佐原 2014-07-13 23:00:42 |
通報 |
>3
大切ってどういうことなのかもよく考えます…。
くぅ様は逃げなかったんですね。私なら自分に言い訳し、事実から目を反らし、楽な方に向かってしまうかもしれません。
お話を聞かせて頂き有難うございました。
私はよく胃を壊す。
ひどい腹痛のあるときは苦しく、それから逃れたい気持ちでいっぱいになっているように思う。
でも腹痛のない今は、その痛みも苦しみも実感の沸くものとして想起することができない。痛みとはなんぞや
時間が経てば、事が過ぎれば…忘れてしまう。具体的なこととして思い起こせない。
過去の痛みを身体に刻むことができれば、未来の痛みを回避できるかもしれないのに。繰り返してしまうのは本当の痛みではないからなのか
>10
痛みってリアルな感覚ですものね。分かるような分からないような…
因みに私は、精神的に辛いことがあると充足された肉体を疎ましく感じることがあります
気持ちが辛いときは空腹でいたいような気がするんですよね
>11
そうなのですか。奇遇なことに私も人付き合いをしていて「いつもセカンド以下にしかなれていない」と度々感じます。でも痛みや苦しみは伴いません
自分でセカンド以下のポジションを望んでいる部分もある所為かもしれません
近付きすぎるのが怖いんだと思います。結果として、人付き合いにおいては結構、慢性的な疎外感を感じているような気がします
私の『痛み』に対する考えを話す前に、
良ければ>>6について繰り返してしまったエピソードなど聞かせてくれませんか?
突然ですみません…。気になったもので…。
単純に考えたら痛いって大切なことですよね
体でも心でも危険信号なわけですから
チャットとかでもシニタイっていってる人がいますが
アレは言い方を変えると痛いってことなんだろうなと思います
>14
些細なことばかりで、そんなに重たい話ではないのです(苦笑)
なので恥ずかしいのですが、例えば…
・痛んだ食べ物を軽い気持ちで食べてしまったり
・子供のときは前から出されていたような宿題を毎回提出前夜に泣きながらやっていたり…
お腹を壊したら辛くてたまらないはずですし、泣きながら宿題をやっていたときは自己嫌悪でいっぱいになっていたはずです
なのに回避の具体策をとらない。痛みや苦しみが実体験として刻み込まれていないから繰り返してしまうのではないかと思うのです
>14
痛みの苦しみ、恐怖がありありと思い出せるうちは同じことを繰り返しません
しかし、私にとってその期間は短いことが多い。私は自分の計画性のなさに度々苦しめられているのですが、
ごく最近になって、その改善の鍵がこのあたりにあるのではないかと思い始めたのです
そこは少し違いがあるよ
人間は1度味わった痛みは身体も心にも経験という抵抗力がつく
同じ失敗や同じ体験というのはあり得ない
さらに言えば予測もしている!脳や体もね
>15
シニタイというのは…「痛い、ここから逃れたい」という心の叫びですね。
包丁の刃先をゆっくりと腕に当てていく…普通の人は途中でやめます。なぜなら「痛い」から。
痛覚がなければ、知らない間に腕がなくなっていても気付けないかもしれません。
人間は産まれることと死ぬことだけは2度できない
逆にそれ以外は何度でも出来るということ
痛みや失敗に対する経験を予防する道と力にするという道がある
トピック検索 |