風人 2014-11-27 06:43:01 |
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『Vガンダム』、エンジェル・ハイロゥという道具や戦場そのものに民間人を巻き込んだザンスカール、カガチ達の行為は許しがたいです。
小説だと文章で生々しく表現されてるから文章から命が伝わる感じする。エンジェル・ハイロゥにいた民間人たちの命の散り際を見てしまうリガ・ミリティアや連邦軍人たち。
エンジェル・ハイロゥの現象で月のフォン・ブラウンシティが眠りについてしまう現象。
地球を汚染し人類人口増加が“悪”としてもガンダムシリーズの人類粛清はいかなる形も悪い方へ働いてしまう。
なんとも富野ガンダムは小説もやりきれない後味の悪さや考えさせられる読後感がある。
『Vガンダム』はアニメも小説も物語の終わりはほんとうただ終わるだけ・・・・・・。
戦いを終えてカサレリアに戻ったウッソ、シャクティ、フランダース、赤ん坊のカルル。少しだけ年をすぎた主人公たち。
唯一アニメ版ではカテジナだけが罪を背負わされてるけどこれは彼女自身が犯した罪なわけですし。
なにかのアニメ本にありましたけどカテジナさんにもいつか本来の彼女らしい幸せや光りがあればいいと思います。
『Vガンダム』の物語がただ静かに終わるだけというのもいいものと思います。
地球に戻った者達オリファーさんの子を宿したマーベットさん、戦艦から脱出し老人たちに後を託されたニュング隊の生き残りや女の子たち。あるいはエンジェル・ハイロゥの未知なる力で地球圏を脱出した者たち。
そこにもまた未来があったと思いたいですね。
『Gガンダム』の小説を再読中。
『Gガンダム』読むとテレビ版のイメージが強いせいかまるで小説版はイメージが異なる。
あらためて読むとドモン・カッシュが弱いこと。精神面肉体面ともに(それでも格闘家でない一般人よりは強いはずですが)。
小説オリジナルキャラのスキバラ少尉に敗れたりガンダムファイト初戦のチボデーに子供を人質に取られ苦戦する。
小説版ではガンダムファイトの在り方、ガンダムファイトからの影響からの軍事縮小それに伴うカラトら軍事力復活派の思惑、なによりデビルガンダムことアルティメットガンダム開発強奪の真相などテレビ版では描けなかったことを小説版は書いてる。
けどいくつかは富野ガンダムに近い一面もあり小説の東方不敗マスターアジアはある意味逆シャアのシャアのポジションにも取れる。後々、自己矛盾しちゃうのがあまりに気の毒だけど。
地球再生というのもガンダムシリーズのテーマのひとつですし。
小説版独自に流派東方不敗が釈迦の不殺の志を継ぐ格闘技の一派であることや後々、ドモンが自らテレビにおける明鏡止水に通じる悟りを釈迦の弟子たちに教えられる場面など見所はある。
テレビ版のイメージが強いため小説の方はやや地味な印象もありますがこれはこれでありかと思います。
『Gガンダム』の小説はガンダムの名を冠した格闘系の本と言えなくもない。
あくまでドモン達ガンダムファイターは武闘家や格闘家としての一面がテレビより強調されてる。だからふつうに負けるし強くあるためにどうあるべきか精神面も含めて弱さや暗黒面を克服しようとする。
いくら強くても精神面が暗黒面にとらわれたら敵を倒すことができても己の暗黒面にとらわれたら負けるのは確実。
釈迦の教え、不殺というのが全三巻とおして語られてるのが特徴。それがまたデビルガンダムを倒すためのきっかけや鍵にもなってるのも興味深い。
『Gガンダム』の小説を再読すると“ガンダム”の雰囲気あまりしない感じ。
ガンダムの名称や機体はそのままだけど中身は格闘モノ小説。ドモン、チボデー、サイ・サイシー、ジョルジュ、アルゴ、そしてマスターアジア、皆それぞれ格闘家として背景に背負うモノがある。
ある意味、テレビ版より重たい。
格闘家としての真髄とはなんなんのかデビルガンダムやマスターアジア、チボデー達を通じてドモンは敗北のなか知ってゆく。
チボデー達四人もドモンとの戦いのなか負けて敗北し自らの心の傷と向き合いながら戦い立ち直るくだりは燃える。アルゴは明確に書かれてないですが。
デビルガンダム開発の真相がなんといっても読者には驚愕。カッシュ博士とオーギン首相によっての策略、ドモンと地球を巻き込んだ災厄の真実。
ちょっと凄い。
『Gガンダム』の小説はいささか原作アニメから離れた本だけど『ガンダムW』は比較的にアニメのまんま。
『ガンダムW』の平和の在り方はいまの時代から見たら理想論すぎるところはあるかもしれませんね。
ただ物語が進むなかでヒイロたちの迷走、リリーナが導く平和、トレーズとゼクスが下す決断などそれぞれの目指す在り方や戦争に対するガンダムパイロットの目的や決断など中身は深いところはあります。
まだ現実世界から“戦争”が遠かった90年代の時代を考えたら『ガンダムW』はある種の理想でよかったと思われます。
『ガンダムW』の世界観は宇宙に人類が進出しても他のガンダム世界ほど一部を除いて超ハイテクではなく宇宙で生きるのも精一杯な世界観だから。
その辺もまたリアリティあります。
ドラえもんのジャイアン役のたてかべ和也さん亡くなってしまいましたね。
ご冥福をお祈りします。
タイムボカンのCD買って一年と経ってないのに。
タイムボカンシリーズで子どもの頃に笑わせてもらいました。
『ガンダムW』の小説は後半トロワの展開を除いたらおおむねテレビ版に沿ってる形。
ヒイロ達五人のガンダムパイロットと五人のガンダム開発者、トレーズとゼクスの思惑、リリーナ達ヒロインが戦争のなかそれぞれが目指す平和の在り方などが綴られる。
ヒイロ達は“勝利”そのものは目指してない。当初からOZだけを目的にいたずらに地球各地をやむくもに破壊してない。そのことが逆に彼らを苦しめる原因にもなりトレーズやレディ・アン、OZ上層部にも目をつけられる。
トレーズは彼なりに一時的にせよ“支配される平和”で地球や地球圏をおさめるけどガンダムパイロット達が自らを上回る思想の持ち主であるのに気づく。
ゼクスは後にミリアルドを名乗りコロニー親善大使となり地球とコロニーの架け橋になるも時すでに遅くコロニーはトレーズ、果てはOZ上層部の言いなりになってる有り様。
“平和”の中に潜む軍事の影にコロニーの大半は気づいてない。
『ガンダムW』は混迷してる宇宙コロニーの在り方もまた明確に書いてる。
『ガンダムW』の小説を再読中。中盤になるとトレーズやロームフェラ財団がコロニーを連合から解放していくと同時にロームフェラ財団の支配が始まります。
ただし連合とちがうのは“平和目的”を謳いレディ・アンの人格が軍人と聖女にもわかれてしまう。この頃からトレーズとは少しずつ気持ちがズレるのは女性にとっては悲しいことでしょうね。
ガンダムパイロットたちはそれぞれ宇宙に戻り彼らを送り出したドクターJらもOZのなかで表向きは従順に裏では反抗の意志をみせ戦う。
OZに支配されたコロニー住人たちはOZに翻弄されてゆく・・・・・・。
『ガンダムW』の小説の三巻はいろいろ中身が深く書かれてる。
小説のあとがきにもありますがサンクキングダムのリリーナと相反するトレーズの思想が彼が失脚する場面で語られる。
『ガンダムW』の世界でガンダムパイロットたちが戦い続ける理由、トレーズやゼクスが戦争の時代のなか導きだす答え。
小説三巻はそんな意味も含めて内容が深いと思います。
『ガンダムW』小説を再読中ではあるけどヒイロ達ガンダムパイロットは迷走し負け続ける戦いを強いられます。
デュオはOZに潜入したトロワに愛機デスサイズを破壊されカトルくんは父親と姉を失う。
ヒイロはトロワによりOZに捕らえられながら反撃の機会をうかがう。
またトレーズもレディ・アンが自らのためにふたつの心を持った彼女のために悔やみゼクスに助けを願う。
トレーズだけは一貫して自らの立場をほとんど変えてなく“悪”としての信念を貫く潔さはありますね。
ガンダムパイロットもゼクスも立場を変えながら“平和”の在り方を考え見つめる。
SEED以降のガンダムからしたら『W』が理想論な点はあるかもしれませんが戦争も平和もたがいを通してでしか語られないのもまた事実。
『W』においては宇宙に生きる人間たちが厳しいからこそ宇宙に生き死せる人々を通して“命”が語られると思われます。
『ガンダムW』小説四巻目に突入。
内容的には三巻がもっとも内容が濃いんだけど四巻目はリリーナと完全平和主義国サンクキングダムが舞台になるのは好き。
“平和”というものをヒイロ達五人のガンダムパイロットも迷い考え、ゼクスやトレーズもまた動きだす。
三巻までの間でデュオはヒルデとの出会いや復活したデスサイズヘル、五飛もまた新たなアルトロンガンダムで戦いにおもむく。
ウイングゼロはトラントを含めてデュオ達ガンダムパイロットの間をさ迷う、主役機体なのにorz
戦いを追求するゼロシステムとリリーナの完全平和主義、トレーズによるエピオンの投入など。
『ガンダムW』の時代は混沌とし戦いが激しさを増す。
『ガンダムW』小説は五巻。
四巻でリーブラがホワイトファングに乗っ取られるのはあっという間(笑)。
モビルドールをテスト中にツバロフ技師長はトレーズから“人間を愛せ”という言葉(警告)を受けてたのにあっさりリーブラを奪われ自らも捕らえられる有り様。
この辺『ガンダムW』が人間同士の戦いを書きながら人が戦争する意味や問題提議をしながら問うという感じもします。
サンクキングダムは事実上崩壊しリリーナはロームフェラ財団の女王へ、地球や宇宙から集結してゆくヒイロ達ガンダムパイロットとノインやサリィ、ハワード達支援者。
対立の図式が地球と宇宙へとなり地球圏全体が最後の戦争へなる。
『Fate』は雰囲気は『仮面ライダー龍騎』に似てますね。
なにぶん最近の作品はわからないもので・・・・・orz
でも聖杯をめぐる戦いやかつても戦いが行われたことなどは『龍騎』が実はパラレルワールドによる戦いが続いてたのにも似る。
『Fate』が面白いのそれぞれの人物の背景や契約者も戦う力が備わって契約者やサーヴァント(でいいんでしょうか?)でそれぞれがやられてはいけない。
HDDに録画したのをいま見てる最中なんで基本的な設定や人物、作品世界を勉強中でまだ理解はしてません(>_<)。
植田桂奈さん演ずる凛はいろいろ複雑な境遇や性格で一見、難ありそうだけどツンデレで可愛らしいように思う(笑)。
『∀ガンダム』の小説を再読中。
作品内では地球上の描写はアメリア大陸中心に書かれてたけど作品冒頭にはロランたち以外にもいくつかMSフラットが地球に降下したけど彼らはどうなったのか。
たぶんアメリア大陸以外にもフラットで降下した献体のムーン・レィスはいたはずだけど彼らはどうなったのか?アメリア大陸と敵対してるはずの東のガリア大陸に降りた人たちもいるかも知れないけど。
ちょっと謎ですね。
ガリア大陸のこともあくまでグエンたちアメリア大陸にいる人たちの口から語られてるだけだし。
『∀ガンダム』の小説、角川版ですけどいくつかアニメや映画の部分は端折られてますがいちおうはアニメ版に沿ってますね。
四巻目には黒歴史に封印された核兵器の恐怖がまざまざと記されまた宇宙を体験したことないグエンやシドじいさん達の顛末などありバラエティに富む。
ふたりのディアナ、キエルが明かされてロランやソシエ達は戸惑う(笑)。
いつか『∀ガンダム』が新訳として製作された時にSEED以降やSDガンダムなども内包してつくってほしいものです。
再び黒歴史が明かされた時にロラン達はどう受け止めるか見てみたいです。
『∀ガンダム』の小説本編全五巻もおもしろいけどエピソーズの方が読みやすい。
本編のサイドストーリーにあたる複数の物語が綴られてる。
『∀ガンダム』全体もですけど世界名作劇場に通じるほのぼのした雰囲気や第一次産業革命に似た時代の雰囲気や人々。その辺が他のガンダム作品にないところ。
小説エピソーズでのサイドストーリーはそんなところが短編ながら丁寧に綴られてる。
ロラン達が地球にくる前の物語、地球に降りてからロランの友達フランやキースの苦難と悩み、地球人とムーン・レィスの混血であるキャンサー達、旦那を亡くしたハイム夫人の物語、小説本編で活躍なかったリリ・ボルジャーノ嬢の戦後のしたたかなお嬢さまぶりなど。
サイドストーリーは人間模様として綴られてるからあまりガンダムという雰囲気しないのがおもしろい。
『∀ガンダム』から『SEED』の小説読むと文章表現にちがいがあるせいか違和感がある。
『∀』の小説は詩情的なところあるけど『SEED』は当時のSFの雰囲気がふんだんにある。『Destiny』もですけど(苦笑)。
『SEED』でキラくんがコーディネーターでも中身はふつうの十代に等しい一面もあります。アスランや同胞と戦うつらさ苦しさそれが戦うたびに序盤の彼の胸中を突く。
『∀』の小説ではロランはムーン・レィスと戦う苦しさが逆にわかってしまうのがヒロインのソシエであり彼女は姉殺しの過ちを犯してしまう。
ガンダムシリーズはどうしても人の過ちを書きながらその思いや痛さを伝えるところはあります。
『ガンダムSEED』の小説二巻を再読中。
二巻はカガリとバルトフェルドの存在が大きいですね。どちらもキラに大きな影響を与える人物ですから。
同時にキラ、フレイ、サイの関係にひびが入ってしまうのも書かれてる。復讐のためにキラを利用するフレイ、当初は知らずにフレイの愛情を受け入れ真実をしり当惑するキラ、コーディネーターとはちがうことの現実を知り罰を受けるサイ。
アークエンジェルを取り巻く戦況と共に艦内の人間関係も変化を見せる。
バルトフェルドの『敵を滅ぼしてまでも』という言葉は重たいですね。いつどこで戦争が終わるという問いかけは『SEED』や『Destiny』で語られてる。
『ガンダムSEED』の小説を再読するとアークエンジェルが本部から救援や支援なくよくアラスカに辿り着けたと思う。
『初代ガンダム』(アニメ)ではホワイトベース隊はレビル将軍からわずかとはいえたびたび支援を受けてたのにアークエンジェルは気の毒なくらい本部から見捨てられたのを考えたらなんとも言えない。
もともと地球軍はアークエンジェルを見捨てる意図はあったにしてもひどすぎる。『SEED』は理不尽このうえないひどさがありすぎる。
アークエンジェルを支援したのはハルバートン提督くらいだったのを考えてもひどいもの。
おそらくはサザーランド大佐やアズラエルにしたらアークエンジェルは最初から見捨てるつもりだったと思うしヘリオポリスや宇宙のどこかで沈んでてくれた考えあったと思われる。
『初代ガンダム』のホワイトベース隊はなかば独立隊としての意図は後半ありましたけどアラスカでアークエンジェルを見捨てるのはひどいとしかいいようない。前線の兵士についても。
『ガンダムSEED』小説四巻再読中。
アラスカでの決戦が勃発し両軍ともに前線の兵士たちほぼ全滅というあり得ない有り様。
アークエンジェルはキラにより助かったにせよ後味が悪すぎます。
『SEED』(Destiny含む)世界の敵を全滅させてまでもという感情はちょっとわからないところ。
敵を仮に滅ぼしてもまたナチュラルのなかに実験的にコーディネーターを生む風潮が誰かにはあると思うしコーディネーターにしてもナチュラルの協力なくては種の存続はできないと思う。
おそらくオーブなど中立国の存在や仲介が必然的に必要と思うのが連合やザフトにはわからないんでしょうか。感情や怨恨だけでは解決しない問題が目に見える見えないところで山積と思います。
『SEED』においてはまだオーブや三隻同盟の戦争やめろは一応は正当化はできます。『Destiny』では根本的解決ないままですけど。
本来『Destiny』で描かれるべき未来はシンの未来を含めてですけどナチュラルとコーディネーターの未来だったと思われます。
もう少しナチュラルやコーディネーターの中に冷静に情勢を判断できるハルバートン提督やシーゲル・クライン、アスハ代表などが必要だったように思う。
現実的にみて“敵を全滅させてまでも”というのは感情的にも理解し難い。
ガンダムコンバージのヘイズル改とフルドドを手に入れたら原作『ティターンズの旗のもとに』を読んでみたくなります。
富野さんの『Ζ』や小説『ガンダムセンチネル』などではエゥーゴ側は書かれてますけどティターンズ側のことは『Ζ』関係くらいでしかわからないですから。
wikiによると裁判あったり組織間のいざこざ?があったみたいな感じですね。
ティターンズは『Ζ』では悪ですけど必ずしも組織にいたすべての人たちがジャミトフやバスクの思想に固まってたのではないの『Ζ』劇中でもあったと思います。
その辺の組織内や人間模様がいかほどだったか興味あります。
けどフルドドはGパーツ扱いのようですが一見するとそうは見えないですね(笑)。
安保理法案は『SEED Destiny』に重なる感じする。
劇中ではカガリやオーブの首長会議という形で描写されてたけどもう少しシンや現在のオーブ国民の心情の描写とかもあったらよかったかなと思う。
とあるブログにもあったと思うけどキラやカガリたちがオーブを出ないままでも物語が進んだと思うしオーブにいたまま悩んで考えることもできたかも知れない。
キラがカガリをフリーダムで連れ出すのはドラマティックな演出であったと思うけど。
『Destiny』でシン以外にザフトにいったもと国民の心情も見たかったかもしれませんね。
ミネルバに実はもう何人か乗っていたりプラントにいたとかいう設定にして。
ハイネは悪いキャラではないですけどシンとアスランをはたしてつなげたほどに描写されたかちょっと疑問。
『Destiny』においての初期のデュランダル議長の言葉はある程度は正しいところはある。領土的野心がなく戦いをいたずらに広げるものではない。実際に市民や他の議員をなだめたことに功はある。
かたやカガリが戦場に赴いていざ国家元首が戦いをやめろというのは子供じみてる。
他のガンダム世界なら有形無形のつながりや援助あって政治的に裏から手を回すくらいはすると思う。
この辺が『Destiny』が曖昧になってたところかもしれませんね。
永遠に理解は得られないとどこかの番組が言ってましたね。
もしかしたら『SEED』当時のシンやシンの家族やオーブ国民はそんな気持ちだったかもしれません。安保理法案が110時間の審議時間を費やしたと言われますが時間よりも中身を国民は聞きたいと思う。
『Destiny』の小説を再読するとシンがたびたびアスランに反発するのは答えがほしいからだったでしょう。
もしかするとシンは我々日本国民の未来の姿になる可能性もあるかもしれませんね。
そうならないように我々国民は政治にきびしく見る必要があり施政者に間違った判断をさせないことが必要かもしれません。
『Destiny』を再読するとシンの気持ちにも多少は共感する気持ちもでてきます。
『Destiny』のシンとステラの出会いも『Ζ』のカミーユとフォウほどドラマティックな感じはないですね。
時代がちがうのは当然としてもカミーユとフォウはアニメや小説でもドラマ内で何度か出会いまたふたりの邪魔をする存在がいるから引き立つものがある。
シンとステラは大人に邪魔されるというよりはむしろ“戦争”が間にたつ感じはあってもカミーユやとフォウみたいに愛し合うけど現実があるから引き裂かれるみたいなのは少ない。
シンの場合は感情や気持ちが先にあるからかもしれませんが。
この辺ももう少しなんとかならなかったか。あるいはステラがいたことでレイが自分の素性を早くから打ち明けるみたいにしてればデスティニープランも早くできたように思われます。
『Destiny』でキラがアスランのセイバーを倒す場面、見方によればキラの成長、人間的成長という意味ですけどたしかに『SEED』に比べたらためらいは二度目のミネルバ戦ではいくぶん躊躇いない。
反面、セイバーごと倒されたアスランにしたらせっかくシンとの協調もできかけた時期なのに逆にあっさり弱いよねと言われる。
アスランの性格がミネルバ内で災いしてる。
『Destiny』でキラやアスラン、シン、ラクス、カガリが迷ったり悩むのはいいこととおもう。だけど戦争の余波はあちこちにある。
後に連合に与しないからと連合から攻撃を受ける諸国。この辺ジブリールやロゴス、ブルーコスモスに求心力のなさ。
他のガンダム世界ならもう少しティターンズやシロッコ、ハマーン、シャア、マイッツアーやカガチたちの方が政治を上手に使う。
もう少しロゴスやブルーコスモスの後々でも描写は必要だったとおもう。ただ組織が存在してるだけで中身が描写されなかったのは残念。
後の『ガンダムOO』の方が各勢力の描写はあったように思います。
『SEED』および『Destiny』の世界てすべてにおいて軍需企業が経済活動が成り立ってるわけではないにせよ明らかにインフレやデフレスパイラルとか起きてそう。
ギリシャ危機みたいに地球各国家や勢力は第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦やユニウス・セブン落下直後とか一般市民などは感じてたんじゃないでしょうか。
『Destiny』のジブリールは『SEED』のアズラエル以上に経済感覚がない感じする(笑)。
明らかに大西洋連邦以外の国家や勢力は疲弊してるなか後々、デストロイにやられるのも恐ろしい話。
プラントの方が経済感覚がありそうな感じしてしまう。
『Destiny』本編ではカガリの心情がクローズアップされてたけどオーブ軍人や国民のなかにセイランの決定に反対した者たちもおそらくいたでしょう。
本編や小説ではトダカ一佐が犠牲になり一部のオーブ軍人がアークエンジェルに行ったことで難を逃れた。
だけど国民は逃れる場所ない。他国から支援援助してくれるでしょうけど。
皮肉にもシンの立場にしたらかつての祖国や国民、あるいはそのなかにいたかもしれない友人家族を討つ側に回ったかもしれない。
『Destiny』は本来は描写される描写がいささか欠けてる感じはあります。小説も。
『Destiny』はいろいろな描写が小説を再読しても欠けてる点はあります。
明らかにザフトがオーブに侵攻した時点でかつてのシンと同じような目に遭ってる民間人がいたと思うしシンはその都度、考えようとしてるのにレイが口を挟む。
それ以前にも軌道修正できそうな点あったと思いますけど。
やや主役偏重なところは見えてしまう。
カガリが国家元首として立つのは構わないですが連合と同盟したことへのツケ、国内外の被災はあったと思うし中盤までは結果的にデュランダル議長の方が手が早かった。
もう少しシリーズ構成や脚本家さんに政治を書く能力や描写があれば違ったと思う。小説版では後藤リウさんがアニメの描写不足を補ってるから多少はわかりやすい。
『Fate stay night』とりあえず半分ほどまでみた。
ツンデレな遠坂凛とまじめな衛宮士郎くん。アーチャー、セイバーもまた魅力的に見える。
ググったら凛とセイバーはリボルテックシリーズになってますね。
ちょっと欲しくなる感じ。
FateシリーズちょっとYouTubeなツンな凛とまじめなセイバーは可愛らしい。
アーチャーにバカにされる凛はかわいい(笑)。
ピカイア!の時代の地球は何らかのかたちで人類や生命体が住めなくなったんでしょう。
主人公側たちの地球再生プロジェクトも副大統領側の移民プロジェクトもどちらも正しいように思える。
ただ作品のテーマとしては恐竜時代以前の地球生命体を知りそこから生命体再生のきっかけを得ることから副大統領側たちは悪人になってしまった(笑)。
でも古代生物たちの描写や古代の地球は見てておもしろかったと思う。
『超時空世紀オーガス02』の小説でタカ派とハト派の大臣が戦争前に会議で言いあらそう場面ある。
そのなかでハト派だけどもかつては現国王とともに過去の戦いに馳せ参じたけど戦争を知る者ほど戦争を避けたがる人物として彼は書かれてる。
戦争による利益がないものだということを長い歴史のなかで知ってるからと思う。
ちょっと自民党の人達は戦争というもの在り方を考えるべきと思う。なんだか歴史が逆行した考え方を彼らが持ってると言わざる得ない。
戦争を避けたがるのは別に利己的ではなく国家や国民を守るために戦争に避けるのはごくあたりまえなこと。
戦争しないならない回避の努力の方が大切と思う。
なのに自民党議員さんのTwitterの言い分を聞いたら“戦争に参加しなくてはならない”と思われても仕方ない。
『超時空世紀オーガス02』に限らずガンダムシリーズやマクロスシリーズなどは戦争の回避はぎりぎりまでなされる人物や政治の背景がある。
少なくとも安保法案に反対してる若者たちは自分たちの意思で戦争や戦争参加に拒否を示してる。
映画『パトレイバー2』では一発のミサイルによるベイブリッジ爆破、または自衛隊の管制コンピューターを乗っ取られたことによる“幻の三機の戦闘機”などにより自衛隊はおろか政府そのものが混乱し“誰が敵かもわからないまま”政府は自衛隊に出動命令を出して日本国および日本経済は混乱。
柘植の相手がもし日本政府を相手にしたものなら自衛隊が出動した時点で本来は勝ち。
しかし彼の目的は日本国に戦争状況を再現するのが目的だった。
いまの現実の安保法案が数年後にいろいろな形で跳ね返ってくると思うし日本国憲法の在り方や意義、意味が逆に世界から問われる形になるんじゃないか不安。
『パトレイバー2』制作当時においても作品内や現実でPKO活動は物議を醸したと思う。
よく考えたら今期は妖怪ものが多い。
ニンニンジャーに境界のRINNE、妖怪ウォッチ。妖怪ウォッチだけはややリアルタイムより遅れてだけど(苦笑)。
田舎の方だけどこれだけジャンルがかぶるの珍しいこと。
戦争したくないは利己的な発言ではない。
対話や会話、政治的介入で戦争が防ぐことができるなら理想的。
政治家はぎりぎりまで戦争をしてはいけない姿勢を国民にも他国にもあらわさないとならない。
『オーガス02』でもリヴリアのハト派もしくは穏健派と呼ばれる軍人たちは自らの国内のタカ派たちを押さえようとしていたが皮肉にもクーデター的行為で戦争が起こされた。
だけど『ガンダムSEED Destiny』前半も対話や会話ですむならなにもなかったかもしれませんけどデュランダル議長もなんだかんだで小規模な紛争や戦争にシンたちミネルバクルーを介入させたことで最終的にはジブリールが行ったことを半ば自らの理想『デスティニープラン』のために被害を拡大しなくてもいいのに黙認してた。
デュランダル議長はそういう意味では戦犯。クルーゼと同等かそれ以上に戦犯たる存在。
デュランダル議長の政治家としての表向き表情は政治家としてはおそらくは誰もが認めるところ。これはドラマ内でもキラくんたちアークエンジェルクルーもとりあえずは認めてた。
おそらくラクス暗殺の動きがなかったらキラくんたちアークエンジェルは当時のプラントに取り込まれた可能性も否定できない。
デュランダル議長の政治家としての動きが巧みだったと思うし『SEED』および『Destiny』の時代や世界にろくな政治家がいない(苦笑)。
政治がむずかしいのは理解を示しますが戦争を起こさせない参加しない姿勢もまた大事。
Fate stay nightは0話と一話、最終話だけは45分ちょっととテレビアニメにしては珍しい形態をとってました。
しかも最終話にまさかセイバーさんが操られるとは思ってなく衛宮くんがちょっとずつ戦士として悩み考えようとしてただけにまさかの展開は驚きました。
10月からの2ndシーズンも予告映像みた限り期待できそうな感じでした。
『パトレイバー』が実写映画化された年でもありますけど現実がパトレイバーに追いついたところもあるし追いついてないところもある。
この辺は手塚治虫さん作品などもおなじですけど(苦笑)。
『パトレイバー』の時代は1990年代末期から2000年になろうとした時代。
いつかはレイバーみたいなロボットも軍事だけでなく民間に使われる時代もくるでしょう。
『パトレイバー』はコンピューター犯罪なども扱ってましたからその辺はいまの時代を予見してたかもしれないですね。
アニメ映画一作の帆場瑛一のしようとしたことはいまのコンピューター犯罪に通じる。
地球環境の変化もまた『パトレイバー』は温暖化で東京バビロンプロジェクトもありましたね。
『火垂るの墓』は泣いちゃうので録画もせず見なかったですがNHKの『団地ともお』と『おじゃる丸』の終戦スペシャルはよかったです。
『団地ともお』はともおくんたち小学生の目を通しながら老若男女それぞれの世代が青戸さんや坂上さんの学校の補習授業をきっかけにかつての戦争を知って理解してゆく。
ともおくんたちもいつものケンカを通しながら戦争を考えてゆく。さりげなくいつもの笑いもまぜながら。
『おじゃる丸』は大地監督のやさしい演出ととんだギャグをまぜながらもこちらも戦後70年の月日の長さをゲストの少年たちから知ってゆく。
『火垂るの墓』とはまたちがいますがどちらも日常から戦争を知ってゆくくだりはよかったですね。
ブックオフで『科学忍者隊ガッチャマン』の一話から三話までのDVDが安くあったので買いました。
一話の「ガッチャマン対タートルキング」は当時のアニメとしてはセル画も多かったようでなおかつタートルキングの巨大感、アンダーソン長官と南部博士の渋い会話、そして大鷲の健たち科学忍者隊の集結とG5号から各Gメカの納得いく合体場面、タートルキング内での科学忍者隊のバトル、そして決死の科学忍法「火の鳥」など一話だけでも充分迫力や見所ありました。
90年代にも第一話はリメイクされましたがオリジナルはいまも遜色ない出来です。
二話、三話も見所あって特に三話では皮肉にも健がゲストの少年に憎まれてしまう話はちょっと苦く後々物語がアクション主体から物語重視に変わっていく伏線のようでした。
むかしのホビーじゃパンエクストラを手にいれて読んだら『ジャイアイントロボ』(旧、新(地球が静止する日))、『鉄人28号』(旧、超電動ロボ鉄人28号FX)、『バビル二世』、『マジンガーZ』(旧、マジン・サーガ)、『機動戦士ガンダム』(初代、シルエットフォーミュラー)、『元気爆発ガンバルガー』『伝説の勇者ダ・ガーン』など当時のガレージキットや玩具を改造や交えてなどで特集してました。
『ジャイアイントロボ』はリボルテックでいま特撮版とOVA版ありますしガンダムやマジンガーZなどはロボット魂などで展開してます。
90年代の玩具は当時はそれなりに評価高かったと思いますけどいまと比べるとちょっとな・・・・・感じはありますね(苦笑)。
懐かしいものです。
夏目漱石の『坊っちゃん』は何度かドラマ化映画化アニメ化されてるようですね。
むかしに『ルパン三世』のモンキー・パンチさんがキャラデザした作品もあったと思いますけど。
だけどなぜが映像化されるとヒットしないジンクスが『坊っちゃん』にあるようですね(笑)。
妖怪ウォッチはウチの地元放送局はリアルタイムに追いつこうと(月)〜(金)まで日替りである。
録画とダビングがたいへん。
だけどフミちゃんはさりげなくケータくんや男の子にはキツいこと言う(笑)。ちょっと鈍感かもしれないけど。
コマさんコマ次郎はかわいらしいこと。
トイレの花子さんの回が昨日あったけど妖怪もいろいろな事情あるもんだ。花子さんが貞子をまねるのはどうかと思った(笑)。
マクロスフロンティア劇場版小説〜イツワリノウタヒメ〜、〜サヨナラノツバサ〜ようやく読めた。
基本的な流れはテレビ版に近いけど所々が異なる。
小太刀右京さんはテレビ版小説もだけど劇場版はよりエンターティメントに書いてる。
マクロスフロンティア劇場版小説ではそれぞれのキャラの過去は断片的にしか書かれてない感じ。
たとえばテレビ版小説だとオズマの過去が明確にされてたのに劇場版だと章の冒頭や物語の中に組み込まれて記されてる。
クラン・クランの設定も博士号を持つアルトたちの先輩ということでキャラに幅を利かせてる。
テレビ版と設定を変えてることでキャラを自由にしてる。
後半までアルトがシェリルと過去に出逢ったことを思い出すまで時間かかってるのはおもしろいこと(笑)。
早乙女弥三郎はテレビ版だとたびたびアルトに早乙女家に戻ってくださいと出てきてるのに劇場版だとほんのわずか。
アルトとシェリルが出逢った当時が若ければこそ敢えて厳しく言葉を向ける兄弟子として書かれてるのは印象的。
マクロスF劇場版小説を読むとたしかに戦場ライブな雰囲気はある。
テレビ版小説は学園ドラマな雰囲気はあったけど。
劇場版小説を読むとフロンティア船団とギャラクシー船団がテレビ版以上に人類同士の不毛な争いのためにバジュラが犠牲になってるのはいたたまれない。
劇場版小説ではシェリルは捕らえられ命をテレビ版以上に削ることになる。ただテレビ版とちがって救いがあるのはグレイスに救われること。
そこはじんわり感動した。
『ガンダムAGE』の小説を四巻以外は手にいれたので読んだ。
フリットは“間違えた正義”や“復讐”を具現化してしまったんでしょうね。ラストのギリギリまで・・・・・・。
そのためにアセムやキノ、家族に至るだけでなく地球圏全土に至るまでになってしまった。
そんな意味では悲しい人物。彼の母親がAGEデバイスを託したのは復讐のためではなく未来に生きることへの希望だったのが彼は復讐や地球圏の平和のためというある種の独善に変えてしまった。
またフリットの母親を殺したヴェイガンMSのパイロットも“復讐のため”であっても“生きろ”と暗黙に伝える不条理さ。
小太刀右京さんの小説はテレビ版そのままなためかやや描写しきれてないところも『ガンダムAGE』全体としてもやや足りてない感じは否めない。
エピローグとして地球連邦とヴェイガンの戦いが終わっても人類同士の争いが続きフリットはそれを克服せんとし英雄視されたのも興味深いこと。
やや描き足りないところはあったかもしれないけど三世代それぞれを描くところは敵味方に関係なくおもしろさはあったと思う。
四巻を探さないとならない。
『ガンダムAGE』の小説を読むとグルーデック艦長は復讐のために生きて復讐のために死したてことでしょう。
そういう意味では三部で祖父になり軍を指揮したフリットも同じ。
小説としてあらためて見ると『ガンダムAGE』の大人たちは敵味方に関係なく“ダメな大人”の象徴だったと思う。
未来のため、EDENのためと言われながら憎しみの連鎖をしてゆく。
Xラウンダーが戦闘ではなく理解のために使われるまでには世代を重ねないといけなかった愚かさ。
フリットやアセムにしても結果的には“家庭”を壊して“戦争”に身を投じた矛盾もある。
ゼハートにしてもイゼルカントを“父”として崇め盲信したがために“家庭”を持ちたくても持てなかった不甲斐さ。そんな意味では彼はシャア(の一面)と言える。
小説四巻が未入手で内容が抜けてるけど、三世代目の主人公キオ・アスノが悩み葛藤することで敵味方に関係なく意思を伝える。たしかに甘さがあるのは否めない。
フリット、アセム、キオら三世代のそれぞれの世代を重ねることで時代に過ちを犯し過ちを犯したからこそそこに贖罪や反省もある。
祖父の立場になったフリットが結果的にはイゼルカントと同じ道を歩んだのは哀しいこと。
アセムにしても家庭を捨て連邦やヴェイガンどちらも敵に回しながら平和を模索する。そのために家庭を捨てたことで息子であるキオに睨まれる。
“家庭”と“戦争”のふたつをわかりやすく対比はしてた点もある。
『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』に登場したプロテクトボットのヘリコプターに変形するグレイズは調べたら形態はちゃんとした救助ヘリでした。
玩具の方でトランスフォーマーシリーズはリメイクされて現代的になってるのもあるからそこは時代相応かな。
ブックオフに行ったらOVA『おジャ魔女どれみ ナ・イ・シ・ョ』のDVD付属シングルCDあった。
プリキュアシリーズが進行中のなか『おジャ魔女どれみ』が復活した時はよかった。
CDに付属してるDVD見ながらちょっと懐かしんだ。
『マクロスF』のテレビ版と劇場版小説をいま再読しながら比べてるけど大筋はまあ同じですけど一部流れや細部はちがう。
テレビ版小説は一部はテレビアニメからカットや短く語られてるところあるけどひとつひとつは丁寧に描写され逆にアニメ版で語られてないところを補完してる。
対して劇場版小説はエンターティメントとしてクローズアップしてる。アルトとランカを幼馴染みとしてるのは少女漫画的、キャシー・グラスもテレビ版とちがい精神年齢が高く大人としてSMSに出向しオズマとの関係はよりストレートに書かれてるの伝わる。
ブレラ・スターンはグレイス同様に活躍の場がテレビ版とは異なる形だけど活躍の場が与えられてるけどラスト直前までサイバーノーブル(電脳貴族)に操られてるのは読んでて哀しい展開。
ミシェルとクランはラストで伝説のマックスとミリアと共闘してるのは明らかにファンサービス。
ルカもエルモさんの芸能事務所所属扱いと設定変えたナナセに好意を抱く形でテレビ版とちがった形で補完されたのはさりげなくよかった。
反面、アルトの父親嵐蔵先生や矢三郎さんが出番少ないこと(苦笑)。
歌舞伎のことはアルト中心に書かれてるのはテレビ版と同じだけど劇場版ではアルト自身の葛藤としてあった感じする。
劇場版は基本的にキャラの精神年齢が上がった感じで大人びてたと思う。
水木しげるさんお亡くなりになりました。
ご冥福をお祈りいたします。
漫画『ゲゲゲの鬼太郎』で鬼太郎誕生秘話や西洋妖怪侵略など子どもの頃に読んで怖かったり妖怪といえど戦争のむなしさを描かれてたのは記憶に残ると思う。
あらためてご冥福をお祈りいたします。
『マクロスF』で嵐蔵先生や矢三郎さんはテレビ版やテレビ版小説の方が活躍してる。
なおかつ矢三郎さんはその都度、アルトが“演じている”と諭して歌舞伎の道に戻そうと心から考えてるの伝わる。
テレビ版に限っていえばアルトは三島たちクーデター派から逆転するためにわざと大根役者を装い憎しみにとらわれてるふりをしてたわけだけど嵐蔵先生はおそらくアルトの真意をわかってたみたいけど矢三郎さんは真意を見抜けずに騙されてた側。このへんのくだりは演技を問うことのひとつの解答といえる。
テレビ版小説の三巻後半から四巻クライマックスまでのくだりはある意味、一舞台を見てるかのようにさえ思える。
水木しげるさんが亡くなられましたね。
幼い頃にニ作目と三作目の『ゲゲゲの鬼太郎』あってその流れでいまはないコミックボンボン誌で連載で漫画版を見てそれでオリジナルの水木しげるさんが描いた原作を見た記憶ある。
原作の鬼太郎と目玉おやじは幽霊族の生き残りで当初、鬼太郎は人間を死に誘(いざな)う存在でなおかつタバコも吸う不良(笑)。
子供心に鬼太郎にカルチャーショック受けた。
何度かアニメ化にいたることで徐々にヒーロー化してゆく。
地元の山奥に最近入ったことあるけど(水木しげるさんの地元ではないですが)ほんとタヌキやキツネはいると思いますけど妖怪やもののけはいそうな雰囲気でした。
『鬼太郎』アニメニ作目の泥田坊の回は大人になったいまでもなぜかおぼえてる。怖かったのか(苦笑)。
※さすらいの旅人さん
あげるだけなら書き込みは遠慮してください。
漫画『二代目はこすぷれーやー』の五巻なくて六巻買って読んだ。
ちょっとえっちな漫画だけどはじめから最後まで“オタク”のこと原作者甘詰留太さん理解されて描かれてた感じあった。
作品中の『超甲神ヴィクト』や『ビートルーダー』に見る『仮面ライダーストロンガー』へのオマージュ、意図したと思われるけどストロンガーと同じ城茂と名前がかぶる。えっちゲームのネタやコスプレーヤーなどの話題を上手に物語の中に取り込んでた。
六巻読んでヒロイン、ゆーしーに想いを寄せるたくくんが実の姉が上京して様子を見にきたことでオタクをやめようとするリアクションはおそらく大人になればなるほど誰もが経験すると思う。
ドキュメント番組などでも社会人になったり家庭を持ったりすることでオタクやコスプレーヤーをやめたという人たちとたくくんは同じに描かれてる。
物語内で無音のなか勉強するなかゆーしーに好意があるなかオタクになったたくくんだけど、そこで得た“なにか”熱いものやフィクションだからこそあるものと再認識する。
ちょっと自分に重なるところあった(笑)。
漫画『二代目はこすぷれーやー!』はヒロインはヲタクだけどやくざのひとり孫娘。
原作者さん硬派なやくざ世界と甘いヲタク世界を上手につなげてる。
ふつうなところはふつうに描かれてるしヲタクなところはとことんヲタク(笑)。
それでいて慎之助さんなりにヒロインゆーしーを密かに想ったりここぞという時は助けたりラブコメしたりお約束踏んでる(苦笑)。
よもや最終回でやくざを解散するとは思わなかった。おそらく親分さん=おじいさんは誰よりも孫娘ゆーしーや慎之助さんの将来を考えてたんでしょうね。
漫画のクオリティを保てるならVシネマくらいなら出来そうな感じする。
妖怪ウォッチの食玩指人形でUSAピョンの生前の姿手にした限りはクマっぽいけど実際はどうなんだろ?
生前の時は明らかに飼い主さんからは実験動物ながらも愛されてたようだけど……(苦笑)。
ちなみにテレビ版『マクロスF』小説版三巻ではプロローグで若き日のオズマがグレイス博士と出逢った際にそんな実験動物でも人智の及ばない宇宙に行けることに憧れの本音を漏らしてる場面ある。
オズマさんも、宇宙開拓者だろうけどいい意味で愛すべきおバカ(笑)。
漫画『二代目はこすぷれーやー』は機会があったら続編を書いてほしいですね。
オタクやってると、現実の壁に何度もぶつかることになる。
ヒーローやヒロインへの憧れだったりなにかのきっかけだったり。
原作者の甘詰留太さん、六巻のあとがきを読むとコスプレーヤーたちに取材したりファンレターから応援を頂いてたみたい。
オタクに目線を持った本や漫画、アニメもここ何年かはありますけど私はたまたま『二代目はコスプレーヤー』を手にしたけどちょっとえっちだけどいい作品と思う。
五巻を手に入れてあらためて読みたい。
『ガンダムAGE』の小説を読むと復讐にとらわれたフリットの生き方はあやうくグルーデック艦長と同じになるところだったんでしょう。
グルーデック艦長と“コウモリ戦役”を敵であるUEが同じ人間なのに少年だった純粋さが戦争という時代に飲み込まれたとも言える。
だけど、二世代目のフリット、、ロマリーたち、三世代目のキオたちはかつてのフリットとはちがう出会いや形で“敵”であるUE=ヴェイガンを知ってゆく。
むかしのアニメだと『科学忍者隊ガッチャマン』でもコンドルのジョーは何度か“復讐”について問われる。
かつての親友や敵そのものから……。
ガッチャマンは初期シリーズは当初は一年の放送だったのに徐々に人気が出たことで放送(戦い)が二年に及ぶことになった。
フリットが復讐に生き結果、家族だけでなく地球圏全域を巻き込む姿はある意味、コンドルのジョーのもうひとつの姿や未来であったと言える。
『ガンダムAGE』は敵を知り理解しわかりあえるというのもひとつのテーマ。
フリットは“敵”としてしか認識しなかったら殲滅するという方向に働き、アセムやキノは“同じ人間”として出会ったことで考えがフリットとは方向がまるで異なる生き方や思想として昇華されてゆく。
『ガンダムAGE』は一年のなかでシリーズを書いてゆくなか尺不足もありましたが、三世代を重ねるなか“間違った大人たち”の生き方も書いていった作品と思う。
なにが“戦争を生む”のか“互いに戦うことの意味への問いかけ”、“政治が持つ嘘や欺瞞のあらわれ”、連邦もヴェイガンも市民や民衆が考え自分たちのなかの腐敗と戦う意思がないと時代に流される危険もある。
フリットは復讐に生きることで考えることを拒否した。敵と和解や手を取り合える選択肢をわかってたのに拒否した時点で無為な犠牲を百年ちかく出すことになり戦後はいろいろな世代から糾弾され暗殺の危機もあったという。
敵との和解や手を取り合うのは現実、むずかしいとも思う。
小説版ガンダムSEEDでイザークが“手を差し伸べた後に背を向けた瞬間、銃を向けられたらどうなる”と疑問に思う場面があるのも現実おなじ。
『ガンダムAGE』は小説を読んだけど、どの世代もほどよく見れて子どもにはわかりやすく伝えることはできたと思う。
アセムはゼハートやロマリーたちとの学園生活があったことで敵でも理解できるというひとつの架け橋やきっかけとして書かれ、また父フリットのように“Xラウンダー”がなくても経験や努力を培うことで“スーパーパイロット”になれる者としてあらわされてる。
性格面はゼハートが劇中でも言ってように優しすぎるというのはあるけど、キオの父親としての立場を放棄しながらも“親”としてほっておけない情もある。
ゼハートにしても長く続く戦いのなか親や家族を持てずイゼルカントを盲信してた若者ゆえの迂闊さもある。
アセム世代で“敵が同じ人間”という意味合いを書かれた深さがある。
“Xラウンダー”はひとつの才能や可能性としてのあらわれだけど、同時に人間が闘争本能への退化でもある。
『ガンダムAGE』で本編が始まる以前の“銀の杯条約”でいつ誰が過去の記録を消したかは不明なまま。
結果として地球圏に戦争はなくなったものの、火星の人々のことも忘れられた。
UE=ヴェイガンは歴史の闇に葬りかけられた人々でもある。
その辺も含めて『ガンダムAGE』の根底にある闇は深い。
イゼルカントも過ちを犯した独裁者であると描写されてるわけだし。
死に際はそのわりにきれいすぎた人物でもあるのは皮肉なこと。
今日の『サンダーバード ARE GO!』の舞台は日本の高速トレインのお話でした。
ミニチュアセットが日本ぽいセットだったけど雰囲気よく出てた。
初代『トランスフォーマー』の「パニック・ザ・クレムジーク」や『2010』の「重すぎた使命」にくらべたら比較的ふつう。
『トランスフォーマー』の日本人はやたら中国人ぽかったり看板の日本語がめちゃくちゃだったり笑えるけど当時の外国がどう日本を見てたかなんとなくわかる。
『サンダーバード ARE GO!』の今回のお話が高速トレインというのも日本の鉄道開発の時事ネタでしょう。
しかも国際救助隊の頭脳、ブレインズさんがアクションに挑戦してる(爆)。
昨日の『サンダーバード ARE GO!』は日本が舞台という話は書きましたが、高速トレイン以外にふたつのお話が進行してました。
ひとつは宿題、ひとつはおばあちゃんがブレインズさんの相棒のロボットと料理する。
短い20分程度でよく話を盛り込めたものと感心する。
メカとしての1号はいささか活躍の場がなかった反面、5号とブレインズさんの活躍がありました。
宿題の話がさりげなく事件解決のキーになってるというのも脚本の良さがうかがえる。
『火垂るの墓』の野坂昭如さん亡くなられました。
こんなことなら今年の金曜ロードshowで放送されてた『火垂るの墓』を見とけばよかったかなと少しばかり後悔ある。
ご冥福をお祈りいたします。また機会あれば『火垂るの墓』の原作小説を手にしたいと思います。
『ガンダムAGE』小説第一巻を再読すると、雰囲気は一見勇者シリーズに近いニュアンスはある。
だけど、同時に戦争の非情さをフリットやロマリー、ディケら少年少女の目線を通して書かれてる。
後のアセムやキオがある程度、年齢を経てるの対しフリットは少年のまま戦場に身を投じてる。
同時にフリットが少年時代だった世代がいかに政府ごと世界を飲み込むくらい腐敗してたか。
グルーデック艦長は結果的に自らの時代の負債をフリットに預け託す形にもなる。また彼の存在が大きく大人になったフリットに影を落とすことになり時代が犠牲を求めることになる。
またAGEシステムやディーヴァなどいくら最新システムであっても一部隊だけでは戦況を極端に大きく変えたり時代をそう簡単に変えるものではない非情さもある。
『ガンダムAGE』第一世代の物語は派手さはそうないけど、随所に目に見えない現実が突きつけられてるところある。
なまじ少年時代のフリットが純粋すぎるが故に後の時代に復讐に影を落としたのもわからなくもない。
『ガンダムAGE』小説二巻を再読してると、マッドーナ工房で銀の杯条約前後のことが語られてる。
銀の杯条約以前の『ガンダムAGE』世界の人類がコロニー国家戦争で地球圏全体を巻き込んだであろうは理解できる。
だけど銀の杯条約は『ガンダムW』のような完全平和とはまた違ったものと思われる。おそらく人類の種として生かすための恒久的な条約だったでしょう。滅びの道を歩まないための抑止力的な意味合いもあったでしょう。
今度、戦争したら人類は確実に滅ぶぞ!くらいは銀の杯条約以前の戦争で経験されたかもしれない。
またマッドーナ工房での会話から火星移民が失敗したと話が上がるけど、これは完全に伏線。
『ガンダムAGE』世界の人類は平和のためにモビルスーツや武器を捨てたというより人類種を生かすためだけに銀の杯条約があったと考えた方が自然に思われる。
だけど、長い年月のなかで先を考えなかったのかUE=ヴェイガンが襲来するまでに失われた技術も多かったと思われる。
かろうじてアスノ家やマッドーナ工房のように密かに技術を伝えたモビルスーツ鍛治などが技術を伝えた。
『ガンダムAGE』はけっこう人類の闇や深部を書いてるものとあらためて思う。
『ガンダムAGE』はやや尺不足があったせいかキャラが活躍不足があったかもしれないです。
ギーラ・ゾイの息子やデシル・ガレットなどは初登場時こそはインパクトあったのに物語が進み世代が変わるとたいした活躍の場がないまま退場。
ギーラ・ゾイの息子はグルーデック艦長に復讐は果たしたもののあっさりフリットに撃たれ、またデシルにしてもゼハートの不肖の兄という立場にあり独断専行が目立つキャラであるのに最期は因縁あるフリットではなくまたXラウンダーでもない彼の息子のアセムにやられる。
この辺はややするとキャラが気の毒。
『ガンダムAGE』で三世代すべて通して生き残った人物は少ないのもある。
『ガンダムAGE』劇中でたびたびカカオの話題が出てくるのは当時の子どもたる視聴者を意識してのことだったでしょう。
それと『ガンダムAGE』世界の連邦、ヴェイガン共に属する人間がなかば“地球を忘れた世代”でもあるというのを意識してる。
カカオやチョコレートならなじみやすいし生産地云々の話題でわかりやすくもある。
敵ヴェイガンであるゼハートたちが首領イゼルカントによって地球を“EDEN”と称するのも彼らが地球に帰りたい純粋な思いも秘めてる。
ただ連邦にしてもウルフのように戦いのなかでしか生きられない者や彼のように連邦に属してても地球を知らない世代もまたいる。
『ガンダムAGE』世界の地球は銀の杯条約以前のコロニー国家間戦争で地球自体の自然治癒力だけでは回復しなかったかもしれない。おそらくは連邦政府首脳部の怠慢もあって。
結果的にはフリットから始まるヴェイガンとの百年戦争も地球に遠からず影響を与えたのも事実。
『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』には東洋の、日本の風習が描写されてる。
それまでのガンダムシリーズにもところどころ日本的な風習や慣習は断片的にあったし富野由悠季さんの書かれてた宇宙世紀作品小説だとヤクザ的な言葉や慣習、さりげなく日本人の経済感覚をバカにする描写があった。
けど『鉄血のオルフェンズ』は魂に訴える演出に近いでしょうか。主人公たちが世界からのはみ出し者というのもめずらしい。
ドラマ『永遠の0(ゼロ)』ちょっと見てるけどなんとなくちばてつやさんの『紫電改のタカ』のその後や『紫電改のタカ』では描かれなかったところが書かれてる感じする。
『紫電改のタカ』ははじめこそは少年飛行兵たちのアクションや青春ものぽい感じだけど中盤から少しずつ展開が変わってゆく。
前半は黒岩に主人公の滝城太郎が陥れられ中盤は滝が兵曹長に任命されるも七人のさむらいたちにこてんぱんにされる。
また硫黄島を死守するために滝と仲間、そして七人のさむらいたちでとある秘密基地に赴き宇津井老人に出会う。
作戦は成功をおさめるものの結局は硫黄島を守ることはできなかった。
これが後半になると滝城太郎は新戦法を開発するもののからだを壊すくらいのよほどの戦法なのかやむなく休養を命じられる。坂田三郎から名機“黒い紫電改”はおあずけ。
七人のさむらいのリーダー格である花田に陥れられる。
物語の最後となるタイガーモスキトンとの戦いで彼が死ぬ間際に彼の生い立ちや日本人を憎むいきさつを聞いて滝は思う。
“戦争をどこの馬鹿がはじめたのか、なんのために戦うのか”と……。
最後は主人公たちが特攻隊に任命されながら任命した上官に滝は最後に歯向かう。
だけど、その上官もまた特攻隊名簿に自らの名前を記してないながらも実は特攻隊に加わるという。
ラストの場面が主人公の母とヒロインが大分駅に笑顔でつく場面と滝が黒い紫電改で飛び立ってゆく場面に涙する。
昨年、放送された『探検バク問』の中野ブロードウェイ編でいろいろな人たち出てくる(笑)。
マニアやファンをやってると何度も壁にぶつかる。漫画『二代目はこすぷれーやー』と同じ。
マニアやファンだからこそ何度も現実の嫌な壁にぶつかり葛藤悩む。
『探検バク問』はけっこういろいろなところに取材いく番組だからいろいろなマニアがみてるかもしれない(苦笑)。
『ピカイア!』と新垣結衣さんの『生命大躍進』をようやくひとつのDVDにダビングすることできる。
『ピカイア』の時代の地球人類は何らかの形で地球環境を破壊したんでしょう。宇宙からの見た目は青いままだけど、何らかの形で生態系を破壊してしまったと思われる。
古代の生物たちは決して美しくはないけど、原始的原形的な形状を取ることで生命体の形を得たんでしょう。
『ピカイア!』見てるとほぼすべてが海というのも生命が海から生まれたの伝わる。
『ガンダムAGE』で銀の杯条約にあるように現実でも“知らない歴史”は多々あるんでしょう。
『ガンダムAGE』の小説を読むと歴史に名を残したフリット・アスノたちアスノファミリーだけでなく“歴史に名を残さなかった人達”にもところどころに触れてる。
『マクロスF』の小説にも似たような描写はある。書き手は小太刀右京さんだから同じ。
『マクロスF』のバックフライト提督は必ずしも目立つ人物ではないけど、典型的な役人型軍人に書かれながら劇場版小説だと猛将でもないのに後の歴史では“猛将”として書かれる。
現実もフィクションと似たり寄ったりと共感しなくもない。
小太刀右京さんの『ガンダムAGE』『マクロスF』は丁寧に描写されてる。
“知らない歴史”の積み重ねが現代にもあるんでしょう。
ようやくブックオフに行けて運よく『二代目はこすぷれーやー』の五巻を手に入れて全六巻完結させれた。
あとは『ジャイアントロボ 地球が燃えつきる日』の九巻、これもまた間の巻が飛んでるけど(苦笑)。
『二代目はこすぷれーやー』は硬派なヤクザな世界と萌えなコスプレ世界がうまいぐあいにミックスされてる。内容はちょっとエロいけど。
ちゃんと五巻に慎之助がなぜ一後組に身を置くのか、ヒロイン裕梨華のご両親がなぜいないのかいきさつが語られ、六巻で登場するラスボス江口のことも語られてる。
慎之助さんも一度は大人になろうとして、裕梨華のヒーロー好きをバカにしながらも彼女を慕おうと決意するさまは格好いい。
オタクやらなくてもいろいろ人生は悩むのは誰でもあること。
『二代目はこすぷれーやー』もちゃんと嫌な現実を漫画ながらに読者に突きつける。
けど、Vシネマで構わないから実写化してほしい本。
アニメ『妖怪ウォッチ』の去年の映画見れたけど、なんというかケーゾおじいちゃんとケータくんコンビは『ガンダムAGE』を彷彿させる。
それでも本編はギャグやパロディを適度にはさむおもしろさ(笑)。
明らかに『ガッツ仮面』は月光仮面、バットマン、仮面ライダーのパロディ、それでいて親世代が懐かしいと思える三丁目の夕日的なシチュエーション。
ちゃんとスタッフが子供だけでなく大人も見て笑えるようにつくってる。
漫画『ジャイアントロボ 地球の燃え尽きる日』の梁山泊編、間の梁山泊編の開幕は読めてないけど最終巻はいちおうちゃんと完結してる。
草間大作の成長物語として読めばOVA『地球が静止する日』とテーマは同じ。
けど『地球の燃え尽きる日』では国際警察連合もBF団もアクのある人物や毒っ気がありすぎる。
唯一まともなのは豹子頭・淋中(白昼の残月)、村雨一家とお銀ちゃんくらい。
『地球が静止する日』では書けなかったことが『地球の燃え尽きる日』では描けたということでしょう。
『地球の燃え尽きる日』では元凶が孔明だったとは……。『地球が静止する日』でも何故かビッグファイアの三つの護衛団(バビル二世の三つのしもべ)を操ることができたり怪しさむんむんだったけど今作でも敵であるはずのかん信元帥と密約を結んで大作とジャイアントロボを窮地に陥れてる。
続編の『バベルの籠城』も読みたいです。
漫画『二代目はこすぷれーやー』のタクくんは読者目線の人物でしょう。
なにかとヒロイン裕梨華(ゆーしー)に助けられたり彼女が年上なために色香に翻弄されたりゆーしーにその自覚がないのも困りもの←慎之助さんでなくても気を揉むのもわかる(苦笑)。
なんだかんだでゆーしーへの恋心からオタクに目覚め恋に悩み葛藤する。それゆえに慎之助さんたち一後組のヤクザなお兄さん達に目をつけられる。
五巻でタクくんのお姉さんが田舎から様子を見に来てたらゆーしー達はコスプレしてるわ弟がオタクになってたらお姉さんが咎めるのも一理ある。
だけど、子供向けであっても『虚構のなかに真実がある』というのも原作者はよく理解して描かれてる。
タクくんの恋は実らなかったけど、ちゃんと最終話のエピローグでヤクザをやめた一後組の面々に可愛がられてるのはホッとする。
漫画『二代目はこすぷれーやー』、もう少しゆーしーと慎之助さん、理緒さんとの三角関係を丁寧に描いてほしかったかな。
なんとなくちょっと消化不良に終わってる感じかな。六巻というちょっと短いスタンスあったし五巻から慎之助さん、ゆーしーの過去に話が持っていって雰囲気がシリアスになってる。
たぶんに理緒さんはおそらくヤクザをやめた一後組から少しだけ援助受けて彼女は自分の店を始めたんでしょうね。
理緒さんはいちおうゆーしーの恋愛面のライバルであり年上なだけにちょっとえっち漫画だけに魅力的なひと。
漫画『二代目はこすぷれーやー』本棚にしまってた以前に買った四巻までと合わせて六巻ようやく並べられた。
読んでなかったからけっこう内容忘れてた(笑)。
ゆーしーがオンチなことやコスプレライバルキャラ杏ちゃん、なにより人妻なのに外見はロリキャラののさん(苦笑)。
時々、理緒さんはあらわれては慎之助さんと大人の関係してる。
もう少し物語が長かったらいろいろ描けたのではないかなと思う。
漫画『二代目はこすぷれーやー』の劇中特撮ヒーロー、ビートルーダーとヴィクト。
ビートルーダーは『仮面ライダーストロンガー』、ヴィクトは『仮面ライダーカブト』寄りでしょうか(苦笑)。
作品中でもたびたび語られてる(笑)。いかにヒロインのゆーしー(裕梨華)が好きなのかわかる。
ヴィクトはデザインだけならカブト。
作品中でも城茂(←まんまストロンガーと同じ(笑))演じる役者のイベントでビートルーダーとカブトの新旧ヒーロー共演があるところは『仮面ライダー』を彷彿とさせる。
イベント後に裕梨華と慎之助さんが城茂からサインをもらうところがまたいい(笑)。
いかにふたりがTVに救われヒーローからもらったモノが大きいかわかる。
去年の秋から放送された『トランジットガール』はやや大人むけの百合ドラマな感じだったでしょうか。
男性も家族も出てくる百合ドラマと言った雰囲気。
漫画『二代目はこすぷれーやー』の劇中特撮、超甲神ビートルーダーに少年ライダー隊らしき少年超甲親衛隊、またウルトラ五つの誓いのまんま五つの誓いがあるのは当時の特撮モノを彷彿させる。
読んでた時はそこそこ頭に入ってたつもりでもしばらく読んでないと忘れる(苦笑)。
歳か……。
俺に「我慢が大事」と教えてくれたのは、「さるとびエッちゃん」のサブキャラ、ブクのキャラソンである。
本は読んでないと忘れてしまいますかね・・・・・(苦笑)。
ここ数年くらいは小説をメインに読んでるから漫画を読むことはめっきり少なくなってる。
若い頃みたいに無我夢中で漫画を読んだり集めたりいうのしなくなった。
アニメや漫画のノベライズは気になってる本なら読む。
いやいや、いいんでないかい?小説は想像する漫画だと思うよ。それに、くだらん勢いだけの漫画、見なくて済むし(笑
歳食うと、そういうのはチト消化不良だし(笑
一昨日、放送された『ルパン三世』の絵柄は古いけど新しさを感じるキャラデザという感じ。
初期ルパンの漫画らしさを持たせてる雰囲気。
山寺宏一さん演じる銭形は優秀さはありながらルパンに振り回されるみたいな(苦笑)。
まだルパンが今回のヒロインと結婚式のところまでしか見てないけど。
全体的には良かった部類に入るのかな?
でも、終わり方にはもう一つ捻りが欲しかった。ヒロイン役のエピソードで終わる所が、何かカリオストロの城の二の線を感じてしっくりこなかった…。
初期の雰囲気がでてただけに、スッタモンダで終わって欲しかったのは俺だけ?(笑
まだ『ルパン三世 イタリアン・ゲーム』は途中ですね。
代わりに昨年、放送されたドラマ版の『エンジェル・ハート』こちらも途中まで見てます。
『エンジェル・ハート』はドラマなのに映画みたいな演出。
比較的、原作の渋さやアダルトさはドラマとして表現されてる感じ。
あ、それ観たよ。
中々良かったかな?
一つ、どうしても気になるのが、主演の上川隆也を見ると
NHKドラマの「大地の子」がフラッシュバックする事かな個人的な悩みです(笑
ドラマの『エンジェル・ハート』ざっと見ました。原作の雰囲気がほどよく出てました。
おしゃれイズムにシャンイン役の三吉さんが出てて『エンジェル・ハート』七話にしっかりおしゃれイズムの宣伝アドリブ入ってた(笑)。
上川さんは私は『遺留捜査』でしょうか。
俺も随分漫画読んでないなー。
単行本揃える程ハマったの、何だったかなー。
古いが「ちょびっツ」の設定は当時斬新だったなー。どちらかというと萌えてたが。(笑
浦沢漫画も読んでたなー。「YAWARA」も読んだが、どっちかと言うと「パイナップルARMY」が面白かったなー。
ちと前はやった「寄生獣」はダイレクトで読んでたなー。
「バジリスク」もそうだなー。
TV、映画化すると質落ちるねー、仕方ないけど…。
どっちかと言うと内容マニアックなのが好きなのかなー、俺。
いつの頃からか、漫画はほとんど読まなくなってました。
ブックオフにいくといちおう興味のない棚やコーナーを見るようにしてます。
だいたいは安く売られてる小説やノベライズなど買うようになってそこから興味や関心を少しずつ広げてゆくみたいな。
漫画は完結させちゃうとなにかさびしいのかもしれませんね。『ゆびさきミルクティー』という漫画を最終巻が目の前にあるのに二年くらい買わなかったです。
去年一昨年くらいに買ってから他の漫画もとりあえず完結しました。『二代目はこすぷれーやー』や『僕と彼女の×××(ペケみっつ)』など。
竹書房から発売されてる主題歌CD付属の世界名作劇場の文庫小説はようやく九冊。
まだ三分の一というところかな。
なかなかお目当ての『ペリーヌ物語』がない(>_<)。
『ペリーヌ物語』、世界名作劇場のなかの屈指の地味かつ感動ドラマ。
なかなか中古本ではお目にかかれない。
昨日、買ったのは『ふしぎな島のフローネ』でした。たぶんリアルタイムや再放送でも見てないと思うけど、竹書房の小説によると舞台はパプアニューギニア周辺の無人島だったみたいです。
無人島に漂着したフローネたちの一家の生活にちょっと感動した(涙)。
世界名作劇場はフローネぐらいまで観てたよ。
あのTV枠と別の「日本昔話」は当時欠かせなかったなー。
『Fate stay night』2nd シーズン 放送終わった。
1st シーズンの遠坂凛のツンデレぶりはおもしろかったけど扱いにくそう。2ndシーズンで苦難を乗り越えたからこそ人間が丸くなった感じする。
衛宮士郎が“答え”をなかなか出せないのは『仮面ライダー龍騎』の城戸真司そのまんま。
“正義の味方”を『Fate』の聖杯戦争であろうが他作品であっても難しいと思う。
いろいろ見た後で考えさせられる。
竹書房の世界名作劇場の『赤毛のアン』を読んでます。
アンは孤児という境遇から寂しさを見え隠れしますね。それをできる限りおしゃべりや空想することでまぎらわしたりマリラやマシュウに見守られながらだんだんと大人になってゆく。
ダイアナもまたアンの影響から強くなってゆく。
ギルバートについては、幼い頃にからかわれた経験からなかなか許そうとしませんけどだんだんと心を許してゆく。
世界名作劇場は人間ドラマとして人間の成長を描いてますね。
※一見さん、上げるためだけの書き込みはご遠慮ください。
世界名作劇場は、紆余曲折あれ、最後には爽やかな気持ちを残すね。強い自我だらけの昨今には一服の清涼剤ですなー。
『Fate stay night』あらためて見ると、あちこちに伏線が張られてるのわかる。
桜をギルガメッシュが見つめていたりセイバーが衛宮の名字に反応見せたりさりげなく深い演出がされてる。
原作知らないとわからないところ多くあるけどググるとそこそこわかってくる。
間桐桜役の下屋則子さんは妹系ぽい感じがよく似合う。
やっと『ルパン三世』終わった。
たしかにもうひとひねり欲しかったですね。
二時間弱でおさめようとすると物語的にはムリがいつもあると思います。
原作的な雰囲気をいまの時代に出せただけでもそこは評価したい。
ヒロイン、レベッカの執事さんに共感したかも(笑)。
『マクロスF』のミシェルと『Fate stay night』の間桐慎二が同じ神谷浩史さんとは・・・・・・。
片や二枚目スナイパー、片やワカメと称される始末(苦笑)。
アニメはむかしほど見てないにせよたまに声優ギャップを感じる。
『Fate stay night』はとりあえず終わったけど上田桂奈さんは『暗殺教室』の方にも出演されてる。
俺の好きな声優は増山江威子。
峰不二子、バカボンのママ、キューティーハニーの如月ハニー、パーマンのパー子、一休さんの母上さま、など。
どろろんさん、世代がわかりますね(笑)。
今日から『暗殺教室』の二期が放送だけど『ポケモンXY』とまた放送時間がかぶる。
『妖怪ウォッチ』がリアルタイムに追いついたと思ったらこれだ。
竹書房から発売されてる世界名作劇場の小説は読んでるだけである程度、脳内再生できる。
『私のあしながおじさん』『赤毛のアン』『トラップ一家物語』などはよく見てたせいか。
『私のあしながおじさん』のなかに『若草物語』がちょっとだけ出てきてる。
今年は『ペリーヌ物語』を手に入れたいけどどうなるやら。
何気にコンビニ行くと、販売促進の為にアニメキャラのオマケグッズがある。
ちょっと前は「妖怪ウォッチ」物が結構あった。
缶バッチ、クリアファイル、スーパーボールetc。
小学生の甥の為、せっせと買い集めました(笑
アニメをある程度勉強しないと、甥の会話について行けない…。
『妖怪ウォッチ』は私は食玩をちょっとずつ集めてます。
なにぶん地方なもので放送が一年以上遅れてからでしたから興味もつの遅かったです。
『妖怪ウォッチ』で好きなキャラはジバニャン、フミちゃん、ロボニャン、コマさんコマ次郎、ツチノコパンダなどですね。
甥っ子さんのためにアニメの勉強してるんですね。
甥がなかなかDSを貸してくれない。
「あー!そこを攻めるのに、そんな力技で!!」
などと、小学生相手に燃えてる自分をたまに反省。
気持ちが若い証拠と思います。甥っ子さんと遊んであげられるのも甥っ子さんがちいさいうちなだけです。
あっという間に子どもは大きくなりますから←というか独身の私が言うことではないですが(苦笑)。
『暗殺教室』二期は一期の最終回からそのまま物語つなげてた。
殺センセー、相変わらず生徒たちにげすなおせっかい。しかも肝試ししといて自分からはしゃぐ始末に笑えた。
渚くん、カルマくんらそれぞれ成長は垣間見えたけど二期ではどうなるやら。
『大草原の小さな天使 ブッシュベイビー』を読書中。
舞台はケニアのナイロビ。世界名作劇場のなかで数少ないアフリカを舞台にした作品。
リアルは寒い冬なのに『ブッシュベイビー』の世界はあたたかい暑いナイロビ。
アフリカのあたたかく広大な大地や野生動物などが伝わる。
また野生動物の保護や黒人差別など物語を通してさりげなく伝わるものある。
昨日の『やさしい人なら解ける クイズやさしいね』に漫画界の神様、手塚治虫さんのエピソードあった。
中国が無断で自身の作品を売ってるにも関わらずわざわざ中国の人たちが読めるように無償で直すなんてありえないことをする。
あれだけ多くの連載を抱えながらなおかつ海外向けに自身の作品を直すなんて驚異的。
忙しいなかでも編集者から逃げるために映画館などに行ったというエピソードあるからほんと天才は計り知れない。
手塚治虫さんは漫画はもちろんだけど小説になってるのも多くある。
楽天でググっただけでも『アトム大使』や『火の鳥』などある。
幼い頃は『鉄腕アトム』が好きでしたけど個人的にいま好きなのは『リボンの騎士』。
小説で持ってるのは数年前に購入した『手塚治虫cover』の二冊。
これには『鉄腕アトム』『リボンの騎士』などいくつかの作品が短編アンソロジーとして収録されて面白かった。
手塚治虫さんは幼い頃は偉大さはよくわかりませんでしたけど、中年なったあたりからじわじわときますね(苦笑)。
『リボンの騎士』はいまの時代にリメイクしてほしい作品と思います。
『天空の城ラピュタ』などジブリ作品も小説あります。
機会があったら読んでみたいものだけど、ここ数年ブックオフに読みたい本が出回らなくなってる感じする。
今夜は『魔女の宅急便』、ここ最近は録画したものが追いつかなくなってきてる。
う〜ん、歳かなと思う。気づいたらNHKを見てたり読書が多い。
春も冬もジブリ祭り。けどサマーウォーズなど細田監督作品が台頭してきてる感じ。
細田作品は現代的でありながらどこかふしぎなところある。
『妖怪ウォッチ』のフミちゃん、コマさんコマ次郎などの遠藤綾さんいろいろなキャラ演じてるみたい。
『ガンダムビルドファイターズトライ』にも出てたの知らなかった。
ベアッガイF(ママッガイ&プチッガイ)かわいい。
『機動戦士ガンダムF91』を見てると独身なのに主人公シーブックやヒロイン・セシリーの親の視点で見てしまう。
富野ガンダムもだんだん富野さん自身の視点もありますけど、“親”というものを考えさせられる。
富野さん自身が書いた初代から『V』までもまたアニメとちがう意味で家族については顕著にあらわれてる。
世界名作劇場の小説を読むと生きることの大切さが描かれてる。
いまの時代のアニメにないしみじみとしたよさ。竹書房の小説には主題歌CDが付属してるのもだけど、あとがきに世界名作劇場を見てた著名人が自身の半生と重ねながら名作劇場について綴ってる。
『鉄血のオルフェンズ』は労働者階級が反乱することをギャラルホルンは見越してた感じでいたたまれない。
フミタンさんが途中退場するとは思わなかった。
『ドラゴンボール超』は破壊神さまに兄弟がいて宇宙が平行世界になってたとは驚き。
海外での『ドラゴンボール』の同人誌でもパラレルワールドの悟空たちが平行宇宙での天下一武闘会する物語あった。
『暗殺教室』二期二話、Aパートはカエデちゃんのスィーツ好きからの暗殺話、Bパートは殺センセーに下着ドロの疑惑かかるもついにイトナくん登場。
早見さんや不破さんも台詞あり。不破さん(植田桂奈さん)相変わらずメタフィクションな発言目立って笑えた。
なかなかカキコ出来なくてゴミン。
生活リズムが変わってね(笑
…ガンダムは未完成型のジオングが好き…。
どろろんさん、こんばんは。
いつでも好きな時に書き込みしてください。
私もちょくちょくむかしのアニメやラノベなど書き込みして話題しますから(笑)。
ベアッガイF(ファミリー)は可愛いです⊂(^(工)^)⊃。
ひさしぶりにラノベ『神様家族』を読むと人間や神様、悪魔とはなにかちょっと考えさせられる。
主人公の佐間太郎とテンコちゃんの前世?らしい物語が七巻では触れられ佐間太郎が神様になるための試験でもある。
前世と現世がパラレルワールドなのか、ひとそれぞれ生きてる“時間”がちがうのかわからないけど生きている。
神様家族はふしぎな作品。
世界名作劇場の竹書房の小説を読むと劇的な表現は少ないけど、実写映画だと山田洋次監督作品に近い現実的かつ自然な描写という感じします。
直接的にアニメを見てなくても情景が思い浮かぶ感じします。
未完成型のジオングいいですね。
むかし子供の頃にガンプラにハマりましたけど私は不器用でしたのでほとんど作らずじまい、トホホ。最後は結局、中古品で買い取りしてくれるお店に売りました。
世界名作劇場で「母をたずねて三千里」ですが、昔からの疑問が一つ。
あれから時が経ち、マルコはフィオリーナとどうなったんだろう…?気になる…。
ごぶさたしてますどろろんさん。しばらく書きこみができませんでした。
あいにく私もむかしのアニメはわからないことはありますのでご自身で想像してみてはいかがでしょうか。
はい元気でした。
懐かしいアニメの話題など限られると思いますが、つい最近読んでたのは角川書店の重松敬という人が書かれた小説『鉄人28号』です。しばらく読んでなかった本ですがアニメ第一作や第四作同様に戦後を舞台にした時代背景で内容が深い本です。
戦後の動乱のなかロボットを悪用する悪党を倒す鉄人28号、金田正太郎、協力する大塚署長に敷島博士。おなじみの面々が活躍します。
“空想科学小説”と銘を打たれむかしのSF小説に近い雰囲気あります。だけど、内容は先にも書きましたが深いです。鉄人28号と共に母親の胎内にいる時から学習された正太郎の生い立ち、この小説では少年探偵として活躍するまでの間は孤児院にいたこととなり悩み葛藤があったことになっています。
また鉄人28号のライバルロボット、ブラックオックスやオックスを作った不乱拳博士も登場します。ちなみに不乱拳博士にひとり娘レナーテが登場し彼女もまた戦争が生み出したとある存在になっています。ネタバレは控えますが。
ブラックオックスによって東京タワーが破壊されますが映画『Always 三丁目の夕日』とは真逆に書かれてる感じがして戦後を引きずってるのが重い感じが痛切にします。
ラストは鉄人28号と正太郎、ブラックオックスと不乱拳博士とレナーテがぶつかりあいますがラストは感動的な描写が待っています(涙)。
“空想科学小説”の銘に恥じない本となっていると思います。おすすめの一冊です。
夕方のニュース放送時間が早くなってまたアニメの放送時間変わった。
地域ローカルなせいか。
『暗殺教室』(二期)は深夜になり←普通か(゜o゜)\(-_-)、『ドラゴンボール超』や『妖怪ウォッチ』は平日の昼すぎとやや変動。『ポケモンXY Z』は日曜早朝、『ドラえもん』は平日の朝という時間。
なんともニュースの時間に振り回された感じ。
『機動戦士ガンダム00』のノベライズ数冊に『ゲゲゲの女房』を買った。
『ガンダム00』は意外に展開が早いことに気づく。『ゲゲゲの女房』は水木しげるさんの奥さんの苦労がドラマ同様にうかがえた。
本棚から漫画『ニ代目はこすぷれーやー』を出して読んでるけどけっこう好きな漫画のひとつ。
ちょいエロな大人な漫画でマイナーと思うけど。
ヒロインのゆーしーが夢中になってるのはコスプレと劇中特撮作品の『超甲神ビートルーダー』と『超甲神ヴィクト』。
『ビートルーダー』と『ヴィクト』はほんと『仮面ライダーストロンガー』と『仮面ライダーカブト』にしか見えない(苦笑)。
全六巻ですからもう少し長く連載して欲しかった。けどところどころにオタクの生き方が難しいという壁に突き当たる描写はリアルに共感する。
五巻でゆーしーに恋してるタクくんが姉が上京してきてオタクをやめるか否かで悩むところは誰もがおなじなんだと思う。
『ガンダム00』の小説を読むと刹那たちソレスタルビーイングは当初から矛盾がありながら行動してるのわかる。
“戦争根絶”のための“武力介入”という矛盾。
また“戦争根絶”という信念がグラハム・エーカー、パトリック・コーラサワー、セルゲイ・スミルノフ(渋い!)、そしてヒロインたるマリナ・イスマイールや一般人たる沙慈・クロスロード、ルイス・ハレヴィなどに問い関わる。
多くの矛盾は最終的には劇場版で人間からイノベイターへ進化した刹那に昇華されいくけど。
物語の間々で問われてゆく描写は読者にも伝わる。
『ガンダム00』は小説を読むと徹底した描写されてるの伝わる。
三国家群が未知なるガンダムとソレスタルビーイングに脅威や畏怖を感じながらガンダムを滷穫しようとする。だけど、三国家群はことごとく敗退してゆく。
一方でソレスタルビーイング側もプラン通りに進まなくもなる。組織を構成してる刹那やアレルヤ、ロックオン、ティエリアなどが感情や気持ちで動くことでテロと戦いながら一方で人命救助など組織にとってイレギュラーと思える行動をしてしまう。
ただ刹那が自らの生い立ちをマリナに語る場面などは短いながらも苦悩がうかがえる。
一方で沙慈やルイスたち一般人物がリアルに我々、日本人の姿であるかのように投影されてもいる。
暗殺教室(二期)はなんだか熾烈を極める感じ。
バクマン。もだけどいまの時代にも少年ジャンプのテーマ『努力・友情・勝利』はいまもあるみたい。
殺センセーが先生になったきっかけや正体、シロの正体、カエデの正体などそろそろ明かしてほしいもの。ドキドキ。
暗殺教室はしっかり伏線を張りながらあんがい早いうちに回収してるパターンある。
わかりやすく描かれてるのが原作を読んでなくても伝わるつくりになってる。
いま読んでる漫画は『ジャイアントロボ 地球が燃え尽きる日』と『ジャイアントロボ バベルの籠城』。
横山光輝キャラが総出演してる作品。基本的な構成はオリジナルビデオアニメ『ジャイアントロボ 地球が静止する日』と同じながら漫画ならではの表現を自由にしてる。一部キャラ位置は異なるけど。
『地球が燃え尽きる日』のカナーリの牢獄編の豹子頭・淋中と白昼の残月、そしてお銀ちゃんの退場は感動もの(;-;)。
ドラグネット博士と超人間ケリーの父子もまだ涙。
『バベルの籠城』では本来、敵対してる十傑衆に守られながら『地球が燃え尽きる日』ではわからなかったロボを放棄するキーワードを大作が思い出してしまう。
いろいろ突っ込みどこはあるけど考えなしに読んだ方がいい漫画と思う。
『機動戦士ガンダム00』の小説をいま読んでるけどアリー・アル・サーシェスは刹那、ロックオン兄弟(ニール、ライル)に因縁を持ち作品内でも強敵だった。
だけど声優さんは『クレヨンしんちゃん』のひろしパパの藤原啓治さん。
声は脳内再生しやすいけど複雑。
『ガンダム00』の小説を読むとソレスタルビーイングの人たちは憎まれる覚悟で世界をひとつにし戦争根絶を目的にしようとしてるの伝わる。
一方でアレハンドロ・コーナーとリボンズ・アルマークの思惑で時代が加速度的に動いてしまう。
チームトリニティが本当に必要だったか疑問に思う。
三国家群がひとつになろうとしてるのはソレスタルビーイングにとって誤算だったのもある。
だけど沙慈やルイスのような者、戦争孤児たちがうまれたのもまた事実。
スメラギにしてもファーストシーズンからセカンドシーズンまでで過去の過ちを繰り返して酒に浸る。そんな意味ではスメラギはリアルな女性。
セカンドシーズンでようやくカティ・マネキン(声優は名探偵コナンの高山みなみさん)は気づく。
グラハム・エーカーとパトリック・コーラサワーはなんだかんだで名言が目立つ(笑)。
カタロン、アロウズ共に『ガンダム00』の小説読むとどちらもひどいもの。
劇場版『ガンダム00』の小説の冒頭では映画『ソレスタルビーイング』のなかでは互いに加害者被害者であるがやり過ぎたのはアロウズ。
カタロンが戦災孤児を保護するのはおそらく正当性を示すためのものでもあり、かつての刹那のように戦士にならないさせない意図もある。
『SEED』以降はガンダムシリーズの中東を舞台にした描写や演出は多々ある。
カタロンがマリナや戦災孤児を保護する意味合いは大きい。大義名分もあるのもうかがえる。
ソレスタルビーイングを憎む沙慈やルイスの気持ちもあながち嘘ではないもの。考えさせられる。
だけど刹那たちの言葉“戦っても人は死ぬ”“戦わなくても人は死ぬ”という言葉は胸に重く響く……。
ソレスタルビーイングもカタロンも絶対的な正義ではない。
マリナがセカンドシーズンのラストでカタロンについてすべてを明らかにする行為はやり方を間違えたら連邦や世界から糾弾される行為でもあった。だけど新たな連邦政府の政策はそれを追及するものでなくカタロンであった者たちを受け入れ融和政策をとってゆく。
それでも劇場版『ガンダム00』においてソレスタルはひと知れず世界と戦う姿勢を続けてる……。
読むたびに何か考えさせられる……。
劇場版『ガンダム00』の冒頭の映画『ソレスタルビーイング』はソレスタルビーイングを戯画化したものらしいけど。
小説のなかでもいろいろなオマージュを散見できる。
だけど、沙慈にあたる人物は映画『ソレスタルビーイング』に登場してないのはほんとのことが世間に伝わってないから。
そんなところがむしろリアリティあると思う。
けどセカンドシーズンから劇場版までの間にもソレスタルビーイング自体はひそかに世界と戦っている。ガンダムは表だって出せないけど。
未知なる地球外生命体とのコンタクトはSFや現実に宇宙に携わる人たちにとってひとつのテーマ。
『ガンダム00』の小説を読んでるけど『ガンダムW』と似てるようであんがいちがうところかなり多い。
どちらも主人公側がテロ側として書かれてるけど理念や行動の仕方もまたちがう。
『ガンダムW』だとヒイロとリリーナは早く出会うけど『ガンダム00』では刹那とマリナは出会うまでに少し時間ある。
なによりアレハンドロ・コーナーとリボンズが世界の裏側から三国家群を巧みに操り暗躍してる。
ルイス・ハレヴィが気の毒でならない。
またセルゲイ・スミルノフ、アンドレイ・スミルノフの父子関係も母親のことで確執ある。
『ガンダム00』で“神”というのもひとつのキーワードになってる。
“神”という言葉の持つ意味合いや受け取り方しだいでは少年時代の刹那のようになにも知らずに過ちを犯してしまう怖さ。
『ガンダム00』のマリナ・イスマイールの声優は垣松あゆみさん。『鷹の爪』でも名前ありました。
リアルタイム時はおぼえてたのに数年経ったらあんがい忘れてる。
刹那とマリナは恋人同士というよりは互いに生き方や方法は違えど生き方や在り方、平和を思う心は同じだったと思う。
刹那の生き方が戦争に染まりすぎてたのもある出会った当初は過去に引きずられたところもある。またマリナもアザディスタン以外のこともよくわかっていなかったずれがあった。
アレルヤとソーマ・ピーリスの人革連の超兵のこともアレルヤやソレスタルビーイングが介入しなければ彼らのような存在が再び生み出されることになったはずだし。
ロックオン(ニール)へのテロへの憤りは現実でテロの被害にあった人々と変わらない。これは後の沙慈やルイスも変わらない。
ルイスはアロウズに入隊しリボンズにイノベイターへの進化の実験体にされたし。
ルイスの声優は『ケロロ軍曹』の夏美役の齋藤千和さん。『マリア様がみてる』の真美でもある。
竹書房の世界名作劇場の『ペリーヌ物語』は読んでみたい。
あの地味なまでに地味な物語(ほめ言葉です)、父親を冒頭に既に亡くし母親も旅の途中で亡くしながらもひたむきに旅するペリーヌ。途中の旅のなか悪い人もいますがいい人もいる。
また念願のおじいさまに会えてもペリーヌはあえて自らの素性を語らずまたそれとなく才があるからおじいさまを囲む会社の悪い人たちにも目をつけられる。が、また救う人たちもいる。
『ペリーヌ物語』はキャラデザインの線はけっして多くはないけどキャラから人間性が伝わるからふしぎ。
声優の大平透さんが亡くなられました。
スーパー戦隊初期シリーズのナレーションやハクション大魔王、喪黒福造など味のある声の方でした。
『伝説巨神イデオン』はテーマが壮大。互いに地球を故郷とする異星人同士が偶然を装った必然からソロ星で出会ってしまう。
似たような文化や慣習があってもイコールそれが理解にいたるわけでもない。互いに地球人同士でありメンタルも似通うのに。
『機動戦士ガンダム』では“わかり会える”としながら一転『伝説巨神イデオン』では“わかり会えない”という。
富野由悠季さんの作品は『海のトリトン』から『機動戦士Vガンダム』の頃までは人間の業を引きずってる。
『伝説巨神イデオン』のノベライズを読むと地球人とバッフ・クランがソロ星で互いに出会うというのは偶然とは思えないものある。
そもそも宇宙レベルで地球人と同じようなメンタル、容姿、政治形態、科学レベルが若干の違いはあるにせよほぼ同じレベルで生まれるものなのか。
現実の宇宙研究でも地球と同じ生命が生まれるのはそれこそ天文学的確率かもしれないけど。
“イデ”が起こした奇跡。だけどその奇跡が互いに好意的接触をもたらさなかった悲劇。
イデオンはテーマが壮大すぎるけど日本のアニメはほんの数年で飛躍した事実でもある。
『伝説巨神イデオン』のノベライズをあらためて読むとなまじユウキ・コスモ、ジョーダン・ベス、カララ・アジバらソロシップのメンバーたちは生きるのに必死ななかイデオンとソロシップから得られる答えを見つけようとしてゆく。
なぜソロ星の第六文明人が滅び自分たちは生きてられるのか。謎は仮定やIF(もし)というままをある程度、断定し結果から基づいて答えを出してゆく。
また追うバッフ・クランにしてもバッフ・クランに伝わるイデの伝説から少しずつイデオンとソロシップの謎を追ってゆく。
そのなかでソロシップのクルーたちはカララを受け入れギジェは戦いのなか敗北してゆく。
もし地球とバッフ・クランが理性的な出会いをしてたら理想的だったと思われる……。
ハリウッドのスパイダーマンを見るとむかしの東映版スパイダーマンを思い出してしまうのは世代でしょうか。
たぶん私が見た頃は再放送だったと思うけどアナログな特撮ななかスパイダーマンらしさがよく出来てたと思う。
戦隊ロボの原点ともされるレオパルドン、いまだに格好いい。
『ガンダム00』に於いてのアザディスタン王国のマリナとマスード・ラフマディの改革派と保守派の対立というのも国の存続においては必要だったと思われる。
ありきたりだけど互いが議論して戦うことで意思が清廉や統一されていくこともある。もちろん中東という情勢を鑑みてもテロや武力対立に至ることもあるけど。
だけどマスード・ラフマディ、このひとはサーシェスたちにとらわれながら施しを一切受けない姿勢は驚嘆に値する。
マリナの回想や刹那に助けられてからくらいしか台詞はないけどマリナや国に影響力ある人物とうかがえる。
改革派や保守派の対立は時には国や国民には必要なこと。国民自身が考えるきっかけにもならないといけない。
マスード・ラフマディは政を司る者として国の礎になる信念はあったかもしれない。
つい最近までNHK・Eテレで放送された『ラブライブ!(一期)』の一話と二話を見たけどほんと『ガンダム』シリーズを作ってるサンライズが作ったと思えない(苦笑)。
どちらかといえば京アニの『けいおん!』寄り。
たまたまNHK・Eテレの『ラブライブ!(一期)』の放送時期が『鉄血のオルフェンズ』とも重なってからなおさらかな。
はたして今年の紅白歌合戦は水樹奈々さんは復活なるか。あるいは別なアニメ枠があるのか?←まだ四月だから気が早い(゜o゜)\(-_-)。
NHK・Eテレで放送された『ラブライブ!(一期)』はあらためて見たらそれぞれのキャラは丁寧に描きわけ演出されてる。
ちょっと『けいおん!』に似てるところもあるけど(苦笑)。
ラストでことりちゃんが留学する時にそれまでの初期三人の結束が離れていくところはシリアス。ちょっと考えたりちゃんと最後にまたくっつくところは感動した。
生徒会長の絵里さんも彼女なりに考えや悩みあったり魅力ある。
いまマイブームなのは本だけど『ゲゲゲの女房』。
武良布枝さんを通して水木しげるさんや妖怪たちが見えてくる感じ。
去年、水木しげるさんが亡くなられてその関連の番組もいくつか放送されましたし。
妖怪が生きにくい時代かもしれないけれど。けどけっして妖怪がいないのではなく人間に見えにくい世の中になったと思います。
あとはNHK・Eテレで放送された『ラブライブ!』の一期。現在、二期が放送中。ちょっとずつ見てキャラや世界観がわかってきた感じ。
まちがえて食玩トピにカキコしてしまった。
年末に放送された『きかんしゃトーマス』あんがいよかった。
『ソドー島の冒険』、ふだんのテレビシリーズと変わらない雰囲気ながら新しい仲間ゲイターが加わったり仲間を助けるためにがんばったり化け物の正体が実は恐竜の化石だったりあんがいあちこち見所ある。
あと最近、放送された『トムとジェリー』。
『シャーロックホームズ』や『オズの魔法使い』などとクロスオーバーしながらいつもの“仲良くけんかしな♪”の雰囲気。
昨日、久しぶりにガッチャマンの『ガッチャマン対タートルキング』を見た。
タートルキングの迫力ある破壊場面やG5号へと合体してゆくG1号からG4号、そしてゴッドフェニックスへと変形してゆく。あらためて見ると70年代のアニメとは思えないくらい精密な演出。
またタートルキングに潜入してからギャラクターとの生身でもよく見たら膝で蹴りを入れたり羽手裏剣が肩に食い込んだりと生身の戦闘場面も細かい演出されてる。
けど第一話ではタートルキングの頭部とボスを逃してる。
科学忍法火の鳥で危機を脱したところで一話は終わってる。
それでも一話の間に当時としては凝った演出してる。
NHKでアニメの聖地で町おこしのニュースしてる。
何年か前の『クローズアップ現代』でも拝見したことある。
アニメはだいたいフィクションの街が舞台だけどたとえば『ラブライブ!(一期)』を見たけど実際の秋葉原でロケハンしたのわかる。
『暗殺教室』二期、茅野カエデの正体をきっかけに明らかになる殺センセーの過去。
殺すことではないモノを得た殺センセーこと本物の死神が得たモノ。
ほっといても死ぬという殺センセー。その時に地球を道連れにするかあるいは……。
『レッツ!天才てれびくん』でも去年、亡くなられた水木しげるさんと水木しげるロードに触れられてた。
ちゃんと原作の『ゲゲゲの鬼太郎』からてれび戦士を鍛える妖怪の問題がいくつか出されてたけどそこにも水木しげるさんからのテーマがそこかしこにあった。
荒俣宏さんだけでなく佐野史郎さんとも交友あったんだ。
漫画『新仮面ライダーSpirits』の一巻と二巻を購入。
テレビ版では藤岡弘、さんが事故に遭われた背景あって途中から2号ライダーこと一文字隼人が唐突に現れた感じだったけど漫画の方では大人の事情に触れられず旧1号編の13話と旧2号編の14話をつなぐ物語になってる。
しっかり緑川ルリ子に触れられてるのは石ノ森さんの漫画版では彼女は唐突に消えましたけど、村枝さんはテレビ版を踏まえてしっかり描かれてる。
『ウルトラセブン』『仮面ライダー』が生まれた時代背景を考えると他国の戦争があったうえでの戦争に間接的に協力してる当時の日本の背景がうかがえる。
市川森一が書いた『私が愛したウルトラセブン』でも現在、連載中の『新仮面ライダーSpirits』でも当時の現実の背景が垣間見える。
『ウルトラセブン』でもセブン=ダンはたびたび宇宙人と地球人の間で揺れながら地球人の味方をしてしまった。ノンマルトの回などはそれが後々、パラレル的とはいえ『平成セブン』まで尾を引いてる。
『仮面ライダーSpirits』『新仮面ライダーSpirits』にも昭和の時代背景を背負いながら10人の仮面ライダー、立花藤兵衛、滝和也などがバダンを相手に戦ってる。
『新仮面ライダーSpirits』の二巻で仮面ライダーに思い入れある人たちが座談会してましたけど気持ちはわかる。
大人になってから私が好きになった特撮ヒーローは『ミラーマン』。以前、ケーブルテレビで何度か見て好きになった円谷プロマイナーヒーロー。
近年はウルトラマンゼロなどの効果でだいぶメジャーになった感じはある『ミラーマン』。
初期のSGMがインベーダーを捜査・調査するという防衛チームというより調査チームな雰囲気とミラーマンの銀色とわずかに緑や他の色があるスタイリングがなんとも言えない。
ミラーマンの鏡京太郎もまたウルトラセブンのモロボシ・ダンに似た孤独な寂しさもまた魅力ある。
漫画『新仮面ライダーSpirits』のあとがき取材で旧2号ライダーが懐かしのテレビ番組だとあんがい決まって一文字隼人が初めて変身する場面がオンエアされる。
本郷猛(藤岡弘、さん)はだいたい旧1号か新1号と思われる。
佐々木剛さんの初めての変身の時は漫画のあとがきにもあったけど殺陣と監督のたぶん打ち合わせが合ってなかったんでしょうね。
むかしの特撮モノはテコ入れで設定や演出変わるというのはあった。
『仮面ライダーSpirits』の13巻、15巻買ったけどこの時点でもバダンの侵略は凄まじい。
昭和ライダーは泥臭く汗臭いけど“男”を感じる。
けどV3、風見志郎のベルトのダブルタイフーンが破壊されてライダーマン、結城丈二はバダンに寝返る。結城丈二の行動は何らかの意図あるはず。
だけど『仮面ライダーSpirits』の世界ではライダーマンは1号からZXまでのライダーのなかでイレギュラーとなっている。
つまりは大首領JUDOが甦るまでの改造人間素体ではなかったということ。
もっとも1号〜スーパー1という進化の過程を繰り返してもこの時点ではJUDOは仮面ライダーの能力でしか使いこなせずZX、村雨良に敗北してる。
あとがき取材で生前の城茂役荒木茂さんの取材コメントあったけど昭和仮面ライダー役者さんはみな立花藤兵衛こと小林昭ニさんを慕ってます。
またバイクアクションや危険なスタントアクションなどをこなすライダー役者。
リアルに凄すぎ!
緑川ルリ子を演じた真樹千恵子さんは『仮面ライダー』だと陰がある女優さんという評価あってそこがまたいいというのもあるけど漫画『新仮面ライダーSpirits』だとやや今風にアレンジされてる。
若き日は本郷猛との誤解が解けて密かに彼に恋をしながら本郷猛(仮面ライダー)に力を少しでも貸したいと願う。
映像よりも少女らしくぽく描かれ、『Spirits』本編では眼鏡をかけながらも大人として魅力を持ち“仮面ライダー”に理解を示す女性として描かれてる。
アマゾンライダーやかつてのモグラ獣人とも親交のあった岡村マサヒコ、彼も成長した姿で描かれてちょっと感動した。
『妖怪ウォッチ』の妖怪オクライリの回、放送コードにひっかかる(苦笑)。
トランスファーマーはいろいろな事情あるから無理だし。
時おり、妖怪ウォッチは大人の事情を踏まえてあぶない(笑)。
妖怪なことに基本的にかわりないけどロボニャン(F型)やUSAピョンなどは妖怪だけどSF的要素、本来の妖怪はひとに迷惑をかける妖怪たち。
被害者は主にケータくんだけど。
『妖怪ウォッチ』はすべての世代がオールマイティに見れる楽しさある。
水木しげるさんとは対極なところあるけど重なるところもある。
空中戦を展開したら歴戦のパイロットゼロ戦はやと、と飛行訓練の短いニュータイプのアムロのコアファイターと、陸海空宇宙飛行可能なチャージマン研のスカイロッド、どれが強いですか?(´Д` )
『妖怪ウォッチ』、ロボニャンのエピソードはなぜか変態系かちょっと恥ずかしいエピソードな時があるような。
からくりベンケイの時は身体をいじられケータくんのお買い物エピソードの時はなんの役にも立ってない(苦笑)。
キャラやデザインは格好いいのに。
ロボニャンF型登場の時は新旧対決で面白かった。
明石家さんまの『ホンマでっか!?TV』でまさかのパラレルワールドが先生方から出るとは思わなかった。
ウルトラマン、仮面ライダー、トランスフォーマーなどでは近年はパラレルワールド式に話を展開してゆく。
それぞれ異なる宇宙や地球を舞台にしてゆく。
『仮面ライダーディケイド』は制作側から二次創作してゆくことでオリジナル世界の五代雄介クウガとリ・イマジネーションの小野寺ユウスケクウガのように分けられる。
トランスフォーマーは徐々に世界観ができてゆくなかで整理されていった感じ。
G1世界とマイクロン三部作の世界は似たところもありながらまた異なる。
トランスフォーマーの利点はユニクロンやプライマスなど神的なトランスフォーマーがいることであんがい便利。
パラレルワールドは藤子不二夫作品にも見られる。『ドラえもん』は頻繁にある。もしもボックスで魔法が使えたりちょっと法律がちがったりささいなことだけどお手軽にSFしてる。
藤子不二夫短編集などにもブラックユーモアや価値観が逆転した世界などにも見られる。
昭和ライダーでZXはたしかに不遇。
けど多く書かれる機会が少ないから逆に多く描けるというのも納得。
真・仮面ライダー(シン)も不遇だけど。
『仮面ライダーSPIRITS』は10人ライダーとそれに関わる人たち、そしてオリジナルキャラを交えながらそこにZXを主役に据え放り込む。
村枝賢一さんはあちこちから設定や物語を詰め込むから凄い。
ライダーマンはこの作品でいまの人気になった点もある。結城丈二が『V3』本編のプルトンロケット自爆から『五人ライダー対キングダーク』までの過去補完は見事だった。SICの小説でも補完されてたけど。
ショッカーからジンドグマまでの組織が日本全土を襲う。四国は『V3』のテレビと劇場版からのことから再びデストロンに襲われる。
ちなみに『BLACK RX』でも瀬戸大橋関係でクライシス帝国に四国空母化計画で襲われてもいる。
V3・風見志郎がJUDO相手に戦った直後に戻ったのが高知城というのもテレビ、映画を意識されてる。
だけどすべての能力を解放し破損したダブルタイフーンはこの時点では修復不可能。
昭和の仮面ライダーは血にまみれても戦い続けるのは伝わる。
けどスカイライダー・筑波洋の回復がわずか六日というのも凄い話。
昭和ライダーでリアルタイムで見たのはスカイライダー、スーパー1。再放送で第一作とアマゾンは見た思い出ある。
『暗殺教室』二期、殺センセーを殺す派と殺さない派をきれいにまとめるところが『暗殺教室』らしい。
“暗殺”を通して描かれる先生と生徒の在り方。
クラスメートがそれぞれ意外な一面を持ってたり自分の在り方や将来を超生物殺センセーを通して学ぶ。
さりげなくギャグをはさむし(笑)。
ラブライブ!(二期)のにこちゃん主役回はあの話は一部メタフィクションという意味もあったんじゃないでしょうか。
冒頭がそもそも穂乃果ちゃんのまぎらわしい夢オチ。
そして本来なら出場決定でよろこぶはずのにこちゃんの練習を休むという謎の行動。
逃げるにこちゃん追う八人。というか屋上でいないのに気づかないのも問題あるような気が……orz。
にこちゃんを見失うもそっくりなこころちゃんに出会いそして聞かされるバックダンサーu’s(笑)。
矢澤家では妹弟たちにはにこちゃんこそがスーパーアイドルという事実。
ポスターの貼り変えというさりげなく見える努力。
なにげににこちゃんというキャラを通して見るアイドルの夢と現実の境界を見てるかのようなお話。
妹弟たちの世話を見ながらひとり部屋にたたずむにこちゃんの姿は夢であり現実のような重ね合わせ。
家でどう自分を語ろうがそれもまた嘘ではない。ホームドラマなどでもありますから。
しかし、その次の凛ちゃん主役回の新しいあたしの回でも予告詐欺をするとは。ラブライブ!おそるべし(爆)。
声優の水谷優子さん亡くなられましたね。
ちびまる子ちゃんのお姉さん役を長く演じられてました。
むかし『アニメ探偵団』というラジオを聞いてましたしガンダムつながりでSDガンダム(OVA)の歌も歌ってました。
ご冥福をお祈りいたします。
懐かしのアニソンというCDを購入。
収録されてるのは『魔法使いサリー』『リボンの騎士』『アタックNo.1』『あかねちゃん』『ひみつのアッコちゃん』『ふしぎなメルモちゃん』『昆虫物語みなしごハッチ』かな。
お目当ては『リボンの騎士』だったけどメロディが豪華な感じした。だけど歌詞は繰り返しだった(苦笑)。
『魔法使いサリー』はマハリクマハリタ♪のくだりはなつかしい。『アタックNo.1』は泣ける(涙)。『みなしごハッチ』も泣ける。
『ひみつのアッコちゃん』はむかしクレーンゲームの景品でCDあったからそれでかなり聞いてた。
『暗殺教室(二期)』19話、よもや宇宙にまでいくとはスケール凄すぎ(爆)。
殺センセーの存在で現実世界とはちょっと宇宙開発の角度や開発が『暗殺教室』の世界では違ったように思われる。
だけど、烏間先生がいちばん気苦労絶えない。まさに中間管理職の扱い。
けど渚くんやカルマくん、カエデちゃんたち生徒は殺センセーによって得るモノは多くあります。実にうらやましい(笑)。
つまらない質問するなら質問トピやYahoo!知恵袋にいってくれません?
つまらない自己満足を満たしないならよそでやってくれません。
ここは私のトピです。申し訳ありませんがまわれ右をお願いします。
ついでに言いますがご自身で考えてる時点で“答え”はすでにあなたの“頭”にありませんか?
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