邪仙 2014-06-26 23:30:14 |
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漠然とした不安に取り付かれているときは
ぐるぐるぐるぐる同じ場所を回っているような気がして、進んでいる気がしなくて
こんな人生ならしまいにしたいというような気持ちになる
漠然とした不安を具体化できればとぼんやり思うが、力が入らずジレンマ
早く夜になればいい
不安なとき→
もう職場に行きたくない
落ち着いているとき→
ここで頑張るぞ、少しずつ良くしていけば、そのうち今よりはかなり良くなっているはず
浮き沈みがきついわ
不安なとき
→先が見えない。何かやろうとしても頭が働かず、手につかない。ぼんやり、それは甘えだの何だのと考え事
落ち着いているとき
→目の前のことをただやるだけだ。実際に不安なときよりは頭が働き、一応は動くことができる。
猿まわしの猿じゃあるまいし…
今までの経過をまとめておきたい。相談がしやすいように
でも、時間を置くとアイディアは失われてしまう。書き留めておいて後から見ても、再現できないということがとても多い。悔しい
重要なことや先のために必要なことをその都度、判断するのが苦手なら
頭の回るときに事細かなチェックリストを作り、頭の回らないときでもそれを見て動きさえすれば、業務上の大きな支障を起こさないようにできるようした方が良いんじゃないかと思うんだ
今日職場に行かないで、それを作ることができればいいのに
職場のマニュアルには不足があるのだもの…あくまで私にとってはだけど
手書きだし、抜けや順番の前後があったりして見落としややり残しが多かった
休み前は「休みの間にあれしてこれして、次の出勤を気持ち良く迎えられるようにしよう」と張り切りがあるのに、
実際に休みに入ると「あーやらなくちゃー」と思いながらなにもできていないことが多い
何時迄に動こうとか思っても守れてなかったりする。守れない理由は色々…
これが怠けでなくて何だと恥ずかしいが、これも精神科でしっかりと相談してみよう
・不安を取り除く
・やることだけやる
この2つじゃないか。私に必要なのは。
ここまでやってきて“甘え”“やる気”“真剣さ”“反省”…そういう抽象的な概念に意識を注いでも、私は良くはならないような気がしてきた。
ミスしても、もう「反省しよう」とか思わない方が良い気がする。ただ「やることだけやるだけ」。ダメだって言われたことは、かけた迷惑やできなかった事実については謝って「次はやらないようにするだけ」。
なんかやっぱり、ただのノイローゼなのかな
先生は「自分は専門ではないから」という理由から、はっきりと診断することを避けているだけで自分のことを「障害あり」とは思っていないのではないかと思う
それはそれでいいんだけど、それなら「私が精神科に通う意味」とはなんだろう
私は元々「診断がほしくて」そこに悩みがあって受診した。そして「診断に必要なのか」と思ったから通院を続けた
どちらもなくなり別に何か診断をされるということもなく、それでは通院をする意味とは何だろう
先生いわく「どんな病気や障害があるにせよ、それからのことと言うのがあるから」「一人で考えると悪い方にいきがちだから」
…私は私を理解したいと思うんだよな。その一部に「障害があるのかどうか」ということがあったから、精神科に行ったんだ
自分が自分で理解できなくて、方向性が設定できず、苦しんだ
圧迫されていて怖いな
誰にもどうにもできないことなのか
自分がほしいものはなんだろう。魔法の杖以外で
度々取り付かれる不安感をどうにかしたいんだけど、味わうしかないものなのかな
分からないってことが不安なんだよね
また現実からの浮遊感
何で動けなくなってしまうんだろう。診断された直後は幾重かの霧が晴れたようで、動くことができたのに
悩みはじめると駄目みたいだ
では意識的に悩まないようにすれば良いのではと思うのだが、それができていない
自分で自分が分からないという得体の知れない漠然とした不安に取り付かれ、理解できず理解してもらえずの苦しみで苛立ち、
恐らくは、混乱のなかでの「考え事を停止したい」という欲求から、自傷的な衝動が沸く。
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