るあな 2015-09-19 04:09:11 |
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なんだこの流れ…。
とりあえず民主主義云々の話に戻します。>>218で私が言った
>> ・国民の負託は、どのような勢力の誘導や助言、有権者の勘違いなどがあろうともそれを「是」としなくてはならない。でなければ民主主義国家ではない。
ここから民主主義とは何ぞや、という話になったはずなので改めて。
一読して判ると思いますが、ここで述べているのは国民の負託のみが国家の正統性足りうる、という話です。当然国民の付託そのものが、例示された民主党政権の如く後の歴史家から誤りであったと批判されることもあるでしょう。でもそれは甘受すべきことなんです。その時の人々が合議・判断し、普通選挙に則って良いものだと判断したのですから。そこで「僕は反対していたから関係ない。僕は間違ってなんかいないんだい」と朝日新聞的な逃げを打つのは許されるはずが無いのです。国民の負託がいかなるものかという結論を出したのは国民全員の投票行動なのですから。
逆に国家、まぁ政府と言い換えても良いのですが、が「以前出された国民の負託は間違いだった。我々が政策を誤ったのは国民が正しく判断しなかったからだ」的な発言をするのも許されるはずもありません。国民が誤った付託を示さないように政策を発議するのが政府の役目なのです(予断ですが、ここまで呼んでいただくと判る通り、私は現ドイツ政府がナチスを批判すること、時の国民が誤った選択をしたと批判することを良しとはしません。私には無責任且つ無神経な振る舞いにしか見えません)。
しかしながら国民の負託が正しく示せない環境も世界には散見されます。帝政と見間違えるような独裁国家や国家運営よりも宗教的戒律を重んじる宗教国家などの国民の負託を無条件で「是」と言い切ることは私には出来ません。それを「是」と言い切るには、政治的な成熟度と国民の人権意識がある程度整っており、教育水準も一定以上にある国でしょう。そうした国々はほぼ全て国民の付託を政策に反映させる普通選挙というシステムを採用しています。多分世界の首脳でも指折りの権限を有する米国大統領ですら、国民の負託は「是」とせざるを得ませんし、それを拒否したらまず間違いなく次の選挙でその席を追われるのです。国家元首ですら時がくれば無職に追い落とすことができ、国の有り様を国民全体で付託し時の政府もそれに束縛されるシステム、これは極めて民主主義的な至高の発露なのです。
なので
>> ・国民の負託は、どのような勢力の誘導や助言、有権者の勘違いなどがあろうともそれを「是」としなくてはならない。でなければ民主主義国家ではない。
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