風人 2014-11-30 06:00:58 |
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アリアドネの弾丸、物語の本筋とは別に足がむずむずする病や眠りの時の夢についても触れられていました。
病気でないと日常、思われがちだったり白鳥さんが患者のおばあさんにたいして厚労省の役人としてうまい具合に話をまとめたり、事件のなか宇佐美警視と亡き友野くんの会話を夢として田口先生は見てたり夢や深層意識にもちょっと踏み込んでたりと直接的に物語に関わってたのは夢の方でしたけど(+.+)(-.-)(__)..zzZZ(笑)。
こういう何気ないところも『ケルベロスの肖像』や他作品につながる伏線だったりして・・・・・・w
桜宮サーガ内の特撮ドラマ『ハイパーマン・バッカス』は実写化ならないでしょうかね(笑)。
『伝説』によると、本来は海堂先生は『ウルトラマン』を使いたかったらしいけど版権の都合からウルトラマンは使えなかったからバッカスを代わりに生んだとあった。
酒呑みのヒーローというのは、ちょっと子供向けからしたらどうかな?と思うけど原作・海堂尊にして 作画○○ みたいに漫画からでもはじめてもいいと思う。
円谷プロのなかにも海堂尊先生の本を読んでる人はおそらくいると思うし『ハイパーマン・バッカス』は見てみたい(爆)。
ウルトラマンと共演されたら海堂先生は涙モノでしょうね。
医療事故や厚労省関係のニュースを見ると自然と桜宮サーガを意識してしまいますね。
さすがに白鳥さんみたいな人はいないと思いますが、大学病院や霞ヶ関の一般には見えない見えにくい“闇”を意識してしまいます。
海堂尊先生は、ある一時期にたかじんの委員会に頻繁に出演されてましたがまたご出演されないでしょうか。
アリアドネの弾丸はちょこちょこ院内にコンビニが出来たとかお弁当の話題が出てきますね。
この当時、海堂尊先生はコンビニやお弁当にハマってたんでしょうか(笑)。
けど、桜宮サーガは読むたびに桜宮市を中心に変わっていくのを実感しますね。
『ブラックペアン1988』に続く二作もまだ読んでないですし『極北ラプソディ』もまだです。
なかなか空白は埋まらない。
つい先頃に放送された映画『ケルベロスの肖像』、やっと見たけど別宮葉子さんを犯人にしてほしくはなかったな。
『極北クレイマー』や『ブラックペアン』とは断片的ながらつながりあったのはいい。
だけど、白鳥さん(仲村トオルさん)にペアンの罪をぜんぶ被せるのは少々、やりすぎ。その辺はドラマとしての改変かな。
映画と小説はちがうのはしかたないにしてももう少し丁寧に描写して欲しかったと思う。
別宮葉子さんが犯人だった以外はまあまあよかったと思う。
小説はまたいずれ探して読むと思います。
もし、何らかの形でいずれ新シリーズとしてドラマや映画が作られるなら原作重視にしてほしいです。桧山シオンや姫宮香織などに活躍の場を設けてほしいかな。
まだまだ桜宮サーガのパズルのピースは埋まらない。
世界観が広い、なにより人物像がひとりひとり深い。
田口先生、白鳥さんにしても過去、現在、未来がある。
東城医大、帝華大のことについても書かれてないこと知らないこと多くありそう。
ドラマや映画で描写されてるのはエンターティメントとしてのごく一部かもしれない。
桜宮サーガも夏の時期はむりかもしれないけどまた読みたい。
『アリアドネの弾丸』、桧山ジオンのさりげない活躍はよかった。
サーガとある以上は過去、現在、未来と世界観が繋がってゆく・・・・・・。
田口先生、白鳥さんの作る未来が必ずしも正しいわけではないというのもあるかもしれない。
海堂尊先生の書き方みると医療側に立ちながらも司法側としてブレーキをかけてるニュアンスはある感じ。
どちらも暴走してはいけないよう自制してるように思われる。
桜宮サーガも読まないといけないですね。
まだまだ読めてない本があるからパズルのピースは埋まってない(>_<)。
ドラマや映画のバチスタシリーズは終わりましたけど桜宮サーガのシリーズは読破したい。そう思わせるのが海堂尊作品にはあるんでしょうね(苦笑)。
ようやく『極北ラプソディ』を購入。『マドンナ・ヴェルテ』も。
個人的に『極北シリーズ』は地域地方医療の問題点が如実に描写されてるから好み。
今中先生は『極北クレイマー』でも振り回されてましたけど『極北ラプソディ』でも世良先生に振り回されてなんだか気の毒。
ドクターヘリや東城医大にも触れられてた。
『極北ラプソディ』は世良先生と花房さんの物語でしょうか。
今中先生は読者の目や耳であり代弁者的一面な人生は『極北クレイマー』と変わらない感じ。
世良先生と速水先生が合わせ鏡という描写もまたおもしろい。
後藤先生は神威島で人並みなしあわせを得たというのも『極北クレイマー』のちゃらんぽらんなことしてたのを知る読者なら意外感ある(笑)。
ドクターヘリやドクタージェットを飛ばすにしても人にもヘリにも予算や育成に時間がかかるのも現状。シビアな問題を海堂尊先生は厳しく辛辣に伝える。
『極北ラプソディ』は極北市に問題は多く抱えたまま終わってるけどラストに世良先生と花房さんの結実には感動した(涙)。
『マドンナ・ヴェルデ』は表現が『ジーン・ワルツ』同様に女性的。
書いてるのが男性の海堂尊先生とは思えない。
だけど本編はいきなり殴られたような感じ。理恵先生が子どものできない身体であったり実の母親に代理出産を頼んだり冒頭から常軌を逸してる。
母親のみどりさん視点だから曽根崎理恵の娘時代からあんな独特に一風変わった娘だったにしても衝撃ある。
理恵先生の“クール・ウィッチ(冷酷な魔女)”の一面はパンドラの箱に触れるみたいで読むたびに怖いものに触れる感じする。
清川先生と曽根崎理恵先生の関係は恋愛ではつながってない。
『ジーン・ワルツ』もあまりそんな雰囲気はなかったけど『マドンナ・ヴェルデ』は過去に触れながらもあんがいドライ。
海堂尊先生はいろいろな意味や形で時々人物を突き放す感じがある。その辺もまたクールかつドライなところと言える。
男女の関係が作品の主要人物に恋愛に結びつかないのは田口先生や今中先生にもあるけど。
理恵先生は女性だからかあまりにクールすぎるようにさえ思う。
『マドンナ・ヴェルデ』は理恵先生と母親であるみどりにやや距離があるようにも感じる。
代理出産とはいえあるいは代理出産だからか二度目の妊娠や出産を経験する母親みどり。
それを男性である海堂尊先生が書いてるんだから凄いもの。
アメリカに行ってる理恵先生の旦那さんの伸一郎さんは頭いいのかも知れないけどやや抜けてる感じある。わざと海堂尊先生はそんな風に書いてると思うけど(苦笑)。
『ジーン・ワルツ』にしても男性は出番は少なかった。
女性の心理や胸中を医学や代理出産を通して書ける海堂尊先生は本当に凄いもの。
『ジーン・ワルツ』『マドンナ・ヴェルデ』の理恵先生は“クール・ウィッチ(冷酷な魔女)”と思う。
代理出産のために実の母親みどりさんでさえ利用する思い。
患者のひとりであるユミという女性に対しても時に冷たく接する。
桜宮サーガにおいては碧翠院の桜宮一族もまた冷酷かつ非情に書かれた一族でもある。
桜宮一族と曽根崎理恵の冷酷さは似て非なるものと思うけど時に冷たさは似てる感じする。書き手が同じなのもあるでしょうけど。
ただ『マドンナ・ヴェルデ』をまだ読んでる途中だけど母親みどりと理恵、理恵と伸一郎、みどりと理恵と生まれ出ずる赤ちゃんなどを通して“家庭”の在り方を問いてる雰囲気ある。
そこは『ジーン・ワルツ』では断片的だったように思うだけに明確に描写されてると思う。
夏の終わり頃から耳鳴りが頻繁にするのでようやくMRIを受けてみた。
さいわい腫瘍や脳にすき間はできてなかった(*´∇`*)。
つかれかな。
MRIを受けてた時に『ナイチンゲールの沈黙』を思い出した。
作中ではがんがんトンネルと言われながら某先生ががんがんトンネルの魔人と言われてた(笑)。
だけどなぜか入院患者である子供たちに慕われている(*´∇`*)。
私は比較的に落ち着いて受けたけどこわい人はこわいでしょう。SF映画みたいな感じもあった。
機械に頭の中を診られながらがんがんと音がするんだからc(>_<。)シ*。
MRIの画像を通してとはいえ脳や血管、目などが見えるから現代の医療技術は驚異なもの。
『マドンナ・ヴェルデ』を読むと綺麗におさまるべきところにおさまった感じ。
理恵先生の性格を考えたら相手がたとえ親や赤ん坊でも頑なな姿勢は崩さないように思えたけど、母親であるみどりさんやマリア先生には逆らえない幼さもある。
人が“親になる”ことの行為や意味を問う場面は実によかったと思う。
理恵先生が医師や医者としては優秀と思う。だけどそのために代理出産の正当性を示すために母親や赤ん坊を利用するのは人道的な面からは疑問に思う。
いまの時代の技術は“神の領域”にいとも簡単に踏み入れることができる。理恵先生はそれを行ってしまった側の人。
行わない人も良心的にいるのを考えたら医学に関係なく技術は罪なもの。
また再読したら考えさせられる本と思う。
『マドンナ・ヴェルデ』を読み終えたけど『ジーン・ワルツ』が医者である理恵先生の視点で書かれ終わってたの対し『マドンナ・ヴェルデ』は理恵先生の母親であるみどりさんの視点で書かれ物語に幕を閉じてる。
医者である理恵先生と母親であるみどりさんを対比させながらテーマである代理出産を問いている。
みどりさんは代理出産などの医療技術を“神の領域”と感じたり思うことは一般人の我々と同じ視点や感受性と思う。
なおかつ作中では理恵先生は母親であるみどりさんを半ば騙してるも同然なまま子供を宿すんだから怒りもあると思う。
ひとりの子供(作中では双子)を生んだり育てたりの意味は親でしか訴えられないと切実に思う。
みどりさんは娘である理恵先生と戦うために彼女が離婚した旦那さん伸一郎さんに協力や親権をお願いするために手紙でやり取りして親権を得る。
最後はネタバレのひとつになるけどマリアクリニックのマリア先生によってようやく両者は和解するに至る。
代理出産は誰が妊娠や出産して誰が親か誰が育てるかという普通の妊娠出産よりも難儀な問題を抱えてるのが如実に『マドンナ・ヴェルデ』にあらわれてたと思う。
書いてるのが男性の海堂尊先生というのが『ジーン・ワルツ』もだけど読んでるうちに忘れる(笑)。
読後した後に本当に海堂尊先生が書いたの!?がギャップある本。
彦根くんは『極北ラプソディ』でも名前が出てきました。
おそらく彼はあちこちでホラ吹きに近いことを吹聴しては日本や世界を回っては大半は敵意を買ってるんでしょう。
『極北ラプソディ』での速水先生はたぶん彦根くんの存在は目に耳にも届かないくらいの“将軍”ぶりだったと思いますけど(苦笑)。
彦根くんが『イノセントゲリラ』で大風呂敷を広げながら畳むところは畳む姿勢があるのは白鳥さんや田口先生などごく一部で身近な者にしか伝わってないでしょう。
だけど世良先生の耳にも入ってることからしたら意図的なのかあるいはわざと以上にそれ以上に大風呂敷を広げたい思考や思想で彦根くんは動いてるんでしょう。まわりは迷惑してると思いますが(苦笑)。
三枝先生の話題は『極北ラプソディ』『マドンナ・ヴェルデ』に登場してる人物たち医者や一般人に関係なく伝わってることからしたら『桜宮サーガ』という歴史のなかで生きてる人物にしたら衝撃と思う。
我々の現実の歴史と比がない出来事。
『極北クレイマー』で西園寺さやか=桜宮小百合が風化するのも早いみたいなことも消防士にも言ってたと思うけど。
『桜宮サーガ』は医療小説をとおして我々の現実に伝わってるんだと読むたびに思います。
桜宮サーガの本筋である『田口白鳥シリーズ』を除いたら『極北シリーズ』は好きなシリーズ。
今中先生の人物はよくも悪くも田口先生にかぶるところはあるけど、北海道の極北で若く彼なりに悩みながら地域医療に取り組む姿は魅力ある。
『極北クレイマー』で病院長や看護師さんらに振り回されながら姫宮香織に助けられ、『極北ラプソディ』でも世良先生や速水先生に振り回されながらも地域医療やドクターヘリの現状を見つめながら地域医療の在り方を真摯に受け止めてゆく。
神威島での後藤先生との再会はなにかしら感動した。
けど『田口白鳥シリーズ』での出来事は桜宮市や霞ヶ関だけでなく極北市などにも耳に届いてることから無関係ということはないんでしょう。
もちろん物語の在り方からしたら白鳥さんとて“絶対正義”ではないのは『螺鈿迷宮』で示唆されてた。
『極北ラプソディ』は地域医療の問題が解決されないまま物語が終わってる点は興味深い。
物語としては世良先生と花房先生の恋愛に決着が着いた感じの方が印象深い。
桜宮サーガは過去、現在、未来でありとあらゆることが医療を通して問われてゆくんでしょう。
なにかのあとがきに海堂尊先生は“メスをペンに変えて……”というくだりがありましたから。
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