青葉 2013-10-19 22:21:19 |
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母親譲りの体質だろうか。青葉はよく金縛りにあう。最初は恐怖があったが、もう慣れてしまい、金縛りを解かずに寝てしまうことも多々ある。
だけど、最近はそういった余裕がなくなってしまった。
何故ならば、このところ金縛りにあうと必ず人の気配を感じるようになったからだ。毎日金縛りにはならないが、金縛りになれば必ず気配を感じる。
その気配はいつも青葉の寝ている近くを通り過ぎていく。寝ている青葉の足の方からゆっくり歩いて来て頭の横を通り過ぎる。そして青葉の寝ている部屋を出て玄関に出ると、出てすぐの所にあるリビングへの扉を開けて中に入っていく……ようだ。ようだ……と、断定しないのは青葉は金縛りで目が開かず、気配と音だけで判断しているので確証はないということ。が、まず間違いないだろう。
それまでも金縛りにあった時に、人の気配を感じることがなかったわけではない。だけど、こう続けざまにはなかった。それに、それまで気配を感じた時、その気配はかなり存在感があり胸の上に乗ってくるのが常だ。でも、最近出現する気配は攻撃的な行動はなく、ただ寝ている青葉の横を通り過ぎていくだけ。
金縛りを霊的な現象と捉える人もいるが、金縛りは簡単に説明すると脳は覚醒が始まっているが体は寝ている状態だという。
そして、胸の上に人が乗ってるように感じる人は多いようだが、それは、体が動かないことについて脳が辻褄を合わせるために、そんな感覚に自分を陥れるようだ。体が動かないのは何者かが体に乗っているからだと脳は説明をつけようとしている。また、自分に乗っている何者かの姿を目撃してしまう場合もあるが、それは夢ということのようだ。
だからこそ、青葉は最近現れる気配に恐怖を覚えている。胸に乗られた方がましだと思う。
乗られたのならば、脳が動かない体の辻褄合わせをしていると解釈して安心できるが、気配は静かに青葉の横を通り過ぎて部屋を出ていくだけ。これでは辻褄が合わない。金縛りではなく本当に霊的な何かの仕業で体が動かなくなってるのではないかと恐ろしさを感じる。
もしも、霊的な者の仕業ならば、いったい何者なんだ?
そんな答えの出ないことを考え恐怖する。
だが、霊的な者であるならば、興味を惹かれることがある。
霊的な者……彼?はリビングに続く扉を開けて何処にいくのだろうか?
青葉は玄関からリビングに続くその扉は使うことがない。ないと言うより使う事が出来ない。何故ならば、リビングには大きな棚が置いてあり、その扉は棚に塞がれているからだ。おかげで、ずっとその扉は開かれたことがない。開かずの扉だ。
だが、彼は意図も簡単に扉を開けて中に入っていく。
本来は開かない扉の先にはどんな世界があるのだろう。気になる。
恐怖の中で興味を抱くだけだった青葉が、とうとうその扉を通り抜ける時がやって来た。
青葉は次に彼が現れたら、その後を着いていこうと決めていた。
彼が現れた時、青葉は金縛り中なので動くことはできない。だけど、金縛りが解けたら直ぐに追いかけてみることにした。
勿論うまくはいかないという結果は大前提だ。開かずの扉は、彼が開けるからこそ開くのだと思う。青葉が開けようとしても、裏にある大きな棚が邪魔して扉はびくともしないだろう。
でも、挑戦することにした。もしかしたら、彼が扉をくぐった直ぐ後ならば、彼が開いた異世界が閉じきらずに、青葉もくぐり抜ける事ができるかもしれない。そう考えた。
そんな挑戦を決意してから程なくして、青葉は金縛りにあい、彼は現れた。
青葉は懸命に金縛りをとこうとする。とにかく体を動かそうとする。それが金縛りのとき方だ。
彼は青葉の頭の横を通り過ぎていく。
焦る青葉。
彼は追うなら、早ければ早い程いいはずだ。
思いが通じたのか体が動く。
しかし、ひどく緩慢な動きだ。金縛りが続いているような感覚がある。でも体は動く。
何とか体を動かし起き上がる。そして気持ちとは裏腹にゆっくりと部屋を出る。
彼の姿はもうない。
開かずの扉をもう通り過ぎてしまっている。
部屋を出て、懸命に扉に近づく。
動きの鈍い体を引きずって体扉の前に立つと、扉は閉まっていた。彼は扉を閉めていったのだ。
逸る気持ちとは逆に、ゆっくりと扉のノブを回す。
そして、緊張しながら扉を押してみる。
異世界への扉は、青葉の動きと同じく、ゆっくりと開かれていった。
徐々に扉は開かれる。
中は薄暗いようだ。
さて、この扉は何処に繋がっているのだろう。
青葉はゆっくりと扉をくぐり、そして二三歩前進する。
結果は、何てことない。青葉の家のリビングだった。
が、様子がおかしい。確かに青葉の家のリビングだが何かが違う。いや、色々と違う。
まず、テレビが違う。現在の薄型テレビではなく画面の後ろが厚くふくらんでいる。それから、テーブルも今使っているものと形が違うし、イスも違う。さらに、今は何もない所に絵が飾られているし、壁には「雅」の一文字が描かれた「のれん」が貼り付けられている。どれも今の青葉の家のリビングにはないものだ。
でも、全て見覚えがある。
そう、今のリビングにはない。が、かつてはあった。
ここは過去のリビングだ。
そう理解した。すると、
「おやおや、あなた。ここにどうやって入ったのです?……ここに迷い混んでくる人間がいるなんて。」
そんな声が聞こえた。
驚きながらも声の主を探す。
そして、窓際にシルクハットを被っり燕尾服を身につけてたたずむ老紳士を見つけた。顔はよく見えない。
「あ……あ……」
うまく言葉が出ない青葉。
言葉が出ない上に緩慢な動きの青葉を見て老紳士は言った。
「なるほど。睡眠と覚醒とのはざまにいる状態で私を追ってきたのですね。それなら或いは、この部屋に人間が来るとも可能なのかもしれません。しかし、危険なことをしたものです。」
青葉は何とか声を出そうとするが、どうにも出すことができないでいると、
「およしなさい。声を出してしまえば、あなたは覚醒してしまいます。そうなると元の世界に戻れるかどうか私には判りませんよ。」
そう老紳士は続けた。
「あ……」
それでも青葉は声を出そうとすることを止められなかった。
「お止めなさい、声を出そうとするのは……。いいでしょう。聞きたい事があるならば、お答えしましょう。あなたがここに閉じ込められる事態になっては、私も後味が悪い思いをすることになりますから。あなたは考えるだけでいいのです。」
老紳士は窓際から動かずにいる。
『ここは何処ですか?』
青葉は心の中でそう訊いた。
「それは私に聞くまでもないでしょう。あなたの家のリビングですよ。」
身動きせずに老紳士は答えた。
『確かにそうです。でも、違います。今の状態ではありません。ここは過去ですか?』
「過去ですか……。そうとも言えるし、違うとも言えます。ここは……そうですね、記憶の世界と言うのが一番に適当でしょうか……。」
老紳士は考えながら、そう言った。
記憶の世界?誰の?
心の中で質問調に考えたわけではないが、
「無論、ここを記憶している者のですよ。」
と、老紳士は答えた。
この過去のリビングを細部まで記憶しているのは青葉の家族と考えていいだろう。
この状態のリビングは10年くらい前だろうと思う。
この家はその頃、父、母、姉、そして青葉の四人で住んでいた。
さて、誰だろう。
青葉ではないような気がする。10年前のこのリビングを懐かしく思うが、特別な思い入れはない。
「あなたではありませんよ。現在のこの部屋を毎日見ているのですから、10年前の部屋を再現はできません。あなたが再現したら、この部屋は過去と現在の物がごちゃ混ぜになります。記憶なんて、そんなものでしょう?」
なるほど。そうかもしれない、と思う。
では、姉が最有力だろう。
10年も前ではないが、結婚して一番最初に家を出ている。
父母も訳があって家を出たが、まだ3年前だし、近くに住んでいるのでこの部屋がどんな状態であるかはよく知っている。だから家族の中で姉が最も過去の部屋を記憶に残しているはずだ。
「そうでしょうか。10年ではないにしても、そうとう歳月が経っているのですよ。人は部屋がどうだったかなんて忘れます。だいたい、あなたは細部まで部屋を記憶している、と考えてましたが、どうして細部までと言えるのです。記憶はあなたが考えているより曖昧なんですよ。」
老紳士は青葉が考えていること全てが分かるようだ。
青葉ではなく、姉ではなく、父母でもない。そう老紳士は言っている。
『そうなると思い当たりません。』
家族以外にこの部屋を記憶している者などいるだろうか。
「誰か忘れていませんか?まあ、忘れているからこそ、私はここに来ようと思ったのですが。」
誰か忘れている?
そうだろうか。
考えたが思い当たらない。
「ほら、あなたのすぐ後ろにいますよ。」
老紳士はそう言って青葉の後方を指差した。
後ろに?
青葉はゆっくりと半身になり、首を後ろに動かす。
後ろには扉を塞いでいた大きな棚がある。
彼女はそこにいた。
彼女は棚の上に寝そべりながらも頭だけ起こして青葉の見ていたが、やがて大きな欠伸をすると、前足に頭を置いて、完全に臥せてしまった。
彼女の定位置は幾つかあったが、この棚の上は特にお気に入りで、よくここにいた。
彼女は真っ白な猫。
13年の間一緒に暮らした。
「この部屋は、その猫の記憶が作り出したのですよ。」
確かに彼女がこの世を去った時、このリビングはこんな状態だったように思う。
『彼女が作り出した……のですか?』
青葉は老紳士の方を向いた。
「そうです。」
老紳士は頷いた。
『なんのためにですか?』
青葉は疑問をぶつけた。
「それは、そのメスの猫がここにいたかったからです。精神が肉体を離れてもここにいたいと思った。だからですよ。それ以外に何があるというのです?」
そうなのか。肉体は滅んでも精神は残り、こんなふうに自分の場所を作るものなのか。
そう思った。
「そうでもありません。そう多くあることではないのですよ。」
質問していない青葉に、そう老紳士は答えた。
『そうなのですか?』
「偶然ここには使われていない扉があり、そして、偶然にその猫の願いを私が感じ取った。偶然が重なってのことです。」
よく解らない説明だ。
「その猫の望みを感じ取っても、状況がそぐわなければ私も何も出来ませんでした。しかし、ここには偶然にも使われていない扉があった。だから私は猫にこの空間を提供したのです。」
ここの創生には老紳士が深く関わっているようだ。
『この部屋を作ったのは、あなたですか?』
「言ったでしょう。ここは猫の記憶が作ったのです。記憶と願いが作ったのです。この部屋にいたいという願いが。私は、ただ扉を開けて空間を提供したただけです。」
開かずの扉を開くことができるとは、ただ者ではない。
『いったい、あなたは何者ですか?』
そう、青葉が質問すると、
「さあ、何と答えればいいでしょう。あなたが納得できるような答えは、きっとありません。」
と答える。
彼女は棚の上に寝そべりながらも頭だけ起こして青葉の見ていたが、やがて大きな欠伸をすると、前足に頭を置いて、完全に臥せてしまった。
彼女の定位置は幾つかあったが、この棚の上は特にお気に入りで、よくここにいた。
彼女は真っ白な猫。
13年の間一緒に暮らした。
「この部屋は、その猫の記憶が作り出したのですよ。」
確かに彼女がこの世を去った時、このリビングはこんな状態だったように思う。
『彼女が作り出した……のですか?』
青葉は老紳士の方を向いた。
「そうです。」
老紳士は頷いた。
『なんのためにですか?』
青葉は疑問をぶつけた。
「それは、そのメスの猫がここにいたかったからです。精神が肉体を離れてもここにいたいと思った。だからですよ。それ以外に何があるというのです?」
そうなのか。肉体は滅んでも精神は残り、こんなふうに自分の場所を作るものなのか。
そう思った。
「そうでもありません。そう多くあることではないのですよ。」
質問していない青葉に、そう老紳士は答えた。
『そうなのですか?』
「偶然ここには使われていない扉があり、そして、偶然にその猫の願いを私が感じ取った。偶然が重なってのことです。」
よく解らない説明だ。
「その猫の望みを感じ取っても、状況がそぐわなければ私も何も出来ませんでした。しかし、ここには偶然にも使われていない扉があった。だから私は猫にこの空間を提供したのです。」
ここの創生には老紳士が深く関わっているようだ。
『この部屋を作ったのは、あなたですか?』
「言ったでしょう。ここは猫の記憶が作ったのです。記憶と願いが作ったのです。この部屋にいたいという願いが。私は、ただ扉を開けて空間を提供したただけです。」
開かずの扉を開くことができるとは、ただ者ではない。
『いったい、あなたは何者ですか?』
そう、青葉が質問すると、
「さあ、何と答えればいいでしょう。あなたが納得できるような答えは、きっとありません。」
と答える。
『理解不能な存在ということですね。』
理解不能という理解を青葉はした。
「そうですね。開くはずのない扉を開ける。矛盾しているでしょう。つまり理解は不能です。理解を得られない。私はそれだけのつまらない存在です。」
老紳士はそう言ったが、十分に面白い存在だと思った。
開かずの扉を開けて空間を作り出す。とんでもない特殊技能の持ち主だ。あるはずのない空間を存在させている。
そう考えていると、老紳士は言った。
「しかし、ここも、そろそろ終わります。無くなります。」
『何故ですか?』
せっかくの稀有な場所だ。
「その猫の存在感が薄れてしまいました。あなたを含めて、その猫を知っている数少ない人達が、その猫をほぼ忘れています。そうなると、その猫の精神は存在できなくなります。ここを作り出した存在が存在できなければ、ここも終わります。」
そう老紳士から言われ、青葉は反論したくなる。
『忘れていません。ただ思い出す回数が少なくなっただけです。』
老紳士は頷き、
「そうです。それが忘却ということです。」
二の句が告げることができない青葉に老紳士は言葉を重ねる。
「別に責めているのではありません。廃忘は自然の摂理ですから。その猫に限らず誰もが忘れ去られていくのです。それに、本来もっと早くこの部屋は消滅するはずでしたが、今日まで長らえました。存続させたのは他ならぬ、あなたですよ。」
青葉には覚えのないことだ。
『どういうことですか?』
「あなたが、その扉を守ってきた、ということです。忘れ去られてしまえば、この部屋は存続できませんが、もう一つ、この部屋の存続条件があるのです。」
青葉には扉を守ってきた覚えはないが、そこは何も言わず、
『それは?』
と、もう一つの存続条件を訊いた。
「開かずの扉をが、開かずの扉でなくなることです。つまり、現実で扉が開いてしまえば、その時点でこの部屋は消えてなくなります。が、あなたはこの扉を開けようとしなかった。稀有な例ですよ。本当に。」
『開けようとしなかったというより、棚があって開けようにも開きません。それだけです。』
「そうですか?まあ、とにかく、あなたは扉を開けなかった。それがこの部屋を長らえさせることになりました。」
青葉は話を変える。
『ここは彼女の記憶が作り出した世界ならば、何故ここには人がいないのですか?』
そこに疑問を感じていた。
「かつては来ていましたよ。でも、その猫のことをあなた方が忘れてしまい、最近は誰も来なくなりました。 あなたも前はよく来ていました。あなたの家族も。今はサッパリですが。 」
老紳士はそう答えた。
『来ていた?来なくなった?』
青葉はこの部屋に来たのは今回が初めてだ。
「実際に、あなたや、あなたの家族が来ていた訳ではありません。現実で、あなた方がその猫のことを思い出した時に、この部屋にあなた方が現れるのです。ここはそういう所なのですよ。」
首を動かして、再び彼女を見る。
彼女は棚の上で寝そべりながら交差させた両前足の上に頭を乗せて青葉を見ている。
懐かしさがこみ上げてきて、彼女に近づこうとする青葉。しかし、気持ちと裏腹に動きは緩慢だ。
「さあ、もういいでしょう。体に戻れなくなりますよ。一刻も早くお帰りなさい。」
老紳士は少し厳しい口調になった。
『体に戻れない?』
「あなたは身体ごとここに来てるつもりの様ですが、実際は心を身体から切り離しています。そうでなければ、ここに来ることは出来ません。とても危険なことをしているのです。早くしないと心が身体に戻れなくなりますよ。」
幽体離脱のようなものだろうか。そう考えていると、老紳士は早口で言う。
「そんなものと考えていいでしょう。さあさあ、早く身体に戻りなさい。その猫とこの部屋の消滅は私が見届けます。あなたは現実に帰るのです。」
急かせる老紳士の言葉に焦りを感じながらも最後の質問をする。
『金縛りにあうたびに、横になりながらあなたが通るのを感じていました。あなたは何をしにここに来ていたのですか?』
「私は、その猫にこの場所を提供した者です。良かれと思ってやったことですが、結果は段々と自らの存在を忘れられる哀しみを感じさせることになってしまいました。だから、消滅することが近づいたその猫の寂しさを少しでも慰めようと来ていたのです。あなたの寝床の横が私の通り道です。」
彼女を思い出さなかったことに罪悪感が生まれた青葉に老紳士は言う。
「忘却は自然の摂理ですよ。余計なことをしたのは私がいけないのです。もう行きなさい。」
青葉は彼女に触れるのを仕方なく諦めて扉を開けることにした。
が、できなかった。
扉は大きな棚が邪魔していて開けることはできない。
心が身体が戻れなくなる。老紳士はそう言ったが、そうなるとどうなるのだろう。
最悪の考えが頭に浮かび恐怖を感じた。
入るときは開いたのに。
『棚が邪魔して出ることが出来ません。』
助けを求め老紳士に言葉を投げる。
「そんな現実的なことが気になるということは、覚醒が近づいている証拠です。早く、寝ているあなたの身体に戻らないと。」
そう言われても棚がある。どうしようもない。
「仕方ありません。今回だけは手伝ってあげしょう。あなたがこの部屋に来たのは、あなたに私の存在を気づかせてしまったという、私のミスでもあるのですから。でも今回だけです。もう二度とここに来ようとしてはいけません。」
そう老紳士が言い終わると、青葉は自分の意思とは関係なく扉に向かって勢いよく動き出した。そのまま開いてない扉をすり抜けて、一気に玄関を越えて青葉が寝ている部屋に吸い込まれるように移動し、寝ている自分の身体に衝突した。
ような気がした。
気がつくと元の部屋で青葉は布団に横になっていた。しかし、金縛りは解けていない。身体が動かない。
懸命に身体を動かそうとしていると、誰かが部屋に入ってくる気配があった。
「どうやら戻れたようですね。良かった。しかし、さっき言った通り、もう二度とあの部屋に行こうとは思わないで下さい。危険なことです。次は助けません。」
気配は、そう言って青葉の横を通り過ぎて行った。
気配がなくなると青葉の金縛りは解けた。
解けると直ぐに脱力感が襲い、直ぐにまた眠りに就いた。
朝、起きてリビングに行くと、そこはいつものリビングであり、当然ながら彼女もいなかった。
そして昨晩は金縛りにあいながら夢を見たんだと思った。
夢は、青葉の横を老紳士が通りリビングの方へ行ったところから、青葉が部屋に戻り、気配が去って行ったところまでの全てだろう。
何の不思議もない。ただ金縛りの間中ずっと夢をみていただけだ。
そう思ったが、一つの驚きがあった。
扉を塞いでいた棚がないのだ。
考えてみれば、玄関とリビングを繋いでいた扉を塞いでいた大きな棚は、青葉の両親がこの家を出た時に持っていった。だから、無いのは当然だし、青葉もそれは知っていた。
だが、長年そこに棚があり、開かずの扉になっていたので、ずっと使用していなかった。その習慣のせいか棚がなくなってもその扉を使うことをしなかった。
何というか、青葉は扉が使えるようになったことを、2年以上も意識しなかった。扉が開くとか開かないとかは考えなかった。
扉を扉と意識しなかった。
夢の中で老紳士は、青葉が彼女の記憶の部屋を長らえさせたと言っていた。青葉が扉を開けなかったことで、あの部屋の存続が長くなったと言っていた。繋がることはある。
まあ、所詮は夢。そう思う。
その後も、青葉はよく金縛りにあったが誰かが横を通ることはなかった。そのかわりにリビングの方から時々、四つ足の小動物が駆け回るような音や、彼女が高らかに鳴く声が聞こえる。そんな気がしてるだけかもしれないが、金縛りにあいながら青葉は彼女の存在を感じた。老紳士は本当にいて、彼女は記憶の部屋で生きているような気がした。いや、もうそう信じている。
あの出来事を体験したことで青葉は、忘れかけていた彼女を意識することになった。老紳士の言う通りならば、それによって彼女もあの部屋もまだまだ存続するはずだ。そして、青葉は扉を使わない。扉を扉として意識したが、使わない。
青葉は寝る前に彼女を思い出す。
あの時、彼女に触れることはできなかった。でも、きっと青葉が彼女を思い出すことで、記憶の部屋に現れる青葉が彼女を思う存分なで回すことだろう。それでいい。
終わり。
小学生の時、人が落ちていくのを目撃した。マンションの10階からその人は落ちていった。
そして命を終えた。
僕はその情景を鮮明に覚えている。
ただでさえ衝撃的なことだが、それが僕の友人だったのだから衝撃は尋常ではない。が、その尋常ではない衝撃をさらに超える衝撃が僕を襲った。何故なら、友人は僕への当て付けで、僕に投身を見せつけたというのだから。僕を恨んで命を絶ったのだから。僕は友人を自殺に追い込んだのだ。
友人の名前は早野彰太と言った。
僕は罪を背負いながら、その後の人生を生きている。あの日から十代後半になった今まで、僕は笑ったことがない。早野君が全てを終わらせてまで行った僕への復讐は成功している。
だが、それだけでは早野君は気が済まなかったようだ。僕への復讐を再び開始した。
年月が経っても早野君の気持ちはおさまらないらしい。命を落としてまでした復讐だけでは物足りないらしい。
あれから7年。僕はもうこの世にいないはずの早野君と再会することになった。
「なあ、お前はいつも辛気くさいな。」
先輩はそう言って煙草に火をつけた。
居酒屋というところは喧騒に満ちている。四月に大学生になってから何度か来たが僕とって好きな場所ではなかった。だいたい、まだ十代の僕はアルコールを飲むことができない。しかし、飲まざるえない状況になる。アルコールが好きではない僕には迷惑な事態に陥る。居酒屋とはそんなところだ。来たくはないが、大学の先輩に誘われては断るのことが難しかった。
「すみません。」
抑揚なく答えた僕を見て先輩はムッとした表情をする。
「そんな所が辛気くさいんだよ。何か反論でもしてみろよ。いつも言われるがままでいいのか。」
「すみません。」
先輩は軽く舌打ちをした。
「せっかくの大学生生活だろう。卒業すれば就職してあくせくしながら働く毎日だぜ。今を楽しめよ。」
そう先輩は顔をしかめながら伸びをした。
「だいたいな……」
先輩は説教を始めた。二人だけなので誰も助けてくれる人はいない。まあ、僕は聴く意志などなく先輩の説教は耳に入ってこなかった。
この先輩は畠田という。
大学入学した初日に声を掛けてきて、半ば無理矢理にオカルト研究会という怪しいサークルに僕を連れ込んだ。
オカルト研究会に入るよう口説かれている時に、
「何かサークルに入ってないと大学じゃあ居場所が少ないぜ。」
そんなセリフを言われた覚えがある。が、半年経った今オカルト研究会は僕の居場所になってはいなかった。
このところ僕は辞めるタイミングを考えていたが、なかなか言い出せずにいた。
その時、机の上に置かれている畠田先輩の携帯が振動する。
何かを喋っていた声が止まり、畠田先輩は電話を手に取った。
「もしもし……ああ、お前か。今、掛井と飲んでるんだ。来るか?……そうか。わかった。すぐ行く。」
畠田先輩は電話を切ると忙しそうに煙草の火を消し僕に言った。
「悪いな、掛井。急用ができた。ここまでの支払いはしておくから後は適当にやってくれ。」
畠田先輩は伝票を手に取ると残していく僕に目もくれずにレジの方に歩いていった。その様は失礼で人を軽んじてる態度にみえたが、思ったよりずっと早く自由になったことでホッとした。
一人で飲むつもりはサラサラない。ほどなくして僕は席を立った。
座敷席を降りると、すぐにカウンターがある。そのカウンターの横を通り出口に向かう。
その時、
「あれ!掛井君?」
カウンターに一人で座っていた同じ年くらいの女性が通りすがる僕を呼び止めた。
反射的に止まり、誰かと思い振り向く。こんな所で、しかも女性に声を掛けられるなんて意外なことだ。
その女性は笑みを浮かべて僕の顔を見ている。
誰なのかは直ぐに分かった。
小学五年生の時に僕が転校して以来は会っていなかったし、年月も経って成長はしているが憶えている顔だ。
浅井初穂。
小学生五年生の時に同じクラスで、女子のリーダー的な存在だった。
畠田先輩から解放されて安穏とした心持ちになっていた僕の心が乱れた。
今日はなんて日だと思う。世界で一番苦手としている人に再会してしまった。せっかく畠田先輩から解放されたのに、一難去ってまた一難だ。
「掛井君でしょう?絶対そうだよ。」
初穂は、表情も体も固まってしまった僕に笑みを崩さずに軽口を叩く。
「あれ!あたし忘れられちゃった?嫌だな。このあたしを忘れるなんて犯罪だよ。」
忘れるはずがない。大嫌いな人間を人はそう簡単に忘れることはできない。
「忘れてないよ。浅井さんでしょう。」
僕は冷ややかに言ったつもりだったが初穂は全く気にしていない。
「ちゃんと憶えてたね。偉い偉い。」
上から目線でそんなことを言う初穂に僕は苛立った。初穂と話すことなど何もない。そう思い立ち去ろうとした。しかし、僕が動き出す前に初穂は行動を起こした。
初穂は立ち上がり、僕の腕を取った。
「久しぶりなんだから、一緒に飲もう。見たところ独りみたいだし。」
初穂は、強引に自分が座っていた隣のカウンターの空席に僕を座らせた。
「もう帰るところなんだよ。」
初穂の勢いに負けて座席についてしまったが一緒に飲む気はなかった。僕が立ち上がろうとすると、
「掛井君って凄い!」
と何故かビックリしたような顔をした。
「……何が凄いの?」
戸惑う僕。
「あたしが飲みの誘いをすると男はみんな喜ぶのに、迷惑そうなんだもん。カッコイイぞ!掛井君!」
僕のことを凄いと言いながら、初穂は自分が魅力的な女であることを自慢している。小学生の時から初穂が嫌いだったが、年月が経った今でも好きにはなれそうにない。
「用があるんだよ。ゴメン。」
そう言って僕は立ち上がる。
「嘘つきだね。さっき、そこで二人で飲んでたでしょう?」
初穂は僕と畠田先輩がいた座敷席の方を指差す。
僕は頷く。
「一人で飲んでるとね、他にすることがなくて会話が聞こえるんだよ。掛井君と一緒にいた人は急用で去っていった。そうでしょう?つまり、掛井君は暇なんだよ。」
僕達がいた座敷は初穂の座っているカウンター席とは直ぐ近くだ。暖簾で座敷席は隠れているが、意識すれば声は確かに聞こえるだろう。
「帰るよ。」
僕に時間があることは初穂にバレているようだが、それならそれでいい。初穂にどう思われようと時間を共有するつもりはない。
「まあ、そう言わないで座って。あたしも長くここにいるつもりはないから。少しだけ。ねっ。」
初穂はしつこい。そして僕の腕を急に強く引っ張って再び座らせようとする。
思いもよらない行動に僕はよろけながら座席に納まる。
「誘いをかければ男が喜ぶなら誰が呼び出せばいいじゃないか。だいたいモテるのに、こんな所で独りでいるなんて何か変だよ。」
僕は少し怒りをあらわにした。
「解るよ、掛井君。あたしのこと嫌いなんでしょう。あの頃ずいぶん掛井君を攻撃したもんね。でも何で攻撃したんだろう。忘れちゃった。」
僕の心がかき乱される。
そんなことも忘れてるのか。忘れるくらいならば、何故あの時あんな僕を苦しめたのかと思う。僕が転校せざるえないほどに執拗に僕を攻撃した。いや、攻撃したというより責めたというのが適当だろう。
そして、初穂は思いがけないことを言った。
「きっと嫉妬してたんだよね。掛井君が早野君と仲良さそうにしていたから。あたしね、早野君のことが好きだったのよ。だから掛井君が羨ましかったのね。早野君と掛井君は同性なのにね。」
この人は何を言っているのだろうか。
早野君のことを好きだったのならば僕を責めたのは理解できる。でもそれは嫉妬心ではない。早野君を追い込んだ僕への恨み、と言うべきではないだろうか。それとも初穂は気を遣ったのだろうか。僕の心の傷を慮って忘れたということにしたのかもしれない。だとしたら、あの頃は早野君の痛みしか解らなかった初穂が、僕の痛みにも気づけるほど時が流れたのだろう。
そんな考えが頭をかすめた瞬間、僕は自分の身勝手さを恥じた。
僕が心の痛みを誰かに共感してもらう資格はない。
僕は早野君の人生を終わらせてしまったのだ。酷いことをしたのだ。僕の人生は反省と後悔で終えていかなければならない。考えてみれば、僕が初穂を嫌うのは間違っている。初穂は、もう何も言えない早野君の気持ちを代弁しただけだ。僕を責めたのは正しいことだ。
「今日は掛井君に奢るから、しばらく付き合ってよ。あの頃の罪滅ぼしをさせて。」
初穂がそう言った。
僕は帰るのをやめた。
「奢ってはくれないくていいよ。」
初穂と一緒にいることは苦痛だが、この苦痛は早野君が受けた苦痛に比べれば何てことない。それに初穂も犠牲者だ。早野君のことが好きだったのだから。小学生だったとはいえ、いや小学生だったからこそ好きな人が亡くなるのは大きな衝撃だっただろう。
罪滅ぼしをするのは僕の方だ。初穂が望むならば僕はここにいなければならない。
「嬉しい。何か飲んで。」
初穂が飲めと言えば飲まなければならない。僕は飲みたくないがアルコールを注文した。
「掛井君、本当にごめんなさい。」
僕が席に落ち着ついたと見定めると初穂は謝罪してきた。
「謝ることなんて何もないよ。」
僕は心の底からそう思った。
「大人になったんだね、掛井君は。あたしは全然なのに。」
何も答えられない。大人になったわけではない。罪を感じているだけ。引け目を感じているだけだ。
「でも、やっぱり謝らなくちゃ。おそらく嫉妬のせいでけっこう掛井君に辛く当たったけどさ、今は付き合ってるんだ
、あたし達。」
僕は当惑する。初穂が何を話しているのか解らない。
「浅井さん、誰と付き合ってるの?」
初穂は僕の問いに満面の笑みで答える。
「だから早野君とだって。話の流れから訊かなくても解るでしょう。嫌だな掛井君。わざわざ言わせて。今は早野君のこと彰太って呼んでるんだ。」
「!?」
僕はすぐに言葉が出なかった。
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