風人 2014-11-27 06:43:01 |
通報 |
マクロスF劇場版小説を読むとたしかに戦場ライブな雰囲気はある。
テレビ版小説は学園ドラマな雰囲気はあったけど。
劇場版小説を読むとフロンティア船団とギャラクシー船団がテレビ版以上に人類同士の不毛な争いのためにバジュラが犠牲になってるのはいたたまれない。
劇場版小説ではシェリルは捕らえられ命をテレビ版以上に削ることになる。ただテレビ版とちがって救いがあるのはグレイスに救われること。
そこはじんわり感動した。
『ガンダムAGE』の小説を四巻以外は手にいれたので読んだ。
フリットは“間違えた正義”や“復讐”を具現化してしまったんでしょうね。ラストのギリギリまで・・・・・・。
そのためにアセムやキノ、家族に至るだけでなく地球圏全土に至るまでになってしまった。
そんな意味では悲しい人物。彼の母親がAGEデバイスを託したのは復讐のためではなく未来に生きることへの希望だったのが彼は復讐や地球圏の平和のためというある種の独善に変えてしまった。
またフリットの母親を殺したヴェイガンMSのパイロットも“復讐のため”であっても“生きろ”と暗黙に伝える不条理さ。
小太刀右京さんの小説はテレビ版そのままなためかやや描写しきれてないところも『ガンダムAGE』全体としてもやや足りてない感じは否めない。
エピローグとして地球連邦とヴェイガンの戦いが終わっても人類同士の争いが続きフリットはそれを克服せんとし英雄視されたのも興味深いこと。
やや描き足りないところはあったかもしれないけど三世代それぞれを描くところは敵味方に関係なくおもしろさはあったと思う。
四巻を探さないとならない。
『ガンダムAGE』の小説を読むとグルーデック艦長は復讐のために生きて復讐のために死したてことでしょう。
そういう意味では三部で祖父になり軍を指揮したフリットも同じ。
小説としてあらためて見ると『ガンダムAGE』の大人たちは敵味方に関係なく“ダメな大人”の象徴だったと思う。
未来のため、EDENのためと言われながら憎しみの連鎖をしてゆく。
Xラウンダーが戦闘ではなく理解のために使われるまでには世代を重ねないといけなかった愚かさ。
フリットやアセムにしても結果的には“家庭”を壊して“戦争”に身を投じた矛盾もある。
ゼハートにしてもイゼルカントを“父”として崇め盲信したがために“家庭”を持ちたくても持てなかった不甲斐さ。そんな意味では彼はシャア(の一面)と言える。
小説四巻が未入手で内容が抜けてるけど、三世代目の主人公キオ・アスノが悩み葛藤することで敵味方に関係なく意思を伝える。たしかに甘さがあるのは否めない。
フリット、アセム、キオら三世代のそれぞれの世代を重ねることで時代に過ちを犯し過ちを犯したからこそそこに贖罪や反省もある。
祖父の立場になったフリットが結果的にはイゼルカントと同じ道を歩んだのは哀しいこと。
アセムにしても家庭を捨て連邦やヴェイガンどちらも敵に回しながら平和を模索する。そのために家庭を捨てたことで息子であるキオに睨まれる。
“家庭”と“戦争”のふたつをわかりやすく対比はしてた点もある。
『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』に登場したプロテクトボットのヘリコプターに変形するグレイズは調べたら形態はちゃんとした救助ヘリでした。
玩具の方でトランスフォーマーシリーズはリメイクされて現代的になってるのもあるからそこは時代相応かな。
ブックオフに行ったらOVA『おジャ魔女どれみ ナ・イ・シ・ョ』のDVD付属シングルCDあった。
プリキュアシリーズが進行中のなか『おジャ魔女どれみ』が復活した時はよかった。
CDに付属してるDVD見ながらちょっと懐かしんだ。
『マクロスF』のテレビ版と劇場版小説をいま再読しながら比べてるけど大筋はまあ同じですけど一部流れや細部はちがう。
テレビ版小説は一部はテレビアニメからカットや短く語られてるところあるけどひとつひとつは丁寧に描写され逆にアニメ版で語られてないところを補完してる。
対して劇場版小説はエンターティメントとしてクローズアップしてる。アルトとランカを幼馴染みとしてるのは少女漫画的、キャシー・グラスもテレビ版とちがい精神年齢が高く大人としてSMSに出向しオズマとの関係はよりストレートに書かれてるの伝わる。
ブレラ・スターンはグレイス同様に活躍の場がテレビ版とは異なる形だけど活躍の場が与えられてるけどラスト直前までサイバーノーブル(電脳貴族)に操られてるのは読んでて哀しい展開。
ミシェルとクランはラストで伝説のマックスとミリアと共闘してるのは明らかにファンサービス。
ルカもエルモさんの芸能事務所所属扱いと設定変えたナナセに好意を抱く形でテレビ版とちがった形で補完されたのはさりげなくよかった。
反面、アルトの父親嵐蔵先生や矢三郎さんが出番少ないこと(苦笑)。
歌舞伎のことはアルト中心に書かれてるのはテレビ版と同じだけど劇場版ではアルト自身の葛藤としてあった感じする。
劇場版は基本的にキャラの精神年齢が上がった感じで大人びてたと思う。
水木しげるさんお亡くなりになりました。
ご冥福をお祈りいたします。
漫画『ゲゲゲの鬼太郎』で鬼太郎誕生秘話や西洋妖怪侵略など子どもの頃に読んで怖かったり妖怪といえど戦争のむなしさを描かれてたのは記憶に残ると思う。
あらためてご冥福をお祈りいたします。
『マクロスF』で嵐蔵先生や矢三郎さんはテレビ版やテレビ版小説の方が活躍してる。
なおかつ矢三郎さんはその都度、アルトが“演じている”と諭して歌舞伎の道に戻そうと心から考えてるの伝わる。
テレビ版に限っていえばアルトは三島たちクーデター派から逆転するためにわざと大根役者を装い憎しみにとらわれてるふりをしてたわけだけど嵐蔵先生はおそらくアルトの真意をわかってたみたいけど矢三郎さんは真意を見抜けずに騙されてた側。このへんのくだりは演技を問うことのひとつの解答といえる。
テレビ版小説の三巻後半から四巻クライマックスまでのくだりはある意味、一舞台を見てるかのようにさえ思える。
水木しげるさんが亡くなられましたね。
幼い頃にニ作目と三作目の『ゲゲゲの鬼太郎』あってその流れでいまはないコミックボンボン誌で連載で漫画版を見てそれでオリジナルの水木しげるさんが描いた原作を見た記憶ある。
原作の鬼太郎と目玉おやじは幽霊族の生き残りで当初、鬼太郎は人間を死に誘(いざな)う存在でなおかつタバコも吸う不良(笑)。
子供心に鬼太郎にカルチャーショック受けた。
何度かアニメ化にいたることで徐々にヒーロー化してゆく。
地元の山奥に最近入ったことあるけど(水木しげるさんの地元ではないですが)ほんとタヌキやキツネはいると思いますけど妖怪やもののけはいそうな雰囲気でした。
『鬼太郎』アニメニ作目の泥田坊の回は大人になったいまでもなぜかおぼえてる。怖かったのか(苦笑)。
※さすらいの旅人さん
あげるだけなら書き込みは遠慮してください。
漫画『二代目はこすぷれーやー』の五巻なくて六巻買って読んだ。
ちょっとえっちな漫画だけどはじめから最後まで“オタク”のこと原作者甘詰留太さん理解されて描かれてた感じあった。
作品中の『超甲神ヴィクト』や『ビートルーダー』に見る『仮面ライダーストロンガー』へのオマージュ、意図したと思われるけどストロンガーと同じ城茂と名前がかぶる。えっちゲームのネタやコスプレーヤーなどの話題を上手に物語の中に取り込んでた。
六巻読んでヒロイン、ゆーしーに想いを寄せるたくくんが実の姉が上京して様子を見にきたことでオタクをやめようとするリアクションはおそらく大人になればなるほど誰もが経験すると思う。
ドキュメント番組などでも社会人になったり家庭を持ったりすることでオタクやコスプレーヤーをやめたという人たちとたくくんは同じに描かれてる。
物語内で無音のなか勉強するなかゆーしーに好意があるなかオタクになったたくくんだけど、そこで得た“なにか”熱いものやフィクションだからこそあるものと再認識する。
ちょっと自分に重なるところあった(笑)。
漫画『二代目はこすぷれーやー!』はヒロインはヲタクだけどやくざのひとり孫娘。
原作者さん硬派なやくざ世界と甘いヲタク世界を上手につなげてる。
ふつうなところはふつうに描かれてるしヲタクなところはとことんヲタク(笑)。
それでいて慎之助さんなりにヒロインゆーしーを密かに想ったりここぞという時は助けたりラブコメしたりお約束踏んでる(苦笑)。
よもや最終回でやくざを解散するとは思わなかった。おそらく親分さん=おじいさんは誰よりも孫娘ゆーしーや慎之助さんの将来を考えてたんでしょうね。
漫画のクオリティを保てるならVシネマくらいなら出来そうな感じする。
妖怪ウォッチの食玩指人形でUSAピョンの生前の姿手にした限りはクマっぽいけど実際はどうなんだろ?
生前の時は明らかに飼い主さんからは実験動物ながらも愛されてたようだけど……(苦笑)。
ちなみにテレビ版『マクロスF』小説版三巻ではプロローグで若き日のオズマがグレイス博士と出逢った際にそんな実験動物でも人智の及ばない宇宙に行けることに憧れの本音を漏らしてる場面ある。
オズマさんも、宇宙開拓者だろうけどいい意味で愛すべきおバカ(笑)。
漫画『二代目はこすぷれーやー』は機会があったら続編を書いてほしいですね。
オタクやってると、現実の壁に何度もぶつかることになる。
ヒーローやヒロインへの憧れだったりなにかのきっかけだったり。
原作者の甘詰留太さん、六巻のあとがきを読むとコスプレーヤーたちに取材したりファンレターから応援を頂いてたみたい。
オタクに目線を持った本や漫画、アニメもここ何年かはありますけど私はたまたま『二代目はコスプレーヤー』を手にしたけどちょっとえっちだけどいい作品と思う。
五巻を手に入れてあらためて読みたい。
『ガンダムAGE』の小説を読むと復讐にとらわれたフリットの生き方はあやうくグルーデック艦長と同じになるところだったんでしょう。
グルーデック艦長と“コウモリ戦役”を敵であるUEが同じ人間なのに少年だった純粋さが戦争という時代に飲み込まれたとも言える。
だけど、二世代目のフリット、、ロマリーたち、三世代目のキオたちはかつてのフリットとはちがう出会いや形で“敵”であるUE=ヴェイガンを知ってゆく。
むかしのアニメだと『科学忍者隊ガッチャマン』でもコンドルのジョーは何度か“復讐”について問われる。
かつての親友や敵そのものから……。
ガッチャマンは初期シリーズは当初は一年の放送だったのに徐々に人気が出たことで放送(戦い)が二年に及ぶことになった。
フリットが復讐に生き結果、家族だけでなく地球圏全域を巻き込む姿はある意味、コンドルのジョーのもうひとつの姿や未来であったと言える。
『ガンダムAGE』は敵を知り理解しわかりあえるというのもひとつのテーマ。
フリットは“敵”としてしか認識しなかったら殲滅するという方向に働き、アセムやキノは“同じ人間”として出会ったことで考えがフリットとは方向がまるで異なる生き方や思想として昇華されてゆく。
『ガンダムAGE』は一年のなかでシリーズを書いてゆくなか尺不足もありましたが、三世代を重ねるなか“間違った大人たち”の生き方も書いていった作品と思う。
なにが“戦争を生む”のか“互いに戦うことの意味への問いかけ”、“政治が持つ嘘や欺瞞のあらわれ”、連邦もヴェイガンも市民や民衆が考え自分たちのなかの腐敗と戦う意思がないと時代に流される危険もある。
フリットは復讐に生きることで考えることを拒否した。敵と和解や手を取り合える選択肢をわかってたのに拒否した時点で無為な犠牲を百年ちかく出すことになり戦後はいろいろな世代から糾弾され暗殺の危機もあったという。
敵との和解や手を取り合うのは現実、むずかしいとも思う。
小説版ガンダムSEEDでイザークが“手を差し伸べた後に背を向けた瞬間、銃を向けられたらどうなる”と疑問に思う場面があるのも現実おなじ。
『ガンダムAGE』は小説を読んだけど、どの世代もほどよく見れて子どもにはわかりやすく伝えることはできたと思う。
アセムはゼハートやロマリーたちとの学園生活があったことで敵でも理解できるというひとつの架け橋やきっかけとして書かれ、また父フリットのように“Xラウンダー”がなくても経験や努力を培うことで“スーパーパイロット”になれる者としてあらわされてる。
性格面はゼハートが劇中でも言ってように優しすぎるというのはあるけど、キオの父親としての立場を放棄しながらも“親”としてほっておけない情もある。
ゼハートにしても長く続く戦いのなか親や家族を持てずイゼルカントを盲信してた若者ゆえの迂闊さもある。
アセム世代で“敵が同じ人間”という意味合いを書かれた深さがある。
“Xラウンダー”はひとつの才能や可能性としてのあらわれだけど、同時に人間が闘争本能への退化でもある。
『ガンダムAGE』で本編が始まる以前の“銀の杯条約”でいつ誰が過去の記録を消したかは不明なまま。
結果として地球圏に戦争はなくなったものの、火星の人々のことも忘れられた。
UE=ヴェイガンは歴史の闇に葬りかけられた人々でもある。
その辺も含めて『ガンダムAGE』の根底にある闇は深い。
イゼルカントも過ちを犯した独裁者であると描写されてるわけだし。
死に際はそのわりにきれいすぎた人物でもあるのは皮肉なこと。
今日の『サンダーバード ARE GO!』の舞台は日本の高速トレインのお話でした。
ミニチュアセットが日本ぽいセットだったけど雰囲気よく出てた。
初代『トランスフォーマー』の「パニック・ザ・クレムジーク」や『2010』の「重すぎた使命」にくらべたら比較的ふつう。
『トランスフォーマー』の日本人はやたら中国人ぽかったり看板の日本語がめちゃくちゃだったり笑えるけど当時の外国がどう日本を見てたかなんとなくわかる。
『サンダーバード ARE GO!』の今回のお話が高速トレインというのも日本の鉄道開発の時事ネタでしょう。
しかも国際救助隊の頭脳、ブレインズさんがアクションに挑戦してる(爆)。
昨日の『サンダーバード ARE GO!』は日本が舞台という話は書きましたが、高速トレイン以外にふたつのお話が進行してました。
ひとつは宿題、ひとつはおばあちゃんがブレインズさんの相棒のロボットと料理する。
短い20分程度でよく話を盛り込めたものと感心する。
メカとしての1号はいささか活躍の場がなかった反面、5号とブレインズさんの活躍がありました。
宿題の話がさりげなく事件解決のキーになってるというのも脚本の良さがうかがえる。
『火垂るの墓』の野坂昭如さん亡くなられました。
こんなことなら今年の金曜ロードshowで放送されてた『火垂るの墓』を見とけばよかったかなと少しばかり後悔ある。
ご冥福をお祈りいたします。また機会あれば『火垂るの墓』の原作小説を手にしたいと思います。
トピック検索 |