No.1 by この物語はフィクションです。 2013-08-02 14:04:56 通報 第1章
1
ある日の昼、私が庭でトマトに水をやっていると、友人から電話があった。
『久しぶりに山に行かないか?』
わたしはとある山岳会の会員なのだ。
私は同意し、せっせと準備を始めた。
登山当日。
登る山はロシア・サハリンの山で、標高は2156㍍
自宅は東京なので東北新幹線で青森へ、
青函トンネルをくぐる特急スーパー白鳥にのり、
函館から特急北斗、札幌でホテルに泊まった。
翌日特急スーパー宗谷で稚内へ、そして船に乗り込み出国だ。
サハリンに着きまた泊まり、次の朝、山に登り始めたのだった。
2
4月中旬だというのに山の頂は雪に覆われていた・・・
総勢10人の山岳会メンバーは米袋で滑って遊んでいた。
私はスーッと下のほうまで勢いあまって滑っていき、右へ左へ・・・
大きな雪の塊にぶつかってしまった。
・・・1時間ほど気を失っていたと思う。
何か大きな音で気がついた。
上のほうに向かって上り戻ったが、そこに皆はいなかった。
私の登山バック、張りかけのテント、ほかの人たちの
敗れたバック。
いったいないがあったのだろう。
私はバックの中の非常用ラジオを聞いてみた。
日本の放送がかろうじて聞こえた。
『・・・現在入ってきた情報に・・・ますと、
サハリンの山大型の熊があらわれ、登山中の日本の山岳会を襲いましたが
メンバーに怪我はありませんでした・・・が、同じ山岳会のメンバー
東京・・・区の佐藤 時雄さん63歳が行方不明です。警察では・・・』
この行方不明てのは私ではないか!
とにかくここの気温は2度ほど。暖を取らなくては凍傷になってしまう。
私はかまくらをつくり、その上に棒と服で作った旗をたてた。
これでヘリコプターに発見されるだろう・・・
私はヘリが来るのを待った。
3
少し前から雪のような雨が降ってきた。
ラジオのニュースの時間が来た。
『・・・先ほどもお伝えしましたようにサハリンで行方不明の・・・
警察ではサハリン警察に協力を依頼し捜索願を出しましたが風が・・・
ヘリコプターでの救助は難しいと判断し徒歩救助に向かいました・・・』
ヘリコプター来ない、徒歩救助・・・あと3,4時間はかかるぞ。
だんだんあられが強くなっていく。
私はつい寝てしまった。
「…Привет!」(おい!)
「…Г-н Сато ... Tokio Японии Токио N ... рисунок! Хорошо! Эй!」(大丈夫か日本東京の…佐藤時雄さん!)
え…?ロシア語…私は助かったのか?
私は昔ロシア語を勉強したことがあるので少しは話せる。
何でも知っているといざっていうときに使えるな。
「えーと…Это я была Tsu ... Вы приходите помочь」(助けに来てくださったんですね)
「Разные. Я было разрушено так же, как вы. Давайте подумаем о том, как мой спуск вместе」(違う。私も遭難してしまった。一緒に下山方法考えましょう)
ん…違うって!?『私も遭難…一緒に下山』…この人も遭難したのか!
「Почему? Меня зовут」(なぜ私の名前を知っている)
「По радио」(ラジオで知った)
そうか、地元の放送局でもニュースが流れていたのか。
それにしても、いちいちロシア語ではなすのは面倒だな。
「ワタシ、ニホンゴチトデキマスヨ」
心を読んだかのように日本語で話してくれた。
「なぜ…あなたは遭難したんですか?」
4
サハリン州在住のベラ・トーマス(Вера・Томас)さん(58歳)は
サハリン山岳会に所属し、その会の人5にんでこの山に登ったが、
途中で熊にあい、トーマスさんは気絶し、ほかの4人は下山したとのこと。
ここの山はもう19回も登っているので詳しく、地図がなくても下山できるが、吹雪になってきたので頂上で立ち往生だということ。
あられが吹雪のようになってきた。
「近クニ避難スルアリマス」
この山の天気は変わりやすく、吹雪で下山できなくなったときのために、頂上の大きな石の中に部屋ができている。
知っていればここに入っていたのに。
トーマスさんによると、ここの避難場所は何十年も前につくられたもので、サハリンの先住民族が作ったという。
何年か前まではこの近くに住んでいたというが、人種差別をうけ、戦争で殺されてしまったという。
しかしその先住民族(オホーツク文化人)は知恵者が多くカラクリ屋敷などを作っていたといわれる。
小屋の中はとても暖かく、快適だった。
畳がパカパカ浮いていたので私は接着剤でなおそうと畳をあけるとそこには…
階段があったのだった。