ハナミズキ 2014-10-10 16:57:40 |
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ヨンギルの手術から1週間目。
3人の衣装も出来上がっている頃だ。
その着物を取りに鈴と和也が出かけた。
店に行くと丁度、縫子の人が届けてくれていたところで、早速鈴がその着物を纏ってみる。
着心地がよくサイズもぴったりだ。
店に残りの代金を払った後、その縫子の人にも、感謝の気持ちと言う事で、300元程握らせた。
縫子の代金だけでも1着150元にしかならないのだが、その倍は貰えたその人は、恐れ多くて貰うのを躊躇していた。
しかし鈴は、その人のお腹を見て、これから新しい家族が生まれるのだから、少しでも蓄えがあった方が良いと、その手にお金を握らせたのだった。
その縫子が帰ろうとした時に、急にお腹を押さえて苦しみだした。
しゃがみ込んだと思ったら、その縫子の足元が水浸しになる。
どうやら破水をしたようだ。
急いでその縫子を家まで送り、家の者が産婆を呼びに行った。
産婆が到着をするまで、鈴と和也がその縫子の様子を診ていたが、お腹を触るとその赤ん坊は逆子のようである。
到着をした産婆も逆子だと言い、このままでは母子ともに助からないと言い出した。
一生懸命元の位置に戻そうとするが、お腹の中の赤ん坊はピクリとも動かない。
このままでは死ぬのを待つしかないと、諦めてくれと家族に向かって言い出したのだ。
家族の誰もが諦めかけていた時だ。
「私が出産のお手伝いをしましょうか?」
鈴が突然言い出す。
「この状態じゃもう無理じゃ」
「いいえ、1つだけ二人とも助ける方法がありますよ」
「どうする気じゃ」
「お腹を切って出します」
「腹なぞ切れば即死ぬぞ!気でも狂ったか!」
「このままでも死ぬのなら、私に任せて貰えませんか?」
鈴は本人と家族の同意を求める。
縫子の女の人は、藁にもすがる思いで、か細い声で言う。
「私の命はどうなってもかまいません。お腹の子だけでも助けてください。
お願いします」
と・・・。
家族の方を見ると、家族も顔を見合わせながら
「二人とも助けてください。お願いします」
そう言って来た。
産婆は「わしはもう知らん。その女が死んだらお前らのせいじゃからな!」そう捨て台詞を残し家を出て行ってしまった。
縫子を動かす事が出来ないので、鈴達はその場で帝王切開をする事にした。
「ではみなさん、ここから出て行ってもらえますか?」
人払いをしようとしたが、縫子の姑が出て行こうとしない。
「私はこの子の母親です。側に付いていてもいいでしょうか」
身なりは貧しそうだが、何処となく気品に溢れているこの姑の滞在を許可した。
「居るのは構いませんが、その場所から動かないでください。
約束できますか?」
「はい。分かりました」
そうして帝王切開が始まったのである。
麻酔を打ち、意識を飛ばすと姑が心配そうな声で聞いてくる。
「声がしなくなったのですが、生きているんですよね?」
「大丈夫ですよ。今は寝てるだけですから」
女医が小刀の様な物を手に持ったかと思うと、いきなりお腹を切り出した。
「本当に大丈夫なんですよね?」
姑の声は震えている。
「大丈夫ですよ。すぐ終わりますから、お母さんはそこから動かないでくださいね」
姑は自分が立ち上がっている事に気が付き、素直に座り直す。
女医が縫子のお腹の中に手を突っ込み、ガサゴソとお腹の中をかき回しているように姑には見えた。
本当にこの若い女医に任せて大丈夫だったのかと、少し不安になっていた頃、赤ん坊の姿が現れ泣き声を上げたのだ。
「おんぎゃー おんぎゃー」
「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」
そう言いながらへその緒を切り、バスタオルでくるんで姑に渡す。
その間に和也が縫合をしているのであった。
赤ん坊を抱いた姑は、縫子の容態を聞いてくる。
「後30分もすれば目が覚めますから、その時にお話ししてください」
縫子が目覚めるまでに、赤ん坊を綺麗にし、産着を着せて待っていると、やっと目が覚めた縫子が力無い声で呼んでいる。
「・・・赤ちゃん・・・わたしの赤ちゃんは・・無事なの・・・?」
縫子が目を覚ましたことにより、赤ん坊もその母親も無事だと、皆が確認をする事になる。
「本当に二人とも助けてくれたんですね・・・有難うございます」
「お礼なんていいんですよ。それが私たちの仕事なんですから」
お礼はいらないと言う二人に、ならば晩御飯を食べていって欲しいと言うが、家でもう一人仲間が待っているからと断った。
しかし、2・3日様子を診なければならないので、鈴だけがこの家に残ったのであった。
結局鈴のみが晩御飯を頂き、夜になり、仕事から帰って来た縫子の旦那さんと対面する。
この旦那、実は流刑場に居た役人だったのだが、あの時鈴は同行をしておらず、和也達の仲間だと言う事を知らないのである。
旦那の母親が事の次第を説明すると
「この間来た若い医者も凄かったが、そんなに凄い医者が何人も居るものなのか?」
今までなら絶対に信じなかったであろう出来事だが、この間和也達の手術を目の前で見ていたこの旦那は、母親の言葉をすんなり信じている。
一夜明けた次の日、点滴の替えを運んできた圭太と遭遇すると
「あっ!貴方様は!!・・・・」
「この間の役人さんじゃないですか。おはようございます」
和やかに挨拶を交わす圭太だった。
「えっ?ええっ?!と言う事は、同じお国の方ですか?」
「そうです。僕の師匠です」
「どうりで・・・・。
私たちは本当に運が良かったとしか言いようがありません。
有難うございます」
そう言うと足早に仕事に向かっていったのであった。
2・3日様子を診ていたが、順調に回復をする兆しが見えていたので、抜糸をする頃にまた来ると言い残し、そのまま車両へと鈴は帰って行った。
ヨンギルの方も順調に回復をしていて、今はリハビリで歩く練習をしているところだ。
この調子だと予定通り3日後にはこの場所を発てそうだ。
その後、帝王切開の患者の抜糸も済み、ヨンギルのリハビリも、後は地道にやれば問題が無いと判断をし、やっと出発が出来る事となった。
そして鈴は、この土地でもちゃっかりと大黒屋並みの商売をしており、合計200銀をせしめていたのである。
「お前なぁ・・・悪どいにもほどが無いか?」
「失礼ね、ちょっと売るのを渋ったら高値を付けて来たのは向こうよ?」
『こいつ・・・前世は絶対に詐欺師だったな・・・』
と、思っていたが、怖くて口に出しては言えない和也であったのだった・・・・。
◆ 川の災難 ◆
和也は、長時間の運転の疲れから、運転席と後部座席の間にあるカーテンを閉め、アイマスクをして後部座席で寝ていた。
鈴と圭太は、寝ている和也を起こさないように、運転席と助手席で、声を出さないように静かにしていたのだが、時折鈴の小さな声が漏れて聞こえてくる。
「・・・っつぅ・・。」
「ごめんね、鈴ちゃん」
「・・・痛っ。」
「・・・・ごめん・・・下手くそで・・」
「私の事は気にしなくて良いから。練習だと思って頑張って」
「でも・・・」
「ほら、あんまり喋ってると和也が起きちゃうから・・・」
「・・・・うん。」
「お前らな・・・・鈴も変な声出すな!
それに圭太はビビらず思い切って行け!
そんなにチンタラ走ってたら歩いた方が早いだろうが・・・!」
「ほ~ら起こしちゃった」
鈴はケタケタと笑いながら運転をしている圭太の方を見るのだった。
悪路と道幅が狭いため、大型車両など運転をした事が無かった圭太は、怖がってなかなかアクセルを踏み込めないでいた。
時速20kmのとろとろ運転だ。
道が凸凹しているため、車両のバウンドが激しく、ハンドルを握っている圭太は腕に力を入れれば固定されているが、鈴は捕まるところが無いので、そのまま上下に振られてしまい、時折、窓や天井に頭がぶつかってしまうのだった。
次の目的地は、王都の手前にある珍曇(ちんどん)という町だ。
しかし、その町に行くためには、川を渡って行かなければならない。
人と荷物だけなら渡し船に乗れば渡れるが、この車両を置いて行くわけにはいかないので、車ごと渡る事にする。
陸地から水面に入れるような場所を探しながら走行をしていると、渡し船を出している場所まで来てしまった。
3人は、一旦ここで休憩を入れる事にし、車の留められそうな場所を見つけ、そこに止めた。
「腰痛~い・・・」
鈴が背伸びをしながら呟くと、和也はいつもの様に悪態をつく。
「ババくせぇの・・・」
平和である。
千年もの時を遡り、訳も分からず過去に来てしまったのだが、この二人は不安という言葉を知らないのか、と思わせるほど平常心だ。
幾多数の僻地や紛争地域に、出向いた事のある鈴には適応能力があるとしても、今まで大都会の東京でしか暮らした事が無い和也にも、その能力があるのか、不安がっている言葉を一度も聞いた事が無い。
「ここって、すごい人数の人が船に乗るんだね・・・。
小さな町みたいになってるよ」
圭太が興奮しながら辺りを見回していた。
本来なら圭太は、優しいが故に、少し臆病な面がある。
初めての解剖学では気絶をしたほどだ。
その圭太が外科を目指し、なおかつERでの研修も最後までやり通したのだ。
初めのころと比べると、かなりたくましく成長していた圭太であった。
長い時間車に乗っての移動だったので、少し運動と散歩がてらに辺りを歩いてみる。
あれから、着ている物が他の人と同じ物だと言う事もあり、この3人の事を不思議な目で見る人もいなくなった。
そして、ひと月ほど前に滞在した町で、200銀も稼いだ3人は、お出かけ用の絹の着物を途中の町で購入していたのだった。
そして今日が初試着だったのだ。
絹の着物を纏い、綺麗な顔立ちの背の高い男性二人組は、違う意味で視線を浴びていた。
「若様~♡お腹は減ってないかぃ?
うちの店に寄って行きなよ~♡」
食堂を兼ねた客引き宿の女の人が、何とも色っぽい声と格好で言い寄って来る。
そして、和也と圭太の腕に絡み付き、自分の胸に押し当てるように擦り寄るのである。
「えっ?ええっ?」
いきなり腕を掴まれ、身体をすり寄せくる女の人に、圭太は驚き離れようと身をよじり始めた。
その様子を見ながら、ケタケタと笑い飛ばす鈴。
そして和也は、慣れているのか、そのまま女の人と一緒に付いて行こうとしていた。
その時、川の中央付近で「キャャァァァーッ」と言う叫び声が聞こえ、3人の視線がその声の方向へと向けられる。
見ると、船の上から子供が落ちてしまったようだ。
母親は泣き叫びながら、川に向かって手を差し伸べているが、子供の体は徐々に下流へと流されていく。
その様子を見た鈴がいち早く走り出し、服を着たまま川へ飛び込んだ。
飛び込んだ直後に、子供は力尽きたのか川の中へと沈んでいったのである。
鈴は川に潜り子供の姿を探すが、着物が体にまとわりついてうまく探せない。
鈴の後を追う様に、上着を脱いだ和也も飛び込んできていて、鈴の代わりに潜り子供を探した。
探し当てた二人は、すぐさま岸まで連れて行き、人工呼吸をするのだったが、なかなか息を吹き返さない。
そこへ圭太が車両に戻り、大急ぎで取って来た物を鈴に手渡す。
それはAED(自動体外式除細動器)であった。
子供の上半身の服を脱がせ、AEDを胸に装着すると、周りの野次馬に注意を促す。
「離れて!」
と言い、スイッチを入れた。
そして再度、脈と呼吸の確認をすると、やっと息を吹き返してくれ、飲んだ水を「ゴボッ」と吐き出した。
川から拾い上げてきた時は、確実に子供は死んでいたのに、今は息を吹き返し「おかぁちゃ~ん」と泣いている。
この不思議な出来事に、周りに集まった人々は困惑の顔を隠せないでいた。
いったい彼らは、この子供に何をしたのだろうと・・・。
一方、母親の乗っていた船は、戻って来る事はなく、そのまま上流の方へと進み見えなくなってしまった。
鈴は子供を抱きかかえ、圭太から医療バッグを受け取りと、中から聴診器を取り出し、子供の胸の音を聴き、肺に水が残っていないかを確認する。
肺の音は綺麗だ。問題は無い。
しかし、このままここに置いて行くのもはばかれ、鈴と和也と子供がずぶ濡れなので、このままでは、いくら暖かい日差しだとは言っても、さすがに10月の日差しでは風邪をひいてしまう。
そこで3人は子供を連れて車両に戻る事にした。
抱きかかえていた子供を離した鈴の姿を見た圭太は、素早く自分が着ていた上着を脱ぎ、鈴にかけた。
急に着物の上着を掛けられた鈴は、不思議そうな顔をして圭太を見ている。
「鈴ちゃん、それ着てて」
「大丈夫よ?私別に寒くないから」
「そうじゃなくて・・・・。」
「ん?」
「鈴。お前の着物、濡れて体に張り付いてるぞ。いいのか?」
濡れた髪の毛をかき上げなながら、和也は言った。
見れば体にピタリと張り付き、身体のラインがはっきりと見て取れる。
それを隠すように、着物の上着をしっかりと羽織り、圭太の方を向きお礼を言う。
「ありがとう、圭太」
しかし圭太は真っ赤な顔をしたままうつむき、小さく頷くだけしか出来なかった。
母親とはぐれた事により、不安がっている子供を車まで連れて行くと、小さな浴槽にお湯を溜め、鈴と子供がお風呂に浸かる。
子供を綺麗に洗うと、ベッドに連れて行き、再度軽く診察をした。
その間に和也が風呂に入り、何とか風邪をひかないですんだようだ。
子供の容態は安定しているようで、このまま少しの間、安静にしていれば問題ないだろう。
子供を救出してから1時間半。
3人はとうとう川を上流の方まで上って行く事にした。
「じゃ、これから水上モードにしまーす。
揺れると思うから船酔いしないようにね~♪」
何故か楽しそうな鈴であった。
川辺からゆっくりと水面に向かって動き出すと、車の両脇から大きな浮き輪の様な、細長い物が数本出てき、それはイカダのような形を取り、車両をガッチリと固定をする。
普段は排気口のマフラーとして機能している部分は、スクリューに早変わりをし、アクセルを踏むとプロペラが回り前進をすると言う物だ。
圭太と一緒に、ベッドに居た子供は、この箱の様な、家の様な物が、川の中に入り浮かんで進んでいる事に驚き、興奮をしていた。
川を上っている最中にも、幾つかの渡し船と遭遇するが、どれも子供の母親は乗ってはいない。
岸が近づき、対岸の渡し場が見えてきた頃、先頭の渡し船に追いつく。
船の中を双眼鏡で見渡すと、1人の女性がうつむき、その傍らでは、少し年配の女性が何やら慰めているようだった。
そこで鈴は、その船に近づき、うつむいている女性の顔を確かめる事にした。
車の窓を開け、その女性に声を掛ける。
「すみませ~ん。
そちらの船に、ソンギュンと言う子のお母さんは乗ってはいませんかぁ~?」
そう尋ねてみると、今までうつむいていた女性が顔を上げた。
その顔を見た鈴は、子供の母親だと言う事を確認し、子供の安否を告げる。
「ソンギュンのお母さんですか?
ソンギュンは無事ですよ。
岸に付いたらそこで待っててください。
お子さんを連れて行きますから」
母親は喜び、先ほどまで流していた悲しみの涙ではなく、嬉しい知らせの涙にくれるのであった。
鈴は岸から上がれそうな場所を選び、そこから車を陸に揚げ、子供を連れて母親が待つ渡し場に向かった。
そこで待っていたのは、母親だけではなく、大勢の野次馬たちも待ち構えている。
「おかあちゃん!」
「ソンギュン」
二人は抱き合い、子供の無事を確認した母親は、何度も頭を下げお礼の言葉を言ったのだった。
しかし、現代では普通の救命処置なのだが、この時代では、まだこのやり方は普及をしておらず、後々その事が災難をもたらすと言う事を、3人はまだ知らなかったのである・・・。
◆ 絶体絶命 ◆
珍曇(ちんどん)に入った3人は、今まで通って来た町と比べると、かなり大きな町に少し興奮をしていた。
この時期には収穫祭と言う物があるのだが、こういう祭りは大きな町の方が、より派手で賑やかなものである。
それにぶち当たったのだ。
町の店先には派手な提灯やのぼりが立てられ、山の中腹辺りには祭壇も設けられているようだった。
当然町の中は、沢山の出店や個人露店商も店開きをし、所狭しと商売をしている。
野菜を売っている者。
書物を売っている者。
調理した食べ物を売っている者。
怪しげな商売では、占い師と言う者もいる。
この祭りは1週間続くらしく、今日は祭りの初日だ。
一見この時代の人間にしか見えない3人は、この祭りを堪能する事にした。
「こういうのって、なんか風流よね~」
「ああ。」
「鈴ちゃん、あっちに小物が売ってるよ。ちょっと見てみない?」
素っ気ない返事しか返さない和也とは反対に、圭太は鈴の事を気遣い、何かしら和ませようとしてくれる。
本当に有難い存在であった。
露天を見て歩いていると、広場の真ん中に人だかりが出来ている。
何をやっているのかと覗いてみると、そこでは大道芸が行われていた。
バクテンをしたり、剣舞いや綱渡りなどを披露していた。
1つの演目が終わるたびに、大きな歓声や拍手が飛び交う。
鈴達も、こんなに近くで演技を見た事が無いので、大喜びで楽しんでいた。
すると、鈴が何を思い出したのか、圭太にこんな提案をした。
「ねぇねぇ、圭太~♪」
ニコニコと笑みを浮かべ、上目使いに圭太に問いかける。
「えっ?!」
圭太は知っていた、こんな顔をした時の鈴は何かを企んでいると・・・。
この顔に騙され、大学時代に痛い思いをしていたのだ。
あれは3年生の時の事だった。
大学祭で、ミスター・コンテスト、略してミス・コンがあるから出ないかと誘われ、一応は断ったものの、既に参加登録をしてしまったと言われ出た事がある。
鈴が、なぜ和也ではなく自分に声を掛けて来たのかは謎であったが、登録をしてしまったのでは仕方がないと、OKをした。
しかし、いざ蓋を開けてみると、それは単なるミスター・コンなどではなく、男子が女装をして競うミス・コンの方だったのだ。
そんな経緯から、圭太は鈴のその言葉に警戒をした。
「・・・・今度は何を企んでるの?・・・鈴ちゃん・・・」
「ぃやぁね~♪何も企んでなんかいないわよ♪」
「でも・・・なんか楽しそうな顔してるよ?」
「えへへへ♪実はね、圭太って手品が趣味だったじゃない?
何回か見せて貰ったけど、結構な腕前だったじゃない?
今回も持って来てるんでしょ?子供達を楽しませるために♪」
「・・・・持っては来てるけど・・・するの?
・・・・ここで?」
鈴はにこりと笑い、圭太の肩にポンッと手を掛ける。
「今回は手品で稼ぎましょうよ。
私もあれから少し勉強したのよ?」
手品と言っても、大掛かりな道具など持ち運べるわけもないので、コインやトランプを使った手品を披露する事にした。
一旦車に帰り、小道具をかき集め、そしていつもの様に、出かける時には必ず持参をする医療バッグを持った。
だが今回は何が起こるか分からないほどの人混みだ。
念には念を入れて、AEDも持っていく事にする。
そして更に、鈴から新しい道具が手渡された。
「この指輪をはめてちょうだい」
「何だこれは」
和也が不審な顔で聞いてくる。
「これはアメリカに居た時に、友達が作ってくれたおもちゃなんだけど、これね、
自然エネルギーを凝縮して、空気砲の様な強烈な空気圧を作ってね、それを撃ち放てる
指輪なのよ。
これに当たったらね、牛でも気絶しちゃうのよ。
凄いでしょ♪
それと、指輪の裏に切り替えスイッチがあるでしょ?
そこを切り替えると、スタンガンの様に電流が流れる仕組みなのよ。
もし危なくなったらそれを使って逃げてね♪」
「「・・・・・・・・・・・・・・。」」
こんな危ない物を、ただのおもちゃだと言って鈴に渡す奴とは、いったいどんな人物なのかと気になり、聞いてみる事にした。
「因みに、その友達の名前って?」
「ゲイブ・カートソンよ」
ゲイブ・カートソンと言えば、自然エネルギー凝縮装置を完成させ、若くしてノーベル賞を取った人物だ。
その人物の事を、軽く友達だと言い放つ、鈴の交友関係の広さの方に驚く和也であった。
3人は道具を抱え、広場の空いているスペースにテーブルを広げて呼び込みをしだす。
「世紀の大魔術師、リンリン一行のお出ましだよ~♪
この機会に拝まないと、一生後悔するよ~♪
さぁ~♪寄ってらっしゃい♪見てらっしゃい♪」
その呼び込みで、お客が少し集まった所を見計らい、鈴は1台のCDラジカセを取り出し、音楽をかけ始めた。
― ちゃらららら ら~ん♪ ちゃらららら ら~ん♪ ら~ん♪・・・・ ―
手品定番の音楽が流れ始める。
今まで聞いた事もない音源の音が、不思議な箱から聞こえてくる。
いったいどういう仕掛けなのだろうか、集まった民衆がざわつき出した。
そして、圭太から先にマジックを披露する。
まずはスティックの先から花を出し、一気に民衆を引き付けた。
続いてカラフルなハンカチを、耳の後ろから出してみたりと、続けざまに小手品を披露したのだった。
初めて見る手品はとても奇怪なものであったらしく、見ていた全ての人の顔が「おおぉぉ~」と言う表情の顔をしている。
1回目の公演は20分足らずで終わったが、お金はそんなに集まらなかった。
みんな結構財布の紐が固いようだ。
「失敗だったわね・・」
鈴が笑いながら言った。
「まっ、こんなもんだろうとは思ってたけどな」
和也が呆れたような顔をして言う。
集まって来たお客が「もう終わりか?」と言い、ゾロゾロと帰り始めた。
その客の中の一人が、突然胸を押さえて苦しみだし、そのため、今度はその人の周りに人だかりができ始めた。
道具を片付けていた鈴達がその騒ぎに気づき、人だかりのある方へ行ってみた。
野次馬をかき分け、何事かと前の方に出て行くと、少し小太りで40代くらいの男性が、胸を押さえながらもがき苦しんでいる。
そこに、通りすがりの医者らしき男性が近寄っていき、倒れている男性の脈を取って容態を診た。
「これは・・・脈が異常に早いな。心臓に疾患があるかもしれんな」
そう診断をしているうちにも、男性の唇はみるみる紫色になり、息をしなくなってしまった。
「ダメだ・・・・息をしていない・・」
周りがざわつき始めた時だった。
「すいません。ちょっと代わってもらえますか?」
鈴がやって来て、患者の脈と息をしているかどうかの確認をする。
脈は止まっている。
息もしていない。
この症状は胸部閉血収縮症の症状だった。
血液を送っている血管が、急に収縮をし血の流れを止めてしまっために、心臓に血液がいかなくなってしまったのだ。
大急ぎでAEDを取り出し、患者の上着をはぐとスイッチを入れる。
幸いに1度の使用で息を吹き返したので、すぐさま血管を開く注射を、心臓付近にある、閉ざされているであろうと思われる血管めがけて、ダイレクトに打ち込んだ。
この様な事は、長年の経験から得る事が出来るのだが、身体の仕組みを熟知していなければ、どんなに経験を積んでも無理だ。
この時代の医師が、死亡だと判断した患者を、何処からともなく現れた若い女性が生き返らせてしまった。
それも大勢の民衆の目の前でだ。
その噂はたちまち町中に広まり、「魔女が現れた」「呪術師が現れた」などとの噂に変わっていった。
変な噂が流れてしまったので、3人はこの町から立ち去ろうとしたが、その噂が思わぬ方向へと、向かっていってしまったのだった。
町を去ろうと決めた日に、数人の人が車の前に立ちはだかっていた。
このままでは車を動かす事が出来ないので、そこを退いてくれるように頼みに行くと、子供が高熱を出してもう5日も熱が引かず、医者からも匙を投げられてしまったと言う親子と、
喘息の発作を引き起こしていると思われる、子供を背負った親子に、急にろれつが回らなくなり、倒れてしまった母を診て欲しいと言う男性がそこに居た。
鈴はすぐさま他の2人に指示を出し、圭太が、熱が引かない子供をレントゲンにかけ、合併症がないかを確かめてから治療する。
和也は喘息の発作を起こしている子供を、注射と点滴をし、呼吸が苦しくないように酸素マスクをあてがっていた。
鈴はタンカを持ち出し、その男性と共に屋敷に向かい、患者を搬送して来た。
そして、車に乗せ緊急手術が始まったのである。
鈴達の元に来た患者の家族たちは、この3人の噂を知っていた。
呪術師ではないのか、いやいや、祈祷師ではないのかとか噂はされていたが、その噂通りに、死んだ者をも生き返らせる事が出来るならば、死にかけている命を救ってくれる事は簡単ではないのか、そう思い、藁にもすがる思いでここにやって来たのだった。
治療が済んだ二組の子供はベッドに寝かされ、今は容態が落ち着いている。
しかし、先ほどの若者たちは、鉄の扉の中に入って行ったままなかなか出ては来なかったので、男性は不安になり始める。
1時間。2時間。3時間経っても出て来ない。
不安になった患者の息子が大声で呼んでみるも、中からは何の返事も無い。
それから数分後、やっと鉄の扉があき、圭太が出て来た。
「もう大丈夫ですよ。手術は成功しましたから。
患者さんは2階に移りましたのでご案内します」
その言葉を聞いた男性は、安心をしたのかその場にへたり込んでしまう。
圭太は男性に肩を貸し、2階にあるベッドルームに連れて行く。
そしてそこには、頭に何重にも包帯が巻いてある母親の姿がそこにあったのだった。
「これは・・・いったいどう言う事だ・・・」
「大丈夫ですよ。ちゃんと生きてますから。
脳に出来ていた血管のつまりを取っただけです。
明日には目を覚ますと思いますので、ご心配なら一緒に泊まりますか?」
そう言うと男性は、自分は泊まらないが他の者を寄越すと言って帰って行った。
今日は交代で徹夜の看護になりそうだ。
とりあえず、患者用のベッドルームと鈴達が使う住居ルームが、別で良かったと思う3人であった。
入院患者3名の詳細は、次の通りである。
高熱の子供:裕福な商家の長男。7歳。
喘息の子供:代替え人の子供。10歳。
脳梗塞の女性:身分が高そうな貴族。年齢不詳。
この詳細を見る限り、代替え人の親子以外からは、多額の治療費が貰えそうだ。
喘息の発作を起こした子供は、発作が治まると次の日には、飲み薬と吸引薬を大量に渡され、退院をした。
お金は一切かかってはいない。
高熱の子供は、抗生物質が効いたのか、次の日から徐々に熱だ下がりはじめ、入院をしてから3日後に、未来の薬を渡され、この鮮朝国では手に入らない貴重な薬だと言い、10銀で取引をしたのだった。
「10銀とはいくらなんでも高すぎる!」
「10銀でも安い方だと思いますけど?
あなたのお子さんの価値は10銀もないと言うのですか?」
鈴がうまく言いくるめる。
「・・・・・しかし・・」
「私たちが治療をしなければ、お子さんは今頃、土の中だったかもしれませんよ?」
そう言われ渋々10銀を払ったのだった。
最後の患者だが、この患者、今まで見て来た貴族の患者達とはどことなく違和感があった。
母親だと言う女性の話し方が物凄く尊大だ。
命を助けて貰ったと言うのに、あたかもそれが当たり前の様な言い方をする。
「早く屋敷へ帰してくれぬか」「いつまでこの様な狭い所に閉じ込めておく気だ」
「私の体に許可なく触るな」などなど・・・。
あまりにも煩いので、鈴はこの女性を、頭部の抜糸が済むと薬を渡し退院させることにした。
すると、迎えに来た籠が物凄く派手で高価そうな物がやって来た。
「すっご・・・・悪趣味・・・」
ポツリと呟いてしまう。
そして治療費は屋敷で払うからついて来いと言う。
鈴と圭太がその悪趣味な籠の後を付いて行くと、最初に連れて来た男性が出てきて言う。
「母の命を救ってくれた事に感謝する。
ところで、お前たちはいったい何処の国の医者だ」
不審に思った鈴は、質問に対し質問返しをする。
「何故そのような事を聞くのですか?」
男性は少し怖い顔でこう言う。
「私も、少しなら医術の知識がある。
しかし、お前たちの様な医術をする者は、今までに見た事も聞いた事もない。
私が知っている限りでは、母があのような状態から回復させた医者など見た事が無い
からだ。」
「世界は広うございますよ?
私どもの様な医者が居ても、何の不思議もありません」
「それで、国は何処なのだ」
「・・・・遠い所です。名前を言っても分からないでしょうが、日本と言う国から
来ました」
「日本と言う所は、そんなに医術が発展しているのか・・・。
一度行ってみたいものだ・・・」
和やかに世間話をした後に、今回の治療費がいくらなのか聞いてきた。
「はい。手術費・入院費を合わせまして、100銀になります」
「100銀か。よかろう」
男性にしてみれば、母親の命がたった100銀で助かったのだ、出し渋るわけがない。
そして鈴は、当面の薬とリハビリの仕方を教えようとしたが、それは主治医に言ってくれと言われ、主治医を紹介された。
「初めまして。鈴と言います。
それでは早速ですが、リハビリの仕方をお教えいたします」
主治医とその助手は、ムッとしたような表情で現れ、鈴の説明を聞くが、理解している様子が見られなかった。
「ここまでの説明で分からないところはありますか?」
「ない」
その表情から見て取れる感情は、『小娘のくせに偉そうに何を言ってる』と言う様な表情であった。
本当に今言った事を理解しているのか、反復をさせてみる事にする。
「では、どう言う風にリハビリをするのか言ってみてください」
まさか小娘にそんな事を言われるとは思ってもみなかった主治医は、覚えている所を言う。
「はぁ~・・・本当にやる気があるんですか?!」
大きなため息をつくと、更に続けて言う。
「いま、リハビリがどれだけ大切なものか教えましたよね!?
うわの空で、真剣に聞いていないから覚えられないんですよ?!
手順を間違ったり、運動量を間違えると治るものも悪化してしまうんです。
物覚えが悪いのなら、紙にでも書いて覚えなさい!」
つい、いつもの様に、後輩や研修に来る学生を相手にするような口調で言ってしまう。
その様子を側で見ていた貴族らしき男性が、「ふむ」と小さく呟いたのが聞こえて来た。
自分より遥かに年下の小娘に、完膚(かんぷ)なきまでに叱られ、気分は最悪であった。
それも、雇い主の目の前で叱られたのだから、怒り心頭である。
鈴が言ったリハビリの項目を、一字一句間違えずに紙に書き写しさせられ、その手ほどきも子供に教えるかのように、噛み砕いて説明をする。
主治医にしてみれば、この様な事は見習いの時以来初めてであった。
プライドがズタボロだ。
説明が終わり、主治医たちは部屋から出て行き、その後、貴族らしい男性と少し話をする。
「お前達はこれから何処に行くのだ」
「私たちはこれから王都へ向かいます」
「ほぅ~。なら、また会うかもしれんな」
「貴方も王都へ行くんですか?」
「私の家は元々王都にあるのだよ。ここは別宅だな」
「お金持ちなんですね。もし王都で私たちを見かけたら、ぜひ声を掛けてください」
「あぁ。そうしよう」
などと話していた。
一方、先ほど部屋から出て行った主治医は、いまだその怒りが収まらず、近くに居た使用人に小声で何かを言ったかと思うと、不敵な笑みを浮かべながら小声で呟く。
「このまま無事に帰れると思うなよ、小娘が・・・」
何を企んでいるのか分からないが、これは何かひと波乱起きそうな予感がする。
鈴達が屋敷を出る頃にはすっかり日も傾いており、太陽と入れ替わるかの様に、大きな月がその顔を覗かせはじめ、夕日を浴びて赤く染まっている。
とても綺麗だ。
その月を眺めながら歩き、町の外れまで来ると、数人の黒づくめの男たちに囲まれてしまった。
「何者!?」
「うるさい!やっちまえ!」
理由も言わずに切り掛かりに来るとは、何とも礼儀知らずなのだろうか。
いや、そんな事はどうでもいい。
いまはこの状況をどうにかしなければならない。
鈴は指輪を使う事にした。
空砲ガンを使えば、牛なら気絶で済むが、人間に向けて撃てば大怪我をする。
骨の2・3本は確実に折れるだろう。
したがって、この単距離では空砲ガンよりもスタンガン仕様を使う事にした。
向かってくる相手をひらりと交わしながら、その瞬間に体の一部に触り電流を流すと、バタバタと黒づくめの男たちが倒れて行く。
その様子を見ていた後方隊が、側に近寄るには危険だと判断をし、弓で狙って来た。
しかたがないので、空砲ガンモードに切り替え、狙いを定めて撃ち抜く。
1人、また一人と倒れて行く。
撃たれた方は、何が起きているのか分からない様だ。
この時代の飛び道具と言えば弓だ。
しかし鈴は弓など持ってはいない。
自分たちの方に手を伸ばしただけで、何かに撃たれ倒れて行くのだ。
倒れた人物を見ても、血などは流しておらず、何故倒れて行くのかさえ分からない。
身の危険を感じた黒づくめの男たちは、いったん引き揚げようとしたが、隠れて見ていた、先ほどの屋敷に居た主治医が姿を現し、逃げ出そうとしていた黒づくめの男たちに言う。
「何やってる!たかが小娘1人も殺せないのか!」
罵声が飛ぶ。
「しかし旦那様。あの娘、何か分からない物で攻撃をしてくるんですよ」
「何も持ってないではないか!早く始末をしろ」
そうは言われても、得体のしれない何かに狙われると言う事は、恐怖心がMAXに跳ね上がる。
なかなか側に近付いては行けないのであった。
鈴達の方も、背後をとても気にしており、なかなか隙が出来ない。
これも、紛争地で敵襲から逃れながら患者を救出し、治療に当たっていた鈴だから出来る芸当であった。
後100m程で車に着くと思われる場所で、主治医と黒づくめの男たちは動き出す。
物陰に隠れながら後を付いて来ていた男達だったが、鈴を射程範囲に収めると弓を力一杯引いた。
引いた矢尻が夕日に当たり、一瞬光ったのを圭太は見逃さなかった。
「危ない!!!」
圭太の体が鈴に覆い被さるように庇った瞬間に、矢が飛んで来て圭太の背中を貫いた。
ドスンと言う衝撃と共に、圭太の体の力が抜け、地面に倒れ込んでしまう。
「きゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
鈴が悲鳴を上げた。
しかし、いつまでも悲鳴を上げてうろたえている鈴ではなかった。
すぐさま矢が飛んできた方向を見定め、空砲ガンを撃ち放つと、隠れていた残りの男たち3人に命中をさせる。
男たちの側に居た主治医も、急に恐ろしくなり、逃げようとその場から立ち去ろうとした時に、鈴が撃った空砲ガンの的になった。
― パシッ ― 小さな音がしたと思ったら、主治医は激痛を感じ、気を失い倒れ込んだ。
襲撃してきた敵を全員倒したことを確認すると、鈴は大声で和也を呼んだ。
「和也ああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
車両の中に居た和也がその声に気が付くと、外に出てくる。
少し離れた所で、鈴が圭太を抱きかかえるようにして和也の方を見ながら、
「圭太が弓に撃たれたの!一緒に運んで!」
大声で叫ぶ。
叫びながらも、圭太の脈や息遣いを確認し、矢が刺さっている所を見ると、丁度背中と腰の中間あたりに刺さっていた。
その位置から推測すると、太い血管や神経には影響がなさそうだったが、問題は内臓までいっているかどうかであった。
和也は急いで車内からタンカを担ぎ、出てくるが、1人で運ぶには大きすぎる。
鈴は、再度辺りを見回し、変わった様子がない事を確認すると、和也の元に駆け寄りタンカを運ぶのを手伝った。
すると、倒れている圭太の周りに、あの白い霧が現れ、圭太を包み込んでしまう。
「「えっ!?」」
2人は目を疑った。
こちらの時代に来る時に遭遇したあの霧だ。
青い稲妻の様な光が所々見える。
間違いない。
2人は慌ててタンカをその場に置き、圭太の元へ駆け寄って行ったのだが、側に近付いた時には、既にその霧は晴れていくのであった。
もしこのまま、圭太が時空に呑み込まれたとしたのなら、今居る場所は限りなく前線に近い場所に居る。
そんな未来に圭太が突然現れたとしても、誰も見向きもしないどころか、医者さえもそこには居ないだろう。
瀕死の圭太はいったいどうなってしまうのだろうか・・・・。
◆ 二人きりの夜 ◆
霧が晴れてからそこで二人が見た物は、圭太の姿ではなく、1通の手紙と、品数が少なくなってきていた薬品と薬が入った大きな箱だった。
鈴は手紙を手に取り、それを読んでみた。
―― 鈴ちゃん、和也君、元気でやっていますか?
僕はどう言う訳か、あの霧に包まれてから元の世界に戻って来れた
ようです。
でも何故だか、戻った場所が日本で、慶清大学病院の中庭だったそうです。
あの後、直ぐに手術をしてもらい、今は元気に仕事もしていますよ。
それと、おかしな事に、和也君がこちらの世界から消えて行方不明になって
いると言う事が、僕が戻る前日に起こったそうです。
こちらの時間の流れと、そちらの時間の流れが違うのか、それとも時空間
で何らかの作用が働いたのかは分かりませんが、時間の経過にはばらつきが
あるようです。
戻って来てから3カ月が経ち、鈴ちゃんや和也君の事を色々と聞かれましたが
本当の事を言っても誰も信じてはくれないと思うので、記憶喪失の振りを
してしまいました (笑)
この手紙と薬が、鈴ちゃんと和也君に届く事を願いながら、もしまた、あの霧が
発生したら入れてみようと思います。
PS 僕は無事で元気にやっています。二人とも体に気を付けて、早く帰って
来てください。
by 圭太
――
「・・・・圭太、無事だったんだ・・・良かった・・・。」
「・・・・ああ。」
圭太の無事を確認した二人は安堵をし、胸を撫でおろしたのだった。
圭太は無事だ。
それが分かれば、もうここに留まる理由がない。
2人は王都を目指し早速出発をする。
車の中で和也が聞いてきた。
「お前ら、いったい誰に襲われたんだ?」
「脳梗塞の患者の家に行ったじゃない?
そこの主治医だって人が親玉だったみたい」
「なんでそいつがお前らを狙うんだよ」
「私達って言うか、私を狙ったんだと思う」
「はぁ?意味わからん・・・。
お前、またなんかやらかしたのか?」
「やらかしたって言うか・・・
あの人、人に教えてもらう態度じゃなかったから、ちょっと・・・」
「はぁ~・・・。この時代は男尊女卑だって言っただろ?!
お前が育ったアメリカとは違うんだよ」
和也は大きな溜息とともに、肩をガックリと落とし呆れ顔をしている。
「ごめん・・・圭太が怪我したのって、私のせいだもんね・・・」
「それはあんまり気にしない方が良いぞ。
圭太も無事だったんだしな」
「でも・・・・」
「たぶん、俺がその場に居ても同じ事をしたと思う」
「えっ?いまなんて言ったの?聞こえなかった」
「何にも言ってねぇよ!ばーか」
和也にしては珍しく、鈴に気を使っていたのであった。
王都まではまだ少し距離があるため、日も暮れて来たので、途中の山道で1泊する事になった。
レトルトの食材を少しアレンジして、二人がテーブルを囲む。
「・・・・静かね」
「ああ」
「和也ってさ~、「ああ」しか言わないよね・・・」
「そっか?」
「そうよ!なんか静かすぎて変な感じ・・・」
「もしかしてお前・・・静かなのが怖いとか?」
和也はからかう様に言う。
「怖いって言うかね、今までは大勢の人に囲まれてたから、どこかしらから人の声が
聞こえてきてたのよね・・・。
でも、今は和也以外はいないでしょ?
だからかな?
和也が黙ってると、この世界に、1人だけ取り残されたような気がしちゃうのよね・・」
「結局、寂しいだけか」
「それを言ったら身も蓋もないじゃない」
鈴は笑いながら答えた。
だが和也にもその気持ちは分かる。
もし、たった一人でこの時代に来たとしたら、今頃自分はどうなっていたかとさえ思う。
鈴と圭太が居たからこそ、この時代でもやって来られたところがあるからだ。
そして今も、圭太は元の時代に帰ってはしまったが、鈴が側に居る。
ただそれだけで、自分は一人じゃないのだと思い、安心するのだった。
今までにも、同じ家に居て二人っきりの夜を過ごした事は何度かあった。
でもそれは、同じ家だとは言っても、部屋は別だ。
しかし今は、狭い密室の空間にある、居住ルームに置かれているベッドに、鈴と和也の2人だけしかいない。
静かにしていれば、お互いの寝息さえも聞こえてきそうな距離に二人は居たのであった。
今までお互いの事を気にもした事はなかったが、昨日まではそこに居た圭太が、一人居なくなっただけで、こんなにも緊張をするものかと感じるほど、空気が張り詰めている。
が・・・、そう思っていたのは和也だけであったようだ。
鈴の方から「スー スー 」と言う寝息が聞こえて来た。
「・・・・・・こいつ、俺の事を男だと思ってないだろ・・・。」
自分だけ緊張をし、なかなか寝付けなかった事に、我ながら呆れ、そう呟いた和也であった。
気を取り直し、眠ろうと目を瞑ってみたが、車内は薄暗い明かりが灯り、その薄暗さが一層静けさを増す。
カーテンの隙間から見える外の景色も、街灯などの灯が無いため、より一層の暗闇に感じる。
空に浮かぶ月がとても綺麗で、その周りには夜空一杯に、宝石が散りばめられているかのようだった。
現代の東京では、この様に幻想的な夜空など拝めない。
数年前に、軽井沢に行った時に見た星空でも、街灯があったため、ここまで綺麗な星空ではなかった。
そんな事を考えていると、昔の出来事が思い出される。
鈴の母親と自分の父親が再婚をし、そんなに経っていない頃、風呂場から脱衣所に移った直後に鈴がドアを開け、裸を見られた事。
自分のたたんである洗濯物の中に、鈴の下着が紛れ込んでいた事。
酔っ払って寝てしまった鈴を、部屋まで運んだ時に、寝ぼけてキスをされた事・・・。
いつの頃からか、鈴を1人の女の子として見ている事に気が付いた。
初めの頃はただの同居人。
好きとか嫌いと言う感情は無く、興味さえもなかった。
バカで世間知らずだと思っていた鈴が、本当は頭が良く、一般常識は心得てはいるが、日本古来から伝わる常識に対し疎かったと言う事実を知った時、本当の『宍戸 鈴』と言う人物が気になり始めたのだ。
和也の周りに居る女子達は、お洒落や化粧に力を入れ、少しでも自分を可愛く見せようと努力している。
鈴は逆に、お洒落や化粧などには興味がないようで、いつも本を読んでいた。
高校時代は、昔話やおとぎ話の本を、大学に入ると、研究論文が載っている専門誌を読んでいたのだった。
どことなく他の女子と違う鈴の事が気になりだしたのは、この頃だろうか。
志望校や志望学科が同じだったこともあり、長年同じクラスメイトとして学校にも通い、家も同じなので、ほぼ24時間一緒に居る事になる。
気になり始めたその頃から、視界に入った時には、自然とその姿を目で追う事が多くなった。
しかし、素直ではない和也は、いつも鈴に対して憎まれ口ばかりを言っていたのだ。
そのせいかどうかは分からないが、鈴にとって和也の存在は、男とは認識をしていても、異性としては、まだ意識をしていないようだった。
和也は、自分の事を意識してもらうには、まだまだ時間がかかりそうだと、大きな溜息を付きながら眠りに入っていったのであった。
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