黒猫ソフィア 2014-11-01 12:36:40 |
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酷く空が暗かった。
「__……嵐が来る」
男は真っ黒のローブを翻しながら呟いた。
今にも飛んでいってしまいそうな、同色の帽子を押さえながら。
ここは「迷いの森」。
その名の通り、一度入ってしまえば出られない森。
近くにあるザガラという村では、迷いの森は決して足を踏み入れてはいけないとされていた。
迷いの森に遊び半分で入って帰ってこなくなった者を、ザガラの村人は何人も見てきたからだ。
「……成る程、これで迷う訳だ」
男は少し楽しそうな感情を声に乗せた。
此処に来る前にザガラの村人たちに何度も止めらて少し警戒していたが……余りにも簡単な仕掛けであった。
入り組んだ蔦の中に手を突っ込むと、バチッという何かを弾くような音がし、次の瞬間には男の手は火傷していた。
此処に住む悪魔たちが張った、人間を中に入れないようにするための結界だ。
男は悪魔が張る結界に耐性が有るから良いのだが、耐性が無い普通の人間が触れたらその瞬間気を失ってしまう。
そしてその場に倒れた人間を、悪魔たちは森の奥底に引きずり込んで、食すのだろう。
「面白い……」
今度は確かに笑って、男は入り組んだ蔦の中に全身入って行った。
バチバチと激しく音が鳴り、皮膚が一部爛れるほどに火傷をしたが、構わず進んでいく。
蔦の海を抜ければ、だだっ広い空間が有った。
蔦をきつく結って作った部屋のようなものだった。
「…おや?」
男は帽子の裏で目を見開いた。
部屋の真ん中で、白いワンピースを着た少女が踞って泣いている。
少女は男に気付き、顔だけを此方に向けた。
十くらいの、華奢な少女だった。
「……あなたは、だれ?」
小さな震え声で首を傾げて。
少女の腕は、赤黒い液体で汚れていた。
「ふむ……」
香りからでも分かる、紛れもない悪魔の血だった。
少年ライルは、退屈していた。
折角の休みの日だというのに、村長に謹慎を命じられたのだ。
命じられているのはライルだけではないのだが。
「大体何だよ"悪魔が出た"って。悪魔なんてこの地方に居るわけねぇッス」
近くの迷いの森で悪魔が出たという噂がたち、容易に外に出られなくなった。
十と五つの歳のライルにとっては、にわかに信じられない話だった。
悪魔が出たなんて、大人が子供の行動を制限するための口実だからだ。
それに、悪魔は此処、ルイフィック地方には住んでいない。
悪魔は北の凍える大地、ラージ地方に住んでいるのだ。
「つまんねぇよー、休みだっつーのに外出られないなんて」
唇を尖らせぶうたれていると、母親が深い溜め息を吐く。
「少し大人しくしてなさい。悪魔に食べられるのと、一週間家で我慢してるのと、どっちが良いの?」
ライルは不満げに低く声を漏らした。
「そりゃ食べられるのは嫌だけどよー、此処に悪魔なんて来る筈ないッス」
母親が呆れたように首を振る。
ライルは構わず不満を漏らし続けた。
「私も正直信じられないけど……実際に悪魔の目撃者が居るし、ここは村長の仰ることに従いましょう」
「んー……分かったよ」
やっと納得した様子のライルに、母親は軽く頷いた。
それから買い物袋を持って言う。
「じゃ、お母さん買い物に行ってくるから」
ライルは適当に返事を返した。
今は村人は基本謹慎中だが、村長に許可を取れば外出して良いことになっている。
迷いの森の近くは通らず、目的地には遠回りしていくことも条件の一つだ。
(__悪魔の目撃者って奴も怪しい……)
目撃者とは、真っ黒い帽子に真っ黒いローブという、如何にも怪しげな風貌をした男だ。
彼が言うに迷いの森の入り口で悪魔を発見したらしく、此処、ザガラ村に報告しに来たのだ。
大体、彼奴は最初からザガラの村人の言うことを聞いておけば良かったのだ。
真っ黒い格好をした男は、ザガラ村の前を通った時に村人に「迷いの森には行くな」としつこいほどに言われていた筈だ。
何故それを聞かずに近づいたんだ。近づかなければ悪魔を見なかったろうに。
「あーもー、ムシャクシャするッス!!」
ライルは頭を掻きむしって息を吐いた。
「外出たいー……カビが生えそうだ……」
それから机に突っ伏す。
しかしすぐに顔を上げると、何かを決心したような表情で立ち上がった。
家の裏の扉から出て、立て掛けてある長めの棍棒を手に取った。
誰にも見られていない事を確認してから、迷いの森に向かって駆け出した。
「___..ということは、あれですかな?迷いの森に居た悪魔は十くらいの少女の姿だと」
村長は如何にも"村長"らしい立派な顎髭を撫でながら言った。
その目線の先に居るのは、真っ黒いローブに真っ黒い帽子を被った怪しげな男。
お前が悪魔なんじゃないか、と言いたくなるような風貌だ。
「はい。白いワンピースを着た少女でした」
男はニコリと笑った。
と言っても、目元は帽子に隠されて見えないから、本当の笑顔には見えなかった。
…悪魔を見て笑っていられるなんて普通じゃない。
「悪魔とは元々ラージ地方で生まれたもの……。その姿は大抵化け物の様で、可愛らしい少女の姿をした悪魔なんて聞いた事もない。
もし仮に少女が悪魔だとしても、ラージ地方から此処まで来るのは無理じゃ。極寒の地を抜けた後、灼熱の地を通り過ぎる事になる。早くても二週間は掛かる。
例え悪魔と言えど旅路の間に死 んでしまうだろう」
村長は客人との間に広げた地図に目線を落とした。
やはり北の大地ラージ地方から此処、ルイフィック地方まで来るのは馬車が無い限り無理だ。
ふぅむ、と低く唸ってから、村長は、目の前の客人と目を合わせる。
「__話に聞くと御客人、貴方は吟遊詩人であるらしいですな」
村長の言葉に男はすぐさま頷いた。
「はい。私しがない吟遊詩人でございます。それにしても、今何故それを?」
男のもっともな問いに、村長は顎髭を触った。
それからばつが悪そうに小さな声で言う。
「今ザガラは不安で満ちて居りましてな。此処から逃げ出そうと思っとる輩も居るんですわ。……どうですか、ここは一つ、貴方の詩で活気づけを」
男は口元を愛想よく歪ませる。
「ああ、そういう事ですか。悪魔を見掛けた吟遊詩人、なんて怪しい肩書きで村の皆様に詩を聴いて貰えるか少々不安ですが、村長の頼みと来たら喜んで詠わせて頂きます」
「おお有難い。御礼はお渡しします故」
肩の荷が一つ降りた村長は、深く安堵の溜め息を吐いた。
ネガティブな気持ちには詩がもってこいなのだ。
……と急に、村長の家のドアがノックされる。
「誰じゃ」
村長が問うと、ドアの向こうの人物が焦った様子で名乗る。
「アルダ·バクスターでございます!!助けて下さい!!息子が……!!」
村長の声かけで外に立っていた見張り番がドアを開けた。
声の主の女性が、真っ青な顔で息を切らして入ってくる。
「落ち着いて、簡潔に話しなさい」
落ち着き払った村長の声に、女性は深呼吸をした。
そして、目線をゆっくりと村長に合わせる。
「息子が……ライル·バクスターが……迷いの森に行ってしまいました……」
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