ブラック 2014-10-18 07:11:51 |
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温泉旅行(前編)
旅行、それは楽しいものであって決して兄弟で行くようなものではないだろう。
仲が特別に良いのなら問題はない――はずだ。
けれど俺と兄りとの兄弟仲を知る者はまず、目を見開いてありえないと言って驚くだろう。
俺とりとは、誰がどう見ても仲の悪い兄弟な為2人だけで旅行をするという事自体をしない。
何故俺とりとが旅行に行くことになったのかと言うと、大体一週間前に遡る。
**
一週間前の今日、俺の机にメモが置いてあった。
学校から帰って自室で電気をつけ、ベッドやクローゼットの位置が把握できると、赤いブレザーを脱ぎ、ハンガーに掛けてクローゼットの中に仕舞った。
宿題でもしようかと制服姿のまま、パソコンを置くように買っただけの勉強机にあるイスに腰掛けて空いているスペースに鞄を置けば黄銅色の机の隅っこに白いメモがポツンと置かれていた。
自分で置いた気はしなかったので、一緒に住んでいる誰かなんだろうと思いつつ、俺が見ている側では真っ白で、手にとって裏返してみると文字が書かれていた。
『来週の今日、中央駅に来い』
それだけが書かれていた。
今日は金曜日な為、来週も平日じゃないかと思い、机に置いてある小さな三角のカレンダーを見ると、来週の金曜日は創立記念日で学校が休みだと思い出す。
これを書いたのは字体的にりとだと判断出来るが何故、普段部屋にも入って来ない兄がメモを置いたのだろうと不思議で仕方なかった。
「中央駅、なんでまた……?」
何故、中央駅に行かないといけないのだろうと思いながら俺はそのメモをゴミ箱に捨てた。
次の日何故かりとが俺の部屋に来た。
いつもなら互いの部屋に一歩も入らないのに何故かは分からないが、りとが俺の部屋に入ってきた。
それも学校で隣のクラスに居る友人に声をかけるかのように。
「恋也ー」
ノックもせずにガチャリとドアノブを回して、俺の部屋に堂々と入ってきた。
表情は不機嫌でも上機嫌でもなく、いつもと同じでドアを閉めて俺のベッドに腰掛ける。
その動作を見ている俺は何度も別人ではないかとりとを疑う。
俺の兄はまず俺の部屋に入らないし俺のベッドにも腰掛けない、そんな奴なのに今日の兄はいつもの様子が全くない。
本当に兄なんだろうか、どこかのそっくりさんではないのだろうかと思っている間にもりとは俺の部屋を見渡している。
「なぁ……」
遠慮がちに声をかけた。
俺は勉強机にあるイスに腰掛けていたので、声をかけるとりとは俺の方に向いた。
「ん?」
短く首を傾げるりとが異常にしか見えなくて、思わず顔を逸らしてしまう。
顔を逸らせばしまった、と思い怒らせてしまっただろうと思いりとの方へ恐る恐る向いてみるとりとは全く気にしていない様子でいる。
俺にとって今のりとは不思議で仕方がない。
「あの、さ……」
これもまた遠慮がち。
いやいつも通りに会話しろと言われても今のりとは俺の知っているりとじゃない。
俺はりとの返事を待つことはなく続けた。
「中央駅に来いってメモ置いたの、お前だよな……?」
一言「違う」と俺は言って欲しかった――それは多分、建前であって本音じゃない。
ただ一言「んなわけねぇ」といつもの様に言って欲しいと100%思っていた――100%肯定して欲しかった。
そんなことを思っている俺とは真逆にりとは「何か、文句あんのかよ」と自分がメモを置いたと肯定していた。
俺の表情は何故かにやけてしまいそうだ。
実際は全く嬉しくもないのに――本当は嬉しいなんて気が付いてない。
俺はどうしたら良いのか分からないので、適当に頷いていた。
メモが置いてあった日から6日目。
特に変わりもなく1日が終ろうとしていた時に俺は、中央駅に来いと書かれたメモを再び勉強机の隅っこで見つける。
今度は俺が見ている側に『金曜朝6時貴重品持って中央駅に来い』と書かれていた。
最初から細かく書いていれば良いものをと1人で思いつつそのメモをゴミ箱に捨てる。
「朝6時って結構早いな」
溜息を吐き――少し高鳴っている鼓動には気付かぬふり。
俺は電気を消して、肌寒いと思いながら半そでと半ズボンで布団の中に入って目を閉じた。
完全に眠りについたのは午後11時半ぐらい。
**
そして次の日、俺は確かにアラームをセットするのを忘れていた。
目が覚めると何かが違うと思い、時計を確認すれば午前6時15分。
完全に遅刻。
目が覚めたのが15分、此処から中央駅まで徒歩で30分、自転車で信号待ちをした場合約10分取り合えずベッドから降りて服を着替え、貴重品(携帯や財布)をポケットに入れて階段を下り、お手洗いに行ってから洗面所に向かう。
櫛で髪を梳けば後ろで1つにまとめて顔を洗い、そのまま歯を磨く。
大体10分ぐらいで準備が出来て時計を見れば、6時25分。
不機嫌で待っているんだろうなとあまり良い気分にはなれないが、歩きながら髪をハーフアップにして部屋に着けば半そでの灰色の生地が薄いパーカーを羽織って玄関に向かい、靴を履いて外に出る。
暫く使っていなかった自転車を見つけても使う気にはなれなかったので、徒歩で向かう事にした。
イヤフォンを忘れたので音楽を聴きながら行けない事に気が付いても取りに帰ることはせず、ひたすら中央駅に向かう。
ドタキャンすれば良いのにと自分でも思ったが、後々面倒なので行くしかない。
ベージュ色のジーンズの膝裏部分に汗が滲んでいるのが歩いているのでよく分かる。
七部袖の白ワイシャツの肘部分でも同じよう汗が滲んでいる。
30分も遅刻しているのに電話がないというのが意外だ。
普通なら電話してくるだろうと思っていると信号が赤になったので立ち止まる。
急いでいたからなのか、街の景色を見てみると朝早くに外に出ないため、人の気配がしないことに気付く。
そりゃぁまだ7時にもなっていないので、学生も居ないだろうと思っていると信号が青になったので再び歩き出す。
気持ちは急いでる。
やっと中央駅に来れば、20歳ぐらいの男性や、高校生ぐらいの女の子2人、駅員にさっきとは違って人がたくさん居た。
やはり駅は人が多い。
そんな事を思っていると、自動切符売り場で見慣れた金髪が目に入り一瞬躊躇したがゆっくりと金髪の男の所まで歩いていく。
そして――「りと」と声をかける。
**
「……っで、遅刻した理由は?」
不機嫌だ、表情が不機嫌だと言っている。
確かに言われた時間より約1時間も遅れているのに上機嫌な訳がない。
りとの服装はいつもとあまり変わりがなく黒のスラックスに長袖の白シャツ、赤いカーディガンを腰に巻いていた。
何か異様を放っていると思っていたらピアスが無いことに気が付いて、異様の正体がすぐにわかった。
異様というより何故か修学旅行で使われるボストンバックを肩に掛けていた。
それ以外は変わったところはない。
「聞いてんのか?」
りとが睨みつけながら俺に尋ねる。
不機嫌なので変に言い訳をしない方が身の為なのは分かるが、正直に寝坊したなんて返答もしたいとは思わない。
寝坊したなんて言ったら多分、ホームから突き落とされるだろう。
それぐらい凶暴な奴だ、俺の兄は。
「えっと、ごめん」
遅刻した理由には答えずに謝罪だけすれば不服だったのだろう。
舌打ちをすれば「理由を答えろ」と言い返された。
寝坊した、と言えば死刑宣言なのでどうやって誤魔化そうかと考えている間にりとは居なくなっていた。
帰ったなと思い俺もそのまま帰ろうと出口の方に向けば、目の前に切符が出された。
行き先は結構遠いところなんだと値段を見れば何となく想像がつく。
「電車で行くからな」
どこに行くか知らされていないけれど、遅刻した罰として知らされないと言うように受け取った。
切符を受け取るとりとは特急列車の方に向かったので後についていけば、丁度電車に乗って数分で電車が発車した。
特急列車だけは不思議と新幹線に座席が似ている。
新幹線、といっても新幹線の座席をひっくり返して、前向きと後ろ向きになった状態だ。
つまり何が言いたいのかと言うと目の前には見知らぬ他人が居る。
別に居る事が悪いという訳ではないが、俺としては目の前に見知らぬ老夫妻の心配をしてしまう。
何も無ければ良いのにと思ったのも束の間、老夫妻はりとに話しかけた。
不機嫌なりとに話しかけるという事はまず死を覚悟しないといけない。
「どこに行く気なんだい?」
まず口を開いたのはしわがよく目立つ老婆。
しわがあるわりには表情の一つ一つが認識できて、声が高い。
俺は窓の外を見ながら必死に会話を振られないようにしようと心がけている。
悪い人達には見えないが、俺の兄は不機嫌になると手を出してしまうので怖い。
それで警察にお世話になってしまったら、俺はどうすることも出来ない。
「ちょっと、遠出をしようかと思っただけです」
そんな事を思っていれば普段とは全く違う落ち着いた声が隣から聞こえた。
俺は窓際でりとは通路側、俺の目の前に老翁、りとの目の前に老婆が居る。
「遠出は儂らもようやった」
ホホホッと昔を懐かしむように言う老婆にりとは笑みを溢しながら「弟と出かけたことが無かったので、一緒にどうかなと思ったんです」と柔らかく告げた。
多分嘘なんだろう、けれどりとの返答にすれば珍しいので俺は窓からりとの方へと視線を向けていた。
りとがこんな風に話すのを初めてみた俺はどういった気持ちになったのかといえば、それはあまり誰にも知られたくない。
多分自分自身でも知りたくないのだろう。
「それでも良い思い出になるじゃろ」
老婆がそう言った途端にアナウンスが入り、次の駅名を告げる。
老夫妻は荷物をまとめ始めたので次で降りるんだろう。
電車でどこかに向かう時はやっぱり誰かに話し掛けられる。
いやな気分にはならないがその場に自分の知り合いが居た場合、何故か他人への返答にいちいち困ってしまう。
その返答で良いのか、他の人は違うように返答するのか、そんなくだらないことを思ってしまってその辺り俺は口下手な方だろう。
やがて電車の速度が落ちてぼんやりとしか見えなかった様々な輪郭はしっかりとした形を出して、そこに何があるのかを示している。
線路があり、駅のホームがあり、人が居る。
さっきまで全てがぼんやりとしか見えなかったので、改めてみてみると凄い速さで走っていたんだなと思い知らされる。
老夫妻は電車を降りて、改札口の方へ歩いて行った。
電車が発車し、暫くお互い無言でいた。
簡単に言うと辛い。
秋で肌寒い時期にまだ冷房な車内に居ることも、無言で目的地まで居るのも両方とも辛い。
中央駅に行くまでに掻いた汗が冷えているんだろう。
正直言って寒い。
脚を組みながら窓の外を見て寒さを紛らわすように腕を擦ってしていれば、赤いカーディガンが膝に掛けられた。
一瞬何が起こったのか理解が出来なくて何度も瞬きをしてると隣から「着とけ」と一言、声がした。
何かの間違いなのだろうかと思っているとそうでもないようで、りとは俺から顔を逸らして再び「着ろ」と言った。
「あ、有難う……御座います」
何故自分の兄に他人行儀なのか自分でもよく分からない。
兄の性格が気分屋だから気分を害さないように他人行儀で接していたからその名残なのか、それとも違う理由があるのか俺には分からない。
車内で次のアナウンスを聞けばりとが立ち上がったので次で降りるんだろう。
りとがドアの方に歩き出し、俺は膝に掛けてあるカーディガンを羽織ってりとの後に続く。
ボストンバックを持ったりとが何がしたいのか、そんな事を考えながらも電車は速度を落とし、アナウンスと同じ名前の駅に着く。
ガタンッ、と電車がブレーキでお決まりのように揺れると何も握っていなく突然だったので俺はりとの腕に抱きつく形になった。
顔面蒼白になるのが自分でも良く分かる。
不機嫌な相手にとるような行動ではないぐらいは分かっているだろう、それでもりとからすればいきなり変な行動をする弟、と思うだろう。
何を言われるのか分かったものじゃない。
「おい……」
俺より10cm高い位置から声がする。
正直顔を上げれそうにない。
声だけ聞けば不機嫌。
未だにりとの腕から手を離さずに床を見ていると上から「見られてんだけど」と言われて、ゆっくり顔を上げて辺りを見渡す。
ドア越しにこっちを見る人たちや真後ろや少し離れたところから見ている学生やサラリーマンと目が合えば、自分がしたことに恥ずかしさが襲い顔が赤くなるのが分かる。
すぐにりとから手を離して何事も無かったかのように咳払いをして、ポケットに両手を仕舞って、俯く。
暫くしてドアが開き、結構田舎なのかそんなに人が居ない事に電車を降りた時に気付き、置いていかれないようにりとに合わせて歩く。
改札口で切符を通して駅から出て、名前を見てみると知らないところだった。
『二階堂駅』と看板には書かれていた。
中央区とは違い、自然が豊富でまるで全く違う所に来た気分になる。
右を見ても左を見ても山の緑、紅葉やイチョウの葉で赤や黄色、空の水色等が広がっていた。
りとが足を止めたので俺も立ち止まる。
「歩きかタクシーどっちが良い?」
「えっ?……どっちでも……」
振り返って尋ねられるとどちらかを答えた方が良かったのか、りとは舌打ちをした。
実際どこに行くかなんて知らないのでどちらが良いかと聞かれても答えるに答えれない。
ただ、ほんの少しだけ賭けてみようと思った事には気付きたくない。
りとが出した答えは――『歩いて行く』だった。
本当は嬉しいのかもしれない。
少し望んでいたのかもしれない。
俺は自分の兄とこうやって出かけることを望んでいたのかもしれない。
2人で歩いて他愛もない話をしながら出かけることをしたかったのかもしれない。
そうかもしれないし、違うかもしれない。
歩いて行く事になり駅から目的地まで歩いていく。
本当にどこに行くのか分からない。
ただ、りとはボストンバックを掛けている右肩を痛めているのか、時々手を当てていた。
「……荷物持つの、代わろうか?」
少し躊躇い気味に尋ねる。
りとは足を止めて、俺の方に振り返った。
右肩を押さえたまま。
何が入っているのかは分からないが、様子からして重たいのだろう。
俺が遅刻したのもあり長時間1人で荷物を持っていたんだ、さすがにそろそろ交代した方が良いかと思ったので声を掛けてみたのだけれど、余計なお世話だったのだろうか。
「は?お前、遅刻した口でよくんな事言えるな。誰の所為で長時間荷物持ってんだと思ってんだ、あ?」
不機嫌だ。
明らかに不機嫌なのが伝わる。
振り返って眉を寄せ、俺を睨みつけ、腰に左手を当てて言っているりとが上機嫌に見えた人は眼科に行って貰いたい。
兄弟だから分かるものなのかもしれないが、多分誰がどう見ても不機嫌な表情をしているだろう。
「なぁ、誰の所為で俺は1時間も余分に荷物持ってんだ?」
腰に両手を置き俺の方に歩いてくる。
威圧が肌にピリピリと痛むぐらい張り付いている。
指を一本動かすだけでも、殴られそうな勢いでりとはゆっくりと俺の元まで歩いてくる。
身体中が熱くなり呼吸すらまともに出来なくて、逃げ出したいという恐怖を飲み込んで、俺の体温は上昇し、身体中が麻痺していることだろう。
りとは喜怒哀楽が激しく、気分屋だ。
自分が腹が立てば近くにあるものを壊していく。
何度家の中がぐちゃぐちゃになったことだろうか。
家の中にある物を壊しそれでも気が済まなければ俺を殴るのがりとが腹を立てた時の決まりなんだ。
どう考えても理不尽なのは理解している。
警察に言えば多分どうにかなるのではと何度も考えた事もある。
けれど俺が何故そうしなかったのは、殴られずに済んだ時は俺の中に熱が残っている。
恐怖という名の「存在証明」が。
自分の存在証明の為に殴られ続けて、その度に俺はそこに存在しているという錯覚に浸っている。
実際人は「死」を迎えない限り存在はしている。
けれど自分で自分が存在しているのかどうか分からない場合いがある。
一時的にか長期で自分が存在しているのか、そう考える人が居る。
俺はずっと自分は存在しているのかと考えている。
それを証明するのがりとに殴られることだ。
それでもやっぱり、殴られるのは恐い。
田舎だからか、全く人の気配がしない。
周りは木と道のみ、誰か来るのか怪しい。
日当たりは悪くないので多分人は通るのだろうけど、朝早くには数人しか通らないのだろう。
きっとこの状態を見ても誰も止めには来ないだろう。
否、来ないで欲しい。
来てしまえばその誰かは病院行きだ。
そんな事を考えている内にりとは目の前にやって来て「なぁ」といつもより高く声を掛ける。
「俺の、所為です」
すみません、というように頭を下げた。
正直泣きそうになる。
1時間も待っていてくれたのは嬉しかった。
けれど後々こうやって誰の所為だ、と問われるぐらいなら、あの時駅に居なくてりと自身があのメモ自体無かった事にしてくれた方が良かった。
そうしてくれた方が、今俺も泣きそうにならなくて済んだのに。
いつもの様に殴られたら俺は此処に存在している、けど殴られることに慣れは不必要なようで未だに殴られることには慣れていない。
俺は恐怖から泣き出しそうになっていた。
気が済むまで殴れなんて口にはしない。
「そうだな、お前の所為だな。お前の所為で俺は荷物をずっと持って……ずっと?」
「……?」
何か可笑しな事を言ったのだろうか、りとは顎に手を当てて何かを考え始めた。
その様子が俺にはよく分からなくて首を傾げていれば、りとは何事も無かったかのようにいつもの表情に戻った。
「いや、別に長時間持ってねぇな……お前が中央駅に来たのが7時5分前だろ。俺が来たのが6時5分前だろ……っで、俺駅に着いて切符売り場に行って、……あ」
りとは自分のしていた行動を口に出していき、最後は何かを思い出したように表情を引きつらせて、俺の顔を見ていた。
不思議と予想が出来るのは気のせいで良いのだろうか。
多分感情に任せて放った言葉が間違っていたんだろう。
「わりぃ……俺の間違いだった……」
普段謝る事をしないりとが謝罪した。
俺の体の中にある熱はとっくに冷めていて、殴られないことにホッと胸を撫で下ろす。
別に今此処に居る証明をしてくれなくても今はそれに悩んだりしていないので、殴られたら痛いだけなのを俺も冷静になって考える。
「……どんな?」
「どんなって、ただ駅で荷物持ってたの5分ぐらいだった。だからわりぃな」
「別に……」
何かが違うのは気のせいにしてはいけない気がしてた。
あれから何事も無く歩き続けて山の方に向かっていれば、1つの館が見えた。
木で出来ていて館に近付くに連れて、看板にぼんやりと書かれていた文字がくっきり見えてくる。
看板には『二階堂旅館』と木製看板に筆で書いたような字で書かれていた。
旅館、つまりは温泉、と言う風に捉えても良いのどうか判断がつかない。
「二階堂、旅館?」
聞いたこともない名前だなと思っていたら声に出ていたのか、隣でりとが微笑した。
笑われた事に少し不快な思いをしていれば塩水の匂いがした。
そもそも塩水に匂いがあるのかも怪しいが耳を済ませていると波の音が聞こえたので海だと脳で判断し、塩水の匂いがしたと思ったんだろう。
二階堂旅館は引き戸でガラガラと昔懐かしく戸を開けると、立派な旅館だというのが何故かすぐに分かった。
右に下足入れがあり、ほとんど靴が入っていた。
小さい子用の靴や、大きな革靴、学生が履いている運動靴、家族連れやサラリーマン、学生と様々な客がいるのだろうか。
左には旅館の近くある店の名前や観光地などが細かく書かれていた。
その1つに音がする白浜と書かれていた。
どうやらすぐ近くにある海のことだ。
「おい、恋也」
真ん中に受付があり、チェックイン出来たのだろうかりとが名前を呼ぶので受付の方を見る。
りとは手招きをしながら俺を呼んでいたらしい。
靴を脱ぎ、館内専用の青スリッパに履き替えてりとの元まで向かっていく。
「部屋梅の間の2番だ。先に行ってろ」
「りとは?」
「俺は後で行く。だから先に行ってろ」
「分かった」
頷いて「梅の間」に向かう。
どこにあるのかは分からないが、大体上を見たら書いているので上を向いてみる。
木製の矢印に「梅の間」と書かれていたので矢印の方向に進み、梅の間に着けば2番と言われたので、2番の部屋の前に来れば一度息を吐いてから戸を開けた。
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