YUKI 2015-10-02 22:05:13 |
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プ ロ ロ ー グ
「ねぇ、貴方は知っているかしら?アダムとイブと禁断の果実の話を」
窓一つない薄暗い部屋の中、入り口から一番離れた壁際のソファに一人の女が腰を掛け、入り口付近の人影に話しかける。
「一説によると、大昔のまだ地上に生き物がいない頃、神様はアダムという一人の人間を生み出した」
女は足を組み替え、腰まである長い琥珀色の少しウエーブのかかった髪を揺らした。
「神様はさらにアダムの肋骨を一つ取り、その骨でイブというアダムとは違う人間を生み出した」
女の口元が少し笑ったようにも思え、人影はビクリと肩を震わせる。
「神様は後にイブに恋をし、三人でずっと幸せに天界で暮らせると思っていたのに、ある日事態は急変した」
女はゆっくりとソファから立ち上がり、後ろへと振り向く。
人影はおびえたように体を震わせ始めた。
「森に住む蛇がイブを唆し、禁断の果実を口にさせ、イブに知識を与えた」
クスリと女は笑い、人影の方へ振り向き直す。
「イブはアダムにも果実を食べるよう促し、イブとアダムは自分達は神様とは違い、人間であり男と女であることを知った」
ゆっくりと女は人影に近づき、楽しげに話を続ける。
「それを知った神様は激怒した。果実を食べなければ、アダムとイブが知恵を授からなければみんなで平和に過ごせたのにと」
人影は女におびえたように、後ろへ一歩後ずさりをした。
その様子を見て嬉しそうに微笑むと、女はさらに人影に近づきなおも続ける。
「神様はアダムとイブを天界から追放し、地上に落とした。そして蛇の足をそぎ落とした」
震える人影に女はそっと抱きつき、一呼吸置いてから耳元で囁いた。
「でもね、本当に罰を受けるべきだったのは誰だったのかしら?」
人影の瞳から映ったのは、この薄暗い部屋の中で、嬉しそうに微笑む、美しくも恐ろしい琥珀色の髪を持つ女と、その背中から生えた汚れのない真っ白な翼。
そしてその身を包むのは、元は白いワンピースだったが今は血に染まり、紅いワンピースだけであった。
その研究施設は、某国の管理下にありながらも、地図にも載らず人工衛生からも隠れるようにステルスされた小さな小島に存在していた。
なぜそれほどまでに隠され、なおかつ重要機密として管理されていたかというと、答えはあまりにも簡単なものだ。
その施設での研究が誰から観ても非人道的な研究だからである。
その研究の名は『新種族人工生成計画』
人の手によって新たなる種族を生み出し、それを有効活用しようと言うものだ。
しかし、有効活用と言ってもあまり表だって言えるようなものではない。
なぜなら、科学や医学の実験体、金持ち連中の観賞や愛玩用。
量産すれば国民達の為のペットとしての販売目的等のためだから。
我が国の法では人身売買は禁じられているが、人ならざる生き物ならば話は変わるのだろう。
しかしそんな研究が何の犠牲もなく実行できるわけもなく、研究には多くの犠牲がついてまわっていた。
犠牲になっていたのは実験に使えそうな自然界の生物と、国が裏で管理している孤児院から少しずつ極秘で送られてくる実験用の人間である。
もちろん人体実験も違法ではあるが、研究にはどうしても人間の実験体が必要であった。
なぜなら第一の実験による生成種族は『天使』だったから。
そのため、人と合わせる生物も大型の白い翼を持つ生物『白鳥』と言う鳥が用意されていた。
白鳥の白い翼はそれなりに大きく、人体に合わせるには丁度よいと判断されたためだ。
そのために、この島では実験用の白鳥が大量繁殖されている。
そして、研究施設の中には実験用の人間も多くが専用施設に収容されていた。
しかし実験体とは言っても出来る範囲で丁重には扱っている。
食事は専属の栄養士によるバランスのよい健康的なものだし、部屋も窓のないうえドアは二重オートロックが掛かってはいるが、トイレとユニットバスがついてありベッドは清潔に保ってある個室である。
白鳥との合成実験も白鳥の雄と、人間の女を用いた人工受精と帝王切開によるもので、もちろん麻酔や痛み止め、消毒薬や化膿止めも用いられている。
そのため人体の負担は最小限にしてはいるので、唯一の難点はそんな不可思議な生物を生まされるという恐怖と、どんな生物でも我が子と思ってしまう母性本能であった。
精神面だけは専門医を用意してもどうにもならずにいた。
だからといって研究を止めるわけはなく、この研究はすでに八十年以上続けられている。
そして現在この研究施設の所長を勤めているのは、齢24歳の若手研究者、葉舞鈴音(ハブリンネ)という青年である。
葉舞は元々この国の人間ではないが、IQ182という高い知能を生まれ持ち、母国の有名大学を飛び級で卒業し、その後この国の国立大学に留学して、卒業後この研究施設に迎入れられたのであった。
本人も研究内容を聞くなり二つ返事で承諾し、研究施設に入所後は他の研究者達よりも熱心に研究に力を入れていた。
当時の彼はまだ13歳の子供であったが、その知識への吸収力は誰もが驚いていたものだ。
彼は入所した当時は只のヒラ研究員だったが、その三年後前任の所長が体調不良を元に退任する時、彼を次期所長にと推薦したのであった。
若干16歳の若手研究員が所長になることを反対する者も出るであろうと思われていたのだが、以外にも皆が一致で葉舞の所長承認に賛成したのである。
この研究施設は実力主義で、年齢や国籍は問わないという考えの持ち主ばかりであったためだろう。
そしてその頃に一体の実験体が生まれていた。
その名は生成体ナンバー587『イブ』。
長年の研究でようやく生まれた外観的には理想体の生成体である。
今まで生まれてきた生成体は嘴の生えた人間であったり、全身が羽毛に包まれただけの人間。
顔だけが人間の鳥や、首の長い人の手が生えた鳥等どれも異形な者ばかりであった。
そのうえ、外観が良く生まれても生まれて数分から数日で亡くなる者ばかりで、とても研究に使える代物ではなかった。
しかし、『イブ』は違った。
外観はもちろん、健康面でも特に問題はなく、唯一の問題はその後母胎が死亡してしまったということのみである。
母胎が死亡してしまったことはかなり手痛い問題だと判断された。
唯一まともに生成できたイブの母胎は、生きていればあらたなまともな生成体を生み出せる可能性があったのに。
これではまだまだ研究は落ち着きそうもないだろう。
ちなみにイブの情操教育には特に心配はないといえる。
この島には研究員用の寮が完備されているが、チーフと副所長、所長には各々家が与えられていた。
寮も各々がホテルのダブルルームくらいの個室に備え付けのトイレにユニットバス、一階には食堂もあり売店もついている。
研究員の数も三十人ほどしかいないので、さほど窮屈ではないが、やはり持ち家がある方が過ごしやすい。
葉舞の家は所長クラスのため、森の中にある湖畔の側の大きな屋敷だった。
屋敷と湖畔を囲んで鉄の門が森の中に隠れるように作られている。
国に手配されたメイド達もいるので、葉舞はそこでイブを育てることに決めた。
イブには研究のことは告げず、たまに健康診断と言って、研究用の血液等を採取していた。
イブは検診の度に採血を嫌がり泣いたが、その後に用意させておいた菓子を見せるとすぐに泣きやんだ。
そんな風に素直に育っているイブを見ると、自分の中に情が生まれてくることに葉舞は気づいた。
イブの背中に生える今はまだ小さな翼は、本当に空想の中の天使のようだと葉舞は日々感じて研究に勤めている。
そして時は過ぎ現在、葉舞は24歳になり、イブは8歳の女の子になっていた。
イブは少し活発な性格をしていたが、そのおかげかその背中の翼で少しの間なら羽ばたけるように育つ。
二年前に門を高くしたので脱走の心配はないが、それとは別の心配事が現在研究施設で起きていた。
あれから八年も経つのに、いまだに新たな理想体で、健康的な生成体は生まれていない。
早く男の生成体が生まれなくては、イブから新たな生成体を増やせない。
そのためにイブはいるのだから。
葉舞は新たな生成体を生み出す事をひたすら考えていた。
「葉舞兄様、お帰りなさい」
イブは屋敷の玄関前の庭から葉舞が帰ってきたことに気づくと、森の中から現れた葉舞の前に急いで駆け寄る。
「ただいまイブ、今日の勉強はどうだったかな?」
葉舞は駆け寄ってきたイブに微笑みかけ、髪を撫でながら聞く。
「もちろんしっかり勉強したわ。でも、最近のお勉強は少しつまらないわ」
イブはニコリと笑い今日の勉強終えたことを言うと、少し不満そうな顔をして葉舞に抱きついた。
イブの勉強は二年前からの事で、始めは屋敷での留守番に拗ねるイブの時間潰しのつもりだった。
ところが、イブの記憶力は葉舞のそれを上待っているのではないかと思えるほどであることが判明する。
始めは簡単な数字や足し算や引き算、それに幼児向けの本を読める程度の文字を教えるだけのつもりだった。
しかし、それらをイブは数カ月で覚えてしまい、仕方がないのでさらにかけ算わり算、そして10歳の子供が読める程度の本の文字を教えることになる。
しかしやはりそれもすぐ覚えてしまい、今は多国語の言葉を勉強させてはいるが、最近は少し、それがつまらないようだ。
やはり言語だけでは退屈なのだろうか。
しかし、国の管理下において、イブに深い知識を与えることは禁じられている。
歴史関する書物や童話、医学や科学に関する書籍等はイブという生成体が、自らを認識する可能性が高いと思われるため認められないのである。
「葉舞兄様、私お料理を勉強してみたいわ」
イブは葉舞の顔を見つめ、自らの希望を叶えてほしいと懇願してきた。
料理。
確かに知識的な問題はないだろうが、国の管理下に当たるイブが怪我をした場合やはり問題になるだろう。
「うーん、少し考えておくとしようか」
葉舞は一応検討してみるとイブに微笑み伝えた。
「本当?嬉しいわ。葉舞兄様大好き」
イブは満面の笑みを浮かべ、葉舞と供に屋敷の中に入って行く。
二人はそれから着替え夕食を食べそれぞれの時間を過ごし就寝した。
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