こはまかると 2014-08-08 21:19:52 |
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小2の最後まで広島に住んでた
両親の高校が大阪で、生まれたのは大阪ですぐに広島に行った
父親の転勤で大阪に戻ってきた
卒業した小学校は小3の一学期から行ってた
今はボロマンションだけど、広島では三階建ての一軒家だった
まだ新築だったし、親がそれを手放す時どんな気持ちだったか考えると泣きたくなる
私もあの家が、あの生活が大好きだったから、今でも「もし引っ越さなかったら」ってよく考えてる
母は三階で夢だったピアノの先生をしてた
私は大体一階にいて、寂しくなったら近所のひーちゃんとあーちゃんと遊ぶか三階に行って本を読むか学校に遊びに行くかしてた
兄はいたけど習い事で多忙だったし、そんなに仲良くなかった
私は月曜はピアノ、火曜は英語、金曜は水泳、土曜はバレエをやってた
今は週一で塾に行ってるだけ
水泳が一番好きだった
引っ越しの時にやめるまで、バッタの途中までやった
帰りにいつもアイス食べて、家に帰ってからは三階に行ってレッスンが終わったあみちゃんとまほちゃんと遊んだ
スイミングスクールのグループで、ゆうくんと一緒だった
その人は幼なじみの兄だった
私は人見知りだから自由時間とかずっとゆうくんと遊んでた
幼なじみはけんちゃんって呼ばれてた
私と同じ歳だった
ゆうくんは二つ上で、私の兄と同じ歳だった
広島で最初に住んでたアパートが隣かなんかで、その時から家族ぐるみの付き合いだった
幼稚園はけんちゃん達のおじいちゃんが園長先生をやってるところで、私はちょっとした問題児だったらしいからよくお世話になってた
けんちゃんとは幼稚園から転校する小2までずっと同じクラスだった
運命だと思って昔は「大きくなったらけんちゃんと結婚する!」なんてありがちなこと言ってた
ここ何年も会ってないし、勿論今はそんなこと思ってない
私の兄は昔から器用でなんでも出来た
母に似て絶対音感もあって、父に似て機械関係にも強くて、運動も勉強も出来て、顔も良かったからすごくモテた
内と外の顔を上手く使いこなせてた
家族にはモテてないね
でも自慢の兄だった
マラソン大会ではいつも一位だった
子ども会のソフトボールチームではエースだった
ヴァイオリンで大きい賞もとってた
全国模試でも好成績を残してた
今ではそんなに輝いてないけど
やめて気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い
部屋に入ってこないでよ勝手に触らないでよ
布団に潜ってるの暑いから早く出ていって
ごめんend
みんなといる時はあんなに楽しそうにするんだ
私達といるはあんなに楽しそうじゃないのに
本当にごめん
endの貴重な休みを削らせてごめん
冬休みからは誘わない
endもルカも
辛いよ?悲しいよ?
でも一人ではしゃいだってむなしいじゃん!
あと、それで泣きそうになって不機嫌そうな顔して先生に心配かけてしまった
ごめんなさい
本当は最後まで残りたかった
ああもうこれで、私の生き甲斐が一つ減った
先生が私を見てちょっと変わったねって言ってた
ルカは変わってないらしい
あの時は気づかなかったけど今気づいた
私は変わりすぎた
みんなは昔と変わらなかった
あの輪の中に私はもう入れない
みんなの目に映っていいほど私は清らかじゃない
この二年で無駄なことを知りすぎた
会いたかったのに、また会いたいのに私はもうあの頃には戻れないから、みんなの中に入ってもみんなはきっとつまらない
私はどうすればよかった?
もっと早くに気づけていたら行かなかったのに
変わったことに気づいてくれた先生とは二人でゆっくり話をしてみたい
どーせこんなこと言ったってまたみんなと会うんだろうな
学習能力がなくてガッカリだ
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