ハナミズキ 2014-10-10 16:57:40 |
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◆ 台風の目が来た! ◆
過去に飛ばされてから半年が経った。
季節は春の声が聞こえてくる。
雪は解けはじめ、その下からはフキノトウが顔を覗かせ、日差しも柔らかく、小鳥のさえずりが、2人の心を和ませてくれていた。
「春ねぇ~・・・・」
「ああ・・・」
2人はいつもの様に、車の窓越しに朝の景色を眺めていた。
この車は冷暖房完備なので、それほど寒さは感じないが、外に一歩出ればまだ寒い。
圭太が居なくなってからは、夜寝てから朝起きるまで、ずっと鈴と和也は車両の中で二人きりだ。
だからと言って、何かが起こったわけでも変わったわけでもない。
だが、少しだけ変わった所があるとしたなら、それは、鈴が和也を頼りにするようになった事ぐらいだろうか。
「ねぇ、和也。温泉に浸かりたくない?」
鈴はいきなり変わった事を言い出す。
それはいつもの事なので、別に驚きもしないが、なぜ温泉!?と思う和也だった。
「いきなりどうした」
「・・・ん~、急にね、日本の温泉が恋しくなっちゃったって言うか・・」
「フッ」思わず鼻で笑ってしまう和也だ。
「王都に来てから、ほとんど休みなく働いたじゃない?
少しくらい休暇があっても良いと思うのよ」
「そうだな」
「和也もそう思うでしょ?」
「確かに、そろそろまとまった休みが欲しいな」
「じゃあ、決まりね!来週から1週間ほど温泉に行きましょうよ」
何処の温泉が良いのか、朝ご飯を食べながら、使用人たちに聞いてみる事にした。
「来週から1週間、診療所はお休みしま~す」
鈴がそう言うと、使用人たちは「えっ?!」と言う顔をし驚いた。
自分たちはどうすればいいのかと考えたからだ。
「それで、休暇を利用して温泉に行きたいと思うんだけど、みんなはどうする?
家に帰ってゆっくりするのも良いし、一緒に温泉に行くのは、もちろん大歓迎よ」
「温泉なんて行った事が無いです・・・」
「俺も無いな・・・」
使用人たちは、温泉に行った事が無いと言う。
「じゃ、一緒に行きましょうよ。どこの温泉がおすすめかな?」
みんなは口々に、噂で聞いた温泉の名前を挙げていった。
「ミンニャンなんてどう?美肌効果があるらしいわよ」
「やっぱスイレンだろ。疲労に良く効くらしいって噂だぜ」
「ミュンレンの温泉が、色んな種類があって、町も賑やかだって聞いた事があるわ」
「ミョンレン?私もその噂なら聞いた事があるわ」
「俺も」
「なら、ミョンレンにする?」
「でも、ミョンレンは遠いですよ?3日はかかります」
歩きで片道3日と言う事は、往復で6日だ。
とても1週間の休暇中に行くような所ではない。
誰もがそう思っていた。
「じゃ、ミョンレンで決まりね!」
みんなは、なぜわざわざそんな遠い所まで行くと言うのか不思議だった。
疲れを癒しに行くのではなく、疲れに行く様なものではないかとさえ思ったのだ。
それでも初めての温泉旅行なので、みんなはどことなく嬉しそうだ。
その話の後に、またもや鈴がとんでもない事を言い出した。
「それとね、みんなの家族が居るじゃない?
二人までなら同伴を許可するわ」
使用人たちは再度驚く。
「で・・でも・・、母ちゃんはまだ歩けるとしても、婆ちゃんはそんなに歩けない
と思います・・・」
「うちは兄弟が多いからな・・・隣の婆ちゃんでもいいかな?
小さい頃から世話になってたんだ」
「誰でもいいわよ?旅費の事は心配しないで。
全部私たちが持つから。
家族以外でお世話になった人に、恩返しをするチャンスなんだから、遠慮しないで
連れてらっしゃい。」
みんなは、誰を誘おうか1日悩んでいた。
ウンデグは、両親を誘う事にし。
ホウミンは、母親と足の悪い祖母を。
シュンイは、両親が他界し、意地の悪い身内しかいなかったので、仲の良かった友だちとその母親を招待する事にした。
バジルは、母親だけしかいなく、バジルの下に3人の弟妹がいる。
小さい頃から世話になった、隣の婆ちゃんも連れて行きたい、悩んでいた。
1日悩んだが、結論が出なかった。
すると鈴が、悩んでいるバジルを見かねて言う。
「バジル。今回だけよ?
お母さんと弟妹とお婆ちゃん、みんなで行きましょ?」
「いいんですか?!」
「しょうがないじゃない。
小さな弟妹だけを置いて行くわけにもいかないし、かと言って、お婆ちゃんだけを
連れて行くのも変だし・・・ね?」
「ありがとうございます!鈴先生!」
バジルの顔がぱっと明るくなり、笑顔が戻るのであった。
診療時間が終わると、みんなは各々その事を伝えに家に帰って行き、各家庭では歓喜の声が上がっていた。
「本当かい?!ウンデグ!」
「本当だよ、母ちゃん!」
「でも、何着て行こうかね・・こんな恰好じゃ笑われちまうねぇ・・」
「へへへ、母ちゃん、これ見なよ」
ウンデグは、1銀に相当する1000元を見せた。
「それ、どうしたんだぃ!?」
「鈴先生が、よく働いてくれたから特別給金(ボーナス)だってくれたんだ。
これで必要な物を買えってさ!」
ホウミンの家でも驚きの声が上がっていた。
「あんたは良い所に奉公に行けたね・・」
涙ながらに話す母親と、足が痛くて歩けないと言う祖母。
「わしは、足が痛くてそんなに遠いところにゃ行けんよ・・・」
「婆ちゃん、鈴先生や和也先生が付いてるから心配ないよ」
「でもな・・・」
「きっと鈴先生たちに何か考えがあると思うから大丈夫だって!」
それぞれの家庭で、それぞれの不安材料はあったが、どの家族も喜び、その日が来るのを楽しみにしていた。
2・3日してから、シュンイの親戚だと言う親子が訪ねて来た。
前にシュンイが話してくれたが、この親戚は、1年前シュンイの両親がたて続けに、流行病で亡くなった時、当時16歳だったシュンイを、一応引き取ってはくれたが、シュンイの両親が残してくれた少しばかりの財産を、全て奪い取ったあげく、シュンイを奴隷の様にこき使っていた。
食べる物は、そこの家族の食べ残ししか与えて貰えず、着る物もボロボロの着物しか着せて貰えなかった。
シュンイから奪った遺産は、自分の2人の娘たちの着物代や飾り物に消え、1年もしないうちに無くなってしまったのである。
贅沢をする事に慣れてしまったその家族は、お金欲しさにシュンイを娼館に売ろうと考えていたのだ。
その事を知ったシュンイは、その親戚の家を飛び出し、仕事を探していた時に、この診療所の募集を目にしたのだった。
そして今回、この親戚親子がここに来た理由は、風の噂で、シュンイが診療所に勤めていて、
住み込みの割には給金が良い事と、身内を誘って温泉に行くと言う噂を聞いたからだ。
身内と言えば自分たちしかおらず、いくら待っても連絡が来ないため、痺れを切らせて自分からやって来たと言うわけだ。
この親子、シュンイが仕事中だと言うのにもかかわらず、ずかずかと診療所の中までやってき、大声でシュンイに話しかける。
「シュンイ!あんた温泉に行くって言うじゃないか。
身内も一緒に連れてってくれるって言うのに、どうしてうちに帰って来ないんだい」
診療中だと言うのに大声で話すのを止めようとはしない。
さらに追い打ちをかけるかのように、親戚の母親は喋りだす。
「うちのシュンイがお世話になって・・おや?先生様はどこだい?
まったくこの子ときたらトロ臭くてご迷惑をかけてやしませんかね」
「そんな事はありませんよ。とてもよく働いてくれてます」
そう答えたのは鈴だ。
親戚の母親は、見た感じ、自分の子供と大差ない娘が患者の診療をしているのを見て、そう言えば、若い男の先生と女の先生の2人が居ると聞いた事を思い出す。
「その子よりうちの娘なんてどうです?
うちの子は気が利くし、器量だってほら、この通り」
そう言って自分の娘の背中を押し、一歩前へ出させると、褒めちぎりだす。
娘の方は、どこかで和也を見たのだろう。
辺りを見回し、誰かを探している風だ。
「今日は男の先生は居ないの?」
「和也ならこの時間は往診中よ」
「なぁ~んだ、残念だわ・・・」
あからさまにガッカリをした表情を見せる。
「あの、御用がないのなら、外で待っててもらえますか?
見ての通り、今は仕事中なものなので、はっきり言って、邪魔です」
自分の娘と同じような歳の若い女医に言われ、ムッとする母親。
「なんてことだい!?この娘は年上に対しての口の利き方も知らないのかね!」
そう言われて黙っている鈴ではない。
「年上だと言うなら常識をわきまえなさい。
ここをどこだと思ってるんです。
診療所ですよ?
病気の人が来る場所であって、あなたの様に井戸端会議をしに来る場所では
ありません。
出て行きなさい!」
そう言って腕を伸ばし、人差し指で出口を指す。
そこに丁度、往診から帰って来た和也が入って来る。
「ただいま。どうした?何かあったのか?」
間近で見る和也の姿は、背が高くイケメンだ。
その姿に一瞬ポーッとなる親戚の親子だったが、母親の方が気を取り直し、和也に言い寄る。
「先生、この人ったら酷いんですよ!?
私は姪のシュンイが心配で来たってのに、いきなり出て行けって言うんですよ。」
和也は、鈴が何の理由も無しに、そのような事など言わない事を知っている。
この親子が何か失礼な事でもしたのだろう。
そう思った和也は、鈴に向かい言った。
「俺が患者を診るから、お前はこの人達の話を聞いてやれ」
「わかった」
鈴は親子と一緒に外に出て行き、別室で話しをしはじめた。
「改めて聞きますが、ご用件はいったい何ですか?」
「あんたじゃ話にならないね。男先生を呼んどくれ」
「和也はいま診療中です」
「お前が変わればいいじゃないか」
「どっちが話を聞いても同じだと思いますけどね・・・」
「私はね、ここの責任者を呼んどくれと言ってるんだよ」
「ですから、その責任者は私です」
その親子はビックリをして、信じられない、と言う様な顔をしている。
「で?ご用件は何です?」
「いえね、こちらでは身内を誘って温泉旅行に行くって言うじゃないですか。
私どもの家は隣村なんで、シュンイが来れないんじゃないかと思いましてね。
だから、わざわざ来てやったんですよ」
この親子は何処まで厚かましいのだろうか。
「その件でしたら、既に人員は決まっております。
シュンイは友達を誘うそうですよ」
母親は激怒していたが、鈴は知らん顔だ。
「用件はそれだけですか?」
鈴は、少し呆れ顔で聞いた。
すると、隣に座っている娘が、母親の袖を引っ張り、小声で何かを言っている。
「あぁ、そうね。そうだったわ。」
母親がそう囁くと、鈴に向かって言う。
「この診療所は、随分と繁盛しているみたいですね。
人手が足りないんじゃないんですか?」
「そうですね、あと2人ばかり増やそうかと考えてますが」
それを聞いた母親は、自分の娘はどうかと尋ねて来た。
働き者だし、それに器量良しだと褒めたたえる。
鈴にとっては、器量などどうでも良い事だったのだが、この親子にとっては、美人か美人ではないのかが重要な事の様だ。
村の中では、村一番の器量良しのようだが、色んな人を見てきている鈴にしてみれば、それ程美人とは言えないだろう。
いいところで、中の下と言ったところだろうか。
あまりにもしつこく進めるので、再来週から見習いで来るように言うと、今日から勤めさせて欲しいと言い出した。
この母親は、どうしても温泉に行きたいようだ。
そこで鈴は言った。
「今日から働いたとしても、来週の温泉旅行には、あなたの娘さんは行けませんよ?」
そう言うと母親は、何故うちの娘だけのけ者にする、と騒ぎ出し、ウソ泣きまでし始めた。
「今回の温泉旅行は、今まで頑張って働いてくれた者達への、感謝の気持ちの旅行なん
ですよ。
ですから、勤めたばかりの人にはその資格は無いんです。
どうしても一緒に行きたいと仰るんでしたら、旅費は実費でお願いしますね」
実費と聞き、母親はやっと諦めたようだった。
鈴は、呆れ果てて物も言えなかったのであった。
そこへ、午前の診療が終わった和也が部屋に入って来た。
「お疲れ様。もうそんな時間?」
「ああ、飯はここで良いのか?」
親子の方をチラッと見ながら言う。
入院患者が居ない時は、その部屋でみんな一緒に食事をするからだ。
「ここでいいわ。
あなた方もご一緒にいかが?」
シュンイの親戚にそう言うと、二つ返事で食べると言う。
鈴は部屋を出て台所に行き、2人分追加を伝える。
シュンイは申し訳なさそうな顔をしながら、ホウミンを手伝っていたので、鈴は気にしなくていいと言い、先ほど決まった、シュンイの従姉の雇用を伝えた。
すると、シュンイは少し困ったような顔をしたが、『はい』と頷く。
いつもならテーブルを二つ並べ、和やかに昼食を食べるのだが、この日は違った。
あの母親が、休む暇もなく喋り続けている。
「この子は本当に気が利くし、料理や裁縫、何でもできるんですよ。
それに、この子を嫁に欲しいって人も大勢来るくらいの器量良しですしね。
この診療所の看板娘になること間違いなしですよ」
母親が、和也の方を見ながら、娘のアピールをしている。
娘の方も、どうやら和也を街で見かけた時、一目ぼれをしたらしく、うつむきかげんで和也の方を見ながら顔を赤くしていた。
母親の喋り攻撃は止まらず、更に喋り続けた。
「和也先生は、まだお一人で?」
「はい」
「そろそろお嫁さんを貰った方が良いと思うけど、良い人は居ないのかい?」
「まだ考えた事はないですね」
「うちの娘なんてどうです?」
全員が食べていた物を吹き出しかけた・・・。
やっぱり狙いはそこかと、お互いの顔を見合わせ苦笑する。
「そっちの女先生はまだ若そうだけど幾つなんだい?」
「25です」
「そんなに歳を食っちまってるのかい。
うちの娘と同じくらいの年かと思ってたよ・・・」
「そう言えばまだ聞いてませんでしたね。
娘さんの名前と歳は幾つなんですか?」
「この子は今年で17歳で、名前はミャルと言うんだよ」
「さっきからずっと黙ったままですけど、本当に働けるんですか?」
「は・・はい。頑張ります」
聞こえるか聞こえ無いかの小さな声だった。
「ここで働くなら、そんなに小さな声では仕事になりませんよ。
もっと大きな声ではっきりと喋ってください。
それが出来ないなら、雇う事は無理ですよ」
きつい一言を言われる。
それに追い打ちをかけるかのように、和也も言葉を発した。
「鈴、使い物にならなそうなら辞めてもらえばいいだけだろ?
うちには無駄飯を食わす余裕なんてないんだし」
「それもそうね。
今日から働けるんでしたっけ?
では、今から5日間、本採用にするかどうかの試験期間とします。
試験期間の間は、1日30元で働いてもらいます。
いいですね?」
「はい」
「それから、ミャル。あなたの仕事は患者の世話になります。
シュンイからやり方を聞いて、真似をしてください」
「はい」
昼食が終わると、各々食べた物を台所に運び、その後片付けはホウミンがやる。
シュンイとミャルは、患者に使用したタオルなどの洗濯と、部屋の中の掃除だ。
鈴が、ミャルの様子を伺いに行くと、ミャルが洗濯をするはずだったのに、なぜかシュンイがそれをやっていた。
鈴は何故ミャルではなくシュンイがやっているのか尋ねると、水が冷たいからシュンイがやってくれと言ったそうだ。
さっそくミャルが鈴に呼ばれた。
「あなたね・・やる気があるの!?
なぜ自分の仕事をシュンイに押し付けるの?」
「押し付けてなんかいません。シュンイが代わってやるって言ったんです」
そこにバジルがやって来て、鈴に言う。
「鈴先生、俺見てたよ。
その人がシュンイに代わりにやれってタオル投げつけて言ってた」
鈴は大きな溜息を付くと、ミャルに対し静かに言った。
「ミャル。あなた帰っていいわ。
うちには必要のない人材みたいだから」
鈴にそう言われたミャルは、いきなりウソ泣きをし、すみません、もうしませんと、鈴の足にしがみ付く。
同情を買うためにそうしたのかと思っていると、庭の方から和也がこちらを見ていたせいだろう。
弱い女の子を演出し、和也に助けてもらおうとしていたのだった。
「どうした?」
あまりの騒がしさに、和也が庭に回って様子を見に来たのだ。
「和也先生・・・鈴先生に私を追い出さないように言ってください・・・」
泣きながら訴える。
「・・・・鈴がそう判断したなら、いいんじゃね?」
あっさりと見捨てられてしまう。
ミャルのウソ泣きで落とせなかった男は居なかったのだが、和也だけには通用がしない様だ。
ミャルは作戦を変える事にし、今度は鈴に媚びようとした。
「今度はちゃんとやります!だから鈴先生が教えてください!」
「・・・あなたの指導はシュンイに任せてるから、シュンイから教えてもらいなさい。
それが嫌なら出て行きなさい」
この作戦も失敗の様だ。
結局、ミャルはシュンイの指導の下、仕事を教えてもらう事になる。
ミャルはシュンイの方が格下だと思っていたため、なかなか素直に言う事を聞けないでいたようだが、なんとか言われた事はこなしていた。
しかし、診療時間が終わり、プライベートになると態度が一変する。
昼間の仕事がよほど疲れたのか、どっしりと座って動かない。
「ごちそうさまでした」
晩御飯が済み、自分の使った食器は自分で片づけるのだが、ミャルはシュンイにやらせようとする。
「シュンイ、これも持ってって」
しかし、シュンイは自分の分しか持ってはいかなかった。
「ちょっと~、私疲れてるんだけど~、これも持ってってよ」
疲れてるのはみんなも同じだ。
シュンイは立ち止まり少し考えていると、そこに食事を終えた鈴と和也が入って来た。
シュンイはそのまま立ち去り、ミャルも慌てて食器を片付け始める。
「明日から旅行だけど、ミャルはどうするの?」
鈴が聞いてきた。
何を勘違いしたのか、自分も連れて行ってもらえると思い、即答で返事をする。
「行きます!」
「じゃ、これから帰るって事でいいのね?」
「えっ?・・・・帰るって?」
「あなたは家に帰るんでしょ?」
「お金なら払います。だから一緒に連れてって下さい」
ミャルはどうしても一緒に行きたかったのである。
ある目的のために。
その目的とは、この旅行中に、和也に急接近をし、仲良くなろうと考えていた事だ。
そしてゆくゆくは、和也と結婚をして、優雅な生活を送ろうと考えていたのだ。
次の日、診療所の一行は、朝早くから準備に取り掛かっていた。
歩いて3日かかる距離だが、鈴達は車で飛んで行くつもりであった。
空から行けば、1時間もかからないだろう。
その為に、車の中を厳重に施錠し、勝手に中に入って行けないようにした。
みんなが乗る所は、運転席部分にある座席だ。
運転席とその横には、二人ほど乗れ、後部座席は2か所あるので、後部座席は詰めれば6人ずつ12人乗れる。
前と合わせても15人は乗れると言う代物だ。
前列には、運転手の鈴、助手席に和也とミャルが座り、中列には、ウンデグと両親、ホウミンと母親、それにお婆ちゃんが座る。
後部座席には、シュンイと友達親子、バジルの母親とお婆ちゃんが座る事になった。
ホウミンの子供とバジルの兄弟は、バジルと一緒に、2階部分にある談話室に連れて行かれた。
談話室には、絵本や落書き帳、クレヨンなどが置いてあり、子供たちが退屈しないように配慮されている。
バジルは、この車の中への出入りがある程度許されており、たまに夜遅くまで、この談話室で、鈴に勉強を教えてもらっている事もあるので慣れたものだ。
すると、いきなり天井から鈴の声が聞こえて来た。
「バジル、そこの壁に付いてる椅子を引き出してちょうだい」
バジルは、何処から声がしてくるのかキョロキョロしていたが、言われた通りに備え付けの椅子を壁から引き出した。
「出した?」
「出しました」
「それじゃあ、その椅子にみんなを座らせてちょうだい」
バジルは子供達を座らせると、鈴の言葉を待った。
「そうそう、言い忘れてたけど、あなた達の声は聞こえてるから、何かあったらすぐ
呼ぶのよ」
「はい!鈴先生!」
「準備が出来たら安全ベルトをしてあげてね。この間やり方を教えたでしょ?
出来る?」
「出来ます!」
「バジルは物覚えが早くて本当に助かるわぁ」
などと、他愛もない会話をした後、いよいよ出発の時間となる。
いまから出発をすれば、お昼ごろには着く予定だ。
「では、出発しま~す」
エンジンをかけ、飛行モードに切り替える。
すると、車は徐々に上昇をしはじめ、身体にGがかかる。
それと同時に、窓から見えていた景色が変化をもたらし、みんなが一斉に窓の外にくぎ付けだ。
これはいったいどうなっているのだと、驚きの声が上がる。
より一層驚いているのが、助手席に座っていたミャルだ。
フロントガラスから見える景色は、地上を離れ空に浮かび上がって行くように見えたからだ。
キャーキャー言いながら、隣の和也にしがみ付いて離れようとしない。
耳元で叫ばれるものだから、和也にとっては煩くてしょうがなかった。
「そんなに怖いならウンデグと変わるか?」
と、聞く。
しかしミャルは、それは嫌だと言う。
嫌だと言いながら騒ぐので、和也はうんざりしていたのであったが、ミャルにはそんな事は関係が無いかのようにしがみ付くのであった。
外の景色に慣れて来た他の人達は、この様な珍しい乗り物に乗れた事に感謝をし、後部座席同士が対面式だったという事もあり、和やかな雰囲気で移動を楽しんでいた。
一方、2階の子供たちは、外の景色にも飽きたのか、絵を描いたり、鈴から渡された水を飲んだりして遊んでいる。
陸路でミョンレンまで行くとしたら、途中に大きな山があるので、大幅に迂回をするか山越えをしなければならない。
だが鈴達はその山の上を飛行し、空から山を眺める形で移動をしていた。
身を乗り出すように下を眺めると、豆粒の様な人影が見える。
初めての体験に、大の大人がかなりの興奮気味だ。
しかし、1時間程度の飛行だと、あっという間に着いてしまった。
窓の外には、あちらこちらから湯気が立ち上る温泉街の姿が見え始めてきた。
何処に止めようかと、鈴はカメラを下に向け、温泉街からあまり離れていない場所で、ちょうど良い所を見つけた。
その場所に車を着地させると、温泉のすぐ裏手の方だった。
温泉街までは歩いて10分と言う所だ。
みんなは自分たちの荷物を持ち、今日から泊まる宿屋を探す事にする。
1家族で1部屋を取りたいので、ウンデグ・バジル・ホウミン・シュンイの4家族分の部屋は確保したい。
残りの鈴・和也・ミャルは、1人部屋にしようかどうか悩んでいた。
せっかく温泉に来たのに1人は味気ないが、和也と一緒と言うのも、いつもと変わり映えがしないので面白くない。
かと言って、ミャルと同室と言うのは、何かと疲れそうだと考えていた。
結局、残りの3人は個室と言う事に決まり、7部屋をいっぺんに取るという事で、少し大きい宿屋を探し、そこに泊まる事になった。
食事は1階の食堂で取るという形式の宿で、これから1週間は、各自自由行動となる。
宿に着いた時はお昼を大分過ぎていたが、食堂も兼ねていたので、みんなで軽く食べる事にした。
食べ終われば自由行動だ。
何処に行こうが、何をしようが好きにして良い。
そしてここで、鈴のサプライズが出た。
「ホウミン・シュンイ・ウンデグ・バジル。
はい、これ♪」
鈴は可愛い柄の封筒を手渡すとニコニコしていた。
「何ですか・・・?」
みんなは不思議そうに中身を見ると、驚きの表情をする。
「こ・・・これは!?」
「1週間分のお小遣いよ♪
それで好きな物を食べて、好きな物を買いなさい♪」
封筒の中には500元が入っていた。
1週間前に、特別給金だと言い1銀もくれたのに、更に小遣いだと言い500元もくれたのだ。
「何故こんなに良くしてくれるんですか?」
ホウミンが聞いてきた。
「私と和也はね、あなた達のおかげでとても助かってるの。
お金で解決するような事は、本当は好きじゃないんだけど、あなた達ってば何も要求
しないじゃない?
だから、何が欲しいとか、どうして欲しいとかが分からなかったのよ。
こんな事はいつもあるわけじゃないし、ほんの感謝の気持ちなのよ。
受け取ってもらえるわね?」
鈴がそう言うと、和也もその後に続き言う。
「くれるって言う物は貰っとけ。
そのかわり、帰ったらまた、休みなく働いてもらわなきゃならないかもな」
少し笑顔を浮かべそう言った。
するとミャルが、シュンイに近寄り言う。
「いいなぁ~・・・そんなに貰って。
私になんか何にもないのよ!?
そのお金で何か買ってよ~、シュンイ~」
シュンイは少し困った顔をするが、後で何か買うね、と言い、その場をおさめた。
とりあえずは温泉だ!
日頃の疲れを取り、のんびり過ごす事にする。
浴槽は広く、軽く畳15枚分ほどの物が2つ並んでいた。
外にも露天風呂があり、その縁取りは、天然の大きな岩で囲まれ、側には川も流れている。
鈴は露天風呂にゆったりと浸かり、川の流れを見ながら物思いにふける時間が大好きであった。
目を瞑れば、川のせせらぎと小鳥の声が聞こえてくる。
日差しも心地よく、のぼせた身体には丁度良い風も吹いてくる。
言う気は無くても、つい口から出てしまった。
「極楽、極楽~♪」
調子に乗って、1時間余りも露天風呂に使っていた鈴は、湯あたりをしてのぼせてしまった。
フラフラしながら歩いていると、和也と出会うのだった。
「おまえ・・・またのぼせたな・・・」
実家に居た時も、鈴はたまに長湯をしすぎてのぼせる事があったので、和也は『またか』と言う思いであった。
「えへへ・・そうみたい・・・」
のぼせているせいで思考回路が定まっていない鈴は、にへらと笑い真っ赤な顔をしていた。
和也は慣れたもので、鈴を抱え部屋に連れて行く。
「1人で歩けるわよ・・・」
「そんな気味悪い顔でそこら辺歩かれたら人様の迷惑だ」
そう言われた鈴は返す言葉もない。
部屋に運ばれ、床の上に寝かせられると、和也は呆れ顔で鈴をうちわで扇いでくれる。
「おまえってさ、頭は良いくせにこういう所は学習能力無いよな・・・」
「・・・・・・・・ごめん。」
その様子を隠れて見ていたミャルは、今度は自分もその手で和也に介抱してもらおうと考えていたのだった。
温泉街を、鈴と和也の2人で見物しながら歩いていると、見慣れた男性が近づいて来た。
その男性は鈴の姿を見るや否や、手を振りながら駆け寄ってくる。
「鈴先生!やっと見つけましたよ!!」
「あなたは・・・親衛隊の・・・・」
「鈴先生、お願いします。王妃様を助けてください!」
その男が言うには、どうやら王妃がここに静養に来ていたらしいのだが、突然大きな発作に見舞われ、意識を失ってしまったらしい。
その事を王宮に鷹便で知らせると、ちょうど鈴達がこの地にやって来ている事を伝えられ、大急ぎで探しに来たと言う訳だった。
王妃が居る場所は、ここから馬を走らせても30分はかかる。
当然、鈴と和也は馬などには乗れない。
そうなると歩いて行くしかなく、徒歩なら2・3時間はかかるだろう。
事は急を要する。
鈴と和也は大急ぎで宿屋に戻ろうとした。
すると、近くの店屋の中に、バジルとシュンイの姿を見つけた。
「シュンイ!バジル!良い所に居たわ!
あなた達にお願いがあるの。
休暇中悪いけど、仕事をしてちょうだい」
「「はい!急患ですね!」」
2人は二つ返事で答えた。
2人と一緒に居た身内たちは、何が何やら分からなかったらしいが、4人の緊迫をした会話からすると、とんでもない緊急事態が起こっている事だけは分かる。
そして、自分たちの事は良いから、しっかり仕事をして来なさいと、送り出されたのだった。
◆ ライバル出現?! ◆
温泉地ミョンレンで、離宮から来た親衛隊の使いの者により、王妃が大きな発作を起こしたと知らされた鈴と和也は、バジルとシュンイを連れて大急ぎで医療車両に向かった。
ちょっとした手術、例えば、盲腸や切られ傷などならその場で出来るが、大掛かりな手術は、どうしても最新の機器類があった方が確実かつ安全にできる。
そのため、車両ごと移動しようと思ったからだ。
車に乗り込んだ4人は、離宮を目指して離陸した。
陸から馬を走らせて30分の所なら、空から向かえば5分もかからない。
あっという間に離宮に到着をし、王妃の居る建物の前に着陸をする。
離宮の兵士たちは、王様から話を聞いてはいたが、本当に空から彼らがやって来るとは思いもよらなかった。
鉄の箱から4人が出て来たかと思うと、2人は棒状の何かを運び、王妃の居る建物の中に入って行く。
入って行ったかと思うと直ぐに出てき、先ほどの棒状の物の上に、王妃が寝かされ再び箱の中に入って行ってしまった。
「心電図を取るわよ。シュンイ準備をして」
「はい!」
「バジル、造影剤の準備だ。それとラインも取れ」
「はい!」
2人は、今の王妃の状態を把握するために、迅速に検査を行う。
その結果、王妃の心臓の状態はあまり良いとは言えなかった。
緊急オペが必要なレベルだ。
「和也が執刀医で、冠動脈大動脈バイパス移植術を行いわよ。出来るわね?」
「ふん、任せておけ」
「シュンイは機械出しをお願い」
「はい!頑張ります!」
「バジル、あなたは麻酔の管理をお願いね」
「任せといてください!」
この2人、手術の度に同伴をしていたので、結構慣れたものである。
手順や和也と鈴の癖も、しっかりと把握していた。
そしていよいよ、和也の執刀で、冠動脈大動脈バイパス移植手術が行われる。
「これより、冠動脈大動脈バイパス移植術を行う。メス。」
開胸をし、心膜を切開する。
初めて人間の心臓を見た2人は、少し動揺をしたが、鈴と和也の腕前を最も信頼している2人にとっては、こんな所で気絶などしている場合ではなかった。
もし自分が気絶などすれば、2人に迷惑をかける。
それだけは避けたかった。
意識を、今自分に課せられている仕事だけに集中をさせ、なんとかその場を乗り切った。
「よし。後はペースメーカーを埋めれば終わりだ」
そして手術は無事終了となる。
終了と同時に、バジルとシュンイはその場に倒れ、気を失ってしまった。
「あらら・・・、よく最後まで頑張ってくれたわね。ご苦労様」
気を失っている2人に、優しく声を掛ける鈴であった。
王妃はそのまま、2階にあるICUに移され、しばらくの間そこで様子を見る事になる。
その事を外で待っていた女官に伝えると、中に入れてくれ、様子を見させてくれとしつこい。
しかし、この時代の人に、この車両の内部を見せるわけにはいかない。
ICUに入っている間は、面会謝絶だ。
王様以外は・・・。
王妃がICUに入ってから1週間が経とうとしていた。
術後の経過も順調だ。
しかし離宮では、王妃死亡説が流れていた。
王妃が鉄の箱の中に入り、いまだ出て来ないのは、王妃が死んだからだと噂が広まっている。
その噂は遠く離れた王宮にも届き、王様は気がきではなかった。
しかし、前回の皇后の事もあるので、心配ではあったが、鈴達の腕は信用していた。
あの時も、面会謝絶だと言うのを、無理に頼み込んで中に入れてもらった。
今までに見た事もない機械類が山の様にあり、それが患者の命を繋ぐ道具だと言っていたのだ。
そしてこの事は誰にも言ってはいけないと。
その言葉を思い出しながら、離宮から『無事』の便りが来るのを待っていたのである。
その一方で、後宮では側室たちが、次の王妃候補の事で盛り上がっていた。
我こそは次の王妃にと、周りに根回しをし始めている者も居た。
ある者は、皇子を産んだ私こそが次の王妃だと言い、またある者は、自分の寝所に一番通ってくれたので、私こそが次の王妃だと言う。
側室たちの醜い争いは、後宮を取り巻くどす黒い渦の様に広がっていく。
そんな中、第1皇子ソウレンが、母親である王妃の事を心配して、離宮に行って真相を確かめたいと、王様に願い出た。
この皇子は鈴達の事を知らない。
が、あまりにも心配をするので、王様は皇子に言った。
「大丈夫だ。王妃を診てくれているのは、ファンミンを治してくれた医者だ」
「ですが、父上。いまだ無事の知らせが来ないのはおかしいです!」
ソウレン皇子が声を大にして訴える。
そこへ、内管が文を持ってやって来た。
王様はその文を読むと、安堵の顔をする。
「ソウレン、王妃は無事だそうだ。
順調に回復してると、鷹便で文を持送って来た」
「それは本当ですね!?父上!」
「ああ」
「では、私がこの目で無事を確かめに行きとうございます」
「・・・・お前が行っても、はたして会えるかどうか・・・」
「それはどう言う意味でございますか」
「あの者達は頑固だぞ?」
そう言いながら、王様は少し口角を上げながら笑う。
王様の許可をもらった第1皇子ソウレンは、馬にまたがり、速駆けでミョンレンまで行く事に。
通常歩いて3日の所を、1日で辿り着き、王妃が居ると言われている車の前に来た。
しかし、その扉は固く閉ざされ、びくともしない。
近くに居る者に中の様子を伺うが、誰も中には入れてくれないと言う。
時折、中から人が出てくる事があるので、その時に中の様子を聞くだけだと言った。
そして、そろそろ出てくる時間だから、ここで待っているのだと言う。
その時、車の扉が開き、中からシュンイと鈴が出て来た。
シュンイは洗濯をするために出てき、鈴は王妃の病状経過を報告する為に出て来たのだ。
ソウレンは鈴の前に行き、いきなり声を荒げて言った。
「おぃ!私をその箱の中に入れろ!」
その頃、王宮に居る王様は、『あっ、礼儀をわきまえて接しろ、と言うのを忘れておったわ』と、独り言を呟いていたのであった。
いきなり中に入れろと、見ず知らずの男に言われて、「はい、どうぞ」などと言う訳がない。
身なりからして王族なのだと言う事は分かる。
そして、見た感じ20歳前後なので、たぶん息子であろうと判断をした。
だが鈴は、ソウレンにこう言った。
「お断りします。この中には大事な人が居ますので、見知らぬ人など入れるわけには
いきません」
「無礼な!私を誰だと思っておる!」
「あなたが誰なのかなんて知りませんよ。
勝手にやって来て、大声で怒鳴り散らす迷惑な方だという事だけは分かりますよ」
そう言い放ったのだ。
そして、隣で怯えているシュンイに「あなたは自分の仕事をしに行きなさい」と言い、今度はいつも居る女官に向かって話し出す。
「王妃様の様子ですが、昨日の夜から熱も出なくなりましたので、今日あたりに抜糸を
行おうと思います」
「では、いつその中から出してもらえるのでしょうか」
「それなんですが、王妃様と相談をした結果、このまま私たちと一緒に王宮まで行く
事になりました」
王妃様に付いて来た女官や内管たちは、王妃にもしもの事があれば、ファンミンを治してくれた女医を探し、その者の言う事を聞け、そう言われていた。
その女医に任せておけば、何も心配をする事はないと。
「お二人が決めた事でしたら、私どもは何も言いません。
王妃様をどうぞよろしくお願い致します」
その会話を聞いていたソウレンが、またもや騒ぎ出す。
「お前達はいったい、母上をどうする気だ!
母上は、命に係わる病気にかかったと聞いた。
その母上の無事を確認しないで、この私がそのような事を許すと思うのか!?」
鈴は大きな溜息を付き、ソウレンの目を真っ直ぐに見て言った。
「王妃様は無事です。峠は越しました。
ですが、この車の中に入れるのは、王妃様の身内1人だけです。
それに、あなたは私を信用していない様なので、中に入れる事は出来ません」
きっぱりと、そう言う。
「私はこの国の第1皇子だ!その私の命令が聞けないと言うのか!」
「残念ながら、私たちは自分の信念の下に治療を行っているので、誰の命令も聞く
訳にはいきません。
それが例え王様であったとしてもです。
もし、無理やり命令を聞かせようとするなら、私たちはこの国を去ります」
生まれた時から、次期王となる為の教育を受け、周りの者みんながソウレンの命令に従っていた。
今まで自分に反論する者は居ても、命令を聞かない者など居なかったのだ。
そんな生活に慣れてしまっていたソウレンは、鈴のような人間が珍しかった。
自分の使命の為なら、一国の王の命令も聞かないと言う、真っ直ぐに相手の目を見据え凛とした姿勢を崩さない、そんな鈴に興味を引かれた。
「母上は本当に無事なんだろうな」
「何度言えばわかるんです?」
「せめて、一目だけでも姿を見たい・・・頼む・・会わせてくれ」
少々弱腰になり、『頼む』と言う言葉を聞いた鈴は、にこりと微笑み言った。
「そうよ。初めから『お願いします』って言えば、私だって鬼じゃないんだから考えて
あげたのに、いきなりやって来て『車の中に入れろ』とかは人として論外よね。
初対面の人に対して礼儀がなってないわ。
私はあなたが誰かも知らなかったのよ?
もしあなたが暗殺者だったらどうするの?
そんな得体も知れない危険人物を、私が中に入れるとでも思って?」
そう言われればそうかも知れないとソウレンは思い、自分が無礼だったと鈴に謝るのだった。
「申し訳ない。いままでの非礼は許して欲しい」
素直に非を認め、謝るソウレンを見た鈴は、親を思う子の気持ちも分かるので、中に入れてあげる事にした。
「しょうがないわね、あまり長い時間は王妃様の体に障るから、10分だけよ?」
「入っても良いのか?!」
「ただし!私の言う事はちゃんと聞いて守ってもらいますからね」
「約束しよう」
そうしてソウレンは鈴に連れられて、車の中に入って行った。
入り口の段差を上ると車の中に入り、誰も触っていないのに扉が勝手に閉まった事に、ソウレンはまず驚いた。
「戸が勝手に閉まったぞ!」
「静かにして下さい。この車はそういう造りなんです」
初めて見る、木の壁ではなく鉄の壁。
床も鉄でできている。
左手に少し進むと、今度は鉄でできた階段がある。
その階段を上ると、鈴が壁に手をかざし扉が勝手に開いた。
「おぉ~」
小さな声で驚くソウレン。
扉の中に入ると、無色の液体を渡され、手を洗えと言う。
ソウレンは素直に鈴の言う事に従い、鈴の真似をして手を消毒する。
今度は人が1人やっと通れるくらいの狭い通路を進むと、そこには沢山のベッドがあり、その1つに王妃が寝かされていた。
「母上・・・」
その声で目を覚ました王妃は、ソウレンの姿を見ると「ソウレン・・何故あなたがここに?」
そう語りかけて来た。
「母上の事が心配で、無事を確かめに来たんですよ」
「私の事なら何も心配はいらぬ。鈴先生たちが付いているからな」
そう言い、笑みを浮かべた。
王妃の無事を確認したソウレンは、王妃に沢山の管が取り付けられているのを見て、それはなんなのかと尋ねる。
「これは王妃様の心臓の状態を見る機械と、栄養を補給するための装置です」
そこに丁度、和也が検診の為に現れた。
「居たのか」
「うん。こちらは王妃様の息子さんのソウレンよ」
和也はソウレンに軽く会釈をする。
「では、今日は抜糸をしますから、服を脱いでください」
「はい」
術後、傷口の消毒などは、担当医の和也がやっており、その行為は毎日の事だったので、王妃には何の抵抗もなかった。
しかし、その光景を初めて見るソウレンにとっては、自分の母親の裸を、王様以外の男の人に見せると言う事に違和感を覚え、声を張り上げたい所だったが、また鈴に怒られると思い、黙って見守る事にした。
服を脱いだ王妃は、そのままベッドに横たわり、和也が聴診器で胸の周りを押し当てるが、
王妃の胸には大きな傷痕があった。
「その傷は・・・」
ソウレンが恐る恐る鈴に聞いた。
「それは、今回の手術の痕よ。
胸を開いて悪い所を治したのよ」
「心臓を切っただと・・・・・?!」
「そうよ?じゃないと王妃様の命が危なかったし」
「切ったら死ぬではないか!」
「ちゃんと見てよ。王妃様は生きてるでしょ?!」
「し・・・しかし・・・」
「他の医者にはできなくても、私達にはできるの。
それが私たちの仕事なんだから・・・ね♪」
鈴はにこりと笑いソウレンに言った。
そして一言。
「ソウレン、そろそろ時間だから出てって♪」
ニコニコしながら鈴に促され、ソウレンは渋々外に出て行った。
「皇子様、王妃様のご様子はいかがで御座いましたか!?」
口々に聞いてくる。
「大事ない。元気なご様子だった」
王妃付の女官や内管たちは、皆ホッと胸を撫でおろした。
そして鈴は「私達は明日王都に帰ります。王妃様を連れて先に行きますので、皆さんはゆっくり帰って来ていいですよ」そう言った。
するとソウレンは、自分も一緒に行くと言い出す。
その気持ちも分からないわけではないので、移動中は王妃の側から絶対に離れない事を条件に許可をした。
「あ~ぁ・・・折角の温泉旅行だったのに・・・温泉に2回しか入ってないや・・・」
ポツリと呟くと、ソウレンがこの離宮にも温泉が湧いていると教えてくれた。
鈴は喜んでその場所を聞き、早速入りに行く事にし、皆に声を掛け交代で入りに行く事になった。
離宮の奥の方に、ひっそりとたたずむその温泉は、とてもゴージャスな造りであった。
所々に置いてある仏像に、これはプールか!?と思う様な広い木の浴槽。
その隣にはこじんまりとはしているが、岩風呂もある。
風呂の周りには小石や植木、花が所狭しと植えられていて、なんとも解放感たっぷりの露天風呂がそこにあった。
そして、湯船には花が浮かんでおり、まるでお姫様にでもなったような気分がする。
「はぁ~♪やっぱり温泉は最高よね~♪」
鼻歌を歌いながら温泉を堪能し、長湯をしてまたのぼせない様に、早々にあがるのであった。
次の日、ソウレンを乗せた車は離宮を飛び立ち、温泉街に戻りみんなを乗せると、王都に向かい再び車は離陸をした。
初めて乗った空飛ぶ車に、ソウレンと王妃は興奮をしていた。
鈴に、絶対に騒ぐなときつく言われていたので、ソウレンは小声で唸っていた。
「凄い!これはどういう仕組みで動いているのだ!
おぉ~。人が豆粒の様ではないか!」
王都に着くと皆を降ろし、鈴と和也だけが車に残り、再度車は離陸する。
離宮から出発する時に、バジルとシュンイには「私たちは王妃様たちを乗せて王宮へ行きます。この事はみんなには黙っていてちょうだいね」そう告げていた。
王宮へ到着した車は、王妃様が住んでいる建屋の前に着陸をし、ソウレンに王様を呼んで来るように言う。
この時ソウレンは、既に鈴の言う事を素直に聞く、子犬の様な男の子になっていたのだった。
その様子を見ていた和也がポツリと呟く。
「お前って・・・すげぇな・・・」
「ん?なんか言った?和也?」
「・・・・なにも・・」
しばらく待つと、王様を連れてソウレンが戻って来た。
「そなたたち、本当に有難う。
王妃に会いに行っても良いかな?」
「はい、王様。
王妃様もお待ちかねですよ」
鈴が案内をしようとしたが、王様は1人で行けると言い、先急ぐ様に中へ入って行った。
「クスッ。王様ったらよっぽど王妃様の事が大好きなのね♪」
鈴は微笑ましそうに笑う。
それを見て侍従達も苦笑した。
少しすると、車の中から王様と王妃様が出てき、その後から和也も外に出て来る。
「王妃様、病は治ったとは言え、完全に完治したわけではありません。
くれぐれも無理はしない様にお願いします。
ですが、日常生活においては、普通に出来るようになってますから、これからは
今まで出来なかった事も出来ると思いますよ」
「なんとお礼を言っていいものか・・・」
「これが俺達の仕事ですから。お大事に」
すると王様が、今回の治療費を払うので来てほしいと言う。
王様と一緒に執務室に行くと、既にお金が用意されていた。
「そなた達にはなんと礼を言ったらいいのか・・・。
主治医たちも治す事が出来なかった、王妃の病を見事に治してくれたのだからな。
ここに500銀ある。これで足りるか?」
「それだけ頂ければ十分です、王様」
「そなた達の噂は聞いておる。
貧しい者からは金を取らないそうだな」
「はい。私たちの治療は平等を目指しております。
お金を持っている者だけが、この国の民ではありません。
貧しい者達も同じ民。
頂いたこのお金は、そう言う者達に使うのが、この国の父たる王様の加護だと
私は思うのです」
「そうだ。それで良い」
2人は王様に別れを告げ、診療所へと戻って行ったのである。
診療所へ戻ると、バジルとシュンイを呼び、今回の特別報酬を渡す事にした。
「シュンイ、バジル。今回はご苦労様。
せっかくの温泉だったのにゆっくり出来なかったわね」
「そんな事はありません。
友達もおばさんも、喜んでくれてましたし」
「俺も、母ちゃんや婆ちゃん、弟達も喜んでたからいいんだ」
そう言って二人は満足そうな顔をしていた。
「でね、休暇中に仕事を頼んでしまったでしょ?
それなのに嫌な顔一つしないで頑張ってくれたじゃない?
だからね、今回は特別報酬を出します」
「「特別報酬?」」
2人は言葉の意味が解らなかった。
普通、休みを返上して働いたとしても、お礼の言葉さえ無いのが普通だ。
お礼を言われた上に、特別報酬と言われてもピンと来なかった。
「はい、これ」
2人の目の前に、布袋に入った物を置き、受け取れと言う。
2人がその袋を手にすると、ずっしりとした重みを感じた。
中を覗くと、そこには大量の銀貨が入っている。
「こ・・・これは?」
「今回の報酬の1割を2人で割った物よ。
1人25銀入ってるわ」
袋を握る手が震える。
そんな大金、いままで見た事も無ければ触った事もなかったからだ。
「こ・・・こんなに貰えません!!」
「お・・・俺も!」
「いいから貰っとけ。また頼む時頼みづらいだろ」
和也の一言で、二人は苦笑いをしながらそのお金を受け取る。
しかし2人とも、こんな大金を持っているのが怖いと言い出し、結局は鈴達にそのお金を預かって貰う事になった。
お金が必要な時になったら、いつでも渡すと言われ、2人はこの事をみんなには黙っているように言われる。
ミョンレンに着いた次の日から、仕事だと言い姿をくらませた4人の事が、気になって仕方がなかったミャルは、その後しつこくシュンイに聞く事になる。
しかしシュンイは、鈴との約束を守り、黙秘を続けるのだった。
今まで自分の言う事を聞いていたシュンイが、この診療所に来てからは、全く言う事を聞いてくれなくなったので、ミャルはプライドを傷つけられたと、シュンイに意地悪をするようになる。
だが、ミャルもバカではない。
バジルは直ぐ鈴に告げ口をするので、バジルの居ない所でやり、ウンデグには猫なで声で媚びるように体をすり寄せ、自分は悪くないと言わんばかりに甘えて見せる。
そして和也に対しては、か弱い女の子を演出するかのように、仕事上でシュンイに注意をされたものなら、ウソ泣きをしながらしな垂れかかるのであった。
ミャル一人のせいで、診療所のみんなが迷惑をしている。
一番迷惑をしているのはシュンイなのだが・・・。
春の日差しも随分と温かく感じられ、そろそろ初夏がやって来たかと思われる頃に、ソウレンが供を連れて診療所にやって来た。
シュンイの顔を見つけると、「久しぶりだな。鈴先生は居るか?」と声を掛けて来た。
「鈴先生でしたら、和也先生とバジルとで、薬草を買いに出かけております」
シュンイは初め、ソウレンの姿を見て驚いたが、ここはお忍びで来たに違いないと空気を読み、ソウレンが第1皇子であると言う事を伏せて会話をする事にした。
「いつごろ戻りそうだ?」
「もう直ぐ戻られると思います。お待ちになりますか?」
「そうだな。待たせてもらうとするか」
そう言って、外に造られているベンチに腰を掛け待つ事にした。
そこに、中仕事が終わったミャルが顔を出し、普段は来ない様な、立派な着物を着た、どこかの若様のような人が居る事に気が付く。
「やだ、シュンイ~、お客様にお茶も出さないなんてぇ、信じられなぁい」
猫なで声を出しながらソウレンに近付いてくる。
「申し訳ありませぇん、あの子ったらぁ、気が利かなくってぇ~」
「いや、いい。勝手に待ってるだけだからな」
遠回しにソウレンは『構うな』オーラを出していたのだが、ミャルには通じていなかったようだ。
「若様わぁ、どちらのお屋敷の若様なんですかぁ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
ソウレンは無言である。
「従者の方もついてるって事わぁ、かなり大きなお屋敷の若様って事ですよねぇ?」
「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」」」
ソウレンと従者2人も無言だ。
「もしかしてぇ、若様ってぇ、恥ずかしがりやさんですかぁ?」
『語尾を伸ばすな!語尾を!!』と、3人は思っていた。
この様に、語尾を伸ばす話し方をする人間を、宮中の中では見た事が無かった3人は、媚びるような甲高い声と、語尾を伸ばす喋り方が脳裏に突き刺さり、少しイラつく。
「少し黙ってはくれないか!?」
「はぁ~い♪」
そう返事をしながら尚も喋り続ける。
「若様わぁ、鈴先生とお知り合いですかぁ?」
3人の我慢の限界が来た。
が、丁度その時に鈴達が帰って来たのだった。
「あら?ソウレンじゃない。どうしたの?何か用事?」
「用事が無いと来たらダメなのか?」
「別にダメじゃないけど、いったい何しに来たのよ」
「ちょっと通りかかっただけだ!」
ソウレンは少し顔を赤らめそう言った。
「ソウレン、あなた顔が赤いわよ?熱でもあるんじゃないの?こっちにいらっしゃい」
「熱などない。大丈夫だ」
「いいから、いらっしゃい!」
そう言うか言わないかのうちに、ソウレンの腕を引っ張り診察室に連れて行ってしまった。
「鈴先生のあれって・・・天然?」
バジルが和也の方を見ながら聞く。
「天然だな。あいつは自分の事になると鈍いからな・・・」
2人は溜息を付きながら『ソウレン(第1皇子)って・・可哀想・・・』と、心の中で憐れむのであった。
鈴の診察が終わり、中から出て来たソウレンに対し、和也は通りすがりに耳元で囁く。
「鈴は俺の物だから」
そう言いながら、和也は口角を上げ不敵な笑みを浮かべた。
和也のその言葉に対し、ソウレンも対抗して言う。
「鈴は私の側室にする」と。
「どうしたの?2人ともそんなに仲が良かったっけ?」
話しを聞いていなかった鈴が、にこやかな笑顔で話している2人を見て、小首を傾げるのであった。
◆ 手に入る者・入らない者 ◆
この時代に来て、もう直ぐ1年が経とうとしている8月。
今年の夏は猛暑でかなり暑い。
この時代の着物を着慣れている人なら、そんなに辛くはないのだろうが、現代の薄着に慣れ、ましてやエアコンの生活に慣れてしまっている鈴と和也には少々きついものがある。
地面を照りつける日差しが、高層ビルなどの様に遮るものが無く、直接体に注がれる。
外に出るのが辛い・・・。
家の中に居ても、昔の造りなので風邪通しが物凄く悪い。
各部屋に窓が1つという造りなのだ。
茅葺の屋根も熱がこもり蒸し風呂の中に入っている様だ。
「・・・・・暑い・・。」
ここ数日、鈴の口から出る言葉で一番多い単語がこれだった。
「鈴先生って、本当に暑さに弱いんですね」
シュンイが笑いながら鈴をからかう。
「もうダメ・・・溶けて死んじゃうぅぅぅぅぅぅ」
鈴は暑さの限界に達していた。
すると、往診から戻って来た和也格好を見ると、なんと、TシャツにGパンではないか!
「ずるい!和也だけ涼しい格好して!
私も着替える!!」
そう言って部屋を飛び出して行ってしまった。
往診から帰って来た和也とバジルは、何がどうなったのか分からずシュンイに聞くが、シュンイも急に飛び出していった理由が分からなかった。
数分後、鈴が診察室に戻って来ると、和也以外の人が、目玉が飛び出すほど驚いたのだった。
それもそのはずだ。
現代で暮らしていたのなら普通の格好なのだが、この時代では裸同然の格好をしていたからだ。
この時代の着物を脱ぎ捨て、現代から持って来ていたキャミに薄いボレロカーディガン、それに短パンだ。
バジルとシュンイが目のやり場に困った。
「「///////////////」」
「どうしたの?2人とも??」
「鈴先生!着物を着てください!」
「ん?着てるわよ?」
「それは下着ではないのですか!?」
「違うわよ~。ちゃんとした服よ」
「で・・でも・・、その姿では目のやり場に困ります!!」
鈴は和也の方を見て「この格好、変?」と聞くと、和也は「いや?いいと思うけどな」と答えた。
「お二人は良いかも知れませんが、私たちが困ります・・」
そうシュンイに懇願され、鈴は渋々元の着物に着替えるのだった。
「・・・・暑い・・。」
「我慢してください。」
だんだん強くなるシュンイであった。
そのころ王宮では、第1皇子ソウレンが時々物思いにふけっていた。
ソウレンには15歳の時に結婚をした妃が居るのだが、それは当然の事ながら恋愛結婚などではなく政略結婚だ。
いくら政略結婚だからと言って、妃をないがしろにする様なソウレンではない。
それなりの礼は尽くしていた。
愛情は無くとも、5年も一緒に居れば情は移る。
しかし、鈴との出会いから、鈴との会話や姿がソウレンの脳裏から離れなかった。
ふとした瞬間に思い出し、勝手に笑みが零れ落ちてくるのだ。
そして大きな溜息を付き、物思いにふけるのだった。
最近ソウレンの様子がおかしいと、お付きの内管から告げられた王様が、ソウレンの様子を見に離れ屋にやって来た。
「ソウレン、何か悩み事でもあるのか」
「・・・実は・・、鈴の事なんですが」
「あの者がどかしたのか」
「はい、私の側室に迎えたいと存じます」
「・・・・・・・・」
王様は、『それは無理だろ・・』と思ったが、あえて何も言わず、ソウレンの思いを聞いている。
「鈴は聡明な女人で芯もしっかりしています。
宮中の女人とはどこか違うのです。」
興奮しながら言い、頬を高揚させていた。
王様も、もし鈴がソウレンの側室になってくれたのなら、この国は安泰だと考えていたので、反対はしなかった。
そかし、ソウレンの手に負えるような女性ではないと言う事も分かっていた。
だがソウレンは、王様が何も言わないと言う事は、賛成をしてくれたものだと思い、早速鈴に会いに行く事にする。
意気揚々と王宮を後にし、鈴の元へ向かうソウレンに、王様は肝心な事を言い忘れていたのだった。
『あっ。鈴に無理強いをすると、意識を失うほどの大怪我をするぞ
と言うのを忘れておったわ・・・』
約1年前、主治医率いる暗殺集団を一網打尽になぎ倒し、倒された者達はみな、ろっ骨を骨折していた。
下手に手を出せばソウレンもやられるかもしれない。
しかし王様は、『あの者の事だ。命までは取らぬだろ』と、軽く受け流してしまったのだった。
一方、そんな事など知らない診療所では、とうとう鈴が暑さのためにダウンをしてしまう。
鈴の体を心配した和也は、しばらく車の中で休んでいろと言い、午後の診療を休診する事にした。
夏と言う事もあり、薬を買いに来る患者以外はほとんど来ない。
来ないのなら思い切って休むこともたまには良いだろうと、使用人たちにも休暇を与える。
診療所の留守番は、診療所内に住んでいる人たちに任せ、鈴と和也は車の中に戻ったのである。
車の中は、精密機器類が沢山あるので、常に一定温度で車内が保たれている。
それに、車の中なら現代の洋服を着ても、誰も文句を言わない。
鈴はシャワーを浴び、先ほど着ていたキャミと短パンに着替えると、やっと一息つけたかのように、手足を投げ出しソファーに腰かけた。
「生き返るぅ~♪」
「ババくせぇな」
悪態を付いてはいるが、その言葉とは裏腹に、和也の顔が少しほころんでいた。
「おぃ」
「ん?」
「腕出せ」
「えっ?」
見ると和也の手には点滴が持たれていた。
「おまえ脱水症状が出てるぞ」
「気が付かなかったわ・・・」
「おまえって、ほんと自分の事には鈍いよな」
そう言いながら鈴に点滴を施した。
「点滴なんて何年振りかしら」
そう言いながらケラケラと笑うのだった。
「おまえなぁ・・・自分の体の管理はちゃんとしてくれよ。
俺が心配しないとでも思ってるのか?」
そう言いながら鈴の事を抱きしめた。
「おまえにもしもの事があったら俺は・・・
だから、自分をもっと大事にしてくれ・・・」
和也に抱きしめられた鈴は、ふと、あの秘境での出来事を思い出す。
和也の広い胸に抱かれていると、とても安心する。
1人じゃないんだと思わせてくれる。
そして、温かく適度に筋肉の付いた体が心地いい。
ずっとこうしていたいとさえ思うのだった。
「ごめん・・和也・・。
これからは気を付けるね」
鈴がそう言うと、和也はそっと体を離し、鈴の頭を『ポン』と1つ叩くと道具を置きに別室に行った。
鈴は、車内の心地よい空気と温度に身を任せ、そのままソファーで寝てしまうのだった。
リビングに戻って来た和也は、その姿を見、鈴に薄いタオルケットを掛け、寝ている鈴にそっと口付けをする。
鈴も夢の中で、和也とキスをする夢を見ていた。
夢の中の和也は、大きな手の割には、しなやかに伸びた指が、とても妖艶で色気さえ感じる。
その手が近づいて来たかと思うと、後ろにある壁に片手を付き、鈴に覆い被さるように優しくキスをする。
壁ドンで身動きが取れない鈴は、そのまま黙って和也に身をゆだねるのであった。
そんな甘い夢を鈴が見ているとは、和也は夢にも思わないであろう。
ソファーで眠る鈴。
その向かい側の椅子に座り本を読む和也。
ゆったりとした時間が流れ、和也は時折、本から目を離し鈴の方を見ながら、このひと時の幸せをかみしめるのであった。
しかし、その幸せも長くは続かなかった。
急にインターホンが鳴り、映し出された画面にはソウレンが映っている。
「何か御用ですか」
ぶっきらぼうに和也は言う。
「お前には用は無い。鈴は居るか」
「鈴なら今は休んでますが、急用でないなら伝えておきますよ」
「急用ではないが、鈴に直接話したい事がある」
その様なやり取りをしていると、寝ていた鈴が起きた。
「ぅんん・・・・」
大きな伸びを1つすると「どうしたの?お客様?」
眠い目を擦りながら和也に尋ねる。
その仕草がなんとも可愛らしく、和也の顔には自然と笑みが浮かんだ。
「ソウレンがお前に話があるそうだ」
鈴は、何の話なのかと下まで降りて行き、車のドアを開けるとそこにソウレンが供を連れて立っていた。
しかし、ドアが開いた瞬間、ソウレンと供の3人は驚きの表情をしていた。
それもそのはずだ、鈴の格好は露出度の高い現代の服なのだから。
「す、鈴。そなた、客を迎えるなら服を着てから迎えろ」
この様な薄着の姿など、この時代では下着同然だったので、ソウレンは慌てた。
「服なら着てるわよ。話しって何?」
鈴のあられもない姿を、供に見せたくなかったソウレンは、「ここではなんだから、中に入れてはもらえんか」と言う。
鈴も暑い外より涼しい中の方が良いので、ソウレンを中に入れ1階の通路にある椅子に腰かけ、話しを聞く事にした。
「で?話しって何?」
ソウレンは少し間をおいて、慎重に話しを切り出そうとしたが、あられもない姿の鈴を目の前にしては、そんな事はどこかに吹き飛んでしまったようだ。
「鈴、私の側室になってくれ」
前に一度、命令形でものを言った時、えらく怒られた。
その過去を踏まえて、今回はお願いをするように言ってみた。
お願いをすれば側室になる事を承諾してくれると思ったからだ。
しかし鈴の答えは、その思いとは逆のものであった。
「側室って愛人って事よね?お断りします。」
次期王の側室になるのを断る人間が居るとは思わなかったソウレンは、「なぜ断る!?側室になれば贅沢をさせてやれるのだぞ!?」と、鈴に聞き返す。
「私は愛人になる気は無いわ。それに、あなたの事を愛していないもの」
「鈴が私の事を愛していなくとも、私が鈴を愛している。それではダメか?」
「ダメよ。それじゃ良い夫婦関係は築けないもの。
・・・あっ、夫婦じゃないのか。愛人だものね」
ソウレンはそれでもなを、鈴に側室になれと遠回しに言ってくる。
だが鈴は、愛人ではなく結婚ならするが、それでも価値観が自分と同じ人でないと嫌だと言う。
「価値観が同じか・・・それはもしかして和也の事を言ってるのか?」
ソウレンが聞いてきた。
「和也なら私と価値観が同じね。
それに、私の事を理解してくれようとしてる。
今の私には、和也はとても大きな存在だと言う事だけは確かよね・・・。」
鈴は自分に何かを言い聞かせるかのように答えた。
その話を2階からこっそり聞いていた和也は、小さなガッツポーズを取っていたのである。
2人の話しは平行線のまま決着がつかず、その日は良い返事を貰えずにソウレンは帰る事になる。
そして別れ際に一言。
「必ず『はい』と言わせて見せるからな」
そう言い残して帰って行った。
『やれやれ』と溜息を付きながら2階の戻ると、和也の機嫌がなぜか良いようだ。
何か良い事でもあったのかと思いながらも、あえてその事には突っ込まず、ソウレンの話しの事を切り出した。
和也は鈴の話を黙って聞いているだけで何も言わない。
「この時代の人って言うか、昔の人って平気で愛人になれとか酷いよね~」
「俺は、奥さんさえいれば愛人なんか作ろうとは思わないけどな」
「普通そうよね!?やっぱり昔の男の人の考えには共感できないや・・」
鈴は小首を傾げながら溜息をまたついた。
和也はおもむろに椅子から立ち上がり、鈴の頭を『ポンポン』と二つ軽く叩くと台所に向かい歩き出した。
そして内蔵されている冷蔵庫を開け鈴に聞く。
「鈴はリンゴジュースで良いのか」
「うん♪和也やっさしぃ~♪」
和也は鼻で笑いながら、「一応お前は病人だからな」と言うのだった。
でも、そのさり気無い優しさが、鈴にとっては何物にも代えがたい存在になりつつある事に、今はまだ気が付いていなかったのである。
鈴に求婚(?)を断られたソウレンは、王宮に戻り次の策を考えていた。
どうすれば鈴は側室になる事を承知してくれるのか、いろいろ考えてはみたが、普通の女性と違う考え方の鈴を落とす事は、かなり難しそうだ。
お金をちらつかせてもダメ。
贅沢をさせてやると言ってもダメ。
当然、命令などして無理やり側室にでもしたなら、鈴はこの国から出て行くだろう。
女性との駆け引きに疎いソウレンは、その道の達人と言われている、第1側室の息子コウレンに聞いてみた。
「コウレンは女人を落とす時、どのようにしているのだ」
「はい、兄上。私はまず、贈り物で気を引きます。
高価な物や珍しい物は、どの女人も喜びますよ」
「そうか。早速送ってみよう」
そして次の日から、ソウレンの贈り物攻撃が始まったのである。
「本当に頂くわけにはいかないので持って帰って下さい」
「受け取って貰わなければ私の首が胴から離れてしまいます。受け取って下さい」
こんなやり取りをしているのは、鈴とソウレンの使いの者だった。
ソウレンは、義弟コウレンのアドバイス通り、鈴に真珠で作られた髪飾りの、貢物を送ったのだ。
しかし鈴は、貰う謂(いわ)れの無い物を頂くわけにもいかないと断っていた。
日本のことわざに、「只より高い物は無い」と言うことわざがある。
只で何かを貰うと、代わりに物事を頼まれたり、お礼に費用がかかってしまい、後でとんでもない目に合う。と言う意味だ。
(余談だが、この「只」という漢字を上と下ばらすと、「ロハ」となり、この字の語源はここから来たらしい。)
鈴は、使いの者の首が飛ぶと聞き、仕方なく受け取ったが、それが運のつきで、その日から毎日ソウレンから何かしら送られてくるようになったのだ。
ある時は高価な飾り物。
またある時は、綺麗な花が咲いた鉢植え。
そしてある時は、珍しい食べ物が送られて来た。
それらの物を仕方なく貰う鈴だったが、貰った物のうち、換金出来る物は換金をし、医療費に充てたり、食べ物は貧しい人に分け与えていた。
「またソウレンからか?」
往診から帰って来た和也が聞いてきた。
「うん。こんなに無駄遣いするくらいお金が余ってるんなら、貧しい人に何かしてあげればいいのにね・・・」
鈴は呆れたように言う。
その様子を見た和也は、「いつの時代でも、お偉いさんは何にも分かってないよな」そう、ポツリと呟くのだった。
確かに、お忍びと称し時々国を見て回っている様だが、それは言葉通りただ見るだけ。
庶民の生活の内情など、本当のところは理解していないだろう。
普段幾らで毎日の生活をしているか、何を糧としてお金を稼いでいるのか。
そんな深い所までは知ろうとしない。
逆に鈴達は、その様な人たちの健康診断をしているので、普段の食生活がいかに貧しいか、そして何が足りないのかを知っていた。
その足りない物を、和也が往診でお金持ちから高額金をせしめ・・基、頂いて、そのお金を元に貧しい者からは医療費を貰わず治療をしたり、薬を出したりしていたのだ。
貢物を毎日持たせていたソウレンは、使いの者が帰って来る度に聞いていた。
「今日はどうであった?」
「いつも通りお礼だけでした」
ソウレンは、「そうか・・」と溜息を付く。
そしてまた、義弟コウレンを呼び、再び意見を求める。
「贈り物ではなびかなかったぞ。他に良い手は無いのか?」
「そうですね・・・。何処か旅行に連れて行くと言うのはどうでしょう。
二人っきりで良い雰囲気にでもなれば、自然とそうなるはずです。
兄上と一緒に過ごせて嫌がる女人がいましょうか」
それもそうだな、と思ったソウレンは、早速鈴を旅行に誘う事にした。
お忍びで町の様子を見て回った後、診療所にやって来て鈴にその話を切り出す。
「この日照りで、北の領地が水不足になり、病人も大勢出てるそうだ。
鈴、私と一緒に行ってはもらえないか?」
ソウレンは、鈴が最も「YES」と言うだろうと思われる言葉を並べて誘ってみた。
当然鈴の答えは「YES」だ。
しかし、ソウレンの思惑とは裏腹に、一緒に行くのは鈴だけではなかった。
なんと、和也も一緒に行くと言うのだ。
なんとか鈴1人だけを連れ出したかったソウレンは、和也まで出かけたらこの診療所は誰が患者を診るのだと、必死に置いて行こうとしたが、普通の診療ならバジルに教えてあるので心配ないと言われ、結局は鈴と和也の2人が同行する事になってしまった。
付いて来ると言うものは仕方がないと言う事で、現地に着いてから二人きりになる時間を作ればいいと、安易に物を考えていた。
大名行列の如く、大勢の従者を引き連れ、ソウレン一行は出発をした。
その一番後ろから、鈴と和也が乗り込んだ医療車両が後を付いて来る。
何とも奇妙な光景だ。
歩いて移動をする事一週間。
やっと北の領地に辿り着いた。
話しに聞いていた通り、田畑は荒れ果て、人々は死人の様な生気のない顔をしている。
その人々の中を通り抜け、その領地で一番大きな屋敷を持っている、貴族の屋敷に滞在する事になった。
とは言っても、屋敷に滞在できるのは、皇子と貴族の重臣だけである。
他の者は外でテントを張り、その中で寝るのである。
皇子様たちが泊まる屋敷では、何処から持って来たのか、ご馳走が山の様に並べられていた。
それらの前で、重臣や皇子は何の疑問も抱かず食べようとしていた。
その時、鈴の姿が見えない事に気がつき、家臣に鈴を連れてくるように命じる。
しかし、何処を探しても見つからない。
見つからないどころか、2人の乗って来た車も無くなっている。
その事をソウレンに伝えると、ソウレンは慌てて歓迎会を切り上げ、鈴が向かうであろうと思う場所にやって来た。
ソウレンが思った通り、鈴達は倒れている人々の診療をしていた。
診療だけではない。
大きな鍋におかゆを炊き、それをみんなに配っていたのだ。
「そんな所で何をしている」
ソウレンが鈴に声を掛けた。
「見ればわかるでしょ?
私たちはもてなしを受けに来たわけじゃないの。
命を救いに来たのよ」
そう言われ、何も言えなくなるソウレンだった。
「・・・・あいつは・・和也はどうした」
「和也なら車で巡回して患者を運んで来るわよ」
2人はきっちりと、自分に与えられている使命を全うしようとしている。
それに比べ自分はどうだ。
目先の甘い言葉に釣られ、ここに来た目的を忘れていた。
ここに来た目的は・・・『鈴と二人きりになり、良い仲になる事』だ!
(おぃ!そこは違うだろ!!)と、突っ込みを入れたいところだが、所詮ソウレンの頭の中は、領民より自分の事の方が大事らしい。
そんなソウレンの事は放って置き、2人はせっせと患者の容態を診たり、お腹を空かせている人にはご飯を食べさせたりと大忙しだ。
ソウレンは付いて来た供に「手伝え!」と言い手伝わせるが、ソウレン自身は口だけを動かしている。
忙しくあちこち歩いて回ってる者達に取っては、ソウレンは邪魔でしょうがない。
だが、一国の皇子であるソウレンに、そのような事など言えるはずもなく、ソウレンにぶつからない様に動くのであった。
そしてとうとう鈴に言われてしまった。
「邪魔!」
キョトンとするソウレン。
それをさらに追い打ちをかけるように、鈴の怒号が飛ぶ。
「そんな所で突っ立ってるだけなら何処かに行って!
邪魔なのよ!迷惑なの!!」
『邪魔』とか『迷惑』とかの言葉など、生まれて初めて言われたソウレンは、ショックを受けた。
しかし周りを見ると、みな忙しそうに動いている。
自分は、ただ命令しているだけだったと言う事に、初めて気が付いたのだ。
事態もひと段落し、この地域は、後は食料の配給だけとなった。
「ソウレン、配給の手配は進んでいるんでしょうね」
「手配?」
「まだしてないの!?いったいここに何しに来たのよ!!」
また怒られる。
良い雰囲気になど一向になれる気配がしない。
「ここにいつまでも突っ立ってないで、屋敷に戻ってとっとと準備しなさい!」
鈴に怒られたソウレンは、従者を連れて屋敷に戻り、ありったけの食料を持って来た。
「・・・・ソウレン・・・。」
「なんだ? 礼ならいいぞ」
沢山の食料を持って来たソウレンは、満足げな顔をして言った。
しかし鈴の口から出た言葉は、
「いったい何考えてるの!?
食料に困ってる人はここだけじゃないのよ!?
全部持って来てどうするの!
他の地域の人は死んでもいいって言うの!?
あなたのその頭は飾りなの!?
・・・・まったく・・信じられない・・・。」
鈴はプルプルと体を震わせながら言った。
「おぃ、この食料、分散して車に積んで俺が運ぶわ。
その方が確実そうだし」
「ありがとう、和也。
そうしてもらえる?」
ソウレンのやることなす事が、すべて裏目に出るのだった。
しかしここの領主、どれだけ年貢を霞め取っていたのだろうか。
不作の割には、かなりの量の食料が倉庫に眠っていたようだ。
地域の調査と食料の手配。
全てが終わるのに一週間がかかった。
ようやく落ち着いた頃、とうとう鈴と二人だけの時間が出来たソウレンは、鈴の労をねぎらい、少し散歩をしようと言う。
鈴にしてみれば、散歩をするよりベッドで横になりたかったのだが、ソウレンに子犬のような目をしてお願いされては、むげに断るのもはばかれた。
近くの川辺を散歩しながら、ソウレンは鈴に問う。
「私では、そなたの伴侶には不足か?」
「・・・そうね、私とは価値観が違うと思うから、不足と言うより相性自体が会わないかも」
「そんな事はない。私は鈴が好きだ。他に何がいる」
「ごめんね。私はあなたの事を弟以上に見た事が無いわ」
「今はそうでも、そのうち一人の男として見て貰えるように努力する」
「・・・ごめん。私、好きな人がいるのよ」
「それは・・和也の事か?」
「ええ。」
鈴の答えを聞き、ソウレンは愕然とした。
今まで自分が望めば何でも手に入った。
逆に言えば、手に入らない物など無かったのだ。
それを何度求愛をしても断り、好きな人がいるから無理だと言われた。
頭が真っ白になる様な虚無感がソウレンを襲う。
そして一つの感情が生まれた。
―― 和也さえいなければ・・・と。
◆ 旅立ち ◆
仕事がひと段落した鈴と和也は、その晩、車内で2人、お疲れ様と言う意味での打ち上げをした。
大きな仕事をした後には、必ずと言ってもいいほどやる、飲み会だ。
現代から持って来ていたワインを開け、それを飲み深い眠りにつく。
この1週間、殆ど睡眠を取っていなかった2人は、ぐっすりと深い眠りについた。
気が付くと、鈴の顔には、窓のカーテンの隙間から差し込む朝日が注がれている。
明るさを感じ、重い瞼を開けると、鈴の目の前には和也の顔があった。
『あっ・・そっか・・昨日あのまま寝ちゃったんだ・・・』
鈴は、朝日に照らされている和也の柔らかそうな髪を見つめ、昨日の事を少し思い出してしまった。
思い出すと恥ずかしさが込み上げてき、顔を赤くさせる。
鈴の熱い視線に気が付いたのか、和也も目を覚まし、「・・・起きてたのか」少しかすれた声で言った。
その声が耳元近くだったので、鈴の顔は益々赤くなる。
しかし、いつまでも昨日の余韻に浸っている2人ではない。
やる事はやる主義だ。
いつもの様に身支度を整えると、王都に帰る準備をしはじめる。
その頃ソウレンの所では、何やら親密な話が進んでいた。
「本当にやってしまうんですか?」
武官の顔に戸惑いが隠せない。
「これは命令だ。どんな手を使ったもかまわん。和也を殺せ」
とうとう嫉妬に狂ったソウレンがとんでもない事を言い出した。
「だが、鈴には傷一つ付けるな。
もし、怪我などさせたら、その時は、貴様の首が胴と繋がってるとは思うなよ」
そう付け加えたのだった。
「それでは、王都に戻る道中で葬ればよいのですね」
「そうだ。鈴には悟られないようにしろ」
ソウレンは、思いを達成するためには手段を選ばないようだ。
武官たちは、今まで国の為、人々のために働いて来た二人の事を知っていた。
時には流行病から国を救い、また、王妃の命さえも救った二人だ。
そんな二人を手にかけるのは、なんとも言い難い心境だった。
しかし、皇子の命令となれば従うしかない。
命令に背けば自分の命が無くなる。
やるしかなかったのだった。
王都に戻る道のりで、1ヵ所だけ宿屋に泊らない場所がある。
そこではテントを張り野営をするのだ。
その時に1人で行動をする和也を狙うと言う作戦だった。
「今日はここで野営にする。準備しろ」
武官たちが慌ただしくテントの準備を始める。
最後尾から付いて来た鈴達の車も、テントの近くに止め、鈴と和也は手分けをして、具合の悪そうな武官たちの診療に走り回っていた。
和也が鈴から離れた所を確認した数人の武官が、和也に近付き言う。
「あっちのテントに具合が悪そうなやつがいるんだが、見て貰えないか?」と。
武官に連れられてテントに行ってみると、中に数人の人がおり、テントの中で囲まれる状態になった。
「なんだ?いきなり」
「すまん。これは命令なんだ。悪く思ないでくれよ」
そう言いながら刀を抜き、切り掛かって来た。
この時代に来てから、幾度となく同じような事があった和也は、とっさに身をひるがえし、武官たちを指輪に仕込まれているスタンガンモードで気絶させ、その場から逃げて車の中に入る。
慌てて走って行く和也の後姿を見た鈴は、何事が起ったのかと後を追う。
和也の背後から、スタンガンから逃れた武官が、剣を振りかざして追っているのが分かる。
それを見た鈴は、レーザーモードでその一人を気絶させ、和也の後から車に乗り込んだ。
「いったい何があったの!?」
「わからん。命令がどうのとか言ってたな」
―― 命令
その言葉で何かを思い出したのか、鈴はすぐさま車を出すと言った。
「何か知ってるのか?」
「これは推測だけど、たぶん・・・ソウレンね・・。」
「ソウレンが何で?」
「和也さえいなければ、私がソウレンの愛人にでもなると思ったんじゃないかな」
少し考えた和也は、『そう言う事か』と納得をした。
「で、どうするんだ?」
「もう、この国には居られないわね。
ソウレンの事だもの、何処に行ったって追って来るわ。
隠れて暮らすなんてまっぴらごめんよ!
このまま1度診療所に戻って、この国で稼いだお金を全部置いて、後は診療所の
みんなに任せて、私たちはこの国を出ましょう」
「それで何処に行くつもりなんだ?」
「決まってるじゃない!日本よ!」
鈴はにっこりと笑い決断をする。
和也は、いつも鈴は突拍子もない事を言い、それを実行する鈴には慣れていた。
そして、その突拍子もない事が、ほとんどの場合良い方向に向かっていくのも知っている。
「お前がそう決めたなら、俺は何処までも付いて行くさ」
口角を少し上げながら、クールに笑う和也だった。
和也の暗殺に失敗をしたと報告を受けたソウレンが外に出てみると、鈴達の乗っている車が宙に浮かび、そのまま消えて行ってしまうのが見えた。
事の重大さに全く気が付いていないソウレンは、暗殺に失敗した者達を葬ってしまったのだった。
夜になり、診療所に戻った二人は、全員を呼び今後の事について話し出した。
「急で申し訳ないんだけど、この診療所は今後、あなた達に任せます。
今まで通り、バジルは内科的症状を見てあげてね。
ウンデグ、貴方は軽度の外傷なら技術を教えたわよね。
頑張ってちょうだい。
シュンイ、貴方には診療所内の全ての権限を与えるわ。
今まで通り、分け隔てなくお願いね。
ホウミン、貴方にはもっとも重要な任務をしてもらう事になります。
ここに今まで稼いだお金の全てが入っています。
これをうまく活用して診療所を運営して行ってちょうだい」
そう言って大きな金庫を差し出した。
「これはいったいどう言う事ですか?」
いきなり任せると言われた台所番のホウミンが尋ねる。
「和也が命を狙われてるの。
この国に居ては殺されてしまうから、私たちは遠い国へ行きます」
「遠い国とはどちらですか?」
鈴は少し考えた。
行先を告げずに行けば、ここの人達が拷問にあうかもしれない。
そんな事態は避けたい。
「私たちの祖国に行きます。行先は日本です」
この時代での日本の呼び名は『和国』だ。
『日本』と言っても差し支えは無いだろうと、鈴は本当の事を言った。
もし日本まで追って来たとしても、この時代の日本は戦国時代だ。
まともに上陸などできるわけがない。
それは日本史ですでに学んでいる事だ。
そして次の日の朝早く、2人を乗せた車両は、今日の目的地である南の領地『淡憐』に向かって飛んだ。
そこで一旦充電をし、夜になるのを待つと、再び日本へ向かって飛び立って行ったのだった。
着いた場所は『長崎』。
ここの港町でしばらくお金を稼ぎ、最終目的は京都である。
しかし、あの白い霧が発生した場所を後にした二人は、どうやって元の時代に戻るつもりなのか疑問である。
元の時代にはもう戻らないと決めたのだろうか。
そんな疑問は残るが、この2人の事だ、『なんとかなるさ!』で乗り切ってしまうのだろう。
また、機会があれば、その後の2人の様子でも覗きに来よう思う。
― 完 ―
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