時空の代行者「斉藤 浩」 2014-10-16 11:57:29 |
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私にふるのやめてくださいよ、私はいけだくんの道具じゃないんですけど
というかおじさんおばさんが頑固で融通がきかないってそんなの個人差でしかないじゃないですか、そんな人ならどの世代にも確実にいるでしょう。というか頑固で融通がきかないのはむしろまだ精神が未発達の子供のほうだと思われますがね。わががまいって気に食わなければ癇癪を起こすってのは小さい子供のほうが多いでしょう。
いろんな人がいる中で自分が「こいつ気に食わないな」ってやつだけ記憶に残ってるだけなんじゃないですか?
例えばソーシャルゲームでレアが出ると印象に残るでしょう?それと一緒のことで、頑固で融通がきかないおじさんおばさんが印象に残るだけであって実際はそんなに多くないんじゃないですかね。
>580
>アルカナ君が一生こき使われる理由は、考えることをやらない人、或いは考えない人、面倒くさがってばかりいる人、こういう人を管理的なポジションに付ける企業なんてどこにもありませんよね?
あるよ、韓国企業は45歳以上なら店長クラスのポストを与えないといけないって韓国の労基法で決まってるよ、どんなバカでも年さえ喰ってれば店長クラスになれるよ、世界は広いね
最初から説明して欲しいのはこちらなのだが…(((^_^;)
何度も言うが俺はバイトではない(笑)
心配してくれたならありがとう♪
アルカナ君はがんたんくさんの言うことは聞くのか(´・Д・)」人間性表れてるねえ。
人によって好き嫌いしてたら社会で潰されますよ。
さて、テーマ2のオジサンは何で気が利かないのかという議論ですが、
これには様々に理由があります、
一つの理由としては、子供とオジサンがフレンドリーな関係になってしまうと、子供が間違えていても言いにくいから、最初から恐くて注意ができるキャラを演じてるという考えもあるし。
気が利かない部分に際しては、何かトラブルがあった時に全部周りが解決してくれると感違いしてしまうことを避けるため、或いは自分自身の力で解決させようという気持ちが入ってることもあります。
いずれにしろ、我々は、良い大人、悪い大人を見ることでお手本ににもなるし反面教師にもなる。良い大人ばかりだと自分自身が大人になった時に悪い大人になっても自身で気が付かないことだって十分考えられる。
大人だって当然、子供時代を過ごしてきてるわけだから子供の気持ちは良くわかるし、自分が頑固オヤジだと思われていることぐらい理解していることだと思う(´・Д・)」
まあ早い話、良いとこも悪いとこも両方取り入れてガンバッテくださいってことです。
議論というのは答えを見つけるためにするものであって、最初から「自分が正しい答えだと思っている意見」を持っていて人が意見を出したらさもそれが間違ってるようにその「自分が正しいと思っている意見」を出すのは議論ではない。
そもそも自分の意見を正しい、相手は間違っているものとして扱うのは討論であり、もしそうだった場合、それは中立的な公衆がいるべきでこれは論者と同一であるべきではないと思われる。
仮に議論だとするならば他人の正しいと思う意見を取り入れてから意見をするべきではないだろうか。また間違っている部分はただそれを指摘するだけでなくこういった意見のほうが妥当ではないかという意見も添えるべきであり、文章全体を自分の意見に反映できるものではないだろうか。
故にこれを討論であると判断し、自分の意見を押し通すために徹底的に相手の意見を批判する態度を取ることとする。
>一つの理由としては、子供とオジサンがフレンドリーな関係になってしまうと、子供が間違えていても言いにくいから、最初から恐くて注意ができるキャラを演じてるという考えもあるし。
確かに一理あるが、別にフレンドリーであったとして注意できないということではないと考えられる。
根拠としては仮に生徒教師の間柄だったとして、ただ頑固な教師とある程度生徒と友好的な関係をとっている教師がいたとして、両者が生徒に対して説教を行った時、ただ頑固な教師の場合ただ闇雲に怒鳴りつけられるという印象が強くなり結果としてそれは行為としてだけの「注意」となり、結果的にその「注意」の内容が全体的に反映されるならば否ではないだろうか。
しかし実際にそういった役割の教師は必要であり「この人は怖くて怒られそうだから悪いことやらないと思われるような役割の大人」がいけだくんの言う頑固なオジサン像にあるのだと考えられる。
しかし議題は「なぜオジサン、オバサンは気が利かないのか、頑固なのか、すぐ怒るのか」という全体像をとらえたものであり、こういった一部だけを指すものではないとした場合に私の主張する「そういった人物の印象が強くなり結果として全体がそう見える」という意見で条件が満たされると考えられる。
>気が利かない部分に際しては、何かトラブルがあった時に全部周りが解決してくれると感違いしてしまうことを避けるため、或いは自分自身の力で解決させようという気持ちが入ってることもあります。
本来ならば役割が上のものとして取るべき行為はそのトラブルを解決できる範囲は自己で解決させ解決できない範囲を引き受けるというものであり。全部自分、全部他人という0か100かであってはいけないものであり、それは単純に責任の押し付けであると考えられる。
いけだくんが主張する「自分自身の力で解決させようとする」は「自分自身の力の及ぶ範囲」でのみ適用されるものであって、
実際は「出来る範囲は自己解決させて出来なかった範囲を肩代わりし、その際被った被害や迷惑を事細かに説明したうえで二度とトラブルを起こさないよう指導する」というものが正しいのではないだろうか。
>いずれにしろ、我々は、良い大人、悪い大人を見ることでお手本ににもなるし反面教師にもなる。良い大人ばかりだと自分自身が大人になった時に悪い大人になっても自身で気が付かないことだって十分考えられる。
これは議論の主題である「なぜオジサン、オバサンは気が利かないのか、頑固なのか、すぐ怒るのか」とは趣旨が異なると判断できる。何故ならば議題はあくまでも「オジサン、オバサン」という広義的なものであり、また全体的なものであるため、良い大人、悪い大人と区別した場合、テーマそのものが破綻する。
内容としては、前半部分としては妥当かつ真っ当であると考えられるが後半は異論を唱えざるを得ない。
まず、子供の成長過程に当たり、少なからず大人に影響を受けるものだと考えられる。良い大人ばかりに囲まれて育った場合、そもそも悪い大人になるだろうか。周りが良い大人ばかりだったら悪い方向に行きそうな場合は周りの大人はそれを修正するものではないだろうか。
良い大人にばかり囲まれて育ったのなら悪い大人の影響を受けないためそもそも悪い大人にならないし、なろうとしていたとしても周囲はそれを真っ当な方向へ導くための努力をするものではないかと考えられる。
>大人だって当然、子供時代を過ごしてきてるわけだから子供の気持ちは良くわかるし、自分が頑固オヤジだと思われていることぐらい理解していることだと思う(´・Д・)」
個人的な考えとして、議題にあるような「なぜオジサン、オバサンは気が利かないのか、頑固なのか、すぐ怒るのか」に代表されるような人物は、クレーマーが自身をクレーマーだと理解できていないように、それを理解していないのではないか。
「自分のしている行為は正しいと信じて疑わないから気が利かない」
「自分が正しいと確固たる意志を持っていてそれを曲げようとしないから頑固」
「それを指摘された場合、自分が正しいと思っているからすぐ怒る」
それは自分を客観視して自分がそれに当てはまると自覚できる人間はそもそも自身の間違いを確認できるため頑固な人間にはならないのではないだろうか。
はいはい(; ̄O ̄)じゃがんたんくさんの意見が正しいってことでいいよ。オッケー?納得?
ところで、
アルカナ君がいないみたいですが(´・Д・)」
アルカナ君もがんたんく君もかなり粘着タイプの人間だよね。
1人探すだけでも大変なほど。
どうしてお互いに反応しないんですかねえ(´・Д・)」アルカナ君がいる時はがんたんくさんが消え、逆にがんたんくさんがいる時はアルカナ君が消え、もしかして同じ人間だったりして(^ω^)
ンなわけないですよね(´・Д・)」
そしてこのテーマは反響が少なかったので終了とします。
そして次回の第877回目のテーマは
[上村君と18歳の王様と愉快な仲間たち]と言うテーマでお贈りしていきたいと思ってるのでよろしくお願いします。
何…そのテーマ(((^_^;)
どう議論するのよ…
それよりもこんな議題はどうかな?
「池田は何と戦っているのか?」
について(笑)
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