名無しさん 2014-12-23 22:27:39 |
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そのうち、ね
(人間だから、秘密の一つや二つぐらいあったほうが自然体なのではないのだろうかと思いつつ、隠し事なんてもとから出来るタイプじゃないことは自分が一番よくわかっているので、そのうち教える、と濁し。久しぶりに誰かとこんなに話した気がする。病院のカウンセリング以外人が多いところには行かないようにしているし、ほとんど引きこもって生活していた為か対人に慣れているわけでもない。昔から誰かと話すのは苦手だったし誰かとずっと一緒にいるなんてことも滅多になかった。だから今この瞬間が楽しくて笑みがこぼれてしまう。「なんで俺が幼稚なんですか?」怪訝そうに眉をひそめながら問いかけ理由を聞こうとし。「死んだら俺は標本とかにされるんですかね?厭だなぁ、死んでからもそんな風に見られるなんて…耐えられないですね」といつか読んだ本にアルビノの動物が標本になっていると書いてあったことがあり、自分もそうなってしまうのかと考えたら生きていたほうがずっとマシかもしれないななんて考え
まぁ教えてくれるんならいいけど。
(軽くスルーされたなと内心思うもそのうち教えてくれるならと思えば上記を述べ。ただ本当に教えてくれるんだろうかと少し疑いをもってしまい、まず自分がこのことを覚えているわけがないと思えば自分の記憶力のなさを自覚して。笑みがこぼれる相手が視界に入れば「何で笑った?」と訪ねて。特に何も話していなかったので思い出し笑いだろうと考えるもその原因が知りたくて軽く首をかしげながら相手の返事を待ち。眉をひそめる相手を見ればこんな顔もするんだなと思えばくすと小さく笑い「強がりだから」と述べ。特に理由もなく幼稚と言ってしまったものの意外とすんなり理由が思い付きどんだけ強がりなんだと相手を見ればそこが面白いけどなんて思えばまた小さく笑みをこぼして。「標本..されるかもな。あ、それか闇市場とかで売りさばかれるとか?お前なら結構高い値段つきそうだよな」と相手をからかいながら述べ。自分から冗談を言うということはあまりなかったが楽しげに上記を述べて。俺が死んでもただ燃やされて終わりだろうななんて思えば相手のほうがよっぽどいいのかもしれないと思うも標本やら闇市場は嫌だなと苦笑いして。
貴方といるのが楽しくて
(笑みの理由を聞かれると素直にそう答える。変な所で意地っ張りで、変な所で素直になってしまう自分の気分屋な心情が理解出来なくてそう答えた後に恥ずかしくなり。恥ずかしいなんていえばまたからかわれるのかもしれないなと思えば、何かを弁解するように「え、あ、別に変な意味があって言った訳じゃなくて…!えっと…」と口ごもりながらいい訳を探し。強がりだから、の答えに納得してしまいそうになるもそれではいけないと思えば「強がってなんか…ない、はずです」と先程よりもやや億劫そうに述べる。相手に言いくるめられるのはなんだか気が引けるなぁなんて思いながらこのあと、また何を言われるんだろうと少し身構え。「死んだあとに価値付けられても…俺の死体は貴方が食べてください。」と非常識なことを言う。人食なんて本の中の話だとわかっているが自分の死後は相手に任せてしまいたいと思い。何処の人かもわからない奴に身体を貪られて死んでから価値を付けられるぐらいだったら最後まで人外的な行動をしてしまいたい。四肢を切断されて世界のどこかに売り飛ばされるぐらいなら相手に消化されてしまったほうが清々しいなと考え「…まぁ、死んだ後のことは死んだ後どうにでもなるんじゃないですかね」なんていっては笑い
…そうかよ。
(相手から素直に述べられれば何でこういうのは素直になんだ?と疑問に思うも恥ずかしさからかそっぽを向いて上記をのべて。言い訳を探す相手を見れば何故かおかしく思え口元が緩めば「変な意味じゃないことくらいわかってる」と少し笑い気味で答え。ただそうは言ったものの変な意味とは何だろうとまた疑問が生まれるも特に深い意味はないだろうと自分の中で軽く流して。強がりじゃないと否定するも何処かあやふやでわかりやすいなと思えば「今も強がっただろ」と相手の顔色をさりげなく伺い。強がってないと言うことが強がっている、これはほとんどの人がそうかもしれないと思えば自分もそうかもななんて思い。死体を食べてと言われれば一瞬驚き目を見開くもそれと同時に笑いが込み上げてきて耐えきれずにはは、と笑えば相手をじっと見たあと「お前不味そうだからどうしようかな」なんて楽しげに答え。自分を食べてと言うやつなんてそうそういないだろうと思えばつぼにはまったのか笑いが込み上げてきてまた笑ってしまい。ここまで笑ったのは久しぶりだなと思いながらまた相手を見つめたあと「お前が菌がなくなるくらい洗われて綺麗な箱の中に入れてもらえば、俺の家に飾ってもいいかもな」なんて呟き。冗談も入ってるものの食べるよりはましだろと思い。死んだ後どうにでもなると言って笑う相手を見れば「まぁ死んだあとはごみ扱いだしな」と答えて。)
楽しいって思うのは駄目ですかね?
(もしかしたら相手はこう思われてることが厭なのかもしれないと感じればはっとして上記。自分が楽しいと思っていても相手にとって不快感のある行為だったらそれはただの独りよがりにしかすぎなくて、ただでさえ人と触れ合うという行為自体に嫌悪を抱いてる自分たちなのだから注意しなければ、と浮かれた気分を払拭し。「強がってないです」とそれでもなお貫きとおす。世間一般では相手の言う通りこれが強がりに入ってしまうのかもしれないがそれでも自分ではどこか認めたくなくて『大丈夫』だと言っておけば何となくどうにかなる気はしているし、いずれ時間が解決してくれたりすることだってある。その時の感情で一喜一憂している暇は自分にはまだない、というのが心理なのかもしれなくて。「不味いか美味しいかは食べてみないとわかりませんよ」と死体愛好だの人食愛好だの騒がれている世の中に逆らうように自分の考えを徒然と述べ、たしかに自分が普通の人だとしたらこんな身体食べても美味しくないと思うなぁ、と心中では相手の考えを肯定しつつ「飾り物ですか、俺は」とそれだけは避けたいとでもいった視線を相手に向ける。スクラップみたいでなんとなく、なんとなくだが厭だと感じて
駄目じゃね-よ、俺も楽しいし
(何で相手が駄目と思ったのかわからないが少なくとも今まであったやつらの中ではいいほうだろうと相手には好印象を持っていて。だからと言って触れることを許すわけでもないし至近距離で話されれば不快な重いをするのは変わらね-けど、と思うも相手からのスキンシップなどもなく普通に楽しくは話せていて、今では嫌と拒む気持ちより楽しいと肯定でとる気持ちが多いのは事実で。強がってないですと言えばまた強がったなと思い呆れ「駄々をこねる幼稚園児だな」と相手を馬鹿にするような下に見るような言い方をして。これでも強がってないと言うんだろうなと思えばいつになったら認めてくれるんだとまるでこれから先もずっと一緒にいられるような考えをして。実際は無理でもお互いの暇な時間を潰せるくらいの、親密にはならないとしてもただの話し相手くらいの関係にはなれるだろうと何の根拠もないのだがそう思い。絶対食べたら吐くなと思えば「まず俺何でも食べるようなやつじゃね-から」と。食料がないところならそういう人間を食べることもあるかもしれないが少なくとも自分にそういうのは無理だと思いそれなら飾るほうがよっぽどいいだろうと。「食べるより俺はいいけど」と呟けば「お前が死んでも寂しいと言うならおはようからおますみまで、ずっと死体に話しかけてやろうか」と無表情のままつげ。
なら、いいんですけど
(学生のときに不本意に人を信じてしまったことがある。結局それは裏切られて終わったのだがその時のことが頭をよぎっては自分の感情をかき回すので本当に止めて欲しい。人を信じたって何もいいことがなかった。裏切りも嫉妬も自分は普通になれないことも知っている。だからこそ誰を信じ、そしてついていけばいいのかわからなかった。だけど相手は違った、信じてとも助けてとも言ってくれた。真っ当に自分と向き合おうとしてくれた。だからこそ傷付けたくなくて、自分のエゴで相手を縛りたくなくて問いかけた質問に相手は答えてくれ、そして楽しいとも言ってくれたのだから安心し。「幼稚園生とか…さっきよりも格が下がってるじゃないですか」と不満げにもらし。幼稚だといわれてもせいぜい小学生の低学年をイメージしていただけに幼稚園生だなんていわれれば若干プライドが傷付けられた気がする。何でも食べる奴じゃない、と言われると確かにそうかもしれないと納得する。「俺は意外と美味しいかもしれないですよ」と負けじと続け。「…死んでからじゃなくて。」と小さく呟けばそこで相手の顔を真っ直ぐ見つめ「生きてる今この瞬間に…おはようからおやすみまで、俺と居てください」と欲しがりな子供のようにいうと「なんて、何言ってるんですかね俺は」と振り払うように言い
まぁ嫌ならちゃんと言うから心配すんな
(相手がまたいろいろと深く考えているのだろうと思えば性格のせいか特に気遣える言葉も見つからなかったが自分のなかで見つかった気遣う言葉と言うのは周りから見ればほとんど優しさなんて0のもので。むしろ相手を突き放しているように見えるが自分では相手への好感を示しているつもりで格が下がっていると言われれば幼稚=幼稚園生という方程式ができあがっていたためなかなかピンとこず疑問に思うも「幼稚園生意外と楽しいぞ」と言えばはは、と軽く笑い。その時はまだ潔癖症と気づいていなかったのでその時期が一番楽しかったなと思い。まだ対抗してくる相手にたいして負けず嫌いだなと思えば自分もそうなので人のことは言えないものの「牛肉よりは不味いだろ」と何故か牛肉と比べて。小さく呟く相手を見れば何だと言うように軽く首をかしげ相手から出てくる言葉を待ち生きてるこの瞬間にと言われれば驚いた表情を見せ。それから少し間をあければ「お前が望むなら一緒にいてやってもいいよ」と。上から目線で言ってしまうが何処か照れくさいため素直にいいよとは言えずに。ただ振り払うように言う相手を見れば相手も俺から出てくる言葉に耐えきれなかったのだろうと思えば似た者どうしなのかななんて思い。)
それはそれで傷付くんですが…
(こちらに対する優しさの欠片もない言葉に心底傷付いた、といったような顔で上記を述べればこれは突き離されているのだろうかとも捉えてしまい今自分から相手を無くしたら何もなくなってしまうと依存的な考えをしてしまい。こんな風に思ってしまうなんて、同性なのに、と自己嫌悪してしまう。自分のバカみたいに単純な思考回路が恨めしく思えてきて。幼稚園生みたい、そう言われると昔のことを思い出す。幼稚園生の時もこんな体は変わらなくて周りからの視線も‘可笑しい’とかそんな抑圧された言葉であつらえられたものをえらばれては浴びせられる日々の繰り返しだった。幼稚園生なんてもう2度と味わいたくない。「幼稚園生…は、あんまり良いことがなかったです」と一番楽しいだなんて言われればそう述べ。「なんで牛肉と比べたんですか?」と不思議そうに首を傾げる。自分はあまり食に関心がないのでこんなことで比較されるのは別になんとも思わないがとにかく訳が聞きたくて問いかけ。自分が望むなら、なんて言われるともっと、もっと、と求めてしまいそうになる。「…求めちゃったら…遠くなるのが怖くなる。だから…行かないでって思っちゃうしそう言うかもしれない…それでも貴方と居たいんです」と述べる。泣きそうになる、こんな気持ちになるのは初めてで自分の感情がセーブ出来そうになくてもうこんなむしゃくしゃした気分は嫌で
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