風人 2014-11-30 06:00:58 |
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『神殿』で桂菜がアツシに別れを告げる場面は涙出る。
十代の少年に女心を理解しなさいというのはむりあるけど彼女の言葉や思いが切ない。
“あたまがいい”ということは何かしら平凡な生き方はのぞめないのか。
『アクアマリンの神殿』はあくまで無数にある内のひとつの答え。
佐々木アツシが冷凍睡眠する以前、冷凍睡眠中、そして冷凍睡眠から覚醒後の人生。
『領域』では記憶を無くして新たな人間として生まれ変わる選択肢もあったが彼はそれを選ばず『神殿』へと繋がる。
だけど彼があたまいいのでは?と気づく者もいる。
世の中はおいそれと誤魔化すことができないということ。
夏美や野麦は魅力的な十代として書かれている。
夏美は美少女、野麦は平々凡々だけど。野麦という子なりに女の子なりの打算や計算もある。
『沈黙』で書かれた子どもなりの打算が学生にもあるということのあらわれのひとつ。
女の子を振ると何かしら痛い目に遭う。
『輝天炎上』でも天馬くんは冷泉深雪を振ったわけではないが微妙な関係になったがために痛い目に遭う。
『桜宮サーガ』の男性主人公は田口先生、今中先生、速水先生、彦根先生、天馬大吉、佐々木アツシなどみな程度や衝撃のちがいはあれど痛い目に遭ってる感がある。
『神殿』の頃には田口先生は高階先生への抵抗と諦めを含めながら出世を受け入れた感じと風格は兼ね備えている雰囲気。
おそらくそこに至るまで悩みや葛藤など無数にあると思う。
おそらく佐々木アツシが十代にも関わらず冷凍睡眠、睡眠学習や癌治療を経ながら悩んだように。
もちろん人生の色や密度はひとそれぞれだからいちがいには言えない。
だけど『神殿』を読む限りは佐々木アツシは普通の人生は歩めない道に冷凍睡眠を決断した時点で戻れないところもある。
選択肢としては普通の人生もあるという。
だけど西野昌孝はあえて彼に選択肢をいくつか提示しながら涼子さんを救うために如何なる考えを導き答えを出すか求めてきたと思う。
『神殿』では西野昌孝側の描写が『領域』よりは少ないからわかりづらいところもある。
『領域』では日比野涼子、西野昌孝の関係が明確になり恋愛関係に近いところもある。
だけど『神殿』では涼子は眠りについたまま。出てくるのはアツシの思いや冷凍睡眠前の僅かな映像だけ。
『アクアマリンの神殿』でゲタと呼ばれる先生が生徒に思い上がってほしくないというのは海堂尊先生なりのメッセージと思う。
本来は学生に解けない問題が解けた佐々木アツシ。睡眠学習による効果と世間に慣れてないことが裏目に出たことのひとつ。
多少は尖るのは構わないけど思い上がると結局は普通に見えることさえ見えなくなってしまうあやうさ。
『桜宮サーガ』シリーズを読みなれるといい悪いどちらも含め世の中を疑うようになる。
すべてではないけど報道が必ずしも事実とは限らない。
十代である天馬大吉や佐々木アツシはまだまだ純粋。
田口先生たちはなんだかんだで大人社会に揉まれ溶け込み社会のひずみを受け入れながらも矛盾と戦っている。
白鳥さんみたいにある程度ひねくれ割り切れたまた別な意味ではいいでしょうけどそんな生き方はなかなかできない。
彦根先生も『箱庭』ではおそらく本来の大きさの自分を認識したのがうかがえる。
『アクアマリンの神殿』で委員長を二年努めた日比野という生徒が自ら辞退し代わりに夏美が挙手し立候補。
こういう展開は『桜宮サーガ』にあんがい多い。
『凱旋』の速水先生、『祝祭』の彦根先生などある程度を演出を人物が受け持つ。
日比野という生徒の心情や考えはわかりにくいが二年努めて三年目もとなったら考えることができる人間なら何かしら考えるのが当然。
あたりまえをあたりまえにしてたらそれは堕落を呼ぶことになり自堕落にも繋がる。
立候補もだが辞退による一石を投じるのは悪いことではない。
学校やクラスなどはちいさな社会。
そこで目立つもよし頭いい人イケメンや美人な子など目立つ生徒もいればまたその逆もいる。
田口先生は『ひかりの剣』やバブル三部作時代においては本当目立ってない。端役もいいところ。
あくまで親友である速水先生や島津先生が気にかける程度。
『輝天炎上』における天馬くんも冷泉深雪の目に止まらなければ“真面目(も備えた)なふりしてる落第生”のまま一生徒であったと思われる。
だけど佐々木アツシはそれよりさらに下の多感な学生として書かれている。
頭は睡眠学習により良くなってる一面や西野昌孝により鍛えられているものの読む内に彼本来の本質は変わってないようにも感じる。
ハイパーマン・バッカス好きの子どもらしさや面影は少し残しそれが優秀さとはちがう形で表現されている。
女心に鈍感なのは十代なのは理解するが桂菜についてはもう少し顔を向けて欲しかったところ。
『神殿』の日々原奈々は少し気の毒な人物。
だけど麻生夏美の方が口が立つ。
だけど『桜宮サーガ』は人物が多い。すべての人物は把握できてないorz。舞台となる桜宮市だけでなく日本全国南北に連なり海外アメリカやドイツにまで人物たちが行き交う。
『箱庭』では『バチスタ』の桐生先生と再会できたのは喜ばしかった。『ブレイズメス』でも再会できましたが(苦笑)。
天馬くんの場合は必然的に留年生ということでいやでも目立つことになるがアツシくんの場合は極力目立たないように努力はするが実らない。
天馬くんもアツシくんもどちらも美少女に慕われる。
天馬くんは『螺鈿迷宮』の経験から逃げることはしなくなったがアツシくんはまだまだ精神が多感な思春期といびつな睡眠学習、失われた家庭などにより屈折感は否めない。
それでも佐々木アツシがまっすぐでけがれがないのは西野さんの距離感を持った付き合い、如月翔子の親身ある接し方なにより自らのために冷凍睡眠した涼子さんの思いを真摯に受け止めてるから芯までは腐らない。
同時に桜宮学園でのふつうの学生生活というのもある。
アツシくんがやや教師をバカにするところはいただけないけど教師は教師なりに生徒を心配するもの。
『神殿』は『輝天炎上』よりラノベに近い雰囲気で書かれている。
年齢層を下げてる。
だけど桂菜についてはもし十代の頃に読んでたらショックあると思う。
『桜宮サーガ』シリーズに登場するヒロインは恋愛に強いのか免疫あるのか。
バブル時代から現代までずっと世良先生を想っていた花房さんも何年耐えてたんだか思うが。
『神殿』の北原野麦、この子もまた強いもの。
絵に書いたような地味なヒロインのひとりではあるが果敢にもアツシくんの前で泣かない一面を見せる。実際の真意は不明としても。
田口先生は結果的に『肖像』の裏側『輝天炎上』でのすみれと城崎さんの活躍によって救われているが真相は知らずじまい。
『極北ラプソディ』の五條看護師もまた恵まれない恋愛関係(?)ではあるけど結果的にはいちおうフライトラブを物語をわずかな中に得ている。
その後は不明だが。
田口先生は『神殿』の時代においても独身なんだろうか?触れられてはなかったけど。
高階先生は部下の恋愛や結婚については気にかけないわけ……ではなかった。
『肖像』の文庫ボーナストラックでは速水先生と如月翔子を引き合わせているから無関心ではなかったと思われる。
高階先生がいくら病院長もしくは学長であっても東城医大の医師や看護師までの人間関係はすべて把握してないでしょう。
ある程度はそれぞれの教授や教室、各科などの上司に任ずる者たちに任せているでしょうね。
『箱庭』において田口先生に調査を任しながら結局は白鳥さんに言いくるめられなりゆきに任せる以外にない。
事象の予測はできても未来はわからない。ならある程度はなりゆきに任せて事態がゆっくり動くの見守るしかない。
病院長や学長などの立場で上に上り詰めても“孤独”はあるんでしょう。
なにより部下に任せた仕事は極力手を出さないように上から見守るしかない。
『栄光』から『箱庭』に至るまでの経緯を高階先生視点で読んだらまた異なるでしょう。
組織のトップは必ずしも光りだけではなく影もある。
『ブラックペアン』『ブレイズメス』の佐伯病院長もそんな気持ちがあったかも知れない。
『桜宮サーガ』シリーズの人物をよく読むと取り柄のない人物は書かれてない。
何かしら鈍感ではあるが別な何かには敏感や優秀だったり。
白鳥さんにしても悪評はあるが時に自らの評価を覆す。
こういう逆転劇は大小に関わらず物語内のあちこちで起きている。
だけど人物本人が自覚してるか否かはまた別。
出世に興味ない田口先生が『栄光』から『神殿』まであれよあれよと出世していくのも妙な話(笑)。
天馬くんにしても『輝天炎上』では大人である田口先生に敵わずAiセンター会議に出席することになる。
『神殿』の佐々木アツシにしても自らのあずかり知らぬところの人間関係で運命が動き左右されていく。
西野昌孝の本心は如何なるものか。もしかしたら孤独や未来に不安をおぼえている人物かもしれない。
『桜宮サーガ』シリーズの人物は表裏や虚実を使い分ける人物もまたいる。
冷凍睡眠による睡眠学習の効果はおそらくあるんでしょう。
だけど『モルフェウスの領域』で時を巻き戻す佐々木アツシ少年の気持ちを考えたら脳と心、精神がアンバランス。そのアンバランスさは『神殿』でも尾を引いている。
頭いい人が必ずしもしあわせが否かというのもある。
『神殿』はひとつの問いかけ。『桜宮サーガ』シリーズは物語内にいろいろな複数の問いかけがあると思う。
こたえが必ずしもひとつではない。
『弾丸』のオチみたいに本来はAiセンター長は田口先生ではなく白鳥さんなのではみたいに(笑)。
世の中の事象をすべてに近いほどに理解するのはほぼ不可能。
物事はあとになってから知ることの方が多い。失敗や間違いを教訓にしてから。
『桜宮サーガ』はひとつの架空の世界観。だけど現実と医療を通して密接に繋がっている。
Ai(オートプシー・イメージング)やドクターヘリなどは海堂尊先生や医師たちの貢献によるところもある。
数年前に耳鳴りなった時は子どもの時以来、CTを受けたからあらためて驚きあった。
なにごともなかったのはさいわいしたが。
海堂尊先生の作品を通じての現実へのメッセージは現実とこれからの未来に必要なことと思われる。
『アクアマリンの神殿』が何かに似てると思ったら漫画の『タッチ』で主人公達也がボクシング部に在籍してた時期に似る。
『ひかりの剣』では海堂尊先生は自身で経験ある剣道だったのに『神殿』ではなぜボクシング部に視点をあてたのか。
ちがうものを書いてみたい作家心でしょうか。
だけど冷凍睡眠をしてる被験者を覚醒させるのを十代の少年におこなわせるのは一般的な常識からいえば酷なこと。
しかし睡眠学習でふつうの人よりは佐々木アツシくんは知識を得ている。
ただ知識はあっても知恵の使い方を西野昌孝や曽根崎伸一郎、如月翔子そしてドロン同盟の夏美たち仲間と付き合うことで考えていく。
知識だけあってあたまでっかちになることを危険視している。
知識ある者は知恵を使って世のため人のために成すことを成さないとならないといけない。
『神殿』を読むと科学者の貢献と良心が垣間見えてしまう。そういう啓示か訓話なのか。
あえて西野昌孝が適度に悪役かつ悪い大人を演じてるようにしか感じない。裏を返せば彼は善人ということになるが真意はわからないままの方がおもしろく読める。
読書をすることで書かれている物語に憧れることを『神殿』では“人生を食われる”と表現している。
わからなくもない。
佐々木アツシのような思春期の年頃なら多感で繊細で若くもあれば脆いため憧れに精神をあずけやすい年頃。
モラトリアムから抜け出し脱皮する必要はある。
けどこれから脱皮するには傷つかない限りは一皮も剥けなくなる。
『神殿』では桜宮高校で学校、部活、クラス、ドロン同盟という同じ場でありながら四つの異なる空間(時間)を演出している。
これは『螺鈿迷宮』や『輝天炎上』の天馬大吉や冷泉深雪あるいは『ひかりの剣』の速水先生たちではできなかったことでしょう。
中学高校というふつうの学校という場、学校というちいさい社会の中で自分のポジションを探りながら生きていく。
クラスはさらにちいさい社会、さらにまたポジションを自覚していく。
部活に関してはこれはするしないのちがいは私は多くは言える立場にないのでコメントなし。
ドロン同盟みたいなのはクラスにおけるグループ。グループのなかで互いに仲良きことは美しきことでもあるがそのちいさいグループの中にも適度に打算や策謀などあるが互いにつきあいでおのおの空気を読んでいく。
『神殿』で新鮮なのは海堂尊先生が学園小説を書くとこうなるのかと受け止めができる。
通常の医療なら患者が日常生活を送れるように治療しなくてはならない。
だけどコールド・スリープ(冷凍睡眠)なら被験者が日常生活を差し支えなく送れるようにしなくてはならない。
この問題の提示は『桜宮サーガ』のすべての起点、『チーム・バチスタの栄光』で不定愁訴外来で田口先生によりおこなわれていること。
医療の問題は多々あるけどおおもとの問題は医者と患者の信頼関係の崩壊からはじまること。それゆえに医療ミスなど多くの問題も起きる。
ただし『桜宮サーガ』世界では舎人町においては医療ミス裁判は起きていない事象が存在している。
『神殿』における佐々木アツシ問題はアツシくんがいささかいびつな十代になったのは否めないが根っこや彼のおおもととなっている心や精神はけがれなく存在してること。多少は素直ではないが。
佐々木アツシ問題については解決してるというのは『神殿』の物語の大半が示している。
ふつうに(?)青春してますものね(苦笑)。
適度に友人関係をつくりそこそこ恋愛関係は破綻しながら再び関係を構築していく。
ふつうの人間がしてることを佐々木アツシは充分にこなしている。
『神殿』における涼子さんを覚醒させることは西野さんの不定愁訴外来ということとも解釈できる。
アツシくん涼子さんともに解決をさせることをしなくては結局は解決には至らない。
物語自体に発想の飛躍はあるけどひとつひとつ物語は順を追っていってることが伝わる。
『モルフェウスの領域』『アクアマリンの神殿』共にちゃんと地盤を磐石にしてゆく。
西野昌孝のおこなうことは一見こそは悪意だが殻を破って真実を見抜けば善意のひととなる。
日々野涼子、佐々木アツシ共によき解決を導いている。
あえて“悪いひと”の仮面をつけて生きてるんでしょう。それが彼の人生を一抹か寂しくさせているのかもしれない。
涼子さんとの大人の関係からもある程度はうかがうことできる。
結果的に『領域』『神殿』共に西野昌孝がちょうど物語や人物の真ん中というポジションにいるということ。
これによりふたつの物語や人間関係のバランスも決して崩されないという。物語のつくりとしては絶妙なバランス。
現実としていえば西野昌孝のポジションに位置するのはむずかしいと思う。物語のように自ら去らないといけなくなる。
コールドスリープ(冷凍睡眠)の被験者を法的に守るためには覚悟が必要ということ。
『桜宮サーガ』は架空ではあるけど現実の未来に対して警告を与えている。
佐々木アツシの“レティノサウルスを倒したい”という思いはあらかじめ海堂先生が決めてたことでしょうか。
だけど時系列における矛盾が存在したために『モルフェウスの領域』が作品として誕生し存在したともされる。
海堂尊先生はあたまいい方ですからあらかじめ冷凍睡眠(コールドスリープ)を題材にしようとしてたのはないでしょうか。
その都度、『桜宮サーガ』シリーズは過去現在未来日本内外へと物語が飛ぶしある物語のちいさな話題が次の物語ではメインとなることがある。
だけど未来において西野昌孝氏は彼はどこへ行ったのか。
彼もまた城崎さん同様に定住の地を求める生き方をしてないように思われる。
『ラプソディ』の世良先生みたいに着地点はたぶんあると思いたい。
麻生夏美の父親は誰?
麻生姓なのはたしかでしょうけどいままでの『桜宮サーガ』のシリーズに登場はあったでしょうか。
西野昌孝のライバルのひとりではあるらしく娘の夏美にいわせると西野さんにそっくりという人物。
要所要所にヒロイン麻生夏美の口を借りて出てくる彼女の父親。
いつかは明かされるんでしょう、たぶん?
『アクアマリンの神殿』とまだ私は未読ですが『医学のたまご』はほんの少し先の未来が書かれた物語。
『領域』『神殿』のコールドスリープ(冷凍睡眠)は半分程度はSFの範囲だけど必ずしも架空の出来事ではない。
いつかはおとずれる未来でありいつかは法律や医学として現実に実行されるであろう物事。
その際に冷凍睡眠についての法律や被験者の現在や未来はどうなるのか?という問いかけは必要。
『領域』や『神殿』はその答えを出している。
SF小説の出来事が着実に現実に現在進行中でいつかは誰かが被験者になることもある。
話は横道にそれるが『世にも奇妙な物語』にも冷凍睡眠を題材にした物語はあったと思う。
それもまた現実に辿る未来のひとつかもしれない……。
『領域』や『神殿』を読むとそれもまた未来のひとつの姿。
『アクアマリンの神殿』はいかにも学園小説というエンディングは好感。
謎めいた『輝天炎上』よりはよりラノベぽい。
学生時代の付き合いは永遠のセピア色。
佐々木アツシ、かつては癌患者であり冷凍睡眠のスリーパーそして冷凍睡眠の監視者。それでいてなおかつ学生という。
『桜宮サーガ』シリーズのなかで多難な人生を送っているひとり。
だけど困難を乗り越える術を西野さん如月翔子などまわりの人物が教え説く。西野さんのやり方は少々厳しいと思うが“平凡な人生”から外れたひとはふつうに生きられない宿命。
だけどあたまでっかちなままだと世界にいられなくなる。
『神殿』の物語内で書かれる学園生活がいかに大切な存在か知らされる。
夏美と野麦という対照的なヒロイン。
なにげに地味な野麦がアツシから見ればしたたかというのもおもしろい。人を見た目で判断してはならない教訓みたいな子。
むしろ野麦の方が化け物なのでは?というニュアンスがわずかにあるとしたらどうだろう。
野麦に近いヒロインといえば氷姫こと姫宮香織が近い感じする……。
フィクションではあるが『肖像』『輝天炎上』の美智おばあさんは癌にも関わらず適切な治療法はなかったにせよ田口先生の不定愁訴外来で診てもらうことで愚痴を言い続けたことで物語のなかで天命をまっとうしたといえる。
不定愁訴外来の愚痴が長く命を長らえさせたといえる。
今夜の『ホンマでっか!?』のストレス解消法で愚痴を言うあるいは伝えるのは健全で身体にいい行為ということでしょう。
頭が良くてもそこに現実や人間の感情や気持ちが伴わないと結局はひとりになりいずれは世界から受け入れられずに化け物になるということでしょう。
そんな危険を『沈黙』の牧村瑞人、『神殿』の佐々木アツシは内に持ってたということになる。
だけど両者ともに周囲の大人たちに支えられ守られてたことで道を踏み外すことはなかった。
だけど実際には『沈黙』においては牧村瑞人は自分で罪をひとり背負おうとしてた。
いま思うとこの場面は彼が化け物になろうとする瞬間だったんでしょう。浜田小夜が驚く場面はふつうの人間が持つ感情の瞬間。
だけどそれを白鳥さんと田口先生がふたりで事件を解明したことで彼が化け物になることはなかった。
『神殿』のアツシにしても涼子が眠る地下室でひとり悩み葛藤する姿はひとりの人間の在るべき姿。十代の少年にはあり得ない姿でもあるけど彼にはふつうのひとにはないモノを得ている。
同時にふつうのひとが持っている存在もまたある。
4Sエージェンシーの牧村瑞人、医学生として飛び級する佐々木アツシ。
それぞれ生きる道はちがっても世のため人のためという志、信念は変わらない。
あたまがいいことも含めて人より先に大人になることが果たして本当にいいことか悪いことか。
田口先生は『輝天炎上』では城崎さんに知らないところでバカにされた表現はされてるけどそれはある意味においてふつうな証しと思う。
田口先生はふつうに他人のことがわかるからふつうでいられるし内面や本質が変わらない人物。
ふつうでいることで突出した“何か”は潜在的にはあるかもしれないがふつうだからこそ多くの患者や人物たちと接することができる。
白鳥さんは厚労省のはみ出し者ではあるけど官僚という枠組みから見れば若手官僚のひとりであることにかわりない。
ただ厚労省や霞ヶ関を内部から破壊するおそれがある危険人物とされる。だからある程度は厚労省という組織にいながらもいつ組織の外に出されても構わずまた戻ってくる可能性や処世術を得ているはず。
白鳥さんに限ってはふつうや常識の枠にとらわれないように作品中ではなっている。
速水先生や彦根先生にしても医療に関わる限りは組織からは離れない。それは他の先生や看護師などもおなじ。
だけど患者であった牧村瑞人、佐々木アツシは数奇な運命を辿ることになる。
またオレンジ病棟で亡くなったヒロインたちも。
あたまがいい人は多少は厳しくても相手にちゃんと適切に言葉を伝える義務はある。受け取った側は考える必要がある。
『アクアマリンの神殿』は医療小説の一面はあるが大半は学園小説。
いかに学生の時期が大切だったか思い知る。
それでも多感な青春期に感じたことは大人になっても心は覚えている。
現実においても佐々木アツシほどにひねくれないまでもあの時期は世の中を斜めから見てしまう。
だけどそこで道を踏み外せば誰もが“化け物”になってしまうのではないかと思う。
『螺鈿迷宮』で自らの過去を知った天馬大吉。だけ彼には別宮葉子という幼馴染みがいて常に見守っていたおり『輝天炎上』では落第生から脱出しようととりあえずまじめになっている。
『神殿』の佐々木アツシも物語のどこかで間違えてたら東城医大や桜宮市を通して世界を恨むようになったかもしれない。
現代社会ではそういう危険を誰もがひそかに持っていて危ういところに立っているのかもしれない。
あたまがよくても知恵を使わない知識のかたまりにしてはいけないという警告はあるのかもしれない。
知識は知恵というあたまを使ってこそ生かされる。そこに良心が存在しないと暴走し“化け物”になってしまう。
けっこう『神殿』が凄い内容だったと伝わってる感じする。
『桜宮サーガ』シリーズを読んで思うのはひととの別れはせつない。
『アクアマリンの神殿』で亡くなった桂奈だけどその後、お葬式などで北原野麦は別れを告げることができたんでしょうか。
『神殿』は涼子の覚醒を問うことはしながらも覚醒自体の場面は書かれてない。先に記した桂奈についても亡くなった直後の場面はあるがお葬式などはない。
海堂尊先生のことだからわざと書かなかった旨と思われる。
もしくは『神殿』そのものには要らなかったと判断される。
桂奈と野麦については別の物語で語ることができそうなくらい『神殿』では触れられていない。たぶん別の物語があると思う。
ただ涼子について覚醒してかつてのアツシ同様に不定愁訴外来かそれに近い環境で精神ケアをし再び生きていけるかはこれはなんともいえない。
『桜宮サーガ』はまだあちこち空白ないし余白がある物語だから人物が入る隙間はある作品。
解決してない諸問題についてはおそらく何らかの形で別世界で補填や補完されるはず。
“個人情報保護法は死者には適用されない”
『アリアドネの弾丸』の白鳥さんの言葉。
『桜宮サーガ』のシリーズを読むといろいろ知らないことをわかりやすく書かれ伝わる。
だけどいまの時代は法律で守られている反面、法律でがんじがらめな点もある。
昭和時代やバブル時代と多くの面が異なる。
どちらがよかったかといえばむかしの方がよかったかもしれない。
現代みたいに情報過多ではないしストレスにしてもネットはない時代ですからネットなどによるストレスはない時代。
今週の『ホンマでっか!?』でも現代はむかしにはないストレスが多すぎると言われてた。
だけどいずれ冷凍睡眠(コールドスリープ)が実用化されれば法律は必要となり被験者の人権保護、精神ケアもまた必要。
『モルフェウスの領域』後半で書かれた佐々木アツシの覚醒後の治療やケアは作品中では比較的ゆるやかかつ一方では東城医大側が研究テーマとすることで被験者たるアツシを守るように先手を打った。
これからの時代は未知なることが多いようにもなにかしらのニュアンスは感じた。
冷凍睡眠(コールドスリープ)、これがひとりの人間あるいは人類にとって光りとなるか影になるか。それが疑問に思う。
田口先生が次期病院長に選ばれたわけ。
単純に消去法をしていけば現代を描いていた『田口白鳥シリーズ』の東城医大の人物表や人間関係を見ていけば田口先生しか病院長になれる人物がいなかったのが正直なところでは。
黒崎教授、藤原看護師そして高階病院長(後に学長)はいずれ東城医大から去る人物なのは明らか。
エシックスの沼田先生を病院長にすると経営の一途は縮小していきいずれは袋小路に入り結局は東城医大が無くなる可能性がある。
速水先生は経済感覚がなし、島津先生はがんがん魔人のあだ名を持ちある程度は慕われる傾向はあるものの経済感覚や病院経営について如何なるほどか疑問の余地が残る。
『箱庭』においても調査された先生方にしてもいささか閉鎖的環境は否定できない。
『栄光』当時の不定愁訴外来がいささか目立たない存在にしても患者からは好評、もしかしたらある程度は経済的数字を上げ東城医大に利益を与えた可能性もある。
またなにより院内政治に物語当初は無関係であったというポジション。
上昇志向や大学病院への敬愛などはやや薄いものの組織に害悪をなすわけではない。
それらを考えていけば速水先生、島津先生、沼田先生よりは次期病院長として適任だったのではと頷けもしない。
大学病院が存続できある程度は市や街に貢献できる程度がささやかなしあわせとしたら田口先生が不定愁訴外来をやるように大学病院が経営できたらそれは人々や街のしあわせになるということ。
結論をいえばそんな感じ。
高階病院長の真意は不明ですが、他に真意はあるかもしれませんが表面はそんな感じに取れる。
Ai(画像診断)でも間違いはあるということ。
いくら機械が優秀でも人間の側が精査しなくては患者の生命は救えない。
世の中がだんだんむずかしくなっていく。
本当に西野昌孝は涼子さんの記憶除去をのぞんだとはいささか思えない。
なんだかんだでアツシと共に彼女の冷凍睡眠を見守り未来科学センターを東城医大にまかせていたわけだし。
どうでもいいなら冷凍睡眠の四年の間に何処かへいくこともできたと思う。だけど彼はそれをしなかった。
西野昌孝もこの人も彦根先生同様に虚実を巧みに使うことで真実の姿をぼかしてしまう。
それに後半ど西野昌孝があらためて記憶除去を問う場面。
これは被験者の人生を大きく左右するもの。
記憶を除去し別人になることは国に都合はいいし新たな戸籍を作れる。
が、冷凍睡眠前の人生を否定することができるかどうか。
アツシは冷凍睡眠をしたことでご両親に見放され孤独になってしまった。
冷凍睡眠前の人生を子どもは無くしたに等しい。治療に病気は治ったものの代償は大きく重たい。なおかつ心に傷を残す。
アツシが若干の歪みや世の中をひねくれた見方をするが彼が極端に世の中を恨まなかったのは西野昌孝の采配、如月翔子や桂奈の存在、田口先生の心のケアあってのこと。
それを真摯に受け止め自分で考え悩んでいたら化け物にならずに物語は終えた。
誰しもが“化け物”になる危険をはらんでいるのが世の中。
地方や田舎でも高齢者の健康のためAi(画像診断)は導入されている。
『極北ラプソディ』の神威島のような状況が全国どこも過疎化や医師がいない現状があるからでしょう。
若い医者や医師は戸惑いはおぼえるだろうし土地に慣れないといけない苦労はあると思う。
だけどそれら時間や会話が解決してくれる。
感謝の言葉は時に土地の食材や土地の話題だったり田舎ならではの環境もある。
NHKでAi(画像診断)が田舎で役に立つのは治療への道。
長寿社会がいまの時代にいいかどうかは疑問はある。
少子高齢化の時代。
また『桜宮サーガ』シリーズの物語を読むと患者の延命処置が是か非か。たまにドラマなどでも話題になる。
延命処置をのぞむひともいればのぞまないひともいる。
『輝天炎上』で患者が亡くなる場面においての田口先生と天馬大吉のそれぞれの言葉や感じ方はたぶん誰もが疑問に思ったり考えることと思う。
どちらも正しくどちらも何かしらの間違いに近いニュアンスはあると思う。
医療に絶対的な思想はないのかもしれない。
あくまで海堂尊先生が作品を通して訴えていることは理想のひとつ。
物語のなかで主人公たちは難題や事件を解決しながら毎日を生きていく。
田口先生にしても高階先生に無理難題を押しつけられながら自らグチる始末。愚痴外来の先生自らぼやく(笑)。
Ai(オートプシー・イメージング)やドクターヘリなどはいくつかは『桜宮サーガ』世界と現実が重なっている。
だけどそれでもまだまだと思う。海堂先生の理想の到達点はおそらく我々には見えない。
断片的なパズルのピースは各作品に散らばっているはずだけど。
医療庁などにしてもひとつの理想であり思想。だからといって絶対的な存在かといえばそうでもないと思う。
大学病院という存在にしても白い巨塔のなかで多くのひとたちが行き交いみなそれぞれの理想の医療や未来を目指す。
『神殿』の時代において藤原看護師は去ったみたいだけど他の人物はどうされたのか。
速水先生は東城医大に復帰されたのか島津先生は相変わらず放射線科医かエシックスの沼田先生は相変わらず権力を振るっているのか。
その辺の内情はわからずじまい。
白鳥さんや彦根先生たち、桜宮市警との関係は?
なぞがのこる。
『桜宮サーガ』シリーズを読むと癌患者であった人物たちは病のなか戦い悩み葛藤し日々生きてるのが伝わる。
現実も同じかそれ以上と思う。
私の叔父も癌になったと聞いて誰にでも起こりうることなんだと実感する。
いまの時代にはむかしにはないストレスや病が多くあると思う。
現代社会が複雑かつ生きにくい世の中。
『モルフェウス』や『アクアマリン』を読むと冷凍睡眠(コールドスリープ)によって未来に希望もあるが同時に冷凍睡眠後に法律をはじめとして目にみえない現実が無数にある。
病が治療できたとしてもその先がみえない世の中。見えるようにするために患者の心のケアや治療が必要でもある。
薬に頼らないで風邪を治すのは実に至難。
とはいえ薬も必ずしも身体にいいモノではないというのは『桜宮サーガ』世界では半ば通例。
現代医療では薬は必須。幕末医療モノの『JIN-仁--』でもペニシリンがあるとないとではまたちがう。
『桜宮サーガ』では薬は半ば身体に良くないものとして伝えている点もある。
現代医療は何かと弊害もあるのも現実。
ふつうに薬だってアレルギーや副作用がないわけでないのも現実。
現代になって医者も患者もアレルギー、副作用を気にしてしまう世の中になった。
『肖像』で田口先生と患者が薬についての話がありましたが物語流れそのものからいえばたぶんに無関係。
だけどおそらく著者である海堂尊先生からしたら無関係にしたくなかったのではないでしょうか。
あと一般人がネットからの知識を現実のお医者さまに向けないようにしてくださいと暗黙の配慮としてメッセージとして込めたと考えた方が気持ちいいと思う。
患者が(ネットからの)よけいな知識で物言いをすれば当然、医者としては不愉快。また医者と患者の信頼関係に齟齬をきたす。
患者が神経質やデリケートになり過ぎるのも現代医療の問題のひとつ。
『桜宮サーガ』のシリーズを読んで思うのはどの立場になって読むかそして現代にお医者さまの世話になる時に信頼関係が成り立つか否か。
けっこう『桜宮サーガ』のシリーズもいろいろなメッセージが込められている。
『桜宮サーガ』シリーズは内容が豊富。
『モルフェウスの領域』『アクアマリンの神殿』のような冷凍睡眠(コールド・スリープ)がもし現実に実行されたらどうなるんでしょう。
被験者が病気を将来や未来に治療できるにしても時の流れは被験者を浦島太郎にしてしまう。
『領域』後半のアツシ少年はまさにそれ。
両親は親権を放棄し自分が知る人たちも限られる。
また睡眠学習により頭はよくなっていることは『領域』ではよきことのように描写されているが『神殿』では頭がよくなったことが普通の生活を送れない一部弊害になっている。
西野さんが厳しく接したのはアツシくんを社会の化け物や犯罪者にしないためにあえて厳しく言い諭したと思う。
頭よくなったのが睡眠学習の結果としてそれを含めて人生のなかで為さねばならないこと。
冷凍睡眠、睡眠学習は『領域』『神殿』ともにいずれは現実で使われた場合に被験者がいかなる人生を送るかという課題。
社会はその責任を担わなくてはならない。
アツシくんが『神殿』の時代には東城医大には足が遠のいてはいたけど彼にとっての人生の原点や布石でもあった。
頭がよくなっても『ハイパーマン・バッカス』が好きな少年の気持ちが原点でもあった。
この辺の描写は海堂先生の人物にたいしてのやさしさでしょう。
母の知り合いのお見舞いで市内の病院をたずねたが近年の病院は綺麗。
『桜宮サーガ』内でも東城医大はシリーズが進むごとに設備や施設が整っていく。一部サリーと呼ばれる新棟やAiセンターなどは紆余曲折あり頓挫する。
かたや『極北シリーズ』は市長の意向によりトイレは様式に改修されるが『ラプソディ』時期は人員削減もあり閑散としている。
大学病院と地域病院の違いもある。
だけど母の知り合いは元気にしてたようでなにより。
病院内が明るいし若い職員さんが24時間いるのも心の負担にならないと思う。
癌と戦うのは並大抵ではないと思う。
抗がん剤を用いたり他に転移しないように手術治療を繰り返したり。
『桜宮サーガ』内でもたびたび人物たちを苦しめる最大の病気のひとつ。
『ナイチンゲールの沈黙』で幼い子どもでも癌になるという物語。
癌となった主人公の牧村瑞人と彼を慕う佐々木アツシ少年。
それぞれ異なる手術や経緯で癌治療をおこない別の物語であらためて出てくるけどまたその後の人生に悩む。
大人でも癌に苦しむが幼い子どもだとまたなおさら苦しむ。
なぜこのような病が存在するのか。
『ランクA病院の愉悦』収録の「ガンコロリン」はコメディとしても実際に癌を治す治療薬ができてもさらに強い癌が出てくるというオチはある種の警鐘にも思える。
人間がある病気を治す特効薬をつくっても時を経てある病気はまた強くなるイタチごっこ。
癌を治療したいのは人類の夢。だけど癌手術をする医者が将来いなくなってしまいのも弊害。
「ガンコロリン」は癌を取り上げているけどたぶん他の病気にも言えることと思う。
海堂先生はコメディに仕上げてるけどいろいろな警鐘が含まれてると思いたい。
『ナニワ・モンスター』で官僚の不祥事や接待問題語られてました。
一部は創作フィクションでしょうけど少しリアルで読んでて怖かった。
斑鳩室長がほぼ裏で糸を引いている闇社会。不祥事をわざとマスコミに公表してよそに目を逸らす。ある種の情報操作。
ただし作品中では情報操作とまで明確にしてなかったでしょうか。
『イノセント・ゲリラの祝祭』での白鳥さんが田口先生を労うのは接待ではなくとりあえずの付き合い。
『螺鈿迷宮』『ケルベロスの肖像』『輝天炎上』に登場した美智おばあさん、最後の最後まで癌と戦った人物。
『肖像』でこの人物の描写が田口先生の視点で語られるが世話する看護師さんたちがむしろつかれをおぼえるほど。
だけど逆に考えたらいかなる治療よりも本人が生きたいと思う意思がなせる業。
薬や手術はほとんど効果がないにしても生きる意思により自らを生かしている。
何かを誰かに伝えるために……。
実際作品内においては『肖像』では田口先生に、『輝天炎上』では天馬くんにそれぞれすみれについて伝えて亡くなる。
死にゆく人たちは生きてる人たちに伝える何かがあるからこそ生きている。
青森でがん検診で四割見落とされていた報道は少々残念。
『ナニワ・モンスター』の舎人町(とねり)のように現実はうまくいかないことの証明。
青森の一件が人間の慢心かふつうに見落とされたのかそれはわからないけどせっかくある医療システムが生かされてなかったのは残念。
海堂尊先生はどんなお気持ちで報道を耳にされたか。あるいは医療関係者全般の方たち。
母の知り合いを見舞いに行った病院もすごかったけど自分がいざ病院にいくとたいへん。
だけど医療が一部(もしくはすべてに近い範囲?)でサービス業に近くなってる雰囲気。
多少の時間がかかるのはやむを得ない点もある。
大きい病院の方がレントゲンやCTもあるからいろいろ診られる点もある。
幼い頃は病院は無機質なイメージあったけど最近の病院は綺麗。
若干システム的なところはあるかもしれないけど診療にも柔軟な対応している。
『桜宮サーガ』シリーズでも電子カルテの話題はひとつふたつはあったし大学病院や市民病院なども時代に対応していく。
売店やカフェテラス、食堂などは入院患者や医療従事者さんたちのスペースでもあるが綺麗になっている。
金曜日は朝食を抜いてエコーしないとならない。咳止めを飲んで咳はある程度ラクにはなった。
夏風邪に弱い。
現代においては医療がなかばサービス業になる一面もありながら行き届いた治療が現場がしたくてもできない現実。
『伝説』に書かれている三編の短編はそれを克明に記している。
反面医療技術は進んでる。採血し診ることで患者の状態がわかるんだから。
とはいえいまだに癌などは克服できない病もある現実。
日本の未来が少子高齢化で先細りするように医療の未来もどうなるかわからない。
『桜宮サーガ』シリーズには「国家は滅んでも医療は滅ばない」という言葉がある。
『祝祭』以降ちょくちょく出てくる印象的な表現。
『スカラムーシュ・ムーン』『スリジエセンター』を読みたいけど文庫化はまだなのかされたのかわからない。
『スカラムーシュ・ムーン』の後日談的に『カレイドスコープの箱庭』でわずかに語られてるだけ。
彦根先生の飄々し若い人物像は嫌いではない。ある意味若者らしさの挑戦と無謀さを合わせ持ちそこに虚実を巧みに操る手腕と行動力。
『田口白鳥シリーズ』の現代を舞台にしたシリーズのなかではある種のひねくれた大人ではあるが内に若さを秘めている人物。ただそのぶん斑鳩室長に目をつけられたのが不運でしょうか。
斑鳩室長の不鮮明さにくらべたら彦根先生のやることは鮮やか。
スカパーで『アリアドネの弾丸』再放送。
地上波では『ブラックペアン』が放送中。
若干ドラマや映画などの改変はあるけどドラマ版などでも『桜宮サーガ』はそれとなくつながりあるみたいですね。
『スカラムーシュ・ムーン』では再び政治的シミュレーションを書いてる雰囲気。
村雨府知事が市長になろうとするくだりは当時の橋下徹府知事と同じ。
斑鳩室長の秘密兵器(動物園)=zooが動き出す。
ようやく『スリジエセンター』文庫版を購入。
まだ読めてないけど。
これで『ブラックペアン』から続く三部作に決着がつく。
どうなるのだろう天城雪彦先生はと気になるしだい。
『スカラムーシュ・ムーン』を読んでいまは『スリジエセンター1991』を読書中。
『スリジエセンター』には村雨府知事が政治家秘書として登場してることから『スカラムーシュ・ムーン』と世界観がつながってることがわかる。
だけど『スリジエセンター』で天城雪彦はほぼ孤立無援ななか窮地に立たされる。毎回だけど。
読んでて今後どうなるか期待と不安がよぎる物語。
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