アマツ 2015-08-19 05:25:08 |
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…………思えば、この時が最後の……
いや、それ以前からだったのだと思う。
あんなことは、誰にだって予期できない。
「で、だ。」
篠田先生が私達を見据えながら、焼き鳥を頬張る。お酒が入ったからか、男の人みたいにワイルドな雰囲気を感じる。
「お前ら、一体何なわけ?」
「何、とは?」
「ふん。そうだなぁ………獅兎。」
「は、はい。」
真剣な顔で呼ばれて、シドも背筋をピンとせざるを得ないみたいだ。
何故か私まで背筋をピンとしてしまう。
「お前、ちょっとキャラ定まってないぞ。」
「は、はぁ……キャラ、ですか?」
「そう。キャラだ。お前は小鳥の何だ?弟か?兄か?同級生の友達か?ハッキリしてない!」
ビシッ!と効果音が付きそうな勢いで、人差し指をシドに向ける篠田先生。
それに何の反応もせず、キョトンとするシド。
「……」
「……」
「……」
沈黙が流れる。
けれど、それを破ったのは誰でもなかった。
………そう。誰でも………。
ドォォォンッ___!!
「!? なに!?」
爆発音がした。
それも、かなり近い場所らしく、衝撃波が伝わってくる。
私は慌てて窓を開けて外へ身を乗り出す。
思ったより風があるらしく、カーテンがふわりと広がった。
「………あそこだ……」
そして、煙が出ている場所を発見する。
すぐ近くの住宅街の一郭。
交通事故かな?と考えていると、何かが道の街灯の下を横切った。
「……?何あれ……犬?」
「どうした?小鳥、何が見える?事故?」
シドが私の隣から外を見る。
「うん。あそこの家がいっぱいあるところ。」
「ん……交通事故、かな?」
「はいはい虫入るから窓閉てねー。事故でしょ?」
そう言って、篠田先生はカーテンをバッと掴んで帯で纏める。
私とシドは膝立ちをしてて、先生は私達の上から顔を覗かせた。
閉めろとか言いながら、自分も窓から顔を出しているのだから意味がない。
………
…………
……………
「………………………………………」
「篠田先生?」
しばらく動かない先生に、声を掛ける。けど、返事はない。代わりに目を細めて、鋭い視線を住宅街に向けている。
「あ、あの……先生……?」
シドも気づいたみたいで、先生を呼ぶ。
けど、やっぱり反応しない。
と、その時
「綾岸夜空さーん、至急職員室へGO!」
「………わかりました。」
そう言うや否や、二人はその場を離れて靴を履く。
「え?あの、先生?」
「ごめんなさいねー、ちょっと用事があったの忘れてたから。それじゃ、またあとでね!」
「……失礼します。」
そして、二人は生徒会室を去った。
◇ ◇ ◇
………どれほど時間が経っただろう?
多分、10分も経ってないと思う。
そうすぐには戻って来ないだろうけど、用事って何だろう?何かの報告とか、係とか、仕事の残りとか?
でも、それには篠田先生だけで充分なはず。
綾岸さん絡みだから…………
………何だろう?
「小鳥」
「んー?なに?」
「はいこれ。」
エプロン姿のシドが、何やら皿を持っていた。
シドはついさっき、キッチンに連行されて行ったばかりなのだけれど、思ったより早く仕事が片付いたらしい。
皿を見てみると、小さなカップケーキが2つあった。
少し焦げ目が付いていて、ザ・手作りって感じがする。
「わぁ」
「熱いから、気をつけ……」
「あちっ!」
「……ほら言わんこっちゃない」
「むぅ……」
私はちょっとむくれる。
あっついのは苦手だ。むしろ嫌い。
「あはは、火傷してない?」
「ん……まぁ……でも、熱い。」
「それは仕方ないから我慢するしかない。もう少ししたら食べよう。」
こくりと頷いて、私は窓の外を見る。
相変わらず、煙がもくもくと上がっている。
あんな事故、起きたことなかったのだけど……やっぱり交通事故はナメちゃいけない。
ここでふと、私はある事に気付く。
黒い煙は高々と上がっている。なのに、どうして
「どうして、警察も消防も、居ない、の?」
見れば、すぐに気付きそうなことだった。
夜で暗いとはいえ、街灯や建物の明かりで煙は案外よく見える。そして何より、あんな爆発があったのだ。流石に通報しないなんてあり得ない。なのに……
「どうして………」
サイレンも何も聞こえない。聞こえるのは、室内にいる人の声だけ。
もしかして、窓を開ければ遠くでパトカーのサイレンでも聞こえるかも知れない。
そう思って、窓を開ける。
「小鳥、あれ!」
「え…?」
突然、シドが声を上げる。
指差す方をみると、そこには幾つかの黒々とした煙と、ゆらゆらと揺れる赤い光が見えた。
◇ ◇ ◇
そこからは、大混乱だった。
窓を開けると、風と一緒にモノが燃えている臭いがして、遠くを見れば黒い煙と赤い炎が点々と存在していた。
私とシドは早急に生徒会室内にいる先生にその事を伝えると、先生方は全員大急ぎで出て行った。
残った生徒達は皆、外の様子を好奇心丸出しの目で見ている。
「うわー」だの、「マジかよ」だの言っている人もいれば、ケータイで写真や動画を撮っていたりする人もいた。
「一体何があったんだろ……」
「分からない。分からないけど……何か、おかしい」
「うん」
外で一体何が起こっているかなど、私達には到底予測など出来なかった。
「さぁ、始めようか。」
暗い部屋の中、モニターの前に座る影がひとつ。
髪は後ろに束ねられ、細くしなやかな体つきは、女性のようだ。
しかし、発せられる声は男性のもの。
モニターの光に照らされるその顔には、まるで鳥を思わせるような仮面が、顔の上半分を覆っている。
鼻先がクチバシのように伸びたその仮面は白く、一切の装飾すらされていない質素なものだ。けれどそれはどこか、笑っているようにも見える。
男は、いつの間にか手にしていたハート型のクッキーを口に放り込み、咀嚼する。
「…………ハッピーバースデイ、絶望(ディスペア)。」
ボリ、ボリ、ボリ、ボリ______
「…………………ん~、不味い!はははっ!……はぁ」
* * *
結局、綾岸さんと篠田先生が戻ることなく解散となった。
私は、後処理を任されたシドを待つために、未だ和室で一人、読書をしている。
一応手伝おうとは思ったのだけれど
「あぁ、いいよいいよ。小鳥はそっちで待ってて。」
と言われてキッチンから追い出された。
けど、「皿の数が減りそうで怖い」なんて言われたので、足を思いっきり踏んでやった。
シドはいつもそう。私のことをどう思っているのかわかったものじゃない。最悪、おっちょこちょいの小鳥、なんて思われてる可能性だってある。
「………昔はこんなんじゃなかったのになぁ……」
そんな考えに耽っていると、和室の襖が静かに音をたてて開いた。
見ると、シドが鞄を持って立っていた。
「終わったよ」
軽く微笑みながら、シドは私の隣に座る。
ぐんと手を上に伸ばして背伸びをすると、スッキリしたようにふぅ、と息を吐いた。
「……背伸び、立ったまますれば良かったのに。」
「それも、そうだね。そもそも、そっちの方が良かったかも……」
「今更後悔してるの?」
苦笑いしながら言うと、シドも苦笑いする。
いつも通りの光景。
けれど、私はそれにちょっとだけ、異物を混ぜた。
「ねえ、シド」
「ん?なに?」
「その……シドにとって私は……浅霧 小鳥は、どんな、人?」
「?」
「だから、その……ポ、ポジション!私のポジションって何、ってこと!!多分!」
「多分って何、多分って?」
笑いながら言って、シドは何か考えるように目を閉じる。
そして、目を開けて、何かを言おうとした、その時
「キャァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」
「えっ!?」
「なっ!?」
悲鳴が聞こえた。
きっと、生徒会室を出てすぐのところで。
シドはすぐさま立ち上がる。私もつられて立ち上がるが、即座にシドの背中に隠れた。
「今の悲鳴……佐藤先輩!?」
「なに……なんなの……!?」
「わからない。けど……」
シドは前に踏み出す。
「え?ちょ……!!どこ行くの!?」
「ちょっと見てくる!すぐに戻るから小鳥はここで」
「私も行く!」
そう言って私は再び定位置に付く。
シドは頷き、再び足を踏み出すした。
* * *
「はぁ……はぁ……はぁ……!!」
暗い廊下を一心不乱に走り抜ける。
曲がり角を曲がるとそこは理科実験室だった。私は扉を開けようと必死になって引っ張るが、当然開くはずもない。
こうしている間も、“アレ”はもう私を追って来ているかもしれない。一層の焦りが、ジリジリと押し寄せる。
「はぁ……はぁ……そ、そうだ…!消火器っ!!」
消火器がすぐ近くに設置されていることを思いだし、すぐに見付けて手にする。
高々と持ち上げて、それを扉のガラス部分に向けて降り下ろした。
カシャンッ___
音をたててガラスは割れ、私はそこから手を入れて内側にある鍵を開けた。
素早く中に入ると、すぐに鍵をまたかけ直し、その場に崩れる。飛び散ったガラスの破片が、足の下敷きになったスカート越しにチクチクするが、気にする余裕なんてない。
「はぁ……はぁ……はぁっ……何なのよ……一体、何があったっていうの…!?もう嫌っ……!」
前を見ると、扉の頼りない大きなガラスがある。
この程度の厚さなら、“アレ”は容易く入れそうだ。
「っ……!!」
恐ろしくなって、その場から移動する。幸い、ここには色んな薬品が揃っている。最悪の場合に備えて、使えそうな物を調達しておいた方が気休め程度にはなるだろう。
「塩酸……そうだ、硫酸も……!」
薬品棚には危険な物もあるので鍵が掛けられている。しかし、ガラスを割ってしまえば問題ない。
今は緊急事態なので、別に咎められることもないだろう。
「……よし……これなら……」
ガダンッ___
「ひっ!?」
扉に何かがぶつかった音がした。
見ると、ガラス越し廊下に白い影が見えた。
「い、いやっ……来ないでっ……!」
塩酸の入ったビンを腕に抱く。
まだ、硫酸は取っていない。
ガンッ、ガンッ、ガンッ___
こちらに気付いていないのか、白い影はその大きな犬のような体を数回ガラスに叩き付けてから、離れて行った。
「っ………気付かれて……な、い……?」
恐怖で心臓が痛いくらい鼓動し、体がふわふわした感覚に包まれる。
パニックを通り越してもう、一周回って冷静になったように思える。
「………………………………………」
そうして私は、何かに操られているかのように、また薬品を集めた。
* * *
ついさっきのことだった。
私は副生徒会長の奏に、生徒会室の戸締まりチェックを任され、暗い階段を登って生徒会室に向かっていた。
本来は副生徒会長である奏の仕事なのだけれど、本人曰く
「ふっ、この奏様が仕事なんてするとでも思っているのか!うはははははは!!じゃ、あとよろ~!」
と言ってすぐに全力ダッシュで逃げてしまった。
「はぁ……仕事嫌いなのに何で副会長なんかやってるんだか……」
当然の疑問を口にしながら、階段を登って行く。
と、その時、異臭が鼻孔を刺激した。
「………ん?」
何かと思い、スンスンと鼻を鳴らす。
まるで錆びた鉄のような……それでいて生臭い……。
不吉な臭いだった。
私はゆっくり、慎重に、階段を登る。
そして暗い階段の先に、徐々に見え始めたソレに、私は目を見開いた。
ミチッ___
ブチッ___
グシャッ___
「ひっ……!?」
“ソレ“は、白い大型犬のようで、けれど犬やそれらの動物とは違った刺々しい針金のような毛並みをしている。
今まで見たことのない“ソレ”は、まるでゲームに出てくる狼のようだ。
“ソレ”の存在自体が異様だが、それよりも目を引くのは、その動物が今、“喰らっているもの”だ。
赤く濡れた布は、元は自分と同じ制服だったのだろうが、無惨に引き裂かれており、原形を留めていない。
周りには、食い散らかされた臓物が大量の血と共に飛び散っていた。
「……………っ!!」
一歩、後ろに下がる。
幸い、その動物は私に気付いていない。すぐに助けを呼ぶべきだ。
そう思って、踊り場まで降りた時だった。
パリッ___
「!?」
何かを踏んで、音を出してしまった。
見ると、クッキーが数枚転がっていて、それを踏んでしまったようだった。
恐る恐る前を向く。
すると案の定、“ソレ”と目が合った。
グルル、と唸り声を上げ、黄ばんだ牙を剥き出す。
口元からから、赤黒い液体が垂れて床に落ちる。
「グルァァッ!!」
「キャァァァァァァァァァァッ!!!!」
私はかけて出した。
追ってくる“ソレ”は、血で足を滑らし、壁に頭を強くぶつけたようで、フラフラと立ち上がる。
その隙に私は廊下を駆けた。
* * *
そして今に至る。
“アレ”に喰われていたのが誰なのか、私には分からない。
確か生徒会室には、浅霧 小鳥と浅霧獅兎がいたはず。もしかすると、小鳥かもしれない。
けれど、だとすると獅兎はどこへ行ったのか。
「……やめよう……考えたって、分かんない……」
そうして、ひとつのビンを手に取った。
ラベルを見ると、手書きで大きく『アルカリ金属(カリウム)』と書かれている。
「カリウム……そうだ……水で爆発させれば……」
カリウムは水に反応して爆発する、なんていう実験を思い出す。危険だからあまりやらないのを、特別に見せて貰ったのだ。
ピンセットとカッター、そしてたまたま見付けたオブラートを準備する。
カリウムを油で満たされたビンの中から取りだし、カッターで丁度良い大きさに切り分ける。そして酸化した表面を削って素早くオブラートでしっかり包むだけ。
あとはこれを水の入った試験管に入れれば、オブラートが溶けてカリウムが水に触れた瞬間に爆発するという寸法だ。
我ながらよく出来ている。
カリウムが小さいと直ぐには爆発しないので、試験管に入るギリギリの大きさに細長く切ってある。
これを10個程度作り、水の入った試験管を準備した。
「……これで、よし……」
一通り役に立ちそうなものは集めた。
あとはこれからどうするか、だ。
このまま朝まで待つとして、色々我慢するのも難しい。
かと言って、何処に行けば良いのか?
そこでふと、ある考えが浮かんだ。
「………………………生徒会、室」
馬鹿げているかもしれない。
けれど、可能性がないわけでもない。
もし、まだ浅霧 小鳥と浅霧 獅兎の二人、もしくはどちらか一人が居るのであれば、あるいは………
「どっちもいなくても、生徒会室なら……」
ひとつの望みに賭けて、動くことにした。
ただここで待つより、危険であっても誰かがいるかもしれないという可能性を見ていた方が気が楽だというのもある。
「………」
カチッ___
扉の鍵を開け、廊下の音を聞く。
すると、遠くから僅かに音が聞こえた。
もしかしたら、“アレ”は私を探す為に扉にタックルして反応を調べているいるのだろうか?
そうだとしたら、なかなか知恵がある。
しかし、理由がどうであれ、相手の位置が把握できるというのなら、移動しやすい。
「………………よし」
そして私、佐藤 憂実(さとう ゆうみ)は足を踏み出した。
* * *
人が、死んでいた。
生徒会室から下の階へ降りたところで、空気が異様なものに様変わりした。
濃く生臭い鉄錆びの臭いが漂い、圧迫されるような恐怖感が押し寄せる。
死体は、頭部が砕かれており、腹部はまるで、獰猛な肉食動物に喰われたように、ぽっかりと大きな穴が空いていた。
「…………これは……何が………」
「…………っ!!」
小鳥が僕の後ろに隠れる。肩を掴む手が、小刻みに震えていた。
当たり前だ。誰だって、こんな光景を目にしたら驚き、動転する。
小鳥は尚更だ。
「シ……シド……あ、あ、あ、あれ……佐藤、先輩……?」
「………い、いや……鞄が違う……あの猫のストラップは………島野さん!?」
「えっ………」
島野さんは僕のクラスメイトで、ついさっき、生徒会室のキッチンで共に作業をしていた。
クッキーや、カップケーキの味見をよく頼まれたり、いろいろ話をしたりもした。
そんな人が、ついさっきまで普通に喋って、笑っていた人が、今目の前で死んでいる。
動揺しないわけがない。
島野さんは後片付けを手伝ってくれようとした。けれど僕はそれを断った。
何があったかは知らないけれど、もし、僕が手伝いを断ってさえいなければ、こんなふうにはならなかったのかもしれない。
「………………何が……あったんだ……」
「……シド……あれ……!」
小鳥が下の踊り場を指差す。
そこには、大きな犬のような足跡が、赤く点々と続いていた。
一部、滑ったようになっており、壁にぶつかったような血痕が残っている辺り、さっきの悲鳴の主……佐藤先輩を追ったのだろう。
「小鳥、生徒会室に戻って。」
「えっ!?シドは?シドはどうするの!?」
「僕は、佐藤先輩を探す。ついでに助けを呼ぶよ。」
そうして、一歩踏み出したところで、小鳥に腕を引かれた。
「小鳥、僕は大丈夫だから、生徒会室で待って……」
「……せめて……これだけでも、持って行って……!!」
小鳥は、ポケットの中に手を入れると、小さなスプレーを取り出した。
催涙スプレーだ。
どこでこんなものを手に入れたのか、と聞こうと思ったが、やめた。
多分、生徒会長からのプレゼントか何かだろう。あの人ならやりかねない。
「ありがとう。じゃ、行ってくる」
「うん……気を付けて……」
そして僕は、薄暗い階段を降りていった。
* * *
足跡はすぐに無くなった。
もともと、血が乾きかけていたのだろう。
しかし、足跡無しでも、足跡の主の居場所はわかった。
どこかで、ドン、ドン、という何かにぶつかっているような音が聞こえる。
きっと、足跡の主が何か探しているのだろう。
そして、きっとそれは佐藤先輩だ。
彼女はまだ、死んでいない。
それは、道中に血痕も遺体もないことから推測できる。
きっとまだどこかに隠れているのだろう。
そう思って教室を次々確認していると、以外な光景を目の当たりにした。
「え………佐藤先輩!?」
何と、佐藤先輩が階段を上へ向かってダッシュして行ったのだ。
自分の考えと全く逆の行動を取られ、一瞬唖然とする。が、しかし、すぐにハッとなり、佐藤先輩の後を追った。
* * *
私は今、猛烈に落ち着かない。
もし、シドに何かあったら、私はどう生きて行けば良いのだろうか?
大袈裟な話なんかじゃない。
事実、私とシドに親は居ないのだ。
昔、私とシドは、ただの仲の良い親戚だった。
あるとても暑い夏の日、私達は大勢の友達と一緒に、仲良く遊んでいた。
この時の私は、とても活発で、元気がよくて、それこそお転婆娘といった感じで……
いつもシドをあっちこっちに連れ回していた。
その日も朝からずっと外で遊びまわっていた。まさか、その日にあんな出来事が起こるなんて知らずに……。
日射しのより一層強くなった正午、子供の私達は最後の遊びとして『かごめかごめ』をやった。
中心で目を瞑っていたのは私。
『かごめかごめ』を歌い終わった後、私が言った名前は勿論シド。
だけど、結果は大外れ。シドは私の目の前にいた。
シドは私に微笑んで、そして………
…………………そして、倒れた。
パニックになった私や友達は、すぐに近くの家へ駆け込み、救急車を読んでもらった。
到着した救急車に、私はシドの付き添いとして乗せて貰い、一緒に病院へ行った。
ここからが、本当の悪夢だった。
病院に到着した後、白衣を着た先生に事情を説明し、すぐに熱中症だと判断された。
保護者が来るまで、私は寝ているシドの手をずっと握っていた。
時々、苦しそうにするシドに、心が締め付けられる。
私が、シドに無理をさせたせいだ、と。
そんな時だった。
あの知らせが私達のもとへ舞い込んだのは。
私とシドの両親が、大規模な交通事故に巻き込まれた、と。
もう、何も聞きたくなかった。
それでも、先生は無意味に説明する。
ガソリンを運ぶタンカーが交差点で横転し、そこに乗用車が突っ込んだことによって大規模な爆発が発生。
私とシドの両親は、その爆発に偶然巻き込まれたのだという。
幼い私は理解などできずに、ただ、黙ってそれを聞いていた。
結局、私とシドの両親は、亡くなった。
この人生最悪の日を境に、私は変わった。
他人との接触が怖くなり、自分の行動に自信がなくまってしまう始末……。
その結果、私はまだ、シドに負担ばかり掛けている。
あの悪夢の日以降は、唯一無事だった私の祖父母の元で暮らすことになり、私とシドは、戸籍上で兄弟となった。
年は同じだが、シドの方が生まれた日が早いので、シドが兄、私が妹ということになるのだろう。
祖父母は私達を大切に、大切に、それはもう、自分達の娘、息子同然に接してくれた。
しかし、そんな祖父母も、6年前に祖母がガンで亡くなり、それを追うように、2年前、祖父も寿命が尽きて亡くなった。
もう、私の家族は………
私の心の支えは、シドしかいなくなってしまった。
もしもシドが、何かしらの騒動でその命を落とすことになんてなってしまえば、きっと私は、生きる気力を失ってしまう。
依存している、と言えば簡単だ。
けれど、依存なんて軽く納めて欲しくない。
私は、シドが大好きだ。
ずっと私の側にいてくれて、ずっと私を守ってくれていた。
今まで、ずっと、ずっと、ずっと…………
コンコン___
考えに耽っていると、生徒会室のドアがノックされた。
シドかと思い、急いで駆け寄る。
鍵を開けると、勢い良くドアが開かれ、私は反射的に一歩下がった。
そこには、息を荒くした佐藤先輩がいた。
* * *
【Tale 3】夜攻性
_________________
生徒会室に辿り着いた私は、目の前に居た小鳥に思わず抱き付いた。
安堵からか、今までの恐怖感が一気に押し寄せる。
「ふぇ……ひっぐ…」
「さささ、佐藤…先輩ッ!?」
視界が霞み、目尻に涙が溜まる。
今にも泣き出したい衝動を抑えながら、私は小鳥に問い掛ける。
「えっぐ……小鳥……し、獅兎、は……?」
「え、ええとシドは……………」
そこまで言って、小鳥の表情が固まる。
どうしたのかと問おうとした途端、小鳥の顔が急接近した。
「シ、シドに会わなかったんですかッ!?!?」
「え…う、うん……」
そう答えると、小鳥の顔が今にも泣き出しそうになった。
そこで気付く。
獅兎は、私を探しに行ったのではと。
私があの化け物と鉢合わせたのはここのすぐ下の階だ。悲鳴が聞こえていてもおかしくはないだろう。
「そんな……じゃあ……獅兎は私を……」
「さ、探して、ここに戻って、来ました……はぁ……はぁ……」
「きゃ!?」
「ひゃ!?」
突然、声がして二人共にビックリする。
見ると、肩で息をする獅兎が居た。
「し、獅兎……!無事だったんだ……よかったぁ……」
「シド~!!」
私と小鳥は各々安堵する。
それは獅兎も同じだったようで、安心したように微笑んだ。
「ねぇシド、怪我してない?怖い思いしてない?危なくなかった?なんにもなかった?」
「だ、大丈夫だよ。………大丈夫だから。」
「本当に?無理してない……?」
「本当に大丈夫だよ。小鳥じゃあるまいし……いてっ!ちょっ、足踏まないでっ……」
「うぅぅ……!シドのばかぁーッ……!!」
「あ、あはは……」
そんな二人のやり取りを見ていると、少しだけ恐怖心が和らいだ気がした。
だがその瞬間、私は見てしまった。
暗闇の中、その目をぎらつかせた巨体を。
「っ!? 伏せてぇッ!!!!」
「うわ!?」
「ひぇ!?」
私は勢い良く二人を押し倒した。その甲斐あってか、そいつは私達の上をすれすれで通過する。
すぐに立ち上がり、距離をとるが、決して油断ならない。
生徒会室の明かりの下、そいつの姿がはっきりと見てとれた。
灰色の針金のように刺々しい体毛、獲物を狙う野性動物の目、ピンと立った耳、血塗れた口元、黄ばんだ牙、鋭い爪。
そして陰影の影響か、その体躯は虎かライオンの如く大きく見える。
明確な強者たる『獣』の姿がそこにあった。
* * *
「に、逃げろ逃げろ逃げろ!!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!?!?」
「うわぁぁぁーーーんッ!!!」
シドの合図?で私達はすぐ廊下へと逃げる。
しかし、獣がそれを容易く許すわけがなかった。
「グルァッ!!」
「しまっ!?」
シドがドアを閉めようとしたところに、獣のその巨大な前足が割り込んだのだ。シドは必死に閉めようと足掻くが、獣もまた、ドアを開けようと必死だ。
このままじゃ、持たない。
そう思っていたその時
「獅兎っ!」
佐藤先輩が、一本の試験管をシドに投げ渡した。
「えっ?な、何ですかコレ!?」
「硫酸っ!」
「硫酸!?」
「硫酸!?」
私とシドは同時に驚きの声を上げる。
そしてとある可能性が頭をよぎる。
「マッドサイエンティスト!?」
「殺人用!?」
私とシド、考えついたことは違えど、タイミングは同じ。けれど、意味があるわけもなく「ちょっ!?バカ!?違うからッ!」と、思いっき怒られた。
……今するべき会話の内容じゃない気がする……というか絶対に今するべき会話じゃない。
「栓抜いてバケモノにお見舞いするのッ!」
「そうですよねッ!」
そう言って、シドは栓を噛んで慎重に開けた。
なかなか様になっていてかっこいい。
「………」
そして、無言で硫酸を流すシドである。
それこそ仕事人みたいな感じで。
「グルァッ!!」
獣の前足がジュー!と音をたてる。
その瞬間、前足が隙間から引かれ、シドはすかさずドアを完全に閉めた。
ドンッ、ドンッ、ドンッ___
獣がドアに体当たりしているようだけれど、流石は生徒会室。伊達じゃない。
そんな風に思っていたのも束の間、シドに手を引っ張られる。
「うわわっ!!ちょ、ちょっとシド!?どこいくの!?」
「ここじゃ危ない。一旦安全なところまで行こう」
「そうそう獅兎の言う通り。いつまでも同じ場所になんて居たくないしね。」
確かにそうだ。
それに、人が死んだのだ。警察に連絡したりしなければならない。
そうなると今行くべき場所は………
「とにかく面倒事は大人に任せるべき!職員室に行くわよ!」
「佐藤先輩、相変わらずですね」
「職員室……篠田先生と綾岸さん、無事かな……」
* * *
凄惨、悲惨、惨状……
例え、どんな言葉を連ねたとしても、今目の前にある光景は表すことは難しい。
そう、思わずにはいられないような光景が、広がっていた。
「い……いやっ……」
「こんな……こんなのっ……」
「うそ、だろ………」
一面、何処を見ても赤、紅、朱、あか、アカ…………
職員室は、赤く染まっていた。
所々に、引き裂かれ飛び散って出来たであろう血痕や、食いちぎられた肉片、そしてその元となった………
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」
小鳥が悲鳴を上げて僕の腕に強く抱き付く。その華奢な体が震えているのが、すぐにわかった。
「いやっ!いやぁっ!なに、これッ…!ね、ねぇシド!!ひ、人が……人がッ!!」
「小鳥……ダメだ……これ以上、見ちゃ」
僕は恐怖に震える小鳥腕をゆっくりほどいて、佐藤先輩の方を見て言った。
「小鳥をよろしくお願い、します。」
「よろしくって……獅兎、あんた何する気……!?」
「……生きてる人が居ないか、探してきます。あと、警察か消防に連絡を」
だから、お願いします。
そう言うと、先輩は頷いて了承してくれた。
小鳥のためにも、短時間で終わらせる必要がある。僕は覚悟を決めて、足を踏み出した。
「誰か……誰か居ませんか!?」
……………
呼び掛けに答える声はない。
もう、誰かも生きてはいないのだろうか……
そう思って諦めた、その時
カンッ、カンッ____
「!」
正面にあった扉から、音が聞こえた。
金属の扉、その向こうは確か、倉庫だったはずだ。
僕はすぐにそこへ向かう。そして、扉をゆっくりと開けた。
「っ………校長先生!?」
「ぁ…あぁ……よ、よかっ…た……ま、まだ生きて…いる……生徒が……えほっ!がはっ…!!」
「校長先生!しっかりしてください!!校長先生!!」
扉の向こうに居たのは、この高校の校長だった。確か名前は、富 佑太郎(とみ ゆうたろう)だったはずだ。
今年で定年退職するその人は普段、年齢よりもずっと若々しく見えるはずだ。
しかし今目の前にいるその人は、顔色が悪く老けても見える。
そしてその理由は、すぐに明らかになった。
「う、腕が……」
ない。
校長先生の左腕を見ると、肘から先には何も無かった。
食いちぎられたのだ。あの、化け物に。
「はっはっ………わ、私も……つくづく運が……ない……もう、ここまでだ…なん、て……」
「待っててください!今、警察か消防に連絡を……いや、その前に止血を……!」
僕が慌てて周りにある物を見ていると、不意にズボンを引っ張られた。
「峰川(みねがわ)高校、二年B組……出席番号1番……あ、浅霧 獅兎……」
「………はい」
呼ばれて、僕は校長先生の目の前に正座した。
顔色こそ優れないものの、校長先生のその目には揺るぎない光があった。
この高校の、校長としての、そして今まで長い時を生きてきた一人の人間としての威厳が、そこにはっきりと見受けられる。
「…君の他に……生存者は……?」
「僕を含めて三人しか見つけられていません……」
「そうか……」
校長先生は目を閉じ、少しして再び目を開けた。
僕はきっと、この時の事を、その言葉を、きっと忘れることはないだろう。
「諦めずに、前を見続けろ……。光はきっと……前にこそある」
「………はい。」
何てことのない、ごく普通の言葉。
けれど、そこには命が込められていた。
魂と言ってもいい。
僕はそれを初めて知った。
これが、命の力なんだと。
「さぁ、行きなさい……私はもう、もつまい……」
「……それでも」
「……?」
そしてその命の力を教えてくれたその人を、僕はその人に教えられた通りに……
「諦めずに、助けますよ。」
「………………はっはっ……そうか……今、言ったばかりだった、ね……そうだ……諦めずに……」
例え薄っぺらい紙芝居のようなやり取りだとしても、僕は今できることを精一杯やる。
それだけは、誰にも譲る気はないのだ。
* * *
シドが校長先生を連れて戻って来たとき、私はそちらを振り向けなかった。
ただでさえ、生々しい鉄錆びの臭いが強く漂っている。そんな中で、もしもう一度あの血塗れの惨状を目にしたら、吐き戻しそうだった。
そのせいで、校長先生の方も見れない。
校長先生の左腕は、肘から先が噛みちぎられてしまったらしい。
その姿を見るのが怖い。いつか自分もああなるのではと考えてしまうから……。
「それで、電話はどこにも繋がらなかったわけね。」
「ええ。警察も消防も……どこにかけても、繋がらなくて……」
「不味いなぁ……今は校長先生の治療を優先したいんだけど……」
シドが職員室にある電話を使っていろいろな場所へ連絡を試みたのだけれど、どこにも繋がらなかったそうだ。
校長先生曰く、携帯電話も圏外らしい。ますます状況が悪くなるのを実感する。
この町に今、何が起こっているのだろうか?
「………まずは……ここを出よう……」
「大丈夫ですか……?」
「ああ、さっきよりは……楽だよ…」
「で、でも……ここを出て……どこに、いくんですか……?」
私が訪ねると、校長先生は少し悩むような顔をして、言った。
「私の車で……安全な場所まで、行こうと考えていたが……片腕だけでは……難しい、か……」
完全に、詰みだ。
頼れる人はもう周りに居ない。
他の大人は皆、化け物に……
「っ……!」
「小鳥?大丈夫……?」
「……はい……うっ……」
赤い惨状と、鉄錆びの臭いが頭から離れない。
もう今にでも吐きそうだ。
そう思っていると、不意に頭の上に手が乗せられた。
「大丈夫。私達はまだ生きてる。それに、まだ町の人達がみんな死んだわけじゃないよ。まぁ、シドの背中は今忙しそうだけど。」
頭をゆっくり撫でられる。
ほんの少しだけ、気が紛れた。
できればずっとこのままでいたいが、そうもいかない。だから私は、佐藤先輩の腕に抱きついた。
「おっとと。もう、甘えんぼさんな後輩だなぁ」
「背中に付くと、後ろが怖いので……」
そう言うと。佐藤先輩は笑って了承してくれた。
校舎から出た瞬間、私達は唖然とする。
頭のどこかでは、分かっていたかもしれないその光景に。
もう、唖然とする以外何もできない。
「………!」
「あぁ……何ということだ……」
「小鳥……」
「……っ!」
直視は避けては通れない現実。生徒が数人、倒れている。
その首筋や脇腹が一部欠けていることから、噛み殺された跡だと分かる。
もしかしなくても、あの化け物にだ。もうきっと、誰も生きてはいないだろう。
「校長先生……」
「……ああ……これでは、もう……」
「…………」
「…………」
「……行こう」
……それからは、もう誰も喋ることなく沈黙が続いた。とても重くて、苦しくて、何より悲しい沈黙だった……。
* * *
タッタッタッタッタッ____
校門を過ぎて少しした所で、それは聞こえてきた。
左隣にある、塀の向こうから……
確か、この向こうは校庭だったはずで、そこをまるで何かが走るような音が……
「シドッ!何か………っ!!」
「えっ?………っ!?」
気付くのが遅かったのか、そいつのスピードが速かったのかは分からない。
ただ言えることは、本当の詰みが目の前に現れたということだけ。
「グルル……!!」
「そ、そんな!?生徒会室の扉を突き破ったっていうの!?」
「くっ…!」
化け物はジリジリと距離を詰める………などという真似はせずに、一直線に私達の方へ…………
シドの方へと突っ込んで行った
「シドッ!!」
「っ」
バァンッ____!!
「ギャウッ!!」
「………………………え?」
一体、何が起こったのだろう?
化け物が、塀に叩きつけられた……?
「離れなさい!」
不意に、声が響いた。
凛々しくも、冷酷さを含んだ声が。
声がした方をみれば、民間の塀の上に誰かが立っている。
________銃を構えて。
「あ、綾岸……さんっ!?」
「……聞こえなかったの?早くそこから離れて!まだそいつは死んでない!」
「……行こうっ!」
「う、うん…!」
佐藤先輩に手を引かれ、私は走り出した。
けれど、校長先生とシドが……
そう思い、後ろを振り返ると同時に先輩が立ち止まった。
「ちょっとここで待ってて。」
そう言い残し、全力疾走する先輩。
理系な雰囲気を持っていながら、あの疾走は意外だ。よく陸上部に勧誘されないものだと思う。
そうこうしているうちに三人がこちらにやって来た。それと同時に、バァン!と銃声が響く。
見れば、綾岸さんが至近距離で銃を化け物に向けていた。きっと今ので化け物は死んだのだろう。
ふと、綾岸さんがこちらを向く。
銃を腰にあるホルスターにしまいながらこちらに歩いてくるその姿はどこか、慣れているようにも見える。
「……あなたたち、全員無事………でもなさそうね。」
校長先生の方に目を向けて綾岸さんは言う。
それからポケットに手を入れて、インカムらしき物を取り出す。
ちなみにインカムとは、小型の通信機器みたいなものだとシドから教えてもらったことがある。
耳に付けて会話できるみたいで、よくバイクに乗ってるごく一部の人が使うらしい。
「こちら夜空、生存者を確認。数は4、一名は獣にやられてる。………ええ、わかってる。………それは嫌。いちいちこんなの付けてたら音が分かりにくい。」
……そんなのはそっちで何とかして。
一通り問答した後、綾岸さんはインカムをまたポケットにしまう。
そして溜め息をひとつ吐いて、私達の方へと向き直ると、口を開いた。
「……その人はもう、助からない。」
「………え?」
何のことかと問おうとすると、綾岸さんはスッと、校長先生の方を指差して言った。
「……あの獣の爪と牙には毒があるの。それも、掠り傷だけでも運が悪ければ体の一部を失ったり、更に当たりどころが悪いと死んでしまう程の。」
「そんな…!」
「………」
校長先生の顔色はとても悪い。
それが出血のせいだけてはなく、毒にも蝕まれているとなると、その苦しみは計り知れない。そう思わせる程の脂汗が大量に額から流れていた。
「ち、治療とか、できないの!?」
「方法が無いわけではないけれど……対価が大きすぎる。それに、その出血量ではどのみち助からない。」
「そ、そんな……それじゃぁ……」
アォォォォォォォォンッ____!!
「!?」
………遠吠え。
狼の如く響きわたるその声。
まるで……死の宣告のように。
「……こっちへ!早く!」
綾岸さんの一声で全員が我に返る。綾岸さんに従って、道を進むと、民間の庭園のような場所に出た。そこを横切り、更に別の道に通じる細い道を通り、一軒の家に着いた。
「ここって……」
「……私の家よ。さ、早く中に。」
そう言われて皆足早に家の中に入る。
綾岸さんが靴を脱がずに奥に行ってしまった。
私は一瞬、靴を脱ぐか脱ぐまいか迷いながら、結局は脱いだ後に手に持つ形となってしまった。
「ぐっ………はぁ……はぁ……」
後ろから校長先生の苦しそうな声が聞こえて、私はその場を素早く退く。
「……こっち」
その間に綾岸さんが奥から懐中電灯を持ちながら顔を覗かせて言う。
苦しそうな校長先生に気を配りながら、私達は綾岸さんの元まで行くと、T字の廊下の右側、向かって直ぐにある壁に掛けられているおしゃれな絵を外している最中だった。金具で頑丈に取り付けられているらしい。綾岸さんはそれをマイナスドライバーで外していく。
それにしても中途半端な作りだ。玄関からは奥に続いてそうに見えるのに、実際は奥行きが1.5メートルくらいの中途半端なスペースだなんて。せめてミニ物置にでもすればいいのに。無理そうだけど。
そう考えていると綾岸さんが金具を全てを外し終わったらしく、額縁が傾いた。
そう、額縁が。
ガタッ___
「……え?」
よく見ると、額縁の内側にあったのは絵ではなく……
「………液晶パネル……絵は画像だったの!?」
佐藤先輩が驚きの声を上げる。
何故そこまで驚くんだろう?
確かに絵が偽物で、しかもこんな仕掛けがあったなんてビックリするけれど。
不思議だなぁ、と先輩の方を見ていると、視線に気付いた先輩は一瞬キョトンとして深い溜め息を吐いた。
「いい?小鳥、もし何か画像が映ってる画面を暗闇で見たら、どう見える?」
「ほぇ?そりゃあ……画面は明るいから暗くても見える、と思いますけど……」
「だよね。けど、コレはどうだった?暗くても見えた?」
「?見えませんでしたけど………」
「でしょ?」
「???」
いくら考えても分からない。
そうして頭を左右に傾けて唸っていると、先輩はまた溜め息を吐いて「ま、いっか…」などと言っている。
……そう言われると余計気になる。
そうこうしているといつの間にか綾岸さんは反対側の壁を向いていた。
そして
ギィィィ___
「ほぇぇぇ……」
「なんとっ!?」
またしてもビックリだった。
忍者屋敷よろしく壁が回転して、地下に通じるらしい階段が現れた。綾岸さんはその階段を降りて行く。私達はしばし呆気に取られていたが、シドが先導して動いたため、それに続く。
階段はそう長く続いてはなく、ちょっと降りて終わった。左側に鉄製の扉があって、綾岸さんが中心にあったパネルに何やら6桁の数字を入力すると、自動でスライドして開いた。
眩い光が目を焼く。
白い蛍光灯の下には、意外なモノがあった。
「……!?」
「おぉぅ…」
「………」
「………」
_______銃。
見渡す限り壁一面、銃、銃、銃、たまにナイフ、銃、銃、ナイフ、銃、銃、銃、銃、何故かみかん………
「……みかん、要らない……よね……?」
いつの間にかそんな呆けたことを口にしてしまう程度には、プチパニック状態ナウだ。
というか、佐藤先輩が凄い勢いで突入して行ったのだけれど……
「本物!?全部本物!?」
「……ええ」
「凄い!持ってみても」
「ダメです」
「ちょっとだけ……」
「おとなしくしてください」
「はい」
即答されて撃沈した佐藤先輩は、おとなしく私の後ろに亡霊のようにくっついた。形勢が逆転してしまう。「大丈夫ですか?」と声を掛けるも、「銃と触れ合いたい」と言われたのでどうしようもなく綾岸さんに向き直る。
「あ、あの……」
「………5分で準備するから待ってて。」
鋭い氷の刃のような目線だけをこちらに向けて言う。
それに私はただ頷くことしかできなかった。
* * *
校長先生の顔色がどんどん悪くなっていく。腕の出血も酷い。
きっと、どんな手を施しても手遅れだ。
しかも、毒まである。悔しいけど、校長先生をこのまま連れて行くことは難しいだろう。
「……あなた達、準備が整ったわ。行きましょう」
綾岸夜空。彼女の方を見ると、大きなバッグを2つ持っていた。きっと中身は銃だろう。
……一体、何者なんだろうか。
「それと、今は私のことを説明している暇はないから」
……顔に出ていたのだろうか。綾岸さんは僕の方を見ていい放つ。
僕はさりげなく校長先生の方へ向く。しかし……
「………校長先生?」
「………」
返事がない。
心配になって息をしているのか確認すると、まだ辛うじて息はしていた。
が、この様子を見るに、いつ力尽きても不思議じゃないのかもしれない。
「……シド……」
小鳥が不安そうな声で僕を呼ぶ。
……実際に、とても不安だろうし、怖いと思う。僕だって、不安や恐怖感が無いわけじゃない。
人は、そこまで強くはなれないのだから。
「大丈夫。ちょっと寝てるだけだよ。」
「……そう」
「そうだとも……まだまだ死にはせんさ……」
「ひゃ!?」
突然、校長先生が声を発したことに驚いたらしい小鳥は、まるで小動物が如くの素早さで僕にしがみついた。
僕は校長先生がまだ喋れることにホッと胸を撫で下ろす。ついさっきまでほぼ口を開かなかったので、そんなに酷い状態なのかと思っていたが、案外まだ大丈夫そうだ。
とはいえ、いつまでもつかは分からない。きっともう、喋るのも限界なのかもしれない。
「……平和的な茶番はいいとして、どうするの?」
ふと、綾岸さんの鋭い声が響く。
そういえば準備が整ったんだっけ。綾岸さんのほうに再び目を向ける。しかし、当の綾岸さんは、じっと校長先生の方を見据えていた。
今の言葉は校長先生に向けられたものだろう。
「……私には、何ができるかな?綾岸夜空君」
「知らないわ。それは貴方が知ることよ。別に、私に貴方をどうこうすることはできないもの。」
そう言って、双方共に黙り込む。
やや重い沈黙が場に降りた。
「…………ん?」
…………静寂というある種の『無』は、別の『色』に染まりやすい。
その『色』は、良くも悪くも静寂を打ち破ってくれる。
だが、今回“も”悪い方だった。
カシャァンッ____!!
不意に上からガラスの割れる音が響いた。
すると、綾岸さんが弾かれたように奥の壁に走って行く。
「こっちへ!……早く!」
僕らは言われるがままにその後を追った。
* * *
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