闇月白夜 2013-01-11 18:15:48 |
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>>80
宗教観に照らすと小乗的な考え方ですね? 今生は小乗では残れませんよ。最低でも大乗にならないと。大乗に至るには小乗の修行が必要ですけど最も大切な事はエゴを捨て去り利他になる。です。これが近道。人さえ良ければそれでいいという考え。神という存在はそんな人を助けたいと思うはずです。
>78へ
その問いに対する俺の解
「生きた先に死はある。それに至る、その道のりをまず知らねばな、だから生きる事をまず知らねばならない
順序を踏まんとならん」
だが、この俺の解は浅かった
達人曰く
「生を知るということは、死を知ることにほかならない。生と死は一連の問題であるから、生もろくにわからん者に死などわかるはずがない。〈死とはなんぞや〉というようなことを云々しても始まらない。」
確かに、「生きる」とは「我々の生」と「老者の死」の連続ですね
そうでなくても、家畜の死で我々が生き、我々も老い果てれば次世代に託して死ぬ。生と死は一連している。或いは「生なくして死はなく、死無くして生は無い」とも言えそうです
俺は達人を見習いたいと思います。自分は全然甘い
462s
私は、己の内から見いだす事もできず、苦しみにも耐え切れず…。
いつに成ったら「自分自身の内」が分かるんだろう?(考え出すと溜め息が、、、;)
真実の探究心
今の俺の精神は此れが生涯で最高潮に達している
そうして悩む?考える人間がとても好ましく想える
俺のトピでは「生きるとは?」を独りで考えている
今は「政治とは?」の途中
その後「自己の修養」を考える予定
これは「君達の話を聞いたから」じゃなくて前々から考えていた
これも何かの縁じゃないかね?少ししたらいらっしゃい
やっぱ独りは寂しい(;_;)>刹那・匿名
>>83簡単に説明すると小乗とは自己の利益のみ、大乗は自己と他人にも利益あり、さらにその上の金剛乗というものがある。金剛乗は自己が損であっても相手の利益になるならそれを実践すること。自己犠牲ほど素晴らしいものはない。他人の為に自己犠牲が出来る人こそ神は望んでいます。あなたは神という存在を信じますか?
「自己を律しよう」と考えているというのに・・・これでは無理ですわ~(喜
しかし、浅い
俺が申したのは、「利己主義」ではない
「自己に宿る可能性の追究」である
「己」とは簡単に言えば「個性」である
奉仕とは確かに大切な一つの人生の宿題ですな
ならば実際になんとする?
まずは利己を得るにせよ、奉仕するにせよ、どの様に?
君の要求を含蓄してみますと「自己を知って奉仕の方針を得る」例えば
僕は頭脳明晰。なので医術を学び病む人々を救う
俺は喧嘩が強く曲がった事が嫌い。警察官になり世の曲を矯正してやる!
生物学は面白いな~。生物の生態系を研究して自然の緑化を実現してやる!大好きな生き物たちの為に!
喧嘩が出来るんならその体は筋肉質であろう。1m以下の繊細な刃物の扱いは困難ですね。医学には向かない
逆も然り
科学の研究なんて途方もない道のりだ。これは「好き」でないと無理です
これらは全て「自己」から発現しているのです
神の存在は信じている
しかし、神様は八百万もいて、これには我々に有害な奴もいるらしい。「邪神」という奴だ。過信しないで慎まんとな
自己に宿る可能性の追究…ん~これは誰の為にやるんですか?自分の為でしょ? ここでもう利己になってるんですよね。仏教で言うとこれを小乗というんです。最終的に小乗の悟りを得たら次に大乗に入っていくわけです。自分で悟った全てを人に奉仕しようと、大乗の菩薩になるわけです。今まではこの流れで良かったんですが今は末法の時代…小乗~大乗の過程をやる時間もないです。そこに小乗も大乗もすっ飛ばしていっきに急上昇する教え…小学生からいっきに大学生になれる教えが金剛乗なんです。話がづれましたね(笑) 別に小乗が間違いというわけではないんです。只段階があって人に奉仕したい人を助けたい…なら先ずは自分を助ける自分が救われるすべを知らなければ人に教えられるはずがないですから。人を救済したいという前提があれば良いいんです。他人のために尽くす人生こそ、価値ある人生だ。
自己を修養するということは、自身を立派な人間に高め。我が徳が大気に溢れ他を教化するが如しの為だ。
君は只只教科書の文面に従っているだけだ
まず自分を修めねばならない。自分を愛さねばならない。好きでなければ高め甲斐がない、自分が立派でなければ、ろくな恩返しも出来ん事を悟らねばならない
そして私心私情の計りなど浅はかである。「こうすれば人の為になるであろう」などと、今の世を見てみよ。「子供の為に」の政策は全然裏目に出てばかりだ。頭でしか考えてないからさ
だから「無心」にならねばならぬ
そして小学を無視して大学をいきなり踏むのも、愚かな話だ
小学で躾を学んだり掃除をしたり勉強をしたりの基礎を体に染み込ませる筈だ。
此れが出来んと人助け以前に自分の生活が成り立たず、助けられるだけの駄目人間になってしまう
天才・俊才なら別だがな
それに、おかしな話をする、「仏教」の修養はまず朝早くの掃除などの基本から始まるんだぞ。生活習慣を正し健康な身体を養うのだ。勉学は基礎を整えてからだ
ちなみに「自己の修養」を説いた人物は、仏教にも深い感化を与えた「孔子」その人だ
小さな質問
「人助けとして何をすれば善い?」
はじめまして。何やら話題が面白そうなので仲間にいれてくれませんか?自分は哲学書も仏教もあまりよんだことはないがきょうみがあります。
人助けのためになにをすればいいか。
ボランティア、常に明るい笑顔、礼儀、社会のために自分の労働力を提供する。そんな小さな事の積み重ねでしょうねきっと…
求道者大歓迎!
宜しくm(_ _)m
ボランティアも色々あるな
何をする?>和同
トピ主・・・・俺は大丈夫なのでしょうか?(不安
まぁ・・・ボランティアで無くても方法はいっぱいある
歓迎ありがとう!!
なんというか、方法論はいくらでもあると思う。例えば福祉関係とかさ。それを行う目的は「人のために」と。「この人のためには」自分は、その人を自立、自律を促すこと、また必要であれば生活の質の向上を支持すること。ただ物質をあたえるのではなく、共感的態度でともに人間として成長することである。というのが今考えている「人のため」だとおもうんだ。人のためは結局は自分のためなのだからさ!文章おかしかったらすまない!
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