匿名ゆき 2014-11-23 17:15:10 |
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断片
精神は脆く、漠然とした不安を被曝し続けると容易に崩壊する。崩壊した精神はストレスに対して免疫を失い、些細な一言や出来事によって自己を見失う軌道を歩かされるようになる。人間が崩壊していく様子を見るのは、いつだって寂しい。
冷たい心で人と接していると、優しいねと言われる機会が増えた。優しくなんてないんだよ。君達の知らない僕は最悪の人間なんだから。もう誰も傷付かないように自分の周囲に球状のバリアを張っているだけ。
「これ以上は僕に近付かないで下さい、僕は一人がいいんです。」
自意識から多少身軽になった心身で歩いていると、この世界の殆ど全ては「手遅れ」になるために存在しているのだと思い始めた。「手遅れ」になるかもしれないと理解していながら、高い志向性を抱いている人間は素敵だと思う。僕は不条理への反抗を実践する人々が好きだ。
ごめんね。
世界には、綺麗な言葉を紡ぐ人がいる、趣味嗜好の合う人がいる、人間的に尊敬できる人がいる。今もそんな人たちと会話しながら過ごしている。けれど、ずっと一緒にいたいとは思えない。ファン、なのだと思う。
僕は夜の帰り道に、少し意地悪なことを言いながら転ばせようとしてきた君、突然走り出しておいかけっこを始める君、苦手だというのに覗き込んでくる君が好きで、誰よりも可愛いんだ。
一人になって君の言葉を反芻していると、泣いてしまう。ごめんなさい。
日常の連続に対し発狂する彼と、それをみて萎縮し罪悪感に駈られる彼の大事な人
関係に名前という皹を入れ両者緩やかに壊れていく
僕には何の約束も保証もできない
関係つまり距離はいつだって二者間で定まるのだから
一方が寄ればもう一方は離れ、その逆もまたしかり
大切な人たちが壊れていく様子をそばで見つめ続けるのは苦しい、苦しいけれどこれ以上僕には何もできない
これ以上介入しちゃいけない、止められない、思考の操作はできない
人は手遅れになるために歩いている、手遅れになってやっと不安もなくなるのだから
精神的にはもうずっと孤独、けれどそろそろ物理的にも孤独になってしまうかもしれない
一人になるのはいいんだ、僕の天命な気がするから
僕は人と一緒に足を並べて歩いていくことができない、悲しいけれどもそれはきっと事実
そんな僕が気を付けるべきは、自分の寂しさで人を引き留めないこと
泣きそうな気分に蓋をして、遠く離れた地平から届きますようにと言葉を綴る
……ただ好きなだけ、この好きは何も特別な力を持ってはいない
夜空に浮かぶ星を眺めて、ふっと好きだなぁ…と思うとき、その星を打ち落として手中に収めるみたいな、そんな感情はもうない
つよい言葉をいっぱい言ってしまってごめんなさい
何もいらないけれど、諦めでもない
死んで星に生まれ変われるなら、君の星の近くの星だけに生まれ変わりたい、そんな好き
君も、無理はしないでほしい…
抑えられていた記憶、楽しさについて
楽しかった思い出、入学した頃の感情
ずっと、消さないといけないんだと思わされていたもの
色んな人と話して、あぁそうじゃなかったんだね、というのが分かってきた
楽になりたい
七月、七月だね
七月のこと、思考から無理やり引き剥がすのが、引き剥がしたことにするのが一番苦しかった
すべて鮮明に記憶している、全部書こう
追想:情報数学1A、線形代数、物理学2、etc...
ふと、mod 13の演算表に浮かんだ、7の軌道が描く模様を思い出した。
一番優しくしたかった人にできなかったこと
・萎れかけの花に水を注ぐような優しさを送ること
・自他の境界線を意識し、踏み込んではいけない領域に無闇に突っ込まないこと(互いの境界線次第では離反も受け入れなければいけないことを自覚すること、人との距離感を掴むのがあまりにも下手だった)
・意地を張らないこと
・チョコレートのお菓子のこと、ごめんね
・誕生日を祝えなかったこと
・君が一番かわいいって言えなかったこと、馬鹿っぽい理由だけど僕は君が一番かわいいから好き
・好意が重たく醜いものかもしれないと、微塵も疑えなかったこと
変わったなと思うこと
・他人との間に境界線を作れるようになった
変わらなかったもの
・自分の好きなもの
・自意識過剰(どうしようもなかった、手遅れかもしれない、一人でいる時間が多すぎたと思う)
先日、安倍公房の他人の顔と、福永武彦の草の花を読んだ
安倍公房の文章は示唆に富んだ文の群れから構成されていて、解釈を一意に定めがたいところに面白さがあると思う
読み始めてみると、やっぱり彼の文体だなと一目で分かり笑ってしまったが、先を追うにつれて主人公の行為を眺めているのが辛くなってしまった
過剰な自意識を持つ人間特有の気味悪さを抉り出した上で、それを他人の目にはどう映るかを描いたこの作品は、自分のような人間にはただただ苦しかった
草の花は、所謂サナトリウム文学に属する
同じくサナトリウム文学である、太宰治のパンドラの匣を少し前に読んだけれども、各所に主人公の自意識の強さを感じさせるものがあった
自意識はフィクションのなかの小道具である限りにおいて存在を許されるのかもしれない
自意識との戦いはそれ自体自意識的であり、希死念慮と同じく容易に取り去れるものではないような気がしているが、努力で見せないようにできるものではあるかもしれない
草の花にもまた考えさせられた
燃え滾るような好意によってもたらされる、他人の理想化とその不気味さを美しい文章で綴っている
他人だけでなく、愛する行為自体も理想化していて…
ということが、主人公の愛した二人の人間の言葉から浮き彫りになってくる
「──僕らに何が出来るでしょう、僕らは生まれながらにもう極った道を歩いています。」
「──どうして星を見ないんだ?」
「──僕には出来ないんです。」
「──僕は一人きり、そっとしておいてほしいんです。」
理想化される側の人間はそのヴェールが剥がされて、幻滅されるのを恐れて一人を選ぶ
ここ最近他人から「優しい」と言われることが本当に多かったけれども、その度に辛くなるし優しくなんかないと答えてしまうのは、優しくない自分が明らかになるのを恐れているからかもしれない
食堂で水を汲んで持ってくるような精神は、ちょっと気が利くだけで、優しいのとは違う
優しさとは、個人の金銭や時間を消費して余剰を生み出す行為ではなく、欠損を補填するような行為を指すのだろうか
笑ってくれたら嬉しいなと思う、何も見返りはいらない
人は許してくれない人のことを、許せないのかもしれないけれど
自分は許せたらいいなと思う、大丈夫だよって言えたらいいなと思う
手を振ってまたねができたらよかったなと
ここ最近、親しい人たちの自殺未遂を何度も目の当たりにして精神がまいってしまった
人のことを考える余裕がなくなりつつある
引き摺られないようにしないといけないね
好きになれなかった部分
自分だけは心の奥底で過去の誰かを胸に潜めていて(ずっと明言されていなかったがそうだと思っていたし、明言されたものも全て見てしまった)、私には過去の誰かのことも他に出会う誰かのことも厳しく見張り続けていたところ
どんな人でも、全てを好きになることは不可能だし、好きだったら何でもしてあげられるわけではない
それをもっと早く知っていればよかったかもしれないが、あまりに冷めていて以前の私には分からない感覚だった
私は私の過去を理想化だとも、妄想だとも思いません
あんまり、人間の思考を(自他共に)理想化だとか妄想だとか言わないでください(多分、自分にも他人にも失礼です)
孤独であらなければならないのは、もしかしたら正しいかもしれませんが、現れる感情を邪念のように扱うのではなく、同居させながら寂しくやっていくのが、きっといいのでしょう
昔の話
ここ最近、ずっと高いところから飛び降りることばかり考えています
自殺願望なのかは、よく分かりません
別に、人生に疲れたとか、どうしようもなくなったというわけではありません
強いて言えば、世界から色が無くなっていく感覚に近いのかもしれません
見るもの全て、当初あったはずの鮮やかさが次第に失われ、気が付くとモノクロになっていました
それは物体に収まらず、言葉もそうでした
つまり、他人の言葉に色を感じられず、自分の言葉も最早自分の言葉ではないような感覚があるのです
誰のことも、自分のことすら信じられなくなってしまいました
不思議と不安は感じません、ただ、楽しくないのです
私には享楽主義的なところがあったのでしょう
思えばずっと人生を楽しくする工夫についてばかり考えていたような気がします、一人で暮らしていた頃から、ずっと
楽しかった時間を思いだそうと思う
一番楽しかったのは、大学の初年度から二年の秋にかけてのことだった
つまり、初めて好きになった人と大学で交流していた期間
入学者たちが集う電子の海でのこと、文字での交流をしていた頃、彼女はその時から回りを引き付けていた
空間の中心人物のようで、とても自分なんかが関われるような人ではないと思っていた
入学式前の身体測定の日、学科のみんなで集まりませんか?と全体に声をかけた日のこと、水玉の傘を持った彼女は上級生に囲まれていて、気が付いたら遠くの方にいってしまっていた
この日は他に、ゲーム仲間たちとの交流があって、今でも繋がっているのはこの日に出会った人たちばかりだ
人との関わり方が全く分からなくて、数学の話をしてしまったとき、相手が困惑してしまったのを見て、大学は別に好奇心や関心で会話を広げていく空間ではなく、もっと世俗的な会話で足並みを揃えていく空間なのだと悟った
昔よりは「友達」を作るのは上手になったと思う、自分を表に出さず、空間の調和を掴む技術のことを指すのであれば
再び、学科の話
情報だというのに、蓋を開けてみたら数学ばっかりで最初はみんな嫌な顔をしていた
当時の先生たちは、白髪のおじいちゃん先生、空手とハッキングの話ばかりで数学の話をしない先生、板書が異様に速い先生…とてもなげやりな感じで、内容を把握するので精一杯だった
それでもとても楽しかった、魔法のように自由自在に式を操っていく彼らの話は、ここではない何処かへ連れていってくれるような陶酔をもたらしてくれた
同時に、情報ではなく数学の方が肌に合うのだとも感じた
四色問題や情報理論には入学前から関心があったが、入学後は暗号理論に激しい興味を抱き、整数や代数に触れるようになった
これらはそれ単体では、図や現実世界の概念に落とし込むことが難しく、理解するのにかなり苦戦したと思う
いまでも、多分あんまり分かっちゃいない
けれども、それらが時には人を守り人を殺す暗号理論へ応用されると聞かされると、私には美しい刀の放つ妖艶な光に魅せられた武士のような心持ちでそれらに手を伸ばしてしまうのでした
ちょうどその頃、初めて彼女と二人で数学の話をした
数秒で終わるからちょっと付き合ってよと声をかけ、mod13の乗法演算表のなかから適当に一つ数を選んでもらうようにお願いした
彼女は7を選んだので、足し合わせて13になるように6を選び、これらの浮かび上がるところに○をつけていった
その表の上には一つの模様が浮かび上がった、これを「だからなんなの」と言って終わらせることも簡単だと思うけれど、私は今も昔もこういう一見無意味な行いのなかに楽しさを見出だしていたのだと思う
この日はとても楽しかった
さて、一年前期の中盤くらいに入ると、数学科ですら頭を抱えさせると噂のε-δ論法、つまり解析学の初等的内容、実数集合上に位相構造が入っていることを確認するための授業があった
これは本当にみんな苦戦していたらしかったので、分からない人を集めて勉強会を開いてみたりした
分かりやすかった!との声もあったけれど、称賛よりもそこに潜む数学的な美や概念を知ってもらえたことに喜びを感じていたと思う
この頃から勉強会の文化が始まったと思う
授業後に残って、黒板を占有して…だらだらといたずら書きをしながら勉強をするのは楽しかった
ある日のこと、あれは線形代数の表現行列の話をしていた頃だったろうか
あの日もいっぱい黒板を汚した
ハリネズミの絵やチルノの絵、カービィの絵をぱぱっと描いてくれて、とても楽しかった
パソコンを持ってきていたからゼロツー戦の音楽を流したりしながら、私も授業とは無関係なピックの定理や双子素数、四つ子素数について話したりしていた
こんな時間がずっと続いてくれたらいいなと思っていた
試験直前は、みんなで通話しながら対策したりもしたっけな
ときどきピアノの旋律が聴こえてきたりして、何時間でも続けられた
誕生日には、初めて人に贈り物をした
何て言いながら渡せば良いか分からなかったし、もう色んな所でどうでもいい人間から要らないものをもらっても困るだけだという話を見てきたから、不快に思われないか心配になりながら、グループも違うのに別の物理学実験をしている彼女の実験室に入ってプレゼントをした
恥ずかしさで頭がいっぱいで、どんな会話をしたかもあんまり覚えていない、嬉しそうにしてくれた顔だけが残っている
夏休みには勉強会の仲間たちと一緒にカラオケに行った日、途中で抜け出して心配をかけてしまったのは申し訳なかったと思う
楽しかったけれど、楽しければ楽しいほど数学のことを考えてしまったりもしていた
その日は大学のオープンキャンパスと被っていたから、話を聞いたり催し物で遊んだりした
その時話した先生は、無理数と有理数はどちらの方が多いでしょう?という質問をしてきた
濃度的なことをいえば、無理数の方が多い、どちらも稠密なんだけどね
『嘘ついたら非可算無限本の針の~ますっ♪』
なんてね
夏休みが終わって数ヵ月の間はあんまり会話の機会がなかったけれど、その理由はここでは書かない
私の誕生日に、彼女が贈り物をくれたときは本当に嬉しかった
寒いときには役に立つよ、と話してくれて、何だろう…マフラーかな、とか色々考えていたけれど、中身はマグカップだった
これは今でも使っているけれども、ウイスキーを飲むときばっかりだね
それからはまたしばらく、勉強会を開けるようになった
線形代数は基底変換とか、Gram?Schmidtの直交化法とか…解析は重積分なんかやっていたかな
物理学2は大変だったね、電磁気…レポートも忙しいし、学科で一番の落単科目だったけど、これもみんなで乗り越えた
そんなこんなで濃い一年が終わった
二年目のことは、あんまり書くつもりはないけれど、少しだけ
二年目は確率論や統計、離散数学、情報理論と、いよいよ情報系の数学、という感じになってきた
計算機系の科目もjavaやocalmなんかを扱って、Javaでジャバジャバ!wとか言ってたなあ
一緒に図書館で同じ確率論の本(組合せ論確率論から公理論的確率論への誘導が丁寧で、とてもよい本)を借りて、勉強したり
昔の感情を思い出していると、少しだけ色が戻ってくる感じがするよ
もう5000兆回くらい繰り返し言っているけれど、とても楽しかったのです
弾いてくれたThe Least 100secを忘れたことはなかった
現在を知らなければ、幻影を視ていると言われても仕方ないのかも知れないが、私は貴女のことを格好いい人間だと、今も昔も思い続けています
何が楽しくてみなさん生きているのだろう
信念もなしに揺らぎ続け、読み終えることのない本を山積みにして、漠然と定めた一時的な到達点すら放棄して、何が楽しくて生きているのだろう
自分のことを自分ひとりでやれるようにしよう
他人のことは他人が解決するまで手を出さない
あぁ、自他の境界を切り分ける作業は、何てつまらないのだろう
他者の思考との競合の果て融和する認識に価値を見出だすといった魔術的思考は今日受け入れられない
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