若紫 2015-01-14 16:16:46 |
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俺の思う「損なう」
「所有」について、
回答させて貰おうと
思ったのですが、
文章を考えているうちにぐるぐるしてきてしまいました。
手空きの時間がないわけではないのですが(苦笑
もう暫くお待ちを。
少し、
持って頂いた疑問点の方向からは、ずれている気もしますが、
疑問点に掠るようなことで1つ、言語化できた自分の感覚がありますので、
それを先に書かせて頂きます。
俺は、
誰かといることで自我を損なわれる感覚を度々、
覚えている気がします。
やはり、
所有とは本来「もの」に対して行うことなのかもしれませんね。
所有された「もの」に主体的な人格は必要ないのかもしれない。
これは思索途上の段階で、
書き起こしてしまった考え方なので、大きな粗があるかも知れませんが。
自我を損なわれる感覚
難しいです。
何故損なわれる感覚になるのだろう。
何故そう思ったのですか
自己を開示してゆくことですり減るような感覚だったりするのでしょうか、、、。
ひとまずの疑問だけ書かせて頂きました。
熟考して頂いたようで有り難う存じます。
>>自我を損なわれる感覚
書き起こしできないものかと思索してみたのですか、
その過程で、この感覚は、複数の要因が絡み合って、呼び起こされるものなのだということに気付きました。
一人暮らしを始めてから、
帰宅すると、
形容し難い充実感を
覚えることが多々ありました。
休日も然りです。
誰もいない家に1人でいると
安心して、多幸感や
満たされた感覚を度々、
覚えていました。
職場や外が嫌だとか、
怖かったから、
それらから
逃れられたことによる安堵感
というわけではありません。
確実に違います。
他人様から
褒めて頂いたり
喜んで頂いたりすると
嬉しいこともありますが
それらは大抵、
嬉しいと感じた分だけ、
後からプレッシャーに
なりますね。
こんな話を
聞いたことがあります。
あるところに、
歌うことが好きな
女の子がいたそうです。
ある日、その子に
「歌が上手いね」
「声が綺麗だね」
と、声をかけた人が
いたそうです。
すると、次の日から、
その子は歌を
歌えなくなってしまったと。
子ども染みた考えなのかも
しれませんが、
誰かと一緒にいながら、
自己を保つということの
困難を感じますね。
自然に、花に満てるように
他人を気遣い、
他人を求めることが
できているうちは
良いのかもしれません。
批判に対しては、
逃避という
最大の自己防衛手段を
選び易くあると思うのですが、
賛美や受容というのは、
その点、生半可な逃避を
許してくれない気がします。
今の時点で話を切ると、
ややもすれば
誤解を招きかねないと
思いましたが、
如何せん、うとうとしてきて
しまいました。
一眠りするので、落ちます。
なるほど、それなら似た感覚がありました。
私は一人で暮らしている時
完全に自由だと思いました。
でもその自由さは不安にもなりました。
プレッシャーや周囲の目がないと私は堕落してしまいそうになった。
何もしないまま死んでしまうのではないかと思った。
でも誰かと暮らすのはいやだった。
似て非なるものかなと思いました。
感覚は理解できたけれど
それによる感情が違っていたということかな。
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