池田屋の記憶

何、心配してくれてんの？珍し。
(前の主がらみの場所へ相手を連れて行く事に抵抗がある一方、心細さが拭われる心地もして張り詰めていた表情を緩め。小さな問いかけが耳に入ると揶揄うような調子で茶化しつつ「休憩終了っと。これ終わったら草取りやるよ」と促して自分も作業を再開し)

別に。ちょっと気になっただけ。
(彼が茶化すような語調で述べれば不思議と幾分か空気も和らぎ。しかし素直に認めるのも癪で、ついいつもの様に突っ慳貪な言葉を返してしまい。次いで再開を促されれば「爪、大丈夫なの？どっちにしろ働いてもらうけどね」と皮肉交じりに告げるも此方には直ぐに応じて)

んー…後で塗り直す。
(皮肉をさらりと流して答えると邪魔な石を取り除きながら畝作りを進めていき、それすらも終えてしまえば鍬を置いてしゃがみ込み。照りつける日差しに露骨に顔をしかめると「日焼けするじゃん。最悪」と文句を垂れながらも雑草を抜き始めて)

そ、ならいいけど。
(素っ気なく返し黙々と作業を続ければ、彼を追う形で無事畝作りを終えて。次の作業に移ろうかと鍬を置き、耳に入る不平を「仕方ないでしょ、もう少し頑張るよ」と軽く往なしつつ相手とは対側に屈み込めば雑草を抜き始め。畝作りと同じく淡々と雑草抜きに従事するも、ふとした隙に手が滑り葉の表面を其の侭掴んでしまい。引き抜く際に鋸歯が皮膚と擦れ、僅かな痛みと共に血が滲むのを見止めれば「…やっぱり、人の身体って脆いよな」と一人愚痴を零し)

はあ？…あーバカ、何やってんの。
(脈絡のない呟きに手を止め面を上げると相手の視線の先に滲む赤が目に入り、眉根を寄せて窘めればすっくと立ち上がり軽々と畝を飛び越えて。手についた土をはたき落としてから相手の手首を掴むと、自らの手拭いを使って傷口周りの土を丁寧に拭い「井戸で洗い流して、薬研に消毒してもらってくれば。ついでに絆創膏も」と告げて手を離し。そのまま踵を返すと軍手か何か無かっただろうかと思い出して納屋に向かって歩き出して)

いいって、別に大した怪我じゃないし。
(言葉とは裏腹に気遣う様子を見せる相手に対し、珍しいなあ、なんてぼんやりと考えつつ広がっていく緋を揉み消す様にして拭えば作業に戻ろうと。しかし相手が何処へやら向かって行くのを見遣れば「何処行くのさ、まだ終わってないじゃん」と其の意図も知らず引き止めて)

せめて傷口洗って止血くらいはしろ横着。放置してばい菌入ったらどーすんの。
(何とも相手らしさの滲んだ返答に一言物申そうと振り返りほとほと呆れ果てたといった表情で言い返すと、どうやら自分が内番を投げ出したとでも思っているらしい相手に僅かに眉を吊り上げて「納屋に軍手取りに行くだけ」と言い捨てその場を後にし)

…何だよ、急に。
(納屋へと向かって行った相手を呆然と見送れば、此方からすれば珍しい彼の言動についてぽつりと一人呟いて。しかしああまで言われた以上、此のままその場に留まる訳にも行かず素直に井戸へと足を進め。彼奴の言う通りにするなんて癪だと思わない訳では無いが、今の彼の言い分は至極尤もだ。そう己に言い聞かせつつ、井戸へと辿り着けば慣れた手付きで釣瓶を使い水を汲み上げて)

…あったあった。
(もっと早く軍手の存在に気がついてさえいれば爪の事で気を揉む事も無かったはずだと後悔しつつ、納屋の中へと踏み込み積まれた腐葉土や肥料の袋には目もくれずに片隅の木箱の蓋を開けて。子供用の小さな物に紛れて大人用の軍手もいくつかあるのを確認すると、2つ引っ掴んで木箱を元通りにしてから納屋を出て畑に戻り)

…冷たっ。
(汲み上げた井戸水はこの暑い中でも氷の様な冷気を放っており、そろそろと水面に患部を浸してみればその並々ならぬ冷たさに思わず声を上げ。出血したとはいえ原因は単なる雑草、透き通った冷水に滲む赤は直ぐに見えなくなって。"ほら、やっぱり何ともないじゃん"と今は離れて行動する相手への文句を胸中に。飲み水でも無い分大丈夫だろうと手を洗い終えれば釣瓶を元に戻し、作業に戻るべく畑へと引き返して)

(すぐに畑に戻ってきた相手を一瞥するとその手元に軍手を押し付けて、もう一つを自分も着けてから再び作業に戻り。また伸びてくる事がないよう雑草を根元から引き抜きながら、ふと先ほどの相手の言葉を思い出せば「…まあ、人の身体って面倒だよな。怪我すると痛いし」と零し。中傷や重傷を負った時の事を思い返しているうちに"もしも折れてしまったら"というマイナス思考に陥ってしまい、気を紛らすために手を動かし続けて)

…え、…ありがと。
(てっきり自分の分しか取って来ないものとばかり考えていた彼から、半ば押し付けるようにして受け取った軍手をしげしげと眺めた後両手に着ければ感謝の言葉を。作業を効率良く進める為、幾らか距離をおいて草取りを再開し。ふと耳に入った相方の言葉には「だよね、それは同意。…まあ、生きてるーって実感はするんだけど」と返答し。彼の言葉を思い返せば"あの人も痛かったのかな、痛かったんだろうな"等と元の主について胸中で自問自答を繰り返しつつ、雑草を引き抜いては一ヶ所に集めるという動作を続けて)

……生きてる実感なんて要らないから、ボロボロにはなりたくないかなー…俺は。
(普段喧嘩してばかりいる相手から素直に礼を言われると何ともむず痒く、きゅっと唇を結んで草むしりに徹し。しかし相手の返答を聞くと俄かに手を止め、つまらなそうな声音でありながら何処か思い詰めたような面持ちで心の内を明かして。抜いた雑草が程々に溜まってきたところで袋に詰め込めばその口を固く縛り)

(飛び出たのは如何にも彼らしい発言、しかしその胸に迫る様な表情から軽率な言葉を返すのは憚られ。何故そんな顔をするのかとは言うに及ばず、その本意は鈍感な自分にも何と無く理解出来て。そんな彼にさてどう返そうか、なんて考えている内に雑草抜きも一旦の終了を告げ。しかし又袋を取ってきて草を毟るだけの時間が無いのは傾き掛けた日を見れば明確に伝わる事実であり。漸く振り絞った言葉は「…そろそろ終わり、かな」なんて他愛のないもので)

そうねー、そろそろ終わろっか。
(先刻までの雰囲気とは打って変わって軽薄さすら漂ういつも通りの声色で同意すると、抜いた雑草の入った袋を畑の傍の所定の場所に持って行き。軍手を外して地面に置きっ放しにしていたじょうろを拾い上げ、お世辞にも優しげとは言い難い相手を急かすような調子で「ほら、軍手貸して。ついでに片付けてくるから」と促し手を差し出して)

ん、それじゃお願い。
(良くも悪くも常の調子に戻った彼に胸中安堵しつつ、此方も何時も通りの素っ気ない返事を。じょうろを片付けるべく辺りを見回すもその影も形も無く、怪訝に思うも其処で先程相方が軍手と共に片付けに行ったことを思い出して。元々使用する道具の少ない畑仕事、他に片付ける物も無く暇を持て余し。雑草で切れた、未だ僅かに血の痕が残る掌の傷を何となしに見つめてみて)

(軍手とじょうろを片付けるため納屋に足を運び、それらを元あった場所へ戻すと人目がないのをいい事に大きく伸びをして。土の付いた手や砂埃を浴びた髪が鬱陶しく、早く風呂に入りたい一心で納屋を後にすると律儀に待っていたらしい相手が目に入り、そのままその掌に視線を移して遠目に傷の状態を窺い。庭を横切り自分たちの部屋へと向かいがてら襷を解いては「深く切れてた？」と投げ掛け)

ううん、何ともない。唾でもつけておけば治るでしょ。
(先程の傷は触れれば未だ鋭い痛みが走るものの、日常生活を送る分には何ら問題無い。夕餉の準備をしているのだろうか、厨から漂う芳香が食欲を刺激して。今日は鯖の味噌煮か、等と考えている間に自室へ着くと襷を解きつつ「…あ、自然には治らないんだっけ」とふと思い出した事実を小さく呟いて )

唾って……絆創膏くらい貼っておきなよ。
(箪笥に襷を仕舞うと相手に背を向け普段着ている洋服を取り出していたものの、何処か抜けているような言動に思わず振り返り呆れたような声を上げて。風呂の準備一式と着替え用の洋服を両手いっぱいに抱えると「お風呂行ってくる。夕餉までには戻るから」とだけ言い残して足早に部屋を出て行き)

そういうもの、かな。
(何処か腑に落ちない、といった表情で小さく言葉を返せば備え付けの木棚の戸を開き。普段触れることの無い筆や鉛筆、護謨等の筆記用具に紛れ仕舞われていた絆創膏を取り出そうとした矢先に降ってきた彼の声。「了解、なるべく早めにね」と応じては絆創膏の包装を丁寧に剥がし、平織りの部分を傷口に当てがいそのまま貼り付けて。相方の居ない部屋は何時にも増してしんと静まり返っており、一緒に入れば良かったかな、なんて今更ながらに考えつつ彼の帰りを待つことに。)