風人 2014-11-30 06:00:58 |
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『チーム・バチスタの栄光』から『カレイドスコープの箱庭』までおおよそ三年経っているけど、電子カルテに嫌いを示す医療従事者もいるということ。
以前に母が地元の医療センターにお世話になった時も母を診たお医者さまが電子カルテよりは紙のカルテの方が書いているというようなことをおっしゃってたかな。
だけど時代やハイテクの流れがある。
『桜宮サーガ』のシリーズを読むとハイテクとローテクの両方が生きているところもある。
必ずしも最先端やアメリカ諸外国の医療が正しいと思うわけでもないという風潮やむかしながらの堅い意識を持つ医療従事者などもいる。
どこかでそういうのが時に時代の妨げにもなるしまた逆にむかしながらだから信頼あるというのもある。
どう何を受けとるかでそのものの印象は異なる。
『カレイドスコープの箱庭』で速水先生と彦根先生の会話から察するに彦根先生は今中先生が極北市民病院に不在の時に訪れているような雰囲気。
実際、『極北ラプソディ』で今中先生と彦根先生は一切出会っていない。
今中先生を雪見市救命救急センターに派遣した時にも目に見えない日本三分構想やドクタージェット構想などを話し合ってた可能性はある。
だけど速水先生はどこで世良先生が彦根先生と会ってるのを耳にしたのか。
医療の人間関係は広いようでせまいとあるから何かしら風のうわさは流れてきたかもしれない。
白鳥さんがなぜ官僚を志した(?)というのも興味あるところ。
『ナニワ・モンスター』での描写からかなりAiに早い時期からこだわっていたのがうかがえる。
基本的に東城医大が舞台になることが多くライバル帝華大についてはまだまだ語られていないのではない。
ある程度は各作品の描写や台詞から拾えるけどイコール具体的に語ってるわけでもないから読者にしたらいささかなぞになる。
『カレイドスコープの箱庭』において田口先生ほど特異な存在な准教授は現実にはいないでしょう。
だけどいくつかの作品では海堂尊先生は論文ありきな医療界にある種の警鐘を鳴らしてもいる。
かといって論文警視ではないとも思う。『極北ラプソディ』で世良先生の口を借りて論文批判はするけど研究が滞っていた今中先生にひとつのチャンスを与えてもいる。
今中先生の方が平凡な医師として書かれている。田口先生が特殊なだけ(苦笑)。
論文は書いてもいないAiに理解はしてても放射線科医でもないのにAiセンター長を東城医大でつとめAi標準化会議に出席し出席者を束ねないとならない。
Aiの在り方を『箱庭』であらためて説いているともいえる。
もし高階病院長が本当に引退したら次期病院長は田口先生なんでしょうか。『箱庭』では田口先生と不定愁訴外来に口を出す者はいなくなってしまう現状。唯一は兵藤先生だけが犬のようにしっぽを振るだけ。
だけど『箱庭』で白鳥さんと兵藤先生がある程度どのような情報交換をしてるか明らかになったのもおもしろい。鬼の居ぬ間、というのをふたりは巧みに利用してたみたい。
だけど藤原看護師は不定愁訴外来に予期せぬ来客があるたびに出勤しては珈琲を淹れては先生たちの世話をするのも大変な労苦かもしれない一面もまたうかがえる。
大学病院の人間模様がうかがえるのも魅力。
とりあえず文庫化になってる本から読んでいきたいけどもうかなり読んでるから実質は少ないはず。
『モルフェウスの領域』の続編『アクアマリンの神殿』からでしょうか。
『領域』はある意味SFであり複雑な恋愛モノとも取れる、やや視点が違った作品だった。
西野さんは嫌みな人ではあるけど決して不誠実ではないと思う。頭いいぶん嫌みさがおもてに出てしまうもしくは誤解を生む人物ともいえる。
仕事そのものについては『極北ラプソディ』や『領域』においても真剣そのものがうかがえる。ちゃんと己のテーマを具現化しさらに追求する。
恋愛するとやや厄介にも思える人物ではあるかもしれない。
西野さん涼子さんの関係が輪廻の輪のようになるのか。
『領域』のコールドスリーブ(冷凍睡眠)は人類の夢ではあるけど一方では被験者の人生や権利を奪うものでもある。
それを田口先生や如月翔子、高階病院長東城医大は守らないといけない側面もある。
医療が社会により成り立つ一面はあるけど逆に社会がその進歩を止めたり阻む一面も『桜宮サーガ』にある。
『極北シリーズ』はそのなかでも端的かつわかりやすく描写してた。
市民病院の破綻、地域地方の首長の政(まつりごと)しだいで町や市の運命が左右にふられる。
『領域』のようにコールドスリーブがもしも未来において日常的になれば問題は無数にあふれ出る可能性は否めない。
『桜宮サーガ』は過去、現在、未来の時間を紡いでいる。
無関係な事象はないということ。
桜宮市に人物が来るのは土地や結界に招かれるからでしょうか。
田口先生をはじめ白鳥さん、桜宮姉妹、斑鳩芳正、加納警視正、幾多の人物が桜宮を訪れては難題や事件あったり。
不定愁訴外来を結界と呼んだのは田口先生、藤原看護師、加納警視正くらいでしょうか。
もとは田口先生が医学生時代にサボりの時にたまたま見つけた東城医大で設計ミスからできた物置部屋。
それを田口先生は自らの職場にして不定愁訴外来にした。
だけど桜宮市にはまだまだ結界がいくつも存在する。
碧翠院桜宮病院があった土地もそう。『輝天炎上』ですみれ・小百合姉妹が潜伏してた場所は殺人事件があったアパートとされる。
『伝説』の城東デパート火災も加納警視正たちによると桜宮の負の遺産。
これらが意味してるものは何なのか。
意味なんてないかもしれないけど。
『ブレイズメス』で触れられていた富士見の診療所を舞台にした話も見てみたいもの。
不定愁訴外来ができる人は根気ある人やひとの話を聞くことをよろこびに変えないとできないと思われる。
『ブレイズメス』から『極北ラプソディ』の世良先生の患者の対応や接し方あるいは治療ということへの考え方など考えたらまるで別人。
『ラプソディ』では長々と話す患者のおばあちゃんに対して親身に接してはお土産を手にして感謝を示す。
『ブレイズメス』では手術や治療をしたいと意気込みはあるけど患者に向き合ってるかはいささか疑問の余地はあるように思われる。
不定愁訴外来で愚痴や不満を聞くのもひとつの治療行為。患者の精神的ケアは結果的には病院内の精神的ケアにもつながる。
『ナニワ・モンスター』でも浪速府のちいさな町の診療所でもいちおうの効果は示していることからもあらわれていた。
富士見の診療所はどんなところでどんなお医者さまがいて患者にどんな治療をしているのかというのか興味深い。
不定愁訴外来は『田口白鳥シリーズ』でさんざん書かれてるけど他のお医者さんの治療も見てみたい。白鳥さんが『螺鈿迷宮』で患者と話ながらおこない『極北クレイマー』でも姫宮香織も若干はしてたけど。
不定愁訴外来が必要な時代なんでしょうね。
『カレイドスコープの箱庭』で桐生先生、彦根先生、速水先生のそれぞれの立場でAiをどうとらえエシックスとどう接するかで各々の考え方がわかるのもおもしろい。
彦根先生が年下なのもありある意味、わずかながら本来の性格が彼はあらわれてるみたいでもある。
対して速水先生は救急の立場から物事をとらえるあまりにスピードスターではあるけど世界観に欠けるというところでしょうか。
桐生先生ほどに医療の世界や現実を理解するにいたらない。
桐生先生は一度挫折してることもあるしある種の領域に達しているから語れる。挫折しないと学べないこともある体現者。
手術できない医者が哲学者になるという表現にひとつの挫折と苦労が感じられる。
まだまだ彦根先生や速水先生は島国の医者というとらえかたもできる。
『ブレイズメス』での発表会での帝華大の面々にかぶらなくもない。
いろいろ人物たちの意見に医療の在り方やAiの未来などが見えてくる。
ただ前向きな未来あれば医療の現実が狭くなっている現実も目の前にあるように迫る物事もある。
常に医療が誰のためにあるか、というのを医療従事者は問われ向かうのもひとつの姿勢。
高階病院長は『ケルベロスの肖像』で一度は病院長の地位から退いたものの田口先生にやりこめられ『箱庭』『領域』においても病院長の立場にいる。そして田口先生たちをはじめとしてイヤイヤながらも彼らを導く立場にいる。
『箱庭』においても市民の要望から東城医大がなくなるのを望まなかった市民たちがいるというのもひとつの展望。
だけどなぜ田口先生が次期病院長なのか?という謎は明らかではない。
佐伯前病院長や高階病院長のように手術畑でもないのに。
ひとつ言えるのは出世欲にまみれてないことや病院内をある程度、把握できる立場にいたということ。不定愁訴外来やリスクマネジメント委員会のポジションから適切だったとうかがえる。
海堂尊先生、『伝説』の自身の半生でチャンスを得てもいるけど逃してもいるが『箱庭』の半生を綴っていますが逃してますね。
『笑っていいとも!』に出演できる機会があったのに逃してしまったというorz。
ただこの時期はテレビ出演を控えてたとあったから出演しなかったのは天啓ではなかったでしょうか。
『伝説』でもだったけどなにかを逃したらまた別なチャンスや機会はおとずれると思われる。
これらの経験は結果的に作品や作品内の表現に生かされているように思う。
田口先生はAiセンター自体は小百合により崩壊したはずなのにセンター長の肩書きは残るみたいになる(苦笑)。
それと似たり寄ったりに思う。
医療ミステリーとして『桜宮サーガ』は作品世界が構築されているから医療関係者や医療に興味ある読者が手にする作品。
注目の度合いがちがうと思われる。
だけどけっして日の目を見ないわけではない。
ちゃんと社会に根ざし問題提議をしてると思うし架空の『桜宮サーガ』世界とこちら側の現実がいくつか重なってると思う。
加納警視正と玉村刑事のお遍路いくいかないのやり取りは海堂先生のお遍路ミステリーへの憧れでもあり布石みたいですね。
『玉村警部補の災難』に収録されている「エナメルの証言」でわずかに四国が数行書かれるだけで終わっている。
だけどお忙しい合間に日本各地で講演してるから四国にもお越しになってたんですね。
しかし遍路参りは短時間でそうまわれないのも切ないはなし。
組織の上にひとを使うのと組織の中や下にあって使われる者。
『桜宮サーガ』では田口先生が物語では『バチスタ』から『肖像』までは前者であったけどやや『箱庭』では立場が異なる。
表向きな立場は高階病院長が上司であるが『肖像』のラストに引退を決めてたのに部下である田口先生に言い括られ結局、立場として変わらないまま。その心情は別として……。
だけど『箱庭』では田口先生が助言を求めたことから経験者としてそれなりに適切なアドバイスをせざる得ないし実際にアドバイスをしている。
『モルフェウスの領域』で被験者であるアツシ少年の人生を守るためやこれからの医療のためにも田口先生に論文を書きなさいと指示している。
心情としての立場は逆転していても病院長や以前の経験もあって高階病院長は部下たちをしっかり束ねている。
『肖像』や『箱庭』においては部下に一任するプレッシャーや責任の重さについてはやや吐露した心情から組織の上に立つ者の苦労がうかがえる。
だけど『箱庭』では田口先生から助言を求め『領域』ではこれからの医療のためやアツシ少年のために指示や示唆ができるおこなうのは人の上に立つ資質があったのではと思われる。
バブル三部作の過去の悔やみや省みたことのあらわれでしょう。
勝者なだけでは人の上に立てないことの具現ともいえる。
ただの腹黒タヌキではない。底が深い、と思う。
『桜宮サーガ』シリーズはあらためて読むと謎が解けるところもあるけど謎が深まります。
『玉村警部補の災難』に収録されている「四兆七千億分の一」に出てくるネットゲームの話題で被疑者の馬場利一がバンバン、ヘンロは玉村警部補。
ユナちんはもしかしたら『極北クレイマー』に登場した布崎夕奈の可能性あり。モズクは不明。
ドミンゴは『箱庭』で名前だけ出たドミンゴ教授でしょうか?
海堂作品特有の符号や他作品への伏線はあると思う。
『箱庭』で田口先生の肩書きにリスクマネジメント委員会はともかくAiセンター長と電子カルテ委員会の肩書きを残したのはいざという時のための措置なんでしょう。
もしその肩書きを必要とする難題や事件があった時のために慣れた人物が組織内で動きやすいのもあるし反感を持つ人物がいたとしても反発が少なくスムーズでもある。
肩書きを置いておくことで長く組織内の環境に抑止力にもなる利点があるともいえる。
新たに肩書きをもらった人だと事情を聞くのさえ厄介だろうし余計に手間がかかることもある。
『桜宮サーガ』はけっこう組織内に良くも悪くも組織ね利点と悪癖どちらも等しく描写されている。肩書きある人物はそれなりに本人が厄介に思えばこそまわりからも面倒だけど結果的には組織を守ることにもなる。
組織において肩書きが必要不可欠は否めない。
Aiセンター長の肩書きを『肖像』の時点で消していたらまた一から行わなくてはいけない。あるいは引き継ぎにしても同様。
電子カルテ委員会の肩書きは『バチスタ』の時点では生きてたでしょうしほぼ電子カルテに移行した時点で役目自体はその時に一度は終えた。
だけどニ、三年の間に電子カルテの目に見えない問題が『箱庭』で浮き彫りにされた。
高階病院長が田口先生からその肩書きを消さなかったのもひとつのリスクマネジメントや組織の上に立つ者の判断。
不可避とされない事態への予見であり保険。
もうひとつは田口先生が肩書きによる権力を無駄に行使しない人物というのもある。
職権乱用にいたることはしない人物だからこそ肩書きを温存し生かすことができる人物ともいえる。白鳥さんがいることで悪評がついてしまうのはおまけみたいではあるが。
田口先生は兵藤先生が適任と思ってるらしいけど彼みたいに組織内を廊下トンビが如くうろうろされたら情報漏洩になるおそれもあると思う。
知らないですむ情報があるなら越したことはないしよけいな軋轢を生むことはない。
田口先生がAiセンターやリスクマネジメント委員会、電子カルテ委員会の長が適任なのは彼ひとりが背負うことで組織が安全に運営できる。
よけいなことを漏らさないだけそれは組織内にとっては信用に代わる大きなこと。目には見えてあらわれるわけではないけど地道に長い目ということでしょう。
『バチスタ』以降、海堂尊先生の『桜宮サーガ』シリーズよく読むようになったけど医療の世界にもいろいろな事情があるということ。
個人的に勉強になったのは『イノセント・ゲリラの祝祭』の悪辣な官僚の骨抜き政策や案など。
『祝祭』では白鳥さんと彦根先生が打破しますけど(苦笑)。『祝祭』の霞ヶ関、厚労省の描写や八神課長と白鳥さんの駆け引きが面白い。
『祝祭』から『ナニワ・モンスター』へとつながる医療庁の旗揚げ、日本三分計画。『極北ラプソディ』にもつながるいろいろな伏線。
『ナニワ・モンスター』のインフルエンザウィルス“キャメル”による中央と地方の経済戦争。
『極北』シリーズ(『極北クレイマー』『極北ラプソディ』)は地域地方の市民病院の経営がいかに大変か伝わるシリーズ。一市民としては『極北シリーズ』がもっとも共感した作品。
バブル三部作のうち読めたのは『ブラックペアン』『ブレイズメス』だけど昭和と現在では医療の形態やニーズがちがうというのもある。
『極北ラプソディ』であったけど科学技術は未来にむけ飛躍的に進んでるけど実際に使う人間はさほど技術ほどに精神的に進歩していない寒々とした現実や現状。
医療という存在がせまくなっているかもしれない現実。
いちがいに“患者のため”という定義にしても医者も患者もそれぞれ求めるものはちがう。
不定愁訴外来みたいな存在はまた必要と思われる。
『カレイドスコープの箱庭』の冒頭はいくつか触れられている。
かつての桐生先生に思いを巡らしまた『肖像』で失墜したはずの東城医大が市民の声という形の要望で存続していること。
桐生先生がドミンゴ教授の代理という形で一時的に来日というのも『田口白鳥シリーズ』が終わっていることの証し。
高階先生が引退したいというのも組織のトップの重責もあるでしょう。大学病院の職員八百名の人生を背負い病院という職業から患者の命は当然とし医療ミスから患者の遺族から訴えられる危険もある。
だけど前病院長である佐伯清剛から引き継いだ目に見えない理念や信念、教えなどあるでしょう。
しかし『肖像』のラストや『箱庭』での様子を見たら田口先生が病院長になると表向きはガラリと変わる雰囲気はありそう。だけど藤原看護師や黒崎教授などバブル三部作からの人生が引退しない限りはそう変わらないともいえる。
『箱庭』では論文をろくに書いてない田口先生を本来なら黒崎教授が叱るなりしないといけないけど『肖像』のラストで田口先生の背中を推したことで面と向かって言えなくなったのも悲喜劇。
結果的に論文を書くのは『モルフェウスの領域』までおあずけ。
大学病院の時代ごとの環境や人材不足などいろいろな要因があるというのも背景でしょうね。
田口先生みたいな人物は現実にはいないでしょうけど海堂先生は一部の本で論文ありきの在り方をまた批判もしている。
『カレイドスコープの箱庭』はいろいろなことが書かれているけど白鳥さんのAi標準化会議のよけいな人物や組織外しは半ば確信的でしょう。
あるいは書き手の海堂先生が今回の物語に関係ない司法対医療の図式から外したかった思惑もある。
だけどAiを医療主導でおこなうには半ば確信犯的な骨子や構築もあるでしょうね(苦笑)。
ただエシックスにおいては日本のような島国的論理ではなく世界的に拡大的な論理を用いることで世界から日本にぐうの音を言わせることもひとつの方法。
前夜祭的に行われた田口先生、白鳥さん、速水先生、彦根先生、桐生先生の飲み会でもあった前会議がそれを物語る。
手術ができなくなった桐生先生ではあるけど東城医大を離れてから挫折を経験したことで葛藤や悩みを経てひとつひとつのステップを踏んだことは難くない。
桐生先生だけが世界的視野や経験を持つ医者として書かれている視点もある。
論理は上手に用いれば神にも匹敵しうる力でもあるけど日本はちいさな社会や世界での論理でしか答えられない現実社会もまた存在する。
だけどシリーズを読んでいくと田口先生の頭のなかではエシックスの沼田先生は誰かと競わせたいようで引っ張り出される。直接は出てこないけど。
エシックスという論理を如何に使うか、というのも社会が抱える問題のひとつでしょう。
Aiとてなんでもわかる万能でないことは『玉村警部補の災難』収録の「エナメルの証言」にある。
“CTで三割、MRIで六割しか死因はわからない”とある。
ただ『祝祭』や『輝天炎上』などにあるように解剖と共存する手を取り合うやり方が望ましいと言えるでしょう。
だけどそこに既得権益なり利益が関わろうとするのが大人社会の複雑さ。
Aiをするとお金をかかるようになっているAi以前の社会の問題もある。
社会のゆがみやひずみと言うのはかんたんだけど一方でそんな目に見えない存在が闇をうむこともあれば光りをうむこともあるのが現実社会。
『桜宮サーガ』シリーズのひとつひとつを組み合わせていけば社会や世界の見えない存在がフィクションであるのを通して見えてくる。
『スカラムーシュ・ムーン』『スリジエセンター』などはまだ文庫化に至ってないみたい。
それだけある程度は追いついた感じ。
文庫で手に入れてないのは『アクアマリンの神殿』などごく数冊。
『カレイドスコープの箱庭』であらためて海堂尊先生のトピックスや作品内の歴史年表や時系列などが整理されてることで各作品間のつながりがわかりやすい。
『箱庭』で速水先生がちらっと彦根先生に睨みを利かせるのは彦根先生が後輩にあるまじき行動をしてるからでしょう。
彦根先生が救急センターをたずねでもしたら手足の如くこき使われるのをわかってるから近寄らない。
すずめ四天王が揃ったのは現時点では『箱庭』だけでしょうか。
また過去の物語に触れられる作品があったら海堂先生が書かないとも限らない。『輝天炎上』で天馬くんはすずめ四天王については興味ありそうだったから医療サスペンスとは違う形で関わる形も考えられる。
『輝天炎上』で天馬くんは島津先生、彦根先生そして田口先生と三人とは出会ってるわけだし。
Ai絡みでなくとも大学病院に在籍してる間あるいは卒業後の進路如何によってはいくらでも縁はあるはず。
個人的には田口先生、今中先生の恋愛モノを書いてほしいところ。
というか天馬くんは別宮葉子に冷泉深雪と囲まれすぎ。
『桜宮サーガ』のシリーズを読むと医者や看護師などにいろいろな人物がいて医療に従事してそれらを含めて病院という存在に社会が支えられていること。
速水先生みたいに救急医療をする者もいれば田口先生みたいに手術とはほぼ無縁の不定愁訴外来を生業とする者もいる。
彦根先生はネットを通しながら病理医をする先生もいる。
桐生先生や天城先生のように心臓手術をする先生もいる。桐生先生は『バチスタ』で挫折を余儀なくされたのもある。
『箱庭』では以前と変わらないままでありながら手術できなくなったことからの挫折からの脱却と成長、ある種の本人なりの哲学を構築された雰囲気はある。
救急病院に市民病院が対応できない『極北ラプソディ』のような医療の先細りもある。
世良先生の判断は市にすればたしかに厄介かも知れないが市から予算が出ないことには人員をつけられない背景もある。
世良先生は過去の出来事からいかなる経緯かは不明だけど医療債権請負人となった身。
『極北ラプソディ』で察した範囲内でも神威島に至る経緯や医療債権請負人と活躍するなかでも紆余曲折があったように思われる。花房さんを振ったことからもうかがえる。
高階病院長にしても過去の悔やみある。『田口白鳥シリーズ』で『弾丸』以降振り返っていることからスリジエセンターを潰したことがよほど後悔になってると思われる。
天城先生の撒いた種?は高階病院長、世良先生、桐生先生、村雨府知事、彦根先生、藤原看護師のなかで生きている。
天城先生の人物像は『ブレイズメス』を読んだだけでも伝わる。
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