを挙げるならば、意識と無意識の会話…みたいなものなのでしょうか。それは確かに自分自身に存在するのに、その自分自身はその存在を認識することができない。自分は此処ある、と気づいてほしい。みたいなものなのでしょうか?
ハッキリ言ってどうしてこんな会話(?)が成り立ったのすらわかりません。ただ自分が何者なのかが非常に気になっていた頃だったので、もしかしたらそういうのなのかも。
要するに答えは皆さんの中にあります。
ただし松本ではない。
そんなことより、
持ってという表記は誤字とみて良いのかが気になって先へ進めませんでした。
もって、とはつまり、それによって、という意味ですよね?
その場合は、以ての表記が正しいのではないかと思います。
本題と関係ない上に細かいところを指摘してしまってごめんなさい。
「意識」について知るには知識と研究とそれを理解する頭の良さが必要となります。決して簡単で単純な質問ではありません。そもそも私の「私は此処にある」みたいな受け答えが気に入らない。
たまに多重人格者がおりますが、そいつらの、どの人格もちゃんと会話をします。でも人格を統合する事も出来ます。
統合した場合、主の書き込んでいた私の何人かが消えるのか(存在しなくなるのか)について答えて頂けるとありがたい
倉さん»
どうなんでしょうか…おそらく統合しようとしてもできないでしょうし、そもそも私には会話した私が一体何なのかも把握していないので、人格などではなくただ単に自問自答だったのかもしれません。でも会話した私はあきらかに自分とは全く別人のように感じるんですよね…うーん…
そもそも松本って誰?
(新しい質問)
>>15、そうですか。人格は統合出来ると聞いておりましたので。
松本という方は、最近ここのサイトの人達に批判されてた人物で、私もあまり詳しく知りませんが、誹謗中傷されるような書き込みを御自身がされたのが、批判されていた原因のようです。
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