つぇん 2015-06-26 17:46:48 |
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嫉妬や妬みとかではなく純粋に天賦の才が欲しいと思った。自分にも周りの人より特出した能力があればどうなんだろうかと考えた。才能は努力では得られない。そもそも、才能を努力することで手に入れてしまってはそれは「才能」と呼べるのだろうか。おそらく違う。それは只ならぬ努力の末に手に入れることが出来た「能力」だ。言い方は悪いが、努力をしては才能の意味がないではないかと思う。素質とも呼べるが一例をあげよう。
B君という画家を目指している少年がいた。B君は特別絵がうまかったわけではなかったが、数年にも及ぶ只ならぬ努力の末、コンクールで佳作に選ばれた。それを友人A君に伝えた。A君は楽しそうだと思い、趣味程度に描いた絵を同じコンクールに出展した。A君は金賞に選ばれた。
秀才と天才の違いがこれなんだろうと自分の中で思っている。「努力の結晶」を貴重だと思うか、「生まれながらの原石」を貴重だと思うか。人それぞれだとは思うが、俺は一個でも何か特出した何かを欲しいと思っている。
アインシュタインの名言で次のようなものがある。
「天才とは99%の努力と1%の才能から出来ている。」
一見、天賦の才無き者に希望を与えるように聞こえるが、実際は才能無き者への追い討ち。嫌みの一言だと思っている。
つまり彼は、99%努力しても、たった1%の才能がなければ「天才」には成ることが出来ないと言っているのだ。まあ、これはあくまで妄想の範疇だが、結局何が言いたいかというと……。才能って良いよなぁ。
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