風人 2014-11-27 06:43:01 |
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ガンダムSEED destinyの小説を読むと本来はこう動くはずのキャラが結局は動けないまま展開してたかもしれないですね。
たとえばルナマリアにしてもアスランがキラ達と久しく会ってたのを尾行してたのは実は当初の予定ではメイリンではなく彼女がアスランと行動をともにするはずだったのでは?。だけど、MSパイロットのボジションで彼女にザフトやミネルバは裏切ることは難しかった。で、妹に白羽(?)の矢があたったとも考えられる。
シンにしてもデュランダルやレイに操られた面はあるけど、小説ではアニメより内面が迷ってる描写がいくつかあったことを考えたら気づいたら動けなくなったようにも感じる。
destinyはいろいろそれぞれの側面は見えますけど、むずかしいところはあったと思います。
昨日の世にも奇妙な物語、永井豪さんの『面』はむかしなにかで読んだことありましたね。
はじめはこどもが妖怪か鬼かなと思ったけど、見てるうちにロボットだったのを思い出しました。
オチが旦那さんまでロボットだったのや出生率0%、地球環境の変化は漫画にあったでしょうか。
永井豪さんの『面』はほぼオリジナルのままみたいだったですね。
でも、いつ読んだのかおぼえてない・・・・・・・。
あたまに残ってるのにふしぎなもの。
今期になってからウチの地元でもようやく妖怪ウォッチとフェイトの放送始まった。
妖怪ウォッチはいかにもテレ東系らしいアニメ(笑)。
比較的に日常アニメとギャグ、妖怪などをうまく織りまぜるのが楽しい感じ。
フェイトの方はよくわかんないですけど、メインヒロインが植田桂奈さん、マリみての祐巳ちゃんだったとは驚いて吹いた。
声優としても活躍された愛川欽也さんが逝かれました・・・・・・・。
覆面レーサー(マッハgogogo)、にゃん子先生(いなかっぺ大将)は印象的でした。
ご冥福を心からお祈りいたします。
ログ・ホライズン第一シリーズは深夜に再放送。
ありがたいこと。
境界のRINNEはいかにも高橋留美子さん作品らしさありますね。
りんねくんの貧乏なところはめぞん一刻の五代くんぽい(笑)、ヒロインはちょっと天然系?、雪野五月さん演じるりんねくんのおばあちゃんはなんかあやしさを隠してるような?
犬夜叉ほどバトルはシリアスでないところは個人的には好きかも(笑)。
ベイビー・ステップ第ニシリーズは短期合宿から始まって着実に動いてますね。
いけクンがやはり目指すべきライバル?けど日本にいるタクマ先輩たちもいますしね。
中田譲治さん、フェイトに出てますね。
さすがむかしドラマや特撮で悪役を演じた存在感は圧倒。ログ・ホライズンではにゃん太班長だけど(笑)。
中田譲治さんのあのまわりを圧倒させるような痺れる震える声はフェイトでも伝わった。
素直に凄い!
ケロロ軍曹ではギロロでたまにみんなに振り回されてたな。
風立ちぬはあらためて見ると全体的に大人の雰囲気ですね。
間々にファンタジーはわずかにありますが、飛行機と直子さんに夢や希望を持つ二郎の生き方、直子さんもまた彼に短い儚い夢を女性として持つ。
宮崎駿さんなりのロマンがありますね。
けど飛行機が戦争に使われるある種の矛盾が私は見えてしまいますね(苦笑)。
そこは時代の流れもあって悲しいところ。
小説『SEED destiny』一巻ようやく確保。
一巻読むとあっさり奪われるカオス、ガイア、アビスの三体(笑)。何ゆえガンダムはあっさり奪われるんだか。
けど序盤の段階ではシンやルナマリア、タリアさんミネルバクルーが主役 なのに途中からキラくん達に変わってしまうのは『destiny』の悲喜劇ともいえる。
ユニウスセブン落下を防ぐことで地球を守ったのはシン達ミネルバクルーでありザフトなのに、オーブを出た時に連合にめった打ちにされるのもなんかいま思うとひどい。
途中でシンが何度か考えを変えるきっかけをアスランが導いてやれなかったのが難点だったと思われる。
シンに限らずミネルバクルーにたいしての甘さとも・・・・・・。
アスランやキラが二年という月日が長かったのか短かったのかも微妙。
かつてのアムロやシャアも立ち直るには数年かかってたのを考えたら二年という月日はリアルに考えたら酷だったかもしれない。
『SEED』はともかく『destiny』はいささか物語的にもキャラクター的にも無理があったんじゃないかな。
小説版読むと中身や内面の描写が後藤リウさんが丁寧に書かれてるのわかりますが、アニメの両澤脚本ではいささか伝わりにくかったのは否めない。
ましてや福田監督の感情だけで書くのと遺伝子社会によるデスティニープランもまたなんとも結び難さがあったように思う。
三人の主人公シン、キラ、アスランの視点が平成仮面ライダーの小林靖子さんなどの脚本に比べたら生かしきれなかったと思う。
小説の方は後藤リウさんが丁寧にわかりにくかったところは書かれてるし文章面からもわかりやすい。
デスティニープランは本来なら(早くても)小説四巻か五巻の前半くらいに出しておけばまた早かったかも知れないですね。
『ガンダムSEED destiny』はみごとなくらいにサイくんやカズィくんのこと小説版読んでもきっぱり忘れられてますね(笑)。
カズィくんはともかくサイくんは少なからずアークエンジェルやキラくん、ミリアリアに対して貢献はしたキャラと思うのにサイもカズィも一言も触れられてない。
『サイバーフォーミュラ』も福田監督の演出かどうかは知りませんがだんだんキャラクターが忘れられては新作のたびにほんの少ししか旧キャラは出番がわずかだったような・・・・・・(苦笑)。
『destiny』はもう少しいろいろな意味でなんとかならなかったといち視聴者として思います。
『SEED destiny』の小説を読むと何故戦いが起きるのかということにはじめ焦点が置かれ、デュランダル議長とカガリの言い合いがある。
力があるから戦いがある、戦いがあるから力がある、どちらもある意味正しい。
なによりオーブの立場がいまの日本の立場に重なりますね。
アメリカと同盟は現実上やむをえないにしても戦争の支援を積極的にしていくのは九条に相反するのは誰もが考えること。
『destiny』のオーブが理念に反し曲げたのは関係のない戦争に関わり兵士たちを死なせた行為にカガリやキラたちは悲しみ憤る。
プラント側の積極的自衛権の行使という表現に作品内ではアスランは半ば議長に騙され操られ戦争に荷担してしまう悲劇もある。積極的自衛権の行使は危険な言葉とも取れた。
デュランダル議長に相対するジブリールにしても経済力や技術力はあるかもしれなかったですが政治力は彼やロゴスには欠けてたのもあったかもしれない。
他のガンダム作品なら連邦の民主主義にたいしてジオンの独裁、ティターンズの軍事主義、ネオジオンのザビ家崇拝、シャアのスペースノイド独立などありますが『SEED』系はこの辺がただ敵を滅ぼせになってるのが少々ざんねん。
『destiny』においてはザフトやプラントは守るためや連合から独立したい人々の支援という意味は正しい。戦争自体はいけないですが。
反面、デュランダル議長にいいように連合、ゲリラ、市民たちがニセラクスことミーアの存在もあって操られる危険もあるのがうかがえる。
小説読み直すたびにシンやルナマリア、タリア艦長たちが中盤まで真相を知らずに戦ってる一面もある。
ちょっと考えさせられる。
ベルサイユのバラの漫画が作られた頃はまだ漫画で時代ものは流行らないという風潮があったみたいですね。
まだジャンルとして確立してなかったかもしれませんけど(苦笑)。
ベルばらはアニメの方がやたら印象が濃い。
ベルばらとほぼおなじ時代を描いたラ・セーヌの星もよかった。
久しぶりに初代ガンダムの小説読んだらちょっと古臭いですね。
それでも当時のSF最先端を取り入れてますしキャラやメカの設定はまたアニメとちがう。
小説はアムロとハヤトがなんといっても死んでしまう不憫な展開。見方をかえたらアムロというシャアのための物語と取れる。
後にゲームなどにも取り入れられてますし。
富野さんの執筆活動はもうないんでしょうかね。富野さんのガンダムやイデオンなどの文章はたしかに他の作家さんに比べたら劣るところはありますが、それでもおもしろいと読めてしまう(笑)。
『SEED』や『destiny』を読むと敵味方が戦場でないところで出逢う確率は実際の戦争ならそうないと思うんですよね(笑)。
フィクションだしご都合主義はともかくとして。
『SEED』のカガリとアスランはまあ仕方がないにしても『destiny』のステラとシンは後の物語のためとしてもいま思うと妙に不自然に思えてしまうのは気のせいでしょうか。
『SEED』や『destiny』はキャラをひとり二組として書かれてるパターンが多いですけど、実際の戦争や戦場ならなかなかあんなシチュエーションはドラマや映画ならともかく現実ならありえなさそう・・・・・。
小説版を読んで物語を振り返ってたら気づいてよかったのか悪かったのかふくざつ・・・・・。
大河ドラマ、花燃ゆのナレーションは赤い彗星シャアこと池田秀一さん。
たまにちょっとチャンネル変えると池田さんの声が渋く流れてる。
番宣とかでもなんかシャアやデュランダル議長などが語ってるみたい(笑)。
花燃ゆがちょっとガンダムみたいに見えてしまうのも歳もあるかなと錯覚してしまう。
初代ガンダムの小説一巻読み終わった。
アニメの展開とはまるでちがうし富野さんの表現が独特。
久しぶりに読むとアムロとセイラの関係は少し大人の関係なんですよね。一巻の段階でアムロはセイラが持ってる人間的な影の部分に恋愛かニュータイプの素養かはっきりしないけどセイラが悲しい過去があるみたいにわずかに感じている。
余談になりますけど、もしアムロとセイラがアニメ版でくっついてたら後々の富野さん自身の宇宙世紀シリーズ展開も変わったかも知れないです(笑)。
初代ガンダムの小説一巻読み終えたけどあっさりリュウ・ホセイ退場。
小説内ではセイラさんをデートに冗談か本気かわからないけど誘いながら叶うことなく戦死。
なんともやりきれん。
シャアはガルマ戦死の件で左遷されるもキリシアに拾われてニュータイプ部隊の創設とララァとの出会い。
小説ではアムロ、シャア、ララァは直接顔を会わしてないながらニュータイプ同士の三角関係をもたらす悲劇。
小説版の初代ガンダムもいくつか戦争戦場の不条理のなか人間関係や恋愛が交錯してゆく。
初代ガンダムが打ちきりにならなかったらまたその後のシリーズ展開も変わったかもしれない。
小説版ではララァの出逢いを経てクスコ・アルに出逢う。
ニュータイプは悲劇しか生まないのがやりきれない。
打ちきりにならなかったらクスコ・アルなどの登場もあったらしいですね。
暗殺教室の寺坂くん、はじめは渚くんをいじめてたけど少しずつ変化がありますね。
不良ではあるけど律の登場回には授業中にドカドカやられるのは嫌だったり修学旅行の時には殺センセに呆れたり。根はあんがいまじめなところがほんのたまに見え隠れする(笑)。
彼なりに不良としてのプライドもありながら十代の少年らしい倫理観や価値観あるみたいですね。
なにげに委員長さんたち女子のクラスメートには口では勝てないのもなんかかわいい(笑)。
律の登場回では律にケチをつけてたのは授業をまじめに受けたいのかただ静かにしてほしかったのかどちらかなんでしょうね。たぶんまじめに授業したい気持ちもあったと思いたい。
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