風人 2014-11-30 06:00:58 |
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『ブレイズメス1990』と『極北ラプソディ』の世良先生の違いが凄い。
年月はひとを変えるというが、『ブレイズメス』の頃はまっすぐかつ血気盛ん手術したがり。だけど医者であることの意味を何かしら掴みとろうと悩む姿が実にいい。
『極北ラプソディ』では手術にほとんど触れることなくラストのクライマックスで今中先生を補助する時だけ。
反面、今中先生や他の事務員が勝手に院内のことをマスコミにしゃべらないよう釘を刺したりちゃんとお金を支払う患者さんの不定愁訴(愚痴)に長々とつきあったり黒字にするために節約やできることをしたりまるで別人。
『極北シリーズ』は今中先生を通して語られる物語だから。
今中先生の立場からしたら世良先生に市民病院が本当につぶされるかもと懸念したり自分や市民病院はどうなるのかある程度、先を考えないとならない。
『ラプソディ』で救命救急センターでの経験は何かしら考えること医者であることの意味を桃倉センター長や速水先生たちから悟らせられるともいえる。
『極北ラプソディ』では問題が解決しないまま物語が終わる、というのが逆に印象的。
問題は解決しないけど世良先生、花房さん、速水先生の関係に決着がつく終焉。
世良先生は神威島での経験も興味あるところ。『ラプソディ』内では語られるだけで詳細はちょっとぼかされてる。
世良先生の背景に花房さんをはじめ高階先生天城先生垣谷先生らがみえるようになる。
田口先生の若い頃は『田口白鳥シリーズ』などの回想や邂逅などの場面や『ブラックペアン1988』で少しだけ出てくる。
だけど白鳥さんの若い頃については全体を通してもさほど語られていない。もちろんある程度、物語を通しての台詞や場面はわずかにはある。
映画『ケルベロスの肖像』では高階病院長に代わりブラックペアンを残した術者として桜宮小百合につるし上げはされる。
これを踏まえたとしても白鳥さんがいつ官僚になろうと思い決断したかは大部分は謎。
東城医大にAiセンターをつくろうとしたきっかけは彼も何かしら天城雪彦先生のスリジエハートセンターの失敗や挫折を直接ないし間接的に知ってたみたいに思える。
選択肢が増えるのは良き可能性と悪い可能性も同時に秘めている。
天城雪彦は『ブレイズメス1990』では当初は頑なに日本行きを拒む。自分にとって不本意な選択をすることもあるからと世良先生に言う。
やや達観した視点を持っているのも天城雪彦の特徴のひとつ。
バブル三部作は近くて遠くにある未来の水平線とより近くて現実にある足下のふたつを描く視点がある。足下さえ見てない人間が未来を語る資質や資格がないと読者がいる“現実”に警鐘として伝える趣旨もあるかのように……。
『桜宮サーガ』の世界でもバブル時代は遠い出来事ではあるかもしれないけど『田口白鳥シリーズ』を含めた他シリーズにも何らかの影響は伝わっている。
高階病院長、藤原看護師、黒崎教授、世良先生たちは少なくともその時代を生きたから何かしら田口先生や今中先生に伝えたいものがあるのかもしれない。
黒崎教授の『凱旋』での速水先生への葛藤、本心の打ち明け、『弾丸』のコメディリリーフな役割などは80年代後半から90年代前半などいまのドラマにも通じる二枚目半(もしくは三枚目?)的なリアクションはそういう時代を彷彿させなくもない。
当初、黒崎教授は悪役かなとも思ったけど“必要悪”の側面を持つ対立軸を院内に持たせる人物でもあった。高階病院長や速水先生への複雑な思いや確執はあるだろうけど必要以上には悪役には徹しない潔さが黒崎教授にはある。
それもまた内に秘めた格好よさであり愛される人物。
『ブレイズメス1900』では明らかに目を引くのは天城雪彦だけど、それとは対照的なのが薩摩大から東城医大へやってくる駒井という人物。
どう見ても医者よりは観光ガイドに向いている(笑)。
はじめは赴任したばかりの天城雪彦に反発を当然のように持ちながら調子のよさはあれど空気が読めない人物なのは読むたびに可愛らしくもある。
はじめのうちは調子はいいんだけどところどころで空回りしてしまう。
『桜宮サーガ』では田口先生は空気を読む人物、白鳥さんや彦根先生は雰囲気や空気をわざと破壊して進むタイプ。正確には相手や敵への牽制もあるからいちがいにすべてが悪意ではないとフォローする。
だけど、駒井という人物は本当に空気が読めない人物なのは気の毒。医学以外にもそれなりに知識が豊富なのが実にもったいなく笑いを誘う。
必ずしも『桜宮サーガ』の世界の登場人物は才能や人物評価などは比例しなくデフォルメされる。
黒崎教授などは二枚目半もしくは三枚目に書かれながら東城医大にとっては必要不可欠な悪役でありコメディリリーフ。
駒井もまたそこに通じる人物。
調子がいいのと知識が豊富なのは長所だけどおそらくそれが彼の半生のなかでは生きていない(苦笑)。
本当にスリジエハートセンター創設は医療から“こころ”を奪う存在なのか。
『ブレイズメス』だけではわかりにくい。
だけど、天城雪彦先生の言葉には嘘偽りもまたない。
医療がカネ稼ぎや経済を優先することがいけないのか、というのもひとつのテーマになっているし後々の作品にもつながっているところ。
『田口白鳥シリーズ』ではオレンジ病棟が破綻、『極北シリーズ』で極北市民病院が一度は経営破綻し世良先生が医療債権請負人として経費を削れるところは可能な限り削り黒字を出しているも報われない。
『極北ラプソディ』の世良先生のやり方は全然ちがうように見えながらもどこか天城雪彦先生の経営理念に近く似てるところもないわけではない。
多少は“こころ”を世良先生が自覚しないままどこかで忘れていたようでもある。
まだまだどちらにせよ『桜宮サーガ』は欠けたパズルのピースがある。
『ブレイズメス1990』で公開手術を行った天城雪彦先生だけど、見方を変えたらいまの時代のカメラやモニター技術、通信技術の発達で遠方からでも手術が行えたり指示ができたりあるいはある程度、患者や患者の家族も見ることできる。
『ブレイズメス』の公開手術はその走りとも言えなくもない側面もある。
“サーカス”という表現は思考の余地はあるだろうけど、患者や患者の家族にしたら手術の経過を知りたいのもある。
天城雪彦先生の公開手術は医療のひとつの透明化とも考えられる。
だけど、まだまだ時代が許さなかった一面がある。
天城雪彦が戦わなければならないの旧態然とした医療体制はもとよりもっと奥にある社会背景でもあるのだろうか。
深読みしすぎだろうか。
『桜宮サーガ』内で不定愁訴外来はそれなりに有名なよう。
医療裁判をなくすには患者の不満をなくすことが大切なことと言える。
ちょっとした不満やささやかな誤解から医療裁判が生まれることもあるから。
『ナニワ・モンスター』の舎人町(とねりまち)では医療裁判はゼロという。
町の人たちの身体をつねに診療所が診て気遣う配慮がなされている。
解剖率も当初は100%と謳いながらも現実は80%になりながらも高い数字を保っている。
これらは彦根先生が大河内先生に提唱し実現し得たことのひとつ。
だけど彦根先生がやろうとしていることは創造と再生は表裏。
『ナニワ・モンスター』のラストも村雨府知事が“なにかをやろうとすればいつもひとりだ”みたいな邂逅に似る。
彦根先生と村雨府知事の進むベクトルは似てるようで違い最終的には交わらないとも示唆されている。
司法と医療の分離は海堂尊先生が架空の『桜宮サーガ』世界を通じて目指すところのひとつ。
医療庁は霞ヶ関ではなく浪速府にと彦根先生は願っている。
すでにその医療庁旗揚げへの資料は彦根先生と村雨府知事の手元にある。
彦根先生は局長の逮捕ではなく厚労省が持つ資料にあったという。
これらがいろいろな布石にまたなっているんだろう。
今朝の報道2001で都心のドクターヘリが話題になってたけど明らかに病院の立地条件がヘリの発着には向かない。
『極北ラプソディ』でドクターヘリの活躍が事細かに書かれてたけど臨時にスーパーの駐車場を使うことも書かれてた。
だけどヘリ全般の弱点は送電線と書かれていた。
だけど役所の人間にはわからないんでしょうか。
市街地から少し外れたところにドクターヘリ発着の救命救急センターに必然的に都会はなると思う。私の地元でもドクターヘリがある医療センターは中心部から外れた少し郊外にある。
最近の東京は豊洲移転も含めて病院やドクターヘリなどいろいろ巻き込んでいる雰囲気。
『桜宮サーガ』の物語の中心は桜宮、北海道は極北市や雪見市、関西は浪速府、東北は『ナニワ・モンスター』で少し舞台になっている。
名称においてのみだけど東北大、薩摩大が出てきている。
だけど、なぜか四国だけは玉村警部補や加納警視正の間でお遍路が話題になるけど警察捜査の手さえおよばないよう。
桜宮や東城医大、碧翠院および碧翠院跡地などと同様に四国に何かしら結界があるようにも書かれている。
『玉村警部補の災難』に収録されている「エナメルの証言」は四国がラスト舞台になりそうなところで終わりを迎えまんまと犯人の一味は逃げおおせる。
加納警視正が強権発動してたらおそらく四国が舞台になったか数行とはいえ事件解決の顛末がまたあったでしょう(苦笑)。
『ナニワ・モンスター』にもそれぞれの人脈から物語の中心である桜宮に収束されるところもある。
冒頭、菊間徳衛先生が息子の祥一先生の助言により診療所に不定愁訴外来を儲けて、二部の検察鎌形さんを主人公に据える物語においては八神課長が桜宮という名前に嫌な思いを思い出すも具体的な内容はなぜか思い出せず斑鳩室長が桜宮で公報室長という立場を兼任しながら赴任。
白鳥さんは彦根先生と連絡が取れないのをぼやきながら国見淳子先生に霞ヶ関の内情とAiについてのレクチャーをしながら桜宮にもAiセンターを立ち上げることを伝えている。
そして三部目において彦根先生、村雨府知事をそれぞれ結びつけたのが天城雪彦先生であるのを示唆している。同時にふたりの前に立ちはだかる斑鳩室長。
“桜宮”がひとつの大きな結界を持っている可能性もあるしそこに人物たちを引き寄せる何かがあるのかもしれない。
田口先生の不定愁訴外来でさえひとつの“結界”と加納警視正は示唆している。
だけど四国だけは特別な結界なのかあるいは別の何かなのかはいまのところ不明。
北海道の南雲監察所も何かの結界だったと考えられる。だけど世良先生、彦根先生の手によって破壊された。
機能していない監察所は彼らからあるいは社会から不要と言わんばかりに。
“結界”の表現が今後どのような意味を持つのか。
『極北ラプソディ』で世良先生がお金を払わない患者を一見すると見捨てているように見えながらも、なんとか地方行政にお金を捻出する方法を示唆をしているようにもみえる。
これが後々に『ナニワ・モンスター』の日本三分計画にもつながっているのがわかる。
世良先生がお金にこだわる姿勢は天城雪彦先生につながる思想と合致する。
医療債権請負人になった過去はわからないけど経済観念をちゃんと医療に痛みを伴いながらでも浸透させようとしているかもしれない。
世良先生自体も自らがその地域にとっては痛みを伴う存在と自覚はしている。最終的にその地域の病院が潰れる経験をしてきたからでもある。
極北市にちゃんとした医療の経済観念を伝える。そのためには患者であった人間が死んでしまうのはやむを得ないと思いながらも医者としては何かしら他人にはわからない葛藤があると思う。
助けられる命であっても助けられない時や場合もある。
『桜宮サーガシリーズ』はどの立場で読み考えるかで思考や感想はまるで違う一冊になる。
『バチスタの栄光』で氷室先生を変えたのは実験動物として扱われるモルモットたちを醒めた目で彼は見ていたから……。
『沈黙』においては本来なら早めに自首をしておけばことは大事にならずに済んだ可能性を秘めていた。
『凱旋』では速水先生は自らの立場より目の前に毎日いる救急患者。だけど速水先生のあたまには経済観念がない。
これがきっかけで速水先生は雪見市に飛ばされる。
だけど、見方を変えたらこの一件は雪見市救命救急センターには御の字でもある。速水先生が患者を呼ぶ体質で市民から批判されることはなくまた先輩である世良先生の要望にも応える形になってあらわれている。
『凱旋』の一件がなければ速水先生は北海道に来ることはなかった。
まあ現実にこんな都合のいいことは少ないけどそこは架空だから。
『極北ラプソディ』の冒頭や後半で患者が先生に患者する描写が二度ほどあるけど読むうちになんとなくわかってくる。
お医者さまがいなかったら病気から救ってもらえない。
お年寄りや年配の人たちがお医者さんに感謝する気持ちはあたりまえなことだけどあたりまえなことを切実に受け止める気持ちは大切。
そこにどうしても経済事情や観念があるのは現代社会ではあたりまえなところ。
それが結果的には市民病院の破綻や救命救急の縮小などになってしまう。
『極北シリーズ』は全般的に市民や医者からの日常から医療問題を取り上げ掘り下げていきながら物語が進む。
けっしてハデさはないけど主人公である今中先生を通して伝わる物語。
お医者さまに感謝する気持ちが病院を支えている。
ムダを省きながら病院が安泰になっていけたら理想的だけど現実はむずかしい。
天城雪彦先生の考え方はおそらくいまの時代でも受け入れはむずかしいと思うけどバブル時代ならなおさらだろう。
だけど登場人物たちに影響はかなり残していると思われる。
高階先生は病院長になりバチスタスキャンダルなど苦難や難題を抱えながらもスリジエハートセンターを何らかの形で潰してしまったことを悔やみながらAiセンターに託す思いがあり厚労省や坂田局長、白鳥さんらに協力を求める姿勢はギャンブルができないしない姿勢の反動や裏返し、あるいは日本的な姿勢ともいえる。
なかなか人間は己の思考や姿勢を変えるのはむずかしい。なら自分なりの方法に落ち着いたかもしれない。
それは世良先生にも同じことがいえるかもしれない。
医療債権請負人として地域地方の病院を立て直そうとしながら失敗挫折を幾度も経験したであろうは『極北ラプソディ』で語られている。
だけど無駄を削ぎおとしちゃんとお金を払う患者には快く対応しお金を払わない患者は拒否する。
医者がボランティアではない、のは『桜宮サーガ』内でも語られている。
世良先生が徹底した姿勢で黒字を出しながらも黒字倒産してしまう可能性もまた示唆している。
市が医療に予算が取れないのもあるせいで。
『極北ラプソディ』で極北市民病院および市が疲弊してるのは描写から伝わる。
市長や市職員が不真面目ではないこともつけ加える。彼らとて自らが招いた事態なのは自覚している。
『極北ラプソディ』は物語内で問題が解決しないまま終わる問題。
他シリーズはある程度、解決したり解決への兆しや希望を示唆する終わり方する。だけど『極北ラプソディ』はそれがない。
むしろ世良先生の長い旅が終わりを告げる物語。
雪見市救命救急センターには桃倉センター長を中心にふたつの指揮系統がある。
伊達先生を中心とした空飛ぶ指揮系統、そして速水先生を中心とした飛ばない指揮系統。
速水先生はドクターヘリがあれば患者がすぐに自分のもとにやってくるから自分は乗らないという。おそらく東城医大にドクターヘリがもしも導入されてもおなじことを言ったでしょう。
今中先生が雪見市救命救急センターで半月働いてる時に興味深いことがひとつある。
よそ者である速水先生に世良先生のやり方を問う場面。
今中先生は結果的に雪見市救命救急センターに出向したことで自分の立場を見つめなおしまた他病院や他の市の意向などを目にする視野を持てたことで疑問を持てた。
速水先生はぞんざいな接し方やちょっと備品を無駄遣いすることはあっても救急医として優秀。
多少、雪見市救命救急センターでよそ者扱いされてても“将軍(ジェネラル)“は健在。
破綻のない意見を今中先生に伝える。
世良先生ができない事態を考慮し彼ができないのであれば自分がおこなうという。
ただそれだけ。
たんに先輩後輩の間柄でないのを匂わす。『伝説』でほんの少し触れられていた。
日本ではお金の話題はデリケートというのはむかしもいまもある。
それこそカジノ構想などは猥雑な印象を与える。『ブレイズメス』でも天城先生と高階先生たち東城医大側に経済思想や観念に解離がある。
いまの時代でも天城先生の考えは浸透しにくいと思われる。
バブル三部作は若き日の世良先生を主人公に据えて彼の視点を通して物語が動く。
『田口白鳥シリーズ』の田口先生が消極的なのに対して世良先生は悩みながらも積極的に動くあるいは動かざる得ない。
バブル時代といまの時代のちがいもあるしいろいろな読み方ができる。
高階先生にしたら過去の失敗や悔恨があるからなにかしら田口先生や島津先生、速水先生たちに何かを伝えたい思いがあると思う。
世良先生、田口先生、そして天馬大吉とそれぞれの世代のちがいが読むたびにちがう。
天馬くんが将来、東城医大にとってどんな存在や役割なのかもわからない。
組織の上に立つ人物は佐伯清剛病院長、高階権太病院長、室町病院長、そして『極北ラプソディ』で病院長の座についた世良雅史。
室町病院長はややコミカルに書かれ人望がない人物ではあったけど今中先生を巧みにあやつることはしてた。
佐伯清剛病院長は東城医大に高階先生や天城雪彦先生という人物を入れることで火種をいれそこに刺激を生みおそらくいまに痛みがあっても未来への改革をなそうとする意志を感じられる。
渡海先生を失った痛みもあるからなおさらかもしれない。
病院長となった高階先生時代の変遷もあるだろうから佐伯前病院長とはまたちがう。
大学病院の片隅にいた田口先生を次期後継者にするという考え、バチスタ・スキャンダルをはじめとした難題や事件を白鳥さんと共にではあるが解決し少しずつ大学病院の在り方や少し先の東城医大についても考えてきている。
高階病院長がいつ田口先生を次期後継者にしようとしたかは謎。
『チーム・バチスタの栄光』のラストで田口先生が試験をすっぽかしながらも卒業をしたことがふたりの間の賃借関係ではあったけど『弾丸』以降はほぼ互いに口に出していない。
島津先生は画像診断に長け速水先生は救命救急手術に長けているが経済観念はなし。
沼田先生は自分のテリトリーからは出ない。
『田口白鳥シリーズ』において論文を書いて実績をおさめている先生は他にもいるだろうけど高階病院長から未来の東城医大、ひいては桜宮の未来をまかせる人材がそんなにはいなかったと考えられる。
田口先生は不定愁訴外来、リスクマネジメント委員会、Aiセンター長などを経験したことで視野や思考は広がっている。
一見、優柔不断にみえながらも決断や行動ができるということ。難題や事件解決時は白鳥さんのサポートはありましたけど。
『極北ラプソディ』全般の世良先生の発言や行動は一見すると合点がいかないことが多い。
だけどある程度の背景を理解したら納得いく。
東城医大の血脈や過去の背景などを通していったら大方は筋が通っている。
だけど三枝先生への支援については東城医大、極北大、帝華大などライバル関係にある各大学が枠を越えて(?)連携をしているように思われる。
この辺りはまた謎。
三枝先生の一件は他作品では司法の暴走などみたいに揶揄されまた失敗に終わるみたいなことからも何らかの形で解決へ道筋がたどったと思われる。
バブル三部作で分化してしまった教室が後の『田口白鳥シリーズ』での院内勢力分化にもなり各教室の教授の権威にもなったともいえる。
権威はあってもバブルがはじけた時代以降は生徒がつかない教室もいる。
佐伯前病院長から引き継いだ高階病院長はこれらは自らが招いた事態ではあったけどどうしようもできないんでしょう。
リスクマネジメント委員会や沼田先生のエシックスコミュニティなど時代に合わせた組織形態の変化などもある。
大学病院という白い巨塔の内にはいろいろな人々の思惑もあれば権威の低下、医学生の教育など目に見えないいろいろなものが存在する。
地方の医大も人材不足もあってぎりぎりのなかおこなっている。
小児科医療、大学を手放してしまった市あるいは断固として手放さない地元。
小児科医療がないと親は子どもを預けることもできないし大学がないと地元の人間がどんどん他地域他地方にいってしまう人材流出につながる。
一見、つながりがないことが実は地元に直結していることと気づきにくい。
大学病院の教室分化もあれやこれや手を出して分化してしまえば特化的な教育になるかもしれないけど結局、現場では関係ないことのようでありながら実は関係あることを再び実地で学ばないとならないことになる。
医療の世界には難題に終わりがないかもしれない。
世良先生が天城雪彦先生から受け継いだものは医療改革の精神ではなくなにか別なものだったかもしれない。
世界中を敵にまわしてもあとになにも残らない虚しさ。
速水先生に花房さんをあずけたかふったかわからないけど彼女は長い時を経て自分のもとに戻ってきた。
『ブラックペアン』では「となりのトトロ」をふたりして見て『ブレイズメス』では花房さんは世良先生の奥さんに勘違いされてそれとなく伏線は張られているけど『スリジエセンター』でおそらく挫折し東城医大を離れ別れたんでしょう。
医療債権請負人になぜ世良先生がなったのか。神威島に来るまでの間に全国を放浪し神威島で久世先生に救われ医療債権請負人になる決意をしたのか。
市民病院を安住の地とした世良先生は東城医大をどう見つめているのか……。
『ナニワ・モンスター』を基点としながら海堂尊他作品を読むと日本全国の架空のシミュレーションにもなってるおもむき。
『極北ラプソディ』の監察病院つぶしもそのうちのひとつでしょう。
益村市長と世良先生は彦根先生つながりどつながりがある。
おそらく世良先生は極北市民病院の病院長になる前後と市長選挙の前後でつながりを持ち世良先生は彦根先生の存在を彼に紹介した。
おそらく彦根先生の戦略でしょう。
『ナニワ・モンスター』の三部目で益村市長が顔を見せてたことから明らか。
『イノセント・ゲリラの祝祭』で医療庁という花火、そして医翼という存在を知らしめる。だけどこれは霞ヶ関と官僚に示唆をしただけではあるけど彼らに目をつけられることになる。
そして浪速共和国独立を打ち立てる村雨府知事。そして道州制を掲げる各知事たちとの連携。
『ナニワ・モンスター』でのインフルエンザウィルス・キャメルの発症が中央からの火花が地方に向けられる意味合い。
無関係に見える思えることが実は経済封鎖という中央対地方の戦争という事実。
日本三分計画、ドクタージェット構想の大部分は見えている。
都道府県単位では予算は少ないけど北海道、東北、四国、九州などの道州制の単位にすればヨーロッパの国々に匹敵する予算というのも『ナニワ・モンスター』を読んでて感激したところのひとつ。
考え方が海堂尊先生は二歩三歩と前を向いている。
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