匿名(主) 2014-06-21 12:48:38 |
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はい、議題が逸れてしまいますから戻しまょう
主ニョロの双方
以後は言葉に気をつけて大人の話しを。
私の思う説教だけれども
大前提として相手の為(道を提示するなり間違いを正すこと)にならねば意味がない
これを育児で強く感じるんだけれど
娘が私のことを叩いたとする
私が『痛い!なにすんのよ!叩くのやめて』って言ったら説教ではなく単なる感情論。叩かれた私が主観的になっているからね。
『叩くのは良くない。言いたいことがあるなら言葉で伝えなさい。じゃないとやられた人は嫌な気持ちになるし、痛いんだよ、痛いことされたら嫌でしょ』
こうして、一般的に当てはまるだろう言い方をするよう気をつけている。
例えが育児だけれど こういうことだと思うんだわ。
説教する側はあくまで客観的に一般論を。もちろん、一般論にはならないような理不尽を納得させねばならないわけだがその場合もまた客観的でなければ単なる横暴になる。
説教される側も主観的になりすぎると冷静さに欠けるから腹が立ってします。となれば理解しようという姿勢がなくなる。
説教はお互いの客観性と寛容性の上に成り立つと思って…います(笑)
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