無題が僕らを苦しめる。
だから分類を通し、平行線の公理のように事象を定義付けてきた。
本当はそうではない。
題は彼らを濁らせる。
事象はいつも題を欲しがっているが、あまり顔を出してこない。
僕らが絶対的性質を愛しているのと同じぐらい、彼らは偶然的性質を愛しているから。
これを例えるなら、僕らは多様性を駆使して愛を維持し続けることに必死だが
事象は素晴らしい逢瀬のきっかけにのみ固執し、本来の多様性を隠して生きたがる。
ここに集約されるだろう。
僕らが与えた題は、透き通り過ぎていている。
濁りきった水溶液を飲まされているにも関わらず。
思考の周辺とか、暇潰しに書いていきたいな。
勉強のこととか、本や音楽とかも。