匿名ゆき 2014-11-23 17:15:10 |
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再び彼女に会えました
それは恐怖の壺を覗く事に似ている。
いつでも、僕は蓋をする事ができるのに
体は先を求めて、何がつまっているか確認してしまう。
一度、壺の中身は悲しみでいっぱいになった。
だが、時が経つと、揮発性の悲しみは蒸発し
やがて、また恐怖でいっぱいになるのだ。
覗くのを恐れて、壺の中が酸性の恐怖が溢れるぐらいなら
塩基性の幸福で中和してあげよう。
要らない水すら大切にする人間たち、すでに壺の中には全てがつまっている。
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