風人 2014-11-30 06:00:58 |
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『輝天炎上』での実存がないまま生きているすみれや小百合の気持ちはいかがなものか。
死亡届は出され戸籍は存在してないだろう。
だけど生身の身体を持ち生きてはいる。
その一方で東城医大に憎しみに駆られる思い。
『輝天炎上』で桜宮家を再興しようとする動きは皮肉なことにふたりにそれは見られない。
小百合は復讐に燃えすみれは阻止しようとする。
巌雄先生や華緒さんにしたら生きている道があるならしあわせに生きて欲しかったのではないでしょうか?
なにぶん巌雄先生は『螺鈿迷宮』で亡くなっているのでその真意は謎のまま。
巌雄先生はいずれ白鳥さんが“出る杭は打たれる”みたいな形である種の予見はしている。
誰が白鳥さんに刃を向けるかは『桜宮サーガ』は登場人物が多いためにわかりにくい。
もしもすみれや小百合が『輝天炎上』後に生きていたらその可能性はないとはいえない。
『桜宮サーガ』の世界では死者が生き返ることがあり得る世界であるかもしれないから。
ひとつひとつの本やシリーズ全体に謎や伏線が散らばっているからどこかでその線を辿って人物や物事が生きているあるいは息を吹き返すことがある。
だからすみれや小百合が『輝天炎上』で亡くなったという風に思えないのかもしれない。
巌雄先生は「すみれが戻れば桜宮家は安泰だ」みたいな表現を残してもいましたね。
もしかしたらこれが桜宮家再興の言葉かもしれない。
ただあくまで亡くなる直前の言葉だから嘘はないと思われる。
それにすみれにしても『輝天炎上』に「わたしは死なないわ」と言葉を残している。
すみれの心から田口先生への気持ちが消えていないのは『輝天炎上』で彼がAiセンター長をつとめたことへの驚きから理解できる。
小百合は東城医大も田口先生もおなじにしか見えていない。
だけどすみれは東城医大と田口先生を組織とかつての恋人(?)ということかろうじて分けてみている。
『螺鈿迷宮』『輝天炎上』をとおして読むと小百合は憎しみにとらわれているけどすみれはいざとなると不器用なぶん人間らしくもあると思われる。
実際に過去の田口先生とのいきさつは物語のいくつかで田口先生をとおして邂逅として語られ『肖像』で彼は人知れずその過去に涙する。
『輝天炎上』でのすみれの驚きとはまた対照的ともとれる。
田口先生、桜宮すみれのつながりは『肖像』『輝天炎上』を読む限りは絶たれたようにも思えない。
この辺もいずれは回収されるのか。
『輝天炎上』は基本的に天馬くん、冷泉深雪、桜宮小百合、桜宮すみれの視点で物語が語られる。
同時に『ケルベロスの肖像』の裏側でもあるため天馬大吉が事実上は物語の中心に位置する。
『肖像』『輝天炎上』共にクライマックスの場面では西園寺さやかに化けた桜宮小百合に一蹴されるもののすみれから託されたことを担う。
だけど『肖像』『輝天炎上』においてはいちおうの勝利をおさめたのは小百合自身の情念でしょう。
桜宮のAiセンターを崩壊させた事実。それは幽霊でも何でもないそこにある現実。
『肖像』においても斑鳩室長はそれを認める度量。だけど彦根先生はこれを敗北とする潔さもある。
高階病院長や田口先生は徒労に終わるむなしさ。
天馬くんは城崎さんを通じて知るすみれの生存とクライマックスの別れ。
これらがおそらくまた天馬くんの人生を左右することはあるでしょう。
速水先生を一度は東城医大に復帰させようと『ケルベロスの肖像』でありこの時は高階病院長の判断で留意された。
時期尚早と判断された旨はあったよう。
しかし『モルフェウスの領域』でもまだ東城医大に戻っていなかった。
速水先生が東城医大に戻っていない意味はなんだろうか思う。
東城医大の倒産は免れたが『領域』においても経営が順調かは不透明。明らかにわかるのは医療が先細りしてる現状は『領域』でも伝わる。
おそらくその辺の懸念もあるんでしょう。
速水先生が“大人になる”のを高階病院長は見守りおそらく桃倉センター長や世良先生に彼の成長を見守らせているのかもしれない。
『極北ラプソディ』を速水先生の視点で読むととてもよそ者の雰囲気はしない。だけどある程度の境界線は保ちながらいずれは雪見市の救急センターを去るよそ者という自覚はあると思われる。
桃倉センター長や伊達先生たちに時ににらまれながらも地道に成長や反省の兆しはある。
桃倉センター長はともかくとしても若い伊達先生や五條さんたちにしたら速水先生は苦労の種でも救急センターに患者を呼ぶ存在。
花房さんと別れたことでもひとつの成長はあったと思われる。
だけどまだまだ東城医大に復帰させるにはまだ何か足りないものがあるんでしょう。
速水先生不在のなか佐藤先生や如月さんたちの成長を促す意味も当然あるでしょう。
桜宮に速水先生が復帰された時に何かが成されるのか?と考えるのは読者としては深読みでしょうね(苦笑い)。
『スリジエセンター』は未読だけど『肖像』や『輝天炎上』の人物たちが天城雪彦を語る様子をかんがみたら彼が失意のもと亡くなった可能性を否めない。
そもそも20年以上の時が経ったうえでのタンピング。
陣内教授やマリッツアの語る天城先生への思いや邂逅。
高階先生側からしたら『肖像』で陣内教授から代理店のメアドを聞く描写はあったけど最終的にAiセンターが小百合により崩壊したために代理店を通してマリッツアまでたどりつくことをしたかは不明。
Aiセンターそのものが崩壊したことで建築家まで確かめようとする気持ちがあったかどうか。高階病院長の『肖像』のラストの様子ではその気持ちさえなかったようにも思う。
シリーズ全体を通して斑鳩芳正室長は実体が見えないような存在。
登場人物の誰もが印象をはっきりさせないというのもひとつの印象。
だけど医療に対しての姿勢ははっきり敵意を示している。
『アリアドネの弾丸』『ケルベロスの肖像』『輝天炎上』『ナニワ・モンスター』などどの作品にあらわれても不気味な存在。
なにかの作品で田口先生が自然の作る闇よりも人間が作る闇の方が怖いのでは?と示唆する思いがあったと思うけど斑鳩室長はまさにそれを具現化した人物かもしれない。
霞ヶ関の闇もしくは暗部と表現すべきか。
『螺鈿迷宮』を読むたびに碧翠院つぶしは正しくなかったように思われる。
安楽死などの行為はたしかに犯罪だけど、桜宮の闇を一手に引き受けた存在でもあった。
天馬くんはすみれと小百合を通して碧翠院を学び巌雄先生から短い間ながらも医者として必要な心や信念を教わる。
だけど患者が次々に亡くなる碧翠院はホラーでありミステリー。
描写のいくつかが都市伝説ぽいところも相まって不気味。
読んでるとバブル三部作(『スリジエ』は未読)をのぞけば『螺鈿迷宮』は平成や21世紀の時代なのになぜか昭和の雰囲気を醸し出すシリーズ。
この時点の天馬くん若いけど続編『輝天炎上』でもまだまだ若さを残す。
『輝天炎上』の高原美智さんとの別れはちいさな一歩のように見えて実は大きな一歩であると思う。
『輝天炎上』ではAiと死因不明社会について彼と冷泉深雪がいろいろな先生方に出会い学ぶことで社会の見えない壁や問題に突き当たり向き合うというのがひとつの姿勢。
清川司郎先生はたしかに臆病なところはあるけどそうせざる得ない姿勢は社会もしくは組織に属する人間には本人の意思に関係なくあること。
妥協や臆病、あるいは他人に意思を委ねるのもやむを得ない。
田口先生みたいにいっこうに女っ気がないのと天馬くんみたいにふたりの異性に挟まれるのはどちらがしあわせだろう。
田口先生とてスケベ心程度は備えているのは『ケルベロスの肖像』でようやく姫宮香織と会う口実ないし理由を利用してることから必ずしも女っ気を意識してないわけではない。
だけど職場たる不定愁訴外来には東城医大の生き字引がひとり藤原真琴看護師がいて目を光らせている。
『バチスタ』では大友看護師といい仲になりそうだったのを阻まれ『沈黙』では浜田小夜に知らないこととはいえ父親に重ねられたり『凱旋』では如月翔子と親しくはなるが恋愛関係には当然のようにいたらない。
田口先生が双子の桜宮姉妹とある一定の関係を絶ってから彼のまわりに際立った異性はいないみたい。
基本的に東城医大から出ることは少ない。
片や天馬くんは幼馴染みでも別宮葉子がなんだかんだで時に彼をこき使いねぎらいながらのつかず離れずの間柄。
『輝天炎上』での冷泉深雪との出逢い。落第留年生と優等生とこれまたラノベやアニメみたいなありえないシチュエーション。
死因不明社会とAiについての問題を東城医大、浪速府や房総とあちこちをふたりしてまわりながら距離が近くなる。
『輝天炎上』は『螺鈿迷宮』同様に天馬くんを主役に置いているから物語の内容が若く描写されてる。
医学生や留年落第生徒という天馬くんの立場や位置。一方では深く刻み込まれた桜宮家との因縁、一方では冷泉深雪との異性への恋心に近い感情や思い。
若いけどだからといって感情や気持ちのおもむくままに行動や発言はしない。多少の医療社会や田口先生をはじめとした大人たちへの感情はあるけど。
だけどそこから学び取れるなにかを得ている。
冷泉深雪という優等生な異性がいることで際立つ一面。
だけど恋愛関係として考えると三角関係はふつうに苦労ありそう。
『外科医 須磨久善(ひさよし)』があった。
中古書店で280円。ちょっと安かった。
本来なら『スリジエセンター』や『スカラムーシュ・ムーン』から再び読むところだけどあいにくこの二冊は見当たらないorz。
著者である海堂尊先生もまたこの本の須磨久善もどちらも医者であり作家であるという共通点。
医者であり作家でもある海堂尊先生が同じ職業の実在の人物を書くという。
『伝説』で解説は読んだはずだけどいまはあたまから抜けているorz。
だけど『外科医 須磨久善』の冒頭とあとがきちらっと見たら海堂尊先生からの言葉、そして『ブレイズメス』で書かれた“公開手術”という言葉が真っ先に現れている衝撃。そしてあとがきには再び著者で海堂尊先生から、さらにドラマ『相棒』の杉下右京を長く演じている水谷豊からのあとがき。
『ブレイズメス』のあとがきでも作家西尾維新さんが書いてましたが『外科医 須磨久善』も劣らない雰囲気。
『ブレイズメス』で天城雪彦がおこなった公開手術を須磨久善先生なる人物は現実におこなったということか。
ノンフィクションということだから海堂尊先生を通した現実が伝わることになりそうな一冊。
『外科医 須磨久善』ちょっとだけ読んだら須磨久善なる人物が『ブレイズメス』の天城雪彦先生のもとになった人物ぽい雰囲気を醸し出している。
“公開手術”そして海堂尊先生は須磨久善先生の公開手術をギャンブルと表現しているこのふたつ。
海堂尊先生の表現力などもあると思うけど。
だけど須磨久善先生が公開手術したのは1992年というこの年月の古さというのも衝撃な事実。
バブルがはじけた日本の時代。
ノンフィクションという本だから無意識に自分が生きた時代を重ねたかもしれない思い。
しかしみごとに海堂尊先生の『桜宮サーガ』の『ブレイズメス』とも重なる時代。
明らかに天城雪彦先生は現実の須磨久善先生からの思いやイメージから出てきた人物と考えた方が妥当だろうか。
『外科医 須磨久善』を読むと海堂尊先生が須磨久善先生をもとに『桜宮サーガ』のいろいろな人物に投影させている雰囲気ある。
だけど医療社会の現在も書かれている。“日本人は新しいことに拒否反応を示す”のくだりは医療に限らずほぼすべての世界や分野にあることと思われる。
『ブレイズメス1990』の天城先生の公開手術とギャンブル、『田口白鳥シリーズ』の白鳥さんによるAi提唱、彦根先生の医翼宣言、医療庁など。いくつかはフィクションの物語を通しての現実への呼びかけであると思う。
『伝説』を読むと海堂尊先生が書かれたことのいくつかは現実に追いつかれているらしい。
架空の『桜宮サーガ』世界とこちらの現実世界が重なっているところもないわけではない。
もしかしたら『外科医 須磨久善』などいくつの本を通してあちらの世界とつなげているのかも(笑)。
だけど『桜宮サーガ』な世界でも田口先生たち登場人物たちは医療が誰のためなんのためにあるのか日々を悩み葛藤する。
答えを見出だそうとしながら答えは見つからない。
海堂尊先生の本を読むと医者が日々悩みながら病気や患者あるいは地域地元に接しているのが伝わる。
『外科医 須磨久善』はノンフィクションだから海堂尊先生が須磨久善先生を取材したことを追っていってる点が架空の『桜宮サーガ』シリーズとは異なる。
過去からおそらく現在への須磨久善先生を追っていって書いてたはず。
1992年と冒頭に出てきた時にふつうに驚いた。90年代なんてつい最近までそんなむかしではないと思ったけど現実の自分が歳を取ったことへの現実も見えるから自分に重ねあわせたらむかしなんだということ。。
だけどそんな古い時代に公開手術という場を設けるだけでも本の中でも現実に例は少ない。
なおかつ衆人監視のもとで手術をしながら質問者に的確に答えあまつさえ当然、ミスは許されない。
この辺の描写はまんま『ブレイズメス』の天城雪彦先生を彷彿させる。だけど『ブレイズメス』は架空世界の出来事、『外科医 須磨久善』は現実にあった出来事。
読んでた『桜宮サーガ』の世界そのものが現実に一部であれ起きてたといいこと。
また須磨久善先生の奥さんが出てきたところも現実味ある。旦那さんの活躍を心配なさってたと思われる。
こういうところも『桜宮サーガ』の人物たちに重ならなくもない。
医療従事者の家族というのも『伝説』で医者ではないけど三船事務長を通して語られた場面があった。
いろいろ重なって読めるのはすごい一冊かもしれないと感じ始めているかもしれない。
『外科医 須磨久善』を読むと須磨久善先生の半生はバラエティに富んでる。
バチスタ手術をOKした院長もさりげなく凄い。もしも失敗すればおこなった病院の信用にも関わることなのに須磨久善先生に承諾する。
だけど『外科医』にいくつか書かれている事柄、阪神大震災の出来事などや『プロジェクトX』に取り上げられたこととか現実の重みが伝わる。
須磨久善夫妻には子どもはいないけど犬を買っていたらしい。
だけど犬が病気になった時はいくら本人が医者であっても獣医ではないからうまく伝えられなかったり獣医とのコミュニケーションのむずかしさもあったよう。
おそらくそんなところも医者としてのコミュニケーションに考えたり役に立てようとしてた節もあったんじゃないでしょうか。
外国で安住の地を持っても飼い犬が道を示してくれたというのも運命的。
世の中にはなにかしら人間関係や天運に恵まれた人物がいるかもしれない。
人生に選択肢はあってもいちばんむずかしい選択することは大抵の人間はしない。
だけど須磨久善先生はそれができる人生のよう。
『ブラックペアン1988』『ブレイズメス1990』あと未読の『スリジエセンター』が『桜宮サーガ』の世界ではバブル時代にあたる。
『ブラックペアン』には花房さんとデートする若き日の世良先生が「となりのトトロ」を見に行くという描写があったり『ブレイズメス』の時代には医療従事者たちが病院の食堂で食事をする場面があったり21世紀の今日(こんにち)からしたらあきらかにちがうのが伝わる。
バブル時代で浮かれる日本人の姿を海堂尊先生は医療については荒波の時代として書いてる節はあるかもしれない。
作品内の高階先生と天城先生の対比を見る世良先生が客観的にふたりを見つめることにも時代の息吹きがあるかもしれない。
またノンフィクションである『外科医 須磨久善』は冒頭からいきなりバブル時代の現実のなか須磨久善先生の活躍が語られる。
以前にも書いたけど『ブレイズメス』の天城先生と現実の須磨久善先生は重なる。
フィクションあるいは現実にせよ高度成長期とはちがう意味で日本人が輝いていた時代かもしれない。虚飾であった可能性も否めないが。
『外科医 須磨久善』のあとがきになぜ水谷豊さんのあとがきがあったのか謎だったけど読んだらなぞでもなかった。
ドラマ『外科医 須磨久善』で須磨久善先生を演じられたようですね。
それにしても須磨久善先生の半生にしても人生の選択に迷うことはあるだろうしつまずきということもあるだろうけどすべてや完璧、完全というのは読んだら求めていない雰囲気。
失敗も成功もあるだろうけど大半が自分にとって前向きでありわがままを言わなければたいていはうまくいくみたいな感じ。
以前に読んだ『ゲゲゲの女房』の水木しげるさん武良布枝さんにも近いところはある雰囲気。
なにをしあわせとするか?というところは共通している。
今年は『ブレイズメス1990』『ナニワ・モンスター』『ケルベロスの肖像』『輝天炎上』『玉村警部補の災難』『モルフェウスの領域』『外科医須磨久善』と海堂作品を七冊読めた、例年にない本に出会えた年。
個人的に名作だったのは『ブレイズメス1990』『ナニワ・モンスター』『外科医須磨久善』の三冊。
『ブレイズメス』では謎の人物だった天城雪彦の鮮烈な魅力や人物像。
ギャンブルと人の命をおなじように扱ってみえるように誤解されがちだけど人生がかかっているとしたら全財産を投げ出すくらいの覚悟や手術も必要ではないだろうかと思う。
『外科医 須磨久善』を読むと天城雪彦先生のモチーフは現実の須磨久善先生なのが伝わる。生き方、思想、行動力、運などすべてではないだろうけど。天城雪彦先生にいくぶんフィクションとしての魅力はあるから。
天城雪彦先生も須磨久善先生も医療の現実や社会に立ち向かう姿勢は重なる。『ブレイズメス』『外科医』どちらも読めば伝わるはず。
『ナニワ・モンスター』はまさに日本国内の架空のウィルスに経済戦争シミュレーションモノ。
多くの物語のなかであれこれ謎の動きをしていた彦根新吾先生の謎が明らかになる。
『イノセント・ゲリラの祝祭』『アリアドネの弾丸』『極北ラプソディ』などで何をやってるんだと思いながら追いかけていたら浪速府村雨府知事と一緒になって地方独立を謳い浪速府に医療庁の創設をたくらんでいたとは。読んでて吹っ飛んだくらいに天城雪彦先生とは違う意味で衝撃あった。
来年は『スリジエセンター』と『スカラムーシュ・ムーン』は読んでみたい。
『カレイドスコープの箱庭』を冒頭を少し読んだら相変わらずいろいろな人物が出てくるけど高階病院長と田口先生の立場の入れ替わりや妙に意気消沈な彦根先生など少しだけ時代は未来になってる。
『肖像』からほんの三ヶ月程度なのに。
彦根先生が落ち込んでおとなしいのは『スカラムーシュ・ムーン』で司法か斑鳩室長に負けたんでしょうか。『肖像』のラストでは意気があったのにまるで可愛い後輩のようにおとなしい。
だけど『肖像』からほんの三ヶ月しか経ってないから東城医大の経営や患者からの信頼がいささか頼りない印象があるようにも映る。
幾多の事件や難題を抱えていた病院なだけに現実ならなおさらと思う。
しかし藤堂文昭、この人はアメリカがよく似合う(笑)。
『桜宮サーガ』内ではノーベル賞に近い人物とされるだけにインパクトある。
『カレイドスコープの箱庭』のアメリカの一場面。
よもや曽根崎伸一郎の登場もあったのは驚き。ネットだけでなく直に本人が足を運び議論するのは好感ある。
あの藤堂文昭を唸らせるのはたいした存在。
『箱庭』でのアメリカへのAi標準化国際会議は無駄足ではなかったのは明らか。『肖像』で桜宮のAiセンターは破壊はされたが、ひとの思想までは消せなかったとうかがえる。
『祝祭』においてもひととのつながりは広いようで狭いと表現されてたけど海堂作品はそういうの多々ある。人物たちがさほど自覚してないだけ。現実にも通じるところ。
田口先生は『バチスタ』以降、人脈を広げているのは事実。おそらく『箱庭』や『領域』などの経験が未来の東城医大ひいては桜宮に通じている雰囲気ある。
上昇志向がないのは変わらないけどさすが次期病院長に就くというのは難色を示す。
明らかに佐伯前病院長や高階病院長とタイプが異なるのもあるし田口先生が権威を振るうひとではない。
だけど『箱庭』『領域』ともに白鳥さんや如月翔子などは着実に田口先生を次期病院長に、という雰囲気もある。高階病院長に似てきたとあるし(苦笑)。
ある意味誉め言葉ある意味ちょっとした嫌みも含んで。
田口先生は成長してないようで成長や進歩はあるでしょう。
物語の時系列がほんの三、四年程度ですからね(苦笑)。
『箱庭』での高階病院長とのやりとりを読むと『バチスタ』『凱旋』『沈黙』『弾丸』からとかなりちがう。のらりくらりとやり過ごそうとしてたのに比べたら『肖像』『箱庭』は意外なくらいにあっさり依頼を受けている。
不定愁訴外来だけやってるよりははるかにアクティブに動いているということ。院内業務としては不定愁訴外来、リスクマネジメント委員会、Aiセンター長。
Aiセンター長の肩書きはてっきり『肖像』でのAiセンター爆破事件からなくなったと思ったら存在したままなのは少し驚いた。
組織に属す限りは肩書きはかんたんに消えるものではないということか。
だけどもし『肖像』でもし病院が破綻してたら『箱庭』での同窓会はなかった可能性もある。
そういう意味では『肖像』のラストで高階病院長の言い分をひっくり返したのは田口先生たちにとってはプラスだったかもしれない。
桐生先生は一時は医者は廃業かと悩んでたのは気の毒だったけど子どもを助けたいという一心が『ブレイズメス』でもわずかに語られてたけど『バチスタ』から『箱庭』へとようやくつながる。
ある程度の登場人物への救いある措置はしてある。
『相棒』シーズン6の白い声のノベライズを読んだけど海堂尊作品にそっくり。
だけど死体が画像診断は現実には数えるほどしかされてなく事件性がないまま扱われる。
海堂尊作品はそこに切り込んでいくことで作品を通して社会に問題提議をしてゆく姿勢。
『相棒』の「白い声」については犠牲となる人物が重たい。
死ぬ必要があって訴えるのはドラマだからかあるいはあえてテーマを伝えるためにやむない演出なのか。
さりげなく舞台が城南大学というのは『仮面ライダー』ぽい点は面白かった。
『桜宮サーガ』と『相棒』シリーズは違う。
『桜宮サーガ』はほとんどの作品は医療や医療従事者があってそこに日々の難題や事件あってなにかを訴える。
Aiを伝えるのは“死者に耳を傾けろ”と『バチスタ』から唱えたり訴える人物は作品により異なるけど一貫している。
だけど『極北クレイマー』の三枝先生みたいになまじAiをしてなかったばかりに証拠を不十分とされ逮捕に至ることもある。つねに世の中に悪意がどこかに潜んでいたり闇に手を伸ばす者もいる。
『相棒』シリーズも共通してるのはどんな地位ある人でも犯罪に手を染める者がいること。
なりゆきから犯罪に手を染める者たちもいるが中には加害者でもあり被害者もいる。
右京が許せないのは何者であっても犯罪行為に手を染める者に彼は憤る。
とはいえ『桜宮サーガ』の白鳥さんは『螺鈿迷宮』で桜宮巌雄先生から警告を受けている。
いずれは白鳥さんが誰かの標的にされる、と。
これは『相棒』における右京ら特命係が常に警察上層部から疎まれたりまたは別な第三者から狙われていることに似る。
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