風人 2014-11-27 06:43:01 |
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『ガンダムW』小説四巻目に突入。
内容的には三巻がもっとも内容が濃いんだけど四巻目はリリーナと完全平和主義国サンクキングダムが舞台になるのは好き。
“平和”というものをヒイロ達五人のガンダムパイロットも迷い考え、ゼクスやトレーズもまた動きだす。
三巻までの間でデュオはヒルデとの出会いや復活したデスサイズヘル、五飛もまた新たなアルトロンガンダムで戦いにおもむく。
ウイングゼロはトラントを含めてデュオ達ガンダムパイロットの間をさ迷う、主役機体なのにorz
戦いを追求するゼロシステムとリリーナの完全平和主義、トレーズによるエピオンの投入など。
『ガンダムW』の時代は混沌とし戦いが激しさを増す。
『ガンダムW』小説は五巻。
四巻でリーブラがホワイトファングに乗っ取られるのはあっという間(笑)。
モビルドールをテスト中にツバロフ技師長はトレーズから“人間を愛せ”という言葉(警告)を受けてたのにあっさりリーブラを奪われ自らも捕らえられる有り様。
この辺『ガンダムW』が人間同士の戦いを書きながら人が戦争する意味や問題提議をしながら問うという感じもします。
サンクキングダムは事実上崩壊しリリーナはロームフェラ財団の女王へ、地球や宇宙から集結してゆくヒイロ達ガンダムパイロットとノインやサリィ、ハワード達支援者。
対立の図式が地球と宇宙へとなり地球圏全体が最後の戦争へなる。
『Fate』は雰囲気は『仮面ライダー龍騎』に似てますね。
なにぶん最近の作品はわからないもので・・・・・orz
でも聖杯をめぐる戦いやかつても戦いが行われたことなどは『龍騎』が実はパラレルワールドによる戦いが続いてたのにも似る。
『Fate』が面白いのそれぞれの人物の背景や契約者も戦う力が備わって契約者やサーヴァント(でいいんでしょうか?)でそれぞれがやられてはいけない。
HDDに録画したのをいま見てる最中なんで基本的な設定や人物、作品世界を勉強中でまだ理解はしてません(>_<)。
植田桂奈さん演ずる凛はいろいろ複雑な境遇や性格で一見、難ありそうだけどツンデレで可愛らしいように思う(笑)。
『∀ガンダム』の小説を再読中。
作品内では地球上の描写はアメリア大陸中心に書かれてたけど作品冒頭にはロランたち以外にもいくつかMSフラットが地球に降下したけど彼らはどうなったのか。
たぶんアメリア大陸以外にもフラットで降下した献体のムーン・レィスはいたはずだけど彼らはどうなったのか?アメリア大陸と敵対してるはずの東のガリア大陸に降りた人たちもいるかも知れないけど。
ちょっと謎ですね。
ガリア大陸のこともあくまでグエンたちアメリア大陸にいる人たちの口から語られてるだけだし。
『∀ガンダム』の小説、角川版ですけどいくつかアニメや映画の部分は端折られてますがいちおうはアニメ版に沿ってますね。
四巻目には黒歴史に封印された核兵器の恐怖がまざまざと記されまた宇宙を体験したことないグエンやシドじいさん達の顛末などありバラエティに富む。
ふたりのディアナ、キエルが明かされてロランやソシエ達は戸惑う(笑)。
いつか『∀ガンダム』が新訳として製作された時にSEED以降やSDガンダムなども内包してつくってほしいものです。
再び黒歴史が明かされた時にロラン達はどう受け止めるか見てみたいです。
『∀ガンダム』の小説本編全五巻もおもしろいけどエピソーズの方が読みやすい。
本編のサイドストーリーにあたる複数の物語が綴られてる。
『∀ガンダム』全体もですけど世界名作劇場に通じるほのぼのした雰囲気や第一次産業革命に似た時代の雰囲気や人々。その辺が他のガンダム作品にないところ。
小説エピソーズでのサイドストーリーはそんなところが短編ながら丁寧に綴られてる。
ロラン達が地球にくる前の物語、地球に降りてからロランの友達フランやキースの苦難と悩み、地球人とムーン・レィスの混血であるキャンサー達、旦那を亡くしたハイム夫人の物語、小説本編で活躍なかったリリ・ボルジャーノ嬢の戦後のしたたかなお嬢さまぶりなど。
サイドストーリーは人間模様として綴られてるからあまりガンダムという雰囲気しないのがおもしろい。
『∀ガンダム』から『SEED』の小説読むと文章表現にちがいがあるせいか違和感がある。
『∀』の小説は詩情的なところあるけど『SEED』は当時のSFの雰囲気がふんだんにある。『Destiny』もですけど(苦笑)。
『SEED』でキラくんがコーディネーターでも中身はふつうの十代に等しい一面もあります。アスランや同胞と戦うつらさ苦しさそれが戦うたびに序盤の彼の胸中を突く。
『∀』の小説ではロランはムーン・レィスと戦う苦しさが逆にわかってしまうのがヒロインのソシエであり彼女は姉殺しの過ちを犯してしまう。
ガンダムシリーズはどうしても人の過ちを書きながらその思いや痛さを伝えるところはあります。
『ガンダムSEED』の小説二巻を再読中。
二巻はカガリとバルトフェルドの存在が大きいですね。どちらもキラに大きな影響を与える人物ですから。
同時にキラ、フレイ、サイの関係にひびが入ってしまうのも書かれてる。復讐のためにキラを利用するフレイ、当初は知らずにフレイの愛情を受け入れ真実をしり当惑するキラ、コーディネーターとはちがうことの現実を知り罰を受けるサイ。
アークエンジェルを取り巻く戦況と共に艦内の人間関係も変化を見せる。
バルトフェルドの『敵を滅ぼしてまでも』という言葉は重たいですね。いつどこで戦争が終わるという問いかけは『SEED』や『Destiny』で語られてる。
『ガンダムSEED』の小説を再読するとアークエンジェルが本部から救援や支援なくよくアラスカに辿り着けたと思う。
『初代ガンダム』(アニメ)ではホワイトベース隊はレビル将軍からわずかとはいえたびたび支援を受けてたのにアークエンジェルは気の毒なくらい本部から見捨てられたのを考えたらなんとも言えない。
もともと地球軍はアークエンジェルを見捨てる意図はあったにしてもひどすぎる。『SEED』は理不尽このうえないひどさがありすぎる。
アークエンジェルを支援したのはハルバートン提督くらいだったのを考えてもひどいもの。
おそらくはサザーランド大佐やアズラエルにしたらアークエンジェルは最初から見捨てるつもりだったと思うしヘリオポリスや宇宙のどこかで沈んでてくれた考えあったと思われる。
『初代ガンダム』のホワイトベース隊はなかば独立隊としての意図は後半ありましたけどアラスカでアークエンジェルを見捨てるのはひどいとしかいいようない。前線の兵士についても。
『ガンダムSEED』小説四巻再読中。
アラスカでの決戦が勃発し両軍ともに前線の兵士たちほぼ全滅というあり得ない有り様。
アークエンジェルはキラにより助かったにせよ後味が悪すぎます。
『SEED』(Destiny含む)世界の敵を全滅させてまでもという感情はちょっとわからないところ。
敵を仮に滅ぼしてもまたナチュラルのなかに実験的にコーディネーターを生む風潮が誰かにはあると思うしコーディネーターにしてもナチュラルの協力なくては種の存続はできないと思う。
おそらくオーブなど中立国の存在や仲介が必然的に必要と思うのが連合やザフトにはわからないんでしょうか。感情や怨恨だけでは解決しない問題が目に見える見えないところで山積と思います。
『SEED』においてはまだオーブや三隻同盟の戦争やめろは一応は正当化はできます。『Destiny』では根本的解決ないままですけど。
本来『Destiny』で描かれるべき未来はシンの未来を含めてですけどナチュラルとコーディネーターの未来だったと思われます。
もう少しナチュラルやコーディネーターの中に冷静に情勢を判断できるハルバートン提督やシーゲル・クライン、アスハ代表などが必要だったように思う。
現実的にみて“敵を全滅させてまでも”というのは感情的にも理解し難い。
ガンダムコンバージのヘイズル改とフルドドを手に入れたら原作『ティターンズの旗のもとに』を読んでみたくなります。
富野さんの『Ζ』や小説『ガンダムセンチネル』などではエゥーゴ側は書かれてますけどティターンズ側のことは『Ζ』関係くらいでしかわからないですから。
wikiによると裁判あったり組織間のいざこざ?があったみたいな感じですね。
ティターンズは『Ζ』では悪ですけど必ずしも組織にいたすべての人たちがジャミトフやバスクの思想に固まってたのではないの『Ζ』劇中でもあったと思います。
その辺の組織内や人間模様がいかほどだったか興味あります。
けどフルドドはGパーツ扱いのようですが一見するとそうは見えないですね(笑)。
安保理法案は『SEED Destiny』に重なる感じする。
劇中ではカガリやオーブの首長会議という形で描写されてたけどもう少しシンや現在のオーブ国民の心情の描写とかもあったらよかったかなと思う。
とあるブログにもあったと思うけどキラやカガリたちがオーブを出ないままでも物語が進んだと思うしオーブにいたまま悩んで考えることもできたかも知れない。
キラがカガリをフリーダムで連れ出すのはドラマティックな演出であったと思うけど。
『Destiny』でシン以外にザフトにいったもと国民の心情も見たかったかもしれませんね。
ミネルバに実はもう何人か乗っていたりプラントにいたとかいう設定にして。
ハイネは悪いキャラではないですけどシンとアスランをはたしてつなげたほどに描写されたかちょっと疑問。
『Destiny』においての初期のデュランダル議長の言葉はある程度は正しいところはある。領土的野心がなく戦いをいたずらに広げるものではない。実際に市民や他の議員をなだめたことに功はある。
かたやカガリが戦場に赴いていざ国家元首が戦いをやめろというのは子供じみてる。
他のガンダム世界なら有形無形のつながりや援助あって政治的に裏から手を回すくらいはすると思う。
この辺が『Destiny』が曖昧になってたところかもしれませんね。
永遠に理解は得られないとどこかの番組が言ってましたね。
もしかしたら『SEED』当時のシンやシンの家族やオーブ国民はそんな気持ちだったかもしれません。安保理法案が110時間の審議時間を費やしたと言われますが時間よりも中身を国民は聞きたいと思う。
『Destiny』の小説を再読するとシンがたびたびアスランに反発するのは答えがほしいからだったでしょう。
もしかするとシンは我々日本国民の未来の姿になる可能性もあるかもしれませんね。
そうならないように我々国民は政治にきびしく見る必要があり施政者に間違った判断をさせないことが必要かもしれません。
『Destiny』を再読するとシンの気持ちにも多少は共感する気持ちもでてきます。
『Destiny』のシンとステラの出会いも『Ζ』のカミーユとフォウほどドラマティックな感じはないですね。
時代がちがうのは当然としてもカミーユとフォウはアニメや小説でもドラマ内で何度か出会いまたふたりの邪魔をする存在がいるから引き立つものがある。
シンとステラは大人に邪魔されるというよりはむしろ“戦争”が間にたつ感じはあってもカミーユやとフォウみたいに愛し合うけど現実があるから引き裂かれるみたいなのは少ない。
シンの場合は感情や気持ちが先にあるからかもしれませんが。
この辺ももう少しなんとかならなかったか。あるいはステラがいたことでレイが自分の素性を早くから打ち明けるみたいにしてればデスティニープランも早くできたように思われます。
『Destiny』でキラがアスランのセイバーを倒す場面、見方によればキラの成長、人間的成長という意味ですけどたしかに『SEED』に比べたらためらいは二度目のミネルバ戦ではいくぶん躊躇いない。
反面、セイバーごと倒されたアスランにしたらせっかくシンとの協調もできかけた時期なのに逆にあっさり弱いよねと言われる。
アスランの性格がミネルバ内で災いしてる。
『Destiny』でキラやアスラン、シン、ラクス、カガリが迷ったり悩むのはいいこととおもう。だけど戦争の余波はあちこちにある。
後に連合に与しないからと連合から攻撃を受ける諸国。この辺ジブリールやロゴス、ブルーコスモスに求心力のなさ。
他のガンダム世界ならもう少しティターンズやシロッコ、ハマーン、シャア、マイッツアーやカガチたちの方が政治を上手に使う。
もう少しロゴスやブルーコスモスの後々でも描写は必要だったとおもう。ただ組織が存在してるだけで中身が描写されなかったのは残念。
後の『ガンダムOO』の方が各勢力の描写はあったように思います。
『SEED』および『Destiny』の世界てすべてにおいて軍需企業が経済活動が成り立ってるわけではないにせよ明らかにインフレやデフレスパイラルとか起きてそう。
ギリシャ危機みたいに地球各国家や勢力は第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦やユニウス・セブン落下直後とか一般市民などは感じてたんじゃないでしょうか。
『Destiny』のジブリールは『SEED』のアズラエル以上に経済感覚がない感じする(笑)。
明らかに大西洋連邦以外の国家や勢力は疲弊してるなか後々、デストロイにやられるのも恐ろしい話。
プラントの方が経済感覚がありそうな感じしてしまう。
『Destiny』本編ではカガリの心情がクローズアップされてたけどオーブ軍人や国民のなかにセイランの決定に反対した者たちもおそらくいたでしょう。
本編や小説ではトダカ一佐が犠牲になり一部のオーブ軍人がアークエンジェルに行ったことで難を逃れた。
だけど国民は逃れる場所ない。他国から支援援助してくれるでしょうけど。
皮肉にもシンの立場にしたらかつての祖国や国民、あるいはそのなかにいたかもしれない友人家族を討つ側に回ったかもしれない。
『Destiny』は本来は描写される描写がいささか欠けてる感じはあります。小説も。
『Destiny』はいろいろな描写が小説を再読しても欠けてる点はあります。
明らかにザフトがオーブに侵攻した時点でかつてのシンと同じような目に遭ってる民間人がいたと思うしシンはその都度、考えようとしてるのにレイが口を挟む。
それ以前にも軌道修正できそうな点あったと思いますけど。
やや主役偏重なところは見えてしまう。
カガリが国家元首として立つのは構わないですが連合と同盟したことへのツケ、国内外の被災はあったと思うし中盤までは結果的にデュランダル議長の方が手が早かった。
もう少しシリーズ構成や脚本家さんに政治を書く能力や描写があれば違ったと思う。小説版では後藤リウさんがアニメの描写不足を補ってるから多少はわかりやすい。
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