シンジ 2012-12-30 17:18:57 |
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寝落ちすまん。
では…
「もっている」とは?
よく野球選手などにも〇〇選手、やはりもっているのか!?などいいますが、具体的にもっているとはどういうこと?幸運?実力?それは人それぞれでいみがかわるもなのか、統一された意味があるのか…
一般人にむけた場合どういうことだろうか…
野球は全然考えたこと無いが、「大事を成す」と認識すると、師の言葉を思い出した。
「1割の霊感と9割の流汗による」
精神的感覚・スピリチュアルと努力ですね。「運は実力で掴むもの」という言葉もある。
占いでも好運不運があるが、好運だから「勝手に良い事が来る」じゃなくて、好機を把握して力の出し所を見分ける。
直感で「ここだ!」プロならばこの瞬間が分かるのかもしれん。
運気・好機を掴む素質、此れが「もっているのか!」の正体?>和同
好機を掴むと言えば、日本VSオランダ戦でエースあべさんがやってくれましたね。俺も盛り上がった。リーダー的存在がやっちゃうと周りもその勢いに引き寄せられる。
雰囲気は大事だな
運気・好機を掴む素質か…なるほどなぁ。なんだかもやもやしていたものが吹っ飛んだ感じだ。
しかし、「もっている」は自分から掴みに行かなければ宝の持ち腐れになってしまう、そういうことなのかな。能動的でなければいけないのな〜。
「能動的」て、冷めたような言い方ですね。
「もって生まれた運」というのはある。
それを、地道な努力の積み重ねで、持っていた物を伸ばし、大事な瞬間・好機を掴む力になる>和同
和同さんお初です!
なかなか面白いお題ですね。
シンジ
1割の霊感と9時割の流汗による
う~ん深いなぁ。
良い言葉だ(*´ー`*)
私はその言葉ですべて納得いくね。
おはようございます
能動の件は・・・アレだな、並の人間の事だな
「能動」には「感激・精神的・直感性」が抜けたように感じて、それが俺の言う「冷めた印象」のこと。
プロは決して並みの通りでは済ませていない筈だ。
最近、シンカーという魔球を投げるピッチャー「オウケンミン」がいる。
世界のイチローも手がでない魔球は、皆と同じ作業のような普通の練習では身に付かない。
より精神的に直感的に投げ方や鍛え方も考えて独自性がある筈だ
>119はこのまま何の手もうたねば訪れる現実。
様は「病気」と似ている。
病は早期発見が早ければ早いほど善い。癌にしても早ければ放射線などのリスクの少ない治療で済む。しかし、発見が遅れ病巣が深ければ、抗がん剤や手術等のリスクの大きい治療をしなくてはならない。
今からでもエコ生活等にとりくめば、少しは何とかなるかもしれん。
ある程度の不便は、あった方が絶対に健康的だ。
宗教心
宗教と言えば、思いつくのが神仏
俺が思うに宗教心には三種ある
神・人・仏
である
神と言えば「キリスト教・神道」。
仏は「仏教」。
人は「儒教」。
それぞれ、導きや戒めや修養である。
神に於いて、大きな存在をもって精神的敬愛を養う。
仏に於いて、愚か過ちの原因を出さぬよう戒めを教える。
儒教に於いて、人が立派になるための修養法を説く。
俺は宗教「心」を貴ぶが、宗教「団体」は好まない。
団体は注意せんと過信になり、それが不和的・排他的になる。
そうでなくても
神に従えば、人間の尊厳や自主性が衰える。
仏の教に習えば、発展性や刺激に欠けてつまらなくなる。
儒教に学べば人間が立派になるが、傲慢になり、他の存在の感謝を忘れかねん。
これ等は「過信・独善的」になって起こりうる危険である。人は群れると調子にのり易い。
慎み恥じらいを持てば問題ない。
神の威厳も、仏の慈悲も、人間の可能性も、事実存在する。
だから、神をひいきするでなく、仏や人間をひいきするでなく、これ等と付き合っていきたいと思う。
シンジの言う通り
エコをみんなが考えれば
もっと自然がよみがえると思う。
一人一人が少しでも真剣に取り組めば
劇的に変化をとげるはず!
宗教に関してはあまり良い
思い出がない。
親友を失ったから!
宗教が悪いとは思わないけど
やはり団体とかは少し
身構えてしまう。
信じる事は良い事だし
信仰してる人が幸せを感じるなら
それは喜ばしいと思う。
でも、私には必要ない!
道は自分の足で歩いてゆく。
家族や友がいるから
1人じゃないから大丈夫!
クッキーさん、はじめまして!挨拶遅れてすみません(汗
宗教
確かに集団は好まないかもしれない。これは単なる偏見かもしれないが…一番怖いのは依存心だと思う。そして集団であれば、数が多ければ怖くないのような考えに陥りやすい。多いもの。それを正しいことと思うのが人は結構いるのでは。しかし、なにかを信仰する心は善いことだと考えている。それがあるからこそ自律にむかえるのかもしれない。軸がぶれないというやつです。
本物の葛藤
一流の人物程、自分を責める人間はいない。
プロの中には挑む前・前日等、手が震える程のプレッシャーにかられる人がいる。
「成す」意思の強さがそうさせるのである。
プロは「極論」である。
プロに於いて、勝利の意志の強さが敗北の悪夢を見るのだ。
人生に於いて、「生きる意志が強ければ強いほど死を考えるのである」
その気持ちを粗末にしてはならない。
本物の葛藤について
追い込む…ということとはちがうことなのだろうか?葛藤か…
もし追い込まれていたならば結果をだせる状態を長く保つのは本当に至難の技。そこがプロの違いなのか…?
意志の強さバイタリティの違い、結局努力だけでは届かないものなのだろうか…?
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