シンジ 2012-12-30 17:18:57 |
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簡単に申す
俺は半端な宗教家の如く過信しない。
信じ過ぎて現実を無視して過らない。
「これは完璧。これを信じて間違いなし」と思わん。
これには「このような効用があるが欠点もある」を悟る。
そもそも「この世に完璧・完全は無い」
だから俺は「これだけでは不安。此れを補う、或いは新たな真理を求める」
例えば
「論語だけ極めれば完璧」などと思わん。
孟子を読まねばならん。
此れでは足りない。荀子を読まねばならん。
さすれば、見限ったそれに新たな可能性を得る。
孔子は、人間の「五徳(仁・義・礼・知・信)」から特に「仁と礼を重んじる」。
孟子は仁に寄り、此れを深く悟る。
荀子は礼に寄り、此れを深く悟る。
此れを悟った時「孔子の偉大さを改めて悟る」
確かに、この2者(仁礼)は陰陽の如し関係図を持った大切な真理である。
陰陽故に、孟子が善を説き、荀子が悪を説き、真逆でありながらも、この2者は真実であった
君子の魂
現実の真理、命の覚醒を餓えの如く貪欲に求める。
さすれば真の創造性が覚醒する。
此れが、子(孔子)がいう
「忠恕(チュウジョ)」だ
シンジの言う通り
この世に完璧、完全は無いよ!
良く絶対大丈夫だから。と
言う人居るけど
絶対って?
何の根拠もなく良く言えるよ。
絶対なんて無い!!!
私はそう思う。
和同よ、君の言葉に低俗の如し愚かさは含まれて無いのだろうが、敢えて責める。
お前は>143で朱子学に対する思いが、先ず「有名なのか?」、と訪ねた。
お前は自分の頭を使い「どんな真理か?どの様な正義?」、様は正体を自分で確めず世間の雑学に依存したのだ。
「現代は間違いだらけ」と口では言いながら。その間違いだらけの愚かに是非を訪ねたのである。
「無名なら大したこと無い」と言うならば俺の話は一切信じるな>和同
己の狭さ窮屈さ
「本能は醜い」だ「徳を破る」だ言うて、自己や本能を捨てようとする。
俗物は本能的快感を求め、此れに対する宗教を拒む
貴族は下品を蔑み此れを酷する
凡人は上品を面倒臭がり、これから離れる。
彼等は現実世界の喜びを十分の一も知らぬ。
寂しいものだ。実に勿体無いものだ。
感激して道誤らず
宗教は善い。人間の本質を高める。
俗世は善い。刺激的で暇をしない。戦いに強い。遊び上手。
上品は善い。凛々く整い静か。
下品は善い。強かで勢いあり賑やか。
宗教悪あらず、命の一つ
俗物悪あらず、命の一つ
上品悪あらず、命の一つ
下品悪あらず、命の一つ
「君子は命を知る」
「子(孔子)、四を絶つ」に似たりけり
それ156です
そんでもって百花妙乱が分かりません!!
私の誇りは絵を描く事です。将来そうゆう関係の仕事に就いてみたいという夢もありました。
でも私より絵がうまい人なんてくさるほどいるし私よりセンスがある人も才能がある人もくさるほどいる。
でも、だからといって見限って将来の夢を諦めるのはのは寂しい。だって自分でそう思ったらそこで夢はなくなっちゃうじゃないですか。それはすっっごく私は寂しいと感じます!
なので、シンジsが
ご立派でも「これぐらいしか役に立たん・この程度」と可能性を見限ったら、そこまでじゃないですか。
もっと可能性があるかもしれないのに、見限ったらそこまで。それって少しばかり寂しくないですかね。
あ”っっっっっっっっっ、、、、、、でも
え!?!??!?!?!!??
見限るって切り捨てるみたいな意味ですよね!?????
言い忘れた
俺は見限る、その限界を、慎むべきラインを悟る
俺は「自信信念モリモリ」だ。
例えば
物を正面から見る。しかし、物には裏面がある。表面と内面がある。
前だけでは全てが見えぬ、後ろから見れても内側が未知。内側だけ探っても表面内面の関係性を知らず。
これ等全てで、初めて正体明らか
無名ならば信じないという考えではなく、文章の始めに入りやすい言葉を選んだのだ。だがそれも深くは考えていなかった!なるほど、そのような深いところまでは至らなんだ。これから極力気をつけようと思う。
道楽
命を又は「道」という。
宗教に自身の可能性を大きくする、喜ばしい事だ。
俗世に遊び、競いあい、勝敗を味わい経験豊富。喜ばしきかな。
上品に乱れを整え安静得る。喜ばしきかな。
下品に強かさ、寛大さザッパに気を緩め緊張をほぐし、気持ち安らか。喜ばしきかな。
知能明晰は、格好の飾りだ。立派に見える。特に後輩等の敬意を得るのに便利。喜ばしきかな。
馬鹿は風邪を引かない。馬鹿は人に緊張を与えない。良く親しむ。喜ばしきかな。
シンジs
ふふふふふふーーー←
いろいろですよb
女の子の絵をおもに〜どちらかというとイラストですがね〜
他にもいろいろ描きますよ〜〜
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